とある馬イクの河口横断記 ◆1Zsr2tvTvs



唐突な話なのだが、みなさんは仙台にある馬上蠣崎神社をご存じだろうか?
「馬」とその名にあることから、なにやら馬に関する神社であろうことは想像できるだろう。
まさしくその通りであるのだが、ここに祭られているその馬に関する逸話がなかなかどうしていい話なのである。

奥州の独眼竜・伊達政宗には重臣である後藤信康から献上された「五島」という愛馬がいた。
大坂夏の陣に出陣する際、政宗は老齢の五島で出撃することは得策とは思えず、また馬自身にも悪いと思った。
此度の出陣が長旅になるであろうことを予見していた政宗は、五島に留守を命じた。
政宗からすれば愛馬を気遣ったつもりであっのだが、五島は長年共に戦場を駆けてきた主人に留守を命じられたことはこの上なく悲しいことであった。
―――もはや役に立たぬ身。
そう悟った五島はその夜のうちにその夜のうちに仙台城の崖から飛び降りて自らの命を絶った。
その話を聞いた政宗は心を痛め、五島の没した地に墓と神社を建て、手厚く弔ったという。

さて、この話の真偽は兎も角だ。
戦場を共にする愛馬が武将たちにとっていかに大事な存在であったかは容易に想像できるだろう。
戦場で自身と一体となる馬が信用できずして満足に戦を行うことはできない。
甲斐国にて生産された優秀な馬を有する武田軍が、無敵の武田騎馬隊と恐れられていたことも有名な話であろう。
また、鬼島津こと島津義弘の愛馬「膝突栗毛」が、木崎原の戦いにおいて敵将との一騎打ちの際に、膝を折り曲げて義弘の危機を回避した話もある。
他にも戦国の話には至るところで馬に関する話が散見され、武将はより良い馬を欲したことがうかがい知れる。
この時代に名を馳せた者の愛馬となった馬は、各地に生息する馬たちから選びに選び抜かれ、初めてその背に主人を乗せるという名誉を勝ち取ることができたのある。

とある群雄割拠の地にて奥州筆頭伊達政宗を背に乗せることができたその馬も、選び抜かれたエリートであると想像できよう。
もともと、東北の地は日本でも最良種とされる南部馬の生産地であり、よりよい馬の生産に力を入れていた地だ。
また、非公式ながら伊達政宗はペルシャから数頭の馬を買い求めという記録もあることと、冒頭に記した馬上蠣崎神社の話などからも、彼が馬に対しての拘りがあったかことはうかがえる。
その彼が馬の名産地を有するその地で愛馬に選んだ馬が名馬でないはずもなかろう。

これはその馬、または「馬イク」とも称される、名も無き馬の物語なのである。


流麗な青鹿毛を全身に纏うその軍馬は、とある孤島の中でさらに隔離された小島にいた。
先ほどの皇女の裸体とそれに戯れる幼女の姿を思い出し、だらしない笑みを見せた軍馬。
人間が客観的に見れば「このエロ馬が!」とつい叫びたくなるだろうが、これは「フレーメン」と呼ばれる哺乳類に見られる現象なのである。
このフレーメンと呼ばれる行為は、鼻腔の内側にあるヤコプソン器官というフェロモンを感じる嗅覚器官を空気にさらすことで、牝馬のフェロモンをよく嗅ぎ取れるようにする生殖活動の一環なのである。
また、この機能を活かして嗅いだ事のな良い香りを探ることもある。
―――先刻の女性たちの香りの良さ、いかなることや。
美女の裸体を拝むという極楽浄土を体験したこの軍馬が、新たな女性との出会いを求めて人間の1000倍ともいわれる嗅覚を働かせることは、当然とも言える流れであった。

鼻に染みつく硝煙の香り、戦場で幾度となく体験した血の臭い…
ここが戦場であるということは、先に信長を仮初めの主として戦ったことからも軍馬はわかっていた。
そして様々な香りに紛れ、わずかに主人である伊達政宗のにおいを感じた。
そのにおいが女性との出会いでたるんでいた軍馬の誇りを呼び戻した。
己を愛馬として選び、幾多もの戦場の先陣を走るという栄誉を与え、共に駆けた主人がここにいる。
主人を乗せて、その意志通りに動き、戦での勝利へ導くことが軍馬に与えられた宿命であり、それを為すことが軍馬にとっての喜びである。
このよくわからない状況に追い込まれた軍馬にとって、主人がこの場にいるという事実は何よりも救いだった。
―――これで自分も誉れ高き軍馬としての宿命を果たすことができる。
自らの使命に導かれ、軍馬は蹄で大地を蹴り上げて、駆けだす。


軍馬が駆けた先、そこにあったのは河口――つまり行き止まりだった。
先ほどの女性が子船で去っていったことから、ここが水に囲まれた地であることは予測していた。
――――もはや、ここまでか?
否、たかが水場ごときで駆けることを止めるほどの軍馬が独眼竜の愛馬に成り得ようか?
日の丸の地を駆け廻る道中では当然、川といった水場を駆けなけらばならないこともあった。
この軍馬はそのような状況でも臆せず駆けてきたのだ。
このような河口で怯む道理があろうものか。
軍馬は浅瀬と思われる場所を直観的に探りあて、対岸目指して河口へ駆けだした。


ところで、みなさんは「明智左馬助の湖水渡り」という伝説はご存じだろうか?
明智光秀の家臣である明智左馬介が本能寺の変後、秀吉派の軍勢に阻まれた折、その愛馬が陸路を断念した主を乗せたまま琵琶湖の湖水へ入り、無事に泳ぎきって居城への帰還を果たした、と言わる伝説である。
にわかに信じがたい話だが、その事実のほどについて考えてみたい。
哺乳類の大半が泳げることは周知の事実であろう。
たとえば犬。「犬かき」という言葉も生み出されるほど、犬の泳ぎは達者であり、手足で水をかきわけ水面を進むのである。
馬はその大きさゆえ、泳ぐことは苦手と思いがちだが、犬と同類の哺乳類であり四足歩行という共通点を持った馬が泳げない――なんて話もおかしな話だろう。
実は馬は泳げる――のである。
事実、馬が海や川を泳いでいる姿は見られ、競馬の調教でもプール調教と言われる方法があるぐらいに、馬が泳ぐということは当り前の行為なのである。


となれば、この優秀な軍馬が泳げぬ道理もないはずだ。
軍馬はその体に水飛沫を浴びて、浅瀬を進む。
水の重さのせいで速度は緩まるものの、着実へと対岸が近くなっていく。
しかし、浅瀬である地帯を抜けると、軍馬の踵がついに水底へとつかぬ深さの地帯へと突入する。
慣れぬ河口の深さに軍馬の体は奪われ、じたばたもがく。
それが逆効果となり、ついには顔まで沈まんとしていた。
―――なんのこれしきッッ!
軍馬は本能的に沈みゆく体の力を抜き、その四足のみに力を蓄えて巧みに動かす。

1かき―――河口に捕らわれた体が対岸へと向かって進む。
2かき―――態勢を整え、その身を浮かさんとする。
3かき―――水面にその背が浮く。

ついに態勢を整えた軍馬は、水中の四足をその馬力でかき分けて、みるみるうちに対岸への距離を縮めていった。
浅瀬につき足場を取り戻した軍馬はそのまま一気に陸地めがけて走りだす。

――――ヒッヒイイイイイイイイイイインッッッ!

陸地へと無事辿りついた軍馬は勝利の咆哮をあげ、主を目指さんと駆けだした。


【F-2/工業地帯海岸/一日目/午前】


【伊達軍の馬@戦国BASARA】
[状態]:ボロボロ 奮起
[思考]
基本:主である伊達政宗のもとへ向かう。
1:主へ向かって駆けるッ!
2:乗るもの拒まず。乗った人をできるだけ落とさないようにする。
3:でも、乗せるのならやっぱ女の人がいい。
4:だけど、正直辛い。
[備考]
※バイクのハンドルとマフラーっぽい装飾類を失くしました。見た目では普通の馬と大差ありません。しかし、色々な意味で「馬イク」です






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最終更新:2010年01月24日 22:39