あれから、2日経った。
その間、というか今も私はずっと寝込んでいる。サボりとか仮病じゃない。あの日、家に帰ってからずっと色んなことを考えて、考えて、寝て起きたら風邪を引いてしまっていた。病は気からっていうけれど、本当にそうなんだなぁ。
今はかなり落ち着いているけど始めは40度の熱が出たみたいで大騒ぎだったらしい。私もその時は苦しかったこと以外何も覚えてないから何とも言えないんだけど、わざわざお家にすっごいお医者さんが来て診療してくれたとお母さんが話してくれた。たぶん、勇者のお役目の後遺症が出たとかそういう勘違いをしたんだろうと思う。
でも、今は熱もだんだん下がってきて意識もはっきりしているからただの風邪だったんだろう。東郷さんもそうだけど、ちょっとみんな私のことを心配しすぎだよ。
(……東郷さん)
こんなことになっても、考え事をすればすぐに東郷さんの名前が出てきてしまう。
丸々2日も東郷さんの顔を見ないなんて、いつ以来だろう。なんだか随分久しぶりな気がして寂しくなった。
「東郷さんに、会いたいな」
誰もいない部屋の中でポツリと呟く。
会いたい、けど会いたくない。どうしてあんなことをしてしまったんだろう、どうして心地良かった日常を壊してしまうようなことをしようとしたんだろう。
「……私のバカ」
時刻は13時、お父さんもお母さんも出かけているからか変な独り言もこぼれ落ちてしまう。実際声に出すことで、少しは踏ん切りみたいなものが着くかもしれないという考えもあった。
「本当は分かってるくせに」
どうしてあんなことをしたのかなんて、分かりきっている。
あぁ――、私はどうしようもなく東郷さんが好きなんだ。たぶん、同性として、友達としての枠を超えてとんでもなく東郷さんが大好きだ。こればっかりは恥ずかしくて独り言とはいえ言葉にすることはできないけど。
心は決まっている、なら後はどうするか。
「なせば大抵、なんとかなる!」
とにかく、逃げたままじゃ何も始まらない。運が良いのか悪いのか、風邪を引いたことで考える猶予は十二分に得た。でも考えたって分からない、だって恋なんて初めてなんだから。でも分かった、やることは一つ! とにかく東郷さんに会う。会いたい気持ちは本当に本当だから、会って私がどうなっちゃうかなんてことはその時になって考える。東郷さんだってたぶんすごく心配してくれているから元気な姿を見せてあげなきゃ。勿論勇者部のみんなも。
だから、風邪なんて早く治してしまおう。
結城友奈! まだお昼だけど就寝します!
あれから、2日が経った。
あの日走り去っていった友奈ちゃんを見て、そっとしておいた方が良いなんて思い上がったことを考えてしまった私を自分自身が許せない。
友奈ちゃんは翌日、高熱で寝込んでしまった。意識も朦朧としてほぼ無い状態と聞いた時は気を失ってしまいそうになった。学校を休んで傍にいてあげたかったけれど伝染っちゃいけないし、学業を疎かにしてはいけないと友奈ちゃんのお母さんと私のお母さん、それに風先輩からも怒られた。
でもお役目の後遺症かもしれない、だとしたら……。そう思うと居ても立ってもいられなかった。けれど私に出来ることなんて何もなくて、ただひたすら友奈ちゃんに何事もありませんようにと願うしかなかった。
連日、そんなことを考えながら夜遅くまで起きているせいで余り眠れていない。睡眠時間は大体2時間程度といった所か。
それでも眠っていることには眠っているので朝起きて、友奈ちゃんを起こしに行こうとしてふと今日は友奈ちゃんに会えないと思うと、その時は胸がキュッと締め付けられる感覚に襲われる。目が覚めた時にもしかしたら今までのことは夢だったんじゃないか、なんて都合の良い展開を思い浮かべてしまうから。
学校にも友奈ちゃんは居ない、放課後部室に行っても、居ない。ここ数日は申し訳ないと思いつつも部活も早めに切り上げて家に帰っていた。ここが今、一番友奈ちゃんに近い場所だから。
そして、今日も放課後すぐに家に帰って来ていた。風先輩には当然連絡を入れてある。
家のパソコンで勇者部のホームページを更新しながら考えることは、一つ。あの日の友奈ちゃんのことだ。
熱を帯びた瞳、紅潮した頬、切なそうな表情。今思い出すだけでも体が火照るくらいに全部が初めて見る友奈ちゃんで、どうしていいか分からなかった。だからこそ雰囲気にそのまま流されてしまったのかもしれない。けれどそれは結果的に友奈ちゃんを悲しませることに繋がってしまった。
自分の唇を指でそっとなぞる。あのまま、もしあのまま夏凜ちゃんが通りかからなかったら一体どうなっていたのだろう。
「はぁ……」
そんなことを考えても仕方がない。けれどあの日以来、ため息の数が1日当たり10倍は増えたと思う。
そっとしておくのではなく、すぐに会いに行って話をするべきだったのではないか。友奈ちゃん自身が戸惑っていたから、私が傍に居てあげるべきだったのではないか。想いは逡巡して止まらない。あぁすれば良かった、こうすれば良かった、どれだけ考えても時間は巻き戻らない、起こった結果は変わらない。どれだけ考えたても、あの日以前の私と友奈ちゃんには戻れない。
思考は壊れた歯車のようにちぐはぐと回り続けて私を苦しめる。時が経てば経つほど悪い方向に考えてしまうのは私の悪い癖だ。
だから、ねえ友奈ちゃん。
はやく会いたい。
逃げ出さないで、私はどんな友奈ちゃんだって――受け入れるから。
だって私も――。ううん、これは直接言ってあげないといけないこと。
頬を伝う熱い液体が、友奈ちゃんへの気持ちの証明。
会えないだけでこんなに苦しい。
もしかしたら今は会うことも苦しいのかもしれない、でも会えない苦しさよりはずっと良い。そんなのはもうたくさん。
だから、友奈ちゃん。ただの風邪ならそんなのいつもの元気で早く治して。
そして一緒に学校へ行こうね。
寝不足のせいか、自分の中で何かが纏まったせいか。私の意識は、知らぬ内に深く沈んでいった。
翌朝。
目覚まし時計の音で目が覚めた。
「うぅ……ん」
まだ目がしぱしぱするけれど、3日も寝っぱなしだと流石に体が起きたがっている。
横になったままぺしりと目覚まし時計を叩いてから一度目を瞑る。
昨晩熱を計った時は平熱だったし体も全然だるくない。うん、大丈夫、治ってる!
意識を体の内側に巡らせて両手両足、あらゆる感覚器官がほぼ正常に機能しているのを感じた。
「おはよう友奈ちゃん」
そして、目を開けると余りにも自然に東郷さんがベッドに腰掛けていた。
「おは、よう」
病み上がりで寝ぼけた状態とはいえ、この東郷さんが幻覚とか夢じゃないなんてことは頭では理解してる。してるけど思考が付い来ない、どうしようどうしようどうしよう――。謝る? 謝った後は? それよりも怒ってないか聞く? でも怒ってたら私の部屋なんかに来ないよね。
「久しぶりに友奈ちゃんの可愛い寝顔が見れちゃった」
思考も体もカチコチに固まってしまった私を見て、あろうことか東郷さんはにっこりと笑ってそう言った。
「ひ……」
「ん?」
「ひゃわぁぁぁーーーーーーーーーーーーーー!」
そして私は布団を抱きしめてベッドの端まで後ずさった。
頭の身体もこれで完全に覚醒、今の状況というのをようやく正しく認識し始めた。
つまるところ、昨日の決意を実行する時が寝起きで来てしまったのだ。東郷さんに会う、会って話をする。――というより単純に東郷さんに会いたいという気持ちの方が大きかったけれど。どうなってしまうか分からないなんて思ってた以上多少の覚悟はしていた、なのに本当に今の私はどうしちゃったんだろうってくらい慌てていた。
だって東郷さんの方から来てくれるなんて思っても居なかったから。きっと私のせいで嫌な気持ちになったから、だから私の方から会いに行こうと思って目覚ましもいつもより早めにセットしておいた。なのに――、いつも通り。いつも通り過ぎてびっくりするくらい東郷さんは自然に振舞っている。
「風邪は本当にもう大丈夫? 昨日友奈ちゃんのお母さんから平熱に戻ったって聞いてね、これでまた明日から友奈ちゃんを起こしに行けると思って嬉しかったわ。こうして友奈ちゃんの寝顔も見れたし、言う事なしね。あ、でも寝起きドッキリみたいになっちゃってごめんなさい。さ、早くベッドから出て準備しないと――」
「あ、うん……」
そう、いつも通り。
呆気無いほどに。
まるであの出来事がなかったかのように東郷さんは振舞っている。
だから私もそれに応えようと、いつも通りにと抱きしめてた布団を綺麗に直してから、着替えようと……着替え……。
「どうしたの友奈ちゃん? 制服ならそこに――」
「あ、あのね東郷さん……。着替えるから、その、恥ずかしい、から……」
外で待っていて欲しい、と寝巻き姿の自分を抱きしめるように隠して、目線だけを東郷さんに向けて訴えかける。いつもなら東郷さんが同じ部屋に居ても着替えるなんてなんでもなかった、だって裸になるわけでもないし、裸になったってたぶん前の私ならそんなに恥ずかしがらなかったと思う。だけど今は違う。東郷さんを好きなヒトとして認識してしまった以上、そんなことはできない。普通に恥ずかしいし、もしかしたら私の身体を見て何かがっかりされたりするかもしれないし、私だって一応女の子なんだからそういう羞恥心はあるのだ。
「どう――して?」
いつもだったらそんなこと言わないじゃない、と東郷さんはそう言っている。その声色は透明で、意図を読み取ることはできない。いつも通りを貫き通せなかった私への失望か、落胆か、戸惑いか、もしかしたら言外に先日の私の行いへ謝罪を求めているのかもしれない。
ある予感がする。
ここで何かを間違えたら、私と東郷さんの関係そのものが終わってしまう予感。
それが、とても怖い。
決して言い過ぎなんかじゃない。
だって東郷さん、震えてるから。
いつも通りに振舞っているように見えたけど、そうじゃない。
東郷さんも怖いんだって、そう思えた。
同じだね。と心の中で呟く。だったら私が怖がってちゃいけない。
だから私は、一歩踏み出す。
いつも通りになんて戻れない、私が壊しちゃったから。でも――
先に進めないわけじゃない。
「東郷さん」
「……」
返事はない。けれどその手はスカートを握りしめて、続く私の言葉を待っている。どんなことを言われても耐えようと、痛いくらいに握りしめているのが分かる。
「私、今すごくドキドキしてるんだ。東郷さんが近くにいて、一緒にお喋りして、それだけで心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしちゃってる。おかしい、のかな? いつからなんて思い出せないけど、確信したのは、"あの日"だった」
ギュっと優しく両手で、東郷さんの両手を握る。
少しでも嫌そうな素振りがあれば手を離そう、こうして触れ合えば東郷さんのことだったら何だって分かるから。
だからそんなに怖がらないで。
そんなに泣きそうな顔をしないで。
「ごめん、こんなこと言われても困るよね……。でもねこれだけは言わないといけないんだ、私は――」
そう、私は――。
「違う……違うの……」
私の言葉よりも早く、東郷さんが口を開いた。
「ごめんなんて言わないで――、謝るのは私の方。友奈ちゃんの本当の気持ちを聞くのが今更怖くなって、普段通りに過ごそうとする選択をしてしまった。こうして会えば、顔を合わせればどうなるかなんて分かっていたのに……。あのね、どんな友奈ちゃんだって受け入れるって、私昨日そんなことを一人で考えていたのよ。でも、昨日お母さんから友奈ちゃんの容態が落ち着いたって聞いて怖くなった。自分の中で覚悟を決めた振りをして、いざ眠っている友奈ちゃんの顔を見て、こんな日常が壊れてしまうかもしれないと思うととんでもなく怖かったの……」
いつの間にか、東郷さんの目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。
私の手を強く握り返しながら言葉を紡ぐ。
「だから謝るのは私の方……。ごめん、ごめんね友奈ちゃん。あの日から友奈ちゃんの気持ちを分かっていたのにそれを踏みにじることをした……。酷いよね、最低よ。友奈ちゃんだったらそんなことないって言ってくれるかもしれない、けどこれは本当のことだから。今この時私のした選択は、私自身が赦せないことだから」
でもね、と東郷さんは続ける。
「どんな友奈ちゃんだって私は受け入れるっていうのは本当のことよ。だって私友奈ちゃんのこと……、大好き、だから。こうして近くに居るだけで、お喋りするだけですっごくすっごく胸が高鳴る。そのくらい友奈ちゃんのこと、大好きよ」
泣き笑いの、東郷さんらしからぬぐちゃぐちゃな表情で、そんなことを言われた。
この”好き”がどんな好きかなんて、聞くことはできない。だって、こんなに真っ赤な顔をして、潤んだ瞳の奥で熱い思いを滲ませながら言われた”好き”の中身を聞くなんて野暮なことはできない。この”好き”は――。
「私と、同じだよ……。私も、東郷さんのこと大好き――。好き、好きなの、大好き!」
どちらからとも無く、私達はお互いの身体を抱きしめ合った。
怖かった。
壊れてしまうんじゃないかと私達は怯えていた。
でも、こうして前に進むことができた。
まさか告白の先を越されちゃうとは思ってもみなかったけど、こういうトリッキーな東郷さんだから好きになったんだ。
「ね、友奈ちゃん。愛してるって言って欲しい」
「え!? ……あ、愛してるよ。東郷さん」
「フフ、私もよ友奈ちゃん。愛してる」
部屋の床で座り込んで、二人共目を真っ赤に腫らした酷い顔でお互いの想いを確認する。
すれ違いもしかけたけど、たぶんあの日あの時から私達の気持ちは一緒だったんじゃないかと思う。というのは都合が良すぎるかな……?
「じゃ、今度こそ準備して学校に行こう」
そういえば私はまだ寝間着のままだった。急いで着替えないと――。
「あの、東郷さん……」
「なぁに?」
「恥ずかし――」
「ダメ、好き同士なんだからそういうのは無しよ友奈ちゃん。さ、着替えて着替えて」
結城友奈は恋する乙女である
了
最終更新:2015年06月05日 10:56