人間と山のゆっくり
「コレが目を開いてから三日目の写真でな、
コレが初めて喋った時の写真、キーホルダーみたいだろ?」
「えぇ、そうですね」
「なぁA」
「んでこれが初めて牛乳パン食べた時の写真、
こっちの写真はれいむが初めて」
「A!」
「何?B」
「もういいだろ」
「何が?」
「その…それだよ
写真見せたりお前ん家のゆっくりの話するのだよ
ちょっと反応に困ってるだろ」
「何で?」
「……いやもういい」
「そんでコレがな…」
僕は今電車の中でA先輩の持ってきたアルバムを見ている(見せられている)
挟んである写真は先輩の飼っている4歳になるゆっくりれいむ。
先輩は地元の家の近くの叢でこのゆっくりれいむを拾って来てから4年間もの間
そのゆっくりれいむを愛し続け、写真ももうアルバム7つ分にもなっているという。
正直その写真を半強制的に見せ続けられるのは少し辛いが、
全く興味の無い事でもない。
これから行く場所には写真の中のものと同じ生き物が数多く生息しているというのだから。
今日も見れるかもしれないとB先輩も言っていた。
電車の向かう先は○○山のある○○駅。
15kg超えのザックを背負い、700gの新品の登山靴を履いた僕は
初めての登山に赴く○○高校登山部の高校一年生だ。
A男先輩は高校三年生の同部活の先輩だ。
今回の山行では
A男先輩がチーフリーダー(山行の企画をし、登山時は最後尾で班員を見守る)を務める。
登山歴は中学の頃かららしく、頼れる先輩だ(少し強引だが)
B太先輩はA男先輩と同じく二年生で
今回はサブリーダー(登山時に先頭に立ち、班員を導く役割)を務める。
どこかミステリアスな雰囲気(暗くてなんか怖い)を漂わせる先輩だが
普段から優しい人でAさんの親友だ。
あとは僕と同じ一年生が二人。太ってるC君と痩せてるD君。
この一年生親睦山行で仲良くなれると良いんだが。
目的地を告げる電車のアナウンスを聞き、僕達はザックを荷台から降ろしてホームへと降りた。
改札口を出て見えるのはカラフルなザックと登山者風の服装の中高年。
今回行く山はやはり登山者にとって人気の山という事なんだろう。
駅にある水道で2リットル程水筒に水を入れてから
バスに乗って山の麓まで行く。
そこからが脚を使う登山のスタート地点だ。
バスの中は人こそ少ないが大きなザックがスペースを取るのでやはり座席は埋まってしまう。
バスが赤信号で止まってる間、
ぼんやりとガラス窓から見える林を眺めていると
赤のリボンと黒いトンガリ帽子の球体が林の方に跳ねて行くのが見えた。
「先輩、今なんか…」
「あ、見てたか?アレがゆっくりだよ」
振り返って後ろの座席にいたA先輩に
ゆっくりらしきモノを見たと言おうとしたところ先輩も見ていたようで、
このあたりのゆっくりの説明を受ける事になった(少し後悔した)
山と人の住む場所の境にはゆっくりが良く現れるらしく
特にこの山では多いらしい。
最近は数が減ってきたのか見れる機会は少し減ってきているそうだ。
A先輩の話を聞きながら田んぼばかりの田舎道をバスが青信号を進んで行く。
「ゆっ?れいむ、にんげんがおりてきたんだぜ!
おいにんげんども!まりささまにごはんよこすんだぜ!」
「おにいさん!かわいいれいむにごはんちょうだいねぇ~ん?」
目的地のバス停で降りると見慣れない生物が出迎えてくれた。
先に降りた中高年夫婦の登山客にまとわりついている。
先輩二人には見慣れた光景のようで特に気にしている様子はない。
「先輩、アレ…」
「あー酷いだろ
アレがここら辺のゆっくりだよ
人の集まるバス停に溜まるんだ」
ゆっくり好きの筈であるA先輩に訊いたところ、
全く興味無さそうに答えてくれた。
「なにモタモタしてるんだぜぇ?はやくよこぶぇ!!」
「ばでぃざぁぁぁああぁあぁ!?」
その時前にいた中高年夫婦の旦那さんの方がトンガリ帽子を蹴ってどかした。
まさかあんな温和そうな人が…と僕はその光景に驚いたが、
B先輩が言うには
「さっきの駅前でもそうだが、バス停付近で人にタカろうとするゆっくりは
後片付けをするならお前等も殺してもいいぞ」
らしい。
この辺じゃゆっくりを殺す事自体は禁止されているそうだが
殺しても誰も咎めないし、誰もそれを守っていないそうだ。
中高年夫婦は後片付けまでする気がないのか
ある程度動けなくなるまで踏んだところで山道に入って行った。
B先輩が地図を広げて現在地を確認すると、
B先輩を先頭、一年生を挟み、A先輩を後尾にして5人は一列となって山道に入って行った。
肩に食い込む荷物と、登山靴がしっかりと土を踏み込んで行くのをその足に感じながら、
僕等は今日の目的地であるテント場へと歩いて行った。
「ゆっ?ゆっくりしていってね!
ここをとおりたければ『つうこうりょう』をはらってね!
あまあまでいいよ!」
「ここはれいむたちのゆっくりぷれいすだよ!
にんげんさんたちはあまあまをゆっくりちょうだいね!」
テント場に行くまでには歩いて数時間かかる。
その間一時間に一本取る十分間の休憩の中でガサガサとどこかからまたゆっくりが現れた。
紅いリボンのが二匹。
どこかさっきのバス停の奴等よりもマイルドな話し方だ(初めて『ゆっくり』というのを聞いた)
「先輩、コイツ等は…」
「あぁ、コレが山の入り口あたりのゆっくりだよ
人間にタカってくるのは変わりないけどさっきのよりはちょっとはマシだろ?
コイツ等オレ達のザックの中にメシが入ってる事知ってるんだよ」
B先輩に訊いてみたところ山の入り口のゆっくりは
ザックの中の僕等のオヤツやご飯が有る事を知っているらしい。
この時先輩から受けた注意によると、
主に登山初心者がやってしまうミスの一つに、
ゆっくりにカロリーメイト等のお菓子を与えてしまうのがあるそうだ。
与えられれたその味を一度知ってしまったら最後、
町に降りて来たり、人が来る入り口付近等でタカってくるのを止めないらしい。
そういえばこの休憩場所のちょっと向こうにある看板に
『ゆっくりに餌を与えないで下さい』と書いてある。
(この時休憩時間の10分を過ぎたらしく、A先輩が皆にザックを持つよう言いだした)
「山の中の如何なる物に対しても出来る限り人間の影響を残してかないのが
登山者のマナーだと俺は思うんだがね、
まぁコイツ等も所謂人間の被害者って事かな…」
「ゆっくりあまあまをちょぶぇ!!」
「どぼじでごんなごどずるのぉおぉぉぉ!?」
そう言いながらも笑顔でゆっくりを蹴りどかして行くB先輩。
『ちょっとは痛い目に遭った方が人の住む所に近づかなくなる』そうだ。
山に影響を与えず云々とは言っていたが、難しいところだ。
予定通り6時間程歩いた僕等は無事テント場に辿り着いた。
歩いてる間、ずっとA先輩と話していたC君とD君も
疲れているようだが問題は無さそうだ(僕は脚がガクガクだ)
テントを建てる前にA先輩達は顧問への電話、
B先輩はテント場管理人への連絡の為、僕等一年生はその場に残されてしまった。
僕は親睦の為の良い機会だと思ったので、テント場にある山小屋で
ココアを飲みながら一年生だけでトランプで遊びながら親睦を深めた。
二人とも面白い人みたいで仲良くやって行けそうだ。
夕方5時半にお米をコッヘルで炊いて、レトルトカレーと海鮮サラダを食べ終えた僕らは
テントの中で学校の話、倶楽部の話、一年生の話、さっき見たゆっくりの話等、色んな話をした。
その話の中でB先輩がゆっくりを飼っているA先輩以上に
『異様に』ゆっくりの体の構造や習性に詳しい事が分かり、
D君がちょっとした冗談を言った。
「もしかしてB先輩ゆっくり虐待とかしてるんじゃないですか?」
僕もどこかのニュースで『ゆっくりに対して拷問や暴力を働くのを
止められないと言う男』がモザイク付きでインタビューに答えているのを見た。
『ゆっくり虐待』って言うんだな。
そりゃ失礼だろ、とC君がフォローしようとしたその時
「はああぁぁああぁぁ!!?虐待とか無いし!!
俺ゆ虐とか全然興味ねーから!!赤ゆとか大好きだし!!超可愛いし!!」
「「「………………」」」
まるで何百回と口にしたような流暢な発音で出て来た『ゆ虐』とは恐らく
『ゆっくり虐待』を略したモノなのだろうか?
『赤ゆ』ってなんだろう?
踏み込んではいけない領域に踏み込みそうになったので
一年生が沈黙し出すとA先輩がポテチとジュースとUNOを出し始めたのた。
それを見た僕等はこの話をお流れにした。
「ゆっくりしていってね!」
「ン?」
カードを片手にポテチを食い終えようとしたその時
テントの外から例の声が聞こえた。
外を覗くとトイレに行っていたC君の近くにトンガリ帽子がいる。
「ゆっくりしていってね!ゆっくりしていってね!」
「何だ、コイツ?」
またゆっくりだ。
でもさっきの奴みたいに横柄な口を利く事も無く、
ただ『ゆっくりしていってね!』としか言わない。
その姿は見ようによっては少し愛らしくもある(僕はちょっとキモイ生物が好きだ)
「先輩…アレって…」
「あぁ、アレがテント場近くのゆっくりだよ
ラッキーだな、色んなゆっくりが見れて
奴等はもう寝てる時間だろうが人の声を聞きつけて来てたんだろ」
B先輩に訊いてみたところテント場には
食べカスを残して行ってしまう人がたまにいるらしく、
それを知っているゆっくり達は『人の近くはゆっくり出来る』と思ってしまい、
夕方の人のテント近くに集まって来る事があるらしい。
「C、ちょっとそのゆっくりまりさ小突いて追っ払ってやれ」
「えっ…」
「いいんだよ、そいつ等の為にもなる
それにこれからはお前等がやる事になるんだから」
A先輩が言うにはテント場に集まるゆっくり達も
心の何処かで『人がゆっくりさせてくれる』と思ってしまっており、
人がその状態のゆっくりと関わるのはゆっくりにとって良くない事らしい。
小突いて追っ払えば『人とはゆっくり出来ない』と思ってくれるそうだ。
これは人にとってもゆっくりにとっても良い事だ。
このゆっくりに安易に『人はゆっくり出来る』と思わせてしまうと
多くのゆっくり達が人の住む町に来しまうとA先輩が言っていた。
さっきの山の入り口にいたようなゆっくりに変わってしまうんだろうか?
「ホレ、アッチ行きな」
「ゆっ?やめてね!やめてね!ゆっくりできないよ!」
C君が登山靴から履き替えたサンダルの先っぽで
トンガリ帽子(ゆっくりまりさという名前らしい)を小突いて追い返した。
あれでゆっくりまりさは人に近づくのを止めるだろうか。
止めた方がいいのだろう。
あのバス停のゆっくり達や入り口近くのゆっくりの様になってしまうのなら。
それからまた暫く遊んでから僕等は夜の8時には寝袋を敷いて就寝する事になった。
朝の4時半に起床。
最低限の荷物を小さな鞄に持ち替えて、
僕らはテント場から山の頂上まで朝日を見に登って行く。
雲は無いしきっと綺麗な朝日を見れるだろう。
そうA先輩はアキレス腱を伸ばしながら僕らに言うと
デジカメをポケットから出してカメラのチェックを始めた。
山の朝はとても寒く、暗い道を頭につけたランプで照らしながら進んで行く。
隊列は昨日と同じ。
だが歩き始めてから一時間と40分程でその隊列は変わる事になった。
馴れない早朝の運動にヘバってしまったのか、休憩を申し出て来た。
「B先輩…ちょっと休憩貰っていいですか…」
「頑張れC、頂上もう見えてるからよ
オイA、ちょっとCに先頭行かせるか?」
A先輩が言うには先頭に立って自分のペースで歩かせた方が
疲労感が抑えられるらしい。
B先輩はCにポカリを飲ませるとCとの位置を交換した。
そしてCはゆっくりと自分のペースで山頂までの岩だらけの道を歩き出した。
「おぉーし!お疲れ!C、あそこの平らなトコまで行って休憩だ」
ようやく頂上まで辿り着いたC君は安堵の顔を見せながらも完全にヘバっており、
ホッとしながら死にそうな顔という器用な顔を見せている。
C君はA先輩に言われた通りに平らなところに向かって歩き始めた。
「ゆっくりしていってね!」
「ちょっと…通してって」
どこからかまたゆっくりれいむが現れた。
へとへとにヘバっていたC君は道を阻まれた事で少し苛立ったのだろうか
テント場のゆっくりにした様にゆっくりを小突いてどかそうとした。
その時
「待てC!!」
突然B先輩が叫んだ。
休憩場所で容赦なくゆっくりれいむを蹴りつけていた人とは思えないような発言だ。
だがB先輩が叫ぶまでもなく、C君は脚を止めていた。
「ゆっくりしていってね?」
「…あぁ、ゆっくりしていくよ」
C君はザックを背負ったままそのままそこにゆっくりと座り込むと、
丁度出て来た太陽光をその体に浴びて日光浴を始めた。
ゆっくりれいむはその一年生の膝まで跳ねて行くと
膝の上に乗ってその一年生と同じ様に目を閉じて日光浴を始めた。
B先輩が言う。
「今回はツイてるな、やっぱり」
「あのゆっくり、なんか…どっかおかしくないですか?
どこから出て来たんですかアレ」
班員の皆も気付いていると思うが、
山頂付近は石や岩ばかりで樹も草も無く、前方の視界を遮る物が無い。
あんな紅いリボンが灰色の道で動いていたら気付かないわけが無い。
あのゆっくりれいむは浮かんで来るように現れたのだ。
「あれが人の影響を全く受けてない山奥のゆっくりだよ
晴れの日の山頂にも稀に出てきてな、落ち着いてない生き物を落ち着かせるんだ
急に現れた様に見えたのは…まぁ『湧いて出て来た』っていい方は変だが
そんなところだ。まだよく分かってないらしい
滅多に見られるもんじゃないぞ」
Aさんが解説する。
よく見るとそのゆっくりれいむは丸い体を包み込む様に
僅かな光を纏っている様に見える。
ゆっくりれいむを膝に乗せたC君はまるで
晴れの日に縁側で昼寝をする猫のように目を細めていた(その顔はゆっくりみたいだった)
「二年ぐらい前はそれ程珍しくも無かったんだけどな
やっぱ山頂でもエサやる人間がたまにいるからどんどん山を下って行っちまうんだ
コイツ等は元々、人の食い物が欲しくて人に近づくってワケじゃないのにな…
そうなったらもうコイツ等は別物になっちまう
あの肉を持たない妖精のような存在から、昨日見た醜く口汚い生物になっちまうんだ」
B先輩が少し辛そうにそう言った。
「どうしてそうなっちゃうんでしょうね?」
C君を見ながらD君がA先輩に訊いた。
「人と同じなんじゃないかな?
自分にとってとてつもない快楽が手の届くところに有れば
どうしてもそれを得ようと必死になっちゃうモンだ
奇妙な事だが、人に干渉出来る様に肉体を持つのもそのせいかもしれない
きっとゆっくりも同じなんだろうな」
僕はこの日初めてこのゆっくりと出会い、
班員達はC君の膝の上でゆっくりしているゆっくりれいむの周りで休憩しながら
30分間の休憩の予定を倍の1時間にしてしまった。
僕はゆっくりさせてくれたゆっくりれいむに感謝すると共に
あぁ、山に来て良かったな。そう思った。
そして一時間後、十分ゆっくりしていった僕等は
ザックを背負って頂上から降りようとしていた。
「またいっしょにゆっくりしようね!」
「あぁ、またゆっくりしに来るよ」
それを聞いたゆっくりれいむは嬉しそうに目を細めると
風景に融ける様に消えて行った。
そして僕等はリラックスした気分でテント場まで下り、
テントを片付けて、バス停まで戻って行った。
その日のスケジュールはハードだった筈だが
何故かこの日は辛いなんて思わなかった。
きっとあのゆっくりの御陰なのだろう
バス停近くのアスファルトの道を登山靴で鳴らしながら
僕はまたあのゆっくりれいむに会いたい、そう思った。
「んほぉぉぉぉおぉおぉぉぉおぉ!!!」
「やべるんでぜぇごのぐぞれいばぁあでぃず!!」
「ゆ”っ!かわいそうなれいむにごはんをもってきてね!はやくしてね!
なにしてるの?れいむはにんっしんしてるんだよ?もたもたしないでね!」
「つんでれまでぃざがわいいぃぃいちゅばちゅばしであげるわぁああぁ!!!」
「ばぁ~きゃ!とっととあまあまよこちぇじじぃ!」
「「「………………」」」
バス停の前でまた出迎えてくれたゆっくり達を見て
A先輩は萎えきった顔になって降ろしたザックの上に座り込んだ。
バスが来るまでの二十分間コイツ等と待ち続けなければならない
A先輩はウンザリした顔つきで僕等に向かって言った。
「オイ、昨日も言ったがバス停付近に出てくるゆっくり殺しても
片付けるんなら誰も困んないから、そうしたければ殺ってもいいぞ
ゴミ袋もほら、ここに」
僕らを使わないで下さい。
急にそんな事言われても困る。
ウザくてもイキナリ殺すなんて事は
「ん?しょうがねぇな!美しい町づくりの為だからな!うん!」
B先輩だけはノリノリのようで
ぷくーっと膨らんで威嚇?するお腹の大きい不細工なゆっくりれいむの方に向かって行った。
「オイB、駅まで水道とか無いから産道に手突っ込んで
中身取り出したりすんなよ、いつもみたいに」
「はぁああぁぁあぁあ!?いつもそんな事してないし!!
子供引きずり出して親に見せつけるとかないし!!」
「「「…………………」」」
ー完ー
最終更新:2022年05月18日 22:58