許せないのどっち(前編) ◆hANcxn7nFM
今は昔の物語。
淡い光の中、鼎に座る三つの人影があった。
ひとつは黒い神父服に身を包んだ男。
ひとつはこの世のものとも思えぬ色の髪をした少年。
ひとつは小さな、淡い雪のような少女。
周りは暁色に染まり、しかして漆黒の闇にも包まれ、だが光に溢れ輝いていた。
何度目かの問答の末、神父が差し出した紙を見て、少女はやや揺らぐ。
何故彼なのか、と少女は問う。
何故彼のような、未熟な、力の無い、中途半端な者を選ぶのか、と。
何故今更なのか、と少年は少女に問う。
既に君は聖杯と成ることを、唯一の願いとしたはずではなかったのか。
神父は言う。
必要な事だ、心配しなくていい、と続ける。
彼は君の知る彼ではないのだ、と。
少女は既に路を決めていた。
どのような犠牲も受け入れようと決めていた。
一人無為に死ぬことが出来なかった、その時に決めていた。
故に一人の未熟な魔術師の犠牲程度、受け入れられるはずであった。
実際に、少女は数回やや苦しそうに呼吸した後に、承知した。
そうして
衛宮士郎は参加者となった。
少女は何故、自分がひとりで無為に死ぬようなことになったのか、などという、そんな昔の事はとうに忘れていた。
◆
――――――早かったのね。
――――――あぁ、資料を取ってきただけだからね。
――――――どんな資料かしら。
――――――なに、遠藤が隠していたメモ書きみたいなものさ。
――――――タイトルは"純粋種"。
――――――彼の手にイオリアのレポートが渡っていたとは意外だったけどね。
――――――貴方の世界の情報って、流出してばかりね。
――――――管理が杜撰すぎて、魔術師でもある私にはとても信じられないわ。
――――――この子にしても、貴方、元の世界では自分の同類にしか触れさせてなかったのでしょう?
――――――高度な情報化社会において、情報の流出は避けられない宿命さ。
――――――ヴェーダに関しては、それはだって君は共犯者、だろ?
――――――そうね。それで、出掛けてまで持ってくるなんて、どんなに大事な内容だったのかしら?
――――――あぁ、これで確信出来た。
――――――ヴェーダの推察とも一致する。
――――――遠藤はやはり、僕に対する切り札のつもりで連れてきていたんだね。
――――――このメモ書きにある候補者の一人であり、一時的にせよヴェーダのアクセス権を取得し、ミサカを使役した人物を。
――――――それは?
――――――それは
◇
ディスプレイのみが光を放つ部屋の中、
原村和は牌譜の検証を続けていた。
逃避である。
目の前の惨状を現実のものだと思いたくなかった。
自分のせいで巻き起こったことだと思いたくなかった。
紅蓮に染まる埠頭も、なにもかも、すべて目に入ってなかった。
ひたすらにマウスを動かしホイールを回し、左クリック。
過去の牌譜検証は数百局に至った。
時間にしてわずか数分。
脳は高速度で回転し、理解し、考察していた。
牌譜考察の他に回せるようなリソースは無いはずである。
しかし逃避してもなお、頭の中で囁いてくる声がある。
お前のせいだと。
目の前の惨状はすべて、お前のせいだと。
「違う!私のせいじゃない!アレが、アレが最善手だった!」
頭を抑える。
指が頭皮に食い込む。
乾いた涙がまた溢れ出す。
嗚咽が漏れる。
「助けてください、咲さん」
先程の対局をポイントする。
目の前に映る「みやながさき」の名前。
それを指で優しくさすりながら、ほぅ、とひと息つく。
「そうですね、咲さん。私がここで狂ってしまったら、人質のあなたの命が危うくなってしまう」
親友の命が自分の手にかかっている。
そんな自覚が原村和の精神をすんでのところで守っていた。
それにしても、と原村和は今まで検証することを本能的に拒んでいた領域に手を入れる。
それはつい先ほど、
天江衣と
東横桃子、そして
宮永咲と臨んだ対局。
対局していた時からずっと、今にいたるまで残った違和感。
喉に引っかかった小骨のように、ちろちろと残っていた異物感。
にもかかわらず手をつけなかったのは、見れば必ず惨状が脳裏に浮かぶだろうと想像できたため。
だが意を決して開く。
予想通りというべきか、脳内に悪夢が忍び寄る。
血を抜かれ、床に伏し、瀕死の天江衣。
紅蓮に染まるエスポワール号。
おびただしいほどの悪意、そして憎悪。
次々と散っていく命。
狂おしいほどの愛を叫ぶ東横桃子。
頭を振り、現実を振り切る。
あの対局の違和感を確かめるために。
■
最終局、宮永咲の加カンによる嶺上開花で幕を閉じた麻雀大会。
一一一一 222677889南 ツモ:南
宮永咲は南家であったため連風牌により4符、明槓子16符 暗刻子4符 ツモ2符、副底20符。
合わせて46符、繰り上がって50符1飜1600点(天江衣、東横桃子400点、原村和800点)であった。
実に宮永咲らしい締めである。
結果、宮永咲の点数は24500点。±0で三位に終わった。
ここで問題なのは一を東横桃子からポンした際、捨てた牌が南であった事。
これこそがシコリとなって原村和の中に残っていた部分である。
通常ならばフリテンになりかけた裏目をツモで押し切った、というところ。
だが。
もし、この人間に嶺上牌が見えていたとするならば。
常ならば「そんなオカルトありえません」と返す原村和である。
しかし相手は宮永咲である。
実例は今までいくらでも見てきた。
それこそ、デジタルである自分の確率表を更新するほどに。
よって「もし見えていたならば」という仮定のもとに、この場を見てしまう。
そしてよりにもよってトータル±0。
宮永咲が最初の対局で見せた三連続±0。
さらには個人戦二日目に達成した五連続±0。
宮永咲が持つ、特殊な調整能力である。
この二つが符合し、投了以降、疑念となって頭の中に残っていた。
疑念。
即ち、「宮永咲は±0にするためにわざと嶺上開花を選んだ」ということ。
嶺上開花、ツモ和了するということは、一滴でも血液を温存しておきたい天江衣から血をむしりとるということだ。
保身の為、親友の命を削るという、身勝手極まりない悪魔のような所業である。
勿論、そうでない可能性はいくらでもある。
いつもであれば、±0を責めるだけであろう。
だが、今は命に関わることだ。
まさかそんなはずがない。
このような状況で±0を狙うためだけに親友の命を削るはずがない。
そう祈りながら、牌譜を開いた。
南四局。
南家 宮永咲
一一一22南南677889 東横桃子から一をポン、南捨て。
次巡
一一一 一22南677889 ツモ2 一を加カン。ツモ南。嶺上開花。
最悪であった。
例えば東横桃子の捨て牌、一を大明カンした場合、
一一一一 22南南677889 ツモ南
となって50符3飜、子の6400点。これが責任払いとなって東横桃子への直撃。
その場合宮永咲が29300点。
原村和の26300点、東横桃子の26000点を超えて一位となっていたはずである。
東横桃子のひとり勝ちを防ぎ、なおかつ天江衣への損害もなく、失血も
200cc抑えられていた。
状況としてはこれ以上無い。
にも関わらず、宮永咲はこれをスルーして±0とした。
「何故ですか、咲さん!」
原村和の叫び声が部屋中に響いた。
■
『のどかちゃん?』
原村和の絶叫に答えるように、スピーカーから声が漏れた。
聞き間違いようがない、一番大事な親友の声。
「咲さん?!」
見れば先程の対局で使っていたスピーカーを落とし忘れていたようだ。
いつから聞こえていたのだろうか?
頭の中で一杯になっていた疑念を聞かれた気がして、原村和は戸惑った。
『良かった、通じたみたいだよ』
幸運なことに、というべきか。今通じたばかりのようでもある。
それにどうやら傍に人がいるらしい。
それもそうか、と原村和は思い直す。
宮永咲は自宅にPCもなく、ネット環境そのものに触れたことが無い、今時珍しい女子高生なのだ。
誰かの指南がなければネット麻雀などおぼつかないだろう。
そこまでふと考えて、原村和は今まで浮かびもしなかった疑問に思いが至った。
そもそも、何故宮永咲はこの麻雀大会に参加しているのだろう、と。
この麻雀大会自体は主催側の人間である原村和と、ノートPC所持者及び、会場内遊戯施設にいる者しか参加できない。
その為に東横桃子が参戦出来たのだ。
提案自体、宮永咲と天江衣を戦わせないために出したもの。
では、何故。
「咲さん、どうして対局に参加されたんですか?」
『え、だって衣ちゃんが危ないって聞いて』
原村和の中でちらり、と怒りの火が揺れた。
「天江さんが危険だと知りながら、点数を削るような真似をしたんですか」
『ち、違うんだよ、のどかちゃん!あれは!』
こんなことを言いたいわけじゃないのに。
口をついて出てくるのは親友への非難だけであった。
「咲さん、貴女は手加減をして、それで天江さんを危険な状態にまでして、そんな事が許されると思っているんですか?!」
『そんなことない!私は!』
許されないのはどっちだと自分にいやになりながらも、ボルテージは上がり続ける。
そのようなことをしている場合ではないことは重々承知しているにも関わらず、和の攻撃は止まらない。
「咲さん、もう手加減はしないと、あの日小指を交えて約束したのは嘘だったんですか?!
私との約束よりも、大事な何かが±0にはあるんですか?!」
『のどかちゃん、あのね?!』
「もう知りません!」
これ以上話しても辛くなるだけだと、原村和は通話を切った。
部屋に静寂が戻る。
暗い部屋の中、自己嫌悪に陥った少女が一人、そこにいた。
あんなことを言うつもりではなかったし、もっと他に話すべきことはあった。
例えばなぜ宮永咲は麻雀大会に参加できたのかとか、例えば天江衣の無事を二人で祈る事とか。
いや、ただ単に二人で話しあうことが一番したかった事のはずだ。
何故このようなことになってしまったのか。
原村和は一人頭を抱えるのみであった。
◇
私
ディートハルト・リートはディレクター室にて映像資料を漁っていた。
端から端まで隅の隅まで、再確認。
あの黄金色の瞳をした少女の真の狙いを探し出すために。
そして映像をチェックし終えた時、なんとも言えぬ疲労感だけが残った。
頭の中の情報を整理できてないからだろう。
そう楽観的に思い直し、ぬるいコーヒーに口をつけ、椅子から立ち上がって背伸びをした。
そういえば
オープニングを演出したのはだいぶ前のような気がする。
ゲネプロの途中で本番に移行した為多少の混乱はあったが、いいフィルムが撮れたと満足している。
リハーサルだからと油断していた遠藤が、龍門渕とかいう少女の首が吹き飛ぶのを見て仰天したのは中々傑作だった。
実際、あそこまで上出来だったのに破棄するのも忍びなかったのは事実。
当初はリハーサルでも本番でも、少女は爆死しない予定であった。
本番終了後に別の場所で爆死させ、その映像を合成する手はずであった。
だが、そんな臨場感のない画など、撮る価値があるのだろうか?
出来た映像を見れば一目瞭然。
アレが当然。
アレがベストの判断だったのだ。
まぁこのような無茶が通ったのも生中継でなかったからではあるのだが。
そうそう、そもそも生中継でないところにも文句をつけたものだ。
臨場感という意味では生に優るものはない。生は三割増とはよく言ったもの。
録画中継の上に合成では面白い映像など撮れるはずもないのに、よくそんなことを企画したものだ。
やはり私という専門家が付いていて良かった。
そうでなければオープニングからして、どっちらけになってしまっていただろう。
おかげでスポンサーの満足度も上々。新規参入を申し出るものも多数出てきた。
しかし、いつからなのだろう。
眼下で起こるショーに、不満を抱き始めたのは。
殺し合いは生の輝きが最も激しく観測できる、素晴らしい手法だ。
だが、あの会場に集う者たちは誰も彼も素晴らしいエンターティナー。
このような素晴らしいモノを見せてくれる者たちを、何故こんなにもあっさりと消耗してしまうのか。
疑問を抱いた。
本多忠勝最後の戦いを見せろと頭ごなしに命令してくるスポンサーや、金眼の少女に嫌気がさしてきた。
第一、始まりからして強制された仕事なのだ。
地に足が付くはずもない。
もとより自分はプロの映像屋だ。
契約であれば最後まで全うするつもりである。
だが、先方の真意が覗けぬ場合はまた別だ。
そして企画意図、主催の真意、その他もろもろが未だ鬱蒼としたモヤの向こう側にあると確信した今。
プロとして、あの金眼の少女と心中する気は毛頭ない!
タバコを灰皿に押し付け、ゴミ箱に空の紙コップを投げ入れ、再び席に着く。
そう、そういえば主催者はオープニングを録画放送にすることを積極的に求めていた。
最初は台本通りに進めるためと思ったが、それにしてはアドリヴに対して寛容過ぎる。
ならば。
ならば
上条当麻の幻想殺しのためか?
確かに参加者を会場のあちこちに転送したのは、魔法、いや魔術の力によるものだ。
上条当麻の幻想殺しは、魔術の力を無意識のうちに無効化する。
その為に上条当麻のみ、わざわざ会場内に小屋を置いて閉じ込めた。
証拠が残らないように爆破処理まで施したが、その為か?
いや、おそらくは違う。生中継を配信すればそれで済むことだからだ。
実際、爆破のアナウンス自体はリアルタイムで行われた。
ならば編集するためか?
いや、オープニングが改竄された様子は、プロの目から見ても一欠片もない。
よく見ればそこかしこでADや3カメ、セットの裏側が映り込んだりしているが、それを消した様子もない。
「訳が分からんな」
どうやらこれ以上考えても答えは出そうにない。
遠藤が生きていれば何らかの情報を引き出せたかも知れないが、今は棺の中だ。
蘇生させるとは聞いたが、それがいつになるかは検討もつかない。
要するに当てにならない。
あの死亡遊戯で、遠藤は多くのことを抱えたまま死んだ。
よりにもよって彼自身が推挙した宮永咲の手によって。
遠藤は生前あの少女をやたらと推していたが、彼の主張に比して宮永咲はあまりに地味すぎると思ったものだ。
アレではラウンドガールは務まるまい。
人の嗜好に口を出すつもりはないが、アレはない。
それともとっくに枯れてしまって、ああいう素朴な少女がいいと思えるような境地に至っていたのか。
いや、もしかすると。
遠藤はなんらかの特性を察知していたからこそ、あのモブのような少女を推挙したのか。
危害を加えようとした黒服を容赦なく撃ち殺すほどに、主催から重要視された何かがあるというのか。
いや、ただ単に人質だからという理由で保護されたのかもしれない。
現に宮永咲は二度も殺人麻雀に駆り出されているではないか。
どうにも判断材料が少ない。これでは推論を立てるのも困難だ。
頭を振る。
どうも思考が袋小路に陥っている。
ふと時計を見れば、そろそろ次の放送の打ち合わせの時間だ。
言峰神父との連絡は途絶えたままだが、どうせ放送直前にひょっこり出てくるだろう。
要項に目を通せばアドリヴでやりきってしまうのだから、打ち合わせも何も無いものだが。
まぁそのような人間の脇を固める努力というものは、やはり必要だ。
「禁書目録はどこだ」
「下層ブロック、J-27号室にいらっしゃいます」
J-27号室?宮永咲の個室ではないか!
「分かった。いや、いい。私が迎えに行く」
あのシスターが人に懐くとは珍しいこともあるものだ。それもあのパッとしない少女と、などと。
それを観察するのもまた一興か。
もしかするとあの平凡な少女との、安全なコンタクトの取り方の参考になるかも知れない。
なぁに、アシスタントを呼びに行くだけの話だ。危険なことなどあるはずもない。
ささやかな嫌な予感と共に、私はディレクター室を後にした。
◇
――――――衛宮士郎が死んだわ。
――――――そのようだね。大丈夫かい?
――――――気遣ってくれるの?
――――――当然さ、君の身体に64の命が注ぎ込まれても大丈夫なようにはしてはいるが、それでもやはりギリギリ。
――――――何らかのミスでオーバーフローを起こしたりしたら、君の宿願も私の願いもフイになってしまうからね。
――――――ほら、また一人死んだ。ふむ、上条当麻か。
――――――そうね。貴方も私も聖杯のことが第一だったわね。
――――――そう、目的のためにブレることは僕たちにはない。
――――――これが人間であれば、感情に毒されて目的を見誤るだろうけどね。
――――――さて、また僕は出かけるとしよう。
――――――どこへ?
――――――知りすぎた人間や、行き過ぎてしまった人間には罰を与えなくてはいけないだろう?
――――――それに
――――――禁書目録は少々痛んでしまったようだから、古いボディを捨てさせねばならないからね。
◇
少し前のこと。
「少しよろしいでしょうか」
部屋を訪れた白い僧衣に身を包んだ少女は、無遠慮にずかずかと部屋の中に押し入った。
返事はない。
部屋の主は部屋の中央でノートPCを前に呆然としていた。
殺風景な部屋にぽつんと、No.5とラベルの貼られたノートパソコンが、部屋の中央に置かれている。
電源コードが玄関先のコンセントから一本だけ黒く伸びていた。
ディスプレイにはGAME OVERと大きく書かれ、点数が表示されている。
「どうやら天江衣と通信しているようなので、訪ねさせていただきました」
やや気を取り直したかのように宮永咲は顔を上げて
インデックスを見る。
「ごめんね、もう終わっちゃったんだ」
対局終了と同時に既にマイク付きのヘッドホンは外してある。
実際には終わらせ方も分からないので、PCは放置したままなのだが。
インデックスはモニターに目をやるが皆目検討がつかない。
やむを得ず黒服を呼びつけて動作を確認する。
聞けば音声通信機能は東横桃子、天江衣、ともにOFFになっているものの、原村和との回線は生きているという。
天江衣との通信ができないことが分かったので、このまま退散しようとも思ったインデックスではあったが、踏みとどまる。
原村和のプロフィールを不意に思い出したから。
ここにいる宮永咲の親友であることを思い出したから。
魔が差したとしかいいようがない。
ヨハネのペンによって統制されている今のインデックスに、本来そのような気まぐれが起こりようハズはない。
だが、天江衣との邂逅がわずかにその統制を乱したのか。
そもそも統制が取れているのならば、天江衣と会話しようとなどと思いもしないことだろう。
宮永咲に扱い方を教えさせながら、それにしてもとインデックスは思う。
このようにPC知識に疎すぎる人間が、どうしてネット麻雀などで来たのであろうか、と。
「うん、黒い神父さんにパソコン貰って教わった」
返答は単純極まりなく、明快であった。
■
通信が終わり、いつの間にか黒服も退席し、静寂にそまった部屋の中。
宮永咲は膝を抱えて落ち込むしかなかった。
「彼女はどうかされたのですか?」
原村和の反応はインデックスには理解不能であった。
傍から見ても理不尽というほかないだろう。
宮永咲は搾り出すようにして語りだす。
「わたしが衣ちゃんを、操作ミスとは言え、友達を傷つけちゃったからいけないんだ」
「友達とは、そこまで大切なものなのですか?
いえ、大切なものだとしたら、なぜ原村和と友達のはずの貴方がこうまで責められるのでしょう」
インデックスの表情は訝しげだ。
理性的な行動とは思えない。
理解出来ない。
「ん?うん。のどかちゃんは大切な友達だよ。
だから、会って仲直りしなくちゃね」
精一杯の強がりなのか、宮永咲はインデックスに微笑んでみせた。
瞬間、インデックスの身体が揺らいだ。
今の彼女にとって不要な情報がまたも全身を駆け巡る。
どう考えても騙されたとしか思えない高利の借金を負わされてなお、感謝の笑顔を向ける少女の顔が。
ぎこちなく、おどおどとしながら友達にならないかと伝える少女の姿が。
そしていつしかその顔は、メガネをかけた少女の姿に変わっていく。
インデックスより遥かに背の高い少女。
自分と同じ、望まれて生まれ落ちたにも関わらず世界から祝福されない望まれない、少女。
情報が通り過ぎた。
かぶりを振る。
先程から"友達"という、バグデータのように身体を食い荒らすワードに翻弄されすぎだ。
それにこれ以上記憶が蘇ってしまっては襲いかかる激痛に、体が持たない。
でもアレくらいの痛みがどうしたというのだろう。
■■■は右腕を切り落とされてもなお、立ち上がったではないか。
■■■?誰だろう?思い出せない。胸の奥が苦しい。熱い。熱くて胸が燃えてしまいそうなほどに。
いつの間にか涙が流れていた。
なにが悲しいというわけでもないだろうに、インデックスの目からは涙が溢れて止まらなかった。
忘れてしまったことを忘れてしまった少女は、自分が何故このような感情に囚われるのか。
また、この感情がなんなのか、測り知ることが出来なかった。
生理現象により嗚咽が始まり、宮永咲は目の前の少女が泣いていることをようやく理解した。
泣きじゃくる少女を宥めるにはどうすればいいのかと思案に暮れる。
つい先ほどまで落ち込んでいた事など忘れていた。
だが、年下に対する態度を知らない宮永咲に出来ることといえば、ただインデックスの頭を撫でるということだけであった。
頭をなでられたその時、インデックスの前にまたも情景が流れすぎた。
白く輝き舞い落ちる無数の羽。
その中で立ち尽くす一人の少年。
頭の上に手をおいた、ツンツンの頭のその少年の名は。
インデックスを救う、ただその一点のみに邁進したその少年の名は。
その少年の名は。
一層涙を止められなくなったインデックスの姿を見て、宮永咲は最早どうしたらいいのか分からない。
進退窮まった二人の少女が途方にくれていたその時、ドアを叩くものがあった。
「インデックス。打ち合わせの時間だ。入るぞ」
ガチャリと、確認の声も待たずに入ってきたのは金髪の胡散臭い髪型と顎の持ち主。
ディートハルト・リートであった。
第三者の乱入でインデックスの平静はようやく取り戻された。
甲斐甲斐しく宮永咲がインデックスの頬に残る涙をハンカチで拭う。
そんな二者の様子を見て、ディートハルトはやれやれとため息を付いた。
子供のお守りをするためにこの部屋に来たわけではない。
此処へ来たのはある程度の覚悟を持ってのことだ。
それがこの茶番。
出鼻を挫かれるとはまさにこの事であろう。
こんな空気の場所になど長居したくもなく、もうさっさと用事を済ませて引き上げる気になっていた。
「上からの要望を盛り込んだ放送文だ。
最新の死者情報を載せているが、まだ放送まで時間がある。
だからその部分だけはあくまで参考程度に読みあわせてくれ」
完全記憶能力を持つインデックスにかかれば、こんなペラ紙一枚の台本など視野に入れるだけで十分。
だが読み合わせとなるとまた別。
彼女は本職のナレーターやアナウンサーではないのだ。
一回しか読み上げないと宣言しているのにトチってしまったら、それはそれでぶち壊しである。
だから声に出して読み返させる。
実際にはインデックスにはそのような読みあわせも必要ではない。
103000冊の魔道書、そのすべてを間違いなく諳んじれる能力も、彼女には備わっている。
一言一句、発声にいたるまで正確に表現できねば歩く魔道書としての意味が無いためだ。
ディートハルトはそれを知らない。
よってこのような無駄を強いるのだ。
宮永咲を軽く視界に入れた後に部屋を出ようとしたディートハルトの携帯端末が振動し、メールの新着を知らせる。
画面を確認したディートハルトは事もなげに告げる。
「あぁ禁書目録。いま死亡者が追加された。
上条当麻だ。書き加えておいてくれ」
「上じょう、と、う、ま
かみじ ょ う と う ま」
あからさまに異常な様子を見せるインデックスに宮永咲が慌てて寄り添う。
一瞬遅く、インデックスは片膝をついて崩れ落ちた。
宮永咲は両手でインデックスの肩を揺さぶり叫ぶ。
一歩遅れてディートハルトも駆け寄る。
「インデックスさん?!大丈夫ですか!インデックスちゃん!」
「どうした、禁書目録!なにが起きた!」
面を上げたインデックスはそれまでの鉄面皮が嘘のように、顔中哀れなほどに涙で濡れ、鼻水を流していた。
「上条当麻とは、一体、誰、なのですか」
途切れ途切れに苦しそうに。
無くした物の大きさが分からないというのに、喪失感だけが巨大な事に、インデックスは明らかに狼狽していた。
少女の予想だにしない一言に、ディートハルトも宮永咲も、顔を見合わせる他ない。
三者が立ちすくむ中、部屋の扉が開き、新たな訪問者が三人現れた。
三人が三人とも全く同じ顔と姿。
ただ違うのは中央に立つ少女が金色に輝く瞳を持つことであった。
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最終更新:2010年10月17日 01:27