44◆遊戯終了
「……なんだか、不思議な感じですね」
「え?」
「さっきまで殺し合ってたのに、また手を繋いで歩いて。すごくへんな気分、です」
「……そうだね」
「紆余さんは、優柔不断さんを殺して……わたしも殺そうとしたのに」
「……」
「それ以上のことが起こりすぎて、恨む暇がないですよ。ある意味、卑怯なくらいです」
「……そうだね。きっと優柔不断さんには、めちゃくちゃ恨まれてると思う。
僕が一生償っても足りないくらい」
「……」
「殺されても、仕方ないくらいのことをした。
というか……今ここで凛々ちゃんに殺されても、文句は言えないよ」
「……そんな報復じみたこと、わたしはできません」
「……」
「わたしは、絶対に。そんなことはしませんよ」
「……そうだね。たぶん優柔不断さんも、そんなことは望んでないと、思うけどさ」
「いやそれを紆余さんが言うのは……それこそちょっと変な感じですけどね」
「……そっか……そう、だね」
「いえ……しょうがないんですけど。
だって……わたしを除けばもう、ここでそれを言える人は紆余さんしかいないから」
「……」
「……みんな、いなくなった、から」
「……」
「……」
「……」
「……色んなことが、ありました」
「……だね」
「色んな人が、色んな思いを抱えて、殺し合わされて……わたしたちが、残った。
なんでだと、思います?」
「……」
「……」
「凛々ちゃんが残ったのは、」
「傍若無人と、一刀両断さんのおかげ。ですか」
「……うん」
「わたしはまだ……把握しきれてないですが、たしかに、ある意味ではそうなのかもしれません」
「……」
「けど、それだって……その作戦だって、成功しなかったかもしれないですよね」
「……」
「優柔不断さんが傍若無人からわたしを助けられなかったり。
紆余さんが、一刀両断さんの真意に気づけなかったり。
心機一転や、洒々落々……今と違う展開になる分岐点なんて、いくらでもあったと思います」
「それは、……可能性の話だよ、凛々ちゃん。実際こうなってしまったわけだし……」
「じゃあ紆余さんは、自分が生き残ったのはなんでだと思ってるんですか?」
「……」
「偶然、だとか。運が良かった、だとか。
そういう話で済ませてしまったら……いけない気がするんです……わたしは」
「……」
「わたしは自分が生き残ったことに、理由が欲しいんですよ」
「理、由」
「そうです。理由、です」
「……」
「……」
「わたしは、わたしが生き残るのにふさわしい人間だったとは、やっぱりどうしても思えません」
「……」
「いっぱい、いっぱい考えました。紆余さんが、一刀両断さんとケリをつけてる間にも。
スナック菓子を噛みながらわたし、沢山考えたんです」
「……」
「でも、どうしてわたしが生き残ったのか……答えは、出ませんでした」
「……」
「紆余さんは、どうですか?」
「……」
「……紆余さんは……どうして自分が生き残れたと、思いますか?」
「……」
「……」
「……そう、だね……」
「……」
「それは……きっと、確かな答えは出ない問題だと、思う」
「……」
「タクマさんが、最終戦の前に言ってたんだ。
もしかしたら自分は、殺す側に回っていたかもしれないって」
「……」
「戦った凛々ちゃんなら、分かるよね。
タクマさんは四字熟語になって、善悪より闘いを優先するようになっていた。
それが曲がりなりにも善い方向に向かっていたのは、老師……東奔西走さんのおかげだ」
「はい」
「偶然の出会いが、それを生んだ。凛々ちゃんに分岐点があったように、
タクマさんにも、分岐点はあって……奇跡的な偶然が、重なって今がある」
「……」
「そしてもちろん、僕もそう。みんなに分岐点はあった。全部……いろんなことの、積み重ねだ」
「……だから……偶然で、運。ですか?」
「うん。……。
それも、あるのは。間違いない」
「……も?」
「少なくとも僕は、僕が生き残ったことに関しては……運の要素が大きいと、そう思う。
……でも、……僕は、僕と凛々ちゃんには、運が良かったっていうこと以外にも、共通点がある」
「……?」
「……」
「……」
「凛々ちゃんがまだ、なぜそうなったかまでは知らないこと……だよ」
「……ああ」
「……」
「守られていたこと……ですか」
「……そう。僕たちは、守られていた」
「……」
「僕はリョーコさんに。自分を守らせていた。凛々ちゃんは傍若無人に、その命を守られていた。
命に換えてでも、生き延びさせるって意思を……僕らは誰かから向けられていた」
「……」
「それが、僕らが生き残る展開になった理由……要因のひとつだってことは、疑いようのないことだ」
「……要因」
「……うん」
「守られてたから、生き延びた……」
「……うん」
「それじゃあ……守られていた理由が。伏せられてる、わたしは……?」
「まだ答えを出せない、ってことになる」
「……」
「……」
「…………そう、ですよね……」
「……」
「……分かりました」
「……」
「今の話は……忘れてください。
また後で考え直します。それよりも、さっきするって決めた話を……」
「……でも」
「……?」
「でも……ええとね、凛々ちゃん。僕から言葉にできることは、まだ……あるよ」
「……」
「……まだ、言わなきゃいけないことが……ある」
「……何ですか?」
「それは……」
紆余さんは、そこで少し口を閉ざして、どう言えばいいのかを考え始めました。
言いたいことはあるけれど、言葉にしづらいものだった、ということでしょう。
ゆったりと歩く速度を遅め、わたしは紆余さんを待ちます。でも、そんなには待ちませんでした。
紆余さんは、
どこか悲しそうな、どこか寂しそうな声で、言いました。
「僕たちは」
「……」
「僕たちは。弱かったって、ことだ」
「……!」
「僕たちは、誰かに守られなきゃいけないくらい、……弱かったってことだ。
強かったから生き残ったんじゃない、弱かったから、生き残ってしまったんだ。
心も、体も。弱かったから何も出来なくて。真正面からじゃ闘えなくて。いろんな人に助けられて、
生き延びて……ううん、そうじゃないな。死にぞこなって。……その結果として、今がある」
「……死にぞこなった……」
「うん。だからさ……それを忘れちゃ、いけないんだ。
弱い僕たちがこうして生き残れるくらいに。真っ直ぐで優しい人たちに、囲まれていたことも。
それに甘んじた、自分の弱さも。全部、呑み込んで……強くならなきゃいけない」
強く成らなきゃ、いけない。それも、切磋琢磨のような数値上の強さじゃない。
気の遠くなるような数十年後、寿命で死んでいくその時に、
僕たちが殺してきた人たち、僕たちを生き残らせてくれた人たちに、胸を張って、
「僕たちが生き残るべきだったんだ」って――そう、いつか言えるような。強い心と、強い生き方。
最高の人生を。最高の未来を。
「生き残るのにふさわしい人間を。僕たちは、今から目指すんだ」
と。紆余さんは最後にそう締めくくって、言葉を閉じました。
わたしは……言葉を全て受け止めつつも。
どこかで、それは答えにはなってない、はぐらかしだと、思ってもいました。
ただ弱いから、というだけなら、他にもわたしたちと同じくらい未熟な人はいたかもしれないし、
弱さを利用していくことを覚悟した紆余さんなんかは、わたしから見たら強い人だったとも思います。
だから今の答えは……テストの答案なんかに書いてしまったら、きっと大きなバツを貰うでしょう。
……でも。
「理由は、後からもぎ取れ、ですか……」
「……だめかな」
「いえ。……いいと思いますよ。すっごい大変で――やりがいのある話、です」
でもそれと同じくらいにわたしは、いいな、とも思って。
ただの励ましでもあるだろうその言葉に、実際になんだか、励まされてしまいました。
完璧じゃない答えでも。間違いな答えでも、それが正解ってこともある。
わたしは分からないことだらけで俯いていた顔を……少しだけ、上に向けました。
「要は、過去も忘れないけれど、未来に目を向けようって……そういうことですよね?」
「そういうこと……うん、そうだ。大変なのはここからだってことだよ、凛々ちゃん。
僕たちはここで終わりじゃないんだ」
「……ええ。脱出して、それで終わり……元の暮らしに戻れるだなんて、わたしも思ってないです。
むしろ、これが始まりだったってくらいの長い戦いが、わたしには降り注ぐのだと、思います」
「……」
「わたしは……戦い、ますよ」
「僕も……そのつもりだよ。まあ、正直言うと、怖いけどね」
「……怖いのはわたしもです」
「あはは。いやさ、リョーコさんには、頑張るって言ったけど。
頑張れることも示したつもりだけど。やっぱりどうにも、弱いんだ。
実際ここから脱出して、その先で……頑張れるのかって考えると、不安で仕方がない」
「……じゃあ……」
「……」
「じゃあ、わたしは、こう言わなきゃいけないですね」
「……?」
「許しませんよ、紆余さん」
「えっ」
「あなたは優柔不断さんを、殺したんですから。
あなたの辞書にはもう――優柔不断はないはずですよ」
「……あー」
それは一本取られたな、と、紆余さんは笑って。
「そう言われちゃ、逃げられない。……分かった、もう逃げないし泣かないよ。弱音も吐かない」
「ええ。どんな紆余曲折があろうと。最期は笑って死にましょう」
「うん。約束だ」
先ほど小さな女の子と紆余さんがそうしていたように。
わたしと紆余さんもまた、小指と小指を絡ませて、
何十年もの期限がある誓い(ルール)を、固く固く……取り決めました。
◇ ◇ ◇ ◇
こうして、こんにちは、が正しいのかもわからない、薄曇りの空の下。
たくさんの車が並ぶ駐車場の景色の中を、わたしと紆余曲折さんは歩き続けました。
並ぶ車は赤、青、白、黒、カラーリングに富んでお花畑のようです。
ハリボテの鉄板だけで作られたそのお花畑には、温度も優しさもありませんが、
生きることを、戦うことを、望むことを止めないと決めたわたしたちの、
その周りだけはきっと、暖かかったと思います。
◆ 44 ◆
そうして、気持ちを改めて固めたあと、僕はこの寂れた娯楽施設を、
凛々ちゃんの歩幅に合わせて歩きながら、時間ある限り、喋れるだけのことを喋った。
一人で歩いたあのスロープ。リョーコさんと過ごしてきた時間。タクマさんと戦ってきた時間。
優柔不断さんこそ本当の
ヒーローだとリョーコさんが言っていたことや。
そのリョーコさんが最後に僕とどんな会話をして、どんな顔で死んでいったのかを、
全部、伝えた。――最後の場所にたどり着くまでのその回想会話は、長いようで、短かったと思う。
◇ ◇ ◇ ◇
そして僕ら(わたしたち)はたどり着いて。
そして、そこにあったものを見る(見ます)。
それは。
みんなが最初に見たもの。
□と、/。
真っ白な紙と、虹色のインクのペンだった(でした)。
◇ ◇ ◇ ◇
駐車場の端の茂みの前に、オーケストラの楽譜立てのようなスタンドが立っていて。
真四角の紙はスタンドの真ん中に貼りつけられるようにして存在していて、ペンはそのすぐ下にあった。
紆余曲折が進み出て、そのペンを手に取る。
「何を描くんですか?」
「ちょっとした四字熟語……かな」
後ろからの質問に、彼は端的な答えを返す。
「なるほど、脱出口は自分で開けってことらしいね。
悪い夢から醒めるためには、夢と現実の壁を壊す呪文を――って文言は、
傍若無人のガイドにも書いてあったけど。たぶん、これがそれなんだ」
「夢と現実の、壁を、壊す……」
勇気凛々は茂みの奥を見る。そう言えば、洒々楽々と娯楽施設を回っていたときに試したことがある。
この娯楽施設と、その外の街の間には、見えない壁があるのだ。
その時は単に、ここから自分たちを逃がさないために壁が作られているのだと思っていた。
しかし、ここが先ほど会った小さな女の子の夢の中だと知った今、
茂みの奥の壁は、「夢と現実の境界線」という新たな意味を持っていた。
そして、夢と現実の境界線を、あやふやにする言葉。
ここが
四字熟語バトルロワイヤルの会場だと言うことを踏まえれば、自然と答えは限定される。
幸いにもその四文字は――教科書で習う、こともある。
「……“わたしは夢の中で、文字になって
殺し合いをしていた”。ですか」
「そういうこと。”ふと目覚めてみると、文字じゃない自分がいる”」
「“わたしは文字になった夢を見ていたのか、それとも今の自分は、文字が見ている夢なのか”?」
「今回に限っては、“どちらにしても自分は自分”なんて言いたくないけどね」
小話の間に、たった四文字の言葉は紆余曲折の手によって、さらさらと描かれていった。
胡蝶之夢。
夢と現実の境が曖昧になる四字熟語で、物語。
「よし」
七色に輝くその文字を、紆余曲折は壁に貼りつける。
すると壁は波打った。
はたはたと揺らいで、シャボン玉の表面の乱反射みたいな鮮やかな虹色がくらり廻った。
不思議と落ち着いた心で、勇気凛々はその現象を見ながら、綺麗だな、と思った。
儚いくらいに綺麗な夢だ。
紆余曲折が、こちらを向いて言った。
「じゃあ、ここで出来る最後の謎解きをしようか、凛々ちゃん」
「2人生き残る方法……ですね」
「うん。といっても、単純な言葉の綾なんだ。ルールの紙を見れば、すぐ分かることだよ」
簡単な話なんだ、と紆余曲折は言い直す。
デイパックから取り出したルール用紙の冒頭に、それは書いてある。
『〇、”終了条件”
この実験の終了条件は、「娯楽施設の中において、最後の一人の生者となること」です。
最後の一人になった参加者は実験から解放され、後述の記憶操作で失った記憶を取り戻します。』
「この終了条件には、……他の参加者を全員殺せとは書いてない」
「あ……」
言われてみたら腑に落ちた。
最初に勇気凛々も、ルール用紙は隅々まで確認していた。
紆余曲折が指差した冒頭のルールも目を通したことがある。けれどその時は、
「最後の一人の生者となること」は「他の参加者を全員殺すこと」とイコールで結ばれていた。
でも、今は違う。ふたりいて、一人だけ脱出できるのなら、
残った一人が優勝者になって、それで終わりだ。
「もっと言うなら、禁止エリアのルールも、娯楽施設の外が禁止エリアだとは書かれていない。
首輪が爆発する条件(ルール)にも、娯楽施設から外に出ることは書かれていない。
だからたぶん、首輪が付いたまま脱出しても、これは爆発しないんだ」
「ルールの裏を掻いた、文字通りの抜け道ってわけ、ですか……
いえ、その表現は少し的確じゃないかもですが」
「そうだね。なにせ、傍若無人が知ってるということは……、すでにこの方法は、
前回で思いつかれた突破法ってことだろうし。穴があることは向こうも承知の上なんだろうね。
ルール自体に穴があることに気付けるかまでが、実験の範疇なのかもしれない。
あるいは、楽しみを残すためにあえて穴を作っている。……そっちのほうが本命、かな……」
先程の放送を思い出しながら紆余曲折は述懐した。
ただ、浮かぶ疑問はそれだけではない。
「ところで、さっきの女の子の話も踏まえると。わたしたちは夢の中にいる、ってことでいいんですか?
言われてみれば、わたしの記憶も寝る直前で途切れていましたけど……」
「……うん。僕も言われて、その可能性を見落としてたことに驚いたんだけど、そうらしい。
ここはあの子の夢の中……で確定だよ。夢の中で寝たり気絶してたり、
痛みを感じたり殺しあったりできるなんて、なんだか腑に落ちない話だけどね」
「ここが夢の中なら……夢から醒めたら、ベッドで起き上がる? んでしょうか。
記憶はどうなるんでしょう?
胡蝶之夢の主人公みたいに、起きた瞬間に自分本来の姿を取り戻す……?」
「おそらくは、そうなると思う」
「この実験で死んでしまった人達は。どうなるんですか? ここが夢なら、身体は生きている?
それとも現実の身体が夢の中に連れてこられている? いえ、よしんば身体が生きていたとして、意識は……」
「……それは、傍若無人はたぶん、知っていたんだろうと思う。けど、教えてくれなかったよ」
「じゃあ、優勝者としてここに残った人は……?」
と、そこまで言って、少し矢継ぎ早に質問しすぎたのを自覚したのか、勇気凛々が申し訳なさそうに目線を下げた。
紆余曲折は気にしないでいいよ、と言ってからその質問に答える。
「それは教えてくれたよ。優勝者は、――主催の所に連れて行かれる、らしい」
「! ……それなら」
瞬間、ぴり、と空気が張った。
勇気凛々が紆余曲折を見上げて、二人は目を合わせる。
「そういう話なら、わたしが残ります」
「いや、――残るのは僕だ」
「――《りんりんソード》!」
動いた。
駆け出しながら《りんりんソード》を取り出した勇気凛々は、それを盾として押し込むような動きを取った。
質量をぶつけることで紆余曲折を脱出口へと押し込もうという狙いだ。
対する紆余曲折は、どうするか。
おそらく避けるだろうというのが勇気凛々の読みだった。
向こうからすれば、《死に急がば回れ》にてこの突進を迂回させ、その間に背後へ回り込み背中を推すだけでいい。
と思っているはずだ。
だから、勇気凛々はあえて直前で止まり、その後はただ歩くことにする。
攻撃ではないから迂回されない。そしてゼロ距離攻撃ならば紆余曲折は迂回させることができない。
十分に近寄ってから、ゼロ距離で《りんりんソードを柄から顕現させ》、顕現の勢いで紆余曲折の身体を押す。
そうすれば紆余曲折を後ろに押し出して――。
しかし、勇気凛々の推測は外れた。
紆余曲折は勇気凛々の突進に対し、逃げずにただ手を伸ばした。
ある意味で先の会話での約束の有言実行。
彼は勇気凛々に向かって、ただ、真っ直ぐに、手を伸ばした。
「……!?」
次の瞬間、《勇気凛々は、服を掴まれていた》。
「ごめんね。でも。“こっちの戦い”は、僕が貰うよ、凛々ちゃん」
「きゃっ」
そのくらいは格好つけさせて欲しいんだ、と続けたあと、
抵抗を試みた勇気凛々のすべての動作を《迂回》で後回しにしながら、
紆余曲折は小さくあまりにも軽い少女の身体を、力任せに放り投げた。
あまりにも簡単に、勇気凛々は脱出口へと投げ込まれる。
「う、紆余、さ……」
「大丈夫。傍若無人の書くことには、死ぬことはたぷんないらしいから」
「……わた、しは……こんな……」
「そんな幕切れは望んでない、よね。でも、それも大丈夫だよ。
僕の推測が正しければだけど――そっちはそっちで、戦うことになるような気がするから」
「……」
「だから……“自分を責めるな、勇気凛々”」
「――?」
「だよ」
紆余曲折は消えゆく勇気凛々に向かって、これまでとは違う声のトーンで言った。
誰の言葉なんだ――と聞き返す言葉は、すでに現実へと消えていった口からは発されなかった。
ゆらゆらと揺れる透明な壁が再び静かに固定されたときにはもう、勇気凛々の姿は無く。
娯楽施設には一人の生者だけが残った。
『――――――ジジジジジ』
「……ふぅ」
放送が始まる前の、静電気みたいなノイズが彼の耳を突く。
気にせず、ぐるぐる目の少年はデイパックから、一枚の紙を取り出す。
今回の実験の、後半の展開を左右したその紙には、
これから少年がどんな存在に出会うかが……書かれていない。
傍若無人は、主催については何も記さなかった。
実験の本意やら、その主催者(奇々怪々は進行役だ)については、ここでも伏せられている。
おそらくは、記すことが禁じられていたのだろう。
書かれていたのは盤外のルールについてや、勇気凛々、そして奇々怪々のことについてのみだ。
主催については、ただ一言――優勝者は主催に引き合わされる、とだけ。
それだけが書かれている。
紆余曲折はひとつだけ嘘をついた。
主催に会っても死なないだろうなんて文言は、実は書かれていないのである。
さらに言えば、こうも書いてあった。
“勇気凛々を優勝させ、紆余曲折は脱出しろ”
“そうすれば紆余曲折だけは、すべての因果から逃れられるはずだ”
“脱出者には逃げる権利がある”
“少なくとも――己のようには、ならない”
「さて。どうなるかな……」
紆余曲折は、立ち向かうことを、選んだのだ。
『ぴーんぽーんぱーんぽーん、っと。
さあて、ルール通り娯楽施設の生者が一人になったので、実験を終了しますよ♪
およそ14時間にわたる実験プログラムの遂行、まことにお疲れさまでした。
さて。優勝者、紆余曲折さんには。エクストラプログラムとして。
本実験の主催者である、“天飼千世”様との、――おはなしの時間を、設けます♪』
こうして、数々の「紆余曲折」を経て。
四字熟語バトルロワイアルは、終了した。
【四字熟語ロワ Test Finish】
【勇気凛々、脱出――残り人数が一名となったことにより】
【紆余曲折、優勝】
用語解説
【胡蝶之夢】
昔者、荘周夢爲胡蝶。栩栩然胡蝶也。自喩適志與、不知周也。
俄然覺、則蘧蘧然周也。不知周之夢爲胡蝶與、胡蝶之夢爲周與。
周與胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。
最終更新:2017年04月30日 21:59