砂時計の砂が落ちていく。
カウントダウン、おしまいの始まりに繋がる砂の流れ。
それは日光という形を持って、私の目には映っている。

空から迫りくる天の杯。
地から伸び行く悪の器。

全てが動き出す刻限を、もう一時間も経たない間に沈み切るだろう太陽が示していた。
ああ、もうすぐ、始まっちゃうんだなって、理解させられる。
いま私の、秋山澪の目の前。がらがらに空いた電車の車窓、そこから見える景色によって。


空中を引き裂くようにして近づいていく白と黒の螺旋。
車窓から見える景色は、まさに驚天動地と言ったところ。
なのにどうしてか、今、私がいる列車の中では、何となく落ち着いた空気が流れていた。

「…………」

ちらり、と。
隣に座る着物姿の女性、式の姿を見る。
彼女は相変わらずじっと、対面の窓の方を眺めていた。

駅から発進した電車が動き出し、数分ほど経っただろうか。
列車は何事もなく進み続け、もうすぐ船着き場近くのF-3駅に差し掛かる頃合いだ。
私と式はロングシートの座席に座って、一人分開けた距離感のまま、ゴトゴトと動く車両に揺られていた。

式から視線を外し、私も彼女と同じように、座席に深く腰を掛け前を向く。
誰もいない対面の座席の、その更にむこう側、窓から見える風景を見つめた。



「――式」

空からは赤みがどんどん失われていく。
やがて薄青さだけが取り残され、それをすぐに夜が塗りつぶしてしまう。
そしたらもう、この静かさも、安らぎも、きっと消えてしまう。

「私……さ、私は――」

窓の向こうは私の見た事のない幻想で。
だけど、この場所は知っている。
揺れるつり革も、ゴトゴト聞こえる音も、差し込む僅かな夕日の色も。
全部、私の大切な、あの普遍的な世界にあったものだから。


「私は、特別を望むよ」


それは私への宣誓であって、彼女への回答。
いつかと同じ答え。
船での時と、同じ思いの、だけど多分、違う重さの。

「何てことない平穏の、特別のない凡庸な、ただの優しい世界を取り戻す」

もう決めてしまったこと、ずっと前から決めていたこと。
だけど今は意味を知って、価値を知って、手に取った選択。
背負い直した思い。
重い、重い、思い。
特別じゃない特別を、もう一度って。


「――そういう、特別を願うよ」


改めて、告げた。


「そうか」

式の返事は相変わらず素っ気なくて。
だけど馬鹿にしてるわけでも、相手にしてないわけでもなく。
ありのままのコトを、私に言った。

「矛盾だな」

「……うん、そうだね」

その式らしい振る舞いが何故か不愉快になれなくて。
私は苦笑いなのか何なのか、分からない表情になってしまう。

「分かってる。
 だけどさ、それでもさ、選んでしまったんだ、もう、その矛盾を」

「そうか」

それ以上、彼女は何も言わなかった。
私も何も言わなかった。

視線は合わせない。
私はただ、揺れるつり革と、消えていく夕陽の残光を見つめている。
きっと、彼女も同じだったと思う。
私たちはお互いを見ずに、だけど同じものを見ていた。
このひと時だけは、同じものを感じる事ができたような、気がした。

どうしようもなく違う私たちだけど。
私の好きなこの平穏を、式も同じように、居心地よく思ってくれているような。
そんな気がしたんだ。
だってさっき一瞬だけ見た、夕陽に照らされた彼女の横顔は、今までのような冷たい印象を与える物じゃなくて。
ほんの少しだけ穏やかで、ほんの少しだけ少しだけ優しい、普通の少女のように見えたから。

夕焼けのもたらした、単なる目の錯覚かもしれないけど。
私にはそれが、嬉しく思えたんだ。


『F-3駅に到着しました。船着き場にお越しの方はこちらでお降りください』


不意に電車が止まり。
事務的なアナウンスが車内のスピーカーから流れだす。
ドアが一斉に開くけど、当然、私も式も動かない。
しばらくして、また一斉にドアがしまり、再び列車は動き出した。


『次はF-5駅です。展示場前にお越しの方はこちらでお降りください』


次の駅が到着点となる。
もう一度、私は平穏から視線を外して、見つめた。
窓の向こう。


次第に空から降り始めた、黒い粉。
白と黒の螺旋。
黒の塔の、その根本。

これから私たちが行こうとしている、最後の、戦いの場所。







     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆







        COLORS / TURN 5 :『Listen!!』







                    ◆ ◆ ◆ ◆ ◆








『F-5駅です。展示場前にお越しの方はこちらでお降りください』



三度目の開閉。
列車のドアが一斉に開くと同時、黒い煤のようなものが車内にひらひらと舞い込んできた。

一瞬、まるで雪みたいだなんて思ったけれど。
知っている、正体はそんな優しいものじゃない。

人の体も心も、壊してしまう毒。
全人類を呪い殺すほどの、膨大な汚濁から剥がれ落ちた一かけら。
そう、私に『全て』を話した神父は言っていた。
これから何が起こるのか、アレがなんであるのか、全てを。
どこか嬉しそうに、楽しそうに、夢見るような何かを滲ませて、私に教えた。

だから私は知っていた。
事が、『こうなる』ってこと。
そして、『これからどうなる』か、すらも。
もちろん神父の言っていたことが嘘でなければ、って前提はあるけれど、彼は多分、本当の事を話したのだと私は思う。
何故なら、そうでなければきっと、私は動かなくて、彼の見たいものは見れないから。

だから、そう、全て。
分かったうえで、私は行こうとしている。

そして、着いてしまった。
戦いの場所に。
この島で、もう何度も行き当たって、その度に忘れられない恐怖を刻んできた場所に。


「まったく……」

苦笑を浮かべる余裕はないけれど、呆れは口から零れ出ていた。
恐怖が、体を縛っている。
ここに来てから『恐れ』という感情は自己計測記録を更新し続け、またしても今、最高記録を叩き出そうとしていた。
ぴりりと、足に痺れが走る。
どれだけ覚悟を固めたって、どれだけ決意したって、恐れる気持ちが無くならないのは分かっていた。
怖いものは怖い。どうしようもないけれど、それでも悔しさはこみ上げる。
今は怖がっている時間すらもどかしいから。
それすら煩わしく思えるくらい、渇望する物があるから。

「オレはここだけど、お前はどこまで行くつもりなんだ?」

「…………ぇ」

不意に聞こえた声は、私の頭のやや上の方から。
既に席を立っていた式の、座ったままの私への言葉だった。
見上げ、式の表情を確認して、確信した。
絶対に私を気遣ってなんかいない。
彼女はただ気になったことを私に聞いただけで、他の意味などないのだ、本当に。
自分が降りる駅で、すぐに立たない隣の席のやつに、ならどの駅まで行くつもりなのかと。

「いや、私もここだ。ここで、降りるよ」

だからこそ、なんだろうか。
私の足の震えは少し弱まっていた、ような、気がした。

「そうか、じゃあさっさと降りたらどうだ? じきに閉まると思うけど」

「うん、ありがと」

「なんの礼だ?」

それは私にもよく分からなかった。
早く降りたらどうだと、忠告してくれたことか。
私を無視して行ってしまわなかったこと、だろうか。
あるいは、私を気遣わず、対等に扱ってくれたことに対して、だったのかもしれない

ハッキリとしなかったけど。
私は式の後をついていくのではなく、隣に立って、一緒に電車を降りた。
そうしたいと思ったから。

二人合わせて四本の足がホームのコンクリートを踏んだ直後、列車は次の目的地を告げ、ドアを閉める。
黒い灰が舞い散る中、去っていく電車を名残惜しげに見送りたい衝動に駆られ、ぐっと耐えた。
今は一秒の余分も干渉も許されない。
もう既に戦場へと、入り込んでいるのだから。
その認識は駅を出た瞬間に、嫌でも痛感させられた。



「黒い……」

私の第一声は間抜のぬけた感想だった。
駅前の東側ロータリーからすぐ近くに見える、巨大な黒の塔。
徒歩数分でたどり着ける場所。
電車の中で遠目に見ていた時から激しい嫌悪を感じさせていた建造物の入り口は今、
私の目の前に来て、まるで怪物の口のように真っ黒く開いていた。

その塔は展示場という一施設と融合した、というより展示場を食べた結果として聳え立った、と言った方がいいのかもしれない。
黒いドロドロとした印象の、しかし液体とも言い切れない、固体なのか、気体なのかも分からないナニカ。
常に揺らいでいて本質の見えない幻想。
神父の表現を借りるなら、呪いの具現。
人をあらゆる意味で壊す、そう言われても確かに信じられるほどの、最悪の災厄が目の前にあった。

正直言って、一歩すら近寄りたくない。
普段の私なら、何が何でも距離を取って、視界から消して忘れようと必死になるだろう不快と恐怖。

だけど今は、歩く。
本当は絶対に行きたくないけど、泣き喚きたくなるほど嫌だけど、それでも行く。
体を縛る不快と恐怖以上に、欲しくて堪らない物が、今の私を突き動かすものが、偶然にもその向こうに続いてるから。

誰も住む者のいない、閑静過ぎる住宅街の路面。
灰が舞い散る道を、式の隣、歩き続けた。
黒い塔。雪のように落ちる欠片。不快で、だけど幻想的な風景。
私にとっても、式にとっても、最後の戦いの場所。


不意に。
ひらりと、指先に付着する、灰の欠片。
それは、すぐに、どろりとした液体に形を変えた。


「汚いな」


式曰く。
まだ『産まれていない』この呪いは、今すぐ人に危害を加えはしないらしい。
それでも触り続けたり、吸い込み続けたら悪影響は有る、らしいけど。
兎に角、軽く触るだけで即死したりはしないそうだ。
あくまで、今の段階では。


「でも、なんだか……儚いな」


液体になって数秒、すぐ気化して消えた欠片の行く先を、視線で追ってみる。
その黒を、私は見たことがあるような気がしていた。
対峙した強い意志。どこか私に似ていた、誰かの悲壮。
なのに、私を否定した誰かの、纏っていた黒。
私が壊した誰かの、だけどより強烈に思い出されたのは、ただただ尊く輝いていた、彼女の蒼き片目の色で―――


「やっぱり、雪に似てる」


私はもう、決めてしまった。
あの蒼さとは、違う道。
背負うということ。
戦うということ。
取り戻すということ。
どうしても、どうしても、手放せないもの。
そのために、そのために、私は、全てを―――




「…………」


今、隣に立つ人は何を思っているのだろう。
式は何を思って、最後の戦いに臨むのだろう。
それは当たり前だけど、私の思いとは違う思い。
あの蒼さとも、モモとも、他の誰とも違う、式だけの思い。
それを手に取って、彼女は、ここに居るのだから。

「なあ……式」

足を止めたのは、どっちが先だったのか。
分からないけれど、どっちでもよかった。

展示場、戦いの入り口、その数メートル手前。
私と式は立ち止まる。

「式は、何をしに此処へ来たんだ?」

見つめる横顔。
そこには既に、夕陽が見せた穏やかさは無く。
冷たくて、鋭くて、だけどもう怖くは感じない。

「そうだな……」

私へと向き直り、真っ直ぐに私の目を見る式。
奇しくもその眼は碧く。
貫くように私に捉えながら、いつものように簡潔に、ぶっきらぼうに、彼女は言った。


「今も、醒められないユメを、見る為に」


大事なユメを、生きて見続ける。
その為に。


「このデカいのは邪魔だからな。殺しに来たんだ」


受け止めた私は目を閉じ、ぴくりと、自分の頬に表情が浮かぶのを感じた。
それはもう、この戦いが終わるまで二度と刻まれることのないと、思っていたもの。
式と会う度に浮かべさせられた苦いものじゃない、ただの、何の変哲もない、笑み。

「おい、笑うな」

「笑ってないよ」

「笑ってるだろ」

「笑ってるけど、式を笑ってるわけじゃない」


どうしようもないほど自分の都合で、全人類を呪い殺す災厄を殺しにきたと、軽く言い放った言動が何だか痛快で。
式の事は相変わらず何も知らない筈なのに、『式らしいなぁ』なんて思いが過った自分が可笑しくて。
でも、もしかすると私は式のことを少しくらい知りつつあるのかも、とか、多分勘違いの気持ちが楽しくて。
私はこの段階になって、私の好きな表情になれていた。

「失礼だな。オレそんなに変なこと言ったか?」

「ううん。だけど、式は変なやつだよ」

「やっぱり失礼だな」

いま私が浮かべられた表情。感じられた気持ち。
それが当たり前のように幾つもあった場所、私が当たり前に持っていた、この場所に在る誰に対しても胸を張れる場所。
取り戻すべき、私の大好きな世界を。
もう一度、誇りに思う。
強く、誇る。
だから、行く。

この黒だけじゃない―――全部を壊しに。
私も式と同じ、どうしようもないほどの、自分の都合で。




「ふん、早く行くぞ」


ぷい、と。
式は私に背を向けて、展示場へと一歩踏み出す。
こういう態度の式は、少し珍しいかもしれないと思った。


「まって」


その背を、呼び止めた。
私は一歩も動かないまま、さっきまでのように式の隣に並ぶこともなく。
黒い雪の降る道の真ん中で、私は式が振り返るのを待つ。

「今度はなんだ?」

「これ」

「…………」

その時、式が浮かべた表情こそ、実は珍しい物かもしれなかった。

「もっていって」

私の、式へと突き出した両の手。
そこに握られていたもの。
長い、重い、大きな刀。

「これが、最後の一本だから」

モモと私で分け合って所持していた刀の、ラスト一本。
私たちが所持していた刀剣の中でもおそらく最も長く大きく、そして異質な。
『七天七刀』と呼ばれるそれを、私は両手で掴んでいた。

これで本当に最後。
もう、式に渡す刀は無い。
持っている刀の全てを式に渡してしまうということ。

刀を授ける代わりに守護を求める、その最後の報酬をここで渡してしまうこと。
それは事実上の、契約の満了。
私たちが結んでいた約束の終わり――


「いいのか?」


別れを、意味していた。


「ああ、もう十分。守ってもらったから……」


声に寂しさが滲まないように、気を使ったつもりだけど。
悟られたかどうかは分からない。


「そうか」


いずれにしても、式は短く答え、刀を受け取って。
とても呆気なく。私たちの契約は終わった。



「じゃあね」

「ああ」

何故だろう。
私たちの間に、悲壮感はなくて。
ただ静かに。あっさりと、穏やかな雰囲気のままで、それぞれ違う道に進んでいく。

もう幾度目かのシーン。
戦いの場へと進んでいく式を、私はもう一度だけ、見送る事にした。
式は振り返ることなく、黒き塔の正面入口へと向かっていく。
私は黒い雪が降る路上で、見つめ続ける。

彼女の揺れる黒髪。
良く似合っている着物姿。
凛々しき歩み。
最後まで、綺麗な後姿。かつて、大切なものを守るために欲しかった強さの全てがそこにあった。
私じゃ決してたどり着けないと今は悟っている、彼女の在り方。

きっと彼女は今でも否定するだろうし、絶対に認めないだろうけど。
それでも、彼女がなんと思おうと。
私にとっての式は、颯爽と現れて弱い私を助けてくれる『正義の味方』、だったのかもしれない。
だから―――


「ありがと、そしてさよなら。私のヒーロー……」


見えなくなった後姿に、私もまた、背を向ける。
黒い雪の降る路上、誰もいなくなった場所。
薄青だけが取り残された空のむこう、天の高みから降りてくる白へと。
たった一つだけ願う特別(せいはい)へと、かける普遍(ねがい)を歌に乗せ。




「―――――Listen」



夜が塗りつぶしてしまう前に、一歩を踏み出す。
私の行くべき、最後の戦いの場所へ。









【 TURN 5 :『Listen!!』-END- 】







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332:COLORS / TURN 2 :『ARIA』 両儀式 :2nd / DAYBREAK'S BELL(1)
秋山澪 :2nd / DAYBREAK'S BELL(5)



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最終更新:2015年03月05日 01:41