ゆっくりいじめ系2107 ありすを洗浄してみた。2

 そのありすは、いわゆるレイパーと呼ばれる類の存在ではなかった。
 ありすにはゆっくりしたつがいのまりさがいて、
 二匹は同じ群れに生まれ、子供のころから互いに想い合った相手であり、
 結ばれてから二年の歳月を重ねる間に幾度も愛を交わし、多くの子を設けた幸多き所帯であった。

 ――つい、この間までは。との但し書きが着くが。




    *           *           *




「ありちゅは、れいぴゃーになりゅわ!」

 働き者で群れでも知られたありすとまりさ、親ゆっくり二匹の努力のたまものだろう、
 山の地質柔らかな斜面に掘られたありす一家のおうちは、ありすとまりさ夫婦と赤ゆっくり四匹を家人としてなお大きい。
 もう日も山の向こうにすっかり落ちた夕暮れ時。
 一家そろっての夕食の最中に一匹の赤ありすがやおら叫んだその言葉に、他の家族は唖然として言葉を失った。
 叫んだ赤ありす自身も、おこりのように身を震わせるばかりで後に続く言葉がない。
 数秒、痛々しいまでの沈黙が続いてようやくのこと、親ありすが口にしたきのこを飲み下して「ふぅ」とわざと軽めのため息を吐いて、
 おうちの地面を睨みすえる赤ありすに優しい声でゆっくりと諭す。

「……ばかなことをいわないでね、ありす。レイパーになんて、なるものじゃないの」
「だっちぇ!」

 いつもいってるでしょう、と宥める親の言葉に赤ありすが示すのは強い峻拒の構え。
 これは奇妙な反応だ。思わぬわが子の様子に親ありすは思わず親まりさの顔を見る。

「ありす。めったなことはいうもんじゃないのぜ。レイパーになるような子は、まりさとありすの子じゃないのぜ?」
「だっちぇだっちぇ!」

 親ありすの困惑を受け、親まりさが少し強めの態度でありすを叱るが、それでも赤ありすは強情に顔を横に振るばかり。
 これにはまりさもやはり驚いた。
 なぜ、レイパーが憎まれるのか。レイパーになってはいけないのか。
 そんな道義的な教育は、生まれてこの方欠かしたことがなかった。
 だから、赤ありすも理屈の上ではレイパーがどういうものかわかっていないはずがない。
 だというのに、突然のこの言動はいったいどうしたものなのか。
 親まりさも初めての娘の反抗に面食らってしまい、親ありす共々戸惑うばかりで続く言葉がない。

 ありすという種は確かにレイパーになりやすい気質を持つ、といわれることが多い。
 これは別に統計をとった説ではないから、実のところはわからない。
 幻想郷にごく一部を除いて統計学を理解する者は存在しないから、調べる手段がないとも言える。
 そのうち、暇に任せて八雲紫か八雲藍あたりが計測に乗り出すかもしれないが、とにかく今は俗説の域を出ない概念ではあった。

 ただし、ありすレイパー論をとる場合でも、レイパーとなる個体が自身をレイパーと認識することは稀であるとされる。
 レイパーありす当人の認識する世界では、レイプと呼ば ルとは限らない。
 己を偽るということを知らないだけに、純真な子どもが抱いた悪意はストレートに相手にぶつけられることもまた多いのだ。
 表立って苛められるようなことこそあまりなかったが、森の集会場に連れて行ってもありす種はのけ者にされることが多かった。
 親ありすと親まりさもそれを知っていたから、なるべく集会場には子どもを連れて行かなかったし、
 子どもたちにも他の種の子どもには近づかないよう、群れにあと数家族いる他のありす種の家族の子と遊ぶように教えていた。
 ことに、この子たちが生まれる直前に群れの長が代替わりしてから、ありす種に対する群れの空気が極端に悪化しているところでもあった。
 もっとも、不運なことにこの夫婦の子どもたち以外には群れの中に同じ世代の子ありすはいなかったから、
 少し年の離れたお姉さんありすたちに子どもを預ける形になってしまっていたが。
 それでも、親ありすと親まりさには他種の子ゆっくりに近づけるより、子どもたちにとってもはるかによい事だと思っていた。
 そして聞き分けの良い娘たちは、その母の言いつけを守って年上の同種の子供たちとばかり楽しく日々を過ごしているように見えた。

 だが、この反応を見るにおそらく子どもたちにとってそれは物足りないことであったらしい。

「ごめんね、ありす。おかあさんがありすで、ありすをありすにうんでしまってごめんね……」

 きっと、赤ありすは同世代の友達を求めて親の目の届かぬうちに多種の赤ゆっくりに近づいたのだろう。
 きっと、赤ありすは近づいた相手から手ひどく心無い拒絶を示され、レイパーの子と罵倒されたのだろう。
 きっと、赤ありすはそれでも友達を作ることを求めて多種の赤ゆっくりを追いかけて、その親ゆっくりによって追い払われたのだろう。
 そして、おそらく、赤ありすはその際に成体ゆっくりから呵責のない制裁を受けたに違いがない。

 かつて、幼い自分がそうだったように。

 よく見れば、カチューシャに隠すよう――というより、必死に隠していたのだろう――にして赤ありすの頭には浅く、
 だが鋭く刻み込まれた噛み傷があった、
 その傷が、親ありすが今推測したこと全てが事実であるということを雄弁に物語っていた。
 母ありすが、涙ながらに泣き濡れるわが子に何度も、繰り返し、己の愛を伝えるために身体をすりすりとすりつける。
 そしてその体験は全ての子供たちが多かれ少なかれ経験することだったらしく、親ありすが思わず零した涙をきっかけに
 おうちの中はたちまち赤ちゃんたちの泣き声で満たされてゆく。

「ゆえええぇぇん! おきゃーしゃんはわりゅきゅないありちゅだよ!」
「ゆあああぁぁん! しょうだよ、おきゃあしゃんとありちゅをいじみぇりゅばきゃのふぉうがわりゅいゆっくちだよ!」
「ゆあああぁぁん! ありちゅおにぇーしゃんがれいぴゃーににゃるにゃら、まりしゃもれいぴゃーになりゅ!」
「ゆうううぅぅん! ありちゅもれいぴゃーににゃりゅ! にゃって、わりゅぐちいうみんにゃにしきゃえししゅりゅ!!」

 赤ちゃんたちが口にする他のゆっくりたちへの呪詛の言葉は、自分が言わせたものだ。
 繰り返し繰り返し、身体を擦り付けながらゆんゆんと泣くわが子らに謝罪の言葉を投げかけつつ親ありすは自分を責めた。
 この子たちには、ゆっくりしたゆん生が待っているはずだった。
 ありすではなく、まりさに生まれていたならきっとゆっくりできるはずだった。
 それを自分がありすに生んでしまったばかりに、この子たちは赤ちゃんのときからゆっくりすることを許されずにいる。
 過去、自分がそうであったように。自分のようにならないように、この子たちを育てようと誓ったというのに。

 自分が進んだ道を、結局わが子らも進もうとしている。今静かに、優しく寄り添ってくれているまりさの助けを得ていながら。
 まりさの体温を暖かく感じながら、己の親としての力量のなさを、ありすは深く、率直に恥じた。

(……だからこそ、もっと、がんばらなくっちゃ)

 そして、勇気付けられる。
 まりさは自分がここにいると、無言のうちに伝えてくれている。支えてくれると、支え続けてみせると、そう告げている。


 だが、ありすは忘れていた。
 あるいは、餡子脳の悲しさか、ついぞ理解していなかった。
 ありすの在り方は、ありす自身で全て決められるものではない。ありすがゆっくりの社会に身を置いて生きていく以上、
 彼女と同じゆっくりコミュニティに属する他のゆっくりたちの考え方によっても左右されるのだ。
 だからこそ、ありすはある程度の安全を群れという社会から提供されるのであり、
 ある程度の束縛を群れというコミュニティから受けるのだ。
 結局のところ、両親ゆっくりたちが自分の生まれ育った場所だからという心情的な理由だけを重視して、
 このありす種に対して非妥協的な群れの中の暮らしを続けるという選択肢を選んだその時点において、
 ありすたちが迎えるこの未来は必然であったと言うべきだろう。

 ――どごん。

 それは、突然の出来事だった。
 何か大きく重くて硬いものがおうちの玄関を偽装する枯れ枝の束を打ち砕く大きな音が、おうちの中に響き渡った。

「はじしらずなレイパーいっかがいた!」

 その反響音がまだ収まらない中、外から吹き込む冷たい風にそれより一層冷ややかな声音が乗って、巣穴の奥底の一家のもとまで届く。
 あまりに突然に外界から訪れたゆっくりできない刺激に襲われ、
 すっかり自分達家族だけの世界に閉じこもっていた一家は目を白黒させるばかりでとっさに反応することもできない。

「「「「「「ゆ゛っ!?」」」」」」

 もしこれが捕食種の襲撃ならば、間抜けな声を発してわたわたと玄関の方へと振り向く前に、
 赤ちゃんの一匹二匹は命を落としていたことだろう。
 今回のケースでは幸いというべきか、そのような事態は起きなかった。
 そして不幸というべきか、外界からおうちの中へ、一歩踏み込んで放たれた声はありすたちにとって聞きなれた声だった。

「きたないなありす、さすがきたない」

 実のところそれは幸いでもなく不幸でもなく、親ありすたちの選んできた道の行き当たる先であったに過ぎない。
 聞きなれた、同じ群れに暮らす、忌々しくも恐るべきその声の主の姿を睨み、
 親まりさは何が起ころうとしているのか今ぼんやりとながら理解しつつあった。
 ヒカリゴケが照らし出す闇の中にぼんやりと浮かぶ、その白髪、白装束の体付きてんこの姿は見間違えようもない。
 それは、一家にとっての災いのかたちそのものだった。

「ぶろんこ……!」

 傍らで伴侶のまりさが発した憎憎しげな声を耳にして、親ありすは驚きを隠せなかった。
 長年共にあったありすですら聞いたことのない、憎悪に満ちた声でまりさがよばわった相手の名前。
 それは、てんこの変種の一つ。ありすとまりさの属する群れの長の名だった。
 先代のドスが亡くなってから、群れでもっとも力あるゆっくりであったために実力で長の地位を得たゆっくりだ。
 その力はドスには一歩及ばないとはいえ、確かに他の群れのゆっくりたちよりはるかに優れたものではあったが、
 いかんせんおつむが残念だった感は否めない。
 さらに性格もまたお世辞にもいいとは言えず――ことに、先代のドスが心を砕いためーりんやありすといった差別されやすい種の保護、
 群れの調和の維持など意にも留めず、ありすを『かわそうびのれいぱー』だの、みょんを『カスのさむらい』だのと言って
 一部の種を公然と差別する態度を取った。
 差別というより、群れのあり方そのものを歪めていったそれは迫害という『政策』に近いものだったともいえる。
 極めつけに誰にとっても不幸なことは、おつむが弱い割りにぶろんこにはカリスマ性と煽動者としての才が兼ね備わっていたことだろう。
 今日、この群れや、この群れと極めて近しい関係にある近隣の群れにおいてありす種への風あたりがますます強まってきているのは、
 このぶろんこの精力的な活動によるものだと言ってまず間違いはない。

 そして、その常にシンパが周りを固める『にんきもの』のぶろんこが夜間突然ありす種のおうちを『訪問』する時、
 ただぶろんこ一匹でことに及ぶことなどありえるはずもなかった。

「さんをつけろよデコスケやろう!」

 親まりさの反感もあらわな呼びかけに、応じたのは当のぶろんこ――てんこの変種だ――ではなかった。
 ぶろんこの背後には、他にも何匹ものゆっくりがいた。今親まりさを怒鳴りつけたのは、ぶろんこのすぐ隣にいるまりさだ。
 そのまりさと反対側のぶろんこの隣には、隣家のちぇんが枝を咥えてこちらを睨みつけていた。
 三匹の後ろにも、大勢のゆっくりがいるようだった。見える限りの髪飾りに、ありすたちには見覚えがある。皆、群れのゆっくりだった。

「おいィ? おまえら、さっきのはつげんがみえたか?」
「みえた、っていうかきこえたよ!」
「レイパーになるっていってたね!」
「おお、きたないきたない」

 やいやいと騒ぐ闖入者たち。
 まりさもありすも、おうちの外を見たくはなかった。
 きっと群れ中総出で押しかけてきたに違いない。疑う余地なくそう思わせるほどに、外から伝わる悪意のざわめきは大きく、強烈だった。

「きょう、むれのこどもたちがここのありすのくそちびにさんかいれんぞくみつめられたらしい。
 ぶろんこがおもうに、こいつらがほんのうてきにレイパータイプであるのはかくていてきにあきらか」
「きた! だんていきた!」
「わかるよー、これでかつるんだねー!」

 ぶろんこの一言ごとに、周囲の取り巻きがはやし立てる。
 これが今の群れの風潮だ。ぶろんこが煽れば、皆が踊る。罪ないものを嫌になる。
 踊らされていることに気がつかない彼らにも。こんな群れに残ることを選んでしまった自分にも。
 切なくなるほどの情けない想いが、ありすとまりさの口元に半笑いとなって浮かんだ。

「それでせいさい、ってわけだ」
「ほう、けいけんがいきたな。そのすいそくはどこもおかしくはない」

 わざとらしいため息交じりのまりさ言葉に、ぶろんこが勝ち誇って絶壁の胸を反らす。
 確かに、これまで受けた数々の嫌がらせという経験は生きた。
 子ありすが他の子ゆっくりに近づいた、そんなものはきっかけに過ぎないと推察できる程度には。
 今まで群れに所属するゆっくり個々の間で起きていた悪意の暴発――いや、ぶろんこがそうなるように仕向けた敵意の爆発が、
 群れ全体という規模で引き起こされたというだけのことなのだ、これは。
 悪意の大きさは段違いだったが。冬の入りという、皆が一番気が立っている時期だ。
 なかなか準備が進まない一家も決して少なくない群れの中、日々つもりゆく不満や不安そのはけ口として、
 ありすたちの家族はおあつらえの存在だったのだろう。
 そうだ。差別されるべき対象であるくせに、大家族を抱えてなお冬篭りの備えは万全だったこの一家は敵視されて当然だったのだ。
 群れに漂う空気の悪化は、まりさも少し前から感づいていた。避けられないことだったかと、親まりさは深い溜息と共に瞑目する。

「おきゃ……しゃん? ありしゅが……ありしゅ、レイパーになるにゃんていったかりゃ……?」
「ありちゅたちが、おともだちほちいとおもったきゃら、みんなおきょってるの……?」

 まだ幼い子供たちには、そんな成体ゆっくりの世界の事情はわからない。
 親ありすも、わざわざ子供たちにあまりにも醜い世界の事実を噛み砕いて説明してやろうなどとは思わなかった。
 自分のせいでおうちが襲われている、そう思って恐怖とは違う理由で震える赤ありすたちに、ただ身体をすりすりと擦り付けて慰める。
 大丈夫だよ、絶対にありすの赤ちゃんのせいじゃないからね、そんな当たり障りのない慰めの言葉と共に。
 それでもゆんゆんと泣きじゃくる我が子の柔らかい感触を感じながら、親ありすは自分の愚かさを呪っていた。

「いかせていたら、こんなさきのみえたむれからはもうにげだしていたのぜ」

 ああ、本当に。隣でまりさの言うとおりだ。
 生まれ育ち、住み慣れたこの森にこだわらなければ。過去の暖かな家族の記憶に縋って、立ち去るという選択肢を惜しまなければ。
 今頃、もっとまともな環境を子供たちに与えられたかも知れないのに。
 親ありすは悔やんだ。自分だけの感傷に浸り、結果的に家族を窮地に追いやる自分の罪の重さを。
 同時に誓う。恐らくは追放という処分を受けるだろうこの機会に、子供たちのために本当のゆっくりプレイスを探し出すことを。

 群れを出る時期を春の訪れまで待ってもらえるならば言うことはない。
 そうでなくとも、今は冬の入りだ。本格的な寒さの到来にまで、まだ時間がある。
 子供たちにひもじい思いはさせられない。寒さに震える夜など絶対に迎えさせるつもりはない。
 まりさもありすも、群れで一、二を争う狩りの名手だ。冬場に虫さんがどんな場所に隠れているかも、知悉している。
 この近場で、ここほど住みよくはなくても仮初のおうちに出来そうなゆっくりスポットもいくつか知っていた。
 食料を持てるだけ持って、新たなおうちを作り、とりあえず春までを何とか凌いで、雪が溶けて麗かな風が吹き始めてから、
一家揃ってありす種を差別する事のない新天地を探す旅に出よう。
 そうして辿り付いた新たなゆっくりスポットで、本当のゆっくりを手に入れるのだ。



 ――そんな幻想を適える未来など、一家に与えられることはなかったが。



「ぶろんこさん」
「なにかな?」
「レイパーとそのかぞくはしけいですか?」
「しけい」
「そうですかありがとうひそうのけんすごいですね」
「それほどでもない」
「どっ……どぼぢでぞんなごどいうのおおおおぉぉぉぉっ!!?」

 死の宣告は、とても簡明で、あっさりしたものだった。驚愕に眼を剥いた親ありすが自分の聞き間違いを疑う余地もないほどに。
 側近まりさの半ば事務的な確認に、ぶろんこが淡々と応じる。
 その応えを受けてわざとらしく側近まりさは重々しく頷き、背後に居並ぶ群れのゆっくりたちへと振り向いて告げた。

「やはりかぞくもしけいだった。しかもひそうのけんもってるのにけんきょにもそれほどでもないといった」

 群れにおける罪ゆっくりの処罰は、何事も全てぶろんこ一匹が決裁し、群れの皆へと通達する。
 この瞬間、ありす一家全員の死刑が確定した――もちろん、ここまで押しかけた時点でそんなものは半ば決まっていたが、
集団をなす以上は形というものはゆっくりにあっても大事なもののようだ。
 場に満ちていたざわめきが急速に引いてゆき、代わりに夜風より冷たい静寂が入れ替わった。
 もちろん、そこにあるものが喧騒であれ静寂であれ、その上に殺意が乗っている事にはなんの変わりもなかったが。

「なんで! なんで、おちびちゃんだぢまでごろざなぐぢゃいげないの……!」
「ぶろんごおおおぉぉぉぉ……っ、びゅべっ!?」

 群れの不満を解消するだけなら、何も命まで奪うことはないはずだった。ましてや、幼い子供の命に何の落ち度があるだろう。
 ありすの悲痛な叫びに、まりさの鬼気迫る怒号が続いた。吼えるだけでなく、ヒカリゴケを蹴立ててぶろんこ目掛けて一直線に奔った。
 後先など考えてはいなかった。勝算も何もあるはずもなかった。
 ただ、理不尽な運命の上に残忍な結末を自分たちに与えようとするこの悪魔のようなゆっくりが許せなかった。
 だから雄叫びを引いて、まりさは疾った。ぶろんこを打ち倒し、その判断の愚かさを思い知らせてやろうと突き進んだ。

 燃え立つほどの怒りに駆られた、無謀とも思えるまりさの突進を見て、ぶろんこは冷たく笑っていた。
 今に見ていろ、と親まりさは迫る怨敵をねめつけて思う。
 親まりさは、狩りの名手だ。野ねずみや山ねずみみたいな小動物だって、一対一なら狩ることができた。
 ぶろんこでも、一匹では無理だった。身体は大きくてえらそうなくせに、あいつは狩りがヘタなのだ。
 幾ら力が強くたって、動きが鈍いあいつになんか負けはしない。この低い天井で、身動き取りに食い状況なら尚更だ。
 親まりさは、そう信じているのだろう。
 親ありすもまた同じくまりさに勝機はあると信じ、彼女がぶろんこを倒すことで状況が好転することを願った。

 そしてその雄叫びの反響が収まるよりも早く、到底それは果たせない願いだと思い知らされた。

「……おいィ? おまえらはいっきゅうゆっくりのぶろんこのあしもとにもおよばないきんぱつのザコ」
「ゆがっ!?」

 親まりさが生涯最高の身ごなしで素早く飛びつき、ぶろんこの身体を食い破ろうとしたその時には。
 目の前まで迫っていたはずのぶろんこは、そこにいたのにいなかった。
 いったい、何が起きたのか。何が起きようとしているのか。
 まりさの餡子脳が状況をゆっくり理解するより、遥かに早く横殴りの強烈な衝撃が身体を襲う。
 直線的な軌跡を描いて横に吹き飛び、壁に叩きつけられても、まりさには何がなんだかわかっていなかった。

「そのきんぱつのザコどもがいっきゅうゆっくりのぶろんこにたいしてナメタことばをつかうことで……」
「ゆびっ!?」
「……ぶろんこのいかりがうちょうてんにたっした」
「ゆげぇっ……!!」
「このいかりは、しばらくおさまることをしらない」
「ゆぼぇぇっ……」

 どごん、ぼすっ。
 ぶろんこが憎憎しげな言葉を吐くたび、それなりに重量のあるものを打ち据える、鈍い音が連続した。
 その合間に聞こえる悲鳴は、全てまりさのものだ。

(どぼぢで、まりざがぼごぼごにざれでるの……?)

 右に跳び、左に跳ね、天井に打ち据えられ、地面を舐めさせられた。
 自分の身体が叩き潰され、形を失い、ぐずぐずに崩れていく。気の遠くなるような激痛の中で、まりさは未だに状況を理解できずにいる。

 まりさの方が、狩りが上手い。まりさの方が、器用に動ける。まりさの方が、だから強いはず。
 そう信じていたのに。そこから未来が開けるはずだったのに。
 現実は、何故そうならないのだろう。
 どうして、まりさの身体が痛いんだろう。

 当たり前の結果だった。
 まりさは、確かに狩りは上手だった。群れ一番の名手だった。ぶろんこなぞ足元にも及ばない、周辺にも知られた達ゆっくりだった。
 だが、同じゆっくりと戦ったことなどなかった。まりさが立ち向かったのは、あくまでむしさんであり、ねずみさんだ。
 ゆっくり同士には、ゆっくり同士なりの戦いの呼吸というものがある。
 ぶろんこはその呼吸に通じていて、まりさはその点ずぶの素人でしかなかった。
 動きが多少素早いだけの、直線的な動きしか出来ない貧弱ゆっくりだった。
 これがぶろんこと同じタイプの、枝を咥えたみょん種であればまだしも善戦できただろう。
 だからこそぶろんこはみょん種をも排斥したのだが。
 そのことを、素人の悲しさで全くまりさは理解しできていなかった――無謀な試みだったのだ。最初から。

 親ありすには、伴侶がぶろんこの手にした木で出来ているように見えるナニカで縦横無尽に殴り飛ばされる姿を見ていることしかできなかった。
 といよりも、最初にすっと横に身をかわしたぶろんこがまりさを力任せに壁に打ち付けた瞬間から、思考停止してしまっている。
 他のゆっくりたちもまた、無言だった。一様に、ぶろんこと同じ冷ややかな笑いをアワレな親まりさに向けてはいたが。

 誰も手を出さず、声すら出さず、一方的な暴力を見守るだけ。夜のしじまの中に、重たい打撃音ばかりが響き渡る。
 やがて『べしゃっ』と汚い音を立てて親まりさが湿った地面に崩れ落ちる頃には、
 帽子も、身体も、何一つかつてのまりさの面影を残していないズタズタにされた金髪のザコがいた。

「ばっ、ばりざあああぁぁっ!!」
「まりさおきゃあしゃん!!」
「おきゃーしゃーんっ!!?」

 呆然とことの成り行きを見守っていたありすたちが、ようやく我を取り戻す。
 取り戻しても、できることといったら何の役にも立たない悲鳴をあげることぐらいのもの。
 逆転の期待なんて、どこにもない。
 地面に這い蹲ったまりさは、少しでも身体を動かせば餡子がごっそりと漏れ出してしまいそうな大怪我だった。
 ありすだって、まりさには及ばないものの運動神経には自信がある。
 だが、まりさに及ばない自分が、そのまりさを一方的にうちのめしたぶろんこに勝てるなんて幻想はいくら餡子脳でも抱けなかった。
 なら、せめて、ありすが時間を稼ぎ、子供たちだけでも逃がす?
 おうちの出口はぶろんこの後ろ、大勢の群れのゆっくりが固める向こうにあるのにどうやって?

 ……そもそも、まりさのいない世界が来るとするならば。
 それにどれほどの価値があるというのだろう。
 例え、自分の赤ちゃんがその世界に存在するのだとしても。そんなもの、到底まりさの代わりには、成り得ないじゃないか。

(まりさ、ありすはどうしたらいいの?)

 今まで、何事も二匹で相談して決めてきた。
 お互いを大切にし、お互いの意志を尊んで、ゆっくりした生活を営んできた。
 すべての世界の事象は、ありすとまりさのつがいを中心に回ってきた。
 だが、今ありすが求める答えは、相手から返って来ることはない。おそらく、今日を境に永遠に。
 幻想を抱くことも、現実逃避することさえも許されない。まりさが、目の前であんなことになっているのだから。
 ほんの一瞬の懊悩の時間が、永劫に続くという地獄の責め苦のようにありすの心を責め、苛む。

「――おまえ、ちょっとぶろんこよりかりがうまいからってちょうしぶっこきすぎてたけっかだよ?」
「もうやべでえええぇぇっ!!」

 ――結局、永劫とも思える一瞬の間に、ありすは求める答えを見出せなかった。存在しない正答は、当然のごとく見出せなかった。
 うざったそうに告げるぶろんこが振りかざした禍々しい光を見て、親ありすはそれ以上の思考を放棄して堪らずに跳ねた。
 低い天井に頭をぶつけながら、少しでも早く親まりさの下に駆け寄ろうと跳ね続けた。
 あの光がまりさを襲う前に、自分が身代わりとなってあげたかった。子供たちなんてもうどうでもよかった。
 脳裏を占めるのはまりさだけ、それ以外の何も、今のありすには思い浮かばなかった。

「……あ、あじず……」

 跳んで、頭をぶつけ、地面に落ち、涙目ながらにまた跳び、頭をぶつけ、また地面に落ち。
 這いずるのとさして大差ない、しかし当の本人は必死そのもののウケないコントのようなありすの姿を見て、まりさが何かを言いかけた。
 助けを求めようとしたのか。それとも、来るなと警告を発しようとしたのだろうか。
 親まりさの気性を考えれば多分、後者だろう。あまり、意味のある警告ともなりえなかったが。
 いずれにせよ、もう確認することはできない。
 その瞬間、ぶろんこが手にした鞘に納まったままだったひそうのけん――どこかで拾ってきた長めの果物ナイフ――を抜き放ち、
 まりさの頭頂へと迷わず振り下ろしたから。

「ばり……っ!!」
「あじ……びゅっ」

 末期の呼びかけを、言い終えることなく。聞き終えることなく。
 銀色のきらめきが、まりさの中心を一直線に駆け抜けて。家族の目の前で、まりさは天辺から底部まで、真っ二つの饅頭へと姿を変える。
 後一歩までに迫ったありすの、ガタガタと震える子供たちの、目の前で。
 あっさりと。実にあっさりと。
 まりさは、死んだ。何事も成すことなく、死んだのだ。

「まり……あ、あああぁぁぁ……」

 ありすは必死に跳ねて、まるで間に合わなかった。
 滂沱の涙を流しても、切り裂くような絶叫を放っても、それは死に逝くまりさの為には何の助けにもならなかった。
 よろよろと、ありすは両断されたまりさへと縋りついた。肌を触れ合わせた。早くもその身体は冷たかった。
 ありすにぬくもりをくれた数少ないゆっくり。その中で、もっとも暖かくありすの心身を包み込んでくれたまりさ。
 綺麗に二等分されてしまった今となっては、もはやそこにぬくもりなどない。
 ぬくもりばかりか、ありすの心から光すら奪ってしまった。恐らくは、永遠に。

「そうぞうをぜっするかなしみがありすたちをおそうがおれはべつにぜつぼうするひつようはなにもないとおもうな」
「ゆあ……あ、あああ……あぁ……」

 どこまでも冷ややかな、ぶろんこの声は遠かった。
 現実が、遠かった。ありすの理解できる世界の外にあった。
 昨日までの穏やかな暮らしが、悪意に気付かぬ、見て見ぬ振りをした幸せな世界こそが、ありすの望んだ世界だった。
 そのありすの世界と、現実の世界を分ける障壁が全て奪い去られた時、その現実が要求する理解と許容をありすは受け入れられなかった。
 意味を成さない声を口から絶え間なく漏らすこと以外、外界になんらかの反応を占めそうなどとは思えなかった。
 否、自分を守ってくれる障壁そのものであったまりさの存在しない世界こそが、ありすにとって意味を成さないものだった。

 たとえ、己の命が掛かった状況であっても。
 何よりも大切なはずの、子供たちの命が掛かっている状況であってさえも。
 閉ざされた世界の幸せは、開かれた世界の絶望に呑まれ、砕かれ、消え去ってしまったから。

「おまえもすぐにぜつぼうしながらきえていくだろうからな」

 それでいいから。もう、ありすをはやくここからけしてしまって。

 掠れた外界の認識から、愉快そうな響きを込めたぶろんこの一言をだけを取り入れて、ありすは心の底からそう願った。
 大勢のゆっくりたちが、ありすの、ありすの子供たちの髪を噛んでおうちの外へと引きずり出す間、そう願い続けた。
 引きずり出された後、まん丸なお月様が輝く夜空の下で、群れ中のゆっくりから嘲罵を受けながられいぷされる間も、願い続けた。

 そうして、ありすの意識はレイパーに襲われたゆっくりが往々にしてなるように、頭から無数の蔦を生やしたところでようやく途絶えた。


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最終更新:2022年01月31日 03:06
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