金曜ワラッター!
1991年4月に始まった
RAB初の夜のワイド番組。
ディレクター兼メインパーソナリティー
橋本康成。
半年ほどたって
水戸華之介が関わってから、
番組は加速度的にリスナーを増やしていった。
「
今週のどんだんず」
を中心に、青森県内の中高生に絶大な支持を得ていた。
校内で石を投げればワラッターリスナーに当たると言われ、
放送部が昼の番組で真似た番組を沢山作っていた。
当時のリスナーの中には、楽しすぎてうっかり道を踏み外し、
夜な夜な「
きゅきゅきゅのきゅ!」と叫び
RABの
ラジオカーを追いかける者が後を絶たず、
当時の首相が、「きゅきゅきゅと言うのはやめて頂きたい」と発言し大きな社会問題に。
91年のスタート直前、
RAB初の夜のワイド番組、
そして
橋本氏の久々ラジオ復帰ということもあってか?、
新聞テレビ欄下に番組スタートの広告が掲載された。
第1回のゲストはプロレスラーの大仁田厚。
自身の団体の旗揚げ時のエピソードを熱く語る。
打ち上げ終了後は全員の「大仁田コール」で
送り出したという。
金曜の初代パーソナリティーといえば
水戸のイメージが強いがスタート当初は
ロックバンド THE MINKSのボーカル&
岡田ヨシアキが在籍。1年にわたってレギュラーを務める。
岡田から遅れること半年、
水戸/
パンチが加入。
そのほか当時のコーナーは…
●「出て来い!覆面レスラーナンバーワン」
(↑架空の覆面レスラーを考えるはがきネタコーナー。)
●「真夜中お茶の間探検隊」
(↑リスナーが時には家族を巻き込み、
電話で一芸を披露したりする参加型コーナー)
などがあった。
ちなみに初代の番組オープニングテーマは
アース・ウインド&ファイアーの
「フェイセス」。
- その後、番組オープニングテーマは
のちにレギュラーとなる八反田理子の
「尊敬されたい」になり、最終的には
東京ブラボーの「エレキでスイム」に定着し、
番組終了まで使用される。
ちなみに「冬のオールスター戦」や
「ゆく年くる年」など別企画の時は
流れない。 -- 必殺遊び人 (2014-07-16 16:53:10)
最終更新:2014年07月16日 16:53