中御門為行

中御門為行


  • 建治二(1276)~正慶元(1332)年9月10日
 中御門為方の子。正応四(1291)年五位の蔵人を経ずに、わずか十六歳で右少弁となる。同年、叔父の経守も弁官に進んでおり、ともに中御門経任の権勢によるものだろう。累進して正安二(1300)年に従三位に叙されるが、このときはすでに経任が没していたせいか、参議任官は見送られた。嘉元元(1303)年に参議。徳治元(1306)年、病没する父為方から後宇多院執権職を譲られる。しかし為行が大覚寺統のために精励した形跡はない。むしろ彼はかつて伏見上皇の院司であったし、延慶元(1308)年に再び伏見院政が始まると、父の喪に服して辞していた参議に還任し、上皇の伝奏にもなっている。ただ二年後に権中納言になりながら、三十五歳の若さでその年のうちに辞任しているように、持明院統を支える能吏であった、ともいい難い。祖父の威光で地位を保っていた平凡な人物だったのだろう。これ以後、中御門家は衰退の一途を辿るのである。

(本郷和人)
最終更新:2009年05月27日 11:47