アテネ

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   同時代の古代ギリシャポリスの中で三番目の広さだった。

  • 都市中央にある広場(アゴラ)の周辺にはアテネの官公庁にあたる施設が集中していた。
   今日の国会議事堂にあたるブーレウテリオンが建ち、その隣には諸神の母レア(ギリシャ神話)の聖所があった。
   このレアの聖所はメトロオンと呼ばれ、同時にポリスの公文書館でもあり、法律、民会での決議、
   法廷での判決、会計文書などを保存していたという。

  • 前七世紀、アクロポリスの西側、アレスの丘では、アレオパゴス評議会と呼ばれる会議が招集された。
   これはアテネの貴族層が集う政治決定の会議で、広義のアルコン職経験者である事が参加条件であり、
   アルコンが任期制だったのに比べてこの会議の成員は終身でその任に就いた。
   アルコンの選任、国政の監督、裁判権も有しており、アテネの国政に大きな影響を与えたと云々。

  • アポロドーロス『ギリシア神話』によれば、神々がおのおの自己の崇拝をうけるべき都市を獲得するにあたり、
   ポセイドンがまずアッティカに来て三叉の戟をアクロポリスの中央に立てたが、
   その後にアテナがやって来てオリーブの木を植えた。
   ポセイドンとの間に係争が起こったが、審判役となった十二神はアテナがオリーブを植えたとする証言から
   この地をアテナのものとし、アテナは自身の名を取ってこの街をアテネとしたという。
   ポセイドンは大いに怒って、アッティカの地を水浸しにして海中に沈めたとか。

  • またその際、ポセイドンは怒って、この町には愚行が常につきまとうであろうと呪いの言葉を放ったが、
   アテナはこれに対して、その愚行も必ず最後には幸いな結果になるよう計らう、とされていると云々。
   アリストパネス『雲』に、「この市(まち)には愚行がつきものだが、
   神々がみなさまがたの過ちをなにごとにあれ匡(ただ)してくれて成功に導くということだ」とある。

  • パウサニアス『ギリシア案内記』によれば、
   アクロポリスの東側にあるゼウス・オリュンピオスの聖所(オリュンピエイオン)近くに
   1ペキュス(約45cm)ほどの地の割れ目があるといい、ここは伝承によると、
   デウカリオンの時に起こった洪水の水が、この割れ目から引いていったのだ、とされる場所だという。
   アテネの人々は毎年春のアンテステリア祭の際に、この割れ目に小麦の粉をハチミツで捏ねあげたものを
   投げ入れるのだとか。

  • また、ソクラテスが生涯をすごした町としても知られる。

  • ヘロドトス『歴史』巻五によれば、オリーブの樹は元々アテネにしか自生していなかったという説があるとのこと。
   エピダウロスの人々が豊饒祈願のために女神像をオリーブの木で作るように神託を受けた際、
   アテネに毎年犠牲を供える条件でアテネからこの木材を得ている。



      参考文献
『図説ギリシア』周藤芳幸
『ギリシア神話』アポロドーロス
『歴史(中)』ヘロドトス
『雲』アリストパネス
『ギリシア案内記(上)』パウサニアス
『古代ギリシア 11の都市が語る歴史』ポール・カートリッジ


最終更新:2015年10月12日 17:46