疾走スル狂喜 【壹】 ◆hqt46RawAo
■ 『出陣:漆黒の魔王』 ■
世界に夜が訪れる。
陽の光に代わって、天上に出現したのは無限の黒。
吸い込まれるような虚無の色。
無数に存在し煌いている恒星の光すら覆い尽くす。それはこの世で最上の闇だった。
戦場には死が訪れる。
天上に広る漆黒の下、天下最大の深淵が行進する。
魔王――
織田信長。
彼は膨大なる瘴気を従えて、目指す戦場へと歩き続けていた。
都市部、立ち並ぶ摩天楼に囲まれた、硬いコンクリートの道路を進み続ける魔王。
彼の周囲はとても静かで、聴こえるのは己の足が地を踏みしめる音のみ。
しかし他人にとっては、おそらくその一足一足が破滅へのカウントダウンになるだろう。
魔王の求める物は未だ見えないが、その歩みに焦りは無い。
あくまで冷静に一歩を踏みしめ、歩調を崩さずに静かな行進を続けている。
なぜなら彼は既に知っていたし、十分に確信していたのだから。
この道、進む先に、求める戦場が待っている。
先ほど出会った魔術師の言葉を信用している、と言うだけでなく。
乱世を生き抜く彼自身の勘が既に、戦の気配を感じ取っていた。
懐かしい合戦場。
多数の人間が入り乱れ、命を奪い合う最悪最低の魔窟。少なくとも彼にとってはそういうものだ。
己が在るべき、征すべきこの世の地獄。
それがこの先に続いており、この歩みは間違いなくそこに辿り着くと、確信している。
故に冷静。
とはいえ、抑えきれぬ激情も確かに在る。
血湧く、血湧く、昂ぶっている。新たな死地に全身が震える。
故に抜刀をもって開幕を告げよう。
数分と置かずに来たる地獄へと先駆けて、真剣の音を響かせよう。
魔王の手が武器を取り出す。
長刀を失った彼にとって、刃物として使える物としては最後の得物だ。
大型のチェーンソー。
彼としては質も形も不満だが、破壊力の面においてのみ申し分ない。
ならばまあ、それで良いと、起動させる。
けたたましいエンジン音と共に振動し、旋回する刃。
それと共に、突然周囲一帯のビルが発光した。
「んぬ?」
突然の光に、魔王は己の眼前に手をかざす。
今まで夜闇に沈んでいた高層ビル郡。
その一室一室に備え付けられていた明かりが、突如一斉に点灯したのだ。
もともと無人のビル街であり、参加者が明かりをつけたとも考えにくい。
つまりこのビル郡は元々、夜になれば電気が付くように仕掛けられていたのだろう。
景観は一転する。
その輝きはまさに地上の星々。
今この一帯を上空から見下ろせば、実に綺麗な夜景を眺める事が出来るだろう。
だが同時に、景観をぶち壊して余りある巨大な深淵も、夜景の中央に観測できる筈だ。
魔王を取り巻く瘴気の渦。地上の夜闇は飲まれていない。
天の黒が星の光を飲み込むように、地の黒がビル郡の光を喰らっている。
風景如きに魔王はまったく興味が無い様子だったが。
結果的にこの事象は、よりはっきりと彼に道を示す。
「ほお……」
魔王の前方、高層ビルが華やかに光り輝き、並び立っている光景。
その屋上や空中で、激しい火花が散っている。
次いで、漸く聴こえてきた戦いの音。
破壊、粉砕、爆砕、圧砕、撃砕。
「ふ……ははは……!」
嗚呼――ぬる過ぎると。
落胆に近いものを感じながらも、高鳴り続ける心臓の鼓動。
――では宣誓しよう。
「皆殺しだ」
■ 『第一の戦局:異変』 ■
その数十分前。
ちょうどエリア【D-5】の西端に当たる地点にて。
一つの戦局に終わりが近づいていた。
「まさか……これほどの……」
ヒイロ・ユイは未だ冷静な姿勢を貫きながらも、その心中は驚愕に晒されている。
瘴気を操る少女に向けて、命中の確信をもって打ち込んだGNツインバスターライフル。
だが閃光粒子が霧散した後、視界に飛び込んできたのは未だ立ち続ける少女の姿。
ガンダニウム合金すら貫くビーム射撃の直撃を受けたにも関わらず、当然のように敵の四肢は健在、致命傷を負った様子は無い。
少女の身を包む黒いロングドレスが所々破けている以外、効果は皆無である。
信じられない。
人の身でこの砲撃を、ビーム兵器を防ぎきったと言うのか。
「ゼクスッ……!」
少女を挟んで前方に居る男、この場で唯一の味方に声を掛ける。
「ヒイロ・ユイか!?」
伏せていたゼクスが起き上がり、ヒイロの姿を認識した。
その腕は重傷であったが不幸中の幸いか、体の方はまだ動く事が可能なようであった。
ヒイロの姿を見ただけで、ゼクスもまた大まかな状況を把握する。
二人は元の世界では敵同士でもあった間柄だが、お互いのことはよく知っている。
共に、やはりこの場では心強い味方であると、言葉を交わさなくとも確信できていた。
「ああ、状況は把握している。退くぞ」
しかし、続くヒイロの言葉はやはり切迫している。
敵はまだ生きている。
この展開において、ヒイロにとってはビームが外れたと解釈できたほうがまだ救いがあった。
外れていたならば『もう一度撃てば倒せる』と考えることが出来るからだ。
しかし確実に命中し、防がれた事が明らかである以上――
「状況は最悪に近い」
その言葉通り。
最早こちらに有効打は存在しない。現状の装備ではアレを倒し得ない。
その現実が在る以上、撤退以外の道は無いのだ。
ゼクスと共に橋まで駆け戻り、仲間と合流してこの戦場を離脱する。これ以外の選択肢などどこにも無い。
「今しかない、走れ!」
そして逃げるチャンスなど、このタイミングを置いて他にあるものか。
ヒイロはバスターライフルにチャージキットを装着し、ディパックに収納。
代わりにコルト・ガバメントを取り出す。
そして今、漸く立ち上がったゼクスから視線を切って、眼前の敵に注目した。
「それにしても、これはどういう事だ……?」
ヒイロは眉を潜める。
虎の子のビームライフルが防がれた現状、ヒイロ達は圧倒的に窮地に立たされている筈である。
今この瞬間に目の前の少女が彼らを殺しに掛かれば、おそらく勝負は見えている。
だが不可解なことに、目前の脅威たる少女は止まっていた。
両の腕をだらりと下げ、体を弛緩させ、視線は呆然とあらぬ方向に向けたまま突っ立っている。
言ってみれば隙だらけだった。
先ほどまで乱発的に繰り出していた瘴気は成りを潜めて、弱弱しく少女の周囲に漂うのみ。
支離滅裂な言葉を口走っていた唇は硬く結ばれている。
GNビームを防いだ一瞬の間に、少女の身に何かあったとでも言うのか。
まるで死んでいるかのように、生きているのが疑わしくなる程に、少女は完全に停止していた。
ただ立っている。倒れていない事だけが少女の生を示しているかのように。
そして何よりもヒイロにとって不可解に映ったのは――少女の眼、だ。
これまで狂気に染まっていた筈の両の目が、今は空洞のように見える。
魂が抜けたように何も映していない。
――否、映しているモノなら在る。
しかしそれはヒイロやゼクスでも、いやそもそも現実の光景でもなく。
ただ、悲しい、辛い、やりきれない、と。
まるで助けを求めるかのように、深い慟哭だけを映していた。
少女は先程までとは、まるで別人のように。
……いや最早、ヒイロとゼクスには別人にしか見えなかった。
先程までが『狂気』ならば、
今の状態を例えるならばそう、『絶望』を体現するかのようで。
この隙に銃撃を仕掛ければ殺せるかもしれない。
しかしヒイロ達は手を出す事が出来なかった。
下手に手を出して、また動き出されてはたまらない。この敵に『狂気』を取り戻させる訳にはいかない。
この場で最悪のパターンは眼前の少女が橋の戦いに干渉する展開だ。
だだでさえ劣勢を強いられているだろう仲間の状況に、この怪物を向かわせてしまえば全滅の二文字も浮かび上がってくる。
にも関わらずヒイロとゼクスの二人では少女を止める事など不可能。
故にゼクスも、この場はこの隙に退くことしかできないと心得ていた。
「ぐっ……っ!」
腕の痛みに耐えながら、ゼクスが動き出す。
傷ついた腕を庇いつつ地を蹴って。
警戒を崩す事無く少女の横を走りぬけ。
「―――――――――は」
すれ違うその瞬間、ゼクスは確かに見た。
少女の口元が、僅かに動いていることを。
彼女の瞳にほんの少しだけ、光が戻っていることを。
「―――――――し、は」
その光は先ほどまでの狂気ではなかった。
ただただ慟哭だけを滲ませた、純粋で、悲痛で、凄惨な――
「――――わ、た、し、は……」
化け物でも悪魔でもない、ただの哀れな少女の瞳だった。
そこはとても暗い場所だった。
私の心の奥の奥。
表層意識で誰かを責め続ける狂気と、深層意識で自己を責め続ける自責の念。
その狭間で、私の意志は漂い続けていた。
今、この身は三種の魂で形成されている。
全体の内、六割を悪意と狂気が包み込み、二割が契約悪魔に奪われて、そして残った僅か二割が私に残された意志だった。
今は、魂の半数以上を占める「悪意と狂気」が体の主導権を握っている。
人の心を読み取り、歪めて、破壊と死を振りまかんとする悪意に侵された私は――
『おい大丈夫なのか。何があったんだ』
心配して声を掛けてきた名前も知らない男の子に襲い掛かり、駆けつけてきた人たち諸共追い回す。
本気で、全力で、人を殺そうとしていた。
ひたすらに、狂気に溺れている私。
そんな醜く変わり果てた、汚れきった私を。
私の意志は、この場所でずっと眺め続けていた。
とめようという気力も、止めてくれと叫ぶ余力も私にはもう残っていない。
矮小な私はただ何かに打ちのめされていて。
諦観したように。
この世全ての悪意によって突き動かされる自分自身を、他人事のように見続ける。
けれども、そんなとき。
突然、閃光が視界を覆った。
目の前に現れた誰かが大きな銃を取り出して、私を狙い打ったのだ。
綺麗な、とても綺麗な燐光が、私を消しに向かってくる。
こんな光に包まれて死ぬのだろうかと、やはり他人事のように思考していた時。
視線の向こう、橋の上に立つ女の人を認識する。
彼女を見た瞬間、今までこれっぽっちも動かなかった私の意志に、明確に表現できない感情が浮かび上がってきて。
気が付けば、私は自分を取り戻していた。
「―――――――」
目前に広がる現実の景色。理解が追いつかない。
何故今になって、体の主導権が私に戻ったのか。
正気を取り戻す事が出来たのか。
私は正気であることなんて望まなかった。
何も考えたくなくて、こんなに辛いならいっそ狂気に飲まれてしまえと。
私が私であることを放棄したから、今の今まで『この世全ての悪意』に体を支配させていたと言うのに。
今更何をしろと言うのだろう。
こんな私に、誰一人■るとこも出来ない無力な福■美■■に。
疑問は体を支える力には成らなくて、そのまま崩れ落ちそうなる。
でも倒れない。
何故だろうか、気力の欠片も無い身でも、倒れる事だけはしなかった。
ああ、そうだ。
何か――何か在ったはずだ。
思考は依然、混沌に飲まれていて、自分の過去なんてまともに思い出せないけれど。
とても辛い事があって。
とてもとても大切な何かを失って、失って、失って、失って、失い尽くして。
絶望して。
それでも。
どうしても。
譲れないものが、確かに在った筈だ。
決して忘れまいとした思いが、残っていたはずだった。
だから私は、未だに倒れることを選択出来ないのだろう。
その何かを捜し求めるように左手を前へと伸ばして。
どくん、と。
悪魔の胎動を感じとった。
呆、と。左腕を見やる。
脈を打っていた。この場所に至ってから沈黙を守り続けていた左腕が、活力を取り戻している。
私の中の第三者。
心を歪めて悪意を振りまく存在とはまた別種の、そもそも私の意志を介さない別個の魂。
かつて神様なんて呼んだ事もあった悪魔の腕が、私に向かって声無き声で問いかける。
『思い出せ、お前の願いは何だった?』
と、私に自己の再認識を促してくる。
強制的では無かったけれど。
「―――――――――は」
私の望み。
それを知ることは、しばしば私自身の意志でもあったのだろう。
「―――――――し――は」
徐々に思い起こされる過去の情景。
「――――わ――――た―――し――は―――」
そうだ、私は。
「私は――――!」
意識に再び、再動した狂気の泥が侵食する。
狂気に代わって私を支配しようとする悪魔に対して、そうはさせるものかと、私の心を喰らいにかかる。
だけど――もう遅いと、悪魔が笑う。
私は思い出したから。
「片倉さんと――伊達さんと――唯ちゃんと――上埜さんと――華菜と――」
その先の言葉なんて無い。
私の願いは、もうとっくに、報われること無く。
「う……ぁ……」
終わっていたと。
「うああああぁぁぁぁあああぁぁぁあぁぁぁぁあぁッッッ!!!」
炸裂した慟哭は、高く高く夜空に響く。
左腕から爆発したような衝撃が、脳髄まで駆け上がり。
私の意識など全くの無抵抗に吹き飛んで。
夜に力を得て、契約を思い出させた悪魔は二番目の願いに従ってこの瞬間、私の体を支配した。
『悲しみや苦しみをもたらす存在の排除』
悪魔はその契約に従って。
視線の向こうで橋の上に立つ人物、片倉さんを殺した女の人に狙いを定め。
全身を駆け巡る狂気の泥すら燃料に変えて跳躍する。
悪魔が、叫ぶ。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――!!!!」
いつかどこかで聞いたことの在るような、破滅の咆哮を耳にして。
またしても私の意識が心の狭間に落ちていく。
私は落ちる。
深い、奈落の底へと――
■ 『第一の戦局:再起動』 ■
「くっ……!」
ヒイロが危惧していた事態はここに現実のものとなる。
夜に轟く、悲しみを振り絞る叫び声。爆発する瘴気。
少女の瞳に灯っていた小さな光が霧散する。
しかし今度こそ倒れるかに見えた少女の体は、躓いた様にバランスを崩しながらも立ちの体勢を維持し続けていた。
少女は前のめりになりながらも、きちんと両足で体を支えて。
そして、今まで俯いていた顔を上げた。
「まずいな……!」
既にヒイロの傍まで辿り着いていたゼクスがそんな声を上げた。
あまり効果を期待してはいないが、二人は銃口を少女に向ける。
少女の目には新たな光が宿っていた。
一番最初の、狂気に溺れたような瞳ではない。先ほどまでの、悲しみに打ちひしがれた瞳でもない。
ひたすらに無感動、無感情、機械的な瞳だ。
ランプのように爛々と輝いているにも関わらず感情の色が一切無い。
獰猛な、夜行性動物のような両眼。
二人の第一印象は先程の現象とほぼ同一のモノ。
目の前の少女が別人に変わったような――。
「いや、本当に人か……?」
ヒイロは感づいていた。
能力的な意味ではなく、存在の在り方として。
目の前の存在が既に人間とは別次元の存在へと切り替わっていることに。
先程までは、狂気に駆られた少女が身に余る力を持て余しながら行使していたに過ぎない。
正気を取り戻した少女が再び絶望に打ちのめされたに過ぎない。
しかし、今はもう違う。
少女の意志などそこには無い。
今、少女の肉体を支配しているのは少女自身の意志でもなければ狂気でもない。
一匹の悪魔だ。
悪魔――レイニーデヴィルは『場』が夜になったことで力を付け、ビームを防御した際に一瞬だけ陥ったアンリマユの魔力不足の隙をつき、
少女の意志を引きずり出してその契約を思い出させた。
これによって第二の願いが再起動。
悪魔は再びアンリ・マユを押さえ込み、少女の体をその支配下に置いていた。
「あまりに……違いすぎる……!」
「それは、どういう意味だ?」
ヒイロの呟きにゼクスが反応を示したが、ヒイロは黙して答えない。
ゆっくりとコルト・ガバメントの安全装置を外す。
何よりも最悪なのはこの瞬間、悪魔が見つめる先には『橋の戦闘』しか無いということだ。
二人のパイロットはいまや彼女の眼中には無い。それが果てしなく不味い。
「今は話している場合ではないだろう。奴はじきに仕掛けて――。
――来るぞ……ッ!」
その言葉通り、悪魔は動いた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――!!!!」
金切り声と共に掲げられる左腕。
少女の周囲を漂っていた瘴気の奔流がこの瞬間、全てそこへと集中する。
天に伸ばされた左腕を中心に漆黒が渦を成し、竜巻の如くに旋回を開始した。
それは戦術の変更を意味している。
先ほどのまでの、瘴気で構成した触手状の泥を飛ばす、といったモノでなく。
悪魔は今、この少女の肉体において、最大最適の戦闘技法を編み出している。
完成させるモノはただ一つの攻勢武装。
少女の身を包むロングドレスを構成する分を除いて、全ての汚泥が纏めて左腕に凝縮された。
完成と同時、地を蹴る悪魔。
少女の肉体を支配すると共に、アンリ・マユの魔力すら使役して。
飛び出すというよりは、発射されたと表現するべき勢いをもってヒイロとゼクスに迫り来る。
「「――――!!」」
ヒイロとゼクスは突っ込んでくる悪魔に向けて、迷う事無く己が持つ銃器の引き金を引いた。
引き続けた。
間断なく打ち込まれていく銃弾の嵐。
その只中を、かわすまでも無いと言うように、悪魔は走り続ける。
「やはり効果は薄いか……!」
ゼクスが苦々しい呟きを漏らす。
こちらが撃ち込む銃弾は全て悪魔の体を捕らえている。
にも拘らず効果は無い。
その理由は翻るロングドレスにあった。
少女の体を包む漆黒の魔力であまれた幻想の衣服。
瘴気の溶解効力を停止させ、少女の身を守ることのみを目的に構成されたそれは鋼の鎧に等しい。
その防壁を前に、ただの鉛弾など容易く弾かれ悪魔の後方に消えていくのみだ。
ならば、ドレスによる防御の範疇外。
少女の顔面を狙えば確かに攻撃は通る。しかしそれも悪魔は対策済み。
眼前に突き出した暗黒の左腕。
それは触れた事象の全てを打ち消す、最大の砲門にして、最大の盾でもある。
顔を狙った銃撃の嵐は構えられた左腕本体にすら到達する事すら無く“消失”した。
やはり銃器は一向に通用しない。
距離はもう数メートルも無い。
とはいえ引き下がる訳にもいかない、と。ヒイロは無駄を承知で手榴弾を投げつける。
鉄塊が、ワンバウンド、ツーバウンド、地面を転がって――――炸裂。
爆風から逃れるため、ゼクスと共に地に伏せるヒイロは己が目を疑った。
実のところダメージすら期待しては居なかった。
しかし、数秒の時を稼ぐことくらいは出来ると踏んでいたのに――。
一振りである。
なんと言うデタラメだろう。
悪魔の左腕が、漆黒の一振りが爆風を薙いだというだけで。
焦熱と破片の散弾、その全てが打ち消されていた。
二人は遂に、悪魔に追いつかれる。
伏せた状態のまま、ゼクスとヒイロは再び銃撃による悪あがきを試みるが、予想通り全くの効果なし。
だが悪魔は予想に反して、伏せた二人を攻撃する事無く飛び越え、一目散に橋へと突っ込んでいく。
まるで時間が勿体無いとでも言うように、あの橋の戦場以外には興味が無いとでも言うように。
ヒイロとゼクスは殺されると半ば覚悟していたが、敵の挙動からこの展開も在り得ると意識はしていた。
故に安堵など一切挟む事無く、立ち上がって敵の後を追う。
彼らには分っていた、追いつくことなど不可能だと。
結局あの怪物が橋の戦場に介入することを許す事になる。状況が最悪である事には変わりない。
けれども諦めるというわけにもいかない。
二人は後方から無駄な銃撃を仕掛けながら、ひたすら悪魔の背中を追い続けた。
■ 『第二の戦局: NOISE OFF 』 ■
同じ頃。
エリアD-4東端における橋上の戦いも、一つの転機を迎えていた。
月の光に照らされた、朽ち掛けた橋の上にて乱れ飛ぶ、剣撃、刺突、鎖の音。
ぶつかり合うそれらと共に、少しずつだが確かに大きくなっていく崩壊の音。
果たして、今の
衛宮士郎にそれらが届いているのかは分らない。
両手に握るは騎士王の剣。作り出すは黄金の軌跡。打倒すべきは眼前の敵。
それ以外の意識など持たないし持てない、余計な思考を挟んでは勝つことなど出来ないと分っているから。
今相手取っている敵は自分の全力をもってしても届かない存在だと、知っているから。
だからこそ、今はただ己の脳裏に浮かぶ不可解な感覚を頼りに戦う。
いや正確には、握る剣から伝わってくる『己の剣』であった少女の――。
「――ちッ!」
ライダーは向かってくる来る剣戟を、今の彼女が持つただ一つの武装のみで凌ぎ切る。
天の鎖、それ一つで士郎の剣撃全てを弾く。
士郎が繰り出す一撃一撃は人の身でありながら重く、鋭く、正確だ。
だが猪突猛進で隙も多い。明らかに攻めに傾きすぎている。
騎士王であればそれでよかったかもしれないが、衛宮士郎は所詮人の身である。
出力や耐久力が違いすぎるのだ。
身に余る敵を前にして、身に余る戦法は破滅を呼び込む。
大振りで高威力な剣技はそれだけに見切られやすい。
ライダーは士郎の渾身の斬り払いに合わせて、最適なタイミングで鎖の一撃を横から刀身にぶち当てた。
振るった鎖の勢いは士郎の剣速よりも劣る。
にも拘らず、たったそれだけで士郎の両腕は痺れに支配され、彼は動きを止められてしまう。
この瞬間に士郎が晒した隙、ライダーならば10度は殺せる程の大きな間隙である。
これしき、ライダーにとっては容易い『捌き』だ。
だからこそ今、彼女が真に厄介に思っているのは、この瞬間の士郎の隙を消しに来る忌々しい――。
「あらあら、私を忘れてもらっては困りますぅ」
女の、紅槍による一突きだ。
夜に映える、血のように赤い刺突がライダーと士郎との間に割り込んでくる。
それもまた鎖で防ぎつつ反撃しようとするも、またすぐに復帰した士郎の攻撃がそこに割り込んでくる。
防御するしかない。
先程からずっとこの調子、ライダーはいつまで立っても攻めに転ずる事が出来ない。
攻め手に回れば簡単に倒せるという確信が在るにも関わらずだ。
ファサリナは完全に戦局を見切っていた。
自分がこの戦いにおいて成すべき仕事をしっかりと心得ている。
味方にとっても予想外であった士郎による怒涛の攻め、しかし猪突猛進で見切られやすいが故に、責めきれなくなる時が必ず来る。
そこをフォローし、ライダーの足元を掬うのが彼女の役目だ。
こんなふうに――。
「ソコが……お留守ですよぉ」
黄金の連撃に紛れてライダーの膝下へと放たれる、真紅の一閃。
「――――!」
すんでの所で飛び上がるライダーの両足。
槍による足払いはかわされたが、士郎の追撃が引き続き追っていく。
通常時なら簡単にいなせる攻撃も、不意打ちに対処している途中であれば効果的に作用した。
刃こそかわしきったものの、
文字通り横槍によってバランスを崩しかけたライダーは後退を余儀なくされていた。
後ろに退いたのだ、人間を相手に、サーヴァントである彼女が。
「鬱陶しい人達だ」
ライダーは苛立ちを隠せない。
驚くべきことに、サーヴァントと人間の戦いはこの時、圧倒的に人間側が優勢だった。
生じる隙を度外視した士郎の高速剣と、その隙を消して活路を作り出すファサリナの槍は、実際見事なコンビネーションを見せていた。
互いの戦法における攻守のバランスが上手くかみ合っていたのだろう。
即席でありながら完璧にライダーを押し切っている。
――ここまでは。
衛宮士郎の不可解な奮戦。
騎士王を思い起こされる剣舞。
ファサリナもまた紛れも無く常人を遥かに超えた実力者。
この攻防に、ここぞというタイミングで割り込みを掛けるなど余程の戦術眼を要することだろう。
それらがライダーの予想を多少上回っていたことは確かだ。
しかしである。
ライダーは疑問に感じていた。
はたして己の思考はここまで愚鈍だったろうか、と。
なにか、なにか単純な事実を見落としているような。
己が押されている原因はもっと他に在るような。
敵は目前でなく己の中に居るような。
そんな、雑念が。
『ッザーーーーーーーーーーーーーー』
そんな、雑音が。
常に脳内で鳴り響いていた無自覚な異音が。
衛宮士郎とファサリナが優位に戦えていた最大の要因が。
「――――、あ。」
今、ライダーが橋の向こうに認識した一人の少女。
「あれは……福路……美穂子……?」
彼女を見たことによって。
『―――――――――――――――――』
この瞬間、完全に鳴り止んだのだから勝敗は決まったも同然である。
「なにっ!?」
「きゃっ!?」
後退していたライダーに向かって、同時に追撃を仕掛けていた二人は、やはり同時に後方へと弾かれた。
鎖による防御でも、攻撃でもなく。
ただ一発の回し蹴りによって。
その異常な威力を前に、士郎とファサリナは攻撃の手を止める。
この戦局で初めて、二人の攻撃が止められた。
「――ふふ」
突然鎖を下ろし、含み笑うライダー。
その笑いが自嘲から来たものだと、相手取った二人の人間は気が付いただろうか。
「なんという迂闊……。
ふふふっ……なるほど……なるほどなるほどそういう事ですか……。
あの魔女、やってくれますね」
不可解な笑いと共に何かに納得した様子のライダーに対して、士郎とファサリナは仕掛けない。
訂正しよう正確には、仕掛ける事が出来なかったのだ。
今うかつに仕掛ければ『必ず殺される』と、彼らの直感がささやいている故に。
二人はいま、目前の敵から湧き上がっている圧倒的な気配に戦慄すら感じている。
だがその『程度』には、二人の間で天と地ほどの開きがあった。
「……っ……これだ……この感じが……。くそっ……マズい……!」
魔術師でもあり、聖杯戦争を体験していた士郎はより敏感に察知していた。
彼は思い出した。思い出さされた。
なぜなら目の前にそれが在る。
今までとは比べ物にならない圧倒的な存在感。
これがこれこそが、かの日、冬木の町で出会った『ライダーのサーヴァント』だ。
始めて見たときの印象が思い起こされる。
冷徹さ以外の何一つ無駄な感情を挟まない氷の様な表情。
全身に染み込んだかのような鮮血の気配。
これに比べれば今まで目の前にいたライダーなど、どこかが故障していたとしか思えない。
いや実際に不調があったのだろう。それがたった今、何らかの要因で復旧したのだ。
「……あの、大丈夫ですか?」
狼狽を滲ませる士郎を心配したファサリナの声。
その声に、士郎は戦いが始まってから初めてライダーから眼を逸らして、ファサリナを見る。
「アンタはもう逃げてくれ。ここは、俺一人でなんとか凌ぐ」
勝てないと思い知ったからこそ。
被害を減らそうと考えた一言だったが、当然伝わる筈も無く。
「なっ……!?何を馬鹿なことを……あなた一人で戦えるわけが――」
「――そう、無駄な事ですよ衛宮士郎。もはや一人も逃げられないし、私は誰一人として逃がしません。
ことスピードにおいて、私に敵う存在などありえない。最速クラスのサーヴァントを振り切る事など、絶対に不可能だと知りなさい」
ライダーは冷淡に告げる。
お前達の命運はたったいま尽きたのだと。
この身を蝕んでいた呪いが収まるまでに、勝負を付けられなかった時点で戦いは終わっているのだと。
「とはいえ、一応詫びておきます。
こちらの本意で無かったとは言え、確かにあなた方を見くびっていた。舐めていた、油断していた。
故に醜態を晒していた。それは事実です。
けれども――これ以降は全力で参りますので、どうぞご安心を」
無論ハッタリではない。
『孤独』をきっかけにして発動する魔女の呪い。
ライダーの思考を掻き乱し、思慮を要する全ての動作を無自覚に疎かなものにする雑音は既にたち消えている。
呪いは戦闘が始まっても暫くは効力を発揮していたが。
士郎、ファサリナ、ヒイロ、ユフィ、ゼクス、これほど多くの参加者とライダーが一気に邂逅した今。
『孤独』な状況などとっくの昔に終了しており。
その上更に、元々に縁のあった福路美穂子を認識したことによって雑音は完全に消失した。
故にここからが本当の全力。
本来のライダーである。
「天の鎖よ」
真名の宣言と共にまたしても動き出す鎖。
だが、その動きはこれまでの戦いにおいて見せたことの無いモノであった。
展開される鎖は大きく、大きく伸び広がって、橋全体を囲む円形の境界を形作る。
そのまま一周、二周と、角度を変えて巨大な円が橋を包み、やがては橋全体を覆う球体状の檻を成した。
巨大な、鎖の檻。
その様は正に結界。
内部の者を閉じ込め、外部の者に干渉させない為の空間である。
イメージした形状はライダーが本来所持していた宝具の一つ、『他者封印・鮮血神殿』。
橋全体を覆った鎖の檻はつまるところ、士郎とファサリナをこの橋から出す事無く殺害するという意志の現れである。
天の鎖の応用技。
本来この鎖は敵を拘束することにこそ効力を発揮する。
しかし拘束できる対象は一体のみだったため、タッグを組んできた相手に対して鎖を直接ぶち当てる武器として使っていた。
だが今はノイズが晴れ、正常な思考を取り戻している。
そう、これは発想の問題だ。
鎖による攻撃など決定打には成りえない。
いやそもそもライダーに武器など必要ない。これしきの相手ならば素手でも致命打を与えてやれる。
この場で最も欲するものはなにか。正しい認識を得た今ならば分りきったことだ。
当然、己の身体能力をフルに活かせる『場の状況』に決まっている。
「――いきますよ」
言って、ライダーは跳んだ。
橋の外へと飛び降りるように、橋の横合いから円を描いて上空へと伸びていく鎖に飛び乗った。
そのまま、鎖の上を駆ける。重力など無視して、鎖を足場にして空中を駆け抜ける。
天高く、上空へと駆け上がっていくライダー。
例えるならばジェットコースターの縦回転の如くに、士郎とファサリナの真上を走りぬけて。
「「―――なッ!?」」
一瞬にして背後に回られたのだと、士郎が焦りを感じた時にはもう遅過ぎる。
足場にしていた鎖を蹴り飛ばし、紫色の閃光が二人に向かって突貫した。
鳴り響く金属音は防御が間に合った事を意味している。
ただし反応できたのはファサリナ一人だけだった。
振り返った士郎の顔面を蹴り潰さんとする足刀を受け止めたのは真紅の槍。
「ぐッ……うううぅ……!」
しかし、その蹴り落としを受け止めた両腕は細かく震えている。
ファサリナの表情からは余裕など微塵も残さず消し飛んでいた。
ただの蹴り技にも関わらず。
動きも、重さも、速さも。今までの鎖による攻撃とは比べ物にならない程に強大。
遅れながら、彼女もまた理解したのだ。
先程までとはあまりに違いすぎる、全てが。
「やりますね……次はもう少し速度を上げてみましょうか」
ファサリナの槍を踏み台にして、再びライダーは直上に飛び上がる。
「くそっ!」
士郎の反撃など遥か遅れて空を切るのみだ。
そのままライダーは上空の鎖を更に踏み台にして急降下――すると思いきや二人の真横の鎖へ。
真横から飛んでくる足刀――今度は士郎が防ぐ。
直後、当然の如く反撃を許さずに離脱。
今度は逆サイドの鎖に飛びついて、駆けて、二人の背後へ回り込み――突撃。
ファサリナと士郎、両方の反応が間に合うものの、両方のガードが吹き飛んだ。
「防ぐタイミングを合わせてください!」
「……っ……わかった!」
二人は何とか踏みとどまって、お互いの動作を重ね始める。
神経を張り切って、敵の攻撃に合わせて全くの同時に迎撃する。
ライダーの猛攻。
既に単独で防ぐことすら不可能な境地に達していた。
襲い来る足刀の一撃一撃が致命の破壊力を有している。
張り巡らされた鎖を足場にすることによって、攻撃方向すら変幻自在で読みきれない。
ときに真上から、ときに真横から、ときに正面から、ときに後方から、
斜め前から、斜め後ろから、直下から足場を貫いて。全方位、縦横無尽に襲い掛かってくる。
そして、尚も現在進行形で上昇し続けるその威力、その速度。
一撃ごとに追いきれなくなっていく。
まるで上限など無いかのように、ライダーの勢いは増していく一方だった。
橋の上に巻き起こる蹴りの嵐は絨毯爆撃の如し。
限界は目前に迫っていて。
先にそれを迎えたのは士郎だった。
タイミングを合わせる事が出来ず、ゲイボルグに一瞬遅れたカリバーンがはじけ飛び、宙を舞う。
それをライダーは空中でキャッチして。
別れの言葉の代わりに、踵落しを落下させる。
士郎も、ファサリナも、死を悟る。
この状況、士郎がカリバーンを失った以上、防御策は皆無だ。
同時迎撃が成り立っていたのは、互いの得物が通常武器を遥かに凌駕した強度を誇る宝具だったからだ。
「く……そ……ッ!
――トレース・オン(投影開始)!」
故に今、士郎が即興で打刀を投影したところで死は免れない。
カリバーンの投影には時間が掛かり過ぎるが故の苦肉の策だったが、そんな事情の前に現実は非情である。
踵落しが打刀を踏み砕く。
ゲイボルグ一本では耐え切れない。
ここで彼らを救いうるのはライダーの知らない要素。
即ち、ファサリナが隠し持っていた奥の手。
「刺し穿つ(ゲイ)――!」
真紅の槍が、より深い赤に染っていく。
ファサリナだけは知っていた。
己が持つ槍の真名と、そこに隠された効力。
ライダーは直感に従って後方に下がる。
しかし、まだ射程距離範囲。
「死棘の――ッああぁ!駄目っ!!」
槍全体を包んでいた赤光が、魔力の代わりに流し込まれていた電流の形をとって暴発する。
つまりは不発。
ファサリナも知っていたことだ。
全部この槍と共にディパックに入れられていた説明書に記されてあった。
真名の解放には一定の魔力が必要。だがファサリナは魔術師ではない。
不発も承知だった。
とはいえ最早、これ以外の手は無い。
士郎のような魔術師の血統ではない魔術師が居るように。
一般人でも多少の魔力は保持している。
問題はソレが宝具を起動させるに及ぶかどうか。
加えてファサリナは希少な電気体質の持ち主であり、それが足しに成るかどうかは分らないが、ここで一つ賭けに出たのだ。
数ある宝具の中でもこのゲイボルグの解放は魔力消費が少なく済むモノであり、かけられた制限も相まっている。
結果、起動までは漕ぎ付けた。
けれども、そこまでが限界。発動に至るまでにコントロールを失い、ファサリナは膝を折る。
――その時だ。
「……ふむ、何を為さろうとしたのか知りませんが。――――!?」
今度こそ、トドメを刺そうとしていたライダーの前方から。
「ああ、同志……!」
この言葉が最後になるだろうと考えていたファサリナと。
「――トレース・オン(投影開始)!」
未だ諦める事無く、投影を開始していた士郎を後方から飛び越えて。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――!!!!」
絶望を奏でる咆哮と共に、漆黒の影が戦場に舞い降りる。
狂気を体現するかの如き赤黒い眼。
悲哀のみを映し出すかの如き深蒼の眼。
たなびく、黒のロングドレス。
名を、福路美穂子。
今ここに、第三の戦端が開かれる。
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最終更新:2011年08月04日 10:38