22◇戦乱の演
「がぁあぁぁあっ、ふざけんなぁっ!」
「おぐぅ」
「割れろ! メガネ割れろばかぁあぁっ! どうしてくれんのよっ、”コレ”!」
と、ここでところ変わって場所はA-1。
駐車場でも娯楽施設でもないその場所では今、数えて六発目の打撃が、とある女性によって行われていた。
青息吐息が放った右フックは、女性らしからぬ勢いと速度で、的確に先手必勝のみぞおちにヒットする。
唸りながら、お腹を押さえて数歩後退する先手必勝。
体勢が崩れ、色素の薄い銀髪がぱらぱらと前に垂れてしまう。
自慢の銀縁メガネは傾いて、整っていた服は乱れて、
理系男子としてはとても残念な姿だ。
だが、それでも目の光だけは失わずに、皮肉のこもった喋りを彼は忘れなかった。
「ぐぇ……でもホラ、おかげで動けてるじゃあないですか、青息吐息さん。
ちょっと元気すぎるくらいですね。あ、ええ、嬉しい限りです、ボクとしても。
でも八つ当たりするのはお門違いじゃないですかね。
ボクは言われた役割をこなしただけですよ――確かにその結果、その、げほっ、ふははは、」
「笑うなぁ!」
「いえ、すいません、だって漫画みたいな、くっは、はは」
「笑うなって言ってんでしょ! ああもう最悪! ”コレ”、戻らなかったらあんたのせいだから!」
分かってんでしょうね! と、
ギリギリと感情の弓を引く音が聞こえるくらい暴発寸前の表情で青息吐息が指差すのは、自らの唇だ。
そこは、たらこだった。
赤く腫れ上がって肥大化してしまっている、まさに漫画みたいな、……。
たらこ唇だった。
青息吐息がさきほど――といっても三十分以上前だが――に食べてしまった蓬生団子。
正確には先手必勝に食べさせられたのだが、とにかくその蓬生団子は、
甘いあんこの代わりに辛いってレベルじゃないくらい大量の唐辛子を詰めたものだった。
もちろん、自らのルール能力《ため息がすごい冷たい》によって自分を冷やしすぎてしまい、
メインストリームから外れた場所で固まっていた青息吐息も悪いと言えば悪い。
のだが、
彼女が体温上昇のために犠牲にしたものはあまりに大きかった。
主に羞恥とか。
「もうやだ、お嫁にいけないってレベルじゃない! 帰る! 実家に帰ります、あたし!」
「どこが実家なんですか」
「……えっと、さっきの茂み?」
「ボクに聞かないでください」
「うるせぇメガネ。割れろ」
「割れません。あと、放送聞いてたなら覚えてると思うのですけど」
「何よ。とりあえずもう一発殴るからその後言って」
「ここもうすぐ禁止エリアなんですが」
「あ」
ぴぴぴぴぴ!
大きく振りかぶり、拳を固めて七発目の打撃を先手必勝に加えようとしていた青息吐息と、
いい加減ガードしようと構えを見せた先手必勝は、同時に機械音を耳にした。
目覚まし時計のような音だ。
どこから発せられた音だろうか――いや、推理するまでもない。
首輪だ。
慌てて二人は動作を変更、首に巻かれた金属を触ると顔を見合わせる。
ルールによれば、放送の一時間後から禁止エリアは機能を開始する。
そして禁止エリアに入っていられる時間は……十秒。
どちらともなく頷いて、
「やれやれ……。青息吐息さん! こっちへ!」
「わっ!」
慌てて走り出そうとした青息吐息の手を先手必勝が掴む。
そしてぐいっと引っ張って走り出す。
方向はB-1、娯楽施設のほう。ではなく、A-2。
駐車場の方へ。
「え、そっちなの!?」
「向こうは危険です。信じて」
信じて、って。
ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ!
何か言い返そうとした青息吐息の思考をつんざく、不安をあおる音。
電子音の間隔が早くなる。自然と駆ける足も早くなる。
しかしずっと固まっていた青息吐息の足は本調子ではない。もつれて転びそうになる、
そのたびに、手を繋いでいる先手必勝が青息吐息を引っ張って、バランスを整えた。
絶妙なアシストだ。
おかげでよろめきながらも走れた。
――たった十秒がありえないくらい長く感じた。
ギリギリ、なんとか。二人は禁止エリアから出て、屈みこみ、荒い息を吐いた。
(……危なかったわ)
電子音はもう聞こえない。
青息吐息は肩を上下させながら、自分の息が熱くなっていることに気付く。
さっきまでの冷たい息に比べるとまるで炎のようだ。
今なら火炎を口から吐くことさえできるような気もする、と思ったが、それは出来ないようだった。
「危なかったですね、青息吐息さん」
「センくん」
一足先に疲れから立ち直った先手必勝は片手でメガネの位置を直しつつ、青息吐息に話しかけた。
思わず青息吐息は普通に返事をしてしまう。
が、すぐにたらこ唇の件を思い出す。
確かに助けてもらったのは事実だ。
つい先ほどもアシストしてもらわねば転んで死んでいたかもしれない。
でも、それとこれとは話が別。涼しい顔で接されるのはなんだか気に入らなかった。
繋いだままだった手を振り払って、青息吐息はつっけんどんな返事をする。
「……別に危なくなんてなかったわよ。B-1のほうに逃げてれば余裕だったわ」
「位置的には確かに、向こうの方が近かったですね」
「ほらそうじゃない」
「しかし。ボクの見立てでは向こうには殺人者が居ます。今はまだ、会うべき時ではない」
「殺人者?」
「心機一転を殺した者ですよ――青息吐息さんの位置からだと死体は見えてなかったんですか。
あの近くに死体がありました。胸を一刺しの。
そしてボクは、見たのです。日本刀を持って娯楽施設に入ってきた男……優柔不断をね」
「優柔不断……そんな、ことが。起きてたの?」
「ええ」
「てことは。偶然隠れてなかったら、あたしも死んでた?」
「かもしれませんね」
先手必勝は否定しなかった。青息吐息は改めて、ここが殺し合いの場だということを思い出した。
そう、これは殺し合い。
生き残れるのは、最期までこの地に立っていた一人。
ずっと隠れていた青息吐息もついに引きずりだされてしまった。
もう逃げることはできない。スタンスを明確にして、この娯楽施設を生き抜かねばならないのだ。
すると不意に――怖くなる。
青色のドレス風ワンピースの裾を握りしめ、恐る恐る青息吐息は、先手必勝に話しかける。
「あんたは。センくんは、どうするつもりなの」
「どうするつもり、とは?」
「えと、その……つまり」
「”乗っている”か”乗っていない”か、ということですか?」
「ん……そうよ。聞きたいわ。あたしは、まだ」
「ボクは”乗って”いますよ」
「……!」
「ですが積極的ではありません。現実的に考えて、乗るしかないから乗っているだけです。
人を殺す気なんて、そんなにはないですね。青息吐息さんは?」
「あたしは……怖い」
「死ぬのが?」
「違う。あたしが怖いのは、あなたよ、センくん。
ううん、違う。あなたみたいな人が怖いの。だって……乗るって。人を殺すってことじゃない」
「ええ、そうですね」
「なんで……」
「?」
「なんでそんなに、あっさり決めてしまえるの?」
青息吐息は先手必勝から目を背けて、たらこ化した唇を舐めると、数秒沈黙した。
先手必勝は一瞬戸惑ったが、すぐに青息吐息が言いたいことを理解した。
つまり、殺し合えと言われて殺しあうなんておかしいじゃないか――そう青息吐息は言いたいのだ。
「あたしは無理よ。殺すのも、殺されるのも。怖くて、怖すぎて震えて、ため息が出てしまうわ。
赤の他人だからとか、そうしないと死んじゃうからとか、分かるけど。結局、他人を殺して生きるしかないの?
認めたくないのよ、あたし……そんな人間に、なりたくないの」
「なるほど」
先手必勝は少し考えて、慎重に言葉を選ぶ。
「一理、ありますね。
確かにボクたち”乗った人間”の考えは、”誰かが殺し合いに乗る”という前提の下にあります。
だから……誰も殺し合いに乗らないと、全員が信じきることができたら、殺し合いは起きません。
理想論だ、と切り捨ててしまうことは簡単ですが。
ひとつの論である以上、ボクも明確な反論を上げないといけない。でもそれは……難しい、かもしれません」
「……」
「事実として挙げられるのは、ルール上、24時間誰も死ななければ全員の首輪が爆発するということ。
しかしこれも、例えば全員が一か所に集合し、くじ引きで24時間ごとに生贄を決めるような、
そういう方法を取れば。これに全員が納得すれば、殺し合う必要はないはずです。
無論こんなことをすれば、主催側からの何らかのアプローチ……。
首輪の爆発までの時間の変更など、あるのは間違いないでしょうが。
”殺し合い”が成立しない以上、主催への反逆としては最大のものになるでしょうね」
「くじ引きって……考えもつかなかったわ」
「ですが、それが一番平和的なシナリオでしょう。ボクらには、せいぜいルールを変えさせることしかできません。
就寝直前、家の中からの魔法のような拉致。全員の首に一瞬で首輪を巻く技術。さらには記憶操作。
こんなことができる主催側を出し抜いたりできるとは、ボクでも思いませんから。
――そうですね。殺し合わなければいけない理由として言えるなら、青息吐息さん、あなたの反応が全てです。
くじ引きなんて方法で、生死を決められてたまるか。みんなそう思っているから、殺し合いが起こるんですよ」
そこまで先手必勝が言い切ると、青息吐息は下を向いて黙ってしまった。
少し言い過ぎただろうか。先手必勝はメガネの奥で、ひっそりと眉間にしわを寄せ、目を細める。
正論で相手を打ち負かそうとするのは、先手必勝の悪い癖だった。
これじゃあ青息吐息は、殺し合いから逃れられない現実を突き付けられたのと同じだ。
見たところそこまで強いわけでもない彼女に、正論という名の刃は痛いだけかもしれない。
どうなる? 反応をじっと見守ること、数秒。青息吐息は、口を開いた。
「じゃあ――センくんはどうして、あたしを殺さなかったの?」
たらこ唇なのが玉にキズではあるが、真っ直ぐ先手必勝を見据えるその顔には、覚悟の色が見えた。
「そうですね。色々理由はありますが……」
だから先手必勝は、ある種の尊敬をこめて、その問いに言葉を返した。
「今から始まるだろう戦いに、一人で臨むのは少し、怖かったから――といえば納得してくれますか?」
そしてそのまま右を見る。
すると、A-2エリアの整然と並ぶ車の列の奥から、ひとりの男が現れた。
少し癖のある白髪を揺らし、鷹のように鋭い目でこちらを見据える、浅葱色の着物の男。
細身ながらすらりと美しく見える筋肉の付き方をした、その右手に彼が持っているのは……銃だった。
黒光りする、銃だった。
「此方は鏡花水月」
彼は名乗り向上を上げた。そして右手に下げていた拳銃を二人に向けてこう続けた。
「貴様らは此方の領域に入った。故に此方は、演目を――”役割”を、開始しなければならない。
今宵の演目は、”戦乱”。貴様らの協力を得て、晴れ舞台にしてもらおう」
「演目、ですか。和装にその拳銃は似合いませんが?」
「他と色の違う花を、失敗と見るか、強調点と見るかは自由だ。……二分待つ。道具を揃えろ」
「へえ。回りくどい言い方がお好きなら、ライトノベルでも読んだらどうです?」
「……え。ちょ、センくん、この人誰!? なんで銃向けて……え? 嫌、やめてよ」
「落ち着いて、青息吐息さん。あなたの支給武器は?」
「え」
「デイパックの中に武器が入ってたでしょう。それは確認しましたか?」
「してない」
「今してください」
言いながら先手必勝は、自らのデイパックを漁る。念のため、青息吐息を隠すように射線上に立つ。
「……」
その間、鏡花水月は構えたものを撃たなかった。
彼の語る演目とやらは、卑怯な不意打ちをよしとしないのか。当たりではないが、大外れでもないようだ。
先手必勝は心中で呟くと、デイパックから自らの武器を取り出す。
遅れて青息吐息が、とても武器としては使えそうにないそれを取り出した。
「これ……って、え、それって」
「それですか、定番アイテム、といえば聞こえはいいですね」
青息吐息に支給されていたのは、メガホンの形をした、オーソドックスな拡声器だった。
対して先手必勝が持っていた武器は、その場の残り二人に少なからず動揺を与えた。
「何でそんなの持ってるのよ……!」
「隠しておくつもりだった奥の手なんですがね。”相手も”持ってるとは予想外でした。
拡声器じゃ何もできないですね。青息吐息さんは、ボクのデイパックの中に角材が入っているのでそれを」
「……やっぱり、戦うのね」
「ボクも初めてですよ。あなたを除けば」
「ぐぬぬ失礼な」
「――用意は出来たようだな」
対岸の鏡花水月が、夜の水面のように静かに声を張る。
「ええ。始めましょうか?」
問いを返した先手必勝が持っているのは。鏡花水月と同じ、拳銃だった。
彼に支給されていたのもまた……この殺し合いの場では絶対有利、間違いない当たりくじだったのだ。
「始めよう。戦乱の演目を。次に会うものに対しての此方の役割は、こうであると決めていたのだ」
「分かったわ。やれるだけやったげる。助けてくれたお礼よ――で、どうするの?」
「さて。とりあえず撃ってみますか? 正直言って、予定が狂いっぱなしでね……心がささくれてきた所です」
三者三様言葉を交わす。
そして、まるで徒競走を走リ始めるような軽快な殺しの音が、幻想の支配する地に鳴り響いた。
スタートの、合図だ。
――外から耳を立てていれば、それがひとつだけであることに、簡単に気付ける。
……外からであれば。
【A-2/駐車場A地区】
【鏡花水月/舞台役者】
【状態】健康
【装備】《幻想の拳銃》
【持ち物】不明
【ルール能力】自分のいるエリア内に質量を持った幻影を発生させる
【スタンス】A-2に迷い込んだ参加者をただ惑わす
【青息吐息/ギャルっぽい女】
【状態】たらこ唇
【装備】角材
【持ち物】拡声器
【ルール能力】ため息がすごい冷たい
【スタンス】保守派
【先手必勝/銀縁メガネ】
【状態】ちょっとイライラ
【装備】拳銃
【持ち物】缶ビール数本など役に立ちそうなもの
【ルール能力】先手を取れば勝利する
【スタンス】漁夫の利狙い
用語解説
【理系男子】
理系男子の特徴としては字面をそのまんま受け取るというものがあり、
メールで「会いたい」といっただけでは会おうとはせず、
「会いに来て」と言わなければ会わない生き物なんだってツイッターのフォロワーさんが言ってた。
当然月が綺麗ですねなんて言ってもわからない。あと黒髪メガネだからといってかっこいいとは限らない。
最終更新:2012年03月24日 00:07