(ちっ、何だってんだこれは?)
安岡は支給品のトカレフ拳銃を片手に、薄暗い病院内を散策していた。
微かに聞こえた少女の泣き声。一警官として保護するのは当然だが、安岡は葛藤する。
自分の命はクレイジーな餓鬼の手に委ねられている。下手なことをして顰蹙を買えば即ボン。それは避けたい。
しかし
殺し合いに乗るのもまたナンセンス。生き残る自信など全くない。
おまけに参加者の中にはアカギ、そしてアカギを本気にさせた市川までいる。まさにお手上げ。
とりあえずは「見」。様子見。
六時間後には途中経過が発表される。
それまでにアカギと合流できれば、とりあえず身の安全は保証される。あいつの剛運に肖るのだ。
それができず、かつアカギが死に、アノン打倒の可能性が潰えた場合は……俺も男だ。腹を括ろうじゃないか。
……しかし不可思議。奇妙キテレツ。
こんな現実離れしたことに巻き込まれるとは思ってもみなかっ――。
「…………ム」
「……ん? うおっ、なんだ、地震!?」
安岡の思考が突然の地響きに途絶える。
その揺れは数秒で治まったものの、どこか不自然さを感じた安岡は体勢を立て直すと、冷静に今の地震の分析を試みる。
「今のは自然な揺れじゃねえな……何かが爆発したのか、この近くで?」
それに揺れが始まる直前、何者かの声が僅かに聞こえた。悲鳴? いや違う、そんな声色は窺えなかった。
(ちっ、考えても仕方ねえ……行くか)
おそらく震源地は病院のすぐ外。人為的な爆発なら、ここまではっきりとした揺れは近くでないとなかなか体感できない。
安岡は覚悟を決めて走り出す。
今彼が位置する所は二階。最寄りの階段を駆け下りると、すぐ目の前に病院の玄関口が見える。
どうやら電気は通っているらしい。院内の光は灯っていなかったが、自動ドアの前に立つと問題無く扉が開いた。
(……あそこか)
玄関前に出た吉岡が後ろを振り向くと、どす黒い煙が病院の裏側から空に立ち上っているのが見えた。
吉岡はトカレフ拳銃の引き金に指を掛けつつ、極力足音を響かせないよう、慎重に病院裏側へと続いていると思われる脇道を辿って行く。
ざわ・・・ざわ・・・
(……いやな予感がするぜ)
今まで俺は、警官でありながら一犯罪レベルの賭事を嗜んできた。
アカギや平山との繋がりも、その嗜みの一つである違法麻雀を、ある出来事からセッティングすることになってからだ。
もっとも、俺はあいつらのような才能は持ち合わせていなかったが。
兎に角、曲がりなりにもギャンブラーに必須とされる「危機を感知する嗅覚」は俺にも備わっている。
だからわかる。
これは……臭い……!
市川戦の時に垣間見た、あの感覚。アカギが来なかったら間違いなく死んでいたあの場の匂い!
間違いない。この先に待つのは希望じゃない。圧倒的絶望!
――だが、其処まで理解していて尚、安岡は止まらなかった。
それは安岡の心に僅かに残る、警官としてのプライド。
俺は確かに聴いた――恐怖に震え泣き啜る少女の声を。
ならば彼女をこの殺し合いから救わねばならない。少なくとも今の俺のスタンスは「見」。つまり中立。
必要ない殺しを良しとせず、必要な殺しは容赦なくする、そんな態勢なのだ。
その覚悟を、契りを、誓ったそばから破る情けない真似など、俺には出来ん!
「ふん……らしくねえがな」
吉岡は自嘲するように鼻で笑うと、一歩、また一歩と確実に道を歩んでゆく。
しばらく進むと、やがて拓けた、裏庭のような場所に吉岡は出た。
周囲を見渡すと、やはり何らかの爆発があったのだろう。根元から抉られて倒れている、黒焦げた木が何本かあった。
「こいつはいったい……」
「……ド・ラドム!」
「ん? うおぉっ!?」
その時、突如響き渡る爆音、次いで巻き起こる熱風に吉岡は身じろぐ。
(ぐうぅ!)
やがて体勢を保てなくなり、その場に平伏す吉岡。だがまだ彼の冷静さは損なわれてはいない。
どうやら俺を狙っての攻撃ではなかったらしい。殺すつもりなら賺さず追撃を受けるはめになったはずだ。
しかし俺が地に付して約10秒……未だにアクションを起こす気配はない。
とりあえずは「見」……ひたすら「見」……!
都合の良いことに、今の爆発で倒れた木の陰に俺はいる。まずは状況把握。ヤバそうなやつなら騙し討ち!
「ふう、やはり威力は格段に下がっていますか。本来のパートナーではないことも原因の一つでしょうが……アノンめ……」
まず聴こえたのは中性的な声。男か女か判断しずらい。何やら忌々しそうな様子だ。
「まぁいいでしょう……とりあえず試し撃ちはこの位にしておきます。さぁ、行きますよ、ナギ」
「はい……」
試し撃ち……武器は手榴弾かグレネードランチャーか?
それにもう一人誰かいる。ナギとか言ったか……ん……どこかで聴いたような声だが……!
そうだ、病院で聴いた少女の泣き声!
(しかし、どういうことだ)
先程まで泣いていた少女と同一人物だとは思えない程、今の彼女の声は落ち着いていた。そんなのは有り得ない。
たとえ知人と合流出来たのだとしても、この変わりようは何なんだ。
まるで心を入れ替えられたかのように……。
(くそっ、どっちにしたってほっとくわけにはいかねえじゃねえじゃねえか!)
そうポンポン重火器の試し撃ちするヤバい奴と一緒にいたら、嬢ちゃんの命があぶねえ!
「手を上げろ!」
一つ深呼吸をした吉岡は腹を括り、その場から瞬時に立ち上がると、前方にトカレフの銃口を向けて叫んだ。
そこには不気味なローブを身に纏い、顔に奇妙な刺青を入れている人間と、虚ろな目をしてこちらを見る、金髪を二つに分けて束ねている少女がいた。
「おやおや……飛んで火にいるなんとやら……。そこに隠れていたのならずっとそうしてれば良かったものを」
「黙れ。武器を捨ててそこの女を解放しろ。今すぐだ」
「解放? 何を馬鹿な……この娘は自らの意志で私に付いてきたのですよ?
ねえ、ナギ……」
「はい……その通りです、ゾフィス様」
ゾフィスと呼ばれたそいつはにやりと艶笑すると、ナギに向かって手を差し伸べる。
少女は焦点の合わない瞳を右往左往させながら、そいつの手を取った。
馬鹿な、何が自らの意志だ!
間違いない……こいつは……。
「催眠か……くそったれ」
「ほう、よくわかりましたね?」
「仕事上、そういうのにかかった人間を何人か見てきたからな。しかしこんな短期間で……」
「くく、そういう能力を持ってるんですよ、私はね」
俄かには信じられない。だが実際にその被験者が目の前にいる以上、最早否定する余地などないのか。
アカギや市川といった化け物とは更に一線を画す存在に、俺は身震いする。
しかし、だとしたら益々引くことはできない。
「屑が……死にたくなけりゃ、さっさとそこの嬢ちゃんを解放するんだ!」
こんな下種に嬢ちゃんの身体を好きにはさせねえ。
幸い、やつの手には武器となるような物が見当たらない。
嬢ちゃんの方も分厚い本を一冊抱えてるだけで、現状、アドバンテージはトカレフを構えている俺にある。
「くくく、なるほどなるほど……優位性は自分にあると、そう思っているわけですね、貴方は?」
しかし、まるで見透かすかのようにゾフィスは俺の思考を読み上げてしまう。
「ぐっ……だが事実だろう?」
内心脅えながら、それでも虚勢を張り続けるしかないと踏んだ俺は、引き金に掛けている指の力を強めて言った。
「つくづく底の浅い考えですね。
私がこうすれば、簡単に立場は逆転するというのに」
そう言うとゾフィスは、あろうことか嬢ちゃんの身体を引き寄せ、まるで盾にするかのように後ろから抱き締めた。
(ぐっ……何だと!?)
原始的だが、こういう場面で最も効果的な防御法……それは人質!
敢えて言うなら果てしなく脆いその盾。
だが脆弱なそれは感情論を綯い交ぜにした時、攻撃そのものを封じる盤石な盾と成りうる可能性を秘めている!
「……く、くく、嬢ちゃんを無視して撃ってもいいんだぜ、俺は?」
「その可能性はありませんよ。貴方が無情な人間なら、私たちがここから去ろうとした瞬間に不意打ちすればいいだけの話なんですから」
くそっ、全て見透かされてる!
――いや、違う。これは当然……俺の方が冷静じゃなかったんだ。
思えばやつが嬢ちゃんを人質に使うのは十分に読めたことだ。
それを視野に入れて作戦を練っていれば、俺は多少危険ながらもゾフィスの背後から騙し討ちするという結論に至ったはず。
それが出来なかったのは……敗因は……俺の「甘さ」……ヌルい「見」の姿勢に他ならない!
「……安全な勝ちなど、理想だったというわけか……」
俺は静かに自嘲の笑みを漏らしながら、トカレフの引き金に込めた力をゆっくりと抜いていった。
俺の勝ち目は、限りなくゼロ。
たしかに、嬢ちゃん諸共ゾフィスを殺すことは簡単に出来る。
だが俺にとっての勝利は「嬢ちゃんを生かす」こと……それ以外の結末など無意味……死んだと同じ……敗北だ。
「くく、それでは終劇といきましょうか。さぁ、ナギ……」
「はい……」
ゾフィスが嬢ちゃんの耳元に囁くと、彼女は、先程から両手に抱えている怪しげな本をおもむろに開いた。
「これ、は……?」
俺はその光景に絶句する。
迸る禍々しい紅の閃光。ゾフィスと嬢ちゃんを中心に渦を巻く、地獄の業火。
鎌を構える死神を彷彿させるかのごとく逆巻く、嬢ちゃんの美しい金髪。
まさに幻想。信じられぬ魔術の領域に俺は足を踏み入れていたのだ。
だが、何故だろう。恐怖より先に未練が俺の脳裏を過ぎるのだ。
この嬢ちゃんはどうなってしまうのだろう? このまま利用されて殺されてしまうのか? 俺が力ないばかりに?
……駄目。そんなのは、駄目!
俺は馬鹿か! 諦め、妥協、どれも敗者の言い訳! 必要なのは結果。過程はいらない、まったくもって無視!
「さぁ、死になさい」
「ロンド・ラドム!」
嬢ちゃんが何か呪文めいた言葉を叫ぶと共に放たれる、龍がごとき炎の鎖。
が、しかし、敢えて無視!
過程はいらない、必要なのは!
「ゾフィスを殺し、嬢ちゃんを救うこと」
この瞬間を待っていた。
ゾフィスが勝利を確信し、嬢ちゃんを手元から離すこの瞬間――「油断」を!
(撃つ! 撃つ撃つ撃つ、撃つ!!)
「うおおぉぉぉォォォッ!!!!!!」
駆け巡る安岡の脳内物質っ!
β・エンドルフィン!
チロシン!
エンケファリン!
バリン!
リジン!
ロイシン!
イソロイシン!
炎に包まれる安岡の身体。
が、灼熱に身を捩りながらも腕は固定!
それは意地。警官としての、いや、いつか目指した無頼漢としてのプライド!
己の全てを叩き込み、引き金を引く!
打ち出された銃弾は螺旋を描きながら、真っ直ぐゾフィスの胸に向かい直進し、そして、威力を弱めることなく、貫く!
「なっ、なにぃっ!!!?」
「へっ……ざまあ、みやが、れ……」
爆炎に弾かれる安岡の身体。ロンド・ラドムの衝撃は彼の脚を千切り、内蔵を抉り、視覚を奪った。
しかし、彼の執念が成した奇跡か、何故か腕だけがその機能を失わず、安岡の意地を貫き通したのだ。
地に付す安岡。しかし焼け爛れたその顔に未練の表情はない。
死ぬ間際、漸く彼はアカギと同じ境地へと立てたのだ。死の恐怖をも超越した信念を持つ、無頼漢への境地へと!