アマネオ

教祖のカリスマ(1990年)

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amaneo

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 名呑町裏名呑1-11コーポ名呑101号室。

 その丸コタツの中には三毛猫がいた。ヒゲを揺らし丸くなり、腹がゆっくりと膨らみ――戻る。と、そこへ足が突っ込んできた。一部の隙もなく真っ黒で上品な靴下だった。猫は面倒そうに片目を開いたが、また寝息をたてはじめた。
「あの。お話を聞いてくれるというのは」

 足の持ち主、名呑中学の制服を着た少女は青ざめた顔で声をかける。マハカメリア宮は台所に向かいつつ、脂ぎった黒髪をゴムで後ろに束ねる。
「ああ、聞く聞く。でも君はアレだろう。家出少女ってやつ」

 少女は黙った。こたつの中の足をもぞもぞと擦り合わせる。
「ああ、いやいや。別にそんなのを咎めるつもりはないんだ。つまりはその、家出した人間がとりあえず心配することを解消しようかってこと」

 マハカメリア宮はボウルに小麦粉をぶちまけ、その四割ほどの塩水を入れて混ぜはじめた。
「何ですか、それって」
「うどん。お腹空いてるよね?」

 次第に固まってきた生地を、打ち粉したラップに包んだ。
「頂いていいんですか」
「もう作り始めてるし。ああ、暇だったらそこらあたりの本でも読めばいい」

 目をやった本棚には、少女がこれまで見たこともないようなものばかりだった。
「自殺サークル。完全自殺マニュアル。サルでもわかる遺書の書き方」

 かぼそい声で背表紙を読み上げていく。マハカメリア宮は困ったように笑った。
「そこらのはみんなが置いてったやつよ。あんまり、こう、悩みを聞く場所には向いてないよね」

 少女も少し笑った。ボサボサのマハカメリア宮とは対照的な、綺麗に切り揃えられた前髪と長い黒髪が揺れた。
「で。さあ聞こうじゃないか」

 マハカメリア宮は生地をふみふみ大袈裟に両腕を広げた。
「私、男の子が苦手なんですけど、女の子も苦手で」
「僕は?」

 一瞬、時間が止まったようだった。
「一人称は僕ですけど、あなたは女ですよね」

 赤いちゃんちゃんこを着て、小太りで胸があるようにも見える。肌は白くてヒゲはないが、背は高い。男性にしては高めの声だが、女性にしてはハスキー過ぎた。長髪と眼鏡がより性別をわからなくさせていた。
「マハカメリア宮は常に『どちらでもない』んだ。彼でもなく彼女でもない。傍観者であり代弁者だ。話を聞き、話すだけ」

 わかったようなわからないような答えだった。
「ええと、じゃあ」

 少女は深呼吸した。
「クラスにとある男子がいて、その人はすごくモテるんです。優しいし、大人だから」
「大人、ね」

 苦笑いしながら言う。少女は頷いた。続けて彼女が話そうとするのを止め、マハカメリア宮は朗々と語り出した。
「君は、別に好きでもなんでもないけどその男――多分悪くない男なのかな――に告白されて、それで他の女の子に嫉妬されてイジメで登校拒否で、家は体面に厳しくて理解してもらえず嫌でココに来た、とか?」

 女の子は目を丸くした。
「すごい! なんでわかるんですか!」
「なんでって――」

 パターン入ってるから、とマハカメリア宮は心中で呟いた。
「まあ、一応教祖やってんでね。スピリチュアルなものだと思って」

 マハカメリア宮は、さきほどまでの彼女の発言と合わせて考えたのだった。

 ――流行もあるけど、「長い黒髪の女の子」はたいてい頑固で真面目な性格だよ。変にやまとなでしこになろうと気取ってるような。精神的に早熟だから、小 中学男子のバカっぷりと無神経さに腹が立つことも多い。あとは何か性的ないやがらせでもされてると小中学生期だと完璧に男嫌いになる。まあそれもフィク ションに出る男は別だけど。妄想の男子が加速して一面的にしか捉えられなくなる。いろんな男がいるのを知らない耳年増。

 それに付け加えて靴下が上品、アイロンがけされた制服。態度が礼儀正しいのは体面にうるさい家庭で育ったから。家出するのはたいてい家が落ち着く場所じゃなくなってるからだ。

 というのは全部偏見に偏見を重ねただけだから、結果正解しても思考プロセスは最悪だから話さないでおくのが吉だよね。
「それで、どうすればいいんですか」

 女の子は自然と声が大きくなっている。マハカメリア宮はラップから生地を取り出すと、打ち粉したまな板に平たく延ばして細く切っていく。

 作業の片手間に答える。
「君は大人だから――まあ十四才くらいだろうけど――だいたい何をしたいかわかってるよね。ただ話して賛同をもらいたいだけで」

 できた麺を沸騰した湯に放り込み、タイマーのスイッチを入れた。
「え? わかんないですどうすればいいんですか」

 マハカメリア宮はずっこける。だからね、と彼女の目を見て話す。
「大事なのは、君が決めるってことなんだよ。彼が邪魔ならふればいい。女友達が面倒なら友達をやめればいい。学校や家が嫌ならどこぞへと逃げ出せばいい。人間は自由なのでございます」

 女の子は俯いてじっと考えている。マハカメリア宮は黙って鍋で踊る麺の様子を眺め、薬味を作る。やがてタイマーが鳴り、女の子の顔が上がった。
「決まったかな」

 どんぶりに熱い麺が盛られた。そこへかつおダシをぶっかけ、ネギとゴマとミョウガとショウガを刻んだものをふりかけ、最後に玉子を割り入れた。白身はすぐに半熟になる。
「おまたせ」

 どんぶりから湯気が立ち昇り、マハカメリア宮の眼鏡は半分曇っている。
「いただきまあす」
「そうでなくて。どうすんだい」

 かすれかけた猫マークのついた箸をしばらく動かして、言った。
「決めました。私、ここに住みます」

 マハカメリア宮はまたずっこけた。女の子は玉子の絡んだ麺を啜り、頬を膨らませてもっちゃもっちゃと食べる。
「こういう時はね、前向きに困難を乗り越えるような返事をするもんなんだよ。そんなモラトリアムみたいな」
「大事なのは私の意志でしょ。私、何でもしますから。この汚い部屋の掃除でもゴミ出しでもこの汚い部屋の掃除でも何でも」

 そんなにこの部屋は汚かったか。額を押さえてマハカメリア宮はため息を吐いた。
「あのね。君の何でもってどの程度の決意? 殴られたら急に去ったりケツ触られて警察に行ったりはするでしょ。ここにはいろんな人が来るんだから」

 女の子は首を傾げた。
「マハカメリア宮はそんなことしないし、させないでしょ」
「そんな曇りなき眼で僕を見るなッ!」

 困った様子で引き出しから紙を一枚取り出した。
「これ、入信届。よく読んでサインして。何をされても自己責任です、と。あと未成年者は親のハンコでも何でも使って同意証明。じゃないと未成年者略取で僕は逮捕だ」
「この釜揚げうどん、美味しいね」

 マハカメリア宮はやれやれ、と頭を振る。
「女子中学生? やばいよやばいよロリだよ」

 こうして、後の管理の鬼幹部となる蓮田ヒカリが入信したのだった。