- ヘロドトス『歴史』巻五によれば、一説にもともとオリーブの樹はギリシアのアテネにしか自生していなかったという。
エピダウロスの人たちが豊饒祈願のために女神の像をオリーブの木で作るよう神託を受けた際、
アテネに毎年犠牲を供えるという条件でこの木を得ている。
アテナがオリーブを植えた事でこの地の所有者の権限を認められたという樹で、アテネのアクロポリス上に生えていたという。
- プリニウス『博物誌』第十二巻によれば、プリニウスの時代になっても人々はオリーブの木をミネルヴァに捧げていたという。
- 古代ギリシャでは、オリンピアの競技の優勝者にオリーブの花環を与えていた。
またプリニウス『博物誌』第十五巻によれば、7月15日に行われる
ローマ騎兵中隊の閲兵の際にも
これを飾るのにオリーブの花環が用いられたという。
- 一方、キリスト教世界では、「創世記」でハトの持ち帰ったオリーヴの葉が洪水の終わりを知らせたことから、
オリーブは神と人の和解の象徴であり、転じて中世ヨーロッパにおいては朗報を伝える使いが持つ植物だった。
イスラエルの東側にある
オリーブ山で世界の終末について弟子たちに語っている。
また
最後の晩餐の後、
イスカリオテのユダの密告によってつかまる直前にいた
ゲッセマネは
オリーブ山周辺にあると考えられており、その由来は「オリーブから油をしぼる圧搾器」という意味
参考文献
『歴史(中)』ヘロドトス
『プリニウスの博物誌 Ⅲ』
『神曲 煉獄篇』
『聖書 スタディ版』
最終更新:2016年12月21日 03:00