• atwiki
  • アマネオ
  • 花奥恵のターニング・ポイント前夜(1993年夏)

アマネオ

花奥恵のターニング・ポイント前夜(1993年夏)

最終更新:

amaneo

- view
管理者のみ編集可

 花奥恵は所々ペンキのついたジーンズにTシャツというラフな姿で、名呑駅の混んだ待合席に座っていた。空腹を感じながらも、何もする気が起きない。アイスが溶けるようにだらりと席にもたれ、特に乗るわけでもない電車が行き来するのを眺める。
うごごごがるるるっ!
「猛獣か」
「ええっ、どこよどこ!」
獣の咆哮のような腹の虫に周囲の者が騒ぎ始めていたが、言い訳も立ち去る気力もなかった。高校が夏休みに入り、恵は住んでいた美術室を追い出された。しかしどうしても家には帰る気はしない。姿を消した父親、貧相な母親、彼女にいやみを言う花奥側の祖母。
自分が血の繋がっていることを思うと、胸クソが悪くなった。
チョッ。

 舌打ちをした瞬間、目の前を過ぎる黒髪ロングの女がソフトクリームを落とした。まだ溶けきっていない。上の方なら食べられるかもしれない。甘い、冷たいバニラ。
落とした女はコーンだけ拾いあげてゴミ箱に捨てた。正確な動きで、当然だがそこに迷いはない。
「もしかして、お腹空いてますか」
話しかけられた花奥はふてくされた様子で答える。
「なんかくれるの?」
「おいしい御飯処、知ってますよ」
花奥と同じ年齢に見える女は、薄桃色のワンピースをなびかせて歩き出した。


「――で、連れてきたのか」

 割烹着姿のマハカメリア宮は何か言いたげに恵を見た。蓮田ヒカリは手を合わせるとそうめんを一気に啜った。
「お昼時だったからさあ」

 丸いちゃぶ台を囲み、城戸とヒカリ、恵が座っていた。アマーニは下着姿のまま畳に寝ている。ドレッドヘアが散らかっている。

 台所のマハカメリア宮は新たに麺を鍋に放り込んだ。
「とりあえず花奥さん――だっけ。メシ食いなよ」

 恵は頷き、麺をすくって手元の透明な椀に盛った。特製だしに、ネギショウガゴマのり三ツ葉ミョウガシソ大根おろし玉子焼きを混ぜて食べる。
様々な薬味の絡んだ麺はグッグッと咀嚼すると歯を弾く。細く力強い麺だった。
うまさに感動していると肩を叩かれた。
「美味しいでしょ。それ作ったのがカメちゃん。教祖」

 美味しいでしょ。

 それ作ったのがカメちゃん。

 教祖。

 何度考えても最後の言葉だけ意味がわからない。マハカメリア宮の後ろ姿を見るが、丸っこい尻や割烹着は完全に食堂のおばちゃんだった。
「おい、ちゃんと説明しろよ。困ってんだろうが。そのワンピースがヒカリ。その割烹着がマハカメリア宮。その下着のがアマーニ。自分は城戸だ」

 横から城戸が口を出した。助け船を出してくれたものの、恵にはやはりこの真夏に室内で迷彩服を着ている彼もよくわからなかった。
マハカメリア宮が茹で上がった麺を持ってきた。
「実は宗教なんだよね、リリジョン101っていう」

 恵は名前だけは知っていた。数年前のヒトラシキ公害の反対運動で急に出てきた新興宗教だった。
「ああ」

 合点がいった。

 クラスメイトの噂話で、リリジョン101に入信した女が話していた。教祖は他人の心が読める。幹部は全員おかしな人々で、どこかのアパートでアットホームな共同生活を送っている。
「腹が膨れたら、ようやく次の話題だね。どうせ君も悩みがあるんだろう」

 マハカメリア宮は考える。食事における関係性について。例えば「ハイ、あーんして」と食べさせる場合。これは一見、食べている側が得しているようだが実は違う。心理的に食べさせている側が食べている側を制御している。

 マハカメリア宮が飯を振る舞う理由も同じ。制御して心を開かせるため。
「祖母が――」

 マハカメリア宮の視線が、話そうとした恵の意識を貫いた。途端に何も言えなくなる。
「僕が話そう。君は小学生の時に、父親に逃げられたのかな。それから母親と二人暮しで、貧乏だけどつつましくささやかに生きてきた。君は父親に戻ってきて もらいたかったから、唯一得意だった美術を頑張ったんだ。それで有名になれば、お父さんと暮らしていけるってね。でも現実は違った。売れ出した君に近寄っ てきたのは、知らない親戚たち――とりわけ父方の祖母だった。君は金を奪って母親を虐める祖母に嫌気がさして、学校で暮らすようになった。君の悩みって、 そういうことだよね?」

 花奥恵は部屋の出口を確認すると、立ち上がった。足が震え、よろけたところをマハカメリア宮が抑えた。しかし余計に震えがひどくなり、結局ふらふらと倒れてしまった。
「なんで雑誌のインタビューにも答えてないことを、あなたはわかるの」

 マハカメリア宮は口角をぐいっと上げて笑った。
「教祖だからね」
「じゃあ、私はどうすればいいかわかるの!」

 恵は両手を振り、強い口調で詰問する。
「そりゃあ祖母、花奥葉子さんを殺せばいいんじゃないかな」

 恵は台を叩いた。心の中を言い当てられた気がした。しかし。
「そんなことやっていいわけないし」
「うん、そりゃあダメだ。たとえ僕が法律より上位の存在だとしても、それはオススメしないね」

 マハカメリア宮はそうめんをぞるぞると啜った。
「血の繋がりってのは面倒だね。自分の好きや嫌いと関係なく関わってくるから」
「あなたも親なんかで苦労してるの?」

 身を乗り出して、恵は仲間を探す。自分をわかってくれるだれかを。
「いや、僕に親はいない。そういう設定だ」

 恵は怪訝な顔をした。聞いていた城戸とヒカリが顔を上げた。
「僕は誰でもない。誰からも生まれてないし、ただ流れていくだけなんだよ。だからたまには誰かに必要とされたいし、君の役に立ちたい」
「でも悩みは解決してないわよ」

 恵は口先をとがらせて、マハカメリア宮を軽く押した。
「じゃあ君の答えを代弁しよう。面倒な『血の繋がり』より、『見えない繋がり』を重視することだ。ここは楽しい何かに繋がってる。みんなと暮らせばいい。家に帰りたくないなら帰らなければいいんだ」
「――タダで飯が食べられるならたまにはここにいてもいいけど」
恵はマハカメリア宮から目を逸らして、そうめんを見た。

「そうかい。じゃあ入信決定ね。もういいか。さっきまでの君の情報を言い当てたのは、全部コールドリーディング。インチキだ。僕はなんとしても君をリリ ジョン101に引き込みたかった。美少女芸術家というキャッチーな人間が加わるのはイメージが良くなるしね。そのために君の周辺情報を信者たちに集めさ せ、あらかじめ覚えておいた。そうして駅で偶然を装って連れてくる。全ては仕組まれてたんだ」

 マハカメリア宮はけらけらと笑った。
「カメちゃんはおかしいんだもん。ズルして、ズルしてるって言っちゃうからね」

 ヒカリが口を出したが、城戸がそれを止めた。唇に指を当て、し、と言った。
「なんでコレをばらすのか。君は、もうおもしろおかしなリリジョン101に入りたくてたまらなくなっているからだ」

 恵は笑顔になった。あたたかな日差しが降り注ぐ丘に咲く向日葵のように。

 何一つ解決していないが、気分だけは明るくなった。
「じゃあ超能力はないの」
「やってほしいのかな」

 恵はこくりと頷いた。
「じゃあ調べてないことを当てよう。よく思い出して。君は先月、体調を崩しただろう」

 そういえば気分が悪くなった時があったような気がした。
「君は死ぬよ」

 真顔で言ってから、マハカメリア宮は笑った。
「女の子相手ならたいてい生理があるから体調は悪いって言えば当たるし、人間はいつか死ぬ」

 全員が頷いた。マハカメリア宮は心中で「この子は、やっぱり死にそうな気がするけど」と思っていたが黙っていた。

記事メニュー
ウィキ募集バナー