鵜飼

の項目も参照。

  • 鵜には大きく分けて「川鵜」と「海鵜」がいるが、川鵜は「渡り」をしないため体力が弱いといわれ、
 鵜飼では用いられないという。

  • 長良川で行われる、長良・小瀬の二か所の鵜飼のみ「宮内庁式部職鵜匠」であり、
  観光用の「見せ鵜飼」の他に、皇居に献上するための「御料鵜飼」を行っている。
  御料鵜飼は小瀬、長良ともに8回行われ、捕れたアユを翌朝までに皇居まで届ける。

  長良川鵜飼と天皇の関係は古くはなく、明治維新の折に有栖川家を介して成立したもの。
  とはいえ、禁漁地を設定し、その御料を天皇に献上するという制度が現在でも生きている唯一の例ではある。


  • 長良川、木曽川などの鵜飼には、「餌飼」と呼ばれる習俗がかつてあったことが知られている。
 アユが川を去った後の冬の時期、鵜の餌を得るために旅に出る事で、
 近くの小河川(川餌飼)、荷車を用いての陸路(陸餌飼)、
 さらに舟上で止まりながら移動する泊餌飼があった。
 ただし、冷凍魚の普及により、現在は行われていないとか。



  • 鵜飼の際、鵜の餌としてカメの肉を用いていた事が古来広く知られていた。
   『平家物語』巻六「祇園女御」の段に、
「桂の鵜飼が鵜の餌にせんとて、亀をとつてころさんとしけるを……」の一節がある。
   また『梁塵秘抄』に
「鵜飼はいとほしや 万劫年経る亀殺し
 また鵜の首を結ひ 現世はかくてもありぬべし
 後生わが身をいかにせん」
 がある。
(zsphereコメント:『梁塵秘抄』にはもう一つ鵜飼を歌ったものがあるが、そちらも似たような内容。
           どうも白拍子たちに鵜飼は非常に評判が悪かった様子……w)



      参考文献
『新編日本古典文学全集 神楽歌・催馬楽・梁塵秘抄・閑吟集』
『長良川鵜飼習俗調査報告書』岐阜市教育委員会


最終更新:2015年07月03日 16:33