※人間がゆっくりに負ける描写を含んでいます。by管理人




どこまでも高い空は、眼にしみるような青に傾き始めた陽の橙を含ませて頭上にあった。男は両腕を天に上げ、大きく伸びをした。
午前のうちに畑仕事も含めた家事を済ませてしまったので、軽い昼寝を取ったのだが、目が覚めたら子供が家の中にいなかったので、外に出てみたのだった。
家から離れる時には必ず一声掛けるように言ってある。尻叩きの恐怖を乗り越えられるほどの反抗期には達してないから、恐らくは家周りの畑にいるに違いない。
多分虫の観察でもしているのだろう。死んでしまった妻に似て、好奇心が旺盛な息子だった。
「おーい、ぼぉずぅー」
天高く声を上げると、間をおいて「とぉちゃーん」と声が家の裏から聞こえてくる。案の定、だった。
くだんの場所に近づいていくと、子供とは別の声が混じってきた。小さくせわしない声が複数。何かを叫んでいるようだ。
裏の畑には茄子が生えている。去年はキャベツを植えた場所だ。なかなか良い生育を見せ、秋茄子も豊かに実っていた。
二ヶ月前に剪定したとはいえ、それなり背丈を林立させた茄子の間に、隠れるようにしゃがんでいる子供。可愛らしい背中が丸まっている。小さな声の群れは、その足下から飛び上がっていた。
「何やってる?」
のぞき込んでみると、小さなゆっくりが三匹。レイム種だ。
「いだいよぉおおおお!!」
「なんでぞんなごどずるのぉおお!!」
「やべでぇえええぇえええ!!」
三者三様に定型文の悲鳴を上げている。
「えへへ~」
子供は得意げに父親を見上げてくる。男もにっこりと笑って応える。
「捕まえたのか」
「うん! えっとね、畑でね、荒らしてたからね、取ったの!」
横に眼を移すと、なるほど、朝の収穫を免れた小ぶりの茄子が食い散らかされている。ついでにもう一匹の子ゆっくりらしきものも散らかっている。
お手柄だなと、男は子供の頭を撫でた。子供は嬉しそうに歯を見せて、子ゆっくりを再びいたぶりに掛かる。
「「「びぎゃああああああ!!」」」
無邪気な笑顔を向けられて、子ゆっくりは絶望の三重奏を弾き始めた。当然だろう、今までされたこと、そしてこれからされることを思えば。
これからのことは簡単に推測できる。傍に未来の姿があるからだ。
先ほど「子ゆっくり『らしき』」と表現したのは、それが原型を判断しにくいほどにバラバラだったからである。
かなり念入りにちぎったようだ。泥に混じったあんこにくっついているものが赤いリボンの破片であると、かろうじて推定できる程度に。
恐らくは少しずつ少しずつ、端っこからむしっていったのだろう。叫び声が高くなりつつ、そしてある時点から弱くなりつつあるのを聞きながら。
目の前の惨劇に、他の子ゆっくりは逃げだそうとしただろう。しかし、できなかった。恐らく底面部をえぐられているからだ。
現に今も身体をおこりのように震わせるばかりで、寸分も移動していない。そして、お漏らしと思わしき液体と共に、接地面から餡が少量流れている。
ゆっくりのいたぶり方を心得ている我が子に、男は一種誇らしげになる。足に当たる部分を焼いたり、指でえぐったりして逃げないようにしておけば、安心して虐待を楽しめる。
「えいっ、えいっ」
「ゆ、ぎゃ、やべぶっ、ぷぎゅっ!!」
今、子供は子ゆっくりにデコピンをしている。何度も、執拗に。
たかが指の一撃一撃に過ぎないが、生まれたばかりの薄い皮にとっては、ハンマーに殴られることに等しい。
内部に対するダメージも相当だろうが、身体のところどころが欠けている。衝撃に耐えきれず、削りとられてしまったのだろう。
「もうやべでぇえええええ!!」
「なんでぞんなごどずるのぉおおおお!!」
徐々に欠損し、死に近づいていく姉だか妹だかを見て、叫ぶ他の二匹。その姿もやはり虫食いだらけになっている。(漫画のチーズみたいだna)と男は思う。(あ、眼が飛んだ)
「れ、れいぶのおべべがああぁあああ!!」
「べいぶぅううううう!!!」
「やべでええええぇえ、ゆっぐりやべでぇええ!!」
ちっぽけな身体でよくもここまで、と思えるほどの声を上げて子ゆっくりは叫ぶ。空気の震えが男の脊髄にまで届き、快感を生んだ。
子供は片目を失ったゆっくりに対して、その手を止めない。得た快感をさらに得るためだ。たわめられた指は、もう片方の眼に標的を移す。
「っゆ、ゆっくりやめっ、ゆっくりやめてね!!」
目の前に指を接近させられて、ぶるぶる身体を震わせて懇願するが、かえって子供の嗜虐心を高めさせることに気づかない。
「ゆっくりやめっぎがぁああああぁああ!!!?!」
黒く輝いた豆粒のような眼は、黒々とした餡の穴に変わった。そのゆっくりに映る世界も、永遠に黒一色となることが決定した。
とはいえ、苦悶が長く続くことはないだろう。陽が落ちる前に、その命は落日する。ゆっくりと、徐々に削り殺されて。
子供が今度は言葉を奪おうと、口に向かって指を向けた時だった。
「ゆっぐがあああぁぁぁぁぁあぁぁぁ!!!」
ものすごい剣幕の声が少し離れたところから飛び出してきた。茄子の枝々が激しく揺れ、地面から土埃が起こる。その現象が子供の方へ怒濤の勢いで迫っていた。緑の葉の間から、紅白のリボンが覗く
成体サイズのゆっくりだった。
レイム種。ほぼ間違いなく子ゆっくり達の親だろう。
「ゆっぐりじねぇえぇええええっ!!」
眼を血走らせ、歯をむき出しにして子供に飛びかかった。子供はその鬼人の形相にすくんでしまい、動けない。親ゆっくりの歯が子供の顔をとらえる、
「ぐぶぎゃぁああああああぁあああああ!!!」
その前に男の足が間に合った。
間一髪、飛び込んだ男の蹴りが、親ゆっくりを吹っ飛ばし、その方向にある茄子の茎を複数なぎ倒した。
男はつかつかとそちらに歩いていく。
「ぐっ、がっ、ゆぎぎッ」
土にまみれた汚らしい饅頭は痛みで痙攣している。動くことはできないだろう。だが、殺意のこもる視線は男に向かっていた。怒りで真っ赤になった眼だった。
男も同じ眼をしていた。
後ろで親ゆっくりを呼び、案じる子ゆっくりの悲鳴が聞こえるが、委細構わず男はそれをつかみ、高く掲げる。
「ぅおらっ!」
そして地面に叩きつけた。
再び上がる絶叫。バックグラウンドで起こる子ゆっくりの三重奏も、一段大きくなる。
餡を口や鼻から漏らし、意識ももうろうとなって視線を向けることも叶わなくなったそれを男は拾い上げた。
「とうちゃん」
子供が涙ぐんで駆け寄ってきた。男は空いている方の手で頭を撫でてやる。
「ケガないか」
子供はコクコクと頷いた。段々と戻ってくる笑みを見て、男は安堵する。
亡き妻の忘れ形見である一人息子。万が一何かがあっては、あの世で顔向けできない。命に代えても守らなくてはいけないと考えていた。それを傷つけようとしたこのゆっくりは万死に値する。
次に男は、子ゆっくりの元へ歩む。腰を屈め、顔を近づける。 
二匹の子ゆっくりが漏らすような悲鳴を出し、震え上がる。盲目となった子ゆっくりは、姉妹の様子から恐怖が近づいたことを知って、それに倣う。
「お前らのもう一匹の親はどこだ?」
言葉を掛けたものの、細かい振動を見せるばかりで何も答えない。口を開けたまま、あるいは閉じたまま、ガタガタしている。
男は苛立ちのこもるため息をつき、手に持ったモノを見せて言う。
「殺すぞ」
あまりにも簡素な台詞であり、だからこそ真意を明確に示していた。
子ゆっくりは、自分たちの親の命がこの返答に掛かっていることを理解した。いやが応でも。それで、無理矢理に言葉を外に押し出した。
「い、いがひ、いないっ」
「おとうざん、もう゛っ」
「ずっと、まえにっ」
しばらく要領を得なかったが、やがて得たい回答は得ることができた。父親にあたる親ゆっくりは、既に何かしらあって死んでしまっているらしい。
(ということは、こいつらも片親か)
幼くして親と死別する悲しさを、自分の子供は味わった。そして喪失感はずっと付いて回ったろう。男手一つで必死で育ててきたが、それでも子供には少なくない負担を掛けたに違いない。
男は顔を子供へ向けた。「坊主」
「なぁに、とうちゃん」
「こいつら、ちゃんと殺しとけ」
三匹の子ゆっくりが沈黙と共に青ざめる。瞬間、ワッと広がるような絶叫を上げた。
「どぼぢでぇえぇええええ!!」
「だずげでよぉおおおお!!」
「いやだぁぁああああああぁ!!」
涙とよだれと餡をまき散らしながら無様にわめき散らす糞饅頭を一べつし、男はきびすを返して家に向かう。子供は父親の言葉に素直に頷き、嬉しそうに虐待、あるいは虐殺に掛かった。
――大事な息子を危険にさらしたクズどもに生きる資格はない。同じ境遇? ふざけるな、何も理解できねえくせに。お前らにできるのは、せいぜい息子の遊び道具になることだ。
ゆっくりがこの辺りの民家、畑を荒らしたという事例は今年に限ってほとんど聞いていない。親ゆっくりは手に持ったコレしかいないということだし、子供が襲われることはもうないだろう。
だから、こっちはこっちで安心して、たまった鬱憤を晴らさせてもらおう。
そうして、扉のノブに手を掛けたときだった。
「ひと思いに殺してやったらどうだ?」
唐突だった。反射的に振り返るも、誰の姿もない。
「誰だ」
返事はなかった。
「あァ、誰だよ? 俺がどうするか俺の勝手だろ」
やはり返事はなかった。
代わりに、たすげ、たずげで…と手の中の饅頭がうめき声を発し始めたので、口に拳を叩き込むと、ぐばひゃと声を出して、それ以降は意味ある言葉を発しなくなった。苦悶のうめきが相変わらずうざかったが。
「勝手か。確かにな」
再び声が掛けられる。若い男の声だった。いや、中年の女性の声にも聞こえる。相変わらず姿は見えない。
「しかし、どんな大義名分がある?」
「だから誰だよ! 饅頭相手にンなもんイラネーだろ!」
付近にそれといった障害物はない。家の周りにいるのかと裏に回ったが、やはり誰もいない。
「おい! どこだッ!」
返事は無かった。そして、それっきり、もう何もなかった。
父親の怒声に、しゃがんでいた子供が立ち上がって、丸くなった眼を向けている。それに対して引きつった笑顔で手を振ると、男は悶え苦しむ饅頭に拳を数発叩き込んでから、再び家の中に入った。
多分どこかの偽善者だろう。聞き覚えのない声だったから、よそ者がたまたま見かけて野次を飛ばしたとか、そんなのに違いない。所詮、隠れて陰からしか物も言えない小心者だ。放っておけばいい。
余計なストレスを投げつけられたが、さっさとまとめて発散してしまおう。
男は、テーブルに親ゆっくりを打ち遣ると、とりあえず釘と金槌を持ち出した。
数時間後。
部屋の中で満足の吐息が一つつかれた。
テーブルには、奇怪なオブジェ、あるいはただの生ゴミとも言えるものが存在していた。 放射状に伸ばされた皮が釘で打ち止められている。性器に当たる部分はえぐられ、代わりにくり抜かれた眼球が押し込められている。残された眼、その周りを囲むように、はずされたリボンが無理矢理皮に穴を開けて縫いつけられ、餡にまみれたぶざまな華を咲かせている。頭部には無造作に抜かれた髪の毛が、いびつに苗を植えた水田のように荒れ果てた様相を呈してる。そして、舌と口内には、色とりどりの待ち針が所狭しと生やされていた。
それでもしゃべることはできるし、片目自体も傷ついてはいない。自分の惨状を認識させ、様々な絶叫を上げさせるためには当然の処置だった。
砂糖水を掛けながら適度な再生を促し、死ぬか死なないかの間際を見極め、虐待の至福を長く味わう技術。どうやらなまってはいないようだった。……やや力を入れすぎてしまった感は否めないが。
ここしばらく人里に現れるゆっくりはいなかったので、知らず知らずのうちにフラストレーションがたまっていたのかもしれない。
飛び散った餡がテーブル一面に汚らしくこびりついている。これからこの上で夕食を取ることを考えると、もうそろそろケリをつけて綺麗にしておかないといけないだろう。
男は勿体をつけて金槌を振り上げた。瀕死の親ゆっくりにも見えるよう緩慢に。そして、とどめの一撃を振り下ろそうとした。
「失礼」
ぎょっとして、身体が硬直する。声の方向へ動く眼球が、さび付いた装置のようにきしみをあげる感触を生じさせた。
差し込む夕日で真っ赤になった窓辺。そこにぽっかりと黒い穴が空いていた。
丸いシルエット。……生き物? まさか。
「ゆっくり……?!」
「お察しの通り」
球体の身体。人語を発する人面。確かにゆっくりの特徴を備えている。
だがその姿は異様だった。
黒いと感じたのは夕日を背にしていたからではなかった。目が慣れてきてわかったが、身体そのものが墨汁をぶちまけたように真っ黒だった。
頭髪も同様に墨一色であり、ところどころからブラシ状の先端が突出していた。害虫であるイラムシの棘を連想させる。
そして片目だった。右目だけが開けられて、真っ直ぐこちらを見ている。左目側は長く伸ばされた髪が垂れており、恐らくは不自由なそれを隠しているのだろう。
見たことがないゆっくりだった。稀少種だろうか。いや、畸形?
「ずいぶん手間をかけたもんだ」
テーブルに眼をやり、何の感慨もなくその黒いゆっくりは言った。
「害獣を処分するならすぐ殺せばいい。人間への恐怖を刷り込ませるなら、生かして返すべきだ。そのどちらでもないのはなぜだ?」
「はっ、単なるストレス解消だよ。まさか饅頭風情が説教か?」
自称正義派のような物言いも神経を逆撫でたが、同族が死に瀕しているというのに平静な態度を取っていることが男の苛立ちをさらに増加させる。
「誰に言われようと事実は変わらないな。なるほど、自分の卑小さを紛らすために命を弄んでいるわけだ」
「お前は何なんだ? 不法侵入だろうが」
「一応大義名分はあるんだ、三つほど」
大義名分という言葉で、記憶がよみがえり、そして理解した。
「てめえだったのか」
家に入る際に掛けられた声。改めて思い返してみると確かに声色も同じものだ。
「人様にちょっかい掛けてただで済むと思ってんじゃねえよな」
金槌を握り直してすごむ。こいつは何か上から下にものを見ている気がする。ゆっくりのくせにだ。見ているだけで気分が悪い。
「一つ、無意味に虐待死された同族に対する復讐」
チラリと窓の外を見遣り、まるで動じないまま、黒ゆっくりは論弁を続ける。
「まあ、でもこれはどうでもいいんだ。こちらの群れのきまりでは、人間の領域に立ち入った者は何があっても関知しないことになってるのでね。要は付け合わせの理由さ。お前さんよりマシって程度の」
「お前、こいつらのリーダーか」
「とりあえずは」
「群れの仲間に冷たすぎるんじゃねえのか、ああ?」
 黒ゆっくりが無い肩をすくめたような挙動を取る。男の腹のむかつきがさらに募る。
「二つ、捕食」
「あぁそうかい、それで畑荒らしか、人のもん横取りして盗人猛々しいなぁ!」
「違う違う。ゆっくりが農作物だけを食べるものだと、単純な頭で理解されても困るな。基本ゆっくりは雑食なんだ。人間ほどじゃないがな。で、肉も食う」
肉? 家畜は飼っていない。まさか食料庫の干し肉でも漁ったか!?
疑問を察したように、黒ゆっくりは答えた。
「人肉のことだ」
一瞬理解が遅れた。あまりのことに、それまで自分に占めていた怒の感情が一切吹きさらわれた。感情の空白の後、笑いが込み上げてきた。
「お前が? 俺を食う? はっ、饅頭が? 人間様を? ハハハッハハハハッ!!」
「なかなか美味かったな」
「……ハ?」
美味かった、だと?
「何を言ってる?」
黒ゆっくりは答えず、窓の外に再び眼を遣った。
そうだ、こいつは虐待死の復讐と言った……俺はまだ殺していない。殺したのは……
「何を、食った」
夕日は落ち、外は暗くなり始めている。この時間になったら、家の中に戻るようにしつけてある。しかし、いない。
「まあ落ち着いてほしいな。お前さんも何か腹に入れたらいい」
「答えろッ!」
まさか、こいつは、まさか。
「牛乳などはどうだ? カルシウムも取れる」
「答えろぉおッ!!」
怒号が喉を張り裂かんばかりに発せられ、窓を響かせる。信じたくない、そんなはずがない、そんなはずがない!
黒ゆっくりは大仰に目を見開いて、何かに気づいた様子を演じる。
「ああ、そうか。怒るのも無理はないな。そう、まだお礼を言ってなかった」
黒いゆっくりは、ゆっくりと、黒く、言った。
「“ごちそうさま”」
視界が真っ赤に染まった。意味の為さない咆吼を吐き出し、男はゆっくりへ飛びかかった。
轟然と響き渡る破壊音。窓ガラスが割れ、窓枠は折れて、辺りに飛び散った。
そして、咀嚼音。飲み込んだその口から、言葉が発せられる。
「三つ、正当防衛。以上が、今回の殺人の大義名分だ」
男は見失った標的が後ろにいることを、ようやく悟った。首を押さえながら振り向く。手の下で、今黒ゆっくりが食べたものが欠損していた。頸動脈を含めた首の肉だった。
「ただのゆっくりでないことは理解できただろうに。どの程度の能力か確認もせずに向かってくるのは、何とも愚かだな。まあ、冷静さを失うように振る舞いはしたが」
湧き出す泉のように、男の手から赤い血潮が漏れていた。止めどなく抜けていく命の本流は、顔色を青ざめさせると共に意識を暗くさせていった。
「な、何なん、だよ、おまえ」
床に倒れ込む直前の、男の最期の言葉に、黒ゆっくりは、
「それは俺も知りたい」
素っ気なく答えた。
鉄さびの臭いが充満する暗闇の中、ただ片目だけが鬼火のように光り、浮かび上がっている。
「で、どうする?」
片目はテーブルに問いを投げる。
「…………」
返事はない。
ガラスが硬いものと軽く触れあう音。そして、水が飛び散る音が広がった。
「少しは回復したかな?」
「……ぉさ」
「もう少し砂糖水が必要か? うん、大丈夫そうだな。で、どうする?」
「……おさ……どうし…て」
「『長、どうして』? 何についての疑問だ? わからないな」
「……ど、うして、たすけ……」
「どうして助けてくれなかったの、か。今更その質問をするようでは、子供が死んでも仕方ないな」
軽く我が子の死を宣告されて、テーブルの上のものがビクリと震えたのが闇に伝わる。
「人間への警戒も群れのおきても十二分に通達したはずだが、お前はそれを子供に教えなかったんだろう。さて、先ほどの質問だが、『どうする?』。 生きたいか? 死にたいか?」
返事はまたもなかった。だが、沈黙こそが反応の気配を生じさせていた。黒ゆっくりは続ける。
「人間の領域に立ち入ったこと自体は罪に問われないし、子供が死んだのも子供の自己責任で片付けられるが……子供を無為に死なせたお前は、群れの中で冷たく見られても仕方ないわけだ。子供を失い、群れから阻害されて生きていく覚悟はあるか? しかもその傷だ、後遺症もありうるな。子供もできず、天涯孤独だ」
どうする? 沈黙が問いかける。
闇。
しばらくして、小さな声。かすれるような、引きつるような。その嗚咽は部屋の中から割れたガラスを通り、静かな夜風に消された。
黒ゆっくりは欠けた月の光を受けて、宙を飛び、屋根の上に乗った。そして、口をわずかに開ける。
遠くで犬の鳴き声が呼応した。しばらくして、呼びかけた本来のものが羽音を響かせて近づいてくる。
丸く、白い、淡い群青の毛髪を持った人面。
一羽、二羽、五羽、十羽と瞬く間に数を増やし、黒ゆっくりの前に集う。
二十数羽のレミリア種のゆっくりだった。人には聞こえない高音域の音波の合図を待って、近くに隠れていたのだ。
群れの長が指示を出す。
「畑と屋内にある『餌』を分割し、運搬しろ。分配は参謀パチュリーに従え。……それから、中にいるレイムには手を付けるな。そのまま死なせてやれ」
サッと夜の闇に散るレミリア種を片目に映し、黒ゆっくりは静かに言葉を置いた。
「なべて世は事も無し」

黒ゆっくり1



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2022年05月04日 22:48