久我具房

久我具房


  • 暦仁元(1238)~正応二(1289)年12月15日
 父は権大納言久我通忠、母は久我家の女房。系図類では通基の弟となっているが、実は二歳年長の兄。初名雅良、ついで雅緒。愛宕と称した。近衛少将・中将を経て文永五(1268)年に三十一歳で参議に任じ公卿に列する。一方通基は十三年も前に、十六歳で公卿になっていた。通基の母は北条義時の孫にあたると思われるので、父の通忠は鎌倉幕府の威を重んじ、弟通基を家嫡に立てたのではないか。文永十一(1274)年、具房は左大弁を兼ねた。清華家出身の人としては極めて珍しい例で、実務能力を亀山上皇に認められたのだろう。建治元(1275)年に権中納言、弘安九(1286)年に権大納言。弘安年間には伝奏を務めているようで、とくに東寺関係の訴訟を管掌している。伏見天皇が即位すると、正応元(1288)年に権大納言を辞任。同日、通基は大納言から内大臣へ進み、氏長者にもなっている。ただし具房の才覚は後深草上皇も重んじたらしく、評定衆に名を連ねている。

(本郷和人)
最終更新:2009年05月27日 11:42