雪は未だ積もり続けていた。
根雪となった夜半の雪は日の出を迎えても溶けることなく、平原の綿雪は厚さを増していくばかり。
いつもは平原で気ままに遊ぶゆっくりの姿も今はない。みんな、各々の巣穴に戻り、冬ごもりに入っていた。
ゆっくりといえども、冬支度は忘れない。
雪が積もれば草木は雪の下。葉を落とした樹木は節くれだつ枝を晒すばかり。虫も地中深く潜り、小動物はゆっくりと同じく冬ごもりで姿を消消す。そんな死の季節に得られる食料はほとんどなかった。
ゆっくりたちは初霜が降りる頃から、それぞれせっせと食料を貯蔵し、ふかふかの藁を集める。寒気と外敵を防ぐため、入り口を塞ぐ石やツタ、枯れ木などの資材の確保にも死にものぐるい。
とはいえ、ゆっくりの中には命がかかる場面でもゆっくりしてしまう個体が数多く見られ、冬を越せるゆっくりのほうが割合としては少数派といえよう。
その冬支度を怠ったゆっくりの運命は決まっていた。ほぼ、例外なく死ぬ。長い長い苦痛の果てに巣の中の土まで貪り食って、茶色い干涸らびた死体となるか、凍えて真っ白な氷雪の固まりとなり、意識を取り戻しては「ぐるじい、い゛だい゛、うごぎだいいいい」と泣きながら朽ちていくかのどちらかだ。
そして、ここにもまた、同じ運命をたどろうとしているゆっくりが一匹。
雪原を、蜂蜜色が駆け抜けていく。ヘアバンドが特徴のゆっくりアリスだった。
積み重なった雪をぎゅっぎゅっと鳴らして、沈み込まないよう高くはねながら走っている。
跳ね上がるたびに、ゆっくりアリスは叫んでいた。
「みんな、どこお? アリスを置いてかないでえええ!」
半泣きの悲鳴をあげながら、他のゆっくりを探し回っている。
ゆっくりアリスは、最近出会ったゆっくりまりさの一家と遊ぶことに夢中になっていた。冬ごもりの支度も、家族をつくることも忘れるほどに。用事があるからと、次第に疎遠になっていくまりさ一家の様子に気づかずに。
無論、なぜゆっくりまりさが忙しそうにしていたのか、アリスは知らない。ただ、疎外された思いが残っただけだった。
自らの巣穴でアリスは不貞腐れる。失礼しちゃう、もう誘われても次からは遊んであげないから……いや、次だけは特別に許してあげてもいいけどと、アリスがのそのそと巣穴から出てきたとき、白いものが空から降ってきた
その冷たさ、綺麗さにアリスは感動して草原に飛び出していったが、その日から他のゆっくりの姿はほとんどみかけなくなり、今ではこの広い雪原に見えるゆっくりは、このゆっくりアリス一匹だけとなっていた。
純白の世界にたった一匹。深い孤独にさらされて、猛烈にゆっくりまりさ一家が恋しい。
環境の変化にも、当初は「とかい派のアリスから会いに行く必要なないもん」と、ゆっくり構えていられたアリス。だが、孤独なまま一週間過ぎればもう他愛がなかった。堪えきれず「まりさがアリスを探し回っているのが可哀想だから、アリスも探しにいってあげる」と外に飛び出したのが三日前。すでに雪が積もった平原から、仲間のゆっくりの姿は一匹残らず消えうせていた。
それから三日たった今、探し回るアリスは必死だった。冬の備えよりも、他のゆっくり恋しさにかられて、飢えた体で雪原をかけまわっている。
「かくれんぼ、あ゛り゛ずのまげでいいよおおお! 出てきていいからあああ」
アリスの悲痛な呼びかけだが、元よりそんな遊びをしていない上、他のゆっくりたちは出入り口を石や枯れ木で塞いだ巣穴の中。遠くで呼びかけるアリスの声など、聞こえるわけもなかった。
やがて、走ることと声を出すこと、さらに二日前からの空腹に疲れ果て、へたりこむゆっくりアリス。走り回っている間は感じなかった寒さがぶるぶるとアリスをふるわせせて、じんわりにじむ涙を容赦なく凍てつかせていく。
「仲良くしてあげてもいいのにいいい」
そんな呻きも、白い息とともに空にほどけた。
このまま雪原の端に沈み込み、最後を迎えるしか道が残されていないゆっくりアリス。
「ざむ゛い゛いいい、お゛な゛が、ずい゛だよおおおお! ざみ゛じい゛いいいいいよおお!」
自然の摂理は死を告げていたが、ただ一匹それを知らないアリス。
全身にまとわりつく雪氷を、絶叫と共にぶるぶると震えて叩き落とし、最後の力を振り絞ってなおも雪原へと踏み込んでいく。
が、そこには厚い新雪の吹きだまりだった。凍り付く固い根雪の上に乗っただけの新雪はやわらかく、ゆっくりの体重をも支えることはできない。
「ゆっ!?」
アリスが悲鳴を上げるなり、深く身の丈を超える雪の層に沈み込むアリスの体。息をつくまもなく、底の斜面の形にそってごろごろと転がり出す。
転がるたび、体に張り付いた雪が新たな雪を呼び、次第に体積の三倍を超える巨大に雪塊に。
「ゆぐぐぐぐう……」
顔のすべてが分厚い雪に覆われて、雪原を転がっていくアリスの悲鳴が途絶えた。
後はひたすらの坂の下へ。
「ゆーゆーゆー♪」
まりさ姉妹の歌声が巣穴に響く。
母まりさはその朗らかな歌声を聞きながら、末っ子の赤ちゃんまりさを寝かしつけている。
巣穴の入り口には石と枯れ木を敷き詰めて蓋をして、外気が吹き込むことも無い。母ゆっくり一匹と子ゆっくり三匹の、お互いの体温だけで十分暖がとれるゆっくりの住処。
「ゆー……」
母ゆっくりは、寝ぼけ眼の赤ちゃんまりさに微笑を向けてから、遊んでいるゆっくり姉妹に声をかける。
「ゆっくり一休みしてね!」
退屈で遊びたい盛りの子供たち。
でも、体力の温存も大切なことだと、母ゆっくりは子供たちにゆっくりなりの言葉で意思を伝える。
「うん、ゆっくりするよ!」
絡み合うように遊んでいた姉妹が離れて、眠りはじめた赤ちゃんゆっくりの隣へ。
その寝顔に、姉ゆっくりたちの目じりも下がる。
「ゆっくり~」
自分の体温で赤ちゃんゆっくりを暖めてあげて、そのままじっとしていた。
厳冬を迎えたゆっくりまりさ一家。だが、経験豊かな母ゆっくりに率いられて、冬の備えは万全だった。
奥には秋のうちに溜め込んだ食料がどっさりとうず高く詰まれている。十分の食料に、母ゆっくり思慮、そして聞き分けのいい子供たち。四匹での冬篭りに、今のところ不安はまるでなかった。
「家族だけで、ゆっくりできるね!」
「うん、家族だけだとゆっくりできるね!」
視線を交し合うゆっくり姉妹。
二匹が心に思い描くのは、蜂蜜色の髪にヘアバンドが特徴の一匹のゆっくり。冬篭りの前にゆっくり一家にまとわりついてきて辟易させてくれた、ゆっくりアリスだった。
ことあるごとに視界に入るところにいて、声をかけると「とかいのアリスが一緒にあそべるわけないでしょ」といなくなる。けど、すぐに戻ってくるのを奇異に感じて見つめていると「仕方ないわね、特別にきょうだけ遊んであげるから」と、無理やり家族の列に入ってくる。
アリスと一緒にいるより、自分たち姉妹や母まりさは、赤ちゃんとゆっくりしたい。それなのに、「そんなもの、どうでもいいでしょ」と、その周囲で飛び跳ねてはしゃぐので、アリスの望むまま外に連れだされるしかなかった。
そのアリスとのゆっくりも、決して楽しいものではなかった。仕方なく一緒に遊んでも、まったくゆっくりできない。異常にはしゃいではあちらこちらを走り回り、木にぶつかって蜂の巣を落としたり、転倒したと思ったら餡子の臭いを撒き散らして外敵を集めたりと、最後は半泣きで逃げ回ることになる。
冬篭りのいいところは嫌な相手と顔を合わせずにすむこと。
他の大切な友達と冬の間会えなくなるのは辛いけど、春になるまでは仕方の無いことだ。
早く春になって、ゆっくりれいむに会いたいな。姉ゆっくりは、アリスが来る前からよく遊んでいたゆっくり霊夢の、あのゆっくした双眸を思い描いて、ぽうと頬を赤く染める。お互い、冬支度を始めてあまり顔を合わせなくなったけど、雪が溶けたら存分に二匹でゆっくりと絡みあいたい。
そういえば、冬支度を始めてからも外をうろうろしていたアリス。あの調子で冬支度を終わらせていたのだろうか。
「アリスもゆっくりできればいいのにね!」
「ねー!」
仲良く、言葉を合わせてこぼれるように笑う二匹の姉妹。
母ゆっくりは苦笑気味に娘たちの様子を眺めていたが、その楽しげな様子にうふふふと笑いが口をつく。
「ゆふふー!」
起きてしまった赤ちゃんまりさもたどたどしい声で家族に合わせて、その可愛らしさが家族揃っての朗らかな笑いを誘った。
笑いの絶えない幸せな一家の姿が、そこにあった。
が、一家の団欒は突如として凄まじい振動に粉砕された。
岩が落ちてきたような轟音、そして地の底から響くような衝撃。
ゆっくり姉妹が飛び上がり、振動の凄まじさにごろごろと転がっていく。小さな体をびりびりと震わせる赤ちゃんに、母まりさはすぐさまぴったりを体を合わせていた。
「み、みんな、ゆっくりしてね!」
懸命の呼びかけも、部屋の奥でぶるぶると震える姉妹に届いたかどうか。
「びゃあああああああ!」
懐の赤ちゃんは恐怖に全身をわななかせ、泣き崩れていた。
先ほどのまでの団欒はもはやどこにもない。
「ちべたいよおおおおおお」
続く、赤子のその鳴き声で気づく。
母ゆっくりの頬に吹き付ける、刺すような凍えた空気を。
外へ通じる出入り口の封が、粉砕された。寒々とした空気が、母ゆっくりをぞくりと振るわせる。
一刻も早く、再び蓋をしなければ。このままでは二、三日後には自分たちは四つの氷雪の塊になるだろう。
「ゆっくり、大人しくまっててね!」
何で、こんなことになってしまったのか。
愕然とした頭を何とか奮い立たせて、その母性で寒風吹き込む入り口へと、バリケードの残骸を踏み越えてじりじり進む。
と、異変の答えは向こうからやってきた。
「ゆー……」
力ない声とともに、悶絶したゆっくりアリスが一匹、ころころと転がって巣穴に入ってくる。
姉妹が今、話題にしたばかりのゆっくりアリスだった。
雪だまの芯となって転げ落ち、衝撃をもろに受けて白目でそこにのびている。
そのアリスを見下ろすゆっくりまりさたちの視に浮かぶ困惑。
ひ弱なゆっくりが入り口を粉砕するのは不可能だ。だけど、近くにニンゲンや獣の姿はない。このはた迷惑な被害の元凶はゆっくりアリスなのだろうか。
「ゆ?」
赤ちゃんゆっくりが母ゆっくりと姉ゆっくりの間を抜けて顔を出す。
のびているアリスの顔の上によちよち登って、目の前の位置に。
「おねーさん、ゆっくりちていってね!」
その明るい呼びかけが、アリスのゆっくり本能を刺激した。
「ゆっ!」
途端に跳ね起きるアリス。
その体にのっていたゆっくり赤ちゃんには、突然の動きだった。
「ゆっくりー……っ!」
飛び起きたアリスの勢いのまま、赤ちゃんゆっくりは部屋の奥へ転がっていく。
「ゆっくりまってえ!」
慌てて追いかける母ゆっくりの姿だが、ゆっくり姉妹はそれを追うどころではなかった。
ゆっくりアリスがゆっくり姉妹を、潤んだ瞳で見つめている。
探し続けた友達と出会えた。その感激にはあはあと息も荒くなってきて、その様子にゆっくり姉妹は後姿を見せることができない。向き合ったまま様子を伺う。
が、とうとうゆっくりアリスは感極まった。
「ゆゆっ! アリスを助けてくれたんだね!」
すぐさま、手近な姉に飛び掛り、全身をべったりはりつかせるアリス。
のけぞる姉の上に、さらに乗りかかって身をこすらせる。
「うれじいよおおおほおおお! ハアハアハア……」
発情期でもないのに、身をくねらせはじめるゆっくりアリス。
「ゆっ、ゆっくりすぐ離れてええええ!」
姉の悲鳴。
感激の涙とよだれと謎の液で半身がよれよれになりつつある姉の泣き声に、怯えていた妹もつき動かされていた。
「ゆっくり離れてね!」
横からの体当たりに、姉の体を滑り落ちるアリス。
そのままごろんと転がって、一回転した後にまじまじと妹まりさを見つめた。
妹を助け起こす姉まりさは命をかけた一戦も覚悟して睨み返す。
だが、アリスはにっこりと微笑んでいた。
「妹まりさも、アリスと早く喜びあいたいのはわかるけど焦らないでね!」
「ゆっ!?」
「お姉さんまりさの次は、きちんと妹さんとも喜びあってあげるからね!」
予想外のアリスの説教に、まりさ姉妹の動揺は深い。
その認識が、ゆっくりまりさたちの見せ付けている敵意とはまるで別のことだけにあっけにとられていた。
ちがうよと口しようとした姉ゆっくりは、次のアリスの言葉で完全に固まる。
「それと、このおうちももう少しとかい的にしてね! とかい派のアリスがずっと暮らすんだから!
続けて口にした台詞も、ゆっくり一家の誰一人として望まないことだった。
なんていったの?
信じられない言葉を受けて、姉妹の視線が交錯する。
アリスと暮らす?
この冬が終わるまで、ずっと?
「アリスはゆっくりしないで!」
姉ゆっくりが言葉の意味を飲み込んで、反射的に叫んでいた。
言外に嫌悪に満ちた焦燥。
「ここはまりさたちのおうちだよ、アリスは自分のおうちに戻ってね!」
妹も加勢するが、当のゆっくりアリスは怪訝そうな表情で見つめるだけ。
アリスが一緒に暮らしてあげるのが、嬉しくないのかなと小首を傾げる。
そうか、これがいわゆるツンデレというものなのねと、一人納得するアリス。本当は、私と会えて嬉しくて嬉しくてたまらないんだ。そう思えば、いきり立つこの姉妹の必死な照れ隠しが愛おしい。
「それより、アリスの部屋にゆっくり案内してね!」
「ゆっ、ゆーっ!!!」
にっこにこのアリスに、姉妹は驚愕に慄いて咄嗟の言葉も思い浮かばなかった。
「ゆっくりしないで、でていってよおおおお!」
ほとんど涙目で睨みつける姉妹。一方、よだれを一筋こぼしながら姉妹のツンデレぶりを堪能するゆっくりアリス。
平行線だった。
いや、もっとひどい何かだった。
「ゆっ、ゆーっ」
三匹の間に流れた緊張。その空気をなごませるかのように、ゆっくり赤ちゃんの声が聞こえてきた。
奥の方から母ゆっくりのほっとした表情がたゆんたゆんと近づいてくる。
その母ゆっくりが向かった先は、奇妙な闖入者ゆっくりアリス。
「ゆっくりしていってね!」
いつもの言葉で出方を伺うが、アリスの反応は母ゆっくりの予想を超えるものだった。
「うん、ここでゆっくりしてあげてもいいよ!」
そう宣言するなり、巣穴の奥へずんずんと進むアリス。
アリスの進む先には青草、芋、植物の根など、越冬の食料。
三日間の空腹が、アリスのよだれをだらしなく増幅させる。
だーっと、垂れ流すよだれの勢いは、巣穴に濁った水溜りをつくりだしそうなほど。
それでも、アリスは優雅にふふんと鼻を鳴らしてみせる。
「とかい育ちのアリスから見ると、いまいちのメニューね!」
言いながら、食料の山に頭からつっこむ。
そのまま、はぐはぐと口を動かすたびに吸い込まれていく食料。
それはゆっくり一家の冬を越すための命綱。それが今、少しずつ目の前で引きちぎられようとしている。
「ゆー!」
短い、殺気だった声とともに痛烈な衝撃。
アリスは後ろから突き飛ばされていた。
転がりながら見たのは、鬼気迫る母ゆっくりまりさの形相。
歯を食いしばり、ふうふううと威嚇している。
なんでそんな顔をしているのかわからないゆっくりアリスに、さらなる衝撃が待っていた。
「ゆっくりしね!」
瞬間、顔面に凄まじい圧力。
無様に転がるアリスの上へと、すかさずゆっくり姉妹が揃って飛び乗ってきたのだ。
「ゆっぶぶぶぶぶぶっ!」
その凄まじい二体分の圧力に、今食べたばかりの食料を吐き出すゆっくりアリス。
涙とよだれと胃液と鼻水。顔全体をテカテカに光らせたゆっくりアリスは困惑の叫びをあげる。
「どおじで、ぞんなごどずるのおおおおお! ありずが、どがい派だがらああああ!?」
ゆっくり一家はもうそんな勘違いに答えない。
もはや無言でゆっくりアリスに噛み付き、外へと運んでいくゆっくり母とゆっくり姉妹。
「ゆっきゅりでてけー」
異様な気配を感じて、赤ちゃんまりさも口車にのる。
「ど、どぼじでえええ、せっかくアリスが来であげだのにいいいいい! まずいご飯だって、たべであげだのにいいい!!!」
ゆっくり一家から受けた理不尽さに泣き叫ぶアリス。
もう、疲れてきたゆっくり一家は答えないまま家の外へ、力任せに放り捨てた。
雪の中に顔面から沈み込むアリス。その上にはしんしんと降り積もる湿った雪。
巣穴へもみぞれ雪とともに寒気が吹き込んで、先ほどの団欒の暖かさはもうどこにもない。アリスの残した傷跡の大きさを、改めて思い知るゆっくり姉妹だった。
ゆっくりするためにも、一刻も早く家の封を再びしなければとため息をつく母ゆっくり。
しかし、一度粉砕された資材は再び積み重ねたところで強度は期待できない。
脆弱な家の守りは、野犬の襲来などの事態に耐えられるだろうか。天気がよくなれば、川原から大きな石をもってきたいのだが、今日は相変わらずの大雪。わずかな晴れを待つしかなった。
とりあえず、応急処置をしようと母ゆっくりが呼びかけようとしたときだった。
雪原から猛烈な勢いでとんでくる蜂蜜色の影。
アリスだった。
「お願いじまずぅ! うちにいれてくだざいい!」
もう見栄も何もかも取っ払ったアリスの嘆願。
当然だろう。ここを放り出されれば、寒風吹き込む自分の巣で、たった一匹で飢えなが死を待つしかない。
この家族がまさにアリスにとってのボーダーライフ。
だが、当然ゆっくり一家の対応は決まっていた。
「アリスとはゆっくりできないよ!」
姉ゆっくりが身震いするように全身で拒絶すると、妹も冷たい目をアリスに向ける。唇がもごもご動いて「ゆっくりしね!」の単語をはき捨てていた。
大好きなゆっくりまりさの、まさかの拒絶。
ありえない相手の反応に、アリスの目が絶望でかすんだ。
「いやだあああ! 外だとゆっくりでぎないいい、死にだぐないいいいいい!!!」
そんなアリスを見捨てて、巣の奥へ引き返すゆっくり姉妹と、ゆっくり赤ちゃん。ただ、ゆっくり母だけがその場に残った。
静かに、悲嘆にくれ泣き喚くアリスを見下ろしていた。
やがて、アリスに諭すように優しい口調で語りかける。
「言うことを聞くなら、雪がやむまでなら入れてあげるよ!」
「ゆっ!?」
驚きの声が三つ重なった。
ゆっくり姉妹とゆっくりアリスの驚愕。だが、次の瞬間、ゆっくり姉妹の顔は真っ青に、ゆっくりアリスの顔は喜色にそれぞれ染まっていく。
「うん、ゆっくりしてあげるからね!」
飛び上がって、大喜びのゆっくりアリス。
そのまま、にこにこと家に張り込もうとするが、その道を身を寄せ合って、完璧に塞ぐものがいた。ゆっくりお母さんが、ぷうとその巨体を膨らませてアリスの進路に立ちふさがる。
「その代わり、アリスにはここをなおしもらうよ! でも、雪が止んだらすぐ出てってね!」
ゆっくりお母さんの言葉に、アリスを家に招く意味を悟るゆっくり姉妹。
食料は一人増えても余裕があるし、雪が止んだら出て行ってもらう。
日数にして数日間。
それでも不安と不快が残る姉妹だが、お母さんの考えに逆らうには、この姉妹はいい子すぎた。
姉妹はアリスが難癖をつけるのを期待する目でアリスを見つめている。不平不満を口にしたら、それを理由に二度と入って来られないようにしてやると。
しかし、プライドを投げ捨てつつあるゆっくりアリスは素直に頷く。
「うん、ゆっくりお母さんの言うことは何でも聞くよ!」
殊勝な返事で、天から降りた蜘蛛の糸を手繰り寄せていた。
うんしょ、うんしょ。
巣穴にゆっくりアリスの懸命なかけ声が響いていた。
アリスの綺麗な蜂蜜色の髪は土の色に汚れ、もちもちとした白い肌には小さな擦り傷がいたるところに走っている。唇の端には、あぶくが浮かび、従事する労働の困難さを無言のままに物語っていた。
その唇に枯れ枝をかみしめて、入り口までずりずりと引いていく。
全身を限界まで伸ばして、ようやくその枝を入り口の隙間にたてかけた。
続いて敷き詰めるための石を口に含んで運ぼうとするが、足下には散乱するバリケードの残骸。
「ゆぐっ!」
自分が雪玉となって粉砕したそれらに乗り上げ、ごろんと転がった。
反転した視界に転倒に気がつくも、すでに口に含んでいた小石がその表紙であたり一面に散らばった後だった。
せっかく、這いつくばって地面に舌を削られながら集めた石ころたち。
それを、再び地面を舐めるようにして集めなければならない。
だがアリスは痛みとみじめさに震えて動き出せなかった。誰か早くアリスを慰めてと、ひくひくと泣き伏す。
「アリスはゆっくりしないでね!」
だが、その上に被せられたのは、アリスの作業を見張っていた母ゆっくりの容赦ない催促。
母ゆっくりの向こうではゆっくり姉妹と赤ちゃんが、楽しそうにきゃきゃと遊んでいた。
アリスはその団欒の楽しげな風景が羨ましくて仕方がない。
「アリスもゆっぐりじたい! みんな、特別に手伝わぜであげてもいいよおお!」
呼びかけながら、自分に好意的だと未だ信じるゆっくり姉妹たちの元へと這っていくアリスは、母ゆっくりの体当たりで再び元の位置へと転がされる。
どうしようもない体格差と、秋頃までほほえみながら自分とゆっくり姉妹が戯れる様子を見守ってくれた母ゆっくりまりさの豹変。その衝撃に、アリスは泣きながら作業に戻った。
何度も往復し、土や石を積み上げていく。その間に食べたのは姉妹と赤ちゃんの食べ残しのみだった。
ようやく、土手程度には形が整ったとき、すでに周囲は夜の暗がりに包まれていた。
「今日はもうゆっくりしていいよ!」
疲れ果てたゆっくりアリスにかけられた母ゆっくりの言葉。
瞬間、アリスの顔は喜色にあふれた。
つらいことがあったけど、今からゆっくり姉妹とゆっくりぺっとりしていよう。
果たして、いかなる想像をしているのか、よだれをたらしながら団欒へ飛び込もうとするアリス。
だが、母ゆっくりの行動はアリスの予想外のものだった。
「ゆゆっ!?」
母ゆっくりに、ぐいぐいと押し込まれる体。
有無を言わせぬ圧力と疲れ切った体が抗することを許さない。そのまま、塞ぎきれていないバリケードの穴に押し込まれて、ぴたりとその穴におさまる。
外気に面したアリスの後頭部が極寒の夜気にさらされた。
「う、うじろがざむいいい!」
ぶるぶると震え出すアリス。代わりに、巣穴の中から底冷えのする空気の流れが消えていく。
寒がることもなくなって、うっとりとした赤ちゃん。ゆっくり姉妹は幸せそのものの表情で見つめていた。
「今日はずっとそこにいてね!」
母ゆっくりの言葉で、絶望色に染まるゆっくりアリスの顔。
「助けて! ゆっくりまりさのお母さんがひどいよ!」
奥の姉妹に呼びかけるが、振り向くゆっくりさえいなかった。
アリスを苛む後頭部に刺すような冷たさに、アリスの声は次第に小さくなっていった。
アリスが目覚めたのは、早朝だった。
もう、外気に触れる部分の感触がない。ただ、肌を通り越して体の内側に、幾重にも殴りつけられるような鈍い痛みが走るだけ。
この激痛に、夜中にどれほど起こされたことだろう。
今でも泣き喚きたい痛みが、じんじんと体中に響いている。
だが、舌の根までが凍えてその痛みを訴えることもできなかった。
ただ、ぼろぼろと涙をこぼしている。
と、そのゆがんだ視界の中で何かが動いていた。
目を凝らせば、姉ゆっくりが一匹、静かな足取りでこちらへ向かっている。
「……っ」
たすけて、ゆっくりさせてね。そう言いたいものの、凍えた舌がうまく動かなかった。
姉ゆっくりは感情を消した表情で、アリスの前に立つ。
アリスの鼻汁と涙でよれよれの顔を、じっと見つめていた。
「自分だけがゆっくりするとこうなるんだよ!」
「ゆ、ゆっくり……」
何とか唇が動くが、諭すような姉ゆっくりの言葉が痛くて、まともな言葉がでない。
一晩たって、いまさらながら昨日の舞い上がりっぷりを思い返すアリス。
冷静に考え直すと、昨日の自分は、とかい的ではなかったかもしれない。
アリス種は発情期でなければ、独り善がりながらも知能がそこそこある種である。もちろん、人と比べると鴉か猿といった程度の浅はかな知能だが。
しゅんとなるゆっくりアリスを前に、姉ゆっくりの表情がほんの少し和らぐ。
「今度から、あいてのことを考えてゆっくりしてね!」
「ごめ゛んな゛ざい゛い゛い゛い!」
かじかむ顎を何とか動かして、ゆっくりアリスは泣き崩れた。
今はこの姉ゆっくりに嫌われたくない一心で、心から反省したような表情を浮かべてみせるアリス。
すると、姉ゆっくりは神妙な表情のままアリスの頬をかむ。そのまま、ゆっくりと引っ張り出されていくアリスの体。。
固まった体が引っ張り込まれて、アリスは若干の痛みとともに暖かな室内に転がりこんだ。そのまま、半身を凍らせた体で自分の体が塞いでいた穴を見つめると、姉ゆっくりは小石や土塊でその穴に埋めていく。
「可哀想すぎるから、少しだけ手伝ってあげるね」
優しいその言葉に、ぶわっと涙がこみ上げるゆっくりアリス。
「ゆっ、ゆっくりいいいい!」
体よりも心が温かい。
感涙が流れるまま、姉を見つめているとさらに加わる影が三つ。
「寒いからゆっくり手伝うね!」
「ゆっきゅりまかせて!」
妹ゆっくりと赤ちゃんゆっくりが連れだって姉のそばへ。その口には各々、拾い集めた資材が咥えられていた。
感激で呆然とするアリスの凍り付いた体にじんじんと響く温もり。気がつけば、体を温めてくれていた大きな体。
見上げれば、母ゆっくりが昨日とはまるで違う慈母の顔でアリスを見下ろしている。
「周りをゆっくりさせてあげると、自分もゆっくりできるんだよ!」
言いながら、凍えた体を分厚い舌でぺろんと舐める。
そこが、ほんのりと心地よく温かった。心にも、どうしようもなく染み入る暖かさだった。
家族の温もりに、アリスの気取った心は完全に粉砕される。
「う゛ん。ごれ゛がら゛は、ぎぢんど、ゆっぐりずる!」
素直になれなかったアリスの心からの言葉。
ゆっくり一家の冬ごもりは、再びの平穏を取り戻したのだった。
最終更新:2022年05月03日 16:53