TATARI ◆QkyDCV.pEw
らぶぽんは、何時の間にか逃げ出していた太った少年をひとしきり罵った後、肩で息をしながら移動を開始する。
目指す目標があるわけではない。ともかく狙撃をされた場所から少しでも遠くへというだけだ。
既に狙撃可能範囲からは外れているだろうが、人を狙撃するような存在が居る場所からは僅かでも離れていたいというのが人情だろう。
日が差して来ているおかげで夜中よりは歩き易くなっていたが、だからと心が落ち着くわけでもない。自分の瞼や頬がひくついているのにも気付かない。
らぶぽんはつい先程、腹を撃たれて大量の血を噴出す人を見た。
その前に首が爆発して死んだ人も見たが、こちらはアクション映画でも見ているような感覚で、何処か現実味の無い光景だったが、腹を撃たれた人は違う。
彼女はらぶぽんに話しかけてきていたのだ。彼女は腹から血を流しながらもらぶぽんに何かを言っていた。
彼女は、触れる事も出来ない映画の登場人物などではなく、れっきとした現実の人間であったのだ。
らぶぽんにも、彼女を襲ったあの惨状が自分にも起こりうるかも、と思う程度の想像力はある。あるのだが。
元々ツアー時もかなり早い段階で心の平衡を失ってしまったらぶぽんだ、ナナキに輪をかけたこの異常事態に平静でいられるはずもない。
小声でぶつくさ呟きながららぶぽんが歩き続けると、川沿いの土手に出た。
土手の上なら見通しが良さそうだ、とこれを昇って周囲を見渡す。
これといって特筆すべきものもない、極普通の町の風景だ。強いて言うのなら川の流れが早そうと思えたぐらいか。
先程出会った、話の途中で何処かへ行ってしまった無礼なデブの姿も見えない。
次こそはまともな奴と会いたいと思いながら土手を下ろうとした所で、第一回目の放送が聞こえて来た。
聞いた名前もあった。あったのだが、らぶぽんはこれを具体的な死のイメージと繋げて考える事が出来なかった。
それに光宗も美影ユラも、ツアーで知り合っただけの知人程度の関係性しかなく、それが死んだと言われても悲しむも驚くも無い。
ただ漠然と誰かに処刑されたのか、と思うだけだ。
らぶぽんには、彼女の年ならば既に身につけていて当然の道徳規範といったものが無い。
全く無いわけではないが、同世代の人間と円滑な友人関係を築くのに支障が出るレベルで常識に欠ける。
それは理不尽で不条理な彼女のこれまでの人生に起因するもので、主に彼女の父の狼藉が全ての根幹にあるのだが、彼女に同情の余地があろうと無かろうと、彼女が現在そういった人間であるという事実に変わりは無い。
これまでに霧島董香、ビスケット・グリフォンという基本的に善人である二人と遭遇しておきながら、今もたった一人であるのはそのせいであろう。
そして放送が終わってすぐ、らぶぽんは三人目と遭遇する事になる。
らぶぽんの顔が、女の子がしちゃいけない類の苦悶の表情を浮かべる。
今らぶぽんの眼下にあるものには、両手足があり頭もついてる。が、あくまでそれらは形だけで、体表は醜く融けただれていた。
かつては上に絶世のをつける程の美貌も、男女の区別すら出来なくなる程崩れてしまっている。
らぶぽんが見つけたのは、川を流れて来たアルベドの遺体であった。
幸いと言うべきか、あまりに遺体の状態が悪すぎた為、らぶぽんはこれが本当に人間の遺体であるかどうかの確証が持てなかった。
遺体には衣服も無しであり、ロクに知識も無いらぶぽんでは、見た事もない水棲生物の死体と言われても納得してしまいそうだ。
これがヒトなのかどうかを確認したい、なんて思う部分もないではないが、その為にこれに触らなければならないというのならそんな興味は川底にでも沈めてしまえ、とらぶぽんは遺体から目を逸らす。
「え?」
一瞬、死体の頭部が動いた気がした。
驚きそちらを見るも、動く物など何もない。
気のせいか、と息を漏らした瞬間、ソレが見えた。
ぎょろりと死体の片目が見開いて、らぶぽんを凝視したのだ。
「あうひゃいひいわ!?」
奇天烈な叫び声と共に後ずさり、尻餅をつく。
すぐに目は閉じた。だが、確かに見えた、そして見られた。
お尻を大地についたままで、後ろへ後ろへとずり下がるらぶぽん。恐ろしくて死体の顔から目が離せない。
「ひっ!?」
だが、再び死体の目が開き、まっすぐにらぶぽんを見つめると、らぶぽんはその場を立ち上がり後ろも見ずに逃げ出した。
怖くて後ろが見られない。
背中に張り付くような視線は、どれだけ必死に走っても消える事は無い。
いや走れば走る程らぶぽんを追う視線の主は増えていってるようにすら感じる。
じわりと背中に滲んだ汗は、走って熱を持ったはずの体から出たばかりであるというのに、氷水を流し込まれたかのように冷たい。
突き刺すといった明確ではっきりとした気配ではない。じっとりと粘りつくような、じわりと這い寄るような薄気味悪さだ。
もし追いつかれたら終わりだ。きっとアレと同じにされてしまう。理由は無いが、らぶぽんはそう確信していた。
痛いだろう、苦しいだろう。掴まったらきっと、とても嫌な思いをする事になる。
許されるのなら気配が消えるまで何処までだって走っていたかったが、らぶぽんの体力では何時までも走り続けるなんて事は出来ない。
救いを求めるように走りながら左右を見渡す。
比較的窓が少なく見え、かつ扉が道路のすぐ側にある一軒家を選び、らぶぽんはその家の扉を勢い良く引っ張る。ダメだ、鍵がかかっている。
すぐに諦め次の家へ。焦りすぎて玄関の段差に蹴躓きそうになる。
よろけた拍子に、頑なに見ないようにしていた後ろの方が目に入ってしまった。
「!!!!!??」
言葉にならない叫びは、そこに見つけてしまったからだ。
目だ。らぶぽんをじっと見つめ続ける目が一つ、そこにはあった。
らぶぽんは悟った。目を見た時、あれはらぶぽんが目を見たのではなく、目がらぶぽんを見つけたのだと。
それが遺体の目と同じであると、らぶぽんは感覚的な所で確信していた。
走り疲れて足も覚束なくなってきていたはずのらぶぽんは、脅威の復活を果たしまた別の家を見つけそこに駆け込む。
扉、今度もダメ。だが目星をつけていた一階庭に回りこむ。サッシ窓の雨戸を外側から開くと、近くに置いてあった鉢植えでサッシ窓を叩き割った。
割れたガラスの破片で手が切れるのも厭わず、突っ込んだ手で鍵を開き、サッシ窓を開く。
転がり込むようにして家の中に入ると、部屋を突っ切って廊下に飛び出し、階段を駆け上る。
二階。扉が三つ。一番奥の部屋に駆け込み勢い良く扉を閉じる。
だがそこで安心はしない。確実に侵入を防ぐべく、部屋の鍵をしめようとする。
「何!? 何よこれ!?」
部屋の扉に、鍵はついていなかった。
一軒家の二階の部屋に鍵を付ける方がよほど珍しいのだが、アパート住まいのらぶぽんは当たり前に鍵があるものと思い込んでいたようだ。
部屋を飛び出し、二階の他の部屋も見てみるが、残る二つの部屋にも鍵はついていない。いや、最後の一つの部屋がある。
らぶぽんは二階にもあるトイレに入る。ここならば鍵がついている。
内側から鍵をかけ、外に通じる窓の鍵も確認し、やっと一息。
便座に腰を降ろしたらぶぽんは、耳を澄まして音を探る。
音は無い。ずっとそうし続けていたのに音は無いままであったので、らぶぽんはほっこりと相貌を崩す。
後ろの窓ガラスも、くもりガラスであり外から中を伺い知る事は出来ない。しかも防犯用に柵がついており、ガラスを割った所で中に入る事は出来まい。
ほっとしたら、少しお腹がすいてきた。
しかしここはトイレだと考えると食事は少し躊躇してしまう。
らぶぽんははたと気がつき、そーっと音を立てぬよう立ち上がると、便座の蓋を閉じてしまう。
このトイレはかなり清潔にしてあったので、蓋を閉じればトイレの水の臭いもしてこず、それ以外の臭いもない。
うんうん、と満足気に頷いた後便座の蓋の上に座り、二つあるバッグの内の一つを開き、中から食事を取り出す。
保存の効くものとそうでないものがあるので、日持ちの悪いお弁当を先に頂く事にする。
暖めたら多分おいしいだろう、結構お高そうな焼肉弁当だ。流石にトイレにレンジはないのでそのまま食べるしかないが。
「お」
と声を出しかけて口を紡ぐ。おいしい。冷めててもおいしいよう、味付けが考えられているのだ。
付け合せのポテトサラダも
おまけのようについていたナポリタンも敷居にもなってる葉っぱすらも綺麗に完食しきって、心の中でごちそうさまと唱えた。
食事とは偉大なもので、お腹がいっぱいになると心も落ち着いたのか、らぶぽんはゆっくりと船を漕ぎ出し、そのままかくんと首が落ちる。
らぶぽんは音も無く夢の世界へと落ちていった。
二階建てアパートの外付けされている階段に、所在無く座り込むらぶぽん。
部屋に入るのは嫌だが、さりとて既に日の沈んでいる今の時間、下手に外を歩き回っているとロクな事が無いし後で母に怒られるのも嫌だ。
階段の下を覗いて見ると、街灯の微かな光がきらきら光る小さな玉を映し出していた。
のそのそと立ち上がり、おっくうそうに階段下の光る玉を拾う。
指先でつまめる程度の大きさのゴムで出来た玉だ。光を綺麗に反射するラメが散りばめられている。らぶぽんはこれを近くのブロック壁に向かって投げてみる。
ゴムの玉は壁に当った後、びっくりするぐらい勢い良く壁を跳ね返りらぶぽんの元へと戻って来た。
ただ、壁はともかく下は土であったので少し跳ね方が悪い。
ならば、とらぶぽんはアパートに二台分だけついてる駐車スペースに向かう。
ここは壁がブロック壁、下がアスファルトになっていて、どちらもきっと良く跳ねるだろう。
一回試しに投げてみると、予想通り、壁でもアスファルトでも、勢い良く玉は跳ねてくれた。
よし、とらぶぽんは車止めになっているブロックに座り、壁に向かって玉を投げる。
大して強く投げていないのに、玉は勢い良く戻って来てくれる。別に、楽しくもないし面白くも無い。
ただ、こうしていると時間がすぐに過ぎてくれそうで、らぶぽんは繰り返し何度も何度も玉を壁に投げ続ける。
音は、壁に当った時が一番大きい。といっても大してうるさい音でもないのだが。
静かな、他に物音一つしない駐車場では、その小さな音もらぶぽんの耳に残る。
繰り返し玉を投げ続けていると、その音が大きくなっていく。それを不自然に感じ無いのは、きっと玉を投げる事に集中しているせいだろう。
投げ方も随分と上手くなっていて、今では跳ねる角度も勢いも毎回ほとんど同じものになってきている。
部屋に入れるようになった時は、この静かさなら人が出て来る音が聞こえるだろう。だからそれが聞こえるまではずっとこうしていて良い。
らぶぽんは何も考えず、玉を投げては受け取ってまた投げて、と繰り返す。
音は、もうはっきりと響くような音が聞こえて来る。
投げるのに飽きて玉を手に持ったままでも、音は続いていた。
ぼうとした意識の中で、十数回音が反芻するのを聞いた後でようやくらぶぽんは、音が鳴るのおかしくない? と思った。
目を開くのがおっくうで、手で目をこすってやると意識がはっきりとしてくる。
トイレに入ってお弁当を食べて、そして多分、寝てしまったのだろう。
寝ていた間に見た夢は良く覚えている。意味のわからない夢を見たなあ、と首を鳴らす。
意識は既に明快で、
現在位置も自分が置かれた状況もはっきりと自覚している。なのに、夢が、覚めていない。
背筋が薄ら寒い。
夢で聞こえたあの音が、目が覚めた今でも聞こえ続けている。こつん、こつん、こつん、と夢でゴムの玉を投げていた時の音が。
ゆっくりと、首を後ろに回し背後を見る。
外を伺える曇りガラスの窓。そこ何かが居た。動く。細長い。音は、コレが窓にぶつかって鳴る音だ。
猫? 鳥? どちらも違う。形状が。
曇りガラスではっきりと見えない。でも、わかる。白。そして、向きを変えた時に見えた、黒。
あれは、目だ。
「いぎああああああああああああああああ!!」
女性の叫び声としては良く言われる絹を裂くようなものではなく、麻布を千切るような重い悲鳴と共に、らぶぽんはトイレを飛び出した。
荷物を持つ余裕もない。家の階段を駆け下り外に出た後、道路を凄まじい形相で走る。
一戸建てが続く住宅街を抜けると小学校のような建物が見え、そこから更に先に行くと、らぶぽんが住んでいた場所に似た木造二階建てのアパートが見えた。
階段は外にあり、ワンルームにバストイレキッチンがついてるかどうか、といった古いタイプのアパートである。
らぶぽんはここに引き寄せられるように階段を昇り、二階の部屋の扉を順に引っ張っていく。
階段昇ってすぐの部屋、ダメだ。左隣、一瞬動いたが単に立て付けが悪かっただけで開かず。更に左、開いた。
らぶぽんの顔が歓喜に花咲き、滑り込むように部屋の中へと。当然、すぐにドアを閉めて鍵をかける。チェーンロックも一緒に。
部屋はやはりワンルームで、南側にサッシ窓がありベランダになっていたが、雨戸を一気に全て閉め窓と一緒にカーテンを閉める。
キッチンの窓から入る日差しで辛うじて屋内に光が届いている。これを頼りに電気をつけた後、キッチンの窓もカーテンを閉めきる。
部屋は、入った時から気になっていたが、ひどくタバコの臭いがする。壁紙が妙に黄色いのもタバコのせいだろう。
後はテーブルとテレビと簡易ベッドと。独身男の気ままな一人暮らしといった所か。複数のゲーム機とテーブルの上のノートPCが如何にもそれっぽい。
畳敷きの部屋の中央、テーブルの前にへたりこんだらぶぽんは、ここまで全速力で走った反動で荒い息を漏らしながらこてんと横に倒れる。
じっとその場に留まっていると、激しく動く心臓の鼓動が聞こえて来る。
その音に、ついさっき見た夢を思い出し苦笑するらぶぽん。
玉を投げ続けるだけの別に楽しくも何ともない夢だったが、あの何も起こらない、この世に自分一人しかいないのではとすら思えるような穏やかさを、何処か好ましいと思えるのだ。
ああやってずっと、何事にもわずらわされる事無く、嫌な事も思い出さずにいられたら、きっとそれはとても幸福な事なのだろう。
心臓の鼓動はまだ聞こえている。もう、疲れたとも息が苦しいとも思わないが、今度はこの音以外一切の音が無い世界故に、普段は聞こえぬ音も聞こえて来るのだろう。
今目を閉じたら、またあの夢が見られるかも。そう思うと、それもまた悪くないんじゃないかと思えた。
らぶぽんのそんな夢想を、背後から聞こえた物音がかき消す。
いきなりの大きな音に、びっくりして飛び起きるらぶぽん。
音の発生源はすぐに特定出来た。後ろに置いておいたバッグが崩れたようだ。二つ縦に積んであったバッグの一つがずり落ちていた。
原因がわかればそんなに怯える事ではない、と安堵する。それよりも、もう心臓の音が聞こえない事が残念でならなかった。
「…………え?」
バックを縦に二つ積む癖はらぶぽんには無い。
疲れたせいで偶々そうなってしまった。にしては、バックを積んだ記憶も無い。
いや、そもそもらぶぽんは、バックを持って来ていただろうか。
覚えてない。とにかく焦っていたので、持って来た事にも気付いていないのかもしれない。あの狙撃から逃げる時も気がついたらバックを二つ手に持っていたし。
もし、持って来たのでなければ、中身はらぶぽんも知らぬバックである、はず。
恐る恐る落ちたバックを引き寄せ、中を開く。
開いてすぐ、袋に入れたお弁当の空のパックが見えた。中身は綺麗に食べてあり、表面に張ってあるシールには焼肉弁当と書かれている。
大きく、大きく溜息をつく。どうやらこれはらぶぽんのバックであるようだ。
がさりっ。
もう一つのバックが、勢い良く跳ねた。
その事に驚いたらぶぽんはバック以上に跳ね上がった。バックは、まるで動物か何かのように上下に跳ね続ける。
大丈夫な方のバックを手に取り、大きく部屋の隅まで後ずさるらぶぽん。バックは跳ね続けている。
驚き慌て目が離せなかったが、どうもこのバック、上下に跳ねる以外は特にしないようで。
大丈夫かも、と思えてくると少しづつ余裕が出てくる。むしろ、何か跳ね方が可愛らしいと思えて来た。
その時らぶぽんの頭にあったのは『森のくまさん』のフレーズだ。
らぶぽんが驚き慌てて置いてきたバックを、バック自身が跳ねてついてきてくれたとか。そんなファンタジーな事を考えてみたり。
「The other day……」
森のくまさんを口ずさもうとして、咄嗟に出て来たのは何故か英語バージョンの方だった。
英語の授業で、先生がこちらが原曲なんだよと得意気にしながら教えてくれたもので。
何故英語、と自分で自分につっこんで噴出しそうになる。
「I met a bear……」
歌のおかげでか勇気が湧いてくれたので、よしっと気合いをいれてバックに歩み寄る。
まだ跳ねるバックを手に取り、もぞもぞしてるこれをゆっくりと、開く。
出て来たのは、剥き身の眼球であった。それも結構なデカさの。
「ひいいいいいいいいいい!!」
半狂乱になって部屋の中を逃げ回るらぶぽん。
目は、バックからふよふよと浮き出ると、特に急ぐ様子もなく淡々と、らぶぽんの後を追い始める。
その女は、白楼閣の中でも特に気に入った部屋の中で、脇息にもたれかかりながらのんびりと休息を取っていた。
元より物理法則なぞに捉われぬ体であり、時間をかければどんな深い傷も消耗も治ってくれる。
見た目は人間であるが、中身はれっきとした化物、それが斗和子である。
彼女は上品に口元を手で覆いながらも、それでは隠し切れぬ笑みを洩らす。
「くっ、くっくっく……本当、良い反応してくれるわね、あの娘」
つまる所、アルベドの遺体に自らの使い魔のようなものである婢妖を忍ばせておき、偶々これを見つけた奴を探ってやろうとしていたのは彼女、斗和子なのであった。
斗和子はそもそも、白面の者の眷属、というよりはその分身であると言った方がより相応しい。外界においては白面そのものと認識される事すらある程だ。
なので彼女もまた、白面程大規模なものや強力なものではないが婢妖を用いる事が出来る。
まあ、今回の事に関しては少しイタズラが過ぎてはいたようだが。
婢妖が見つけたこの少女は、斗和子にとって何の価値も無い者であるように見えた。
なので、再生と体力回復を待つ間の退屈凌ぎ程度にからかったのだが、一々律儀に反応してくれるのが愉快でつい遊び過ぎてしまったようだ。
ちなみに現在あの少女はというと、キッチンから包丁を引っ張り出して必死の形相で婢妖を追い払おうとしている。
ずっと遠巻きにさせていたのだが、どれ、と一気に接近させ首筋をくるりと沿わせてやると、勢い余ったか彼女は自分の肩に包丁を刺してしまった。
そして、その痛みも感じ無いのか、婢妖が離れるに合わせて遂に逃げ出し始めた。もちろん婢妖にも追わせる。
「さて、もう少し遊んでいたいけど……」
休息も十分に取ったし、これ以上時間を無駄にするわけにもいくまい。
紅煉が死んだという驚きの情報もあった。
遊ぶのはこのぐらいでさっさと殺すか、と思った所で、斗和子は慌てて婢妖をらぶぽんから離れさせる。
だが、相手が悪く間に合わなかった。
どういうつもりか、はわかりやすいが、これは貸しの一つに出来る案件だろうという事で斗和子は自らを納得させる事にした。
広範囲に渡って妖気を感知する術は阻害されたが、ある程度の距離まで近づいたならば、秋葉流の感覚を誤魔化す事も出来ず。
同行するエイラを置き去りにして流はいきなり走り出す。
角を曲がった先、見えた。女の子、足遅すぎ、体幹崩れすぎ、汗かきすぎ、どう見ても一般人。後ろ、妖気あり、婢妖。
敵の脅威度と逃げる少女との兼ね合いから、流はバッグから武器を出さず。素手のままで少女へと駆け寄る。
少女は駆け寄って来る流を見て驚いたようだが、構ってはいられない。婢妖はもう少女を殺す動きに入っている。
あっという間に少女の脇をすり抜けた流は、指で印を結びながら片手を突き出す。
霊力が増幅され、これに触れた婢妖はほんの僅かの間も堪える事なく消滅、飛散した。
妖怪の気配を感じてすぐに走り出し、かつ現場を見るなり即座に最善を判断する。
そう出来たが故にこそ流は、少なくとも後を追ってきたエイラの目から見れば充分な余裕を持って目玉のオバケを撃退する事が出来たのだ。
そのエイラはというと、すぐに後を追ったため流が婢妖を倒す前に現場が視認可能な場所まで辿り着く。
「なんだアレ?」
思わず、今の距離では聞こえるわけもない声でそう口にしてしまったエイラ。
婢妖の外観はネウロイにしてはあまりに生物しすぎており、とはいえあのような形状の生物が空に浮かぶ事を不思議に思う程度には自然科学を修めてもいた。
どうやら流が急に走り出したのは、少女を狙ったあの目玉のおばけを察しての事らしい。
案外と良い奴なのかもな、とゆっくり歩いて流に近寄りかけたエイラは、助けられた少女が予想外のリアクションを取った事に驚き足を止め、やっぱり聞こえもしない声を洩らす。
「は?」
少女、らぶぽんはいきなり手に持った包丁を、流に向けて振り回し始めたのだ。
これには流も驚いたようで、とりあえず後ろに下がって声をかける。
「おいおい、いきなり何事だよ」
彼らしい暢気な口調であるが、対するらぶぽんには流の百分の一も余裕が無い。
「しょっ! 処刑! 処刑! 処刑です!」
素人の振り回す刃物なぞ、流にとっては脅威でも何でもないが、錯乱しているらしい娘にいきなり実力行使もどうか、と流はもう一度声をかけてやる。
「まあ待てって。俺は敵じゃねえよ。見たか? アンタを追ってた目玉も俺が退治してやっただろ?」
そう言ってやると、らぶぽんはびたりと動きを止め、自分が逃げて来た方向に目を向ける。確かに、もう何処にも追って来る目玉の姿は無かった。
少し落ち着きを取り戻したらぶぽんは、ほっとしながら流を見る。だが、らぶぽんは流を見ると突如として再び暴れ始める。
「嘘つきっ! 居るじゃないですかそこに! この詐欺師! そう簡単にやられるもんかっ! 私がやっつけてやります!」
何度包丁を振り回しても流には当らない。するとらぶぽんは包丁を流に向かって投げつける。
アホか、といった顔で、飛来する包丁を指で事も無げに掴む流。
らぶぽんは身を翻して逃げ出していた。
「貴方のような嘘吐きには! きっと何時か天罰が下ります! 処刑の時は一番前で笑って見物してあげますから楽しみに待っていて下さいね!」
流はもうどんな顔をしていいのかわからなくなっていた。
何が悲しくて助けてやった相手に、包丁向けられた挙句こうまで言われねばならないのか。
いっそ掴んだ包丁投げ返してやろうかとまで思えたものだが、流石にそれは自重する。ただ、錯乱しているからとコレを保護する気も失せてしまっていた。
何だかねえ、と頭をかきながららぶぽんを見送る流に、後ろから声をかけてきたのはエイラだ。
「おーい、お前一体アイツに何したんだ?」
「俺が聞きてえよ」
「前からの知り合いとかじゃないのか?」
「見た事もねえよ。あのおっかけてた目玉は、婢妖っつって俺も知ってる妖怪だったが」
「うーん、理由はわからないけど、ああまで錯乱しちゃうとそう簡単には言う事聞いてくれなくなるからなあ。あの子には悪いけど……ほっとくしかないかな」
エイラには既に急がなければならない理由が出来ていた。
「正直、殴って気絶させた上でどっかに縛り付けておくぐらいしか手は思いつかねーぞ」
「ああ、うん、私もそれしか思いつかなかった。いっそそうしておいた方がいい、かな?」
「ほっとけほっとけ。錯乱しての事かもしれんが、それにしちゃアイツ……いや、いい。ともかく、どっちにしろもう見えねえし、こう言っちゃなんだが、エイラの話通りならお前のツレがアイツにどうこうされる事ぁねえ。それ以外の人間に関しちゃ、そこまで面倒見切れねえだろ、俺はともかくお前は」
「……うん」
先程聞こえた定時放送。そこで、エイラの仲間であるリーネの名が呼ばれたのだ。
エイラがそれで激しく動揺したのは、もちろんリーネが失われたせいもあるが、ウィッチを殺す事が出来る程の相手がいた事によるものだ。
それも、きっとそいつは悪意を持って殺しを行っている。気弱で善人なリーネを殺すなんて、とびきりの悪意の持ち主でもなくばできまい。
そんな人間がここにいる。ともすればサーニャをも殺しうる人間が、と考えるとエイラはとても冷静ではいられなかった。
今は落ち着きを取り戻しているが、その時はもうすぐにでも走り出しそうであったのだ。
「ナガレ! 急いでいくぞ! 少しでも早くサーニャを探さないと!」
「おいおい、落ち着けって。急いで疲れて敵にやられましたじゃ話にならねえだろ」
「疲れてたって私がやられるもんか! それよりもサーニャを……」
「だから落ち着けって、そのサーニャってのもウィッチなんだろ? そいつはよっぽど弱い奴なのか?」
「何言ってんだ! サーニャは可愛いけど破壊神ですっごく強いんだぞ!」
「可愛いも破壊神もどーでもいいが、んじゃそのリーネってのはお前より弱いのか? そいつもお前の避ける魔法使えるってんなら相当な敵が居たって事だろうが」
「い、いや、リーネのはもっと別のだ。遠くの敵を撃つのが得意で、どんなに遠くても狙いを外さないんだ」
「…………んー、確かお前が色々教えてくれた事によりゃ、シールドってのは全員使えるんだよな? なあ、俺のお前等ウィッチとやらへの評価を少し聞かせてやろうか」
「な、なんだよ評価って」
「シールドってのが砲弾も弾くんなら、まともな手で殺そうと思ったら不意打ち一択だ。シールド張る間もなく殺すのが一番楽だわな」
「私はそれでもかわすけどな」
「だろうな。だからお前はウィッチの中じゃ相当強い部類なんだろう。他の連中がお前を殺そうと思ったら、エイラが未来を読んでもかわしきれない範囲で攻撃仕掛けるっきゃねえ。そういう能力持ってる奴なら勝てるだろ。ただそれも、お前の能力を知っていればの話だ。普通は無理だわな」
「私が強いのはトーゼンだ。だからサーニャを……」
「そのサーニャってのは不意打ちを防ぐ術とか使えねーのか? エイラの例であるように、敵の不意打ちを防ぐ術さえありゃお前等のシールドをこれでもかっつーぐらい活用出来るんだから、その場合はほとんど負けを考えなくていいはずだぞ」
少し考え込むエイラ。
「……えっと、サーニャなら敵が来てもわかる。用心さえしてれば、サーニャに不意打ちとか無理だ」
「んじゃそのサーニャってのは、殺し合いしろだなんて場所に放り込まれて油断するような間抜けか?」
「なんだと!? サーニャを馬鹿にするなー!」
「わかったわかった。間抜けじゃないってんなら、少なくとも錯乱したガキが包丁振り回したところでどーにもならんだろうし、よっぽどの敵が来ようとどうにか出来るだろうよ。油断やら慢心やらした挙句、疲れも考えず走り回ったりしてなきゃな」
流の現状認識を聞き、エイラも少しは落ち着きを取り戻す。
ぼそりと、エイラは流に尋ねた。
「……なあ、リーネは、不意打ちされたのか?」
「さあな。ただお前言ってたよな、戦艦の大砲もらってもシールドなら防げるって。戦艦の大砲より威力のある攻撃された、ってのはあまり現実的じゃねえわな」
その辺のシールド強度はストライカーユニットに依存する部分もあるのだが、エイラが説明しきっていないところもあり流も多少なりと誤解していたりする。
「許せない……絶対に許さないぞ、そいつ」
「そうかい」
「それにきっと宮藤は凄くショックを受けてる。リーネとは一番仲良かったから……」
かける言葉もない、ではなく一々慰めてやる気もない流は、さっさと次の話題に移ってしまう。
「その宮藤ってのはどうなんだ? 不意打ち苦手とかあんのか?」
え、と話題が予想外のものだったのか、反応が遅れるエイラ。
「あー、宮藤、宮藤、ね。…………マズイ、かも。アイツ色々と迂闊だから。後おっぱい大好きだし」
「最後のは今ここで必要な情報なのか? 後迂闊さはお前も大したもんだと思うがな」
と、思わず速攻でつっこんでしまった後、余計な一言を付け加える流。
迂闊なエイラが色々な情報をぼろぼろと無用心に流に漏らしている事は、流にとっては悪い事ではなくスルーが最善なのだが、ついこういった余計な言葉を加えてしまうのは、秋葉流が根っこの所でおせっかい焼きな善人であったりするせいだろう。
そして、エイラが落ち着きを取り戻してきた事で、流もまた気分が悪く無いと思っているところも。
意図せずだが、少女を一人見捨てる形になった事で少し落ち込んでいたエイラが、突然すっとんきょうな声を上げる。
「あー、そういえば。お前あの空飛ぶ目玉、知ってるのか?」
「おせーよ、もっと早くつっこんで来い。婢妖っつー、白面の者の使い魔だ」
流は内心で斗和子を罵りながらそんな事を言う。
「強いのか?」
「どっちの事だよ。婢妖はまあ武器さえありゃどうにかなるだろ。白面は……そうだな、俺やお前みたいな人間の枠を超えた化物が何百何千と突っ込んで、それでも殺しきれず封印したって正真正銘のバケモノだそーだ。会った事ぁねーけどな」
それなりに流の事を認めているエイラは、かなり真面目な顔になって言った。
「……何処かでストライカーユニットの不調の原因を調べないと。武器とユニットと弾さえあれば、私ならどんな敵だって倒して見せるさ」
エイラの大言壮語だが、ストライカーユニットの性能、速度が本当に聞いた通りのものであるのなら、空を飛ぶエイラを予知を上回る範囲で攻撃しきるのは事実上不可能だ。
なら後は倒しきれるかだけが問題になる。もちろん全てを鵜呑みにはしないが、流はかなりの確率でエイラの言葉は事実であろうと考えた。
それに、いっそ武器担当は流がやってやればいい。エイラが流を抱えて空を飛び、流が数多の術を活用出来れば考えうる限りのほとんどの妖怪に勝利する事が出来よう。
「自分でいじれるのか? その機械は」
「専門家程じゃないけどな」
或いはそれも必要になるかもな、と流は地図を思い出す。
最低限の機械整備環境は、南の大型船か、北の基地とやらに行けば確保出来るかもしれない。
どちらも巡回するつもりであるし、行動に変更は無しでいいだろう。
そこまで考えた所で、流はエイラについても考える、口には出さなかったが。
それは偶々ではあるが、ちょうどエイラもまた流について考えていた所であった。
『しかしこのナガレっての、聞けば何でも答えてくれるのな。随分と便利な奴だ』
『しかしこのエイラっての、聞けば何でも答えるんだよな。ホント便利な奴だわ』
両者の仲はそれなりに上手く行っているようだ。
秋葉流はとらと本気で殺し合いがしたい。
ありったけを振り絞ってすら届くかどうかわからぬ頂に、全身全霊を込め挑んでみたいのだ。
そう決めてから、本気で自分を鍛えてみた。
何が相手でも出た所勝負で挑む潮やとらとは違い、流は戦いを組み立て積み上げる。それこそが流の全力で最も強い秋葉流であるのだから。
如何にとらを殺すか、如何にとらと戦うか、如何にとらの雷を防ぐか、如何にとらの炎を防ぐか、如何にとらを逃がさぬか、如何に、如何に、如何に、如何に、と何処何処までも突き詰めて考え、装備と訓練を備える。
その為の手段の一つが、白面につく、であった。
なのでとらと本気で殺しあえるのなら、それを行うに支障が無いというのなら、胸糞悪い白面の者とそのツレなんぞに協力してやる謂れは無い。
自分がクズでクソであろうと、他のクソを見て気分悪くならない理屈なぞないのである。
とらとは殺しあう。何処ぞの誰かがおあつらえ向きにお膳立てしてくれたここで。
その後の事など知った事ではないが、知った事ではないのであるからして、その後で斗和子やら白面やらから裏切っただの何だのと言われようと知るか、と言う事だ。とりあえずとらと戦うまで揉めるような事が無ければいい。
流の攻撃を見事凌ぎ切ってみせたエイラを、少しではあるが気に入ってもいる事だし。
どうせ婢妖の件は斗和子もさして気になどしていないだろう。人を襲う見るからに妖怪なシロモノを、退治しない理由もないのだから。まあ、貸し一ぐらいは考えているからもしれないが。
もし、とらを首尾よく殺せたら、次は斗和子、最後は白面辺りとやってみるのもいいかね、と他人事のように流は考える。
とらとの戦いのように焦がれるような何かがあるとは思えないが、多分どちらも見事ぶっ殺せたならば、胸がすーっとする事だろう。ただそれだけのためにケンカを売るのも、悪くは無かろうて。
らぶぽんは必死に逃げ続けていた。
あの目玉。男が現れた事で一度は消えてなくなったと思っていたのに、すぐに、今度は倍の二つになって、襲い掛かって来たではないか。
男の顔の中に隠れているつもりだろうが、らぶぽんの目は誤魔化せない。
アイツの顔の上側にそれぞれ一つづつ並んでいる、黒くて丸くて周りが白いの。あれは間違いなく、らぶぽんを追っていた目ではないか。
言葉巧みにらぶぽんを騙そうと近づいて来たのだ、あの目玉は。或いはあの男こそがあの目玉の持ち主なのかもしれない。
男の言葉尻から漏れ出した悪意に吐き気がしそうである。
らぶぽんは走って走って走り続けた先で、喉の奥からあらん限りを込めて叫んだ。
「どうして! あんな悪人が処刑されてないんですか! おかしいですよ! ここは絶対におかしい! こんな! こんなヒドイ所に! どうして私が!」
前半分はともかく、後ろ半分はこの殺し合いに参加させられた大半の人間の総意でもあろう。
【B-2白楼閣/朝】
【斗和子@うしおととら】
[状態]:中程度の消耗
[装備]:
[道具]:支給品一式、鉄扇@うたわれるもの 偽りの仮面、『永』の字が刻まれた石鏡@名探偵コナン、青酸カリ@名探偵コナン
[思考・行動]
基本方針:蒼月潮の抹殺(+獣の槍の破壊)。
1:蒼月潮を殺してくれる人間を探す(もしも殺し合いに否定的なら生け捕りを持ちかける)。
2:光覇明宗の狙いを探る。
3:ある程度回復するまで流達と行動を共にして扇動に専念する。
※死ぬ直前からの参戦。
※流から自分が死んでからの経緯を聞きました。
※アインズ、アインズを主と仰ぐ集団を要注意人物として認識しています。
【D-4/朝】
【らぶぽん @迷家-マヨイガ-】
[状態]:疲労困憊、精神錯乱、肩に包丁傷あり
[装備]:
[道具]:
[思考・行動]
基本方針:
1:死にたくない。
2:目が襲って来るから逃げないと。
3:どうしよう。
【F-2/朝】
【秋葉流@うしおととら】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:支給品一式、13’sジェイソン(大鎌型のクインケ)、不明支給品0~2
[思考・行動]
基本方針:
1:エイラと共に他の参加者と接触する。
2:12時頃には501JFW基地で皆と合流する。
※白面の側に付いた以降からの参戦。
※アインズ、アインズを主と仰ぐ集団を要注意人物として認識しています。
【エイラ・イルマタル・ユーティライネン@ストライクウィッチーズ】
[状態]:健康、魔力消費(小)、斗和子への負い目、サーニャが心配で堪らない
[装備]:
[道具]:支給品一式、零式艦上戦闘脚二二型甲@ストライクウィッチーズ、MG42S@ストライクウィッチーズ、シュールストレミング@現実
[思考・行動]
基本方針:脱出。
1:流と共に他の参加者と接触する。
2:12時頃には501JFW基地で皆と合流する。
3:サーニャ……。
※潮、とら、紅煉、灰原、アインズ、アインズを主と仰ぐ集団を要注意人物として認識しています。
※ストライカーユニットの制限:離陸エリアから出た場合魔導エンジンが停止する。
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最終更新:2017年02月07日 13:48