テリニア王国は
ルシリア東北部に密集する各国の南部に位置し、軍事的脅威を西から常に受けている。
歴史はそれ程長くは無く、滅亡前のテリニア王
ファーネスは建国七代目であり、
それを引き継いだ長子
ドナパルトに至って八代目の王と成るが、
統一紀元前1385年夏にテリニア領の全ては
フェルミニア王国に吸収された形となる。
特出する産物が無い為、国庫に入る収益は他国よりも低く、傭兵を雇えない事から民に対し徴兵制を敷き、
他国かとの戦いに備えるが劣勢を強いられている。
税は他国よりも高く、徴兵として人生の中で二年間程は兵務に赴かねば成らないが、
それを除けばテリニア西部を除きほぼ安定した生活が保障されている。
医療に関しては他国の追従を許さず、各国からこの地へ医学を学びに来る者が多く、
また沢山の医者がこの地より各地へと旅立った。
「医はテリニアより始まりテリニアにて纏まる」との格言がある。
その大としては、麻酔薬の開発、外科縫合手術の確立、驚く事に乳癌の摘出手術までがこの時代に施行されていた。
通常、医療は
猫の職業範疇とされているが、この国に置いてはその範に倣わない。
国土は南方にある事もあり
キリシア王国よりも温暖で地味も肥沃であった。
仮に新たな土地の開拓さえ順調に行われていたら 他国よりも多くの生産力があると思われる。
しかし民兵として多くの人材が常に奪われていた為、その開拓の為の余力を滅亡するまで持て無かったのは惜しまれる。
森林、草原に囲まれ、人が生きる土地としては最良の土地であると言っても過言では無い、
また長い沿岸部も有する事から 今後の海洋開発においても有利であると考えられる。
ファーネス王の御世まで、それなりに安定した国家が形成されていたが、
それを引き継いだ最後の王
ドナパルド王によって、歴代の資産が全て失われたと伝えられている。
僅か一年程の間に大きな離宮を作り、今までを越える傭兵の雇用、
その際には傭兵の相場も知らずに大枚を叩いたとも伝えられている。
テリニア王国滅亡の要因は
フェルミニア王国が興ったからと言うよりは、自滅に近い物があると数多くの歴史書に記述されているが、
本来の要因は策士
トルシャと
ガルーシャが絡んで居る事を知る者は少ない。
国民性は温厚、慎まやかであり、全体的に纏まりがあるのは、一時を民兵として活動した共通の経験があるだろう。
各地から人が集められた初期の頃に 潤滑なコミニュケーションが取れた事から国内の纏まりは強く、
仲間意識も他国では見られないほどに固い。
しかし、自給率120%の高さを持ちながらも、飢える者も多く国政に反発を感じる者も多い。
識字率は65%以上と言われ、各家庭での教育熱は高く、
学識豊かであれば医者の弟子になり貧しい農村から脱出を志すと言うような気風もある。
そういった自由気風が有るとは言え 学閥にも
目の戒律は残念な事に付き纏い、
依ってそれに相応しいとされる猫は優遇され、次に知的水準が高いと考えられる
兎までは好意的だが、
それ以外の目に対しては扱いが同等とは言えない。
特産は芋系等の根物と言われる物が多く、また綿を多く産出し綿織物も大きな収入源と成って居る。
後に分かる事だが、良質のガラス、数多くの金鉱や銀鉱が眠って居たにも関わらず
テリニア時代にこれを見付ける事は出来なかった。
最後まで西の脅威に脅かされており、
衞りとしては 北に
キリシア王国との街道を封鎖していたが、この時代大軍を送りつける船が存在していなかった不利を突かれた感が強い。
当時の
キリシア王国は内紛が終焉したとは言え 外に対する野心は薄いと考えられ また
サガト王国とは縁続きである事もから
この二国に対する脅威説は無い状態であったと考えられる。
西の
トトル商国と
アシトス王国は常に脅威の対象で、毎年順番に波状攻撃が繰り返し行われ続けられていた。
最終更新:2012年10月22日 08:23