48◆家族関係
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「あなた が 私 の 幸せ を 殺した。
あなた と 私 は 同時 には 幸せ に なれない。
あなた の 苦悩が 私 の 幸せ で。
あなた の 痛みが 私 の 幸せ だ。
あなた は 私 に 幸せ を 永遠 に 邪魔 され続ける。
あなた は 私 を 殺さなければ 幸せ に なれない」
「あなた と 私 は、
幸せ に なれない」
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「あアッ!!」
――悪夢を見たあとだから、飛び上がるように起きた。
「あ、ひぃ……はっ、はぁ……はっ、は、ぁう……!」
あまりに勢いよく跳ねのけたので掛け布団が裏返ってベッドの下に落ちた。
ぞ、ぞぞぞ、と全身から脳天に這い上がってきたいやな気持ちに小さな身体が大きく震えた。
首の後ろの血管内で血がずるりと動く音がする。寒気がする。わたしは一瞬で眠気を消し飛ばして目を見開いていた。
遅れて心臓も高速で脈動する。痛いくらいのばくばくにわたしは思わず右手で胸元を掴んで浅い呼吸を繰り返す。
でも勢いよくベッドから離したその右手は起き上がる時に体重を掛けた手だったので、
バランスを崩してベッドに横倒しになる。
痛くは無かった。ふかふかのベッドだったから。
これはわたしの部屋のベッドだ。間違いない。目線の先のカーテン付きの窓がある壁も、わたしの部屋の壁だ。
間違いない。部屋の右側には学習机と収納棚と積まれたいろんな本とカバン掛けと服掛け、間違いない。
左側は壁、そう、わたしの部屋は一人用の狭い部屋なのだ。これも間違いない。
「……戻っ。て。きた、んです、よね」
知っているはずのそんなことすら新たな体験に思えてくる。
わたしは虚空を見つめながら思考をそのまま口から漏らした。何日も別の場所に居たような心地だった。
いや実際に、一日には足りていなかったと思うけれど、はっきりと何時間も別の場所にいた記憶がある。
記憶? いや、体験だ。夢だろうとなんだろうとそれはわたしの体と心に刻まれた体験だった。
あれもこれもそれもこれもどれもこれもなにもかも。
体験で、経験で。本物で、最悪な。ひどい夢、ひどいおはなしだった。
「ああ、起きたの鈴女(すずめ)ちゃん。おはよう。大丈夫? うなされてたけど」
息を整えていたら、学習机の椅子に座っている姉さんが不思議そうに話しかけてきた。
「おはようございます……だ、大丈夫、です。
わたしは、ええと。鈴、女――そうですよね。すずめでした」
「なに言ってるの?」
「いえ、……なんでもありません」
どこか遠くを見つめたまま姉さんに返事をし、そのまま繰り返し頭の中で唱える。
そうだわたしは鈴女だ。文字じゃない。ヒトだ。
人間だし、名前だってある。名前は鈴女。すずめ。名字は……名字はそう、鬼塚だ。
わたしの名前は鬼塚鈴女(オニヅカ・スズメ)。
鬼塚家の次女。一人の姉と一人の父がいる。母は病気で、もういない。
市立鳥姶中学三年二組、出席番号四番。所属は生徒会、役職は
生徒会長。
周りより背が低いから学校では基本的に可愛がられていて、
真面目可愛いし頭撫でたいとかよく言われててそれが少し癪だけど、
おかげできついことを言ってしまっても怖がられずに済んでいるところもあって何とも言えない、
あと他のメンバーにも常に助けられていて、自分ひとりじゃ何もできなさを感じてて。
そんな感じの学生生活を、送っていた。
うん大丈夫だ、思い出した。奪われて忘れてた、覚えているはずのことを、ちゃんと覚え直せた。
わたしはわたしに帰ってこれた。
「勇気凛々」は、鬼塚鈴女に帰ってこれたんだ。
「ちょっと、嫌な夢を……嫌な旅を、していたんです。それだけです」
「ふうん」
「今は……ええと、寝る前が確か夜の十時で……ごめんなさい、今何時ですか?」
「朝の四時だよ」
「そうですか」
わたしの部屋には、時計はなかった。
時間を確認しようと姉さんに問いかけると、返ってきたのは意外な時間だった。
体を起こして、部屋の中を、カーテンの隙間から見える外を、改めて見回すと確かに薄紫だ。それに肌寒い。
早朝の雰囲気が確かにある。四時で合っているのだろう。
寝てから起きるまでの時間と、夢の中で経った時間に差がある気がするけれど……
考えてみれば、夢ってそういうものだ。
そこまで現実と合わせてしまったら、半日以上寝て騒ぎになってしまうかもしれないし。
上手く出来るようになっているのだろう、とか。
わたしはどうにか頭の隅でそんなことを考えられるくらいには、落ち着きを取り戻したみたいだった。
完全に体を起こしきると、ベッドのふちに座る。
呼吸も平常になって、冷や汗も身体の震えも止まって、
どこかに飛んでいっていた、起き抜けのぼやっとした気分がちょっとだけ復活する。
わたしは――鬼塚鈴女は――その浮遊感にも似た感覚を伴いながら、
机に座っているわたしの姉さんのほうに目を向けた。
薄暗い中、姉さんは学習机の明かりを付けて、机に向かって座って本を読んでいた。
姉さんとはけっこう年が離れていて、少しだけ他人行儀な関係。
「姉さん」
わたしは姉さんを姉さんと呼ぶ。
「ええと……何を、読んでるんですか? こ、こんな時間に」
「ん?」
そしてぎこちなく問いかけた。
朝の四時、一人部屋のはずの場所になぜかいる姉さんを不思議に思ったわけではなくて
(姉さんはけっこうよく不思議なことをする人なので、そういうこともなくはない)、
どちらかといえば何か会話をして現実感を得たかったという思いが強い、そんな問いかけだった。
でも口に出したあとで、わたしは一つ思い至る。そういえば、わたしは悪夢にうなされていたのだ。
「あ、もしかして、心配、……してくれたんでしょうか。わたしがうなされていたから」
我ながら一番しっくりくる答えだった。確か、姉さんは、そのくらいにはわたしに優しくしてくれる。
「ん? 違うよ」
でも違った。
「え、違うんですか」
「私はさっきここにきて、これを読みながら君が起きるのを待ってたんだよ、鈴女ちゃん」
「……ええ?」
くるりと椅子を回して、姉さんはこちらを向いた。
学習机の明かりが少し逆光になっていて顔が見えにくいけど、
本を持ったままこちらを向いたので、どんな本を読んでいるかのタイトルが分かった。
分かったのだけれど、わたしが一見して本だと思ったものは、どうも本ではなかったようだ。
それは辞典だった。
類語辞典。
だった。
って、類語辞典?
そんなのわたし持ってないし、家にも無いはずだけど。
「ああ、これ? これは知り合いから貰ったんだよ。買ったけど使わなかったとかで」
「そ、そうなん、ですか……」
「買うことそのものに意義があるものって、あるでしょ?
あの人にとってはこれはそういうものだったらしいんだ。渡されたときは面食らったけど」
「……」
「読んでみるとなかなか、面白いんだよね。
なるたけ沢山の単語を通って元の単語に戻ってくる遊びとかもできるし」
「あの……そ、それで」
「語彙が増えてく感覚が心地よいっていうか――ん?」
「それで、わたしに何か用ですか?」
「……ああ、用ね」
脱線しかけた話をわたしは元に戻す。
姉さんは一度喋りだすと長いし、話を遮られるとつまらなさそうな顔をする人だというのは知っているけれど、
それより起きるのを待たれてた理由が気になったのだ。
用事があるというなら教えてほしかったし、もし辞書の利点を話したかっただけだというならその旨を伝えてから喋ってほしかった。
すごく心が不安定な状態で、分からないことがあるままで話を進められたくない……という、若干のわがままだ。
それくらいは許してほしい気分だった。
「用は、まだなんだよねぇ……早く早くって急かしてるんだけど」
すると、わたしの催促に対して、
姉さんは不機嫌な声でそう返してきた。
催促をしているのはわたしなのに、姉さんは誰に催促をしているというのだろう。
不思議な気分になったわたしは、「?」の文字を頭に浮かべる勢いで小首をかしげた。
目線が少しずれたからか、逆光の関係で見えなかった姉さんの顔がそのとき見えた。
それは間違いなく、いつも見てきたわたしの姉さんの顔だった。
当たり前だけど、親しみのある。何度も見てきた、顔だった。
「……早くって、何をです?」
「何をです? って……むしろ、こっちが何でです? って言いたいんだけどな。
まだ寝ぼけてるの? ちょっと遅いよ……ねえ、気づかない?」
「気づ、く……?」
気づくって、……何にだろう?
変化に気付けと言うのなら――姉さんが、化粧でも変えたのだろうか?
それを気付いてもらうのが、望みだったのか? こんな時間に?
でも見たところ、わたしには姉さんの変化は分からない。いつもと同じだ。
髪は少々くせ毛で横にはねていて、たまにしか洗わないのか皮脂で奇妙に照らされている。
ちなみに家族唯一の黒髪で、手入れすればちゃんと綺麗だ。成人式くらいでしか見たことはないけれど。
顔だっていつも通り。洗面所に行ったのか、少しさっぱりしているけど、あの大学の講義室みたいな所で見たのとあまり変わらない。
綺麗な二重で、瞳は大きいけど目付きはどこか怖い感じ、鼻がちょっと高くて、唇は少し不健康そうで、片目だけ眼鏡をしている。
いつもは白衣のまま帰ってきてそのまま寝てたりするのに今日は私服なのは違いと言えばそうだけど、新しい服って訳でもないし――――ん?
「え?」
あれ、ちょっと待った。
いま。
記憶の引き出しの開け方に、違和感があった。
「え」
「気付いた?」
姉さんは笑った。
赤子にそうするような、慈しみのある微笑み。でもどこか違和感がある。
瞳の奥が笑っていない。嘲っている。見下している。目だけがそうだから、ひどく歪んで見えた。
記憶の中でも、こんな目をされた。そう、大学の講義室のような場所で。
忘れるわけもない。わたしは。わたしは。今ここにいるわたしは――その場所から始まった。
それまでのわたしを殺されて、別のわたしとして生かされ、殺し合わされ、生き残って。こうして戻ることができた。
戻ることが出来たけれど、取り戻すことが出来たけれど、でも、別物になってしまった。
させたのは。
そうさせたのは。
「き」
そうさせたのは、あなただったの?
「奇々、怪々……?」
「あらら。実の姉に向かって、いったい何を言ってるの? 鈴女ちゃん」
あの
殺し合い実験の主催の一味。
奇々怪々と同じ姿、同じ顔をした姉さんは。まずそう言った後、
「なーんて。いまさらはぐらかしても、雰囲気でばれちゃいますよねえ……ふふ、あはは、正解ですよ正解。
私が奇々怪々です。その通り。そして、貴女の姉でもある。
殺し合い実験の脱出者の姉が、殺し合い実験の進行者だった……なかなか奇々怪々な出来事だと、思わない?」
「……姉さん……な、なんで……」
「なんでもなにもない」
唐突に、類語辞典に挟んでいた一枚の紙を、わたしに見せるようにして広げた。
「復讐ですよ」
わたしは目を見開いた。
それは紙ではなく、写真だった。
見覚えのある、写真だった。
家族写真だった。
わたしの家の、家族写真だ、四人家族が、映っている。
「……あ……」
七年前の、七五三だ。
思い出す。思い出せる。
わたしはまだ七歳で、姉さんのことはお姉ちゃんと呼んでいた。
お姉ちゃんはいまと変わらずわたしのことをすずめちゃんと呼んでいた。
お母さんはまだ健康で元気で、着物を着てはしゃいでいるわたしたちを見て、しょうがない子たちねと笑っていた。
うん。覚えてる。着物の感触と特別感が面白くて、じっとしてなさいって言われてもじっとしてられなかったんだ。
お父さんはといえば、そんなわたしたちを見て、後ろで優しく微笑んでいた。
お父さんはけっこう無口な人だった。
口下手だといつも言っていた。
けれど、わたしにとっては、お父さんこそが、わたしの、
ヒーローだった。
自衛隊で鍛えた大柄の体は、たくましくて、頼もしくて。
町内運動会なんかじゃ敵なんていなくて。
釣りとか、キャッチボールとか、お仕事で忙しくてもわたしと遊んでくれて。
疲れたらおんぶして運んでくれて。その背中があったかくて好きで。
「あ……え……?」
その背中を、わたしはずっと目指そうと。
お父さんみたいな、ヒーローになろうって、思って。
なのに――なのに、写真で見る、その顔は。見覚えがありすぎるくらい、見覚えがあって――。
わたしは言葉を、思い出す。
“なにしろ、無作為選出ですので。調べでは近親者はいないはずですが、親戚や知人くらいならいるかもしれません。”
参加者の選出に対する、奇々怪々の言葉。
わたしたちはあの時点では、その言葉を信じるしかなかった。
だけどあれは、あくまで「今回の参加者の中で」という枕詞がついた言葉でしか、なかったのだ。
目の前にいる「主催者側」である彼女との間に近親関係があっても、適用されなかった。
そしてもうひとつ。
“そしてもう一つは――”己だけが前回のルールを引き継いでいる”ということだ。”
前回のルールを引き継いで、「前回の参加者の延長戦」としてゲームに挑んでいた彼も、ルールの適用外だった。
つまりそういうことだったのだ。
だから。
でも、なんで。
どうして、じゃあ、あの時?
「分からなかったでしょう?」
類語。並べられた一見違う三つの単語は、実のところすべて同じ意味。
奇々怪々は――わたしの姉さんは――“鬼塚雷鳥”は。
わたしに語り掛ける。
わたしに語り倒す。
わたしを、語りで、刺し殺す。
「それが、ルールでしたからね。
『この人間関係を、悟られてはならない』。それがあの男が課されていた、本当の首輪。
あの男は――傍若無人は、「貴女を守る理由を貴女に知られることなく、貴女を生き残らせなければ」いけなかった。
そうしなければ首輪を爆発させると、私は言いました。ふふ、そのうえで私はあの男を、ひたすら虐めてあげました。
苦戦するあの男を見るのは最高に笑える娯楽だったし、それを乗り越えても、すでにそのときにはもう、貴女は反転に堕ちていて。
死ぬほど滑稽でしたよぉ? 抱きしめたくて堪らないだろう愛娘が、ぼろぼろに死にたがりながら、自分の元に向かってきて!
それを慎重に、慎重に! 取り返しのつかない痛みを与えないように慎重に、返り打たないといけないあの男を見るのは!
あのまま、あの男が貴女を殺してしまうというのが一番面白かったんですがねぇ♪
結局、ゲームはあの男の勝ち。死んで勝ち逃げされて、私は腹の虫が収まらないんですよ。
だから、こうして貴女の前で“種明かし”をするのだけを楽しみにしていたの」
ぎぃ。と音が鳴った。油が挿さっていない学習机の椅子が、ひどく耳に刺さる音を出した。
姉さんは類語辞典を机の上に置いて立ち上がった。わたしは立ち上がった姉さんに見下げられる形になった。
そう、分からなかったわたしに、分からせるように。知らなかった話の雨を降らせる側だと、見せつけるように。
見下した。
……喉が渇く。眼がそらせない。夢から醒めても悪夢は終わっていなかった、なんて、そんな言葉さえ陳腐化するような状況。
朝の寒さが背中を這い回る。やってしまったこと、させられていたこと、わたしの、わたしは、わたし……。
そんなわたしの震える姿を楽しそうに見つめて、にっこりと笑って、姉さんは続ける。
「私、養女なんですよ」
「……ぇ……」
「髪の色が違うでしょう? 血がつながってないんですよ、私と鈴女ちゃん」
――家族唯一の黒髪をくるくる遊ばせて。
種明かしは、まだ終わらない。
「もともとは孤児でした。ショッピングセンターに置き去りにされた、両親の帰りを待つ純粋無垢なこども。鈴女ちゃんも、会ったでしょう?」
わたしは思い出す――あの悪い夢の中、
最後の最後に出会った小さな女の子がいた。
無我夢中に、自分を忘れて、理由も忘れて、待ち続けているあの子。
あの女の子も、黒髪だった。
あの女の子も、姉さんの類語だった?
「そのこどもは、悪くない大人に娯楽施設から体を移されても、
ずうっと、ずうっと。お父さんとお母さんの帰りを待っていました。待ち続けていました。
でもある日、子宝に恵まれない一組の夫婦に、カワイソウカワイソウと言われながら引き取られたんです。
それがあの男と、あの女。自分たちの都合だけで私を自分たちの間にぶら下げた、偽善者たちです」
「……!」
そんな言い方、と反論しようとしたわたしを遮るように、姉さんはまくしたてる。
「ああ……言い過ぎだという意見も、貴女以外になら言われてあげましょう鈴女ちゃん。
でも貴女にだけは、言う権利がないはずですよ?
鈴女ちゃんは私よりは頭の回転が遅いけれど、その答え……計算できないわけないですよねえ?
だって、その計算式に代入する変数が、自分自身なんですから」
口から出かかっていた言葉を、強制的に飲み下させられる。
姉さんのヒントで、わたしは確かに答えを導いてしまう。
わたしがいること。わたしが産まれて、ここにいること。
「貴女が産まれてこなければ。私も私を受け入れられていたかもしれません。
偽物の親と偽物の娘だけで過ごした3年間は、はっきり言って、悪くありませんでした。
娯楽施設に私の一部を取り残して、いろいろを割り切った今の私を作る程度には、悪くありませんでした。
たとえそれが望んだ暖かさと違っても、ぬるま湯につかった氷が暖かく溶けていくように。
意固地に凍った私のこころは、たしかに溶かされていたんでしょう。……でもお前たちは本物になった。私を置きざりに、本物になった」
子宝に恵まれなかった夫婦が、子宝を手にしてしまった。
もう別の場所から子宝を譲り受けていたというのに、そういうことをして、そうなってしまった。
お姉ちゃんになるのよ。お姉ちゃんにならなきゃね。最初はそう言われただろう。
そして姉さんも受け入れただろう。そうなろうとしただろう。
でも、でも。
……お父さんもお母さんも間違いなくいい人だ。悪い人だなんてわたしが言わせない。
だけど想像できてしまう。今目の前にいる姉さんの憎しみに満ちた目が、何を見てきたのかを。
どれだけ頑張ったとしても、人は誰かと別の誰かを完全に平等には愛せない。
あるいは、どれだけ愛されてるのかなんて、愛された側にしか判断ができないもの、測ることこそ冒涜だ。
それでも、偽物の姉と、本物の妹。わたしとお姉ちゃん、どちらが愛されていたか。それを俎上に載せるのなら。
わたしから見て、姉さんから見て、お父さんから見て、……お母さんから見て、どうだったんだろう?
少なくとも、姉さんから見てそれは……。
わたしと姉さんは他人行儀な関係。もっと昔はそうじゃなかったのに。
それは、どうしてだったろう?
ああ、どうしてだったっけ?
お母さんが病に倒れてしまって、
何もできないまま死んでしまったとき。
あのとき、姉さんが、それほど悲しくなさそうだったからだっけ?
「だから、復讐です。
私を置いて幸せになったあなた方への、復讐です。
私は、誰もかれもを恨むことしか、もうできないんですよ。鈴女ちゃん、貴女のせいで。
いまだに私を迎えに来てくれない本物のお父さんとお母さんも、
私で満足せずに貴女なんかを作ってしまった偽物のお父さんとお母さんも、
私が受けるはずだったものをいっぱいたくさん死ぬほど持って行ってしまった貴女も、恨むしかないんですよ」
薄ら笑いを浮かべて姉さんは言う。
それは、決定的な破綻の先にある笑顔だった。
つい少し前に見たばかりの顔で、今まで知らなかった顔であって、ほんとは、知っていなければならなかった、歪み。
「同じように幸せになれないなら、せめて同じだけ苦しんで欲しい」
同類に。
類語に。
なってほしい。
「貴女が苦しんでくれることだけが、私の幸せなんです」
それが、姉さんがわたしに、
鬼塚雷鳥が鬼塚鈴女に向けた、ただ一つの感情だった。
「ねえ鈴女ちゃん――苦しい? つらい?
大好きだったお父さんをその手にかけた気分はどう?
私は大嫌いだったあいつを殺せて今とってもとっても気分がいいよ。天まで飛べそうなくらい。
死にたい? でもまだまだ死なせてあげないよ。すべての始まりである貴女だけは、もっと苦しめないと気が済まないから。
だから生き残ってくれて、本当に嬉しかった。
死んでいった人たちの分まで、鈴女ちゃんは、生きなきゃ、いけないですもんねえ?
……あはは、あははは。その顔。その顔が、見たかったんですよ。
いっぱい恨みあって、永遠に殺し合いましょう? かわいいかわいい鈴女ちゃん……」
「姉さ……」
「でも、今日はここまで。今回はここまでで終わり。
今日はあなたを底まで突き落としに来ただけだから。
これから、私が孤独を噛み締めた時間と同じだけ、鈴女ちゃんにも絶対の孤独を味わってもらいたいから。
だからここまで。いったんこのお話には栞を挟んで閉じるの。開けさせない、進めさせない。
二年後、また会いましょう。今度はもっといっぱい、恋しく故意して、愛しく意図してあげる」
「姉さん!!」
じゃあね。と手を振られた。
言いたいだけ、やりたいだけやって、姉さんはそんな
別れ言葉を私に送った。
姉さんが消えてしまうような気がして、わたしはベッドから跳ね起きた。手を伸ばして、立ち上がって、姉さんの服をつかもうとした。
でも、《悪い予感は、的中してしまう》。
《確かに届くはずだったわたしの手は、奇々怪々なまでに空を切った》。
バランスを再度崩して、カーペットに膝をつく。
《姉さんはすでにわたしの部屋の扉を開けていた。》振り返って、わたしを嘲る。
「ふふ、だめですよ、鈴女ちゃん。《触れられないかもと考えた時点で、私には触れられないんですよ》。
最悪の想像は現実になる。ほんの少しの疑いが真実になる。それはもう、奇ッ怪至極に。あなた方の悪い予感は的中する」
「ルール、能力……! 《奇々怪々》の……!!」
「ご名答。別に夢の中じゃないと使えないとか、そういうことはないんです。文字さえそこにあればいい。
貴女の枕の下にも、ありますよ。今使っても、意味はあまりありませんけれど。いずれまた、使ってもらいます。では」
「……待ってください! まだ、まだ、何も……何も聞けてない! 何も言えてないです!」
わたしはごちゃごちゃの頭から言葉を絞りだす。
「姉さんも! わたしは、姉さんも憧れでした!」
いまにも消えてしまいそうな姉さんを前に、何を言えばいいかなんて考える時間も余裕もない。
それは、ほとんど条件反射で出たような、剥き身の言葉だった。
取り戻したばかりの、本心だった。
「父さんの、ヒーローみたいに強くて優しくて、大きくて頼れるところと、同じくらい!
何でも知ってて、頭がよくて、でもそれを自慢したり鼻にかけたりしない姉さんのことが、わたしは、誇りだったし、憧れでした……っ!」
「……」
「だからわたし、勉強だって頑張って! 生徒会長だって、似合わないと思ったけどやって。
でも母さんがあんなことになって。いろいろあって。少し他人行儀になって。でも、それでもわたしは、……わたしは!」
「…………」
「わたしは、姉さんのことを、本当の姉さんだと思います。
たとえ姉さんが、偽物のまがいものだと思っていたとしても、わたしは……父さんだって母さんだって、きっと!!」
「………………解釈違いですね」
瞳を細めて。眉間にしわを寄せて。
嫌なものを見るような顔で、姉さんは、わたしに向かって呟いた。
「いいでしょう。では、解釈合戦といきましょうか。
歴史上の死者がのちのちの人々に好きなように解釈されるように。貴女はそのまま、本当はすべてが正しかったのだと信じてください。
私が勝手に愛の差を感じて、貴女たちを羨んで、妬んで、間違って、それでこうなってしまったと。
そうやって私を馬鹿にすれば、いいと思いますよ」
「馬鹿に、なんて」
「もう届かないんですよ。口当たりの良い、当たり障りのない正論は、私には一切ね。
誰からも愛されなかったと、世界から愛されなかったと、そう解釈してしまう以外に、生きる動力が湧かないんです。
そんな私の解釈を、否定するというのなら。結局、殺し合うしかない。
私と貴女の終末は、血まみれの泉の中でひとりが斃れ、ひとりが勝ち残る風景以外にはありえません。それ以外を、望みません」
姉さんは冷たく言い放つ。
「私を救えるだなんて思わないでくださいよ? 小さなヒーローさん」
そして扉に手をかける。閉じていく扉が、わたしと姉さんとの間に絶対の断絶をつくるのを、わたしは黙って見ている。
その瞬間のわたしの感情を、どう言葉にすればよいのだろう。
最悪の出来事に巻き込まれて。
自分の自分たる根源を沢山奪われて。
残った少しの自分らしきものを頼りに戦おうとして、
なのにその意思すら嘲笑うように反転して、間違えさせられ。
制御できずにだだ流して、すり減らして、すり減らして、枯渇して、赤く染まって。折れて、崩れて、ばかになって、振り乱して。
そんなわたしだったのに、助けられて。
間違えたからって間違え続ける必要はないって、言ってもらえて。
もう一度、前を向けるくらいになったのに。
助けてくれた人たちのほとんどには、ありがとうさえ言えず。
すごすごと帰ってきてみれば、すべてを奪われた後だった。
そして今。
すべてを奪ったその人を、絶対にわたしは救えない。
そんなの。
そんなのって。
そんなのって――。
認められないに、決まってる。
だめだ。
だめだ、勇気凛々。
その四字熟語は、ここで何もしないような意味合いだったのか?
違うだろ。
唇を精一杯噛みしめてから。
扉が閉まり切る寸前に、わたしは心の蛇口をありったけ捻って、叫んだ。
「それでも、助けます!」
空気が震えるような声。学校の、合唱コンクールでも、応援合戦でも出したことのないような声。
扉は閉じ切らない。止まった。姉さんは――振り返らない。
声量に驚いて扉を引く手を一瞬、止めただけ。
言いたいだけ言って、遮断してしまったのかもしれなかった。
わたしの言葉はもう聞こえていないのかも、届いていないのかも、知れなかった。
それでも叫ぶ。
それでも叫ばずにはいられない。
そうだ。
だってわたしは、勇気凛々だった。
失敗を恐れず。危険も恐れず。勇ましく気力を振り絞って、物事に立ち向かうという意味の四字熟語だった。
わたしがわたしに帰ってもその文字は、わたしの中に、刻んである。
わたしはわたしで。
わたしは勇気凛々で。
沢山貰って、沢山学んで、あの場所で、変えてもらえた。
なのに、今。
これだけされて。
これだけやられて。
それで、何にも言い返せずになんて――――終われるか!
「助けます。救ってやります。あなたの望みなんて知らないです。
あれだけわたしをめちゃくちゃにしておいて、望み通りにしておいて! 自分だけ望み通りに終われるだなんて、思わないでください!
ぜんぶ、ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ、ぜんぶぜんぶぜんぶっ、否定してやる!
あなたのその、恨むだけの人生ってやつも! 血まみれの結末なんてものも! そうするしか無いなんて、そうなるしか無いなんて、絶対に、言えなくしてやる!」
沢山の言葉に助けられたから分かる。
自分が文字になってしまっていたからより分かる。
紙に書き起こす。言葉に出す。
そうしてこの世に産み出した文字には確かに、姉さんが最初に言った通り、不思議な力がある。
それは、祝福かもしれないし、あるいは呪いかもしれない。
どちらでもいい、わたしに力をくれるなら。
空気が変わるまで吠えてやる。
未来が変わるまで、戦ってやる!
「言ってくれれば、よかったんだ! つらいなら、苦しいなら、悲しいなら、もっと早く吐き出せばよかったんだ!
わたし、知りませんでした、気づけませんでした、姉さんはいつだって、いつだって、わたしの知ってる姉さんのままだったから!
わたしは不器用なんです! 父さんだって同じです! ううん、誰だってそうです!
人の気持ちなんて、そうそう分からないんですよ! 心の中に、夢の中にまで隠してるものを、察しろったって無理です!
ううん、違う、察されようとも、してなかったんですよね!?
姉さんは過去にすがって、後ろだけ見て口を閉じて! 恨んでばっかりで変わろうとしなかった!
死んでも変わってやらないって思ってる! それが、一番、いちばん許せない!
敢えて言います!
あなたの意固地なわがままに、わたしを付き合わせないで下さい!
わたしは、やりたいようにやります! 生きたいように生きます!
もっともっと、もっと力強く、勇ましくなって! 救いたいように救って、変えたいように人生を変えてやる!
だから、だから! わたしは、わたしが、姉さんを助ける! 殺し合いをするような人たちから引きはがして、全部の罪を償わせる!
誰よりそばで見てたから! 誰より、あなたに憧れてたから! あなたを無理やり変えてでも、あなたに生きていてほしいんです!!」
わたしの感情の高ぶりに呼応したのかもしれない。《手のひらがいつの間にか、一緒に戦い抜いたあの剣を握っていた》。
考えるより前に先が動く。わたしは《りんりんソード》を床に突き立て、強引に立ち上がった。
何年も寝たきりの病人みたいに動かない足を無理やり動かして、前へ。進む。
大質量のその銀色は、わたしにだけは重くない。扉に《りんりんソード》をぶつける。
扉なんていらない。二度と閉じたり開いたりしなくなってしまえ。それでわたしと姉さんとの間にあるものが取り払われるなら、それでいい。
「《りんりん》……《ソード》ッ!!」
こじあけた、というか、ぶち破ったら。
《案の定、姉さんは不可思議な闇の中に吸い込まれて消えようとしていた》。逃げようとしていた。
ああ。案の定だとか。悪しき諦念が脳裏によぎっている。
これだけ勇気を振り絞っても、まだ今のわたしにはここまでだ。
それでも、虚勢は張ってやる。
ヒーローならばそうするとかじゃない。文字ならばそうすべきとかじゃない。わたしがそうしたいからだ。
わたしがわたしでありたいからだ。
「絶対に、助けます」
そんなわたしに背を向けて。姉さんは捨て台詞を放った。
「絶対に、助けられてあげません」
当然それは、類語なんかじゃなかった。
とびっきりの反語だった。
偽物を恨み続ける姉さんと、本物だったと信じ続けるわたし。
救われることを拒絶する姉さんと、救うことを押し付けるわたし。
意固地に主張する真逆の意味を。
折れずに掲げる正反対の願いを。
どちらも譲らないのであれば、それは確かに、解釈合戦の始まりだった。
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■■■■
こうして、少女がひとり、冷たい部屋に残る。
薄暗い部屋の中、ベッドの縁に頭をのせて、天井を見つめている。
終わりのあとの種明かしも終わって、彼女の殺し合いはこれで、ひと段落。
生きている限り、お話は終わらない。
たった今、その勇気で破った扉の先に、再びの合戦が彼女を待ち迎えている。
それでもせめて、朝日がこの部屋を照らすまでは。
彼女がどんな顔で時を過ごしているかは、誰にも分からないようにしよう。
【鬼塚家・2F 鬼塚鈴女の部屋】
【勇気凛々/女子中学生】
【状態】
【装備】なし
【持ち物】なし
【ルール能力】勇気を出すとりんりんソードを具現化できる
【スタンス】救ける。
前のお話 |
四字熟語 |
次のお話 |
遊戯終了 |
鬼塚鈴女(勇気凛々) |
[[]] |
結果報告(談) |
鬼塚雷鳥(奇々怪々) |
[[]] |
用語解説
【鬼塚家】
住宅地の一角に建てられた、いたってシンプルな2階建ての住宅。
仲のいい夫婦と二人の娘が暮らしていた。
今はもう、一人しかいない。
最終更新:2017年04月30日 21:31