「ゆっ?まりさのかわいいかわいいあかちゃん?」
辺りを見回しても、あの小さな饅頭の姿はもう無い。
ただ赤れいむがいたと思しき場所に、人間さんの大きな足が、柱のように突き立っているだけだった。
飛び散った餡子の温もりだけが、まりさの頬にびちゃりと貼りつき、次第に乾燥していった。
「はーい駆除――――」
「ゆ?ゆ・・・?まりさのあかちゃんは?まりさのとってもかわいいあかちゃんどうしたの?
どうしたの!!どこにいったの!!こたえてね!!ゆっぐりごだえでね!!!」
「削除しました。だからお前らの考えるゆっくりなんて偽者なんだって、全部嘘っぱち!
ゆっくり出来なくなるためのゆっくりなんて、ゆっくりじゃないだろ? 赤ゆはその最たるもの。
偽善と欺瞞の塊である赤ちゃんがいなくなってよかったね。これで少しはちゃんとしたゆっくりに近づけたかな」
そう吐き捨てるお兄さんの顔には、何の感慨も浮かんでいない。
ゆっくりを虐めて楽しむ子供、或いは大人のような、明るい笑顔すら無い。
虫を殺したような……というよりむしろ、困っているお年寄りを助けた後のような、当たり前の顔をしていた。
そんな彼の姿を見て、お姉さんの方は眉を顰め、明らかに引いていた。
「うわあ、きったない……よくそんなの踏めるね。赤ゆなんて虐厨のオナティッシュみたいなもんじゃん」
「おい、ちょっとは発言に品性というものをな」
そう言いながらもお兄さんは慌てて足を持ち上げ、足首をスナップさせて靴にこびりついた餡子を跳ね落としていく。
砂と混じったその一かけらが、ぴしりとまりさの目元に当たる。そして、まりさはキレた。
「ゆがああああああああああ!!よぐもばりざのがわいいあがぢゃんを!!
ぜったいにゆるざないがらね!!あかちゃんごろじだにんげんざんはゆっぐりじねぇぇぇぇ!!!」
全てのゆっくりを奪われ、完膚なきまでに追い詰められたまりさの身体を動かしたのは、
今までに感じたこともないような憤怒の感情だった。
全身の皮や餡子をフル稼働させ、ただ目の前の人間への悪意を体現する為、激しい体当たりを繰り出す。
赤ちゃんれいむの命を奪った憎き人間の足に、ぽすんぽすんと衝突を繰り返す。
ぶつかるたびに、まりさの顔も痛かった。大きな石さんにぶつかったような痛みだった。
しかしやめる訳にはいかなかった。まりさの心はその何倍も痛かったし、
無残に殺され、死してなおその命を侮辱された赤ちゃんの痛みは、その遥か上を行くはずだからだ。
「うわ、ほんとに全然効かないんだ」
「弱体化されまくってるからなぁ。俺の知ってるゆっくりだったら、俺なんて数秒で消し炭にしちゃうんだけどねぇ~」
「っていうかこんな風に怒りまくってる時点で、みんなが知ってるゆっくりじゃないし(笑)
まりさ、ゆっくりしていってね(笑)」
「うるざいよ゛!!かってにしゃべらないでだまっでね!!ばりざにゆっぐりじないでやられてしんでね!!
ばかなにんげんさんたちはさっさとじね!!ばりざだぢをゆっぐりざぜないばかはじねえええぇぇぇ!!」
まりさがもう何度目になるか解らない体当たりをする瞬間、お兄さんは足をひょいと上げ、
突っ込んでくるまりさの身体をかわし、そのまま通り過ぎていくまりさの後頭部をちょんと爪先で突いた。
勢い余っていたまりさは、コロコロと前方に転がっていった。
「ほ~ら出た、暴言、ゲス口調。何でそんなに口汚いの? 相手にゆっくりして欲しいんじゃないの?」
「多分、虐厨以外の普通の人でもムカつくゆっくり、ってのを演出したかったんでしょ。
その結果ゆっくりでも何でも無い生物になってちゃ世話ないけどね(笑)」
「悪口を言うだけの機械だな……ただ生きてるだけでもうゆっくりしてないじゃん。
こんな意味不明なもの虐待して楽しいのかね、キチガイどもは」
「・・・・・ふざけないでね・・・・まりさはおこってるんだよ・・・・・!!」
無様な前転から何とか身を起こしたまりさは、静かに怒りを口にした。
相手に手玉に取られたことで少し頭を冷やしてもなお、煮えたぎる感情は収まる気配を見せなかった。
「あかちゃんは・・・・あかちゃんはすごくゆっくりしてたんだよ・・・みんなまりさのあかちゃんがだいすきだったんだよ・・・!!
それにもうすぐ・・・・かわいいかわいいいもうとがうまれるって、わくわくしてたんだよ・・・・・
りっぱなおねえちゃんになるって・・・・まいにちまいにち、ゆっくりがんばってたんだよ・・・・!!
れいむのおなかにいるあかちゃんも、おねえちゃんにあえるのをすごくたのしみにしてたんだよ・・・・・・!!
それを・・・・それをにんげんさんたちはぜんぶこわしちゃったんだよ・・・!!ぜったいにゆるせないよ!!」
そこまで言い切り、まりさは顔を上げ、ギッと人間を睨み付けた。
先ほど威嚇でやったように、無理に怖い表情を作ったのではない。それよりも恐ろしい形相が、自然と顔に浮かんで来た。
暴力の手段をあまり持たないゆっくりにとって、口上が持つ意味は大きい。
これがゆっくり同士の争いであれば、まりさの喋りは怒りと気迫を相手に伝える、かなり上出来のものと言えただろう。
良心を持ったゆっくりが相手であれば、場合によっては泣いて謝ってきたかもしれない。
しかし相手は、尋常ならざる人間。
情に駆られるなどというわけもなく、その表情はますます苛立ちを増した。
「あ……? もう一匹赤ゆがいんのか?」
その返事を聞いて、今度こそまりさの頭は完全に冷え切った。
人間さんは、まりさの話なんて全く聞いていない。
それだけならまだいい、まりさに都合の悪い情報だけはしっかりと聞いている。
害虫の羽音を耳にして、その意味や内容を考える人間は普通いない。黙って殺虫剤を取り出すだけだ。
ゆっくりの赤ちゃんへの嫌悪という殺虫剤が家族に向けられようとしているのを、まりさは感じた。
そして同時に悔いた。自らもまた、人間さんが赤ちゃんを嫌いだと言っているのに耳を貸さずに喋っていたことを。
「ゆ・・・・い、いないよ・・・・あかちゃんはここにいたおねえちゃんだけだよ・・・・・」
「え~もういい加減スルー推奨なんですけど。キリないじゃん」
「いや、俺は目の前に害虫の巣があると解ってたら、無視は出来ないタチなんだ」
まりさが家族を守るために吐いた嘘も、むなしく掻き消されていく。
人間さん達が赤ちゃんを殺すの、殺さないのという話をしている間、まりさの冷めた餡子は冷静に思考していた。
それは極限状況でのみ実現する、日常のまりさではありえない量と速度の思考だった。
(このままにんげんさんにつかまったら、おうちのばしょをいわせられるかもしれないよ。
ぜったいにいわないっていっても、いっぱいこわいめにあわされて、むりやりしゃべらせるかもしれないよ)
(それともまりさをつかまえて、もりのなかからまりさのおともだちのありすやぱちゅりーをみつけて、
このまりさのおうちはどこ?ってきくかもしれないよ。ゆっくりできるひとのふりをされたらおしまいだよ)
(おねえちゃんのかたきはうちたいけど・・・しんじゃったおねえちゃんよりも、
いきてるれいむと、うまれてくるあかちゃんのほうがだいじだよ・・・ごめんね、おねえちゃん!!)
数秒間のゆっくりとした思考の後、まりさは道から飛び出し、草むらに飛び込んでいた。
人間達はまりさが自分からその場を放棄することなど想定していなかったのか、やや驚いてそちらを見た。
実際にはまりさは、草むらを二、三歩進んだだけだ。
しかし生い茂る草さんに身を隠せているので、既に逃げおおせた気持ちで、その後の人間さんの声を聞いた。
「あ~らら、逃げられちゃった(笑)」
「やれやれ、しょうがないな。じゃあ森中探し回って、それらしい赤ゆを見つけ次第駆除していくか。
今の奴の巣をピンポイントで狙えれば良かったんだけど、仕方ないね」
(ゆゆ!?)
とんでもないことを言い出した。
このままではまりさのせいで、森中のゆっくりがみんなゆっくり出来なくなってしまう。
いっぱい赤ちゃんが殺されて、次世代を失った群れはなくなってしまう……。
まりさは激しく動揺したが、しかし一方で冷酷に割り切ってもいた。
人間さんは、とても強い。人間さんがやろうと思ったことを止めることなど、とてもじゃないが出来ない。
それは先程本気で戦ったことで、無意識レベルまで徹底的に刷り込まれた。
それにそうでなくても元々、まりさは一人の弱いゆっくりだ。出来ることといえば、自分の家族を守ることくらい。
だから、人間さんを止めるなんて大それたこと言わない……
愛するれいむだけでも、人間さんに見つかる前に安全なところに移す。
そう最終決定を下したまりさの行動は、文字通り速かった。
すばやく草むらの中を駆け、迷い無く一直線に、我が家へと向っていく。
狩りでどんなに速い虫さんを追いかけた時でも、これほどのスピードは出していなかった。
まりさは今、森で一番速いのが自分であるかのように感じていた。しかしそれでも、焦りに応えるには全然速度が足りなかった。
(れいむ、まっててね!まりさがぜったいにたすけてあげるよ!ぜっっっったいだよ!!!)
隠れ場所は、どこにしよう……小さい頃にかくれんぼをした洞穴にしよう。
あまりにも上手に隠れすぎて、お母さんもお姉ちゃんもまりさを見つけられず、一晩孤独に泣き明かした思い出の洞穴。
あそこなら絶対に人間さんも見つけられないはず、そこでゆっくり赤ちゃんを産んでもらおう……
そんな風に思案しながら、ついにおうちある木の根元に辿り着いたまりさの視界に飛び込んで来たのは、
滅茶苦茶に壊されたおうちの入り口と、その両側に佇む、赤ちゃんを殺した人間さん達だった。
「ゆっ・・・・!?ど、どうして・・・・」
「あ、ようやく来た。マジで遅いんだね虐待用ゆっくりって。一応ゆっくりしてるってことかな?
こんなところばっかり都合よくゆっくりさせて、ゆっくりらしさを確保したつもりなのかね(笑)」
「行き先見てから先行余裕でした。ちょっと煽っただけですぐに自分から急所晒すんだよね。
ちなみにこの荒らしテクニックは虐厨に結構効果的なので俺はよく使ってる」
草むらに飛び込んでからほとんど動かなかったまりさの位置と動きは、完全に把握されていた。
まりさは未知のスピードの世界を体験していたが、それは人間からすればジョギングで追い抜ける程度のものだった。
まりさの向かう方向でそれらしいものを探せば、おうちを特定することは簡単だったのだ。
しかしまりさにとって、そんなことは今は問題ではない。
「な、なんでにんげんさんたちがばりざのおうちに・・・・・・
れいむ・・・・れいぶはどうじだのおおぉぉぉ!!でいぶうぅぅぅぅぅぅ!!?」
人間には脇目も振らず、ただ愛する伴侶の安否を確認するため、おうちに飛び込んでいくまりさ。
家族を失ったことで少し広々として見えるおうちの真ん中には、両目から涙を流すれいむが鎮座していた。
その涙の理由を考えるよりも先に、まりさはれいむが生きていることを喜んだ。
「れいむうぅぅぅ!!ぶじだったんだね!!まりさとってもうれしいよおぉぉぉぉ!!」
「ぶじじゃないよ・・・まりさ・・・ぜんぜんぶじじゃないよぉぉ・・・」
「ゆ・・・?」
再会を喜ぶすりすりをしようとして、まりさは気付いた。
れいむから流れ出しているのは、二筋の涙だけではないことに。
お腹の真ん中から生まれたての赤ちゃん特有の、サラサラとした液状の餡子が漏れ出てきている。
その流出源、れいむの産道からは、おそらく素敵なお帽子になるはずだった黒い襤褸切れの破片が覗いている。
「ゆ?れ、れいむ・・・・あかちゃんは・・・・・」
「もういきてるわけないでしょ・・・・にんげんさんにおなかをけっとばされてしんじゃったよ・・・・・
たすけて、たすけてってずっといってたのに、まりさはたすけてくれなかったよ・・・・・
にんげんさんは、おなかのなかのあかちゃんをちょくせつけりとばしたんだよ・・・
だからまむまむもずたずたになっちゃったよ・・・・もう・・・もうごれじゃにどとあがぢゃんうめないよおぉぉぉぉぉ!!」
れいむの慟哭が最高潮に達した瞬間、その頭上、巣の外では二人の人間達がハイタッチをした。
「ふぅ~、また一つ悪の根源を絶てたな」
「つーかぺにまむ付きゆっくりとかマジキモイよね。交尾の形態まで人間に似せないと気が済まないのかっていう。
まさに人間さんの醜い自己の投影のキワミ(笑)この世から消滅して欲しいわ」
「やれやれ、ちょっと虐待用ゆっくりという汚物を見すぎて目が腐りそうだわ。
帰ってニコニコ見ようぜ」
「そだね。mugenトナメのゆっくり無双動画でも見て今日の汚れを落とそうか」
「中和、中和ー」
そうして人間さん達が和やかに談笑しながらその場を去り、どこへともなく姿を消していく間も、
まりさは泣きじゃくるれいむの前で、ただただ呆然と、呆然としていた。
支えを全て失い、まりさの心は立っていられなかった。立っている意味が無かった。
赤ちゃんはみんな死んでしまった。もう赤ちゃんは生まれない。だからもうゆっくり出来ない。
いや、最初からゆっくりなど無かったのだ。結局、全てはあの人間さん達が言った通りになってしまった。
しかし、自分達がゆっくり出来なくなるために生まれてきたのなら。自分はその本懐を今、果たした。
「・・・ゆっくりのあかちゃんはしぬためにうまれてくるんだよ」
「・・・・ゆ?まりさ?」
「あかちゃんはころされて、おかあさんをうんとかなしませて、なかせるんだよ。
うまれるまえにおやくめをはたしたまりさのあかちゃんは、やっぱりすごくゆっくりしてるよ」
「まりさ?なにいっでるの!?しっかりしでね!ゆっぐりしていってね!!!」
「れいむ、はいきんぐにいったあかちゃんもちゃんとしんじゃったよ。
すごくたくさんゆっくりして、それがまるごときれいにつぶされちゃったよ。
れいむもそのぶん、いっぱいなきさけんであげてね。そしたらみんなゆっくりできるんだよ。
れいむ、これからもいっしょにゆっくりしようね。いっぱいゆっくりできなくなろうね」
「ばりざがおがしくなっぢゃっだよぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
滅びを受け入れたものから消えていく。
この森に住むゆっくりの群れは、このまりさを中心にして徐々にゆっくり出来なくなり、滅亡の一途を辿った。
自然に発生したゆっくり達がそれに取って代わり、以前からの住人のような顔をして群れを形成する。
そして森中に、幻想郷中に、約束された悲鳴を響き渡らせ、心を絶望のために消費していく。
そうしてこの世界は回っている。
了
あとがき:
オチに悩んだ。そして悩むことをやめた。
最終更新:2009年01月31日 16:41