大司農は、
朝廷の
職官である。
九卿の一つに数えられ、現代の大臣に相当する。郡国が徴税した諸々の銭、穀物、金属、帛(きぬ)、貨幣などの財貨を収納し、また、前漢では全国の流通を監督し、物価の制御を行った。
目次
歴史
治粟内史は故の秦官。漢はこれを継ぐ。
景帝後元年、更名して大農令とする。
武帝太初元年、更名して大司農とする。
王莽新、改めて曰く義和、後に更めて納言と為す。
中興し、大司農をまた置く。
位
職掌
(前漢)
穀・貨を掌る。
(後漢)
もろもろの錢・穀・金・帛、諸貨幣を掌る。
郡国、四時上月旦(一、四、七、十月の旦日?)、銭穀簿を見る。その
逋れて未だ
畢らずば,おのおのこれを別に具える。辺郡諸官の調度(必要備品)を請う者に、皆報給を為し、損多く益寡ければ取りて相給足す。
建初七年七月、
丞一人を置き、別に
帑蔵を主る。
属吏
(前漢)
司農丞
二人、秩千石。
(後漢)
一人、比千石。
司農部丞
(後漢)
一人、秩六百石。別説に千石とも。
帑蔵を主る。
員吏
(後漢)
百六十四人。
その十八人が
四科、九人が
斗食、十六人が二百石、
文学が二十人で百石、二十五人が佐、七十五人が学事、一人が
官医。
属官
(前漢)
一人。
有り。
(後漢)
一人、六百石。
郡国の伝漕の穀を受けることを主る。
一人
九十九人。
官に於いて諸々の輸に有るところに当たる。
謂うには、もろもろの官に於いて輸に有る所に当たる者、皆令してその地土の饒する所を輸し、平はその在る所の時に賈い、官更めて佗びしき処にこれを賈(売)る。輸者は便で、而して官は利を有す。
中興して省く。
有り。
(前漢)
一人。
有り。
(後漢)
物賈を知ることを掌る,練染を主し,采色を作る。
一人、六百石。
一人。
百九十人。
一人、六百石。
一人。
百一十二人。
中興後は省く。
中興後は省く。
有り。
一人、六百石。
一人、三百石。
四十人。
みな、
河南尹属県の給吏者。
その十一人は
斗食、十七人は佐、七人は学事、五人が守学事。
均輸の事を主る。所謂、塩鉄を
斡らし、而して酒酤(酒の売買)を
榷らにするなり。
斡,主也,
初め
少府に属し,中ば
主爵に属し,後に大司農に属す。
中興後は省く。
一人。
一人。
中興後は省く。
一人。
他
武帝の軍官、不常置。
搜,索なり。
中興後は記録無し。
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関連項目・人物
詳説
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最終更新:2015年01月09日 00:47