「けーねせんせー、さようならー!」
「またあしたねー!」

 カァ、カァと群れなす烏が山へ戻る頃。
 人里の寺子屋からも、授業から解き放たれた子供たちが喜び勇んで一斉に街中へと駆け出していく。
 見送る先生は授業中とは打って変わった子らの笑顔が眩しくもあり、寂しくもあり。

「もう少し、楽しそうに勉強してくれたらな」

 半年ほど前までいた、もう一匹のあの生徒みたいに。
 今はもう見ることもないその生徒の存在を思い出してしまい、慧音の笑顔にさっと翳が差す。

「どうしたんだ、慧音?」

 その表情の変遷を見ていたのか、見ていなかったか。
 慧音の頭上に影が落ち、同時に気遣わしげな声が振ってきた。
 聞きなれた声に顔を見上げれば、そこには違わず見慣れた姿が漂っている。

「妹紅、来たのか。いや、子供たちがきちんと家にまっすぐ帰るかどうか、見送っていたんだ」

 まあ、考えごとに没頭していたにしてもそれ自体は嘘ではない。
 慧音のことばに「そっか」と妹紅は頷いて、地上に降り立つと人気が消えて早くも空気が冷えてゆく寺子屋の中を見渡した。
 以前なら、この頃を見計らって週に二度、三度と一匹の生徒がやってきた。
 そのことを妹紅も覚えていたのだろう。「そういえば」と呟いて、教室へと向けていた視線を慧音へと向ける。

「前によく人目を忍んで来ていたゆっくりがいたよな。最近さっぱり見ないな」
「ああ。そのことなんだが……」

 慧音は口ごもり、どこかが痛むような表情を作った。それはなんとも、説明しにくいことだ。
 その反応に、妹紅の顔が曇る。不味いことを聞いたかと思いながら、沈黙を続かせるのもまた気まずいと思ったのだろう。
 妹紅はとりあえず、そのまま会話を続けることを選んだらしい。一番可能性の高そうな不幸なできごとを口にした。

「……ここに通う途中に、事故か何かで死んでたのか?」
「いや。そういう訳じゃないんだ」

 その問いには、慧音は違うと即答することが出来た。
 というよりも、そうだったらまだよかった……と思わなくもない。慧音自身、不謹慎だと思う考えではあったが。
 とはいえ、実際に起きたことはおそらくゆっくりにとってそれ以上に不幸な事態であったわけで。

「人……今回は人じゃなかったが、教えることは怖いなと。少し思っただけさ」

 慧音の声に、少し自嘲の響きが混じった。
 以前足しげく通っていたぱちゅりーは、実にいい生徒だった。
 よく聞き、よく尋ね、よく考え、よく悩んだ。
 ゆっくりの知性は、幼い子供によく似ている。成体でもそのレベルに留まるゆっくりは極めて多い。
 だから慧音としても、子供たちを教える感覚で彼女にさまざまなことを教授することができた。

 そして、一つだけ見落とした。
 ぱちゅりーが何を求めて、人間――半獣半人の寺子屋の先生に、人間の歴史を簡単に教えて欲しいと頼み込んだのかを。

 ぱちゅりーは、群れの指導者となることが多いゆっくりだ。
 それが、人間の歴史――それも、途中からは幻想郷と枝分かれしてしまった、外の世界の歴史を学びたいなんて言い出したからには、
何かあると思ったほうが良かったのだろう。
 とはいえ、まあ、しょせんゆっくりのやることだ。
 何か裏があると気付いたとしても、それをいちいち気に留めたかどうかは、慧音自身にもわからないが。
 今となっては、こう愚痴を零さざるを得ない。

「……なにも、一番の暗いところを模倣しなくても」
「……?」

 戸惑いの目を向ける妹紅には敢えて応えることはなく、慧音は深々と白く煙る吐息を漏らすと共に、
 もう群青に塗り替えられつつある東南の空を仰ぎ見た。

 そして思う。

 今から考えても、あのぱちゅりーは実にいい生徒だった。
 慧音が噛み砕いて教えた外の世界の歴史を、ゆっくりなりに消化して結論と呼べるものを見出した。
 ゆっくりがゆっくりするために、必要な方策を見つけたのだ。



 ――ゆっくりがゆっくりするためには、てきとうなゆっくり種を他のみんなでゆっくりできないようにしたらいい。

 そうしたら、少しごはんがたりなくても、少し暑かったり寒かったりしても。
 そのゆっくり種を苛めている間は、みんな心はゆっくりできる。
 それがぱちゅりーが慧音から教えてもらった人間の歴史の中に見つけた、ゆっくりが一番ゆっくりできる方法だった。




    *           *           *




 やがて冬は既に北へと去り、生き物が待ち望んだ春が訪れたある日。

 ぽいん、ぽゆん。ぽやん、ぽゆん。
 聞きなれた奇怪な音がゆっくりと、リズミカルに、幾重にも重なって野山のあちこちに響いている。
 冬篭りも終えて、冬を生き延びたゆっくりたちがまずは冬の節制でぎりぎりまで餓えた腹を一杯に満たすべく食料を求めて駆け巡る季節。

 ただおうちの周りを散策するだけで好きなだけゆっくりできるはずの、ゆっくりたちにとって天国のような季節。
 だというのに、この春はある一部の種のゆっくりにとっては、先の秋口に生まれた地獄の延長線に存在するものでしかなかった。

「こっちよ!」
「にげないでゆっくりしね!」
「レイパーは、どいつもこいつもおうじょうぎわわるいわね!」

 地獄を演出するものたちは、初冬から変わらず青いリボンをつけたありす種と、月の帽子飾りをつけたまりさ種たちだった。
 ゆーまにあの森の群れは、冬を越えて春に入っても平常運行だ。
 それどころか、もとよりゆっくりたちに潜在化していたありす種への反感に乗って、同調する群れは各地にゆっくりと増えつつある。
 つい先日も、ぶろんこが支配する群れがゆーまにあのドスの傘下に入ってありす種への迫害を強め出したという。
 今、妖怪の山と正反対に位置する低山で行われている山狩りも、そうした動きの一貫に過ぎない。

 それにしても、今随分前を逃げているありすは相当しぶといヤツだった。十数匹で追い回して、一向に追いつけないのだ。
 というより、引っ張りまわされすぎて追っ手の方が今何処にいるのか自分の位置を失いつつある。
 これでは相手を追い込むにも、適当な場所へ誘い込めない。

「……ゆゆっ。みんな、ちょっとまってね! このさきって、たしか」

 この坂を上りきったら、そこに何が広がっていただろう。
 追っ手――『ゆっくりたあて』の一匹が、めったに来ることのないこのあたりの知識を必死に引きずり出そうとする。
 確か、追い込めそうな場所のはずだったのだが。
 とはいえ、逃げる相手を追いかけている最中に「ちょっとまって」なんてできないわけで。

 うろ覚えの記憶を探る間に急な斜面を必死にゆっくり登りきり、よれよれとへたりこみそうになる一同が見たものは。

「ゆひぃーっ、はぁーっ。ゆひぃーっ、ゆはぁー……あ?」
「ゆゆーっ!? ここはゆっくりできないよー!?」

 見渡す限り一面に広がる、白く可憐な花の群生地。
 小さな鈴を幾つも首にさげたようなその姿は、一見すればとてもかわいらしくて、ゆっくりできそうなものだった。
 でも、それが絶対にゆっくりできないお花なのだということは、ろりすたちはとてもよく知っていた。

 食べることどころか、触れることすらゆっくりにとっては命に関わる花畑。
 その地を彩る花の名を、スズランという。

「……こっちにレイパーがきたはずなんだけど」

 皆が一様に恐れて花畑に近づこうとはしないその中で。
 リーダー格のろりすだけは、スズランに目を奪われることなく周囲の様子を探っていた。
 この普通のゆっくりを拒むスズランの花畑の側に、姿が見えるゆっくりの数は二匹。
 リーダーの言葉を耳にして、ようやくその存在に気付いたろりすとまりさたちが、今度は別の驚きでぎょっと身をすくませた。

「スー? ゆうか、しってる?」
「さあ、きにもしてないわ」

 突然の闖入者を迎えて、だが先客の二匹は驚く様子も見せない。
 ことに、めでぃすんの問いかけられたゆうかはろりすたちの方を見ようとする気配すらもなかった。
 二匹とも、希少種である。ことに、ゆうかは多種のゆっくりと往々にして極めて関係が悪い。
 ろりすたちもそれを知るから、その態度はなおのこと硬く、高圧的なものになる。

「かくすと、ためにならないわよ」
「どう、ためにならないのかしら?」

 売り言葉に、買い言葉。
 ゆうかとリーダー格のろりすの間の空間にさっとゆっくりできない気配が漲った。
 ……もっとも、リーダー格以外のろりすやまりさたちは、どことなく乗り気ではない雰囲気を表情に漂わせているのだが。

「スゥ……ここはスーサンでいっぱいだよ。さがすならゆっくりさがすといいよ!」
「ゆゎっ、ゆっくりよらないでね!」

 険悪な空気を仲裁するつもりだろうか。
 一緒に探そうか、と無防備に近づくめでぃすんに『ゆっくりたあて』のまりさは慌てて近づかれた分後ろへと飛び退いた。
 リーダー以外のろりすたちが気乗りしない様子を見せている理由が、まさにこれだった。
 なにしろ、このめでぃすん種は触るだけで毒に冒されるという噂のある蠢く危険物だ。
 人間の虐待愛好家もドMで苛め甲斐がないと評判のてんことならんで忌避する代物に、好んでお近づきになりたいと思うゆっくりなど、
 幻想郷全土を探しても数えるほどしかいないだろう。

 だが、そんな誰からも愛されない危険物である分、この鈴蘭に満ちた無名の丘でも不都合なく暮らせるという利点もあった。
 こんな場所に長居出来るのは、中身が毒入り餡子だというこのめでぃすん種と、植物との親和性が高いゆうか種ぐらいのものだ。

 仮にありす種がこの中に逃げ込んで、この二匹が庇っているのだとしても。
 この二種が耐えられる環境だからといって、ありす種が無事に生きて戻れる道理は何一つない。

「おいかけなくてもだいじょうぶそうね」
「おはなさんがえいえんにゆっくりさせてくれるね」

 追っ手のありすとまりさが、顔をつき合わせてぶつぶつと相談している。方向性は、すでにほぼ固まっているようだった。
 リーダー格のろりすがその最中に刺すような一瞥をゆうかに向けたが、
 その眼差しに気付いたゆうかが怯むこともなく真っ向からじろりとにらみ返すと、忌々しげに舌打ちしてすぐに目線を反らした。

 結論が出たのは、それからすぐあとのことだった。

「……いくわよ」

 リーダー格の指示が出るや、ろりすと飾り付きまりさの群れは一斉にこのゆっくりできない無名の丘から立ち去っていく。
 正直なところ、スズランどれだけ近づくと危ないのか具体的なことまではわからない彼女たちは、生きた心地がしなかったのだろう。
 リーダーの指示が出てから、数十匹はいた彼女たちの姿が完全に視界から消え去るまで、ゆっくりにしては驚くほどの速さでことが進んだ。



 周囲に、もう一匹も闖入者たちの姿は見えない。
 闖入者がいてもいなくても、ゆうかとめでぃすんは変わらずスズランの畑でゆっくりしていた。
 ゆうかは草花が身近にあればそれで十分ゆっくりできるし、めでぃすんはスーサンの毒があればそれで十分ゆっくりできた。
 そんなとてもゆっくりできるゆっくりプレイスにいるから、二匹は場に存在する気配が三匹分あっても気にしない。
 二匹のゆっくりプレイスに、迫る死に怯えて逃げてきた闖入者が飛び込んできて勝手に隠れても、そんなものは知ったことではなかった。

「どうして、だまっていてくれたの?」

 群生するスズランよりやや手前、普通の草が覆い茂った一角がわずかにあった。
 声の主は、その中にある窪みに半身を埋め、息を殺してことの成り行きを窺っていたらしい。
 自分はレイパーよばわりされてるありすなのに。心底不思議そうに尋ねる声の主に、ゆうかは小さく笑ってこう応じる。

「よわいものいじめには、きょうみないもの」

 なるほど、と声の主――逃げていたありすは納得した。
 ゆうかにとっては、例えありすがレイパーであったとしても『よわいもの』なのだ。だから、恐れるには足りない。
 そして同時に、恐らくはろりすたちも群れるだけの『よわいもの』として映っているのだろう。
 よわいもの同士の、よわいもの苛め。ゆうかにとってはつまらないことこの上ない演目に違いない。
 その余裕が、逃亡ありすに対して寛容さとして顕れたのだろう。

 その強さが、流されることのないあり方が、ありすにはとても羨ましく思えた。

「めでぃすんはゆっくりをかいほうするの!」

 一方で、めでぃすんのいっていることは、いまいちわかりにくいけれど。
 どうも、よわいものの味方だということらしい。しかしゆっくり解放とは大きく出たものだとありすは小さく笑った。
 現実には、同じゆっくりからも敬遠されやすいめでぃすんはゆっくり解放どころか自分の解放から始めなくてはならなさそうだったが。
 きっと、めでぃすんにはたいした問題ではないのだろう。

 その寂しさが少しありすには気がかりで、だがやはりどこか羨ましく感じるところがあった。

 まあ、なんにしても。
 ありすは暫くぶりに、ずっと張りっぱなしだった気を抜いた。
 ここには、ずっとありすを流し続けた嫌な流れがなかった。ありすはありすでいられるようだった。
 二匹は流れを生み出さない。自分たちの在り様だけで超然としている。
 それは他者と交わらない生き方だったが、今のありすはそれが一番心地よかった。

「しばらく、ゆっくりしていってもいい?」

 もし、本当にゆっくりしたいなら、いつまでもこのゆっくりプレイスにはいられない。
 尋ねながらそう気付く。
 このゆっくりプレイスは、スズランの毒があるだけではない。孤独という、心の毒も孕んでいるから。

 だが、それでもいいかとも思えた。
 流されるまま、奪われるがままのゆん生よりは、その方が幾らかマシだとも思えた。

 外に出れば、自分は自分でいられない。ありすが何であるかは、ありすが決めることではなくなってしまう。
 ありす自身が例えなんであっても、そのありようは周囲が望む形に囚われてしまう。
 それは、絶対に、嫌だった。

「「ゆっくりしていってね」」

 ――ほら、孤独という安らぎは、こんなにも暖かい。
 この閉じた空間で、わずかな付き合いだけを世界の全てにして、時に寂しさを覚えつつ一人きりで暮らす以上の幸福は、
 外の世界に出てしまえば決して望めないじゃないか。


 幻想郷という世界は、ありす種を即ちレイパーだと定めたのだから。




    *           *           *




 ありす種は、レイパーだ。
 ありす種として生れ落ちたゆっくりは、ごく一部の例外を除いて先天的なレイパーだ。
 そしてその残ったごく一部の例外は、優秀なありすハンターになるのだ。ゆーまにあのドスのもとで。

 幻想郷に生まれた『常識』は、それまでのレイパー被害という実績に基き急速に人と、ゆっくりの間に根付いていった。
 その『常識』を裏打ちする数字は、どこにも存在しない。
 存在しないし、必要ともされなかった。
 レイパーの源であるありすを排除してしまえば、多かれ少なかれその被害もなくなるのだ。
 そのひどく乱暴で簡単な理屈は、頭のつくりが粗雑なゆっくりにはとても受け入れやすかった。

 ありすは、ありすという種は、もういかなる形であれゆっくりを手に入れることは未来永劫できない。
 ありすがゆっくりの社会の中で生まれ、暮らす限りにおいて、ゆっくりできることは絶対にない。

 流れのレイパーか、他にゆっくりのいないどこかに隠れ住まない限り、孤独を貫かない限り、ゆっくりを手に入れることは出来ないのだ。

 ――果たして、そうまでして手に入れたものが真にゆっくりと呼べるものになるのか。
 ゆん生の終わりに、しあわせー♪を感じて全うすることが出来るものになるのか。
 それは、相当に疑わしかったのだけれど。


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ありすとまりさは金髪のザコだと気が付いたら、ぶろんこさんを出したくてたまらなくなった。
ゆっくりたあて他のゆーまにあネタはほぼ枢軸・共産時代のルーマニアが元ネタ。なので東のドスはソ連相当。
ちなみにゆっくりたあての元ネタは「セクリタアテ」という、孤児集めて作り上げた秘密警察だったり。

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最終更新:2022年05月19日 12:01