狂風 ◆40jGqg6Boc



「御加減はどうでしょうか、澪殿。少々速すぎるかもしれませんが」
「は、はい!ぜんぜん大丈夫です!」

風をきり突き進む一騎の馬で一組の男女が言葉を交わす。
銀ともとれる髪を生やし、上下黒のスーツに白のワイシャツを着こんだ男の方は明智光秀
そして光秀の言葉に応える黒のロングヘアーの少女の名は秋山澪だ。
二人はエスポワール号で行われた会議に参加し、仲間を集めるために馬を向かわせていた。
戦国武将であり、騎乗に慣れた光秀が走らせる馬の速度は澪にとってはかなり速い。
光秀はそんな澪を気遣うが、彼女は精一杯の強がりを見せる。

「明智さん、わたしのコトなんて気にしてくれなくてもいいです。
今は少しでも時間が惜しいから……だ、だからもう少し速くしてもらっても構いません」
「おや、心強いですねぇ。私は好きですよ、そういう心意気は」
「か、からかわないでくださいー!」

顔を赤らめ、左右に頭を振る澪は慌てながらも言葉を発する。
馬を操っているため光秀の表情はわからないが恐らく笑っているのだろう。
押し殺したような苦笑が光秀の背中越しに確かに澪へ届いたのだから。

(でも、心強いのはこっちもだな……よかった、明智さん達のような親切な人が居てくれて)

見た目以上に広い背中を見つめ、ぎくしゃくしながらも澪は抱きつく。
殺し合いに巻き込まれはしたものの、思えば自分は幸運だと今更ながら思う。
白井黒子衛宮士郎を始めとしたエスポワール号のメンバー、
そして今自分と行動を共にしている光秀は誰一人として殺し合いには乗っていない。
自分を含めて八人、更に仲間が増えればきっとこの殺し合いもどうにか出来る。出来るはず。
だから何も出来ない自分だけども、せめて皆の足を引っ張らないように頑張ろう。


「では澪殿のお言葉に甘え少し急ぐとしましょう。――掴まっていてください」


より一段と強烈な風が澪の頬を叩いた。



◇     ◇     ◇


(ああ……可愛いですねぇ、無力さを微塵にも隠さない人間の必死さというものは……。
この心許ない力で抱きしめられては、それ相応のお礼をしてあげたいぐらいです)

澪が震えながらも自身をひっしりとしがみつく感触を光秀は楽しむ。
恍惚に染まる表情の理由は澪の必死さを全身で感じられるためだ。
今にも折れてしまいそうな一本の細木すらも思わせる脆弱さに嫌悪感はない。
寧ろ愛でるに値するべきものだと思え、実に愛らしく、同時に思わずにはいられない。
少女という名の木を力の限り折ってしまえばどうなることだろう。
この力なき少女――秋山澪は果たしてどんな顔で死んでくれるだろうか。

きっと自分を恨んでくれるだろう。
裏切られたショック、やり残した想い、死への言いようのない恐怖――美味なる感情を自分に向けてくれるに違いない。
だが、いま此処で彼女を殺してしまうのはそれはそれで興ざめなものだ。
エスポワールに集まったメンバーは自分に怒りを抱いてくれるだろうがまだまだ速い。
ある程度の御馳走を何度も頂くのもいいが、まだもう少しは我慢しておきたい。

また光秀は数分前に方針の若干の変更を澪に提案した。
島を西回りに進むがどうせならその前に近くの施設にも立ち寄ってみよう。
中心地区に位置する施設、その後は当初の目的通りアジトを経由し、西へ回っていく、と。
澪に反対の意思はなかった。
馬の速度は速く、エスポワール号のメンバーとは特に時間の指定をしていないため、調査に充てられる時間は充分にある。
それに光秀が言うように施設に留まっている人間が居るかもしれないと思ったためだ。
何もない場所を走るよりも、地図に記された施設内を捜した方が他人を見つけやすいかもしれない。

ただ、自分と光秀が他者との出会いを希望する理由に澪は気づいてはいなかった。
光秀の本当の理由。それはもはや言うまでもない。
屈辱に埋もれた誰かの顔を思うと、既にいてもたってもいられない。


「さあ、見えてきましたよ。一つ目の場所――神様の眠る場所です」


新たな出会いを求め、光秀は澪を従えて馬の速度を更に速めた。



◇     ◇     ◇


「繰り返すようだけど此処にとどまり、他の参加者がやってくれば交渉をする……という方針でいいかしら?」


青髪の女性、キャスターが言葉を発し、二人の男女が頷く。
田井中律黒桐幹也、彼らは共にキャスターの同行者だ。
三人は食事を摂ったり、雑談をしたりなどしていて時間を潰していた。
また二人に主催者への打倒という決定に不満はない。
キャスターの洗脳を掛けられた黒桐はもちろんのこと、そもそも方針の変更は律が言いだしたものだ。
律の勢いのついた頷きがキャスターの表情を自然と綻ばせる。

「頑張りましょう!キャスターさん、幹也さん……ぜったいに帝愛グループをぶっ潰しましょう!」
「ああ、そうだね」

律の言葉に幹也が応える。
そして律の表情はキャスターに勇気をくれる。
護りたいと思う。第一これは聖杯戦争ではない。
もちろん再び与えられた命を無駄にするつもりはない。
しかし、この少女を一人護るくらいの周り道はそこまで困難ではないだろう。
何故なら自分はサーヴァントの一体。
三騎士のクラスのようにいかないだろうにも並みの人間に後れを取るつもりはない。

だが、まったく不安がないわけではなかった。
幹也に龍牙兵を預けているものの彼自身に戦闘力があるとは言い難い。
律も一般的な女子高生であるため、残念ながら戦力にはならない。
肝心のキャスター自身も直接戦闘よりも後方支援の方が得意だ。
だから今、自分たちに必要なのは前衛を務める屈強な戦士。
最適な人物はセイバーだろう。
サーヴァントの中でも最強のクラスである彼女が居れば心強い。
問題はキャスターとセイバーは敵対していることだがやるしかない。
何もせずに元の世界に戻れるほど上手い話しもないだろうから。

「っ……なにか聞こえませんか」
「へっ?」
「なんですって?」


そんな時、黒桐が入口の方を見ながら言葉を漏らす。
律、思考に耽っていたキャスターは驚く。
そして彼女ら二人も黒桐と同じように視線を向ける。
確かに音はしている。入口が開き、此処へ降りてくる足音が聞こえる。
咄嗟にキャスターは身構えた。
必ずしも友好的な人物がやってきたとも言えない。
よって用心に越したことはない――だが、それは杞憂であったことをキャスターは思い知らされた。


「澪!もしかして澪か!?」
「え、その声は……律?」


律が親しげに声を上げ、彼女が澪と呼ぶ少女の方へ駈け出して行ったのだから。
一目も憚らず互いに抱き合う律と澪を見てしまえば警戒は緩む。
同時に黒桐の方も主であるキャスターと同じく安堵の息を漏らす。
ただ一人、そんな光景を眺め光秀は口元を歪ませていた。



◇     ◇     ◇


「そうか……澪は親切な人達に会えたんだな。
私も玄霧先生って人に会えたんだけど先生は……先生は金髪の人に、そしてあたしは変な薬を呑まされて……」
「律……無理に話さなくていいから」
「うん……ごめんな、澪」

再会を喜んだ後、律と澪はこれまでの自分を互いに話し始める。
誤解こそあったものの澪の方は特に危険なことはなかった。
だが、律の方は違う。
知り合ったばかりの玄霧皐月は凶弾に倒れた。
更に律自身はその下手人であるレイ・ラングレンにブラッドチップを呑まされている。
不幸としか言いようがないだろう。
事の悲惨さから澪は律に掛けてやる言葉をなかなか見つけられない。
出来ることと言えば俯く律を心配そうに見守るぐらいしかない。
きっと律は今も泣きだしたいほどに苦しいだろうに。

「でも――わたしは決めたんだ!キャスターさんと幹也さんと一緒に頑張ろうって。
こんな殺し合いは絶対に間違ってるし……なによりわたしが澪達と殺し合いなんか出来るわけないじゃんか!」

しかし、律は澪の意に反し逆に彼女を見上げてくる。
目元には一片の涙もない。
見開かれた律の目は普段の彼女のものと大差はない。
変わらない。自分の友人、田井中律はこんな状況で酷い目に遭いながらも決して挫けてはいない。
それがわかった時点で澪は感動にも似た、どこか熱い感情を覚える。

「凄いな、律は。わたしなんて何も出来てないのに……」
「あー勘違いしてるなー澪。わたしだってまだ何も出来てないよ。
だからこれからなんだ、私も澪を。あずにゃんのことは残念だったけど……それでもまだ唯とむぎと憂ちゃんはどこかで生きてる。
頑張ろうな、澪。ぜったいにあいつらを見つけて、学校に戻ろう!」
「律……うぇ、ひっ……」
「ち、ちょっとタンマ!なんでそこで泣くんだよー!?」

同時に澪は自分の頬に熱い雫が流れ出したのを感じた。
だけどもそれは決して悲しみの涙ではない。

「だって……やっぱり律は凄い奴だなって……そう思ったら急に……」
「おかしな奴だなぁ澪は……まあ、いいか」

涙を隠す澪の頭に確かな感触が走る。
それは差し伸べられた右の手、律自身の手だ。
律は優しく澪の頭を撫でていた。
「澪は泣き虫だもんな。大丈夫、わたしが居るって!
澪はわたしがいないと何も出来ない困ったちゃんだからな!」
「う、うるさいな!」

明らかに茶化したような態度を律は取る。
さすがに馬鹿にされすぎていると思ったのか澪は急に顔を上げた。
ムキになりながらも律の手を必死に払う。
律は払われた手をひらひらさせ、依然としておどけた笑顔を見せ続ける。
ごめんごめん、と言うが律が本当にそう思っているかはあまりにも怪しい。
そんな律の様子を見て、澪は――笑っていた。


「でも……ありがとう、律。お前にまた会えて本当に良かったよ……」
「へへっ、まあ私もそうだけどさ……は、恥ずかしいな」

変わるものがあれば変わらないものもある。
しかし殺し合いという異質な状況の中、少なくとも澪と律の関係は変わってはいなかった。
その事実を噛みしめるかのように、二人は互いに喜びを分かち合う。



「美しいものですねぇ……友情というものは。こちらも清々しい想いに耽ってしまいます。
そう思いませんか、キャスター殿……いや、サーヴァントと言った方がよろしいでしょうか」
「なぜあなたはそれを――?」
「おや、奇抜な装いをしているのでもしやと思ったのですが。
なるほど、衛宮殿の言うとおりサーヴァントなる者は本当に存在していたのですねぇ」
「あのセイバーのマスターが……なるほど、そういうことね」
「ええ、そういうことです」


一方、よくわからない相槌を打ちながら光秀はキャスターと話す。
流石にこちらは澪と律のような和気あいあいとしたものではない。
また、龍牙兵を率いた黒桐は入口に立って、他に来訪者は居ないかを見張っている。
その理由は光秀と話すのは自分だけでいいとキャスターが考えたためだ。
何故なら黒桐にはまだ洗脳を掛けてある。
魔術に心得のある者にわかることはないだろう。
しかし、万が一見破られた場合、不要な誤解を受けるだろう。
理由もなくなったため機をみて術を解こうとキャスターは改めて思い、そして口を開いた。

「それで貴方の名前はなんというのかしら? 一方的に知られているのはあまり良い気分がしないから……わかってくれるわね?」

当然の権利のように光秀の名をキャスターは問う。
実のところ彼女の真名は衛宮士郎も知らず、まして光秀が知っている可能性はゼロといっていい。
だが、キャスターは敢えてその事に言及しない。
たとえ律の友達の同行者といえども万が一のケースがある。
正直、光秀のどこか虚ろ気な瞳はあまり歓迎出来るものではない。
むしろ嫌悪すべき対象では――キャスターがそう思い始めた矢先、光秀がゆっくりと動き出す。


「これは失礼。私は明智光秀……第六天魔王織田信長公配下の者です。
ですが――いいじゃないですか。そんな野暮な事は、どうでもいいでしょう」


直線的な動きではない。
ゆらゆらと、まるで横から風に煽られるような動きで光秀は歩んでいく。
光秀からは殺気は感じられない。
しかし、どうにも収まらない胸騒ぎをキャスターは感じた。
言ってしまえばそれは単純に――気味が悪い。
気持ちが悪かった。


「……どういう意味かしらね、それは」


キャスターは密かに身構える。
そんなことはないと思う。
ただ、少しだけ不安に感じるだけだ。
一応念のためだと光秀は一本の剣を持っているが構えてすらもいない。
それに大丈夫。自分はサーヴァントなのだから。
たとえこの生きているか死んでいるかわからない男が襲っても、きっと大丈夫――




「あは、言葉通りの意味ですよ。では――頂かせてもらいましょうか」




光秀の言葉が終わるや否や、キャスターに衝撃が殺到した。



◇     ◇     ◇



胸が焼けるように熱い。
キャスターが先ず知覚したのはそれだ。
続けて張り裂けそうな痛みが全身へ伝っていく。
どうしようもない奔流だ。この勢いを止めることは出来ない。
止まる時が来るならばそれはきっと終わる瞬間と同じに違いない。
これが、自分の胸を深々と突き刺している大剣が全ての血を流しつくし、
キャスターのサーヴァントとして現界した命が終わる――その時と。


「くっ……ははははは! どうしましたかキャスター!?
これで終わりではないでしょう!? あなたもあのセイバーと名乗った少女と同じサーヴァントなのですから!
もっと、もっとあなたの抵抗をみせてください! この不肖者である明智光秀めにその身果てるまで!!」


眼前には血しぶきで染まった身をゆらゆらとくねらせ、狂ったように叫ぶ光秀が居る。
その後方には律と澪がさも呆然としてこちらを眺めているが石のように固まっている。
無理もない。キャスター自身もこの結末に驚いているのだから。
マスターでもない、普通の人間である二人にあれ以上の行動を求めるのは酷だろう。
だが、今はあの二人を気に掛けている場合ではない。
目下、思考すべきことは自身の危機の回避のみ。
しかし、おぞましい笑いを上げながら光秀はさらに剣を深く突き立ててくる。


「勝手ながらもサーヴァントなる者は過去の英霊と聞かせていただきました!
素晴らしい……実に素晴らしいではないですか!
私の手で、いつの世かに名を知らしめた御方の命を握れようとは……なんたる幸せかッ!!」


侵入してくる。
好き勝手なことを言い、好き勝手な速度で自分の奥底に突き進んでくる。
痛みを、そして光秀への我慢できない嫌悪感をキャスターは嗚咽でしか返せない。
たとえサーヴァント言えども不死身の存在ではない。
痛みを感じないわけがなく、刻一刻と命を削られていくのがわかる。

14人が死んだ一回目の放送で、サーヴァントが誰一人として呼ばれなかったことに油断したのかもしれない。
サーヴァント以外にもまさかこのような存在が居たとは思えなかったのだから。
アサシンのサーヴァントである佐々木小次郎と同じ日本の武将でありながらも全く違うタイプ。
この世の悪意がまさに人の形を借りたような――そんな感想すらも抱かせる光秀との出会いを恨めずにはいられない。
もし、自分がセイバーやランサーのサーヴァントであったならば未だ勝機はある。
だが、それは結局のところそれはあまりにも儚い夢でしかない。
最初の一撃が既に致命傷となり、この瞬間もキャスターの周囲には血みどろが広がっている。
だから――もう、どうしようもない。
織田信長の元で名を馳せた光秀の一撃はまさに電光石火の如く。
ランサーのサーヴァントにすらも肉迫するであろう速度による一撃はあまりにも重い。
故にキャスターに抵抗する術は完全になくなった。



(わたしは、どこで間違え……)


最後の時にキャスターが思ったことは一つ。
残されるであろう律たちへの心配ではない。
また裏切りのメディアこと自身の脱落に関する事でもない。
脳裏に映るものは彼女を救ってくれた、不器用な彼女自身のマスター。




「いいですよ! そのお顔……美しい!真っ赤な死に化粧がお似合いな実にいいお顔ですねぇッ!
あなたの苦しみがひしひしと私に伝わってくるようです!
くっ……は、はっはは、ひっはぁははは……んあハハハハハハハハハハハハハハハ!!」





(宗一郎……さ、ま…………)






ずっと追い求め続けた、葛木宗一郎のいつもと変わらぬ姿だった。




◇     ◇     ◇



「ああ……まさに絶頂と言えばよいでしょうか。やはり我慢しないでよかった……」


信長の大剣が引き抜かれ、キャスターの既にもの言わぬ身体が前のめりに倒れ伏せる。
それと同じく光秀が身をビクビクと震わせ、歓喜の声を抑えることなく漏らす。
全身が波打ったかといえば、だらりと両腕を垂らし真っすぐ頭上を見据えだした。
大きな一仕事を終えた直後に抱く一種の達成感が光秀の全てを支配している。
まさに至福の一時。光秀は両目を細め、今しがた起きたことの回想に全ての意識をつぎ込む。


「な……なにしてるんだよ、おまえ……」
「あ、明智さん……」

しかし、そんな時間を律の裏声混じりの言葉が邪魔をする。
そして笑み一色でしかなかった光秀の表情に明らかな歪みが生じた。
無理もない。せっかくの一時に声が――くだらない雑音が聞こえてきたのだから。
光秀にとっては律の声も澪の声も等しく同じものでしかない。
何故なら興味がないのだから。たったそれだけの理由だ。

「おやおや、無粋な真似をしますねぇ。今の私は嬉しさでどうにかなってしまいそうなのでどうかお静かに――」
「な、なにしてるんだって訊いたんだよ!」

だが、律は喰い下がらない。
まるで道端に落ちた葉を見るような目をした光秀を前にしても。
澪は何も言えない。
逆に一段と張り上げた律の言葉に驚き、両目を瞑って震えている。
まるで対照的な二人を眺めるのは光秀。
律の思いがけない言葉に少し感心した様子を見せながらも光秀は口を開いた。
何故か心なしか少し嬉しそうに。

「見てわかりませんか? 堪能させてもらったのですよ、キャスター殿のお命で。
だってそうでしょう、英霊ですよ?英霊……おそらくは英雄の霊と書き英霊、ああ! なんと誉れ高き響きでしょうか。
一介の士でしかない私めには手の届かない存在であったに違いありません。
そう普段なら……ですがこの場では違う! 私にも等しく機を与えられた……ならば逃がす道理はないでしょう!」

明智がエスポワール号のメンバーに取り入ったのはあくまでもその時、そうすることが得だと考えたためだ。
何よりも他人の苦しむ顔を眺め、虐げることを好む光秀がいつまでも黙っているつもりはない。
征天魔王として恐れられた織田信長ですらも、光秀は己の欲求のためだけに逆らえる。
故に光秀が交わす口約束など、その時の彼の気分次第でどうとでも転ぶ。
もはや言うまでもないだろう。
光秀は少なくともこの場で無害な人間を演じるつもりは既にない。

だから光秀はキャスターを狙った。
衛宮士郎の話したサーヴァントたる存在は元は英霊と祀られた存在らしい。
士郎の話した名前の中にキャスターはなかったが、彼女もサーヴァントの一人であるという予想は見事に当たった。
あの時、キャスターもサーヴァントの一体であることを知った時、光秀は震えた。
英霊とはなんたるか。信長公のような存在か。
英霊が死にゆく瞬間は――湧きあがる興味を理性で抑えるのは叶わなかった。
戦い自体に興味はない。ただ、英霊と崇められた特別な存在が死にゆく瞬間を是非とも見てみたい。
歪んだ想いの結果がキャスターの殺害であり、今の状況に至っている。


「彼女が見せてくれたお顔は実に良いものでした……しかし、言いにくいのですが私は貪欲なものでしてね。
気になるのですよ……田井中律殿。あなたはいったいどんな顔を浮かべ、そしてどんな甘美な声をあげてくれるのかをねぇ……
そう、どうしようにも逃れられない死を目の前にして、あなたはどのようにわたしを喜ばせてくれるのでしょうかッ!!」


そう言って光秀は律に飛びかかろうとする。
刹那。光秀の後方で、入口の方で音が響いた。
それはデイバックを壁に叩きつけたことによるものだった。


「そういえば忘れていました、もう一人いらっしゃることを。
お名前は……はて、なんでしたでしょうか? 宜しければ教えてください」


そして光秀の問いに音の主は応える。
決して早口ではない、それでいて遅くもない。
平凡そのものを貫く口調で彼は口を開いた。




「黒桐――幹也」


黒の短髪に黒ぶちの眼鏡ぐらいしか特徴のないその青年は己の名を言葉に変えた。




◇     ◇     ◇

気がつけば夢から覚めたようだった。
どうにも記憶がない。
そう、青い衣装に身を包んだ女の人と出会ってそれからの記憶が……ごっそりと。
僕、黒桐幹也はたしかに遺跡の調査をしていた筈だった。

しかし、今の僕を取り巻く景色は遺跡のそれとは違っている。
何かの入口に立っていることから、僕は見張りの役をしていたのかもしれない。
だけど理由がわからない。
不審に思い、もう少し周囲に視線を回すと奇妙な骸骨が転がっていた。
さすがに驚きはしたものの僕の意識は別の方へ向いていた。
入口の先、なんらかの施設の中から大きく分けて二つの声が聞こえたから。
それも片方、女の子の方は明らかに様子が可笑しかった。
だから僕は入口から入り、そして目の前に広がる光景を見て、
今、この異質な状況に直面しているわけだ。

「黒桐殿ですか。いやいや、何も言わずに立ち去れば助かったでしょうに……実に勇敢な方ですねぇ」
「そんな立派なものじゃないですよ……多分ね」

そう、きっと褒められたことじゃない筈だ。
少なくとも僕はあの青の女性と、互いに肩を抱き、震え合っている二人の女の子はよく知らない。
だから本当のところ彼女達が死のうとも僕に直接的な関係はない。
生き残りを選ぶなら、この人が言うように直ぐにでも逃げ出すべきだったんだろう。

でも、結局僕はここに残る事を決めてしまった。
僕の行動は甘いと言われるだろう。
だけど、逃げたくなかったのかもしれない。
彼女達を護る。そういう理由ではなく中途半端な願いがあった。
ろくな力がなくても反抗の意思は曲げたくはない、と。


「ふふっ、謙遜するのですねぇ。まあいいでしょう、どちらにしろ同じことですので」


謙遜なんかじゃない。
ただ、聞こえのいい言葉で飾っているにしか過ぎない。
女の人は既に事切れているようで、赤い鮮血が嫌でも目に入る。
うつ伏せに倒れているところから傷は見えないが、それでも慣れない光景だ。
膝がガクガクと震えているであろう僕はみっともなく見えるに違いない。

二人の女の子には申し訳なく思う。
僕なんかじゃなく、もっと頼りになる人ならよかっただろうに。
それでも僕は、人が死ぬ瞬間はもう見たくなかったんだと思う。
僕にとって名前も知らない、本当に見知らぬ女の子であっても変わらない。
理想だけでは何も救えないことはわかっていても、僕は足掻きたかったのかもしれない。
たとえそれが予想出来る中で最悪の結果を引き起こすことになっても。
僕はほんの少しの時間を稼ぎたかったのだろう。


「……あなたはどうして殺すんですか」
「愉しいからですよ。それ以外に求める理由はありません」


意味がない問答であると自分でもわかる。
疑いようはない。この人は乗っている。殺人ゲームに、この殺し合いに。
僕とは違う価値観を持って、それに従って生きている。
彼の殺人衝動はきっととても強い。
残念だけども僕にはそれを止める手段はない。




「もうよろしいでしょうか――では、さようなら」




一迅の風が僕の身体を叩きつけ、熱い感触が過ぎ去っていった。
あ――だめだ。
世界が反転する。
背中から倒れこむ。
胸が熱い。
胸にあてた手が生温かい。
真紅というべき赤は実に目に痛い。
同時に肉体的な痛みがどうしようもなく僕に訴えかける。

でも、僕は大声どころか一声も出せない。
喉からはヒューヒューとどこか間の抜けた音しかしない。
みっともない男だと思う。
ろくな考えもなしにあっけなく胸を一文字に斬られてしまった。

ただ死んでほしくはなかった。
どんな理由があれ、殺人は間違っている。
だからこんな風に自分の命を落とすことになっても、
これ以上人が死ぬのを見ずに済むと考えれば少しは気が晴れるだろうか。


考えてみれば酷く自分よがりな考えだ。
僕が死んだ後、きっとあの女の子達も少なからず動揺する。
気にしないで、と一言言ってやりたいがそれすらも叶わない。
勝手に出ていき、勝手に斬られ、そして勝手に死んでいく。
彼女達にとっては堪ったもんじゃない。
けどもやはり彼女達と僕は他人同士だ。


だから申し訳ないけど――僕は最後の思考を、彼女のために費やしたいと思う。



(式……)


両義式。
常に和服を着こみ、その上には革のジャンパーを羽織った少女。
彼女は今、どこで何をしているのだろうか。
また夜の街を徘徊し、いつも通りに過去の自分を辿っているのかもしれない。
気がかりなことは一つ。
彼女が殺人をしていないか。
いや、殺したい相手――外れてしまった参加者に会っていないかということ。

出会ってしまえばきっと式は殺しにかかるだろう。
巫条霧絵や浅上藤乃と出会った時のように。
それだけは――駄目だ。
人が死ぬのは嫌いだ。
でも、それ以上に僕は式に人殺しはして欲しくはない。
たとえ式が人を殺そうとも、僕は死んだ人よりも式が殺人を犯したという事実の方を悲しむだろう。

酷い考えだとは思う。
だけどそれでも僕は式を――。

きっとその感情に間違いはない。



「あは、もう終わりですか……残念ですねぇ。何か言付けがあるのであればこの私がお伝えしますが」


目の前の男がここに来て不可解な気遣いをくれる。
きっと特に意味はないんだろう。
僕は男の言葉に関心を寄せるのは止めた。
思う事は式、そして彼女への謝罪だけだ。

式は浅上藤乃との殺し合いで一つの罪を負った。
そして僕は言った。
式の罰は、僕が背負ってやるよ、と。
だけどその言葉は嘘になってしまった。
僕はもう、これ以上式の傍に居る事は出来ない。
彼女の声を聞くことも、彼女の横顔を隣で眺めることも叶わない。
そう思えば自然に悔しさがこみ上げた。
これから死ぬっていうのに、自分の死がとても軽い事実のように思えた。
死にたがっていたわけじゃない。
ただ、やっぱり僕は式のことが――好きだから。
好きだから彼女には人を殺して欲しくはないし、こんなにも彼女のことを考えてしまうんだと確信した。



だんだんと意識が薄れてきた。
そんな時思う。
式がもし人を殺してしまったら僕はどうするか、と。
考える時間はいらない。答えは決まっているのだから。
勝手なやつだと思われるかもしれない。
だけど、これだけは譲れない。
僕は、式がもし人を殺してしまったら――





「式……僕は君を――」




そこで僕の意識は深い闇に沈んでしまった。





◇     ◇     ◇




「式……ふむ、そういえばあの少女はそのような名前でしたね。
わかりました。今度お会いした際にあなたのことを伝えておきましょう。
あなたがあの少女に送りたかった言葉……それはけっきょくのところ、わからずじまいでしたが」


倒れ伏した黒桐の遺体を前に、大剣を染めた鮮血を光秀は綺麗に舐めとった。
浮かべる表情には紛れもない笑みが咲き乱れている。
依然として光秀の全身は快感の波に揺れている。
やはり他者を殺すことは気分がいい。
ろくな抵抗を見せなかった黒桐だがそれでもある程度の満足感はあった。
しかし、まだまだ御馳走は残っている。
次の獲物に取り掛かろうと、光秀は黒桐に背を向けた。

「う、うああああああああああああ!」

そんな時、大きな叫び声が響く。
見れば律が光秀の方に向かって駆けだしている。
それも無手ではない。
両手で一本の刀、九字兼定をしっかりと握っている。

(怖い。怖いけど……キャスターさんと幹也さんが、この変なやつに……!)

光秀が醸し出す雰囲気はあまりにも異常だ。
普通の女子高生である律にとって異質でしかない。
だが、二人は死んでしまった。
自分に優しく接してくれたキャスターと黒桐の二人が。
だから実際に手を下した光秀をどうしても許せなかった。
なけなしの勇気で、恐怖で竦みそうな両足に発破をかけて、
一度も使ったことのない武器を手にもって、そして律は走っていた。
澪が何かを叫んだがもはや律には聞こえていないようだった。
その速度は速く、律は直ぐに光秀との距離を詰める。
しかし、それはあくまでも一般の女子高生に比べて速い程度のもの。
戦国の乱世を生きる武将にとってはあまりにも遅い。



「あ――」

律の目の前で光秀の大剣が一閃した。
同時に律の視界は下へ揺れ、いきなり身体を支えられなくなった。
直ぐに自分がくずれ落ちたことを律は知る。
だけどまだ諦めきれない。
痛い。泣きたいぐらいにずきずきと痛い。
あの二人が感じた痛みはこんなものじゃないだろうから。
もう一度踏ん張って、今度こそ――そんな時、律はようやく気付いた。
上手く立てない。なんというか安定しない。
支えが一本足りない。
思わず自分の下半身に目をやって、そして何も言えなくなった。
何故ならそこにはあるべきものがなく、少し離れた場所にあったのだから。


「ひっ――」
「いいですねぇ。そのお姿、実に私を昂ぶらせてくれます」

更に光秀は剣を振るう。
再び生じるものは強烈な一閃。
それは律から二つあるうちの一つを持っていく。
すっぱりと切れた傷口からは赤が漏れ出し、律の周囲を鮮やかに彩る。
そこに律の言葉にならない叫びが合わさり、そこに居る者の知覚と聴覚にその惨状を事細かに伝えた。

「り、律……?」

目の前で人が死んだショックで動けなかった澪が小さくつぶやく。
両目を見開き、さも信じられないような眼つきでただ前を見ている。
今まで、そして今起きている事が澪には信じられない。
律の右脚が切られ、左の二の腕すらも斬り飛ばされ、
彼女が血みどろの中で足掻いている光景など認めたくはなかったのだから。
そんな時、明智はゆっくりと目線を動かす。
もはや虫の息にも近い律ではなく澪の方へ。
視線を受け、思わず後ずさりする澪に対し、光秀はあっけらかんと口を開いた。



「そうだ、澪殿、あなたには一風変わった銃を与えたはずです。
それで律殿を殺してください。そうすればあなたを殺しはしませんよ。
なに、軽い一興です。固くならないで、力を抜いてやってくだされば結構ですので――」


あまりにも気軽に、さも何でもないかのような口振り。
だけども口にする内容はおぞましく、正気のものとは思えない。
何も言葉が出ない。しかし、向こうはお構いなしに話しかけてくる。



「さぁ! やってみせてください澪殿! 近しい者により死に逝く少女の断末魔……ああ! 実に甘美な香りが今からでも私を惑わしてくれそうですよッ!!」



澪には目の前に居る存在が同じヒトとは信じられなかった。



◇     ◇     ◇


秋山澪は軽音部に所属する普通の女子高生だ。
殺人などはニュースで見知ったりするものの実際に直面したことはない。
ましてや自分の命と友達の命を天秤に掛ける経験などある筈はない。

「わたし、わたしは……」

律を助けたいと思う。
当然だ。自分達は友達なのだから。
でも澪はまるで棒になったかのように一歩も動けなかった。
人見知りで、人一倍痛みを怖がる澪にとって今の明智は恐怖の対象でしかない。
いっそこの銃で明智を撃てば――そう思っても足りないものが多すぎる事に直ぐに気付いた。

先ずは覚悟だ。
自分が銃を、人の命を奪うなど今まで考えたこともない。
銃を撃つ感触、そしてその先に広がるであろう光景を想像するだけで血の気が引いてくる。
たとえ自分の命が危ない状況であっても、引き金を絶対に引けるとは言い切れない。

次に自信だ。
射的部でもない澪はもちろん射撃はずぶの素人だ。
間違って律に当たってしまっては目も当てられない。
運よく当たったとしてもあの明智がそれだけで怯むのだろうか。

そして何よりもただ、純粋に澪は怖かった。
明智に立ち向かう勇気が澪には持てない。


「ああ、それと言っておきましょうか。
もしそれを私に向けたりでもしたら――わかりますね?」


ゾッとする。
背筋が凍りつき、悪寒が一瞬で澪を支配する。
逆らえない。この人には絶対に逆らえないと確信できる。
この人に向かって銃を撃つなんて絶対に無理だ。
きっとそのあとに直ぐ殺されてしまう。

じゃあ自分は言う通りに律を殺すのだろうか。
死にたくはない。自分も律達のような目には遭いたくない。
実際、律の怪我は明らかに酷い。
自分が何もしなくても――ふと律と目があった。

思わず目を背けたくなる。
一向に動きを見せない自分に律は怒っているんだろう。
だってこうしている間に律の身体からはどんどんと血が流れ出ている。
ごめん。でも、直ぐには決められないんだ。
声には出せずに、ただ、泣きそう顔を浮かべることで澪は心の中で律にひたすらに謝る。
そんな時だ。苦しそうに顔を上げ、律が口を開いた。

「……気にするなよ、澪。わたしのことはいいから……はやく――逃げろ!」

びっくりした。
律の口から出た言葉は自分への非難を示すものではなかった。
あんなに痛そうなのに律は自分の事を気に掛けている。
自分は何も痛むところはなく、明らかに律の方が危ない状況なのに。
私は自分のことだけを考える余裕しかなかったのに――

嬉しかった。
同時に恥ずかしかった。
律に比べてあまりにも弱弱しい存在でしかない自分が。
自分はもう足手まといにならないために船から出る事を決めたというのに。
これじゃあ結局変わらない。
私は律に応えないといけないと思う。


「律……ごめん、でもわたしはお前を置いてはいけないよ……」
「澪……」

でも、無理だ。
ああ、そうなんだ。
結局のところ最初から答えは決まってた。
悩む事は――なかった筈なんだ。



「だって……いけるわけないじゃないか。このばか……わたしをばかにするのも、いい加減にしろ……」



律とはずっと一緒だった。
思い返せば律の姿はいつも自分の傍にあった。
小学校も中学校も、私がクラスの男子に苛められた時にも。
そして高校に入学して軽音部に入って様々なことをした。
忘れるわけがない。軽音部での思い出を一時も忘れるわけはない。
だから律を見捨てて逃げるなど出来るわけがない。


「律!」


涙目の目を見開き、澪は背けていた視線をまっすぐに向ける。
次に駆けだした。全力で、持っていたデイバックもかなぐり捨てて。
紡いだ言葉は友達の名前。
直ぐにでも助けなければならない彼女の元へ澪は走る。
決して運動が得意とはいえない澪だが、それでも必死に加速を掛けた。
そして右腕を突き出し、求めるものへ右手を開く。


「澪――」


一方、律の方も澪の方へ手を伸ばした。
ぶるぶると震えていることからなけなしの力を奮っていることだろう。
それでも力強く、まるで親鳥の餌を待つ雛鳥のように待っている。
掴まなければならない。
あの手は、絶対に――そう思えば自分はもっと速く走れると澪は確信した。


そんな時、再び風が吹いた。

「おや、もうしわけございません。少々、手が滑ってしまったようです」


表情を変えずに光秀がそう言葉を発する。
しかし、澪はもはや光秀の言ったことに関心は寄せていない。
ただ、澪は目前の光景に目を奪われている。
何か、ヒュンと風を切る音がした。
それはまだいい。問題はそのあとだ。
生じた音に少し遅れて、自分の目の前で飛んだものが澪にはよくわからなかった。
ボール上で、茶色がついており、見慣れたデザインが刻まれている。
赤を飛ばしながらそれは地面に落ち、ゴロゴロと転がって澪の方へやってきた。
そして――合ってしまった。澪の目と、そのボール上に空いた二つの穴のようなものと。

もう、何も光を映さない、瞳の成れの果てと視線が合ってしまった――



「しかし、さすが信長公がお持ちしていたものですね……。よい斬れ味でしょう、澪殿?」


「い、いやああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」




澪は絶叫を上げながら、その場に泣き崩れるしかなかった。



◇     ◇     ◇

時系列順で読む


投下順で読む



130:試練Next Turn 明智光秀 136:狂風(後編)
130:試練Next Turn 秋山澪 136:狂風(後編)
123:夢! 田井中律 136:狂風(後編)
123:夢! キャスター 136:狂風(後編)
123:夢! 黒桐幹也 136:狂風(後編)


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最終更新:2009年12月19日 22:41