レディス

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レディス - (2009/11/02 (月) 03:40:20) のソース

&ref(http://yuzuriha.cool.ne.jp/6-war/char/elegy/redelisu01.JPG,left)

&bold(){基本情報}
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-名前 レディス・フローランス
-生没 [[ラドリザン]] (1233~1313)
-出身 [[ガルデス]]共和国
-[[種族]] [[人間]]
-性別 女

&bold(){略歴}
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評議会委員の父を持ち、彼女も18歳のときに立候補、そのカリスマと父から受け継いだ政治手腕を持って委員になる、[[ラヴェリア]]はその能力を高く買って「税金の再構築案(後にレディス法と呼ばれる事になる)」の原案を託し、共和国の財政立て直しを一任した。

ラヴェリアが[[ノスティーライナの戦い]]に赴くとき、彼女に共和国の未来を託した。
その彼が[[ラヴェリア事件]]で落命すると、誰もが沈み行く舟の操舵者になることを避けた為、レディスが後任を務めることとなる。
[[帝国内乱戦争]]の勃発により、[[ラグライナ]]帝国との戦いは一旦終わりを遂げるが、代わりに[[国境断絶事件]]により、[[クレアムーン]]との戦いが激化する。
1258年、[[ガイ・アヴェリの戦い]]において、秘密裏に動く必要があった為軍を独断で動かす。
この戦いでかろうじて[[クレアムーン]]軍を撃退するが、この独断行動を、後に[[ゴゥド]]は、レディスを引きずり落とす為の理由とする。
直後にゴゥドは、自分の派閥を使って議会上でレディスを追い落とし失脚させ、自身が後継に就く。
その間、レディスは行方不明となるが、ゴゥドの手から逃れる為一時身を潜めていたという説と、ゴゥド自身に拉致されていたという説が存在する。
1259年3周期、[[ゲイル]]たちの救出作戦によりようやく発見されるが、精神的な傷が大きく、しばらくは[[エヴェリーナ]]の私邸にて養生に務めた。
しかし、[[ゴゥド]]が急死するという事態となり、レディスは再び議長として返り咲く。あまりにも突然の出来事に、世間ではレディスによるゴゥド暗殺が囁かれるが、本人には身に覚えのないことであり、やがて噂も風化していった。

その後、[[ルディ]]の申し出により、[[キリグアイ]]で和平会談を成し遂げるべく出発するが、暗殺団に襲われこの和睦会談は頓挫、両国は[[キリグアイの戦い]]を迎えることとなる。
しかし、戦いに勝利しながらも、侵略ではなく和睦を主張するルディに心打たれ、レディスもルディとの再会談を希望し、1261年にルディと単独会談が行われ、その年のうちに、[[真田弥生]]も交えた[[バスティアの会談]]が実現される。

ルディが提唱する[[アレシア]]連邦にも個人的には賛同するが、ガルデス共和国は、長き帝国との戦いから、参加を躊躇した。その後、ルディ病没により帝国で旧帝国貴族の武力蜂起が起きる、レディスは「帝国に貸しを作れる」と説得し、ついに1268年、ガルデス共和国も連邦への参加を決意。レディスは連邦の二代目代表となる。
レディスはその後、ルディが連邦の母と呼ばれたのに対して、連邦安定の人と呼ばれ、1282年までアレシア連邦の安定期を築き上げた。

1313年に病没。ルディ、真田弥生は既に亡くなっていた為、最後の巨星が流れ落ちた年となった。

&bold(){逸話}
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-レディスの時代は、後世の様な憲法と議会が確立するより遥かに昔であり、共和国や議会制といっても、まだまだ帝国や王国と変わらず、権力者の「現場の判断」や「超法規的決断」がまかり通った時代であった。だが、無尽蔵に権力者が軍を自由に動かせる訳でもなく、レディスが[[ガイ・アヴェリの戦い]]で行った独断専行行為は、[[ゴゥド]]に糾弾の隙を与える結果となった。

&bold(){関連項目}
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-[[The End of ELEGY]]

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