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anko2436 とある人形遣いのグリモワール
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ankoss
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『とある人形遣いのグリモワール』 34KB
愛で 日常模様 幻想郷 幻想郷が舞台です 以下:余白
『とある人形遣いのグリモワール』
序、
幻想郷。
魔法の森にひっそりと佇む白い洋館の中。パチパチと音を立てて燃える暖炉の前に置かれた椅子に座ったアリス・マーガトロ
イドは、指先に冷たい視線を送りながら縫い針を動かしていた。少しずつ形作られていく自作の人形を碧眼の双眸がぼんやりと
捉える。不意に、燃え盛る焚き木の一つが大きな音を立てて割れた。瞬間、まるで夢から醒めたかのようにアリスが体を跳ね上
げる。
「痛っ……」
指先に痛みが走る。アリスの細く白い指先に真紅の点がぷくりと浮かび上がっていた。溜め息をつく。それから、人差し指を
口に咥え立ち上がると窓の外へと目を向けた。区切られた長方形の向こう側に森の木々と青空が映し出されている。その画の中
に黒い帽子を被り、箒に乗った魔法使いが手を振りながら戻って来る様を心の中で描く。
「魔理沙……? 聞こえてるんでしょ? ……返事をしなさいよ」
思念に乗せて語りかけるアリス。その声が向けられた相手は返事をしなかった。唇が小刻みに震える。さっきまで、こうやっ
て会話をしていたのだ。いつものように、馬鹿馬鹿しい冗談を交えながら。余りにも地中深くに潜ってしまったせいか。或いは
灼熱地獄の最深部で出会った強敵との弾幕戦の真っ最中で返事を返す余裕がないのだろうか。いずれにせよ、魔理沙からの応答
はない。
「シャンハーイ」
「……? シャンハイ……心配してくれてるのね……」
背中に生えた羽を動かしてアリスの元に寄ってきたのは、彼女自作の上海人形。半自立型の人形でアリスの作った“作品”の
中で最も傑作と呼べるものに近い。
「……あの永い夜を一緒に戦った時も……。 生身の……“人間の魔理沙”が傷つくのが怖くて堪らなかったけれど、声は届く
のに一緒に居られない今の方が、遥かに怖くて堪らないわね……」
「ゆー! おねーさん! まりさ、おなかがすいたよっ。 ゆっくりごはんさんをちょうだいねっ!!」
アリスの左足に柔らかい感触が当たる。しゃがみ込んで帽子越しに頭を撫でてやると、バスケットボールほどのサイズのゆっ
くりまりさが“ゆーん”と気持ち良さそうな声を出した。大きな黒い帽子に長い金髪。左側にだけ結われたお下げには黒いリボ
ンがつけられている。顔はちょっと下膨れでなぜか常時ニヤニヤと笑っているようにも見えた。アリスが待ちわびる、“魔理沙”
にそっくりの不思議な生き物。ちなみに、名前も“まりさ”と言うらしい。
このまりさは、温泉と共に湧き出した死霊の原因を調べに行く直前、魔理沙がそこらへんの森で捕まえてアリスの所に持って
きたのだ。地底に潜る魔理沙をサポートするために、幻想郷最古参の妖怪であり賢者とも称えられる八雲紫がアリスの作った人
形に仕掛けを施してそれを彼女へと手渡した。その時のお礼のつもりらしい。お礼の品が、そこらへんの森をうろついているゆ
っくりだとは、と呆れもした。しかし。
「紫がくれた人形、お前が作ったんだってな。 これはそのお礼だぜ」
「ゆっくりおろしてねっ!! はなしてねっ!!!」
「ちょっ……ゆっくりじゃないっ! どこから連れて来たのよっ? 可愛そうだから逃がしてあげなさいよ……っ」
「ぷくー! そうだよっ! おねーさんのいうとおりだよっ!! まりさをおうちにかえしてねっ」
「まぁまぁ。 こいつを私だと思ってさ。 私がいないと寂しいだろ? ……なーんてなっ」
「馬鹿っ。 そんなことあるわけないでしょ? 早く行って、早く帰ってきなさい」
「へいへい。 じゃあ行ってくるぜ」
「ちょっと……このゆっくり……」
「帰ってきたら、取りに来るからさ!」
半ば強引にまりさを受け取ったアリスだったが、不安そうな表情を浮かべるまりさを見て何故だか感情移入してしまったのだ。
この不安そうなまりさと同じように、地底に調査へ赴く魔理沙も本当は不安なのかな……などと考えたのである。そして、この
まりさを笑顔にしてあげられれば、魔理沙もきっと笑顔で帰ってくるはず。そんな自己暗示にも近い思いで、アリスはまりさを
家に連れ帰ったのである。
野生育ちで汚れたまりさの顔をタオルで拭いてやり、髪をとかしお下げのリボンを結い直した。それから何を食べるかわから
ないので、とりあえず自分と同じ食事を出してやったのである。まりさはすっかり警戒を解き、アリスの足に頬を摺り寄せてく
るようになった。アリスもたまにまりさを机の上に乗せて、指で頬を突っついたりして遊んでやる。その度に“ゆー”と笑うま
りさを見て心が少しだけ軽くなるのを感じていた。
そして今朝、魔理沙は地底に向けて出発したのである。途中、何度か強大な力を持った妖怪に遭遇したようであったが、なん
とか激しい弾幕をかいくぐり、調査を続けているようだった。しかし、魔理沙が恐らくは最後に出会ったであろう妖怪だけは別
格の強さを持っていたようだ。人形を通じて何度も何度も響く爆発音と轟音。何が起こっているのかはわからないが、アリスの
頭の中には嫌なイメージしか湧いてこない。それからしばらくして、魔理沙との交信が途絶えた。それどころか、人形を通じて
周囲の音を拾うことすらできなくなってしまったのである。
「むーしゃ、むーしゃ、しあわせー!!!」
床に置いた餌皿に盛られた焼き立てのパンを食べながら、まりさが涙目で声を上げた。アリスはそんなまりさの口元についた
パンのクズをハンカチで拭いてやる。“ゆっ……、ゆっ”と声を漏らしていたがやがて。
「おねーさんっ。 ゆっくりありがとうっ!!!」
「どういたしまして」
アリスとまりさが視線を交わらせて互いに小さく笑みを浮かべる。
「アリスー? いるー……?」
乾いた木製の扉をノックする音。それと一緒に、博麗神社の巫女の声が聞こえてきた。立ち上がるアリス。まりさは聞いた事
のない声に警戒心を露わにしたのか机の下に潜り込んでしまった。玄関の扉を開けるとそこには案の定、博麗霊夢が立っていた。
紅と白の巫女服。黒く長い髪は少し大きめの赤いリボンで結われている。霊夢はなかなかアリスと視線を合わそうとしなかった。
常に能天気な態度でいるはずの、あの博麗霊夢が。アリスはその違和感に疑問を持ちながら、頬を冷や汗が伝うのを感じた。
「……貴女が、私の家を訪ねてくるなんて……珍しいわね」
「ええ、まぁ……」
「用件は何かしら……?」
「……これを……」
霊夢はアリスに向けて両手を差し出した。その掌の上。
「――――――ッ!!!」
それは、アリスが作った人形。の、なれの果て。ボロボロに焼け焦げた人形は所々が千切れてしまっている。
紫が仕掛けを施して魔理沙に渡した人形。の、なれの果て。霊夢はバツが悪そうにそれをアリスの手に乗せた。
これが……、地底に調査に赴いた魔理沙の……なれの果て?
カタカタと震えるアリス。碧眼の瞳孔が開く。表情は蒼ざめ、定まらぬ視点を宙に泳がせ大量に流れる冷や汗を拭うこともで
きなかった。
東の空に月がぼんやりと浮かぶ。
「確かに、渡したわよ……」
「嘘……でしょ……」
一、
「この……っ、馬鹿魔理沙ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!!」
「ぐあぁっ……!!! 疲れてんだから、耳元でそんな大声出すなよ~~~」
肩で息をするアリス。
睨み付ける先には霧雨魔理沙。黒いとんがり帽子に背中までかかる緩やかなウェーブの金髪。お下げに結われた黒いリボン。
真っ黒な服とスカートに映える白いエプロン。それら全てが涙で歪む。
「本当に……っ、本当に心配してたのに……っ。 どうしてあんな回りくどいことするのよ……ッ!!!」
「だ、だって……お前、人形すごく大事にしてるから……壊したなんて知ったら怒られると思って……」
「いつも、紅魔館から本を盗んでくるくせに、どうしてそういうとこだけ無駄に律儀なのよっ!!!」
「う……だから……、さっきから謝ってるんだぜ~……?」
「ま……まぁまぁ、アリス! とりあえず魔理沙が無事で良かったじゃない。 今日は異変解決のお祝いの席なんだし、もうそ
のぐらいで勘弁してあげなさいよ」
魔理沙の胸倉をつかむアリスの手を引いて、霊夢が仲裁に入る。能天気な幻想郷の住民たちはそんな魔理沙とアリスのやり取
りを見て笑っている。
「あの……本当にごめんなさい……。 今回の一連の騒動は、ペットたちの監督不行き届きで私に責任があります……」
「……え?」
アリスの前に現れたのは紫色のショートヘアーの少女。本当に申し訳なさそうに上目遣いでアリスを見つめていた。アリスは、
きょとんとした様子で霊夢と魔理沙を交互に眺める。
「すみません。 自己紹介がまだでしたね。 私の名前は古明地さとり。 地霊殿の主です」
「地霊殿の……」
「思っていたよりも幼くて驚いた……ですか。 確かに私はあまり主の風格とかは欠けているかもしれませんね」
そう言ってさとりはクスリと笑ってみせた。アリスが一呼吸置いて止まる。
「そういえば……そうだったわね、貴女……」
「はい。 不快でしたらすみません……ありがとうございます、そんなことはない、と言っていただける人にはなかなか巡り会
うことができないので嬉しいです……やっぱり、調子狂いますか」
「とりあえず、読んだ心の内容を復唱する癖だけは直したほうがいいかも知れないわね」
「す、すみません……つい」
さとりは人の心が読める妖怪である。それ故に忌み嫌われ、地の底でひっそりと暮らしていた。今回の“異変”がなければ、
こうして地上に姿を見せることもなかっただろう。
博麗神社の境内ではいつものメンバーに地霊殿の住人たちを加え、飲めや歌えの大騒ぎである。ようやく落ち着きを取り戻し
たアリスは深々と魔理沙に頭を下げると、怒鳴ってしまったことを詫びた。魔理沙は照れているのか人差し指で頬のあたりを掻
きながら、“私も悪かったよ”とぶっきらぼうに言ってみせる。それからようやく宴の輪に入った。
それからしばらくして。
「……気分悪い……」
「大丈夫かアリス? お前にしては飲み過ぎだぜ……」
「珍しいわね。 アリスが酔い潰れるなんて……。 横になる? 部屋くらいなら貸すわよ?」
「……いくらで?」
「タダでいいわよ……。 あんた、私をなんだと思ってんのよ」
霊夢の申し出に冗談交じりで魔理沙が言葉を返す。そんな二人のやり取りとは裏腹にアリスの顔色は次第に悪くなっていった。
霊夢が冷たい水を持ってくると言い、二人を縁側に残して家の中へと入っていく。あとにはアリスと魔理沙だけが残された。魔
理沙は馬鹿騒ぎを続ける幻想郷の住人たちを見つめていた。
「……私らしくないわね……。 普段、お酒なんてあんまり飲まないのに、どうしてか今日は美味しくって……」
「私が無事に帰ってきたのが嬉しかったんだろ? ……な、わけないよな、ハハハ」
「……そう、かも知れないわね……」
酔っているのだろうか。アリスは普段、魔理沙には絶対に言わないような言葉を口にしてみせた。魔理沙が動きを止める。魔
理沙の頬が染まっているのも、酒のせいだろうか。アリスの表情は読み取ることができない。気分が悪いせいで両手の平を顔に
当てているからだ。冷たい夜風が二人の頬を撫でる。
「人形、……ごめんな」
「いいのよ……。 あの人形が気に入ったのなら、また作ってあげるわ……」
二人の会話はなかなか続かない。境内で騒ぎ続ける住人たちの姿が視界に入らなければ、重苦しい雰囲気が漂っていたことだ
ろう。そこに冷たい水を持ってきた霊夢がやってきた。起き上がったアリスがそれを口に含む。魔理沙はそんなアリスを横から
心配そうに見つめていた。
「魔理沙。 あんた、借りを返してきなさい」
「借り?」
「アリスの人形、壊しちゃったんでしょ? お詫びにアリスを家に送ってあげるくらいはしてもいいんじゃないの?」
「お前の家で寝かせるんじゃなかったのか?」
「……あの惨劇を見なさい。 鬼二人が揃っていつもよりお酒を飲むペースが速いわ。 あの地獄の中で生き残ることができる
のは、鬼二人と実は飲むフリしてほとんど飲んでない、紫と幽々子ぐらいのものよ。 つまり、私の家はもうすぐ患者で溢れ返
ってしまう……」
「そんな真顔で言われても……」
「それに魔理沙。 あんたもそんなに体調良くないでしょ? 地底から帰ってきてから少し顔色が悪いわ。 あんたも早く帰っ
て休んだ方がいい」
そう言い残した霊夢は境内の中心にすたすたと歩いて行った。途中で紫に捕まり、酒を飲まされていたのでしばらくは戻って
こないだろう。アリスは、指の隙間から魔理沙の表情を盗み見た。霊夢に言われるまで気付かなかったが、確かに魔理沙はいつ
もの調子ではない。本来の魔理沙なら、アリスを休ませてあの宴の輪の中に入ろうとするはずだ。少し、様子がおかしい。魔理
沙が溜め息をつくと同時にアリスは目を閉じた。
「なぁ、アリス。 お前……飛べるか?」
「……難しいわね……。 力場をコントロールできないかも……」
「私の箒の後ろに乗せてやるよ」
「……いいの? バランス、取り辛くならない?」
「二人乗りで弾幕戦をやれ、って言われればちょっとキツイけど……お前を家まで送ってやることぐらいならちょろいもんさ」
「それじゃあ、お願いしようかしら……」
「吐きそうになったら言えよ。 私の背中に吐くなよ」
「……安全飛行でお願いね……」
紫と飲み交わしている霊夢に、先に戻ることを告げて魔理沙が箒にまたがる。アリスは魔理沙の後ろにちょこんと座り、両手
を魔理沙の腰に回した。手の平から魔理沙の温もりが伝わってくる。それがアリスを安心させた。思わず魔理沙の背中に頭を寄
せてしまう。
「ちゃんと捕まってろよ」
そう言って、魔理沙が地を蹴ると二人は夜空へと高く飛翔した。霊夢と紫が飛び去って行く二人を見ながら、何杯目か分から
ない酒を口の中に流し込んだ。
二人乗りの箒はまっすぐにアリスの家へと向かっていた。スピードには自信があるはずの魔理沙だが、アリスの事を気遣って
か速くは飛ばない。上空で吹き付ける冷たい風が心地よかった。
「やっぱり飛ぶなら地面の下じゃなくて、空に限るな」
「危なっかしい地底旅行だったから、なおさらそう感じるのかも知れないわね……。 地底からはこんな綺麗な星空は見えない
もの」
「…………」
アリスの頬に魔理沙が一瞬震えたのが伝わってくる。それと同時に静かになってしまった魔理沙にアリスが声をかけた。
「……寒いの? それなら、もうちょっと低いところを飛んでも……」
アリスの言葉に魔理沙が少しずつ高度を下げていく。やがて、木々の海の下へと潜っていった。アリスが訝しげな表情を浮か
べる。魔理沙は、そのまま着地してしまったのだ。アリスが箒から下りる。魔理沙は箒を握りしめたまま、アリスを振り返ろう
とはしなかった。
(……本当に、体調が良くないのかしら……?)
そう思って声を掛けようとしたその時だった。
「怖かったんだ……」
「……え?」
一言だけ呟いて体を震わせる。魔理沙が腕を組んで小刻みに震えているのが、後ろから見ても分かった。戸惑うアリス。こん
な魔理沙は見たことがない。これまで何度も死線を潜り抜けてきたはずなのに、今さら何を言っているのだろうと疑問に感じた。
「……あの、人形を壊されたとき……」
「…………?」
「人形から、お前の声が聞こえなくなったとき……怖くて、怖くて、堪らなかったんだ……」
「――――え?」
「急に一人ぼっちになったような気がしてさ……。 笑えるだろ……? 弾幕戦の真っ最中だっていうのに、何度も何度も人形
に声を掛けてた。 不安だったんだ。 本当に……すごく」
「魔理沙……」
「アリスが、この世界からいなくなってしまったような気がして……怖かった。 もう二度と会えないんじゃないか、ってそん
なことばっかり考えてた……」
「……私だって、同じよ……。 魔理沙と、同じこと考えてた……。 私の声が届かなくなって……魔理沙も返事をしてくれな
くなって……。 本当に……ひっく……死んじゃったら、……どぅしよう、って……っ!!!」
アリスが泣き出す。それに気付いた魔理沙が振り返ってアリスを抱きしめた。アリスは魔理沙の腕の中でわんわん泣いた。子
供みたいに泣いた。魔理沙もアリスも気づいてはいたのだろう。互いにとって、互いの存在が強く……大きくなっていっている
ことに。そして、今回の異変は二人にとってそれが確証へと変わるものだった。魔理沙はアリスを。アリスは魔理沙を。失いた
くないと思っていたのだ。
恋……なのだろうか。想い合う感情は恋愛感情とは似て非なるものに感じていた。ただ、ただ、大切な存在。
「……“永夜異変”のときも、お前がいなかったら私はきっと……あの異変を解決できなかった……」
「私一人でも無理だったわよ……」
大きな木の幹に寄り添い、語り合う。先の異変と今回の異変。魔理沙とアリスは二度もコンビを組んだ。そのせいか、互いを
信頼し、互いを頼るようになっていたのだ。
この夜。二人は、一度だけ口づけを交わした。お互いに何も言わず。本当に、最初で最後の口づけを。
二、
アリスのティータイム。紅茶を少しずつ口に含んでティーカップをテーブルに置く。その傍らにはまりさがいた。まりさはア
リスが作ったドーナツを食べていた。カチャカチャと皿を動かしながらどんどん口の中に入れていく。
「むーしゃ、むーしゃ、しあわせー!!!」
食べながら喋るものだから、ドーナツのカスがテーブルの上に散らばる。アリスがまりさの額をこつん、と突っつくとまりさ
はしょぼくれた顔になって「ゆっくりごめんなさい」と呟いた。これがゆっくりの習性だとはアリスも理解している。だから、
本当は別に注意しなくても良いのだが、一応気を付けるように促しているのだ。叫ぶのは食べ物を飲み込んでからでも遅くない
からである。しかし、涙目になって嬉しそうに声を上げるまりさの顔がアリスは大好きだった。心から喜んで貰えているような
気がして、おやつを作って食べさせてあげた側としては気分がいい。まりさは、皿の上のドーナツをたいらげると、テーブルか
ら床に飛び降りてソファーでゆっくりし始めた。
「ゆゆっ?」
のも束の間。まりさが、がばっと顔を起こす。アリスは不思議そうにそんなまりさの様子を眺めながら再びティーカップを口
へと運んだ。次の瞬間、勢いよくアリスの家の扉が開けられる。何事かと目を丸くして玄関に目を向けると、そこには意気揚々
とありす種のゆっくりを捕まえた魔理沙の姿があった。アリスが思わず飲みかけていた紅茶を吹き出す。
「と、とかいはじゃないわっ! はやくありすをおろしなさいっ!! すぐでいいわっ!!」
ありすの表情からは相当に焦っていることが見て取れる。あんよをくねくねと動かしていた。あんよが地につかない状態では
何も抵抗できないので不安なのだろう。さっきから“どや顔”を崩さない魔理沙がありすの訴えを無視して、アリスにこう告げ
た。
「ゆっくりの家族を連れてきたぜっ! このありすも一緒に飼うことにしたんだっ」
「……いや、勝手に決められても……」
「ゆー! おねーさん! ありすをはなしてあげてねっ! ありすがいやがってるよっ!!」
「ま……まりさぁ……っ! こわいよぉぉ!! たすけてぇっ!!」
泣きながら威嚇をするまりさを見て、思わず魔理沙がほっこりした表情を浮かべた。とりあえずアリスの家の扉を閉めてから、
ありすを床に下ろしてやる。ありすは泣きながらまりさに頬を寄せていた。
「ゆーん……ゆーん……。 この、いなかものぉ……」
「だいじょうぶだよっ! このおねーさんたちはふたりともいい、にんげんさんだよっ!」
「で、でも……」
「ゆっくりあんしんしてねっ! まりさがいるからだいじょうぶだよっ」
「……まりさが、そういうなら……ゆっくりりかいしたわ……」
まりさとありすのやり取りを見て、魔理沙とアリスがなんとなく頬を染める。二人とも、「これ何て最近の自分たち?」とか
思っているのだろう。まりさとありすはなぜか並列を保ち、二人に向き直って口を開いた。
「ゆっくりしていってねっ!!!」
「ゆっ!!!」
魔理沙とアリスは互いの顔を見合わせてクスリと笑うと、声を揃えて「ゆっくりしていってね」と挨拶を返した。それから、
まりさが初めてアリスの家に来たときと同じようにタオルで、ありすの汚れを拭き取り髪をとかしてやった。その間、魔理沙は
まりさと一緒にソファーの上で遊んでいるようだった。
「終わったわよ」
「ありすーっ。 ゆっくり、ゆっく……」
「どうしたんだ?」
「……さぁ?」
まりさがありすを視界に入れた途端、ゼンマイが切れた人形のように動かなくなってしまった。心なしかありすも、なんだか
もじもじしている。二人が二匹の様子を眺めて視線を交錯させた。
「ま……まりさ……? ありす……その、……とかいはな、ゆっくり……にみえる、かしら……?」
「も……もちろんだよっ! ありす……すっごくゆっくりしてるよっ」
「う、うれしいわっ! ありがとう、まりさっ!」
再び頬を染める魔理沙とアリス。二匹はソファーの上でいろんなお喋りをしていた。それからしばらくして、魔理沙とアリス
が、ありすにこの家で一緒に暮らさないかと尋ねたところ、まりさをチラチラと見ながらゆっくりと頷いた。魔理沙がありすの
頭を撫でながら、
「良かったぜ。 このまりさに友達を作ってやりたかったんだ、私は」
「そうね。 二人とも、仲良くするのよ?」
「「ゆっくりりかいしたよっ」」
嬉しそうに笑いながらありすの頭を撫でる魔理沙を見つめて、アリスは心の中で「いいなぁ」と呟いた。「自分もあんな風に
魔理沙に頭を撫でてもらいたいなぁ」などと考えていたのだ。苦笑いをしながら魔理沙から視線を外す。それから、窓に映った
自分の姿を見ながら手櫛で髪を撫でつけた。魔理沙が横目でそんなアリスを眺めている。魔理沙はアリスに気付かれないように
小さく笑った。
それからしばらくして、魔理沙が帰り支度を始めた。既に陽が落ちているので、せめて夕食ぐらいここで食べて行ってはどう
かと尋ねたが、新しい魔法を開発している真っ最中のようであっさりと断られた。魔理沙の強さが、こういう地道な魔法の研究、
開発の積み重ねにあることを知っているアリスはそれを咎めようとはしない。それに、明日も明後日も魔理沙はアリスの家を訪
ねるだろう。「魔法の開発が終わったら、ゆっくり食事にでもいらっしゃい」と告げた。「ゆっくり」という言葉に反応したの
か、二匹が口を揃えて魔理沙に挨拶をする。魔理沙はそんな二匹を見て声を上げて笑うと、アリスの頭を撫でながらこう言った。
「アリス。 お前もすっごく可愛いぜ」
「……へっ?!」
爆発したかのように顔を真っ赤に染めるアリス。魔理沙はそれだけ告げると、箒にまたがり颯爽と星空の向こう側へ消えた。
魔理沙自身、恥ずかしかったのだろう。アリスが真っ赤になったまま、その場に座り込む。まりさとありすは、「とかいはね」
などとヒソヒソ話をしていた。
アリスの家にまりさとありすがやって来てから早三カ月が経とうとしていた。二匹の仲はどんどん進展していき、いつの間に
やらけっこんっ!して三匹ほどの赤ゆが生まれていた。赤まりさが二匹。赤ありすが一匹である。元々、裕福な暮らしをしてい
るアリスにはゆっくりたちの家族が一匹、二匹と増えたところで経済に影響は出ない。霊夢ならば死活問題であろうが。
魔理沙の新しい魔法も一ヶ月前に完成しており、その日はアリスの家で細やかながら祝杯を上げた。新しい魔法の話や、弾幕
ごっこをして、楽しそうに笑う二人を見て、まりさとありすは疑問に思っていることがあった。すなわち、「この二人は、いつ
になったら結婚するんだろうか」などと考えていたのである。ゆっくり二匹の目から見ても、アリスと魔理沙が互いに想い合っ
ているのは確定的に明らかだ。二匹で何度かそのことについてこっそりと話をしたことがある。ありすは何故か遠くを見つめて、
「きっと……ありすたちにはわからない、ふかいわけがあるのよ……」と言っていた。
「ところで最近、アリスは何を書いてるんだ?」
「これの事?」
机の上に置かれた真っ白なノートにペンを走らせていたアリスが魔理沙の声に顔を上げる。質問した魔理沙は紅茶を飲みなが
らコクコクと頷いた。
「や、言いたくないなら構わないんだけどさ」
「そんなに大したことじゃないわよ。 この子たちの……ゆっくりの観察日記をつけているのよ」
「へぇ。 なんでまた?」
「なんで、って言われたら困るけど……なんとなく、かしらね。 結構、この子たちを見ていて飽きないわよ?」
「こいつら、っていつの間に恋人?になったんだ?」
「えーっと……大体二ヶ月前かしら。 魔理沙が新しい魔法を開発した時にはもうかなり仲が進展していたわよ」
驚きの表情を浮かべる魔理沙を見ながらアリスがクスクスと笑う。アリスには、ちゃんとした別の意図があった。或いは、魔
理沙もそれはなんとなく感じ取っていたのかも知れない。無論、そのことについてはお互い触れようとはしないが。既に寄り添
って寝静まる五匹のゆっくり家族に視線を向けながら、アリスが尋ねた。
「……魔法使いに、なるつもりはないの……?」
「……私は、十分に魔法使いだぜ」
「もう。 私の言ってる意味、分かってるんでしょ? ……人間であることに、拘り続ける理由があるの……?」
「そうだな…………」
なんとなく視線を外す魔理沙を見て、アリスが皿に盛られたクッキーを一つ掴んで魔理沙の口に押し込んだ。
「ふがっ……」
「このクッキーね。 慧音に作り方を教わったの。 私の腕じゃあ、まだまだ慧音には及ばないけれど……美味しいでしょ?
ちょっと、カロリーが高めなのが玉にキズだけどね」
「……十分美味しいと思うけどな。 少なくとも、ガサツな私にはお菓子なんて作れないし」
ケラケラと笑う魔理沙を見てアリスが思わず目を細めた。今日は泊まっていくと言ったのでアリスは二人分の寝床を用意した。
部屋の明かりを消す。しばらく談笑していたが、やがてどちらからともなく言葉を発するのをやめた。隣で眠る魔理沙の寝息が
聞こえてくる。アリスは真っ暗な部屋で天井を見つめてから、そっと目を伏せた。「ゆぴぃ、ゆぴぃ」とゆっくりたちの寝息も
聞こえる。時計の針が時間を刻む音だけがやたら、部屋に響いた。
「アリス……。 起きてるか……?」
「…………」
なんとなく。本当になんとなく、アリスは返事をしなかった。それからしばらくして魔理沙が寝返りを打ったのかシーツが衣
擦れをする音が聞こえる。アリスは目を閉じているので、魔理沙が今どちらの方向を向いているかが分からない。それからしば
らく無言の時間が続く。
「アリス……ごめんな」
(……?)
「私は……弱いんだ……」
独り言だろうか。魔理沙は眠ったフリをしているアリスに向けてか、どうかは分からないが淡々と言葉を紡ぎ始めた。
「アリスを……好きだって思う自分の気持ちって、やっぱり周りの人間から見たら変に思われるのかな、って思うと……少しだ
け、辛かったりする……」
アリスが魔理沙とは反対側の手で布団をきゅっと掴んだ。
「でも、私は……お前の事が好きなんだ、って思う。 ……男女の恋愛感情とかとは違うかも知れないけど……。 それでも、
私は……たぶん、お前の事が好きなんだ……」
「…………」
「……私が、魔法使いって言う“職業”じゃなくて、魔法使いっていう“種族”になれば、お前と一緒に過ごせる時間も、もっ
と、もっと、長くなるんだろうな、って思う」
「…………」
「でも……そうすると、このもやもやした気持ちを抱えたまま……すごく、すごく長い時間、生きていかないといけなくなっち
まう……。 私は、きっと……それに耐えられない」
魔理沙の声は微かに震えていた。魔理沙自身、どれだけ今の自分が身勝手なことを言っているのか理解しているのだろう。ア
リスは魔理沙の言葉の一つ一つを心で受け止めていた。
「ゆっくりの、まりさとありすが恋人になって、結婚して、子供まで作ったっていうのを知った時、私はあいつらが羨ましくて
たまらなかったよ。 ……いや。 或いは、私は二匹がそうなることを望んでいたのかも知れないな。 自分にできないことを、
ゆっくりたちに代行して貰いたかったのかも知れない」
それから、一呼吸置いてまた口を動かす。
「私は……、あの地底から帰ってきたとき、もう二度とお前を泣かせない、って決めたけど……それをお前と約束することはで
きなかった……どうしても、な。 こんなことを言ったら、お前は私から離れて行くかも知れないから……面と向かっては言え
ないけど……。 私とずっと……一緒にいてくれる、って言うなら……私がどれだけお前の事を想っても、最低でもあと一回は
確実にお前を泣かせちまう……。 それも、怖いんだ。 面倒くさい女だろ、私ってさ。 ……本当に……、なんで私なんかと
一緒に居てくれるんだよ……」
最後あたりの魔理沙は涙声だった。それから暫く鼻を啜っていたがようやく眠りについたのだろう。今度こそ、魔理沙の寝息
が耳に届いた。アリスの閉じられた瞳からは涙がポロポロと溢れている。魔理沙が口にした事。それはアリスも十分に理解でき
ていた。理解できていたからこそ、こうして本音を語るようなことはしなかったのだ。アリスもまた、魔理沙が離れていくこと
が怖かった。魔理沙は別の……同じ時間を生きる事のできる“人間”と一緒になるほうが望ましい。それを承知の上で、アリス
は魔理沙を突き放すことができなかった。
翌朝。
魔理沙よりも先に目覚めたアリスが、勢いよくカーテンを開いて大きな声で叫んだ。
「魔理沙っ!! 朝よっ!! 起きなさいっ!!」
「う……う~ん……」
「もう、朝食できてるから……早く顔を洗ってらっしゃい。 ゆっくりたちも、朝のお散歩に出かけちゃったわよ?」
「アリス……」
「ん?」
「…………うん。 なんでもない。 それじゃあ、朝食を戴くとするぜ」
三、
「おねーさん! ありすのとかいはなこーでぃねーとをみてちょうだいっ!」
ゆっくり家族に与えた一室の一部分に色んなものが集められている。感性の違いのせいかアリスが見る限りは都会派どころか、
今すぐ片づけたい衝動に駆られたがとりあえず第三者の意見を聞いてみることにした。
「まりさは、どう思う?」
「さすがはありすなのぜっ! ありすはゆっくりのなかでいちばん、こーでぃねーとをするのがじょうずなのぜっ!!」
「ゆっくち~!! ありしゅのおきゃーしゃんは、しゅごいんだよっ!!」
ニコニコと笑うまりさ。キリッとした表示になって、“どや顔”でアリスを見上げる赤ありす。コーディネイトを施したあり
すは、アリスの意見が一番気になっているようで先ほどからチラチラと視線を送っている。アリスは静かに笑みを浮かべると、
「流石はありすね。 お部屋がグンと住みやすくなったわ」
「おねーさんっ!! ゆっくりありがとうっ!!!」
「どういたしまして」
涙目になって喜びを表現するありすの頬にまりさが何度も自分の頬を摺り寄せる。
「ゆ……ゆーん……///」
「ゆびゃあぁぁぁぁぁん!!! まりしゃおにぇーちゃんの、ばきゃぁぁぁ!!!!」
今度はソファーの方から赤まりさの叫び声が聞こえた。アリスも、ゆっくり親子もそちらへと移動する。見ると、ソファーの
一画を姉の赤まりさが占拠しており、そこに妹の赤まりさを入らせないようにしているらしかった。
「ここは、まりしゃのゆっくちぷれいちゅだよっ!!」
「ゆんやぁぁぁ!!! まりしゃもいっちょにゆっくちしちゃいのにぃぃぃぃぃ!! おきゃあしゃぁぁぁん!!!!」
「ちびちゃんっ! どうしてそんなこというの?! おねーちゃんなら、いもうとにやさしくしてあげないといけないんだよ?」
まりさとありすがソファーに飛び乗って姉の赤まりさを説得しようとするが、姉の赤まりさは聞こうとしない。まりさもあり
すも我が子に弱いのかあまり強くは言えないようだ。オロオロしたままソファーの上を這っている。赤ありすは姉妹喧嘩にすっ
かり怯えてありすの頬にぴったりと自分の頬を寄せていた。妹の赤まりさは一向に泣き止まない。姉の赤まりさは勝ち誇った顔
でそんな家族の様子を見ていた。アリスとはいうと、昨夜の段階で準備していたお菓子を取出し、机の上に並べていた。
それから、妹の赤まりさと赤ありすをそっと抱きかかえてテーブルの上に乗せる。
「ゆびゃあああああああ!!!! あにょ、ゆっくちぷれいちゅがいいにょぉぉぉぉ!!!!」
「ま……まりしゃ、ゆっくち……ゆっくちしちぇにぇ……?」
泣き続ける妹の赤まりさの頬をぺーろぺーろと舐めて慰めようとする。まりさとありすはソファーの上から動こうとしない。
アリスはそんな二匹を呼び寄せた。
「まりさ。 ありす。 おやつの時間よ。 皆で一緒に食べましょう?」
「で、でも……」
アリスがまりさとありすを一匹ずつ抱えてテーブルの上に乗せた。ありすは不安そうな顔でアリスと姉の赤まりさを交互に見
つめている。おやつを食べ始めた妹の赤まりさと赤ありすは、「むーちゃ、むーちゃ、しあわちぇぇぇ」と声を上げた。その声
は当然、ソファーの上の姉の赤まりさにも届く。
「ゆ……ゆぇ……?」
「お、おねーさん……ちびちゃんにも……」
「美味しいかしら?」
「ゆっくち、おいちぃよっ!!! おねーしゃん、ゆっくちありがちょうっ!!!」
「ま……まっちぇにぇっ!!! まりしゃも……、むーちゃ、むーちゃ、しちゃいよ……っ!!」
ソファーから姉の赤まりさが声を上げる。アリスは立ち上がると、少しだけ冷たい口調で姉の赤まりさに向けて言葉を放った。
「駄目よ」
「ゆゆっ?!」
テーブルの上のゆっくり親子が一斉に困った表情でアリスを見つめる。まりさとありすもそうだが、姉妹である二匹の赤ゆが
一番オロオロしているようだ。
「どうしちぇ……?」
「ゆっくりプレイスを独り占めするような、ゆっくりにはおやつをあげることはできません」
「ゆ……。 お、おにぇーしゃんのばきゃぁぁあぁぁ!!! まりしゃも、おやちゅ、むーちゃ、むーちゃ、しちゃいにょにぃ
ぃぃぃ!!!!」
「お、おねーさん……とかいはじゃないわ……。 おねがいだから、ちびちゃんにも、おやつさんを……」
ゆんゆんと泣き続ける姉の赤まりさ。アリスの家の中はすっかり重苦しい雰囲気になってしまった。しばらくして、妹の赤ま
りさが自分と同じ大きさ程もあるクッキーを咥えて、テーブルの上をずりずりと移動し始めた。その姿を見て赤ありすも後に続
く。まりさとありすは自分の子供たちの行動を見て顔を見合わせている。やがて、二匹の赤ゆがテーブルの端にたどり着いた時、
余りの高さに思わず後ずさった。まりさが声を上げる。
「あ、あぶないのぜ、ちびちゃんっ!!!」
「ゆぅ…………」
「とかいはじゃないわ。 いったいどうしたの?」
「……お姉ちゃんの所まで、私に運んで欲しい?」
「いやじゃ!!」
「……どうして?」
「おにぇーちゃんに、おやちゅしゃんをたべさせちぇくれにゃい、おにぇーしゃんなんかには、じぇったいにたのまにゃいよっ!」
「ゆっくち!!!」
「ど……どぼじでぞんなごどい゛う゛の゛ぉぉぉぉ?!!」
いよいよ雲行きが怪しくなってくるアリス邸。
「まりしゃ……ありしゅ……」
なおもクッキーを咥えて、何とかして姉の赤まりさの元へと行こうとするが二匹がここから下りることはできない。アリスが
そんな二匹をそっと抱き上げた。手の平の上にクッキーを落として「おろしちぇ、おろしちぇ」と叫び声を上げるのも束の間、
二匹は望み通り下ろしてもらった。目の前には姉の赤まりさがいる。
「おにぇーちゃん、ゆっくちおやちゅしゃんをたべちぇにぇ!」
「まりしゃ……でみょ……」
「みんにゃにいっちょに、むーちゃ、むーちゃ、したほうが、おいちぃにきまっちぇいりゅわっ」
それからクッキーに口をつける姉の赤まりさ。涙目ではなく、涙を流しながら叫ぶ。
「むーちゃ……む……しあわちぇ……っ!! ゆぐっ……ぇ……ひっく……ゆわぁぁぁぁぁん!!!」
「ゆゆ? ゆっくちしちぇにぇっ!!」
妹の赤まりさと赤ありすが二匹がかりで姉の赤まりさの頬に舌を這わせる。アリスが笑みを浮かべると、三匹の傍に腰を下ろ
した。泣きやまない姉の赤まりさはともかく、二匹の妹たちはアリスに向かって睨み付けるような視線を送っている。アリスが
尋ねた。
「おやつは美味しかった?」
「ゆ……ゆんっ!」
「皆で一緒に食べると美味しいわよね?」
「ゆんっ! ゆんっ!!」
「あら、まりさ。 大変よ。 まりさのゆっくりプレイスに、妹たちが入ってきちゃっているわ?!」
「ゆぁ……」
「ゆっくち、でちぇいくよっ……」
「ま、まっちぇにぇ……っ!!!」
「……ゆ?」
姉の赤まりさが出て行こうとする二匹の妹を呼び止める。それから、俯いて恥ずかしそうに……絞り出すような口調で呟いた。
「おやちゅさんを……もっちぇきてくれちぇ……ありがちょう……」
「まりしゃおにぇーちゃん……」
「……っ!! ここは、まりしゃ“たち”のゆっくちぷれいちゅだよっ!! みんにゃでいっちょにゆっくちしようにぇ!!!」
「「ゆ……ゆっくち~~~~!!!」」
まりさとありすが互いの顔を見合わせながら幸せそうな笑みを浮かべた。三匹仲良く頬を寄せ合う姿を見たアリスも立ち上が
って、もう一度戸棚の中に手を伸ばした。三匹の赤ゆたちの元に帰ってきたアリスの手にはパイの載った皿が握られている。そ
れを赤ゆたちの前に置く。目を丸くして、涎を垂らす三匹の赤ゆたち。
「ちゃんと仲直りできたいい子たちには、そのおやつもあげることにするわ。 “みんなで仲良く”食べるのよ?」
「ゆ……ゆゆゆゆ?!」
「こりぇ……たべちぇもいいにょ?!」
「ゆわーーい!! おにぇーしゃん、ゆっくちありがちょぅッ!!!」
「どういたしまして」
アリスが満面の笑みを浮かべた。テーブルの上のまりさとありすが何度も何度もアリスにお礼を言ってくる。アリスはそんな
二匹の頭をそっと撫でると、暖炉の前に置いてある小さな机に置かれた小さなノートにペンを走らせ始めた。今日のゆっくり観
察日記だ。小一時間ほど経過した後、ゆっくりたちは家族揃って眠りについていた。
「書き終わっちゃったわね……」
アリスが傍らに置いていたノートをパラパラとめくる。そこにはびっしりとゆっくりたちとの生活の日記が綴られていた。そ
れを最初のページから読み直す。時折、小さく笑みを浮かべたり、また少し涙目になったりしながら。
何世代にも渡るゆっくりたちの観察日記。そして、そこにはアリスが思い描いた魔理沙との理想の生活が記されている。自分
たちには決してできなかった幸せな生活。それが事細かに書かれているのだ。アリスは流し読んだそのノートを閉じると、厳重
に魔法で封印を施し一冊の魔導書とした。
そして、ゆっくりたちを起こさないように、そっと玄関のドアを開けて外に出る。手に、完成したばかりの“グリモワール”
を携えて。
四、
アリスは魔法の森の奥に一人で足を踏み入れた。やがて開けた場所に出る。そこには手入れの行き届いた墓が立てられていた。
墓標には、「霧雨魔理沙、ここに眠る」とある。アリスがその墓の前に腰を下ろし、焼き上げたばかりのクッキーをそっとその
墓前に供えた。
「魔理沙。 頼まれていた魔導書が完成したから……持ってきたわ」
墓に向けて囁くように呟く。アリスはグリモワールをそっと墓に立てかけた。そして、アリス以外の誰もがそのグリモワール
に触れることができないよう、魔法による結界を張った。
アリスと魔理沙がゆっくりを飼い始めたあの日から、既に百年もの歳月が過ぎようとしていた。凄まじい厚さのグリモワール
の全てのページを埋めるには、魔理沙の所有していた時間は短すぎたのである。このグリモワールを作ることを提案したのは、
他ならぬ魔理沙だった。
グリモワールには、呪術や魔術の行使の方法以外にも、幸福になるためのおまじないや手順といった物も記されている。魔理
沙はまりさとありすの生活を綴った日記をグリモワールとし、自分たちが幸福になるための手順を記そうとしたのである。それ
は、恐らく、アリスと魔理沙にしか理解できない内容であろう。二人は、二人のためだけに、グリモワールを作ろうとしたのだ。
しかし、魔理沙はそのグリモワールの完成を待たずして人間としての“寿命”を迎え、アリスよりも先に逝ってしまった。残さ
れたアリスはそれから一日たりともかかさず、グリモワールの執筆を続けたのである。
「ごめんね魔理沙。 一日だけ……、一日だけ、ページが抜けている部分があるの……」
それは、魔理沙が永遠の眠りについた日。この日だけは一日中、泣くことしかできなくて執筆をすることができなかった。
「でも……許してくれるわよね?」
魔理沙が、ずっとアリスと共に在り続けることを誓った日に、魔理沙はアリスにこう告げた。
――……一回だけ、お前を泣かせることを許して欲しい。
アリスはその魔理沙の願いを聞き入れた。魔理沙の言葉どおり、アリスは魔理沙と共に暮らす日々の中で“一回だけ”泣き崩
れたのだ。
霧雨魔理沙。普通の魔法使い。魔法を使う程度の能力。
アリス・マーガトロイド。七色の人形遣い。人形を操る程度の能力。
二人は、“人間”と“魔法使い”。二人は時間の物差しが互いに異なることを知っていながら、それでもなお、共に在ること
を望んだ。あの一回だけアリスを泣かせた日。魔理沙は笑みを浮かべたまま、その生涯を終えたと言う。魔理沙はそれでも自分
が幸せであったことをアリスに告げて、アリスの前からいなくなってしまった。
まりさとありす。
二匹のゆっくりは、アリスと魔理沙に“二人が幸せになるための手順”を示したのだろう。魔理沙はこのグリモワールを読ん
でくれるだろうか。アリスが墓の前から立ち上がる。風がアリスの髪を撫でた。
「魔理沙。 ……ゆっくりしていってね……」
La Fin
愛で 日常模様 幻想郷 幻想郷が舞台です 以下:余白
『とある人形遣いのグリモワール』
序、
幻想郷。
魔法の森にひっそりと佇む白い洋館の中。パチパチと音を立てて燃える暖炉の前に置かれた椅子に座ったアリス・マーガトロ
イドは、指先に冷たい視線を送りながら縫い針を動かしていた。少しずつ形作られていく自作の人形を碧眼の双眸がぼんやりと
捉える。不意に、燃え盛る焚き木の一つが大きな音を立てて割れた。瞬間、まるで夢から醒めたかのようにアリスが体を跳ね上
げる。
「痛っ……」
指先に痛みが走る。アリスの細く白い指先に真紅の点がぷくりと浮かび上がっていた。溜め息をつく。それから、人差し指を
口に咥え立ち上がると窓の外へと目を向けた。区切られた長方形の向こう側に森の木々と青空が映し出されている。その画の中
に黒い帽子を被り、箒に乗った魔法使いが手を振りながら戻って来る様を心の中で描く。
「魔理沙……? 聞こえてるんでしょ? ……返事をしなさいよ」
思念に乗せて語りかけるアリス。その声が向けられた相手は返事をしなかった。唇が小刻みに震える。さっきまで、こうやっ
て会話をしていたのだ。いつものように、馬鹿馬鹿しい冗談を交えながら。余りにも地中深くに潜ってしまったせいか。或いは
灼熱地獄の最深部で出会った強敵との弾幕戦の真っ最中で返事を返す余裕がないのだろうか。いずれにせよ、魔理沙からの応答
はない。
「シャンハーイ」
「……? シャンハイ……心配してくれてるのね……」
背中に生えた羽を動かしてアリスの元に寄ってきたのは、彼女自作の上海人形。半自立型の人形でアリスの作った“作品”の
中で最も傑作と呼べるものに近い。
「……あの永い夜を一緒に戦った時も……。 生身の……“人間の魔理沙”が傷つくのが怖くて堪らなかったけれど、声は届く
のに一緒に居られない今の方が、遥かに怖くて堪らないわね……」
「ゆー! おねーさん! まりさ、おなかがすいたよっ。 ゆっくりごはんさんをちょうだいねっ!!」
アリスの左足に柔らかい感触が当たる。しゃがみ込んで帽子越しに頭を撫でてやると、バスケットボールほどのサイズのゆっ
くりまりさが“ゆーん”と気持ち良さそうな声を出した。大きな黒い帽子に長い金髪。左側にだけ結われたお下げには黒いリボ
ンがつけられている。顔はちょっと下膨れでなぜか常時ニヤニヤと笑っているようにも見えた。アリスが待ちわびる、“魔理沙”
にそっくりの不思議な生き物。ちなみに、名前も“まりさ”と言うらしい。
このまりさは、温泉と共に湧き出した死霊の原因を調べに行く直前、魔理沙がそこらへんの森で捕まえてアリスの所に持って
きたのだ。地底に潜る魔理沙をサポートするために、幻想郷最古参の妖怪であり賢者とも称えられる八雲紫がアリスの作った人
形に仕掛けを施してそれを彼女へと手渡した。その時のお礼のつもりらしい。お礼の品が、そこらへんの森をうろついているゆ
っくりだとは、と呆れもした。しかし。
「紫がくれた人形、お前が作ったんだってな。 これはそのお礼だぜ」
「ゆっくりおろしてねっ!! はなしてねっ!!!」
「ちょっ……ゆっくりじゃないっ! どこから連れて来たのよっ? 可愛そうだから逃がしてあげなさいよ……っ」
「ぷくー! そうだよっ! おねーさんのいうとおりだよっ!! まりさをおうちにかえしてねっ」
「まぁまぁ。 こいつを私だと思ってさ。 私がいないと寂しいだろ? ……なーんてなっ」
「馬鹿っ。 そんなことあるわけないでしょ? 早く行って、早く帰ってきなさい」
「へいへい。 じゃあ行ってくるぜ」
「ちょっと……このゆっくり……」
「帰ってきたら、取りに来るからさ!」
半ば強引にまりさを受け取ったアリスだったが、不安そうな表情を浮かべるまりさを見て何故だか感情移入してしまったのだ。
この不安そうなまりさと同じように、地底に調査へ赴く魔理沙も本当は不安なのかな……などと考えたのである。そして、この
まりさを笑顔にしてあげられれば、魔理沙もきっと笑顔で帰ってくるはず。そんな自己暗示にも近い思いで、アリスはまりさを
家に連れ帰ったのである。
野生育ちで汚れたまりさの顔をタオルで拭いてやり、髪をとかしお下げのリボンを結い直した。それから何を食べるかわから
ないので、とりあえず自分と同じ食事を出してやったのである。まりさはすっかり警戒を解き、アリスの足に頬を摺り寄せてく
るようになった。アリスもたまにまりさを机の上に乗せて、指で頬を突っついたりして遊んでやる。その度に“ゆー”と笑うま
りさを見て心が少しだけ軽くなるのを感じていた。
そして今朝、魔理沙は地底に向けて出発したのである。途中、何度か強大な力を持った妖怪に遭遇したようであったが、なん
とか激しい弾幕をかいくぐり、調査を続けているようだった。しかし、魔理沙が恐らくは最後に出会ったであろう妖怪だけは別
格の強さを持っていたようだ。人形を通じて何度も何度も響く爆発音と轟音。何が起こっているのかはわからないが、アリスの
頭の中には嫌なイメージしか湧いてこない。それからしばらくして、魔理沙との交信が途絶えた。それどころか、人形を通じて
周囲の音を拾うことすらできなくなってしまったのである。
「むーしゃ、むーしゃ、しあわせー!!!」
床に置いた餌皿に盛られた焼き立てのパンを食べながら、まりさが涙目で声を上げた。アリスはそんなまりさの口元についた
パンのクズをハンカチで拭いてやる。“ゆっ……、ゆっ”と声を漏らしていたがやがて。
「おねーさんっ。 ゆっくりありがとうっ!!!」
「どういたしまして」
アリスとまりさが視線を交わらせて互いに小さく笑みを浮かべる。
「アリスー? いるー……?」
乾いた木製の扉をノックする音。それと一緒に、博麗神社の巫女の声が聞こえてきた。立ち上がるアリス。まりさは聞いた事
のない声に警戒心を露わにしたのか机の下に潜り込んでしまった。玄関の扉を開けるとそこには案の定、博麗霊夢が立っていた。
紅と白の巫女服。黒く長い髪は少し大きめの赤いリボンで結われている。霊夢はなかなかアリスと視線を合わそうとしなかった。
常に能天気な態度でいるはずの、あの博麗霊夢が。アリスはその違和感に疑問を持ちながら、頬を冷や汗が伝うのを感じた。
「……貴女が、私の家を訪ねてくるなんて……珍しいわね」
「ええ、まぁ……」
「用件は何かしら……?」
「……これを……」
霊夢はアリスに向けて両手を差し出した。その掌の上。
「――――――ッ!!!」
それは、アリスが作った人形。の、なれの果て。ボロボロに焼け焦げた人形は所々が千切れてしまっている。
紫が仕掛けを施して魔理沙に渡した人形。の、なれの果て。霊夢はバツが悪そうにそれをアリスの手に乗せた。
これが……、地底に調査に赴いた魔理沙の……なれの果て?
カタカタと震えるアリス。碧眼の瞳孔が開く。表情は蒼ざめ、定まらぬ視点を宙に泳がせ大量に流れる冷や汗を拭うこともで
きなかった。
東の空に月がぼんやりと浮かぶ。
「確かに、渡したわよ……」
「嘘……でしょ……」
一、
「この……っ、馬鹿魔理沙ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!!」
「ぐあぁっ……!!! 疲れてんだから、耳元でそんな大声出すなよ~~~」
肩で息をするアリス。
睨み付ける先には霧雨魔理沙。黒いとんがり帽子に背中までかかる緩やかなウェーブの金髪。お下げに結われた黒いリボン。
真っ黒な服とスカートに映える白いエプロン。それら全てが涙で歪む。
「本当に……っ、本当に心配してたのに……っ。 どうしてあんな回りくどいことするのよ……ッ!!!」
「だ、だって……お前、人形すごく大事にしてるから……壊したなんて知ったら怒られると思って……」
「いつも、紅魔館から本を盗んでくるくせに、どうしてそういうとこだけ無駄に律儀なのよっ!!!」
「う……だから……、さっきから謝ってるんだぜ~……?」
「ま……まぁまぁ、アリス! とりあえず魔理沙が無事で良かったじゃない。 今日は異変解決のお祝いの席なんだし、もうそ
のぐらいで勘弁してあげなさいよ」
魔理沙の胸倉をつかむアリスの手を引いて、霊夢が仲裁に入る。能天気な幻想郷の住民たちはそんな魔理沙とアリスのやり取
りを見て笑っている。
「あの……本当にごめんなさい……。 今回の一連の騒動は、ペットたちの監督不行き届きで私に責任があります……」
「……え?」
アリスの前に現れたのは紫色のショートヘアーの少女。本当に申し訳なさそうに上目遣いでアリスを見つめていた。アリスは、
きょとんとした様子で霊夢と魔理沙を交互に眺める。
「すみません。 自己紹介がまだでしたね。 私の名前は古明地さとり。 地霊殿の主です」
「地霊殿の……」
「思っていたよりも幼くて驚いた……ですか。 確かに私はあまり主の風格とかは欠けているかもしれませんね」
そう言ってさとりはクスリと笑ってみせた。アリスが一呼吸置いて止まる。
「そういえば……そうだったわね、貴女……」
「はい。 不快でしたらすみません……ありがとうございます、そんなことはない、と言っていただける人にはなかなか巡り会
うことができないので嬉しいです……やっぱり、調子狂いますか」
「とりあえず、読んだ心の内容を復唱する癖だけは直したほうがいいかも知れないわね」
「す、すみません……つい」
さとりは人の心が読める妖怪である。それ故に忌み嫌われ、地の底でひっそりと暮らしていた。今回の“異変”がなければ、
こうして地上に姿を見せることもなかっただろう。
博麗神社の境内ではいつものメンバーに地霊殿の住人たちを加え、飲めや歌えの大騒ぎである。ようやく落ち着きを取り戻し
たアリスは深々と魔理沙に頭を下げると、怒鳴ってしまったことを詫びた。魔理沙は照れているのか人差し指で頬のあたりを掻
きながら、“私も悪かったよ”とぶっきらぼうに言ってみせる。それからようやく宴の輪に入った。
それからしばらくして。
「……気分悪い……」
「大丈夫かアリス? お前にしては飲み過ぎだぜ……」
「珍しいわね。 アリスが酔い潰れるなんて……。 横になる? 部屋くらいなら貸すわよ?」
「……いくらで?」
「タダでいいわよ……。 あんた、私をなんだと思ってんのよ」
霊夢の申し出に冗談交じりで魔理沙が言葉を返す。そんな二人のやり取りとは裏腹にアリスの顔色は次第に悪くなっていった。
霊夢が冷たい水を持ってくると言い、二人を縁側に残して家の中へと入っていく。あとにはアリスと魔理沙だけが残された。魔
理沙は馬鹿騒ぎを続ける幻想郷の住人たちを見つめていた。
「……私らしくないわね……。 普段、お酒なんてあんまり飲まないのに、どうしてか今日は美味しくって……」
「私が無事に帰ってきたのが嬉しかったんだろ? ……な、わけないよな、ハハハ」
「……そう、かも知れないわね……」
酔っているのだろうか。アリスは普段、魔理沙には絶対に言わないような言葉を口にしてみせた。魔理沙が動きを止める。魔
理沙の頬が染まっているのも、酒のせいだろうか。アリスの表情は読み取ることができない。気分が悪いせいで両手の平を顔に
当てているからだ。冷たい夜風が二人の頬を撫でる。
「人形、……ごめんな」
「いいのよ……。 あの人形が気に入ったのなら、また作ってあげるわ……」
二人の会話はなかなか続かない。境内で騒ぎ続ける住人たちの姿が視界に入らなければ、重苦しい雰囲気が漂っていたことだ
ろう。そこに冷たい水を持ってきた霊夢がやってきた。起き上がったアリスがそれを口に含む。魔理沙はそんなアリスを横から
心配そうに見つめていた。
「魔理沙。 あんた、借りを返してきなさい」
「借り?」
「アリスの人形、壊しちゃったんでしょ? お詫びにアリスを家に送ってあげるくらいはしてもいいんじゃないの?」
「お前の家で寝かせるんじゃなかったのか?」
「……あの惨劇を見なさい。 鬼二人が揃っていつもよりお酒を飲むペースが速いわ。 あの地獄の中で生き残ることができる
のは、鬼二人と実は飲むフリしてほとんど飲んでない、紫と幽々子ぐらいのものよ。 つまり、私の家はもうすぐ患者で溢れ返
ってしまう……」
「そんな真顔で言われても……」
「それに魔理沙。 あんたもそんなに体調良くないでしょ? 地底から帰ってきてから少し顔色が悪いわ。 あんたも早く帰っ
て休んだ方がいい」
そう言い残した霊夢は境内の中心にすたすたと歩いて行った。途中で紫に捕まり、酒を飲まされていたのでしばらくは戻って
こないだろう。アリスは、指の隙間から魔理沙の表情を盗み見た。霊夢に言われるまで気付かなかったが、確かに魔理沙はいつ
もの調子ではない。本来の魔理沙なら、アリスを休ませてあの宴の輪の中に入ろうとするはずだ。少し、様子がおかしい。魔理
沙が溜め息をつくと同時にアリスは目を閉じた。
「なぁ、アリス。 お前……飛べるか?」
「……難しいわね……。 力場をコントロールできないかも……」
「私の箒の後ろに乗せてやるよ」
「……いいの? バランス、取り辛くならない?」
「二人乗りで弾幕戦をやれ、って言われればちょっとキツイけど……お前を家まで送ってやることぐらいならちょろいもんさ」
「それじゃあ、お願いしようかしら……」
「吐きそうになったら言えよ。 私の背中に吐くなよ」
「……安全飛行でお願いね……」
紫と飲み交わしている霊夢に、先に戻ることを告げて魔理沙が箒にまたがる。アリスは魔理沙の後ろにちょこんと座り、両手
を魔理沙の腰に回した。手の平から魔理沙の温もりが伝わってくる。それがアリスを安心させた。思わず魔理沙の背中に頭を寄
せてしまう。
「ちゃんと捕まってろよ」
そう言って、魔理沙が地を蹴ると二人は夜空へと高く飛翔した。霊夢と紫が飛び去って行く二人を見ながら、何杯目か分から
ない酒を口の中に流し込んだ。
二人乗りの箒はまっすぐにアリスの家へと向かっていた。スピードには自信があるはずの魔理沙だが、アリスの事を気遣って
か速くは飛ばない。上空で吹き付ける冷たい風が心地よかった。
「やっぱり飛ぶなら地面の下じゃなくて、空に限るな」
「危なっかしい地底旅行だったから、なおさらそう感じるのかも知れないわね……。 地底からはこんな綺麗な星空は見えない
もの」
「…………」
アリスの頬に魔理沙が一瞬震えたのが伝わってくる。それと同時に静かになってしまった魔理沙にアリスが声をかけた。
「……寒いの? それなら、もうちょっと低いところを飛んでも……」
アリスの言葉に魔理沙が少しずつ高度を下げていく。やがて、木々の海の下へと潜っていった。アリスが訝しげな表情を浮か
べる。魔理沙は、そのまま着地してしまったのだ。アリスが箒から下りる。魔理沙は箒を握りしめたまま、アリスを振り返ろう
とはしなかった。
(……本当に、体調が良くないのかしら……?)
そう思って声を掛けようとしたその時だった。
「怖かったんだ……」
「……え?」
一言だけ呟いて体を震わせる。魔理沙が腕を組んで小刻みに震えているのが、後ろから見ても分かった。戸惑うアリス。こん
な魔理沙は見たことがない。これまで何度も死線を潜り抜けてきたはずなのに、今さら何を言っているのだろうと疑問に感じた。
「……あの、人形を壊されたとき……」
「…………?」
「人形から、お前の声が聞こえなくなったとき……怖くて、怖くて、堪らなかったんだ……」
「――――え?」
「急に一人ぼっちになったような気がしてさ……。 笑えるだろ……? 弾幕戦の真っ最中だっていうのに、何度も何度も人形
に声を掛けてた。 不安だったんだ。 本当に……すごく」
「魔理沙……」
「アリスが、この世界からいなくなってしまったような気がして……怖かった。 もう二度と会えないんじゃないか、ってそん
なことばっかり考えてた……」
「……私だって、同じよ……。 魔理沙と、同じこと考えてた……。 私の声が届かなくなって……魔理沙も返事をしてくれな
くなって……。 本当に……ひっく……死んじゃったら、……どぅしよう、って……っ!!!」
アリスが泣き出す。それに気付いた魔理沙が振り返ってアリスを抱きしめた。アリスは魔理沙の腕の中でわんわん泣いた。子
供みたいに泣いた。魔理沙もアリスも気づいてはいたのだろう。互いにとって、互いの存在が強く……大きくなっていっている
ことに。そして、今回の異変は二人にとってそれが確証へと変わるものだった。魔理沙はアリスを。アリスは魔理沙を。失いた
くないと思っていたのだ。
恋……なのだろうか。想い合う感情は恋愛感情とは似て非なるものに感じていた。ただ、ただ、大切な存在。
「……“永夜異変”のときも、お前がいなかったら私はきっと……あの異変を解決できなかった……」
「私一人でも無理だったわよ……」
大きな木の幹に寄り添い、語り合う。先の異変と今回の異変。魔理沙とアリスは二度もコンビを組んだ。そのせいか、互いを
信頼し、互いを頼るようになっていたのだ。
この夜。二人は、一度だけ口づけを交わした。お互いに何も言わず。本当に、最初で最後の口づけを。
二、
アリスのティータイム。紅茶を少しずつ口に含んでティーカップをテーブルに置く。その傍らにはまりさがいた。まりさはア
リスが作ったドーナツを食べていた。カチャカチャと皿を動かしながらどんどん口の中に入れていく。
「むーしゃ、むーしゃ、しあわせー!!!」
食べながら喋るものだから、ドーナツのカスがテーブルの上に散らばる。アリスがまりさの額をこつん、と突っつくとまりさ
はしょぼくれた顔になって「ゆっくりごめんなさい」と呟いた。これがゆっくりの習性だとはアリスも理解している。だから、
本当は別に注意しなくても良いのだが、一応気を付けるように促しているのだ。叫ぶのは食べ物を飲み込んでからでも遅くない
からである。しかし、涙目になって嬉しそうに声を上げるまりさの顔がアリスは大好きだった。心から喜んで貰えているような
気がして、おやつを作って食べさせてあげた側としては気分がいい。まりさは、皿の上のドーナツをたいらげると、テーブルか
ら床に飛び降りてソファーでゆっくりし始めた。
「ゆゆっ?」
のも束の間。まりさが、がばっと顔を起こす。アリスは不思議そうにそんなまりさの様子を眺めながら再びティーカップを口
へと運んだ。次の瞬間、勢いよくアリスの家の扉が開けられる。何事かと目を丸くして玄関に目を向けると、そこには意気揚々
とありす種のゆっくりを捕まえた魔理沙の姿があった。アリスが思わず飲みかけていた紅茶を吹き出す。
「と、とかいはじゃないわっ! はやくありすをおろしなさいっ!! すぐでいいわっ!!」
ありすの表情からは相当に焦っていることが見て取れる。あんよをくねくねと動かしていた。あんよが地につかない状態では
何も抵抗できないので不安なのだろう。さっきから“どや顔”を崩さない魔理沙がありすの訴えを無視して、アリスにこう告げ
た。
「ゆっくりの家族を連れてきたぜっ! このありすも一緒に飼うことにしたんだっ」
「……いや、勝手に決められても……」
「ゆー! おねーさん! ありすをはなしてあげてねっ! ありすがいやがってるよっ!!」
「ま……まりさぁ……っ! こわいよぉぉ!! たすけてぇっ!!」
泣きながら威嚇をするまりさを見て、思わず魔理沙がほっこりした表情を浮かべた。とりあえずアリスの家の扉を閉めてから、
ありすを床に下ろしてやる。ありすは泣きながらまりさに頬を寄せていた。
「ゆーん……ゆーん……。 この、いなかものぉ……」
「だいじょうぶだよっ! このおねーさんたちはふたりともいい、にんげんさんだよっ!」
「で、でも……」
「ゆっくりあんしんしてねっ! まりさがいるからだいじょうぶだよっ」
「……まりさが、そういうなら……ゆっくりりかいしたわ……」
まりさとありすのやり取りを見て、魔理沙とアリスがなんとなく頬を染める。二人とも、「これ何て最近の自分たち?」とか
思っているのだろう。まりさとありすはなぜか並列を保ち、二人に向き直って口を開いた。
「ゆっくりしていってねっ!!!」
「ゆっ!!!」
魔理沙とアリスは互いの顔を見合わせてクスリと笑うと、声を揃えて「ゆっくりしていってね」と挨拶を返した。それから、
まりさが初めてアリスの家に来たときと同じようにタオルで、ありすの汚れを拭き取り髪をとかしてやった。その間、魔理沙は
まりさと一緒にソファーの上で遊んでいるようだった。
「終わったわよ」
「ありすーっ。 ゆっくり、ゆっく……」
「どうしたんだ?」
「……さぁ?」
まりさがありすを視界に入れた途端、ゼンマイが切れた人形のように動かなくなってしまった。心なしかありすも、なんだか
もじもじしている。二人が二匹の様子を眺めて視線を交錯させた。
「ま……まりさ……? ありす……その、……とかいはな、ゆっくり……にみえる、かしら……?」
「も……もちろんだよっ! ありす……すっごくゆっくりしてるよっ」
「う、うれしいわっ! ありがとう、まりさっ!」
再び頬を染める魔理沙とアリス。二匹はソファーの上でいろんなお喋りをしていた。それからしばらくして、魔理沙とアリス
が、ありすにこの家で一緒に暮らさないかと尋ねたところ、まりさをチラチラと見ながらゆっくりと頷いた。魔理沙がありすの
頭を撫でながら、
「良かったぜ。 このまりさに友達を作ってやりたかったんだ、私は」
「そうね。 二人とも、仲良くするのよ?」
「「ゆっくりりかいしたよっ」」
嬉しそうに笑いながらありすの頭を撫でる魔理沙を見つめて、アリスは心の中で「いいなぁ」と呟いた。「自分もあんな風に
魔理沙に頭を撫でてもらいたいなぁ」などと考えていたのだ。苦笑いをしながら魔理沙から視線を外す。それから、窓に映った
自分の姿を見ながら手櫛で髪を撫でつけた。魔理沙が横目でそんなアリスを眺めている。魔理沙はアリスに気付かれないように
小さく笑った。
それからしばらくして、魔理沙が帰り支度を始めた。既に陽が落ちているので、せめて夕食ぐらいここで食べて行ってはどう
かと尋ねたが、新しい魔法を開発している真っ最中のようであっさりと断られた。魔理沙の強さが、こういう地道な魔法の研究、
開発の積み重ねにあることを知っているアリスはそれを咎めようとはしない。それに、明日も明後日も魔理沙はアリスの家を訪
ねるだろう。「魔法の開発が終わったら、ゆっくり食事にでもいらっしゃい」と告げた。「ゆっくり」という言葉に反応したの
か、二匹が口を揃えて魔理沙に挨拶をする。魔理沙はそんな二匹を見て声を上げて笑うと、アリスの頭を撫でながらこう言った。
「アリス。 お前もすっごく可愛いぜ」
「……へっ?!」
爆発したかのように顔を真っ赤に染めるアリス。魔理沙はそれだけ告げると、箒にまたがり颯爽と星空の向こう側へ消えた。
魔理沙自身、恥ずかしかったのだろう。アリスが真っ赤になったまま、その場に座り込む。まりさとありすは、「とかいはね」
などとヒソヒソ話をしていた。
アリスの家にまりさとありすがやって来てから早三カ月が経とうとしていた。二匹の仲はどんどん進展していき、いつの間に
やらけっこんっ!して三匹ほどの赤ゆが生まれていた。赤まりさが二匹。赤ありすが一匹である。元々、裕福な暮らしをしてい
るアリスにはゆっくりたちの家族が一匹、二匹と増えたところで経済に影響は出ない。霊夢ならば死活問題であろうが。
魔理沙の新しい魔法も一ヶ月前に完成しており、その日はアリスの家で細やかながら祝杯を上げた。新しい魔法の話や、弾幕
ごっこをして、楽しそうに笑う二人を見て、まりさとありすは疑問に思っていることがあった。すなわち、「この二人は、いつ
になったら結婚するんだろうか」などと考えていたのである。ゆっくり二匹の目から見ても、アリスと魔理沙が互いに想い合っ
ているのは確定的に明らかだ。二匹で何度かそのことについてこっそりと話をしたことがある。ありすは何故か遠くを見つめて、
「きっと……ありすたちにはわからない、ふかいわけがあるのよ……」と言っていた。
「ところで最近、アリスは何を書いてるんだ?」
「これの事?」
机の上に置かれた真っ白なノートにペンを走らせていたアリスが魔理沙の声に顔を上げる。質問した魔理沙は紅茶を飲みなが
らコクコクと頷いた。
「や、言いたくないなら構わないんだけどさ」
「そんなに大したことじゃないわよ。 この子たちの……ゆっくりの観察日記をつけているのよ」
「へぇ。 なんでまた?」
「なんで、って言われたら困るけど……なんとなく、かしらね。 結構、この子たちを見ていて飽きないわよ?」
「こいつら、っていつの間に恋人?になったんだ?」
「えーっと……大体二ヶ月前かしら。 魔理沙が新しい魔法を開発した時にはもうかなり仲が進展していたわよ」
驚きの表情を浮かべる魔理沙を見ながらアリスがクスクスと笑う。アリスには、ちゃんとした別の意図があった。或いは、魔
理沙もそれはなんとなく感じ取っていたのかも知れない。無論、そのことについてはお互い触れようとはしないが。既に寄り添
って寝静まる五匹のゆっくり家族に視線を向けながら、アリスが尋ねた。
「……魔法使いに、なるつもりはないの……?」
「……私は、十分に魔法使いだぜ」
「もう。 私の言ってる意味、分かってるんでしょ? ……人間であることに、拘り続ける理由があるの……?」
「そうだな…………」
なんとなく視線を外す魔理沙を見て、アリスが皿に盛られたクッキーを一つ掴んで魔理沙の口に押し込んだ。
「ふがっ……」
「このクッキーね。 慧音に作り方を教わったの。 私の腕じゃあ、まだまだ慧音には及ばないけれど……美味しいでしょ?
ちょっと、カロリーが高めなのが玉にキズだけどね」
「……十分美味しいと思うけどな。 少なくとも、ガサツな私にはお菓子なんて作れないし」
ケラケラと笑う魔理沙を見てアリスが思わず目を細めた。今日は泊まっていくと言ったのでアリスは二人分の寝床を用意した。
部屋の明かりを消す。しばらく談笑していたが、やがてどちらからともなく言葉を発するのをやめた。隣で眠る魔理沙の寝息が
聞こえてくる。アリスは真っ暗な部屋で天井を見つめてから、そっと目を伏せた。「ゆぴぃ、ゆぴぃ」とゆっくりたちの寝息も
聞こえる。時計の針が時間を刻む音だけがやたら、部屋に響いた。
「アリス……。 起きてるか……?」
「…………」
なんとなく。本当になんとなく、アリスは返事をしなかった。それからしばらくして魔理沙が寝返りを打ったのかシーツが衣
擦れをする音が聞こえる。アリスは目を閉じているので、魔理沙が今どちらの方向を向いているかが分からない。それからしば
らく無言の時間が続く。
「アリス……ごめんな」
(……?)
「私は……弱いんだ……」
独り言だろうか。魔理沙は眠ったフリをしているアリスに向けてか、どうかは分からないが淡々と言葉を紡ぎ始めた。
「アリスを……好きだって思う自分の気持ちって、やっぱり周りの人間から見たら変に思われるのかな、って思うと……少しだ
け、辛かったりする……」
アリスが魔理沙とは反対側の手で布団をきゅっと掴んだ。
「でも、私は……お前の事が好きなんだ、って思う。 ……男女の恋愛感情とかとは違うかも知れないけど……。 それでも、
私は……たぶん、お前の事が好きなんだ……」
「…………」
「……私が、魔法使いって言う“職業”じゃなくて、魔法使いっていう“種族”になれば、お前と一緒に過ごせる時間も、もっ
と、もっと、長くなるんだろうな、って思う」
「…………」
「でも……そうすると、このもやもやした気持ちを抱えたまま……すごく、すごく長い時間、生きていかないといけなくなっち
まう……。 私は、きっと……それに耐えられない」
魔理沙の声は微かに震えていた。魔理沙自身、どれだけ今の自分が身勝手なことを言っているのか理解しているのだろう。ア
リスは魔理沙の言葉の一つ一つを心で受け止めていた。
「ゆっくりの、まりさとありすが恋人になって、結婚して、子供まで作ったっていうのを知った時、私はあいつらが羨ましくて
たまらなかったよ。 ……いや。 或いは、私は二匹がそうなることを望んでいたのかも知れないな。 自分にできないことを、
ゆっくりたちに代行して貰いたかったのかも知れない」
それから、一呼吸置いてまた口を動かす。
「私は……、あの地底から帰ってきたとき、もう二度とお前を泣かせない、って決めたけど……それをお前と約束することはで
きなかった……どうしても、な。 こんなことを言ったら、お前は私から離れて行くかも知れないから……面と向かっては言え
ないけど……。 私とずっと……一緒にいてくれる、って言うなら……私がどれだけお前の事を想っても、最低でもあと一回は
確実にお前を泣かせちまう……。 それも、怖いんだ。 面倒くさい女だろ、私ってさ。 ……本当に……、なんで私なんかと
一緒に居てくれるんだよ……」
最後あたりの魔理沙は涙声だった。それから暫く鼻を啜っていたがようやく眠りについたのだろう。今度こそ、魔理沙の寝息
が耳に届いた。アリスの閉じられた瞳からは涙がポロポロと溢れている。魔理沙が口にした事。それはアリスも十分に理解でき
ていた。理解できていたからこそ、こうして本音を語るようなことはしなかったのだ。アリスもまた、魔理沙が離れていくこと
が怖かった。魔理沙は別の……同じ時間を生きる事のできる“人間”と一緒になるほうが望ましい。それを承知の上で、アリス
は魔理沙を突き放すことができなかった。
翌朝。
魔理沙よりも先に目覚めたアリスが、勢いよくカーテンを開いて大きな声で叫んだ。
「魔理沙っ!! 朝よっ!! 起きなさいっ!!」
「う……う~ん……」
「もう、朝食できてるから……早く顔を洗ってらっしゃい。 ゆっくりたちも、朝のお散歩に出かけちゃったわよ?」
「アリス……」
「ん?」
「…………うん。 なんでもない。 それじゃあ、朝食を戴くとするぜ」
三、
「おねーさん! ありすのとかいはなこーでぃねーとをみてちょうだいっ!」
ゆっくり家族に与えた一室の一部分に色んなものが集められている。感性の違いのせいかアリスが見る限りは都会派どころか、
今すぐ片づけたい衝動に駆られたがとりあえず第三者の意見を聞いてみることにした。
「まりさは、どう思う?」
「さすがはありすなのぜっ! ありすはゆっくりのなかでいちばん、こーでぃねーとをするのがじょうずなのぜっ!!」
「ゆっくち~!! ありしゅのおきゃーしゃんは、しゅごいんだよっ!!」
ニコニコと笑うまりさ。キリッとした表示になって、“どや顔”でアリスを見上げる赤ありす。コーディネイトを施したあり
すは、アリスの意見が一番気になっているようで先ほどからチラチラと視線を送っている。アリスは静かに笑みを浮かべると、
「流石はありすね。 お部屋がグンと住みやすくなったわ」
「おねーさんっ!! ゆっくりありがとうっ!!!」
「どういたしまして」
涙目になって喜びを表現するありすの頬にまりさが何度も自分の頬を摺り寄せる。
「ゆ……ゆーん……///」
「ゆびゃあぁぁぁぁぁん!!! まりしゃおにぇーちゃんの、ばきゃぁぁぁ!!!!」
今度はソファーの方から赤まりさの叫び声が聞こえた。アリスも、ゆっくり親子もそちらへと移動する。見ると、ソファーの
一画を姉の赤まりさが占拠しており、そこに妹の赤まりさを入らせないようにしているらしかった。
「ここは、まりしゃのゆっくちぷれいちゅだよっ!!」
「ゆんやぁぁぁ!!! まりしゃもいっちょにゆっくちしちゃいのにぃぃぃぃぃ!! おきゃあしゃぁぁぁん!!!!」
「ちびちゃんっ! どうしてそんなこというの?! おねーちゃんなら、いもうとにやさしくしてあげないといけないんだよ?」
まりさとありすがソファーに飛び乗って姉の赤まりさを説得しようとするが、姉の赤まりさは聞こうとしない。まりさもあり
すも我が子に弱いのかあまり強くは言えないようだ。オロオロしたままソファーの上を這っている。赤ありすは姉妹喧嘩にすっ
かり怯えてありすの頬にぴったりと自分の頬を寄せていた。妹の赤まりさは一向に泣き止まない。姉の赤まりさは勝ち誇った顔
でそんな家族の様子を見ていた。アリスとはいうと、昨夜の段階で準備していたお菓子を取出し、机の上に並べていた。
それから、妹の赤まりさと赤ありすをそっと抱きかかえてテーブルの上に乗せる。
「ゆびゃあああああああ!!!! あにょ、ゆっくちぷれいちゅがいいにょぉぉぉぉ!!!!」
「ま……まりしゃ、ゆっくち……ゆっくちしちぇにぇ……?」
泣き続ける妹の赤まりさの頬をぺーろぺーろと舐めて慰めようとする。まりさとありすはソファーの上から動こうとしない。
アリスはそんな二匹を呼び寄せた。
「まりさ。 ありす。 おやつの時間よ。 皆で一緒に食べましょう?」
「で、でも……」
アリスがまりさとありすを一匹ずつ抱えてテーブルの上に乗せた。ありすは不安そうな顔でアリスと姉の赤まりさを交互に見
つめている。おやつを食べ始めた妹の赤まりさと赤ありすは、「むーちゃ、むーちゃ、しあわちぇぇぇ」と声を上げた。その声
は当然、ソファーの上の姉の赤まりさにも届く。
「ゆ……ゆぇ……?」
「お、おねーさん……ちびちゃんにも……」
「美味しいかしら?」
「ゆっくち、おいちぃよっ!!! おねーしゃん、ゆっくちありがちょうっ!!!」
「ま……まっちぇにぇっ!!! まりしゃも……、むーちゃ、むーちゃ、しちゃいよ……っ!!」
ソファーから姉の赤まりさが声を上げる。アリスは立ち上がると、少しだけ冷たい口調で姉の赤まりさに向けて言葉を放った。
「駄目よ」
「ゆゆっ?!」
テーブルの上のゆっくり親子が一斉に困った表情でアリスを見つめる。まりさとありすもそうだが、姉妹である二匹の赤ゆが
一番オロオロしているようだ。
「どうしちぇ……?」
「ゆっくりプレイスを独り占めするような、ゆっくりにはおやつをあげることはできません」
「ゆ……。 お、おにぇーしゃんのばきゃぁぁあぁぁ!!! まりしゃも、おやちゅ、むーちゃ、むーちゃ、しちゃいにょにぃ
ぃぃぃ!!!!」
「お、おねーさん……とかいはじゃないわ……。 おねがいだから、ちびちゃんにも、おやつさんを……」
ゆんゆんと泣き続ける姉の赤まりさ。アリスの家の中はすっかり重苦しい雰囲気になってしまった。しばらくして、妹の赤ま
りさが自分と同じ大きさ程もあるクッキーを咥えて、テーブルの上をずりずりと移動し始めた。その姿を見て赤ありすも後に続
く。まりさとありすは自分の子供たちの行動を見て顔を見合わせている。やがて、二匹の赤ゆがテーブルの端にたどり着いた時、
余りの高さに思わず後ずさった。まりさが声を上げる。
「あ、あぶないのぜ、ちびちゃんっ!!!」
「ゆぅ…………」
「とかいはじゃないわ。 いったいどうしたの?」
「……お姉ちゃんの所まで、私に運んで欲しい?」
「いやじゃ!!」
「……どうして?」
「おにぇーちゃんに、おやちゅしゃんをたべさせちぇくれにゃい、おにぇーしゃんなんかには、じぇったいにたのまにゃいよっ!」
「ゆっくち!!!」
「ど……どぼじでぞんなごどい゛う゛の゛ぉぉぉぉ?!!」
いよいよ雲行きが怪しくなってくるアリス邸。
「まりしゃ……ありしゅ……」
なおもクッキーを咥えて、何とかして姉の赤まりさの元へと行こうとするが二匹がここから下りることはできない。アリスが
そんな二匹をそっと抱き上げた。手の平の上にクッキーを落として「おろしちぇ、おろしちぇ」と叫び声を上げるのも束の間、
二匹は望み通り下ろしてもらった。目の前には姉の赤まりさがいる。
「おにぇーちゃん、ゆっくちおやちゅしゃんをたべちぇにぇ!」
「まりしゃ……でみょ……」
「みんにゃにいっちょに、むーちゃ、むーちゃ、したほうが、おいちぃにきまっちぇいりゅわっ」
それからクッキーに口をつける姉の赤まりさ。涙目ではなく、涙を流しながら叫ぶ。
「むーちゃ……む……しあわちぇ……っ!! ゆぐっ……ぇ……ひっく……ゆわぁぁぁぁぁん!!!」
「ゆゆ? ゆっくちしちぇにぇっ!!」
妹の赤まりさと赤ありすが二匹がかりで姉の赤まりさの頬に舌を這わせる。アリスが笑みを浮かべると、三匹の傍に腰を下ろ
した。泣きやまない姉の赤まりさはともかく、二匹の妹たちはアリスに向かって睨み付けるような視線を送っている。アリスが
尋ねた。
「おやつは美味しかった?」
「ゆ……ゆんっ!」
「皆で一緒に食べると美味しいわよね?」
「ゆんっ! ゆんっ!!」
「あら、まりさ。 大変よ。 まりさのゆっくりプレイスに、妹たちが入ってきちゃっているわ?!」
「ゆぁ……」
「ゆっくち、でちぇいくよっ……」
「ま、まっちぇにぇ……っ!!!」
「……ゆ?」
姉の赤まりさが出て行こうとする二匹の妹を呼び止める。それから、俯いて恥ずかしそうに……絞り出すような口調で呟いた。
「おやちゅさんを……もっちぇきてくれちぇ……ありがちょう……」
「まりしゃおにぇーちゃん……」
「……っ!! ここは、まりしゃ“たち”のゆっくちぷれいちゅだよっ!! みんにゃでいっちょにゆっくちしようにぇ!!!」
「「ゆ……ゆっくち~~~~!!!」」
まりさとありすが互いの顔を見合わせながら幸せそうな笑みを浮かべた。三匹仲良く頬を寄せ合う姿を見たアリスも立ち上が
って、もう一度戸棚の中に手を伸ばした。三匹の赤ゆたちの元に帰ってきたアリスの手にはパイの載った皿が握られている。そ
れを赤ゆたちの前に置く。目を丸くして、涎を垂らす三匹の赤ゆたち。
「ちゃんと仲直りできたいい子たちには、そのおやつもあげることにするわ。 “みんなで仲良く”食べるのよ?」
「ゆ……ゆゆゆゆ?!」
「こりぇ……たべちぇもいいにょ?!」
「ゆわーーい!! おにぇーしゃん、ゆっくちありがちょぅッ!!!」
「どういたしまして」
アリスが満面の笑みを浮かべた。テーブルの上のまりさとありすが何度も何度もアリスにお礼を言ってくる。アリスはそんな
二匹の頭をそっと撫でると、暖炉の前に置いてある小さな机に置かれた小さなノートにペンを走らせ始めた。今日のゆっくり観
察日記だ。小一時間ほど経過した後、ゆっくりたちは家族揃って眠りについていた。
「書き終わっちゃったわね……」
アリスが傍らに置いていたノートをパラパラとめくる。そこにはびっしりとゆっくりたちとの生活の日記が綴られていた。そ
れを最初のページから読み直す。時折、小さく笑みを浮かべたり、また少し涙目になったりしながら。
何世代にも渡るゆっくりたちの観察日記。そして、そこにはアリスが思い描いた魔理沙との理想の生活が記されている。自分
たちには決してできなかった幸せな生活。それが事細かに書かれているのだ。アリスは流し読んだそのノートを閉じると、厳重
に魔法で封印を施し一冊の魔導書とした。
そして、ゆっくりたちを起こさないように、そっと玄関のドアを開けて外に出る。手に、完成したばかりの“グリモワール”
を携えて。
四、
アリスは魔法の森の奥に一人で足を踏み入れた。やがて開けた場所に出る。そこには手入れの行き届いた墓が立てられていた。
墓標には、「霧雨魔理沙、ここに眠る」とある。アリスがその墓の前に腰を下ろし、焼き上げたばかりのクッキーをそっとその
墓前に供えた。
「魔理沙。 頼まれていた魔導書が完成したから……持ってきたわ」
墓に向けて囁くように呟く。アリスはグリモワールをそっと墓に立てかけた。そして、アリス以外の誰もがそのグリモワール
に触れることができないよう、魔法による結界を張った。
アリスと魔理沙がゆっくりを飼い始めたあの日から、既に百年もの歳月が過ぎようとしていた。凄まじい厚さのグリモワール
の全てのページを埋めるには、魔理沙の所有していた時間は短すぎたのである。このグリモワールを作ることを提案したのは、
他ならぬ魔理沙だった。
グリモワールには、呪術や魔術の行使の方法以外にも、幸福になるためのおまじないや手順といった物も記されている。魔理
沙はまりさとありすの生活を綴った日記をグリモワールとし、自分たちが幸福になるための手順を記そうとしたのである。それ
は、恐らく、アリスと魔理沙にしか理解できない内容であろう。二人は、二人のためだけに、グリモワールを作ろうとしたのだ。
しかし、魔理沙はそのグリモワールの完成を待たずして人間としての“寿命”を迎え、アリスよりも先に逝ってしまった。残さ
れたアリスはそれから一日たりともかかさず、グリモワールの執筆を続けたのである。
「ごめんね魔理沙。 一日だけ……、一日だけ、ページが抜けている部分があるの……」
それは、魔理沙が永遠の眠りについた日。この日だけは一日中、泣くことしかできなくて執筆をすることができなかった。
「でも……許してくれるわよね?」
魔理沙が、ずっとアリスと共に在り続けることを誓った日に、魔理沙はアリスにこう告げた。
――……一回だけ、お前を泣かせることを許して欲しい。
アリスはその魔理沙の願いを聞き入れた。魔理沙の言葉どおり、アリスは魔理沙と共に暮らす日々の中で“一回だけ”泣き崩
れたのだ。
霧雨魔理沙。普通の魔法使い。魔法を使う程度の能力。
アリス・マーガトロイド。七色の人形遣い。人形を操る程度の能力。
二人は、“人間”と“魔法使い”。二人は時間の物差しが互いに異なることを知っていながら、それでもなお、共に在ること
を望んだ。あの一回だけアリスを泣かせた日。魔理沙は笑みを浮かべたまま、その生涯を終えたと言う。魔理沙はそれでも自分
が幸せであったことをアリスに告げて、アリスの前からいなくなってしまった。
まりさとありす。
二匹のゆっくりは、アリスと魔理沙に“二人が幸せになるための手順”を示したのだろう。魔理沙はこのグリモワールを読ん
でくれるだろうか。アリスが墓の前から立ち上がる。風がアリスの髪を撫でた。
「魔理沙。 ……ゆっくりしていってね……」
La Fin