どうして僕をいじめるんだ?
僕がいったい何をしたっていうんだ?
僕はただ平穏が欲しいだけなんだ。
ただそれだけなんだ。
なのにいつも誰かが僕を虐げる。
助けてよ。
誰か僕を助けてよ。
ミサトさん……アスカ……父さん……綾波……誰でもいいから、僕を助けてよ……。
「うっ……うぅ……」
碇シンジにとって、葛城ミサトは数少ない「頼ることのできる」人間であった。
実父の碇ゲンドウや義父からは執拗に遠ざけられ、第三東京市にやってくる前の学校では虐めにあっていたシンジ。
母性愛を知らず育まれた彼の精神は、硝子細工のように脆く仕上がった。
そんな中で授かったサードチルドレンの称号――それが彼の心にどれほどの重圧をかけたのか、想像に難くはない。
そんな時に支えとなったのが、葛城ミサトの奔放さであった。
端から見ればぞんざいな扱い方を受けていたと思われるだろう。炊事、洗濯、掃除――本来葛城ミサトが処理すべき家事の一切を任されていれば、それも当然である。
だが他人に頼りにされたことのなかったシンジにとって、それは苦痛などではなく、寧ろ喜びですらあった。
奉仕に次ぐ奉仕はエヴァンゲリオンのパイロットとしての疲れを忘れさせもした。もっとも、それも戦闘が激しくなってゆくにつれ意味を成さなくなっていったが。
兎に角、葛城ミサトのずぼらさが結果としてシンジを救っていたのは事実である。
だからこそ、信じられなかった。
自分の姉のような存在が一瞬にして目の前から消え去ってしまったなど、到底。
「ミサトさん……ミサトさん……」
暁の空に姿を見せる太陽は、やがて大海原を淡い琥珀色に染めてゆく。
しかし、彼は眼前に広がる絶景を前にして、細波打ち寄せる浜辺にうずくまり、一人悲しみに打ちひしがれるだけである。
「……もう嫌だ……こんなの」
――ククク……馬鹿だな、お前。
「えっ……?」
そんな彼の背後から突然投げかけられる、冷たい、蔑むような一声。
振り向くと――いったい何時からそこにいたのであろうか、まるで渚カヲルを彷彿とさせるような美しい銀髪、制服を着た、同い年くらいの少年が、シンジのすぐ背後に立っていたのだ。
「うわあっ……ごぼっ!?」
とっさに後退るものの、打ち寄せる高波を頭上から浴びて体勢を崩したシンジは、不様に鼻から海水を飲み込むはめとなってしまった。
「げほっ、げほっ!!」
「ククク……しかもヌケサク……周囲にまったく気が利かない鈍感……」
咽せるシンジを嘲るように忍び笑いを漏らす少年。
その態度に思わずムッときたシンジは、普段よりきつめの口調で言い返す。
「な、なんなんですか突然……びっくりしたじゃないですか……」
ガシィッ!
しかし少年は、そんなシンジの言葉に眉根を潜め、呆れたように深く溜め息をつくと、びしょ濡れになった彼の襟元に乱暴に掴みかかる――。
「ひいっ!?」
「びっくり……だと? ククク……なぁお前、何勘違いしてんだ?」
悲鳴を漏らすシンジを余所に、少年は不敵に笑って続ける。
「……寄せ集められた烏合の衆……右往左往、阿鼻叫喚……この世の地獄……!
これはサバイバル……不条理な
殺し合い……そんなことも、忘れたのか……!」
吐き捨てるように言い放った彼は、呆けたように開きっぱなしのシンジの口に、黒い果実――否、手榴弾をそのまま捻り込む。
「んんーーーっ!!!?」
「30分……30分だ……俺がお前を信用に足る人間か観察していたその間……あまりにも無防備……!
まるで殺してくださいと言わんばかり……!
挙げ句の果てに、支給品を確認するどころか、デイパックにさえ指一つ触れない始末……ククク……舐めてるとしか思えない」
更に口内奥深くへと侵入する手榴弾。
シンジは極度の緊張に、吐き気を催すことはおろか、まともな思考すらもままならない。
それもそうだろう。同い年くらいの少年に突然胸倉を掴まれ、今まさに殺されそうな状況に陥っているのだから。
――しかし、それでもシンジは彼の言い分に対し本能的に抗う。
「……はんはい、はにあ、あはうっへひゅうんは」
――あんたに何がわかるっていうんだ。
父さんに捨てられて、ずっと一人ぼっちで、いざ必要にされたと思ったら、戦場に送り込まれて、そして、今度はこれ。
どうして。
どうして、僕ばっかり。
「ほっほいへお」
――ほっといてよ。
もう殺されたって構わない。
どうせ僕なんか死んだって、誰も困らないんだ。
なんなら殺せよ……殺してよ!
今にも手榴弾のピンを引き抜きかねない少年の顔を、シンジは半ば自暴自棄になって睨み付ける。
どちらが殺しにかかっているのか判らなくなるほど、その瞳はぎらぎらと輝いていた。飢えた猛獣とも異なる――寧ろ、象の脚を噛む蟻のような無謀さを孕んだ眼。
「……ククク……だが」
しかし、シンジのその自殺願望が叶えられることはなかった。
少年は先程までとは違い、微かに温かみのある表情で、シンジの口から手榴弾を抜き出し、一歩後退する。
「……殺さ、ないの?」
「ククク……まさか。
その目……まるで死を恐れない狂人の目……それを持つ人間が、俺には必要だった」
「何を言ってるのかわからないよ」
「お前、死んでもいいと思ったことは?」
「……ある、けど」
「ククク……そこが丁度良い……!
『死にたい』じゃなく『死んでもいい』ってとこが肝……!」
――この時、シンジは何故か渚カヲルとこの少年を重ねて見ていた。
「『死にたい』奴は生を諦めた人間……『死んでもいい』奴は死を覚悟した人間……!
どんな横暴も澄ました顔で淡々とやってのける……!」
他人には理解することの出来ない領域にまで踏み込んだ存在。人をミステリアスな言動で翻弄する、例えば道化師のような。
「そんな奴ほど、不思議に生き残る。
誰もが生を得ようともがく底無し沼……そんな奴ほど沈む沈む、奈落の底」
「死にたい人間だって、沈みにくいですよ」
「ククク……そういう奴はわざともがいて死ぬもんだ……死んでもいい奴とは違う……断じて……!」
それでいて孤高。何人たりとも近寄らせない、気高さ、独自の哲学を貫く一匹狼。
「……お前……死んでもいいなら、いっそのこと賭けに出ないか……無論、負けた代償は死……!」
性格はまるで写し鏡だというのに、シンジはこの少年に惹かれつつあった。
「……殺し合いに、乗れって?」
「違う。もっと面白い……まさに狂気の沙汰……!」
――渚カヲルと同族の、この少年に。
「下克上――主催者殺し……!!」