アマネオ

ゴートゥホーム!(1989年)

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amaneo

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 改札口を抜けたホームには、中央に「なのみ」と大きな字で書かれた立て札があった。傍には「←ひだりなのみ」「みぎなのみ→」とある。

 その年は向かいのホームが揺らいで見えるほどの猛暑だった。電車が行き来する度にドアから爽やかな冷気が出る。マハカメリア宮はベンチに座り、風を浴びて汗が冷えるのを感じた。薄手のYシャツにはオレンジ色のストライプが入っている。

 雑事で右名呑駅の先、大右名呑駅に行かなければならず、しかもそこは一日に十本もない私鉄に乗り換えなければならなかった。
適当に持ち出した文庫本を開くが、どうにもジャングルの戦争モノは読むそばから汗が落ちるほど暑苦しく臨場感が溢れすぎていた。
すぐに閉じる。
「面白いのか、それ」

 低く大きな声が横から丸太のように押し出された。マハカメリア宮は気圧される。迷彩服を着た男がいた。だらだらと汗をたらし、鍛えられた筋肉は今この場で最も暑苦しかった。三十歳前後に見える。
「面白いんでしょうね、多分。ただ暑苦しくて今は読めやしませんけど」

 マハカメリア宮は皮肉めいた調子で笑った。しかし男の顔は一切変わらなかった。思い詰めた表情で髪も髭も伸び放題、目の下には濃いクマがあった。マハカ メリア宮はあまり関わりたくないと思った。この暑さで汗をかいているくせに厚手の迷彩服は脱がず、一ミリも笑わないが隣の他人には話しかけるような人間。
「あのな、話をしていいか。自分は」

 ほら始まったよ。何でいつも僕なんだ。マハカメリア宮は心中で独り言をたれた。お決まりの「偏見」で先読みする。
「あなた、もしかしてアレでしょう。多分あなたはPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされて眠れず、二週間くらい前に自衛隊を抜け出てきたんだ。で も親とは家出同然に別れたままで家にも帰れない。だから家から最寄の、この駅に留まってる。そして誰でもいいから話を聞いて欲しくて僕に――よりにもよっ てこの僕に――話しかけた、とか?」

 男は顔を上げ、マハカメリア宮をまじまじと見つめた。
「なんでわかるんだ」

 なんで? パターン入ってるからだよ。自衛隊員くずれなんて何人相談に来たことか。
「一応、教祖なんで。スピリチュアル・スキル的なものだと思って下さい」

 マハカメリア宮のスピリチュアル・スキル「当たる偏見」の思考手順はこうだ。

 自衛隊にしか支給されない迷彩服を着て、かなり筋肉隆々だと十中八九は自衛隊。そうじゃなきゃ知るか。加えて鞄一つ持たずにいるのは着のみきのまま逃げ出したからだ。

 クマがあって時々震えがくるのは重度のPTSD症状の一つ。何かしらフラッシュバックでもして電車に飛び込まれたら厄介だよな。
それでも妙に落ち着いているのは、実家に近いこの駅に馴染みがあるからだ。だから逃げ出すのも難しい。かといってホームを出ないのも帰れないからだ。親 への反発で飛び出した奴は、自分自身の武器に頼らざるをえない。自衛隊に入ったくらいじゃ、こんな筋肉はできない。ということは彼の武器、彼のアイデン ティティはそこにあるんだろう。その辺りを褒めると、喜ぶかもね。

 逆に貧弱な自分は見せたくないから、相談はなかなかできない。じゃあ僕が先取りして言わなければ相談なんかしなかったのかもしれないよなー。
――というのは全部偏見に偏見を上塗りしただけだから、結果奇跡的に当たっても本人には言うべきじゃないよね。
「じゃあ、聞いてくれ。PTSDってのか知らんが、トラウマがあるんだ」

 マハカメリア宮は近寄って彼の目を覗きこむ。彼はのけぞり、押し退けた。
「何ですか」

 目の動きには、怯えと怒りがない混ぜにされた感情が出ていた。
「お前、女なのか」

 マハカメリア宮はキョトンとした表情で自分の姿を確認する。どちらともとれない。笑った。
「さて、どっちだと思います」

 近寄ると、お互いの汗の匂いがわかる。男は目を背けた。マハカメリア宮は、トラウマは女関係だと見当をつけた。さらに身を寄せていく。艶やかな長髪の先が彼の身体に触れた。

 パンッ!

 マハカメリア宮の耳の横数ミリ、そこの髪が吹っ飛んだ。硝煙の臭いが立ち込める。

 男は銃を撃っていた。昼下がりのホームで。
マハカメリア宮はぼんやりとした頭で「自衛隊から9mm拳銃を持って逃げ出した者がいる」というニュースを見たことを思い出した。
今、そこにある危機。人々がじろじろと自分たちを眺めた。マハカメリア宮はできるだけすまなそうな顔で謝った。
「あ、すいません。間違えて花火に火ィついちゃって。今晩やろうと思ってたんですけど、困っちゃいますよねアハハ」

 まだ見ている者もいたが、とりあえず人々は黙った。
「銃とかアホか!」

 マハカメリア宮は小声で怒鳴るという器用な技を見せた。
「悪い、実は」

 男は静かに話し始めた。
「ある野営訓練の時だったんだ。夜、自分はアサルトライフルを持って匍匐前進してた。目の前に黒くうごめくものがあったんだ。それは手の平サイズで、よく 見ると白いのも所々にあった。そこでその姿勢のまま見張りをすることになったんだが、それは臭いが酷いんだ。この世のモノとは思えないような。自分は頭を 近づけて見てみた。そこで上官が『よそ見するな!』って頭を踏んできた。自分はそれにダイレクトに突っ込んだ。何だったかっていうと、多分かなり前に食糧 班が落としていった肉だったんだ。それが腐って蝿やらウジやら!」

 彼はまた銃を構えた。マハカメリア宮は慌ててそれを取りあげた。
「まだ女が出てないけど」
「いや、自分のトラウマはそれ以来虫がダメになったってことだ」

 マハカメリア宮は当たらなかった偏見に笑いが込み上げてきた。
「じゃあ女は」
「苦手なだけだ」

 マハカメリア宮はいよいよ盛大に笑った。ホームの人々はいぶかしげに彼らを見ながら電車に乗っていった。

 アッハハハハハ、ハァ。
「苦手なくらいで撃つなバカ!」
「だから悪いって言っただろ。ああ、そうだ頼みがあるんだが」

 マハカメリア宮は何も聞かないうちに行こうと思ったが、気付けばもう乗る電車がなかった。
「教祖やってるんだろ。じゃあ泊まれるところくらいあるよな」
「リリジョン101の信者だけです」
男はマハカメリア宮の腕を掴んだ。ろくに考えもしていない。
「じゃあ入信する」

 彼は金はあるんだと言い、懐から二百万ほどの札束を取り出した。逃げる前におろしてきたらしい。
「名前は」

「城戸ユウキだ」

 マハカメリア宮は、さて今晩はいい肉で豚しゃぶでもやるかと考え始めた。

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