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友奈がいつもと違うのを感じた夏凜、「積もる話もあるだろうから」と、
東郷さんと園子のいる部室から友奈を連れ出す。
近くのファーストフード店に連れて行き、珍しく自分からあれこれ話題を振ってみるが、
相槌を打つ友奈はやはりどこか元気がない。
理由は明白。東郷と乃木さんの仲の良さに、嫉妬や疎外感を感じているのだろう。

「…ねえ友奈、今日友奈の家に泊ってもいい?」

あまり縁のない嫉妬心に、親友が戸惑っている。
自分はその傍に付いていたいだけだ。
(―これくらい、してもいいよね)
誰かに許しを請うように、自分に言い聞かせるように、
夏凜は心の中で呟いた。

(友奈の部屋での一幕)
悩んだら相談。だがこんな悩みを話してしまっていいのだろうか。
自分の中の嫉妬や疎外感といった負の感情に戸惑いを隠せない友奈だったが――不思議と口に出すことができた。
夏凜なら。目の前で真剣な表情で自分の言葉を待ってくれている彼女なら、弱みを、汚いところを見せても受け入れてくれる。
そんな信頼があった。
やがてぽつぽつと友人へ抱いてしまっている感情を話した。
言葉とともに流れる涙。そして自己嫌悪の嵐。

「最低だよね、私。二人は私より昔からの親友で、やっとそれを思い出して、取り戻すことができたのに、私はこんなこと考えちゃって・・・」
「・・・友奈」
「私、友達失格だ・・・」
「・・・止めなさいよ」
「え?」
「最低だとか友達失格だとか――私の好きな人の悪口は例えあんたでも絶対許さないから!」

そう言って夏凜はベッドへと押し倒し

「…好きな人って、私のこと?」
涙を浮かべたまま、きょとんとした顔の友奈。
「そうよ。あんたは私の――」
言いかけて、ふと我に帰る。
自分を覗きこむ少女の涙。これは誰の為のものか。
黒髪の少女の笑顔が、脳裏を過ぎる。

「…あんたは私の、大好きな親友なんだから。
 私が友達と認めた子が、最低な訳ないでしょう」
先程と違って、諭すような、言い聞かせるような口調で語りかける。
「でも…」
友奈は悲しそうな顔で見つめ返してくる。
聡い彼女も、今ばかりは自分が伏せた言葉の意味には、気付かなかったようだ。

「誰だって、好きな人にやきもちを焼いたり、不安になったりするものなの。
 だから、そんな事で自分を悪く言ったりするんじゃないのよ」
「…そうなの?夏凜ちゃんも?」
「…ええ、そうよ。
 とにかく、そういう気持ちは誰にでもあるものだから。
 これはそういう物なんだ、くらいに思っておきなさい。いいわね」
「…分かった。ありがとう、夏凜ちゃん」
ようやく笑った。そう、あんたにはその顔の方がずっと似合う。

「これで明日、東郷さんとちゃんとお話できそうだよ!」
「―――!」


咄嗟に離れたが…多分、見られてしまった。
自分はきっと、とても怖い顔をしていたのだと思う。
「夏凜…ちゃん…?」
さすがに友奈も異変を感じたのか、心配そうな声を掛けてくる。
「…大丈夫。何でもないわ」
動揺のあまり、言い訳が思いつかない。
早く、早くここから離れないと。
勘のいいこの子にばれてしまう。
友奈を最高の笑顔にできる東郷に嫉妬したんだと、ばれてしまう。

おもむろに立ち上がり、部屋を出ようとした手を掴まれる。
ああ、なんて言って席を外そう。考えなきゃ。
そんな思考を巡らせながら、友奈の方を向く。

「夏凜ちゃん…泣いてるの?」
その言葉で初めて、自分の視界が涙で歪んでいる事に気がついた。
「…ないて、ないわ」
「嘘、泣いてるよ!どうしたの、私、何か夏凜ちゃんに」
「泣いてないったら!」
「夏凜ちゃん!」
手を振りほどこうとする前に、友奈に方を掴まれ、視界が大きく傾いた。
今度は、自分が押し倒される番だった。

「夏凜ちゃん、どうして泣いてるの…?」
涙を拭う親友の手に、あれこれ考えていた頭が真っ白になっていくのを感じていた―。

「何でも...ないわ」
「嘘、何でもなくないよ」
「見ないで...見ないでよぉ...」
「夏凜ちゃん...」

事ここに至り、友奈はようやく自分の手の平を伝う親友の涙の理由を思い当たる。
思い当たり、そして...先のやり取りでどれほど彼女を傷つけてしまったのかと後悔する。

「夏凜ちゃん...私の自意識過剰だったら、これからする事に対して先に謝っておくね」
「え...」

友奈は夏凜を抱きしめる。強く、とても強く。彼女の小柄な身体が、腕の中で震えている。

「夏凜ちゃんは私が本当にダメになりそうな時、決して折れない勇気をくれた人。
夏凜ちゃんがいなかったら私...いや、私達皆無事ではいられなかったと思う」
「友奈...」
「その夏凜ちゃんがこんなに悲しんでいる...だったら私は、夏凜ちゃんの望む事を何でもしてあげたい。
私に出来る事なら、何だって」
「友奈...好きよ。友奈が好き」
「...」

夏凜の声に先程までの迷いはなく、吹っ切れたような響きをたたえていた。
そして彼女らしく、無骨で、愚直なまでの言葉で想いを紡いだ。

「もう気づいたと思うけど...さっきのは嘘、大嘘よ。
私は、三好夏凜は、結城友奈の事が恋愛の意味で好き」
「ありがとう、夏凜ちゃん」

いつの間にか友奈の頬にも、一筋の涙がつたっていた。

「だけど、どうこうしようって言うんじゃないの。今日だって、本当にそんなつもりじゃ...
ダメね、全然ダメダメ。身体ばっか鍛えたって、心はまだまだ完璧とは程遠い。
あんたが東郷を好きなのは分かっ...
「夏凜ちゃん!」

ふいに夏凜の視界が奪われたのは、涙で瞳が溢れかえった為では無い。
慣れない感触を唇に感じながら、一秒とも一分とも分からぬ時間、思考は彼方へ飛ばされ、
やがて友奈にキスをされている事を脳が認知した時、しかし夏凜の脳は情報を処理する事が出来ずにいた。

どれくらいそうしていただろうか。
いや、いつまでこうしているのだろうか。
唾液も吐息も交えながら、互いに初めてであるキスは続いた。

「...んん...ふ...んむ...」
「...ん...はぁ...んちゅ...」

頑なに目を瞑り、しかしだらしなく口を開けされるがままになっている夏凜。そして、
自分か夏凜か、或いはその両方か、より気持ち良くなれる場所を探すように艶めかしく舌を動かす様が、
その存在を確かめるように夏凜を見据えて離さない、年不相応の色気をたたえた瞳が、
普段のあどけなさを知る者が見れば確実に驚く事請け合いの、友奈。
ただ異様なのは、素晴らしく情熱的であるべきその時間を二人ともが、ポロポロと涙を流しながら迎えている事だ。

「ゆう...な...ん...」
「ん...かりん、ちゃ...」





まだ外が暗いのが不思議なほどに、長い長い時間を終えた二人。
二人は幸せななんとやらをして終了、というわけでもなさそうな二人。
手と手を取り合い、天井を見上げている。
涙はもう、流れていない。
夏凜が口を開く。

「友奈...」

さて、彼女はどのような意思を表明するのだろうか。

あんた...一体何考えてんのよ。

あたりが妥当であろうか。
しかし拒む素振りを一切見せず、生娘のように友奈に身を委ねていた様子を思い起こせば、
いささか滑稽というか、説得力に欠けるのもまた事実。

責任...取りなさいよね。

こうだろうか?これもまた彼女らしい言い回しだ。
だけど夏凜は静かに、こんな事を言うのだ。

「...好き」

また少し瞳を濡らしながら、友奈が答えた。

「...私も、夏凜ちゃんが...好き」

友奈の情熱的な舌使いによって、口内のあらゆる場所を愛撫され、
夏凜はもう頭を働かせる事が困難になっていた。
今も繋がったままの手から、先程までの熱が、友奈の想いが伝わってくる。
これまでに感じた事のない、満たされた気持ち――幸福感が、胸いっぱいに広がっている。
もうこの気持ちがあれば、他に何もいらない。そんな風にさえ思わされる。

「ねえ…友奈」
「うん?なに、夏凜ちゃん」

それでも。
それでも聞かないといけない。
私はまだ、友奈に一番大切な事を聞いていない。

「…東郷の事は…いいの?」

これだけの熱狂的なキスを交わし、好きという言葉まで聞いた今、
こんな事を聞くのは無粋とも思う。
でも、これははっきりさせておかなければいけない。

友奈と東郷、二人の過ごした時間は、自分よりずっと長い。
東郷の気持ちは自分にも痛いほど伝わってきたし、友奈がそれを分からない訳がないと思った。
私の気持ちに応えてくれた、どころか、友奈の方から私の気持ちを拾い上げてくれた。
正直まだ実感が湧かないけれど、友奈は私を恋人に選んでくれた…んだと思う。
けれど、東郷の友奈への愛情、ひたむきさを思うと、どうしようもない罪悪感に胸を締め付けられる。
ねえ友奈、あなたは彼女に、この残酷な事実を突き付けられるの?

「…あのね、夏凜ちゃん」

少し間を置いて、友奈がぽつりと話し始めた。
私は黙って、友奈の言葉を待つ。
知らず知らず、握った手にも力が篭る。

「東郷さんは...誰よりも、家族よりも長い時間を共に過ごした人。すごくすごく大事な人」

夏凜の胸がズキンと痛む。

「好き...だったのかな、その、そういう意味で」

ポツリポツリと、自己申告でもするように友奈が言葉を紡ぐ。
この子は無垢なのだ、と夏凜は思った。この子はただひたすらに真っ白なのだ、と。
ただひたすらに優しい彼女が先に宣言した通り、なにやら悲しげな私を見兼ねて、
同情、彼女自身にそんな自覚は無くとも、同情したみたいに、
親が子を泣き止ませるみたいに、慰めのような意味で私にキスをしてくれたのかな。
そそのかした、とかそういう類の状況なのかもしれない。
それでも私は、もし友奈が東郷を選...ん?友奈は何と言った?
好きだったのかな、と、まるで過去の自心に問うているような、紛れも無い過去形ではないか。

「...知らないわよ、そんなの」

夏凜はまた泣きそうになっている。

「夏凜ちゃん」

再び友奈が唇を重ねてきた。
先程とは違う、衝動的なものでは決してない、それこそ親が子にするような優しいキス。

「しょうがないよ...夏凜ちゃんが好きになっちゃったんだもん」

友奈に抱きしめられながら夏凜は、ああ、なんかこう、私って悪い男みたいな感じだなぁ、とか思った。

「ん…朝かぁ…」
雀の声に目を覚ますと、そこはいつもの自分の部屋だった。
誰かが一緒に寝ていたような、そんな形跡はない。
昨日の出来事は夢だったのだろうか。
(そうだよね、夏凜ちゃんと恋人同士になるなんて、そんな夢みたいな話…)
でも、どうせならもっと長く夢に浸っていたかったな、などと思いながら、
部屋を出ようとした矢先、

「…あ、友奈…お、おはよう」
シャワー借りたから。などと小声で呟きながら、夏凜ちゃんがドアを開け入ってきた。

(そっか、夢じゃなかったんだ)
いても経ってもいられず、恥ずかしそうにそっぽを向いている夏凜ちゃんに、
思いっきり抱きつき、そのままベッドに倒れ込んだ。
「ゆ、友奈!?」
またも押し倒され、昨日の激しいキスを思い出したのか、夏凜ちゃんはますます赤くなる。
恋人となった少女の胸に抱きつきながら、元気いっぱいにこう告げた。
「おはよう、夏凜ちゃん!」


朝ごはんを食べながら、心はずっと浮かれたままだった。
「でも、本当に信じられないなあ。夏凜ちゃんと…こんな風になれるなんて」
「そ、それは私も同じよ…ごにょごにょ」
夏凜ちゃんは本当に照れ屋さんだ。
さっきからほとんどこちらを見ず、赤い顔でトーストに齧りついている彼女を見ながら、
そんな所も可愛いな、などと考え、またもにやついてしまう。

ねえ夏凜ちゃん。
夏凜ちゃんは、私があなたを選んだと思ってるのかもしれないけど、違うよ。
夏凜ちゃんが私を好きって言ってくれて、私がどれだけ嬉しかったか、分かる?
同じ女の子を好きな私なんて、夏凜ちゃんはきっと嫌いになるって、そう思ってたから。

「ありがとう、夏凜ちゃん」
「な、何がよ」
「何でもない♪」

ありがとう、夏凜ちゃん。
私を恋人にしてくれて。

テレビのニュース番組が、七時半の鐘を告げている。
「あ、そろそろ行かなく…ちゃ」
言いかけて、さっきまでの弾んだ気持ちが嘘のように、心に影が差す。
家を出れば、そこには東郷さんがいる。
きっといつものように、優しい笑顔で笑いかけてくれる。
私は、ちゃんとお話できるだろうか。
夏凜ちゃんを連れて、東郷さんと向き合えるだろうか。

「友奈」
「あ…」
声に振り向くと、夏凜ちゃんが手を握って、私を見つめていた。
昨日の夜とは違う、自信に満ちた強い眼差しが、そこにはあった。
それはあの時の――私を庇って戦ってくれた勇者の姿、そのものだった。

大丈夫。
夏凜ちゃんと一緒なら、きっと何だって越えていける。

「行こ、友奈」
「うん!」


おしまい
最終更新:2015年02月08日 22:09