06◆張子の車
「よし。ここで一旦休憩じゃ。次は四の型を教えるからの、身体をしっかり休ませよ」
「はい、老師……!」
同じころ、B-3でめでたく師弟関係となった切磋琢磨と東奔西走は、
切磋琢磨を強くするためのスパルタな修行をひと段落させて休憩に入ろうとしていた。
修業がどのくらい辛いものだったのかは、切磋琢磨が流している汗の玉の数を見れば容易に想像できた。
もはや、汗の玉を集めて数珠が造れそうなくらいだ。
地面に座りこみながら切磋琢磨は上のシャツを脱いで、上半身裸になる。
トレードマークの赤茶の髪なんか、最初は肩までしっかり跳ねていたのが、
すっかり汗の重みに押されてへにゃりとしなってしまっている。
そのまま――何かを喋る気力もなく、うなだれる。身体が熱くて暑くて仕方なくて、しかしどこか、心地よくもあった。
「最初に比べればお主はかなり強くなった」
うなだれる切磋琢磨の正面で、汗一つ流さずに老師たる東奔西走は語る。
「しかし、まだまだじゃ。わしが使う武術の、有用かつ主要な四の型。
待機、突進、防御、そして爆発。これらはすべて、基本の基本にすぎん。
まだお主はそのスタートラインにも立っておらん。ヘタレている暇は、全くないのじゃ」
「……わ、分かっています、老師。老師の教えを受けながら、なんとなく感じていました。
この拳は――俺自身が完成させなければいけないのだ、と」
すっかり汗やアスファルトの粒で汚れたボクサーグローブを見つめて、切磋琢磨は感傷に浸る。
グローブの下の拳を、知らず握りしめていた。
(ずっと、ここに来る前まで、俺は弱かった。でもその弱さから目を逸らして、
いつか強くなれるはずだって願うだけだった。
願うだけじゃ、掴めないことは分かっていたのに。俺は強さを追い求めることを、いつからか諦めていたんだ)
思い出すのはここに連れてこられる前のこと。
×××という寂れたボクシングジムで、最弱見習い雑用に甘んじていた切磋琢磨は、
最初はそれでも強くなりたいと、片づけをしながら自主練に励んでいた。
でも負ける。
何回も、何回も負けて、ただの一回すら満足な勝ちが得られない。
そうしていつのまにか――自主練なんかしても無駄だって、思うようになっていった。
「俺が弱いのは筋力や足りない技術のせいではなく、なによりその、軟弱な心だった。
……それを、はっきりと今、自覚しています。老師との、修行と言う名の手合せを経て、思い知らされました。
本当の強さとは、ただひたすらに、ひたむきなものなんだ」
「うむ。しっかりと自分の弱さを分かっているようじゃな。なら、よい。
お主のルール能力《戦うたびに強くなる》は、成長を短縮してしまうからな――慢心すれば自分の強さに取り込まれ、
強くなる目的を見失ってしまうじゃろう。それは避けねばならぬ。
といっても、あれからお主のルール能力は発動しておらんが……おそらくまだ、発動条件が他にあるのじゃろうな。
……そういえば」
と。
隣に座り込み、支給された武器らしき釣り糸の束をデイパックから取り出して眺めていた東奔西走が、
ふと思い出したように切磋琢磨に問いかけた。
「そういえばお主、どうして強くなりたいのじゃ?」
「え?」
「強くなりたい、戦いたいと、お主の四字熟語の本能が言う前に――、
そもそもお主は、強くなりたくてそのボクシングジムに入ったのじゃろう?
故におそらくお主にも、切磋琢磨し自らを鍛えようと思うだけの、理由があると踏んだんじゃが」
「言われて、みれば……」
自分の心に問うてみるが、思い出せない。
記憶の中の切磋琢磨は確かに、ボクシングジムの雑用にいそしみながらも、最初は強くなりたいと思っている。
だけど、そこからさらに昔、ボクシングジムの門を叩いたとき。
そのとき、いちばん最初に自分が持っていた気持ちは、一体何だったんだろう?
「あれ? おかしい、な……何で俺は、強くなりたいと思っていたんだろう……」
「まさかお主、その記憶すら奪われておるのか?」
「……どうやら、そのようです」
「参ったの。いったいあの学者どもは何を考えておるのじゃ。人間のあり方に関わる、根本的な部分の記憶じゃぞ。
戦う上で一番大事なものじゃというのに――」
いや。
東奔西走はそこまで言って、自分の発言からあるシチュエーションを連想した。
戦う上で一番大事なものだからこそ。
切磋琢磨の戦う理由、強くなろうとする理由は、彼自身の人間関係の記憶にどっぷりと関わっており、
だから奇々怪々たち幻想言語学者による記憶操作の対象になってしまったのではないか、と。
(例えば――近しい誰かのために強くなろうとしていた場合、などじゃな。
この場合、記憶を消さねば、「切磋琢磨」として戦いを求めるより前に、その誰かのために優勝しようと動きかねん。
それでは意味がない、ということなのかの?)
実験の仕掛け人である奇々怪々は、参加者には四字熟語になってもらいます、と言った。
彼女たちが解釈した「切磋琢磨」の四字熟語には、誰かのために、などという大義名分は不要だったのだろうか。
少し腑に落ちない感じはあるが、今のところ東奔西走にはそういう推測しかできなかった。
しかしそうなると……問題は、強くなる理由を、見つけることだ。
「老師。ど、どうしましょう。強くなる意味が分からないまま強くなるのは、とても危険な気がするのですが」
「案ずるなタクマ。その危機感を覚えている限りは大丈夫じゃ。
恐らくはお主の強くなる理由は、奴らに奪われてしまっている。故にじゃ、お主は……そうじゃな、お主はそれを、
取り戻さねばならん」
「取り戻す……」
「うむ。戦い、闘って強くなり、あの奇々怪々とかいう小娘を打倒するのじゃ。お主にならそれが出来るとわしは思う。
まだ方法は見つからんが、必ず打開の方法はあるはずじゃ。
殺し合いになど、乗ってなるものか。じゃろう?」
「そ、そうですね。戦うのは積極的にしたいですが、殺し合いはどうも性分ではないかと。
戦いの結果死ぬのであれば仕方ない部分もありますが……ところで、あの」
「む?」
「あ、あの。ろ、老師はどうして、強くなろうと思ったので?」
「わしが、か?」
「はい」
おどおどとした態度で聞いてくる切磋琢磨。
「その、参考としてですね。老師がそこまで強くなれたのはどういった理由で戦ったからなのだろうか、と言うのを、
聞いてみたくなりまして」
「ふむ……まあ、自然な思考じゃな。と言っても、わしが戦いに身を投じたのは時代もあったからのう」
「時代、ですか」
「戦争の時代じゃった。最近の若い者は~なんて言葉は使いたくないんじゃが、わしが若いころは本当に、
いつどこでどんな奴らと戦争になるか分からなかったからの。
もしそうなったときにこの国を守るのはわしらじゃろう――そう思って道場の門を叩いたのを覚えておる。
まあ、そのうち戦うこと自体が楽しくてしょうがないようになってしまって、極めようと思ったのじゃが……、
結論から言うと、それはあまり良いことではなかったの」
「え……良いことではなかったのですか?
強くなるために強くなる、というのは、戦いを求めた先に行きつける聖地だと思っているのですが」
「そういう見方も、できなくはないがの」
ふう、とひと息ついて、東奔西走は語る。
いつのまにか老いた目は遠くを見つめ、世界を渡り歩いた時代のことを思い出していた。
「アラスカの氷の大地で×××と戦ったときじゃった。奴には×人の子供がおってな、そやつらがまことにかわいいのじゃ、
わしと×××が戦う時も、ずっとそばで×××を応援しておっての……名前を忘れてるのはつらいのう、
でもそのとき、わしが何よりも辛かったのは、わしを応援してくれる者が一人もおらんことじゃった」
「……」
「強さを求めすぎればいろいろなものを失う。人並みの人生、家族、友人。価値観や考え方も戦いありきになり、
さながらあのころのわしは、血を求めてさまよう化け物のようじゃった。それにあのとき、嫌気がさしてな。
×××を軽く倒したあと日本に戻って、そこで道場を開くことにしたのは、まあそういう事情もあったのじゃ」
「しっかり倒しているあたりがさすが老師ですね……」
「ま、わしは強いからのう。戦いだけではなく、トランプや将棋でも負けなしじゃった」
生涯において負け越したのはオセロくらいじゃ、と東奔西走は笑い、
「さて。タクマよ、そろそろ休憩は終わりじゃ。最後の型、爆発をお主に伝授しよう――」
すっくと立ち上がり切磋琢磨の方を見た、そのときだった。
切磋琢磨が……目を見開いている。
何かに驚いているかのようなあんぐりとした表情で、口まで開けてこちら側を見つめていた。
「ろ、老師」
「どうした、タクマ……?」
「うし、うしうし」
「牛?」
「ち、違う! 後ろ! 後ろに、片手で車を持った男が!!」
「なにを言っておるのじゃ……いくらなんでも車を持てるような人間、普通にいるわけ」
振り返ると。そこには、右手で車を持ち上げながら二人の方を向く男の姿があった。
「いたじゃと!?」
「だから言ったじゃないですか老師ぃ! なんなんですかあの男!」
切磋琢磨が東奔西走の服の袖をつかみ、必死な声で訴えてくる。
だが、あまりの事態に判断力を失っているのは東奔西走も同じ。それほどに、謎だった。
(なぜこんな近くにいるのに……この男からは気配が全くしなかった!?)
筋骨隆々な体つき。軍人らしき防護服と帽子。こちらを見つめているようで、その実こちらを意に介してないような目。
そして普通でない腕力で、普通車を持ち上げている浅黒い腕。熊かと見違えるようなずいぶんな大男の名前は、
確か、傍若無人。
傍らに人など居ないかのようにふるまい、大暴れする四字熟語――!
「――死体では無いか。なら、問わねばな。そこの二つ、名は何という」
「「……!?」」
ぐ、と。
男がひとこと喋った瞬間、その場の空気が一変した。
世界が凍っていた、あるいは枯れていた。渦を巻いた混沌が質量を持って、聞く側の二人に襲いかかる。
この男は。
傍若無人と言う、四字熟語は。
目の前に見えるはずの二人を――二つと言った。
人としてすら、見ていなかった。
「答えないか? 警戒することはない、どうせどちらも死ぬのだから、素直に教えればよいものを」
「老師、俺」
「行くなタクマ」
腕を掴んで、戦いに行こうとしていた切磋琢磨を制止する。
東奔西走には分かっていた。
目の前の男が、どのくらい強いのか、たった一言発した言葉の色から……見えてしまっていた。
「ひとつ教えておこう。四の型、爆発は。お主の手で見つけ出すことが可能な型じゃ。戦いを重ねれば、見えてくる。
わしがそうじゃったように、お主も自らの拳を、信じるのじゃ。それが今、わしがお主に言える全てじゃ」
「老師?」
「これを持って、逃げろ、タクマ。今のお前では奴と戦いにすらならん。
必ず、奴より強くなれ。わしの考える強さこそ至高だと、すべての戦う者どもに見せつけてやるのじゃ」
「え……?」
「二の型、突進――発展。飛車駒突き」
自らのデイパックを、切磋琢磨の肩にかけ。
東奔西走は二つの掌を合わせ、少しの間武術を教えた弟子の、胸のあたりに、とん、と置く。
しん。
と一拍溜められた後、置かれたエネルギーは発散し……切磋琢磨をふわりと直線的に吹き飛ばす。
何が起こったのかわからない切磋琢磨は、なにか叫ぼうとしたが、胸が苦しくて声が出なかった。
この苦しさは、胸を突かれたから? 空を飛んでいるから? それだけじゃ、ない。
圧倒的な、苦しいほどの。
漠然とした不安のような、嫌で嫌で仕方ない予感。
「ろ、う、し!」
回転する視界が、こちらを振り向くのをやめようとした東奔西走を最後に捕らえた時。
切磋琢磨は思わず、むりやりに、その背中に向かって声を振り絞るように叫んだ。
「俺がっ! ――応援っ、しますからぁ!」
だから、負けないでください、までは、言えなかった。ぐるぐると回る視界に、小さくなる偉大な老師の姿を、
切磋琢磨は見送るしかなかった。
少し……体感では永遠にも感じられた時間を経て、ずざ、と地面に転がるも意識を失うことなく。
すぐに起き上がると切磋琢磨は、その場から離れる選択肢を取った。
逃げた。
切磋琢磨は、泣かずに逃げた。
「俺は……俺は!」
強くなって――どんなに強い者とでも並んで戦えるくらい、強くなって。
もうあの強くて孤独な老師に、寂しい思いなんてさせないために。切磋琢磨は、娯楽施設に向かった。
後ろは、振り向かなかった。
【B-2/駐車場B地区】
【切磋琢磨/見習いボクサー】
【状態】胸が苦しい、上半身裸
【装備】ボクシンググローブ
【持ち物】ピアス、釣り糸、上のシャツ
【ルール能力】誰かと戦うごとに強くなる
【スタンス】戦いたい
◆◆◆◆
切磋琢磨が去った、C-3の駐車場D地区。
そこで行われた戦いは、切磋琢磨が娯楽施設へ向かい始めたころにはすでに、決着が付いていた。
場には一直線上に、勝者と敗者と、投げ置かれた車が並んでおり。
敗者は、ある部分はコンクリの地面に突っ伏し。またある部分は、勝者の手の中に掴まれていた。
「これで一つ」
倒れているのは、身体。
掴まれているのは、首、だった。
傍若無人の前に……東奔西走は首と身体を二つに分断されて、死んでいた。
物言わぬ首を投げ捨て、傍若無人は東奔西走の首から抜き取った首輪を自らのデイパックに入れる。
「やはり……東奔西走、だな。あの強さは。それに、このルール能力にすら気づくとは、天晴な男よ。
もし車が張り子だと気づかれていたら、危うかったやもしれん。だが、まあ盤石だ。
あの逃げた一つは……どうせ狩る」
デイパックのジッパーを閉じ、顔を上げるとそこにあるのは、自分が今回の戦いに使った道具。
外装のみで中身のない、ハリボテの車。
とはいえ重さは相当なものだが、傍若無人には、それを持ち上げられる出来るほどの力があった。
その使い方は、本来ならあまり上手いとはいえない。
はずだった。
彼は、まるで東奔西走が《東西にしか動けない》のを知っていたかのように、車を東奔西走の背後に投げ。
オセロのように挟み逃げ場をなくし――討ち取ったのだ。
配布された武器は、斧。
首を狩り、人を人でなくするための、一撃必殺の凶器。
「屋上、だな。そこから虱潰しにいくしかあるまい」
まるで無表情、どこかを見つめているようでどこも見つめていない目をして、傍若無人は歩き出す。
何を考えているのか、何を意識しているのか分からないが、
その思想が独りよがりであることだけは、彼の四字熟語が教えてくれていた。
自らの他は誰も気にしない、傍若無人なる大男。
首狩りの、男。
……ふと。
ハリボテの車の方を向き直って、彼は一言呟く。
「張子の車か。似ているな、己に」
中身のない、車。
張子の車。
それは――×××の暗示であるのか。
答えを知っているのは、呟いた本人のみだ。
【B-3/駐車場D地区】
【傍若無人/首狩りの男】
【状態】健康
【装備】斧
【持ち物】首輪×1
【ルール能力】不明
【スタンス】マーダー
【東奔西走:死亡――残り十四名】
用語解説
【東奔西走】
仕事や用事のため、東へ西へと忙しく走り回ることを表す四字熟語。
四字熟語ロワでは強さを求めて世界中を回ったりしていた格闘家の老人だった。
最初は四字熟語の意味に習ってどこにでも行くことができる系の能力にする予定だったが、
諸事情あって移動制限系のルール能力になった。
最終更新:2011年11月21日 05:35