真冬の大気に白い大輪の花が咲く。
一瞬で咲き誇り、一瞬で消える儚い幻。
いくら冬だとは言え、室内でこの寒さはなかなかに辛い。
元々この部屋の住人は暖房をつけないのだが、それにしても今日の寒さは身にしみる。
さすがに何かおかしい。
それの正体を探るべく、私は部屋の中ほどにまで足を踏み入れた。
寒さの次に感じたのは――風だ。
どこから?
いぶかしみながら部屋の中を見回してみれば、一箇所だけ小さくはためくカーテンが目に付いた。
誰かが開けて行ったのだろうか。
思いながら、とりあえず私は冷たい窓枠に手をかける。
本当に具合が悪い人にとっては、これほど辛い環境もないだろう。
レールの上を窓が滑る軽い音を聞きながら、私は本来の用事を思い出した。
だが。
吐息のように消えてもらっては困る人物の姿がそこにはなかった。
残念ながら、もう一人の先生の姿も見当たらない。
机の上やホワイトボードも見てみるが、書き置きなどの類は一切無し。
もう一つの目印、いつもの携帯灰皿も置かれていないから、地下というわけでもないようだ。
ベッドを囲むカーテンも念のために捲ってみたが、流石にこの状況では寝て居るなんて事も無く。
引きこもりよろしく四六時中居ろとは言わないが、保険医が行き先も告げずに保健室から居なくなってどうするのか。
私が来るまでの間に、本当に体調不良の人が来ていたらどうするつもりだったのだろう。
……困った人達だ。
眉間に皺が寄るのを自覚する。
代わりに。
新しい灰皿がひとつ、惨めな姿で転がっていた。
開閉ボタンよろしく、眉間に付けられた新しい焦げ跡。
餡子と共に舌を投げ出し、白目を向いた苦悶の形相。
要するに、額に根性焼きを入れられた
ゆっくりだ。
開いてみれば口内もある程度焼けているのだろう。
生きていれば治療は面倒な部位だが、そんな事を確認するまでもなく死んでいる。
吐かれた餡子は湿気が飛んで乾いたもので、その体は完全に冷え切っている。
もっとも、この状況だと温度は判断基準とならないだろう。
まあ、昨日帰る時にこんな物は見当たらなかったから、昨日の夕方から今日の午前中にかけて出来たものだと推測は出来る。
恐らくは下に行くのが面倒になったか、人のいない時間帯だから行かなかったのか、ともかくここでタバコを吸った。
臭いは窓を開けて換気し、吸殻はれいむに食べさせ証拠隠滅を図る。
喫煙禁止を一応守ってはいるようだが、時折発作のように子供じみた戯れに及ぶ人だ。
部屋に居ないのも、どうせ予想以上に寒くなったからとか、そんなくだらない理由だろう。
詳しい数まで覚えていないが、多分壁際の水槽のから適当に選んだ1匹を使ったはずだ。
目が覚めると、いつの間にかこの世の地獄に落ちていた。
つまらない冗談だ、色々と。
私は二重の落胆とともに、とりあえず机の上の掃除にかかる。
ひとつは先生が見つからなかったこと。
もうひとつは、まさしくこの片付けるという行為そのものにだ。
別に家事の類は嫌いではない。
ただ、子供じゃあるまいし、自分で汚したら自分で片付けるくらいすればいいのに。
……仕方のない人。
私の心情を表現すればその一言に尽きるだろう。
放っておくから面倒になるばかりなのに。
ため息と共に、洗面台にかけられた真っ白なタオルを水に浸す。
取り上げようと水に手を入れたところで、思わず私は顔を顰めた。
痛みすらも覚えるほどに、真冬の水は冷たく指を刺し貫く。
再度の嘆息。
どうして私がこんな事をしているんだろう。
出来る事なら本人にやらせればいいのだが、ここまでやって止めるのもなんか癪。
それだけを糧に、痛みを堪えてタオルを絞り、机の掃除に取り掛かる。
まずは邪魔な死骸から。
摘み上げた拍子に、口内から餡子と共にタバコのフィルター部分が顔を覗かせた。
どうやらあの推察で正解らしい。
……ちっとも嬉しくない。
私は肩を落とし、そのまま機械的に摘んだれいむのリボンを離す。
見ずとも判る、足元には口の大きなゴミ箱がある。
掃除機は勝手に動くようになったりしたけど、ゴミ箱が動くようになったなんて話はまだ聞かない。
それでいい。
ゴミ箱は動かないものだからだ。
れてぃ同様、成体ゆっくりを加工したゴミ箱。
今はそこそこ大きなれいむが置いてある。
ゴミは常にそこに落とされ、哀れなゆっくりが人間にとってはゴミでしかない、しかし彼女らにとってはそうでもないものを食す。
好き好んでではないことくらい、馬鹿にだって判るだろう。
しかし、そうせねばならない。
足を焼かれ、舌を切除され、口を開く形で固められたゆっくりには、それを受け入れるほか術は無い。
食事はそれだけ。
動けず、話すことも出来ないゆっくりが生きるにはそれしかない。
だから唯一の抵抗として涙を流し、己の境遇に嘆きつつ、ゴミ箱は黙って役割のままにゴミを消化する。
時折誰かが戯れに与える菓子クズや、昼食の残りなどで命を繋ぎ、運良く育ったならば――何も変わることは無い。
ゴミ箱にゴミ箱以上の役割など誰も求めない。
ゴミを消化することを放棄したのなら、それは「不良品」のゴミ箱だ。
速やかに交換されていく。
使えない道具には、持ち主が感傷に浸る事以外の役目なんて与えられてはいないのだから。
そして、その時になってようやく。
あのゆっくり達は、長い長いゆっくり出来ない時間に終止符を打ち、永遠にゆっくりすることを許されるのだ。
そしてまた、新しいゆっくりが代わりに「加工」されて、持ってこられる。
ただ、それだけ。