【ふくろ】
ふくろのなかみ、というものは
中の様子を見ることは出来ても〝ソレ"そのものに触れることは出来ない
しかしまぁ、世にある万物に例外は無いのだけれど
どれだけ袋を大事にしても
中の〝モノ"が壊れたり
〝腐って"駄目になってしまったり
年月がたって〝古く"なってしまったり
そういうことは、無くならない。
仕方が無いのでふくろを開けて
中身を直して繕うのだけれど。
袋をふたたび閉じてしまえば
中の様子はわからない。
わからないけど、私は思う。
あんなきもちのわるい【モノ】にどとさわってやるものか。
* * *
「私は慄然たる思いで軒下から突如現れたその異形の物体を凝視した。
それは大小の薄汚れた饅頭を
人の首に見える様に細工したとしか言い様の無い姿をしており
狂気じみた表情の醜い貌をしていた。
這いずり回るような冒涜的な足音で私に近付くと、
何とも名状し難き声で私と私の知人におぞましきなにごとかを語るのであった。
また、それは時空を超越した底知れぬ漆黒の深淵に通じる餡状の器官を有しており
この世の物ならざる奇怪な歌を輪唱しては、人々を混迷に陥れるのであった。」
「どこかで聞いた言い回しだね、流行っているのかい?」
最近手に入れた海外の機関誌に、そうした言い回しが載っていたので
なんとなく当てはめてみたのだが、誰かに聞かれるとなんとも居心地の悪い感じだ
興味深そうに尋ねる友人に、ばつの悪い思いで「忘れろ」と口にして
私は〝ソレ"の内の小さい物を一つ、目線の高さに掴みあげた。
「ゆゆーん、おそらをとんでるみちゃい!!」
「…」
先程まで数匹の群れで人様の宅の庭先に上がりこみ
≪この世ならざる奇怪な歌≫を奏でていたこの物体
種族を【
ゆっくり】と言うらしい。
* * *
二年前程前の事になる
とある事情で実家を追い出された折
手切れに祖父の遺した屋敷をふんだくった。
特に故郷に未練も縁も無かった私は
逃げるようにこのあたりに転がり込んで
祖父の遺した蔵書に、溺れる様にのめり込んだ。
のめり込んで、食い扶持の尽きるまで溺れていた。
学問以外に興味を持てず、それだけをして生きてきた私は
遅すぎる節制に勤めながら、肝を擂られるような嫌な感覚を愉しみながら
いよいよ持って野垂れ死にと言う段になるまで
何も出来ず、米櫃が底をついた日から三日ばかりは
【いかにして苦しまずに野垂れ死ぬか】を命題に
真剣に頭を捻っていた。
それから二日後、喪服の地主が尋ねてきたときは
「さすがに気が早いでしょう」
と、わけのわからない事を口にして
地主を大いに困惑させる事になる。
なんやかやあって
文盲の子らに読み書きを教えていた住職が亡くなったらしく
祖父と親しかった地主の縁でその後釜に収まる事になり
私は運よく、というかしぶとく
なんとなく生をつないだ。
そんな生活が、一月ばかり続いた頃
何かと面倒を見てくれる地主の宅に呼ばれ
味もわからないような御大層な茶を振舞われ
聞かれたくも無いあれやこれやを言葉選んではぐらかし
縁談を勧められ
何たら家の誰某に近づくなだの
山向こうの大棚には異人が囲われているだのと言った
とりとめも無い話、その全てに下手な返事をしないように
細心の注意を払って適当にはぐらかすという
精神的重労働風味の拷問を味わい続けた。
ようやく開放されるころには
夜もとっぷりと更け、牛三つを過ぎるような時間になっていた。
御山に近いこの辺り、妖魔の類に出くわすことは珍しくない
牛三つを過ぎれば、人が食われるなどと言う事もあると言う。
心配だからと宿泊を進める地主に
明日の講義の準備があるからと適当こいて
行灯頼りの帰宅を選んだ。
正直、爺様の相手に辟易していただけである。
* * *
屋敷と寺を行き来する
食材を買いに行く
私が人里でしている事は、これだけだ
地主の家に来るまでも、五度に渡って道を尋ねている。
ありていに言って、道に迷ったのだ。
加えて視力の悪い私は、行灯の明かりがあっても
碌に先が見えない。
今も懐に眼鏡は備えているのだが
此方に来てから、急激に悪化したらしく
度が合わないので、遠くは見えても
腕の届く範囲より内側はぼやけてしまうので
今はかけても余り意味が無い
不案内な夜道に迷って流石に早まったか、と後悔する。
今から引き返せば、なんとか地主の家に位は戻れるかもしれない
断った手前気が重いが、季節は晩秋
備えも無しに野宿をして、翌日風邪でもひいては面倒だ。
渋々もと来た道を戻ろうとして、振り向いた私の
薄明るい靄のかかった視界に、何か動くものが写った。
西瓜程の大きさの何かが、鞠のように跳ねながら
跳ねるたびに、ゆっゆっゆと啼きながら
妖魔の類が出ると言う、地主の言葉を思い出し
私は全ての思考を投げ出して、というより頭の中が真っ白になって
無我夢中で必死に逃げた。
逃げて逃げて、これまで二十余年の人生で
一番必死に足を動かして
ついに限界を迎えて、私はすっ転んで
どこかの生垣か何かを突き破って
そこで動けなくなった
起き上がろうとしても膝が笑って、立ち上がれない。
慌てて眼鏡を取り出し、靄の薄れた視界で
行灯の照らす先に、限界まで眼を凝らす。
―――ゆっ―――
「う…」
逃げてきた、のに
「うぅ……」
私に
「うぅぅぅぅ……」
追ってくる
「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
跳ねてきて
遂に、その姿が行灯に照らされる。
それは
黒い髪をした
女の子の様な
生首で
「……ぐ」
胃の中には、朝餉と地主の家で出された茶菓子と茶しか入っていない
私はソレを、這いずりながらぶちまけた。
腰が抜けてしまっている
体は必死に逃げようとしている。
頭の中も真っ白になっている。
でも
何処か
頭の中の何処かが
一部だけ残った冷静な部分が
【あの娘】が追ってきたのかと
私の執刀でいのちをおとしたあのむすめが
くびだけでおってきたのかと
無様に這いつくばってにげる私に
「ゆっくりしていってね!!」
といったのだろう、そのときの私は聞き取れず
親に悪戯を見咎められた悪童の様に
身を竦め、恐る恐る背後の生首に振り返る。
「……ゥ、ァ」
引きつった喉を鳴らして
後ずさる事すらできずに
「 くれない さんは 」
「 り しね!!!」
「ぅ………あああああああああああああああああ…………!!!!!!」
無我夢中で
振り回した
腕だか
足だかが
やわらかい何かを
「ゆギュびっ!!」
叩き潰して
「あああああああああああああああああああああああ!!!!」
「ゆぎぃ!!ぐばぁ!!!!ぎぃ!!!!」
何度も何度も
「ううううううううううううううう」
「やべっ、どぼじで、あああああああああああああああああ」
「ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
思い切り
足を落として
ぐちゃり、と
中からぶちまけられる
真っ黒い脳漿の甘いニオイに
意識を手放した。
* * *
「ふぅ」
摘み上げた〝ソレ"を、親の元に返してやる
軒先で煙管呑みながら、愉快そうに様子をみていた悪友が
「おや、食べないのか?」と妄言を口にする。
食べる?
【ゆっくり】を?
半年ほど前に新調した眼鏡のレンズ越しに、
わらわらと大小並ぶ生首饅頭を見回す
一際醜い帽子つきが≪名状し難き声≫でもって
≪この世ならざる奇怪な歌≫を聞かせてやったのだから
何か食い物を寄越せ、とか祖父の(今は私の)屋敷を出て行けだの
理解しがたい事を口にしている。
大きな口から空気を吸って、パンパンに膨れ上がっている
此方を睨み付けて来る姿は
なるほど、醜悪と言うほか無く
長く見ていては、気の触れる事も有るかもしれない。
…冗談ではない。
「甘い物は苦手だ」
「そうかい」
クック、と喉の奥で笑いながら
「大の男が腰を抜かして気を喪う程だから、よっぽど筋金入りの好き嫌いなんだろうね」
と、猫の様な笑みを浮かべる。
「………」
ぐうの音もでないとは、こういう事だ。
二年前の私は知らなかった事だろうが、彼女と知り合って以来
私には馴染み深い事になっている、業腹だが。
「おっと、おこらせてしまった」
ころころと笑いながら、煙管をしまって庭に降りてくる
楚々とした挙措は、ソレだけを見るなら
これぞ良家の令嬢といった風情であり
本人とってまさしくその通りでありながら
私には到底、ソレが信じられない。
「名残惜しいが今日はお暇するよ、それおまえたち」
庭で膨れていた【ゆっくり】数匹に、色とりどりの金平糖を蒔きながら
浅ましくソレにたかる彼等に、鈴の様な声で語りかける
「この人にたかっても、あまいモノなど貰えはしないよ
それより私の屋敷の蔵に来なさい、金平糖がたんまりあるよ」
ほんとうか?と、声を上げる【ゆっくり】たちに
どきりとするようなきれいな笑顔で返す
「…たぶん、ね。」
大嘘つきめ
「………送ろう」
嘆息しながら、私は用意してあった行灯に火を点けた。
「いつもすまないねぇ、夜道で饅頭に襲われては〝事"だからね」
喉を鳴らして笑いながら、大小の饅頭を連れて歩き出す彼女に
内心苦いものを感じながら私は続いた。
* * *
眼を覚ますと、眼鏡で靄のかかった近い視界に
ぼんやりと女の顔が見えた。
もう怯える余力も残されていなかった私は
されるがまま膝枕で髪を梳かれていた。
女から香る椿の香りに、僅かながら落ち着きを取り戻した私は
最早命もあるまいと、最後の言葉を口にした。
「…すまなかった」
先生が留守で、他に外科手術の知識を持つものが自分だけだった事
即座に手術をしなければ、助からない傷だったこと。
肋骨が軒並み臓物に突き刺さっていたこと。
自分の腕を過信していたこと。
返事もせずに、髪を梳きながら
女は只々私の述懐を聞き続けた。
「本当に、すまなかった。」
それ以上口にする事の無くなった私は
ゆっくりと体を起して、地に額を付いて謝罪し
自分を好きにしていいと、殺されても文句を言わないと
自分の人生を締めくくった。
「……ふむ、それだけですか?」
「……それだけ、だ。」
「あんなふうに潰しておいて、よくもまぁ…」
「……っ」
そうだった、生首の姿で現れた彼女を
私は叩き潰してしまったのだった。
自分の行いの浅はかさに、今更ながら絶望しながら
言葉も無く、私は彼女が下す裁きを待った。
「とても興味深い話を聞かせてもらいましたが
それだけで屋敷の庭に入り込んで、あんなものを潰した事を許すのは…」
「……?」
あんなもの?
自分の化身をそんな風に言うだろうか
違和感を感じた私は、恐る恐る頭を上げる。
そこに血まみれの女、または生首がいればそのまま殺されればいい
私はそうされても文句の言えないことをしている。
姿勢を正し、恐々と目蓋を開いた先には
「……誰だ?」
「わたくしの台詞ですよ、お医者さま」
by古本屋
最終更新:2009年02月22日 00:20