葉室頼藤

葉室頼藤


  • 宝治二(1254)~建武三(1336)年5月14日
 父は葉室頼親、母は江口の遊君。蔵人・弁官を歴任し、この間伏見天皇の母の玄輝門院の院司にもなって、永仁二(1294)年に参議。父とともに伏見上皇の院司となり、正安二(1300)年には権中納言。またこの年、伝奏を務めている明証がある。前年に伝奏であった父が出家しているので、父から同職を譲られたのだろうか。翌年に皇統が大覚寺統に移ると、権中納言を辞任。しかし後宇多上皇は頼藤をひきつづき伝奏に補任した。徳治元(1306)年、亀山上皇妃昭訓門院の使者として関東へ下向。大覚寺統は後宇多上皇─後二条天皇方と亀山上皇─恒明親王方とに分裂していたが、頼藤は後者の中心人物だったらしい。翌々年、後二条天皇の急逝によって伏見院政が再開されると、頼藤はやはり重用されて伝奏とたる。つづく後伏見院政でも伝奏となり、正和五(1316)年には権大納言に昇った。文保二(1318)年に後宇多院政が再開されると、故亀山上皇に親近していた頼藤は出家する。しかし子息長隆が伝奏として召出されている。

(本郷和人)
最終更新:2009年05月27日 12:08