ふたば系ゆっくりいじめSS@ WIKIミラー
anko1684 空にUFO、地にはゆっくり
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「個体数変動報告票 No.327
××年××月××日
発 = 行動研究部第三チーム
宛 = 管理部/研究各部/経営部/広報部
問 = 御二井 三介(内線 ○○―△△△△)
以下要旨:
1.個体数変動 死亡2(群れ番号:25)
2.死亡個体詳細
(1)識別番号:M32
種類 :まりさ種
成長段階:赤
死亡場所:中央広場
死亡時刻:×月×日2時ごろ
死因 :極度の緊張による体内餡子の嘔吐。
緊張の原因については不明。調査中。
(2)識別番号:P17
種類 :ぱちゅりー種
成長段階:成
死亡場所:中央広場
死亡時刻:×月×日14時20分
死因 :制裁。
制裁原因:M32番の殺害。
M28(M32の親)による証言あり。
3.その他
(1)P17によるM32の殺害については確認得られず。
P17はM32と親密な関係にあり殺害動機に乏しい。
M32の死因については映像解析中。現時点では詳細不明。
死因判明次第、追って報告の予定。
(2)当該群れは干渉レベル4。
4.参考①
干渉レベル4:原則として、自然状態を保ちながらも、
資材の提供、一カ月に一回程度の人間との会話など、
群れの本質を乱さない程度の接触を継続する。
なお、観察のために大型動物は排除済み。
人間との不干渉状態にある農村周辺の群れを想定。
5.参考②
先般報告(R10、A20、P14の怪死)との因果関係は不明。調査中。
以上」
草という草が、春の匂いをかもしている。
その群れが集落をはっている林もまた、春の陽気に浴していた。その森林は、あらあら、
濃度が低かった。そのため地面はふんだんに光を摂取でき、ゆっくりに豊かな食べものを与
えることができた。
ところで、じゅうぶんな注意深さは樹木のこずえで無機質な目を光らせる監視カメラを発
見するだろう。あるいは、樹幹にしこまれた隠しマイクを見つけるかもしれない。はたまた、
鹿やイノシシといった大型動物の不在に、本能的な不気味さを感じることもあるだろう。
人間ならば、おちつかないこと、このうえない。
しかしながら、概して楽観的で低知能なゆっくりにそれだけの洞察を望むべくはない。ま
た、それらを発見したとしても意味がわかるはずもない。ゆえにこの群れのゆっくりたちは、
その空間が造られたゆっくりプレイスだということは露知らず、しかしその無知がために、
へたな警戒をすることもなく、ゆっくりが愛してやまない「ゆっくり」を享受することがで
きるのだった。
もっとも、日々の労働にせきたてられることはこの群れにおいても変わらない。
だが、すくなくとも、理不尽との戦いに明け暮れている都市住みのゆっくりが蓄積してき
た幸福の総量と、この静かな群れで生涯を閉じるゆっくりたちがつみかさねてきたそれとを、
天秤に載せれば、前者の器がはるかな高みに持ちあげられてしまうであろうことは、疑いよ
うもないことだった。
青空をうがつ太陽はすでに南中をすぎて西の空へとかたむきつつあり、円形広場の外縁に
植わっている木々は、東へとゆらめく影を投げかけていた。
そこは、群れの中央に位置している広場だった。その形は樹木によって正確な円形にふち
どられている。ゆっくりでなければ、たやすく人為を感じとるだろう。
広場の一角では赤ゆのまりさと成体のぱちゅりーが仲むつまじく会話していた。
赤ゆの小ぶりの黒帽子には「32」と刻印されたバッジが留められている。
一方のぱちゅりーの平坦な帽子にも金属片が見えるが、その数字は「17」と読めた。
まりさは、ぱちゅりーから話を聞くのが大好きだった。
知恵者の話題は多岐に及んだ。
あるときは血沸き肉踊る冒険譚であり、またあるときは血も凍るような恐怖物語である。
その種類は豊かであるが、共通しているのは、まりさにとってすこぶる魅力的だということ
だった。
このときも、まりさはぱちゅりーの語りに胸をふくらませ、、片言隻句も聞きもらすまい
と耳をそばだてていた。ところが、その耳が聞き慣れない単語を拾ったので、まりさの瞳は
困惑の色をうかべるのだった。
「ゆーふぉーしゃん?」
まりさは赤ゆ特有の吃音で、おうむ返しに言った。
「そう。ゆーふぉーさんよ」
「それって なんなんだじぇ? おいしーんだじぇ?」
つぶらな瞳できいてくるから、ぱちゅりーは吹きださざるをえない。
「ちがうわ。ゆーふぉーっていうのは、うちゅーじんさんのすぃーよ」
すぃー。
とは、運搬機の総称を意味するゆっくりの語彙だ。
蒸気機関車も手押しの一輪車も、ひとしく「すぃー」と呼称される。ゆっくりの認識力で
はそれが限界だった。もっともそれで不都合が生じることもない。
「うちゅーじんしゃん? おいしーんだじぇ?」
赤ゆの価値基準は、おおむね美味いものかそれ以外でしかない。そのあたりは、いまだに
ツガイを得ていないぱちゅりーも心得ている。
「たべられないわ。えっとね……そらをすんでいる、にんげんさんよ」
「にんげんしゃんは おそりゃ とばないんだじぇ!」
まりさは抗議した。
この群れは、わずかではあるが人間との接触があった。むしろ、人間と会話したことがな
いというゆっくりは絶無といえた。まりさの餡子脳に刻まれた人間とは、歩く動物であり、
空は飛ばない。
「にんげんのようなかたちを しているってだけよ。にんげんじゃない。うちゅーじんさん
はおそらにすんでいるの。おそらにすんでいて そらとぶすぃーで そらをあるくのよ。
ゆーふぉーさんは、そらをとぶ すぃーなのよ」
説明は、依然として漠としていた。
少なくとも、まりさに明瞭なイメージを与えるほどの説明力はもちえていない。
「そらとぶ すぃー……。おおきいんだじぇ?」
「とってもおおきいのよ」
「はやいんだじぇ?」
「ええ。ゆっくりよりも ずっとね」
「しゅごいんだじぇ!」
まりさは感嘆の雄叫びを発した。ゆっくりたちの「くーるなあんよ」を凌駕する足が存在
するということは、まりさの常識を根底からくつがえし、興味をそそった。
「どんなかたち してりゅんだじぇ?」
「うーん。ひらべったい……そうね、おちびちゃんの『たからもの』みたいなかたちね」
ぱちゅりーの言うところの「たからもの」とは、まりさの所有物のビーズのことをさして
いる。丸みを帯びており、透き通っていて、平べったい。糸を通すための穴も空いている。
「わかったんだじぇ!」
卑近なものを例に出すことで、漠然としていた「ゆーふぉー」の想像図に確かな輪郭線が
引かれ、まりさの「ゆーふぉー」は血液を獲得した。
「うちゅーじんさんに あいたいんだじぇ! ゆーふぉー みたいんだじぇ!」
「あいたい?」
「あいたいんだじぇ!」
「そう……」
愛くるしい懇願を見ているうちに、ぱちゅりーの胸中で嗜虐趣味が頭をもたげてきた。
ぱちゅりーは声をひそませて言った。
「うちゅーじんさんは ゆっくりをたべるのよ? それでも あいたい?」
「ゆ!」
まりさの笑顔が一瞬で凍りつく。
「ゆーふぉーさんで ちかづいてきて……」
「に、にげりゃれないんだじぇ……」
「ゆーふぉーさんのなかにつれこんで……」
「ゆぅ……ゆぅ……」
「……ゆっくりを。……ゆっくりたべるのよ」
「こわいんだじぇ……。ゆーふぉーしゃん、ゆっきゅりできないんだじぇ!」
まりさは、いまにも泣きだしそうなほどに顔をゆがめると、唐突にうつ伏せの姿勢をとり、
上半身を地面にうちつけはじめた。
「ゆんやー! ゆんやー!」
これは、ゆんやーと呼ばれている行動だ。この動作は感情のたかぶったときによく見られ
る。悲しいとき、嬉しいとき、怒ったときにも、まま見られる。果ては、抵抗の意志の表明
などにも使われることがある。ゆっくりにより使い分けがなされることもあり、ゆっくりを
象徴するおおざっぱな行動といえよう。
「あんしんしなさい。ゆーふぉーさんなんて めったにみかけないんだからね」
「ゆんやー……? そーなんだじぇ?」
まりさは「ゆんやー」を止めて、顔を上げた。ぱちゅりーは破顔している。
「ええ。だから、『あんっしんっ』しなさいね」
どれだけ凶悪な存在であっても遭遇しないのなら恐れるに足りない。それくらい、赤ゆの
頭脳でも「りかい」できる。しかも尊敬する知恵がゆーふぉーの無害を保証してくれている
のだから、何をかいわんやだ。もはやまりさに恐れるものは何もない。まりさは跳ねあがっ
て立ち上がり、意気揚々と宣言する。
「まりしゃは『あんっしんっ』したんだじぇ!」
ころころと変わる表情と動作に、ぱちゅりーも苦笑するしかない。
「おちびちゃん」
「ゆ?」
「たとえば、どくきのこさんとか、かわさんとか、とげさんとか……」
流れる水はゆっくりにとって暴君にひとしい。有毒茸を食べたがために天に召された同胞
は数知れない。あんよに棘が刺さって動けなくなったゆっくりを、まりさは知っている。
すべて、ゆっくりにとっては命にかかわる危険物だ。
「みんなゆっきゅりできないんだじぇ!」
「しかも、いっぱいいるわ。ゆーふぉーとはちがってね」
「あぶないんだじぇ……」
まりさは赤ゆなりに神妙な顔つきをする。
「おちびちゃんは、そっちにきをつけるべきよ」
「まりしゃ『りょうっかいっ』なんだじぇ!」
真昼が戻ってきたような晴れ晴れとした笑顔だった。ぱちゅりーもほほえんでいる。その
笑みの根源は、人間から聞きかじった知識を赤ゆへの教訓へと転じてみせたおのれの話術に
対する静かな満足であった。
「それじゃ おちびちゃん。わたしは かりに もどるわね」
「いってらっしゃい、なんだじぇ!」
陽気な送り言葉を受けたときにはすでに、ぱちゅりーの頭脳は明日の話題を練りはじめて
いた。もっとも、その話題が開陳される機会は、二重の意味において、永遠に巡ってこなか
ったのだが。
小さなとんがり帽子は、中央広場を後にして林の暗がりに溶けこんでいった。
ここでコロニーを俯瞰してみると、円形の中央広場から東西南北に伸びる四本の野道が発
している。この流れが目抜き通りの役目を果たしている。群れの構成員の住みかは、支流の
根もとに密集するかたちで、おおむね同心円状に広がっていた。
まりさは、西に蛇行する野道に入っていた。
目的地は特にない。色々なものを見てまわり経験を増すのが赤ゆの仕事だ。さまざまな体
験の蓄積が生存確率を上げるのは、ゆっくりといえども変わらない。さて、少しばかり野道
を行くと、まりさはありすを見つけた。野道に面して立ちつくしている大樹のふもとで、な
にやら作業にいそしんでいた。紅いカチューシャには「20」の文字が刻まれている。
まりさはありすの目のまえに踊り出て、腹の底から声をだして呼びかけた。
「ありしゅなんだじぇ!」
「ん……? あら、おちびちゃん。どーしたの?」
口にくわえていた木の枝を離して、ありすは小さな訪問者に向きなおる。
「ありしゅ なにやってりゅんだじぇ?」
「こーでぃねーと、よ」
そこは、ありすの露天工房だった。
足もとに置かれているハート型の大仰な葉っぱには、工具とおもわしき大小さまざまな木
の枝が陳列されている。もちろん、工具だけではなく材料もふんだんにとりそろえられてい
た。肉質のある葉っぱや、くすんだわら、雑草などだ。これらの材料にしかるべき細工をく
わえれば、草木は新たなる命を吹きこまれ、ベッドとなり、テーブルとなる。完成した家具
や雑貨は群れに納められ、ゆっくりの生活に資するところとなる。
それがありすが自らに課した使命であり、義務である。
ということを、なるべく噛みくだいて説明してやった。
まりさは目を輝かせて、
「ときゃいは~!」
と、ほめたたえた。
「もちろんよ。ありすはとかいはなのよ」
ありすは素っ気なく答えた。彼女には芸術家たる自負があった。赤ゆの褒貶など、歯牙に
もかけない。
「どーしてなんだじぇ? どーして ありしゅは ときゃいはなんだじぇ?」
自称芸術家の職人は返答につまった。深遠な問答を仕掛けられた哲学者のような、深刻な
目つきをした。少しばかり考えこんでから、ありすは答えをつむぎだした。
「そういうものなの。ありすはとかいはで、みんなを とかいはにする ぎむがあるの」
と、分かるような分からないような回答をよこした。
まりさにとっては、回答の内容そのものよりも、大人と会話が成立したこと自体がうれし
かった。
「ときゃいはなんだじぇ~……」
「……」
まりさは恍惚とした表情をうかべた。それほど心うちふるわせる答えだったとは思ってい
なかったから、ありすはいささか面食らってしまった。そして面食らわせたまりさは、職人
よりも工房に興味がうつりはじめていた。呆然とするありすをよそに、あちこち跳びはねて
は葉っぱを持ちあげたり小枝の山を見上げてほうけたりと、せわしない。
「ほら。あぶないわよ」
「ゆ?」
まりさのあんよが地面から離れた。ありすが赤ゆの金髪をすっとくわえて、持ちあげてい
た。そのまま工具が陳列されている葉っぱのうえに移動させ、
「くぎさん」
と、器用にも赤ゆをくわえこんだまま注意をうながした。なるほど、まりさの真下には鋭
く研がれた一本の釘が異形のかがやきを発している。
「ゆゆ! くぎしゃんは ゆっきゅりできにゃいんだじぇー! おりょせー!」
まりさを口からぶらさげたまま大樹の根もとから移動して、野道のまんなかに降ろしてや
った。
「ほら……。ここはあぶないわ。あっちであそんできなさい」
ありすは野道の奥へと目くばせした。
それは面倒だから追っ払ってしまいたいがゆえの適当なあしらいにしかすぎなかった。決
して良心から出たものではなかった。が、まりさの幼い餡子脳は他者の悪意に鈍感だ。聡明
で洗練されたありすが仕向けてくれたのだから、あちらには何か良いものがあるにちがいな
い。と、なんの疑問もなく思いこんだ。
「まりしゃ りょうかいなんだじぇ!」
無邪気な笑顔で宣言し、ありすに背を向けて、森の奥へと跳びはねていった。
黒帽子から解放されると、ありすは工具を口に持ち作業を再開した。
道行くまりさが次に遭遇したゆっくりは、成体のぱちゅりー種だった。
いつも仲良くしているぱちゅりーとは別ものだ。その証拠に、桃色帽子に留まるバッジに
は「17」ではなく、「14」と印字されている。数字の意味を汲むどころか数字の見分け
さえつかないゆっくりにとっては、無意味である。じっさい、かれらは気にも留めない。
まりさは道の外れに座っていたぱちゅりーの足もとに跳びはねてゆき、
「ぱちゅりーなんだじぇ!」
と、声をかけた。
「ええ。ぱちゅりーよ。みればわかるでしょ?」
森の知恵者は冷淡な態度で応えた。まりさには一瞥もくれない。
そのかわり、目のまえに積まれたキノコの山を、まるで親の仇であるかのように睨みつけ
ている。
「なにしちぇりゅんだじぇ?」
「たべられるものと そうでないものを しわけしているの。みればわかるでしょ?」
14番の目のまえと左右の合計三か所には、雑多なキノコが山積みされていた。
ぱちゅりーから見て左手に集まっているキノコは、おおむね素朴な色をしていて、たっぷ
りと肉がついており、見ているだけで食欲がそそられる。が、右手に積まれた茸の群れは、
赤地に紫の斑点がついた傘をつけていたり、黒い粘り気のある汁を滴らせていたり、かりに
無害であると分かっていても経口摂取をためらわれるような代物ばかりだった。
14番ぱちゅりーの任務は、仕分けだった。狩猟者が採取してきたキノコを食せるか、そ
うでないか峻別する。
「ぱちゅりーは しゅごいんだじぇ!」
まりさは心の底から褒めたたえたが、ぱちゅりーは眉ひとつうごかさなかった。
「こんなこと……。みんなできるわよ」
抑揚のない、しかしどこか棘のある口ぶりには、明らかに毒あるものキノコであってもキ
ノコと見ればこれを蒐集してしまう、狩猟担当者の度しがたい無能に対する積年の恨みがに
じみでていた。
ところが、赤ゆのまりさはいささかも動じることなく、知恵者の慧眼におもいつくかぎり
の称賛をならべたてるのだった。
「しゅごいんだじぇ、しゅごいんだじぇ、とってもとっても、しゅごいんだじぇっ」
赤ゆの語彙力としてはこのあたりが限界である。
14番ぱちゅりーは無表情を崩さない。
「おちびちゃん。すごいって いくらさけんだって だれも すごくならないわよ」
「しゅごいんだじぇっ!」
まったく聞いていなかった。ぱちゅりーは嘆息した。
「……おちびちゃん。おしごとのじゃまよ。ほら、あっちにでもいって、あそんできなさい」
そう言って、西へとつづく野道の先を、そのあごでしめした。これまた先ほどのありすと
おなじく、ていよくあしらっているに過ぎない。が、まりさもまた先ほどのありすのときと
おなじく、かってに善意と取り違えた。
「まりしゃ りょうっかいっなんだじぇ!」
誇らしげな表情で知恵者の提言を受け入れて、西へ西へと跳びはねてゆく。
樹木の影が、薄くなりはじめている。もうじき夕闇が訪れるだろう。
林を抜けると、そこには川のせせらぎがあった。
それは沢あるいは用水路とでも言うべき、幅のせまい水の流れでしかなかった。
しかし、河川はゆっくりにとっては牢獄の壁にもひとしい障害だ。ゆっくりはあまりにも
水に弱い。なにしろ小雨でさえも長く打たれれば致命傷となる。そのため、川幅や水かさの
高さは問題にさえなりえない。川は自動的にゆっくりの行動範囲の限界となる。
だが、まりさは案じなかった。なぜなら、その川には橋が架かっているからだ。流れの一
角にベニヤ板がかぶさっている。さらに四隅に据えられた石が、橋を地面に縫いつけていた。
「まりしゃは はしをわたるんだじぇ~。ゆゆ?」
橋のうえに成体のれいむがいた。
飾りには「10」とうがたれたバッジが光っている。
まりさはれいむの足もとに駆け寄った。
「れいみゅなんだじぇ!」
「……」
成体は答えなかった。一心に水面を見下ろしていて、微動だにしない。
「れいみゅなんだじぇ!」
「……」
またしても無反応を貫かれてしまい、まりさは眉をひそませる。
石化したゆっくりを振り向かせるべく、赤ゆのまりさは知恵を使った。
「ゆっきゅりしちぇいっちぇね!」
れいむは瞬発した。
「ゆっぐりじでいっでねえ!!!」
雷鳴のような大音声がほとばしった。ただ声がでかいだけではない。鬼神のような形相が
まりさの視界の大部分を占めたのだった。
「ゅゆ!」
赤ゆは思わず飛び退いた。驚きのあまりしーしーも少し噴射した。怒鳴り声に抗議しよう
としたが、れいむの方は早かった。
「……おちびちゃん。おどろかさないでね! いきなり こえかけないでね! きやすく
こえかけないでね! あっち いっててね! れいむは とっても いそがしーんだよ!
げすにかまってる ひまなんかないんだよ! だからはやくきえてね! むしろしんでね!
かきゅーてき すみやかに しんでね! ん? どーしたの? さっさとしね!」
速射砲のように叫び散らすと、またも川面へと意識と視線とを向けた。
まりさは、ふくれた。これほどにくそみそ扱いされたことは、いまだかつてなかった。
「れいみゅなんだじぇ……」
おずおずと口に出すと、
「うるせェンだよ!」
ゆっくりらしかざる暴言が戻ってきた。
さすがのまりさも怒りを表明した。
「れいみゅ! いーかげんに しゅりゅんだじぇ! こっちむくんだじぇー! まりしゃを
……まりしゃを……むちしゅりゅなー!」
その叫びは涙に濡れていた。痛々しいまでの哀願である。
が、れいむもさるもの。
「れいむは さかなさんを みてるんだよ! とってもとっても いそがしいんだよ!
それがわからない むのーなげすは あっちいってね!」
まるで意に介さず、見もせず、攻撃的態度で応戦した。この手の大人げのなさは、れいむ
種においては普遍的ではないが稀有でもない。ところが、そのような冷酷な態度をぶつけら
れて、まりさの意気は消沈するどころかあらぬ方向にたかぶった。
「さかなしゃん! まりしゃ さかなしゃん みたいんだじぇ!」
どうやら、魚類への興味のために怒りを忘れてしまったらしい。れいむと並んで川を見下
ろす。なるほど、魚がいる。うようよいる。平和そうに泳いでいる。それだけだ。ほかには
ない。なにもない。
「はー……。さかなしゃんなんだじぇ……。いっぱいいりゅんだじぇー……」
静かな時が流れる。平和な時間が過ぎてゆく。
だが、それも長くは続かなかった。静寂を打ち破ったのは、むろん、れいむではない。
「……あきたんだじぇ!」
と、まりさは笑って宣言した。
「だったらあっちいっててね! おちびちゃん うざいよ!」
「うざいまりしゃは あっちいくんだじぇー」
身をひるがえし、まりさは橋を渡って西へと向かった。
「さっさと、どっかいってね! くず! しね! はやくしね! きょうにでもしね!」
背中に罵声が浴びせかけられたが、その軽やかな足取りを見るに、まりさの餡子脳にどれ
だけ響いたかはうたがわしい。
川を渡ってしばらく西進すると、木々のまだらに植わるばかりの広漠とした空間に出た。
天地ともども、果てしない広がりを呈している。
まりさはそこで黄昏をむかえた。
西方に仰ぎ見る夕空は、血で染め抜いたような朱色で覆われていて一点の曇りもない。
斜陽にひたされる草むらの上には、黄金色のもやが浮かんでいる。風にゆられる輝く草は
さながら光が躍っているかのようだった。
天然がおりなす奇跡の演出に、まりさは純真な感動を覚え、圧倒されていた。
「しゅごいんだじぇ……」
まりさは惚けたように夕焼けを眺めている。
そのとき、草原を一陣の風が吹きぬけた。生温かい風がまりさのほおをなぶった。
「ゆ……」
まりさは目をつむった。春風は眠くなるほど心地よかった。
「……?」
うっとりとした表情で目をあけるまりさ。
そして、穏やかな快感は、冷たい困惑によって上書きされた。
上空に、まりさの前方斜め上に、なにかが浮かんでいた。
逢魔がときに遭遇したその異物は、丸みを帯び、冴えざえとした光でその身を武装し、明
滅を繰りかえしつつ意志あるように空にあそぶ。
赤ゆは、怪物を表現する手段をもっていた。
「ゆーふぉーしゃん!」
まりさは感激の叫びをあげた。しかしそのたかぶりは、すぐに沈んでいった。
「ゆーふぉー……」
ゆーふぉーとは、なにか。
それは「うちゅーじん」のすぃーだ。
では「うちゅーじん」とは何者か。
それは空に棲息している人間であり、ゆっくりを捕らえてゆっくりを……。
まりさは吠えた。
「きょわいんだじぇ! たべりゃれりゅんだじぇ、まりしゃは おいちくないんだじぇ!」
空に向かって咆哮する。しかし、空飛ぶ光は遠吠えを嘲笑うかのように悠然とまりさを見
下ろすばかりだ。まりさはこれを撃退する必要性にかられた。突然、うつ伏せの姿勢をとっ
た。体の前面をべったりと地面に押しつける。
「まりしゃは ちゅよいんだじぇ! あやまっちぇも おしょいんだじぇ!」
誇らしげな顔つきで、あろうことか「うちゅーじん」に宣戦布告した。
うつ伏せの体勢をたもったまま、きゅっと目をつむった。
そしてあんよを持ちあげ、地面を叩いた。
その反動を利用して またもあんよを高々とかかげ、また打ちつける。
この動作をくりかえす。
「ゆんやー、ゆんやー」
何度も何度も、全力で叩きつける。
「ゆんやー、ゆんやー」
ぺちぺちと情けない音が夕闇に響く。
「ゆんっや~♪ ゆんっや~♪」
愉しげだ。やっているうちにだんだんと楽しくなってきたらしい。
動作が変化した。
今度はあんよを固定したまま、上半身を打ちつけはじめた。
「ゆんっや~♪ ゆんっや~♪ ゆんっや~、ゆんっや~……」
疲れたのか、やがて伏したまま動かなくなった。
まりさは震えていた。
その理由は、まりさの脳裏には「ゆんやー」に恐れをなして逃げまどうゆーふぉーの姿が
展開されているから。約束された勝利を確かめるべく、
「……チラッ♪」
片目を開け放ち、西の空を見た。
そこに飛行を続ける「ゆーふぉー」を発見し、飛びあがっておどろいた。
「まだいりゅんだじぇー! ゆんやーなのにー!」
全力の「ゆんやー」がまるで効果をなしていない! まりさは抵抗意志を剥奪された。
「にげりゅんだじぇ!」
三十六計逃げるにしかず。西方に背を向けて、全力で駆けはじめた。
「ゆんっ、ゆんっ」
夕暮れの垂れこめる林の道を、無我夢中で駆け抜けた。しばらく逃走したところで、足を
止めた。おそるおそる振り返る。
ゆーふぉーとの距離は、いささかも縮まっていなかった。
悲痛な声が林の静寂をうちこわす。
まりさは恐怖に打ちのめされた。
まりさには、足の速さに絶対的な自信を置いていた。
この小さな黒帽子は、じぶんの足が「しじょうさいそく」で「わんだほー」な「くーるな
あんよ」だと信じて疑わない。ところがここにいたり、その自信はゆーふぉーの接近によっ
て木っ端みじんに粉砕された。黄金のあんよをもってしても逃げきれない相手が、空に浮か
んでいて、餡子をすすろうと舌なめずりをしている。
恐慌状態におちいった。
「ぎょわいー!」
涙としーしーをまき散らして、夕暮れの野道を駆けてゆく。
野道をまりさがまかりとおる。来た道を戻っている。
すぐに川が近づいてきた。
橋の上では、夕日を浴びて黄金色に染まるゆっくりれいむが、黙然と魚の観察をつづけて
いた。迫りくる逃亡者の存在にさえまるで気づいていなかったのだから、見上げた集中力と
いえた。結論から言えば、この集中力がれいむを殺した。
「ゆんやー」
赤ゆが橋に乗った。そして、れいむの背後を駆け抜けようとした。
「ゆんやっ!」
ところが背中を過ぎ去ろうとしたそのとき、まりさの左側面がれいむの背中に激突した。
「ゆ!」
赤ゆの体当たりだ。衝撃のほどは、たかがしれている。しかし、川面を観察するために
前のめりになっていたうえに、意識も一点に集中ている状態で奇襲を受けたとなれば、話は
別だ。完全に、バランスを崩された。
「ゆ、ゆ、ゆ!」
ぐらりと、れいむの体が前へとかたむく。
「ゆ~~!」
落下を止めるべく歯を食いしばってあんよに全力をこめた。が、しょせんは無駄な努力と
いえた。すでに重心が水面の上に移動してしまっている。重力にはあらがえない。水面に映
るじぶんの影が、みるまに大きくなってゆく。
れいむの背後で声がした。
「ゆーふぉしゃん ついてきちゃ だめなんだじぇー!」
その声のもちぬしは、ベニヤ板の中央で――すなわちれいむのすぐ後ろで――足をとめて
いた32番まりさである。れいむは赤ゆの非力もかえりみず、悲痛な声で助けをもとめた。
「たすけてね!」
れいむの声は届かなかった。
救援を求めた相手の頭脳は、接近する捕食者からの逃走で占拠されていた。もっとも、声
が届いたとしても無駄だっただろう。赤ゆはあまりにも非力であり、成体れいむを支える力
などありはしない。
「にげりゅんだじぇ!」
その残酷な宣告が一縷の望みを断ちきった。れいむの心の梁をへし折るには、その宣言だ
けで充分だった。水鏡にうつりこむれいむの顔に、絶望の色が差す。東へと逃げゆくまりさ
の背後で、ぽちゃんと音がして、夕焼けに水しぶきが舞った。ひとつの生命が消えさる瞬間
の光景としてはあまりにも間抜けで、あっけなかった。
そんな最期は許さないとばかりに、ゆっくりれいむの断末魔が茜色の空を切りさいた。
ということも、とくになかった。
れいむは苦しみの声を上げるまでもなく、一瞬にて川に呑まれていた。
しばらくごぼごぼと川面に気泡が湧きあがっていたのだが、それもまもなく止まった。
斜陽の差しこむ林の道を一匹の黒帽子が駆けぬけてゆく。
「にげりゅんだじぇ、にげりゅんだじぇ」
まりさは逃げつつも機を見て敵との距離を計っていた。いくら逃げても無駄だった。捕食
者との距離は広がるどころかあきらかに接近していた。
死にものぐるいの逃避行をつづけるまりさの視界のはしに、ぱちゅりーの姿が入ってきた。
目のまえに山と積まれていたはずのキノコは、残すところ一本となっていた。その一本を
仕分ければ、今日の労働は終了する。ところが、ぱちゅりーは口もとをへの字に曲げていて、
その目元はゆっくりとは思えないほどに鋭かった。見るまでもなく不機嫌だった。
理由は単純だった。
最後の一本は、これまで仕分けてきたありとあらゆるキノコなど及びもつかないくらい、
毒キノコ然としている。かさをいろどる緑色の斑点を皮切りに、じゅくじゅくと染み出す黒
い液体、吐き気がするほどの悪臭、ふてぶてしいほどの毒キノコだった。
「こんなものも みわけがつかないなんて……。ったく、つかえないわね、ちかごろのわか
いゆっくりは!」
ぱちゅりーは果敢にもその毒キノコを口にくわえると、右手の山に積むのではなく、前方
に吐き出した。その毒キノコの落下点に、赤ゆのまりさが飛びこんできた。
「ゆんっ!」
まりさは毒キノコをはねとばした。
絶妙の打ちどころといえた。キノコはまるで逆再生をするかのようにぱちゅりーの口へと
戻ってゆく。
「ふごっ……んぐっ」
吐き出したはずのキノコが軌道をなぞって戻ってくるなどと、だれが思うだろうか。しか
もキノコは口の中に戻ってきたばかりか喉の奥へと侵入していた。そしてぱちゅりーは反射
的にこれを呑み下してしまった。
「あ……」
吐き出さないと。と、思ったときにはもう遅い。
ぱちゅりーの体内クリームに毒素が染み出すまで、まばたきするほどの時間さえかからな
かった。みるみるうちに皮膚は黒ずみ、眼球は落ち込む。髪は滝のように抜けおちてゆく。
口と目とあにゃるとまむまむからは緑に濁ったクリームがこぼれてゆく。かすれゆく視界に、
黒く小さな突起が映り込んでいた。ぱちゅりーは最後の力を振り絞り、助けを乞うた。
「だず……げ……で」
薄れゆく意識が拾い上げたことばは、
「ゆーふぉーしゃん、まだくりゅんだじぇ、いじわりゅなんだじぇ!」
という、悲痛にいろどられた死刑宣告だった。
赤ゆの気配が遠のいてゆく。
「もっど……ゆっぎゅり……」
ぱちゅりーが溶けてゆく。あとに残されたのは、壮絶な死臭と黒ずむ皮膚と濁るクリーム
とが渾然一体となった、得体のしれない何かだった。
中央広場の近郊では、ありすが一日の作業を終えようとしていた。
「はあ。こんなものね」
ありすの眼下には、皿のようなものが置かれていた。木の葉と枝を組みあわせてこしらえ
たトイレである。これさえあれば、ゆっくりというゆっくりは快適なうんうんたいむを送れ
るはずだ。ありすは確かな手ごたえを感じていた。
そこに、涙涎尿まみれのまりさが急速接近してくる。ゆんやーゆんやーと、警報を発しな
がら。しかしありすは至高の品をうっとりとした目つきで眺めるばかりで、まりさの接近に
はまったく気付かなかった。
「ゆんっ!」
だから、作品をまもれなかった。まりさは逃走経路上に置かれていた作品を蹴りとばし、
蹴っただけではなく破壊してしまった。破壊者はそんなことはまったく気づかず、せっせと
逃げ去ってゆく。
「とかいはな といれが!」
ありすは悲鳴をあげた。
「……おちびちゃん! なんてことを! しんでね!」
ありすは目をぎらつかせて犯人に飛びかかる。ボディプレスでこれを潰そうとしたのだが、
わずかにはずれた。
「ゆゆん?」
まりさが風圧におされて転がった。
「……!」
仕損じたか。つぎは逃がさん。と思っていたありすの激怒が吹きとんだ。ありすは、作品
が破壊されたおりに散乱した工具を、盛大に踏みつけてしまっていた。釘が一本と木の枝が
三本、ふかぶかとあんよに突き刺さっている。
めまいを覚えるほどの激痛が全身をかけぬけた。ありすはのけぞった。その拍子に体内に
入りこんでいた木の枝が、内部で折れてしまった。こうなっては、もはや摘出する術はない。
生涯にわたり荒れる痛みと戦うほかない。ありすは豚のような鳴声をあげてのたうちまわっ
た。
転倒から快復したまりさは、空に叫んだ。
「ゆーふぉーしゃん! どっかいけー! このげしゅ! ゆんやー!」
そう吐き捨てると、中央広場へと逃げこんでいった。
背後から聞こえてくる絶叫など、意識のはしにものぼらなかった。
赤ゆのまりさが暮れなずむ円形広場に踊り出た。
刻一刻と、夜がさしせまってきている。そのためか広場にゆっくりの姿はなかった。
広場の中央にまで足をすすめると、つばを飲みくだし、
「しょろーり……しょろーり……」
と、ひとりごちつつ空をあおいだ。
ゆーふぉーがいた。
まりさは即座にうつ伏せになった。
「ゆんっ! やー! ゆんっ! やー! こっちくりゅなー! ゆんっ! やー!」
全身全霊を注入して繰り出される「ゆんやー」もむなしく、ゆーふぉーは非力のゆんやー
を嘲笑するように明滅しながら空を飛んでいた。
「おちびちゃん。どうしたんだぜ」
まりさは動きを止めた。威勢よく立ち上がったとき、その表情は百万の味方を獲得したよ
うな誇り高い顔つきに変じていた。
呼び声は父のものだった。
ちびのまりさに、恰幅のよい成体まりさが近づいてくる。帽子のつばには、「28」と刻
印された鋼のバッジが、残照をうけて怪しく輝いていた。まりさは父のそばに寄ってゆく。
「おとーしゃん!」
「おちびちゃん、どうして『ゆんやー』してたんだぜ?」
「ゆーふぉーしゃんを やっつけるんだじぇ!」
父まりさは、まごついた。
「ゆーふぉーさんって、なんなんだぜ。ゆっくり はなすんだぜ」
「ゆーふぉーしゃんは ゆーふぉーしゃんなんだじぇ! ゆっきゅり りかいしちぇね!」
冷静は激怒の燃料である。まりさは親の冷たい態度が頭にきていた。
「こたえになってないんだぜ」
「うるさいんだじぇ! いいから やっつけるんだじぇ。はやくしゅるんだじぇ」
親まりさはふかぶかと溜息をついた。
「……その、えっと、ゆーふぉーさん? どこにいるんだぜ?」
まりさは目をむいた。何を言っているのだろうか。おつむは大丈夫だろうか。お前の目は
節穴なのか。すぐそこにいるのに! わなわなと怒りにふるえるまりさの口から、金切り声
が発射された。
「おしょらに うかんでるんだじぇー!」
「おそらに……?」
親まりさは空を見渡した。
「そっちじゃないんだじぇーー!」
子の命令にしたがって、方角をかえた。
何もない。
いつもどおりの、澄みわたる空があるばかりだ。
本格的に夜がおりれば、満天の星空が拝めるだろう。
それはそうと、「ゆーふぉー」らしきものはどこにもいない。というよりも、そもそもゆ
ーふぉとは何たるかが分からないのだから、見つけようもない。
「……なにも いないんだぜ」
と、答えるしかなかった。
怒りのあまり、まりさの両眼が前方にせりだしてくる。
「いりゅんだじぇーーー! あしょこに! あしょこに いりゅんだじぇーーー!」
「……みえないんだぜ」
「みえりゅんだじぇーーー! どきょみてりゅんだじぇーーー!」
「……おちびちゃんと おなじところを みてるんだぜ。どこに いるんだぜ?」
「すぐしょこーーー! おしょりゃ とんでりゅんだじぇーーー! おしょらーーー!」
父まりさは、頭の深いところがずきずきと痛みだしていた。それでも分からないものは
分からない。
「……どこにいるんだぜ」
聞き分けのない親の言葉に、まりさの激怒と困惑は頂点に達した。
「……ゅ……ゅ……ゆ」
「おちびちゃん?」
まりさはあおむけになった。
そして、ゆっくりの一般的行動として研究者のあいだに膾炙しているうつ伏せ型ではなく、
レアケースとして知られる、あおむけ型の「ゆんやー」をはじめた。
「おとーしゃんが いじわりゅ しゅりゅんだじぇ! ゆんやー! ゆんやー!」
想定外の反応だった。
せいぜい、親を困らせようとわがままを言っているのだろう、くらいにしか思っていな
かった。だから、本気の嗚咽を目の当たりにして父まりさはすくなからず困惑した。
かれは大口を開けて舌を伸ばした。
「お……おちびちゃん、おくちにはいるんだぜ! ゆーふぉーさんからにげるんだぜ!」
「ゆんやー、ゆんやー!」
まりさはまったく動こうとしない。原因不明な「ゆんやー」を繰りかえしている。やむ
なく、父まりさは舌で子まりさをからめ取り、むりやり口の中に避難させた。
口を閉じると、泣き声がやんだ。
「おとーしゃんの おくちのなかは とっても ゆっきゅりできりゅんだじぇ~」
歌いだしそうなほどの朗らかな声が聞こえてきた。父まりさはようやく胸をなで下ろす。
「ゆーふぉーさんなんか かないっこないんだじぇ!」
さきほどまでのわめきぶりが嘘のようだった。
「ゆゆ~ん、いまごろ ゆーふぉーさんは くやちんでりゅんだじぇ~」
勝利宣言まで飛び出した。親まりさは、意味不明の癇癪が再発しないうちに寝かしつけて
しまおうと家路を急いだ。そのみちみち「ゆーふぉー」とは何なのか考えてみたが、見当さ
えつかなかった。
しかし、とにもかくにも子供がゆっくりしているようなので、細かいことは考えないこと
にした。寝ればなおるだろう、ぐらいの気持ちだった。親まりさにとっては、妄想じみた子
供の恐怖など正直なところどうでもよかった。それよりも、事故によって大けがを折ってし
まった職人のありすや、間違って毒キノコを食してしまったらしい仕分け人のぱちゅりー、
あるいは日が暮れつつあるのに一向にもどってこない隣人のれいむ、そしてそれらの悲劇を
招いた真因のほうが、はるかに気がかりだった。
草木の眠る丑三つ。
木の枝をたてかけて結界を張った木の股から、甲高い声がひびきわたった。
「まりしゃは はやおき なんだじぇ!」
宣言はむなしくも夜の虚空に吸い込まれてゆく。まりさは草編みのベッドから飛び降りる
と、両親の様子をうかがった。父まりさと母れいむは、ともに熟睡中だった。結界から差し
こむ月光が、ほのかにその肌を白く照らしている。
「おとーしゃん! まりしゃと あしょぶんだじぇ!」
「ゆぅ……すぅ……」
やすらかな寝息が返答だった。まりさは親まりさを起こそうと体当たりをかます。
「ゆっ、ゆっ」
なんどぶちかましてみても、まるで意味をなさなかった。睡魔は親まりさを籠絡したまま
離そうとしない。
「しゅーりしゅーり」
頬ずりもしてみた。あきらかな逆効果だった。親まりさは悦に入った笑みをうかべ、その
口もとから一筋の涎が顎をつたっていた。
「むのー……」
まりさは父まりさに軽蔑の目をむけると、標的を母親に変更した。
「おきゃーしゃん、まりしゃと あしょぶんだじぇ!」
精一杯の力をこめて叫んでみるが、起きる気配さえない。赤ゆの大声など、成体ゆっくり
の眠りをさまたげるには、役者不足もはなはだしい。
「ゆっ」
まりさは掛声とともにジャンプして、母れいむのもみあげにつかまった。正確な表現を期
すれば、口でもみあげを挟みこんだ。
勢いをつけて、ブランコ運動をはじめた。
「ゆゆ~ん、ゆゆ~ん」
「ゆゅ……」
母れいむは苦悶の吐息をもらした。それでも、まりさは遊戯をやめようとしない。
「ゆんっ!」
母れいむが寝返りをうった。
もみあげをしならせ、そこにぶら下がっている異物を振り落とそうとしたのだ。寝返子ま
りさはあっけなく吹き飛ばされた。てんてんと地面を転がり、壁にぶつかることでようやく
止まった。赤ゆには衝撃に耐えうるだけの生命力も防御力もない。が、質量もない。そのた
め、転がるだけではろくな打撃にならなかった。痛みなどあろうはずがない。しかし、起き
あがったまりさの目は、燃えさかるような黒い怒気をはらんでいた。
「まりしゃと あしょんでくれにゃい げしゅな おやは ちんでね!」
そう吐き捨てると、まりさは結界の隙間から外へと出た。
まりさの金髪は、あざやかな銀の光をからめとる。
「はぁー。……さみゅいんだじぇ~」
ひとつ身をふるわせて、まりさは中央広場へと向かった。
風のそよぐ広場の草むらは、にび色の月光に濡れて一片の舞台と化していた。
円形広場の中央に足を進める。
ふと、夜空を見上げた。
まりさの餡子脳から、心神がうしなわれた。
空には、おびただしい量のきらめきがあった。
赤く青く、強く弱く、大きく小さく、闇に没してはまたひらめく。
数えきれない量の輝きが、暗やみの天蓋に沸騰していた。
「……ゆーふぉー……しゃん……」
ゆーふぉーは、ただ明滅を繰りかえすばかりではない。
虚空に泳ぎ、這いずりまわり、暴れ、狂奔し、ふらついているかと思えば、彼方から彼方
へと一瞬のうちに跳躍する。秋の落葉のごとき混沌に彩色された饗宴が哄笑している。
「ゆ……ゆーふぉーしゃん……ひとちゅ……ふたちゅ……いっぴゃい……ゆひっ!?」
まりさの目が、空の一点にそそがれた。
そこに、あまりにも巨大なゆーふぉーがいた。
その大きさは、ほかのゆーふぉーたちとは比較にもならない。冷えびえとした光をひさぐ
銀球には、幽霊のようにかさがかかっている。天翔けるほかの小物たちはとはちがい、その
母艦だけは天空の一点に鎮座して、王のようにふるまっていた。
自信にみちる不動の構えが、まりさを威圧した。
「……ゆーふぉーしゃんの……どしゅ……」
まりさは慄然とした。
宇宙を遊泳するあれらの「ゆーふぉー」には、どれだけの「うちゅーじん」が棲んでいる
のだろうか。かれらはどれだけのゆっくりを欲するのだろうか。どれほど膨大な量の餡子を
すすれば、その食欲が満たされるのだろうか。この地上に棲息しているすべてのゆっくりを
供物として差し出したとして、かれらの飢餓は満ち足りるのだろうか。それほどのゆっくり
を殺したとして、いかほどの痛痒をおぼえるのだろう。
きっと。
世界のゆっくりを刈り取ったとしても、きっと……。
目じりに涙がたまる。
あにゃるが開く。
ちょろちょろと水を垂れ流しはじめた。
口は水揚げされた魚のように音もなく開閉をくりかえすばかり。
一本また一本と、金色の髪が抜けおちてゆく。
ぺにぺにが勃起して、その先端から透明な汁がしたたる。
これは、死を目前にしたがために子孫を残す本能が膨張したためだった。
「ゅ……ゅ……」
まりさは何もできないでいた。
戦うこと。あらがうこと。逃げること。助けを乞うこと。
それらすべてが、検討の俎上にさえものぼらなかった。
なんの意味があるのか。これだけ膨大な「ゆーふぉー」をまえにして、矛を取ってた
ちむかい、死ぬ気になって逃げ道を探し、薄くひきのばすように命を長引かせ、そして
最後にはうちゅーじんの腹におさまることに、なんの意味があるのだろうか。
と、そのような問いかけをおのれに課したかどうかは、神のみぞ知る。
ただひとつ確かなことは、
「ゆぐっ!」
くぐもった悲鳴とともに、その口から餡子を吐き散らしたことだった。
まりさは、あおむけに倒れた。
嘔吐した餡子の量は、あきらかに致死量を越えていた。
死がまりさの命を刈り取るべく黒い両手を伸ばしてくる。
生と死の闘争は、戦場と化したまりさに痙攣を強いた。
「ゆっ……ゅっ……」
何度も何度も、まりさの体が跳ねあがり、そのたびになけなしの餡子が吐き出される。
まりさの視界が、閃光に覆われてゆく。きらめきが大きくなってゆく。
こっちこないでね。
まりさをたべちゃだめなんだじぇ。
声なき祈りは届かない。
ついに視界は真っ白になった。
すべてが眠る真夜中に、侵略者にみとられて、一匹のまりさが静かに息を引き取った。
翌朝、まりさは変死体となって発見された。
その口もとには餡子があふれ、髪はごっそりと抜けおち、ぺにぺには萎れ、刮目し、
顔面は恐怖にゆがんでいた。その異様な死にざまは、発見者を失神させたほどだった。
母れいむは深く哀しみ、父まりさは高く激した。
「ゆーふぉー」
それが、我が子を死にいたらしめた犯人を探る、唯一の手がかりだった。
すぐさま犯人は知れた。ぱちゅりーだ。
17番のぱちゅりーは、色々なところにゆーふぉーを語っていた。
親まりさはぱちゅりーを糾弾した。
裁判を要求した。
有罪判決が降りて処刑が実行された。
「ぱちゅりーが、あのおちびちゃんをころすなんて ありえない」
そんな声も聞こえてきた。
しかし、異論は混乱にかき消された。
魚観察が趣味のれいむは行方不明。キノコ仕分けのぱちゅりーは変死。家具作りのありす
は再起不能の重体。群れは混乱を来たしていた。
正常な審判など、期待するだけむだだった。
その群れではこの日をもって、「ゆーふぉー」という言葉は禁忌となった。
「臨時報告書 No.52
××年××月××日
発 = 生態研究部第三チーム
宛 = 管理部/研究各部/経営部/広報部
問 = 御二井 三介(内線 ○○―△△△△)
以下要旨:
1.個体数変動報告票No.327に付き調査結果報告。
2.調査の結果、以下が判明。
(1)M32の死因は、過度の緊張による餡子の嘔吐過多。
M32は金星と星と満月をUFOと誤認、恐怖のあまり餡子を嘔吐し
死にいたったもの。
(2)UFOの情報源は、音声分析によりP17と判明。
なお、P17は先日、本チームのメンバーよりUFOの
情報を得ていたことを確認済み。
(3)本チームのメンバーが教えたUFOの具体的情報については、
宇宙人の乗り物というごく一般的に流布する言説であるが、
詳細については別紙添付、参照されたし。
3.所感
本観察結果については、ゆっくりの認知行動学上きわめて意義深いものと思料。
4.詳細に付き、後日、本会議にて報告予定。
以上」
(終わり)
××年××月××日
発 = 行動研究部第三チーム
宛 = 管理部/研究各部/経営部/広報部
問 = 御二井 三介(内線 ○○―△△△△)
以下要旨:
1.個体数変動 死亡2(群れ番号:25)
2.死亡個体詳細
(1)識別番号:M32
種類 :まりさ種
成長段階:赤
死亡場所:中央広場
死亡時刻:×月×日2時ごろ
死因 :極度の緊張による体内餡子の嘔吐。
緊張の原因については不明。調査中。
(2)識別番号:P17
種類 :ぱちゅりー種
成長段階:成
死亡場所:中央広場
死亡時刻:×月×日14時20分
死因 :制裁。
制裁原因:M32番の殺害。
M28(M32の親)による証言あり。
3.その他
(1)P17によるM32の殺害については確認得られず。
P17はM32と親密な関係にあり殺害動機に乏しい。
M32の死因については映像解析中。現時点では詳細不明。
死因判明次第、追って報告の予定。
(2)当該群れは干渉レベル4。
4.参考①
干渉レベル4:原則として、自然状態を保ちながらも、
資材の提供、一カ月に一回程度の人間との会話など、
群れの本質を乱さない程度の接触を継続する。
なお、観察のために大型動物は排除済み。
人間との不干渉状態にある農村周辺の群れを想定。
5.参考②
先般報告(R10、A20、P14の怪死)との因果関係は不明。調査中。
以上」
草という草が、春の匂いをかもしている。
その群れが集落をはっている林もまた、春の陽気に浴していた。その森林は、あらあら、
濃度が低かった。そのため地面はふんだんに光を摂取でき、ゆっくりに豊かな食べものを与
えることができた。
ところで、じゅうぶんな注意深さは樹木のこずえで無機質な目を光らせる監視カメラを発
見するだろう。あるいは、樹幹にしこまれた隠しマイクを見つけるかもしれない。はたまた、
鹿やイノシシといった大型動物の不在に、本能的な不気味さを感じることもあるだろう。
人間ならば、おちつかないこと、このうえない。
しかしながら、概して楽観的で低知能なゆっくりにそれだけの洞察を望むべくはない。ま
た、それらを発見したとしても意味がわかるはずもない。ゆえにこの群れのゆっくりたちは、
その空間が造られたゆっくりプレイスだということは露知らず、しかしその無知がために、
へたな警戒をすることもなく、ゆっくりが愛してやまない「ゆっくり」を享受することがで
きるのだった。
もっとも、日々の労働にせきたてられることはこの群れにおいても変わらない。
だが、すくなくとも、理不尽との戦いに明け暮れている都市住みのゆっくりが蓄積してき
た幸福の総量と、この静かな群れで生涯を閉じるゆっくりたちがつみかさねてきたそれとを、
天秤に載せれば、前者の器がはるかな高みに持ちあげられてしまうであろうことは、疑いよ
うもないことだった。
青空をうがつ太陽はすでに南中をすぎて西の空へとかたむきつつあり、円形広場の外縁に
植わっている木々は、東へとゆらめく影を投げかけていた。
そこは、群れの中央に位置している広場だった。その形は樹木によって正確な円形にふち
どられている。ゆっくりでなければ、たやすく人為を感じとるだろう。
広場の一角では赤ゆのまりさと成体のぱちゅりーが仲むつまじく会話していた。
赤ゆの小ぶりの黒帽子には「32」と刻印されたバッジが留められている。
一方のぱちゅりーの平坦な帽子にも金属片が見えるが、その数字は「17」と読めた。
まりさは、ぱちゅりーから話を聞くのが大好きだった。
知恵者の話題は多岐に及んだ。
あるときは血沸き肉踊る冒険譚であり、またあるときは血も凍るような恐怖物語である。
その種類は豊かであるが、共通しているのは、まりさにとってすこぶる魅力的だということ
だった。
このときも、まりさはぱちゅりーの語りに胸をふくらませ、、片言隻句も聞きもらすまい
と耳をそばだてていた。ところが、その耳が聞き慣れない単語を拾ったので、まりさの瞳は
困惑の色をうかべるのだった。
「ゆーふぉーしゃん?」
まりさは赤ゆ特有の吃音で、おうむ返しに言った。
「そう。ゆーふぉーさんよ」
「それって なんなんだじぇ? おいしーんだじぇ?」
つぶらな瞳できいてくるから、ぱちゅりーは吹きださざるをえない。
「ちがうわ。ゆーふぉーっていうのは、うちゅーじんさんのすぃーよ」
すぃー。
とは、運搬機の総称を意味するゆっくりの語彙だ。
蒸気機関車も手押しの一輪車も、ひとしく「すぃー」と呼称される。ゆっくりの認識力で
はそれが限界だった。もっともそれで不都合が生じることもない。
「うちゅーじんしゃん? おいしーんだじぇ?」
赤ゆの価値基準は、おおむね美味いものかそれ以外でしかない。そのあたりは、いまだに
ツガイを得ていないぱちゅりーも心得ている。
「たべられないわ。えっとね……そらをすんでいる、にんげんさんよ」
「にんげんしゃんは おそりゃ とばないんだじぇ!」
まりさは抗議した。
この群れは、わずかではあるが人間との接触があった。むしろ、人間と会話したことがな
いというゆっくりは絶無といえた。まりさの餡子脳に刻まれた人間とは、歩く動物であり、
空は飛ばない。
「にんげんのようなかたちを しているってだけよ。にんげんじゃない。うちゅーじんさん
はおそらにすんでいるの。おそらにすんでいて そらとぶすぃーで そらをあるくのよ。
ゆーふぉーさんは、そらをとぶ すぃーなのよ」
説明は、依然として漠としていた。
少なくとも、まりさに明瞭なイメージを与えるほどの説明力はもちえていない。
「そらとぶ すぃー……。おおきいんだじぇ?」
「とってもおおきいのよ」
「はやいんだじぇ?」
「ええ。ゆっくりよりも ずっとね」
「しゅごいんだじぇ!」
まりさは感嘆の雄叫びを発した。ゆっくりたちの「くーるなあんよ」を凌駕する足が存在
するということは、まりさの常識を根底からくつがえし、興味をそそった。
「どんなかたち してりゅんだじぇ?」
「うーん。ひらべったい……そうね、おちびちゃんの『たからもの』みたいなかたちね」
ぱちゅりーの言うところの「たからもの」とは、まりさの所有物のビーズのことをさして
いる。丸みを帯びており、透き通っていて、平べったい。糸を通すための穴も空いている。
「わかったんだじぇ!」
卑近なものを例に出すことで、漠然としていた「ゆーふぉー」の想像図に確かな輪郭線が
引かれ、まりさの「ゆーふぉー」は血液を獲得した。
「うちゅーじんさんに あいたいんだじぇ! ゆーふぉー みたいんだじぇ!」
「あいたい?」
「あいたいんだじぇ!」
「そう……」
愛くるしい懇願を見ているうちに、ぱちゅりーの胸中で嗜虐趣味が頭をもたげてきた。
ぱちゅりーは声をひそませて言った。
「うちゅーじんさんは ゆっくりをたべるのよ? それでも あいたい?」
「ゆ!」
まりさの笑顔が一瞬で凍りつく。
「ゆーふぉーさんで ちかづいてきて……」
「に、にげりゃれないんだじぇ……」
「ゆーふぉーさんのなかにつれこんで……」
「ゆぅ……ゆぅ……」
「……ゆっくりを。……ゆっくりたべるのよ」
「こわいんだじぇ……。ゆーふぉーしゃん、ゆっきゅりできないんだじぇ!」
まりさは、いまにも泣きだしそうなほどに顔をゆがめると、唐突にうつ伏せの姿勢をとり、
上半身を地面にうちつけはじめた。
「ゆんやー! ゆんやー!」
これは、ゆんやーと呼ばれている行動だ。この動作は感情のたかぶったときによく見られ
る。悲しいとき、嬉しいとき、怒ったときにも、まま見られる。果ては、抵抗の意志の表明
などにも使われることがある。ゆっくりにより使い分けがなされることもあり、ゆっくりを
象徴するおおざっぱな行動といえよう。
「あんしんしなさい。ゆーふぉーさんなんて めったにみかけないんだからね」
「ゆんやー……? そーなんだじぇ?」
まりさは「ゆんやー」を止めて、顔を上げた。ぱちゅりーは破顔している。
「ええ。だから、『あんっしんっ』しなさいね」
どれだけ凶悪な存在であっても遭遇しないのなら恐れるに足りない。それくらい、赤ゆの
頭脳でも「りかい」できる。しかも尊敬する知恵がゆーふぉーの無害を保証してくれている
のだから、何をかいわんやだ。もはやまりさに恐れるものは何もない。まりさは跳ねあがっ
て立ち上がり、意気揚々と宣言する。
「まりしゃは『あんっしんっ』したんだじぇ!」
ころころと変わる表情と動作に、ぱちゅりーも苦笑するしかない。
「おちびちゃん」
「ゆ?」
「たとえば、どくきのこさんとか、かわさんとか、とげさんとか……」
流れる水はゆっくりにとって暴君にひとしい。有毒茸を食べたがために天に召された同胞
は数知れない。あんよに棘が刺さって動けなくなったゆっくりを、まりさは知っている。
すべて、ゆっくりにとっては命にかかわる危険物だ。
「みんなゆっきゅりできないんだじぇ!」
「しかも、いっぱいいるわ。ゆーふぉーとはちがってね」
「あぶないんだじぇ……」
まりさは赤ゆなりに神妙な顔つきをする。
「おちびちゃんは、そっちにきをつけるべきよ」
「まりしゃ『りょうっかいっ』なんだじぇ!」
真昼が戻ってきたような晴れ晴れとした笑顔だった。ぱちゅりーもほほえんでいる。その
笑みの根源は、人間から聞きかじった知識を赤ゆへの教訓へと転じてみせたおのれの話術に
対する静かな満足であった。
「それじゃ おちびちゃん。わたしは かりに もどるわね」
「いってらっしゃい、なんだじぇ!」
陽気な送り言葉を受けたときにはすでに、ぱちゅりーの頭脳は明日の話題を練りはじめて
いた。もっとも、その話題が開陳される機会は、二重の意味において、永遠に巡ってこなか
ったのだが。
小さなとんがり帽子は、中央広場を後にして林の暗がりに溶けこんでいった。
ここでコロニーを俯瞰してみると、円形の中央広場から東西南北に伸びる四本の野道が発
している。この流れが目抜き通りの役目を果たしている。群れの構成員の住みかは、支流の
根もとに密集するかたちで、おおむね同心円状に広がっていた。
まりさは、西に蛇行する野道に入っていた。
目的地は特にない。色々なものを見てまわり経験を増すのが赤ゆの仕事だ。さまざまな体
験の蓄積が生存確率を上げるのは、ゆっくりといえども変わらない。さて、少しばかり野道
を行くと、まりさはありすを見つけた。野道に面して立ちつくしている大樹のふもとで、な
にやら作業にいそしんでいた。紅いカチューシャには「20」の文字が刻まれている。
まりさはありすの目のまえに踊り出て、腹の底から声をだして呼びかけた。
「ありしゅなんだじぇ!」
「ん……? あら、おちびちゃん。どーしたの?」
口にくわえていた木の枝を離して、ありすは小さな訪問者に向きなおる。
「ありしゅ なにやってりゅんだじぇ?」
「こーでぃねーと、よ」
そこは、ありすの露天工房だった。
足もとに置かれているハート型の大仰な葉っぱには、工具とおもわしき大小さまざまな木
の枝が陳列されている。もちろん、工具だけではなく材料もふんだんにとりそろえられてい
た。肉質のある葉っぱや、くすんだわら、雑草などだ。これらの材料にしかるべき細工をく
わえれば、草木は新たなる命を吹きこまれ、ベッドとなり、テーブルとなる。完成した家具
や雑貨は群れに納められ、ゆっくりの生活に資するところとなる。
それがありすが自らに課した使命であり、義務である。
ということを、なるべく噛みくだいて説明してやった。
まりさは目を輝かせて、
「ときゃいは~!」
と、ほめたたえた。
「もちろんよ。ありすはとかいはなのよ」
ありすは素っ気なく答えた。彼女には芸術家たる自負があった。赤ゆの褒貶など、歯牙に
もかけない。
「どーしてなんだじぇ? どーして ありしゅは ときゃいはなんだじぇ?」
自称芸術家の職人は返答につまった。深遠な問答を仕掛けられた哲学者のような、深刻な
目つきをした。少しばかり考えこんでから、ありすは答えをつむぎだした。
「そういうものなの。ありすはとかいはで、みんなを とかいはにする ぎむがあるの」
と、分かるような分からないような回答をよこした。
まりさにとっては、回答の内容そのものよりも、大人と会話が成立したこと自体がうれし
かった。
「ときゃいはなんだじぇ~……」
「……」
まりさは恍惚とした表情をうかべた。それほど心うちふるわせる答えだったとは思ってい
なかったから、ありすはいささか面食らってしまった。そして面食らわせたまりさは、職人
よりも工房に興味がうつりはじめていた。呆然とするありすをよそに、あちこち跳びはねて
は葉っぱを持ちあげたり小枝の山を見上げてほうけたりと、せわしない。
「ほら。あぶないわよ」
「ゆ?」
まりさのあんよが地面から離れた。ありすが赤ゆの金髪をすっとくわえて、持ちあげてい
た。そのまま工具が陳列されている葉っぱのうえに移動させ、
「くぎさん」
と、器用にも赤ゆをくわえこんだまま注意をうながした。なるほど、まりさの真下には鋭
く研がれた一本の釘が異形のかがやきを発している。
「ゆゆ! くぎしゃんは ゆっきゅりできにゃいんだじぇー! おりょせー!」
まりさを口からぶらさげたまま大樹の根もとから移動して、野道のまんなかに降ろしてや
った。
「ほら……。ここはあぶないわ。あっちであそんできなさい」
ありすは野道の奥へと目くばせした。
それは面倒だから追っ払ってしまいたいがゆえの適当なあしらいにしかすぎなかった。決
して良心から出たものではなかった。が、まりさの幼い餡子脳は他者の悪意に鈍感だ。聡明
で洗練されたありすが仕向けてくれたのだから、あちらには何か良いものがあるにちがいな
い。と、なんの疑問もなく思いこんだ。
「まりしゃ りょうかいなんだじぇ!」
無邪気な笑顔で宣言し、ありすに背を向けて、森の奥へと跳びはねていった。
黒帽子から解放されると、ありすは工具を口に持ち作業を再開した。
道行くまりさが次に遭遇したゆっくりは、成体のぱちゅりー種だった。
いつも仲良くしているぱちゅりーとは別ものだ。その証拠に、桃色帽子に留まるバッジに
は「17」ではなく、「14」と印字されている。数字の意味を汲むどころか数字の見分け
さえつかないゆっくりにとっては、無意味である。じっさい、かれらは気にも留めない。
まりさは道の外れに座っていたぱちゅりーの足もとに跳びはねてゆき、
「ぱちゅりーなんだじぇ!」
と、声をかけた。
「ええ。ぱちゅりーよ。みればわかるでしょ?」
森の知恵者は冷淡な態度で応えた。まりさには一瞥もくれない。
そのかわり、目のまえに積まれたキノコの山を、まるで親の仇であるかのように睨みつけ
ている。
「なにしちぇりゅんだじぇ?」
「たべられるものと そうでないものを しわけしているの。みればわかるでしょ?」
14番の目のまえと左右の合計三か所には、雑多なキノコが山積みされていた。
ぱちゅりーから見て左手に集まっているキノコは、おおむね素朴な色をしていて、たっぷ
りと肉がついており、見ているだけで食欲がそそられる。が、右手に積まれた茸の群れは、
赤地に紫の斑点がついた傘をつけていたり、黒い粘り気のある汁を滴らせていたり、かりに
無害であると分かっていても経口摂取をためらわれるような代物ばかりだった。
14番ぱちゅりーの任務は、仕分けだった。狩猟者が採取してきたキノコを食せるか、そ
うでないか峻別する。
「ぱちゅりーは しゅごいんだじぇ!」
まりさは心の底から褒めたたえたが、ぱちゅりーは眉ひとつうごかさなかった。
「こんなこと……。みんなできるわよ」
抑揚のない、しかしどこか棘のある口ぶりには、明らかに毒あるものキノコであってもキ
ノコと見ればこれを蒐集してしまう、狩猟担当者の度しがたい無能に対する積年の恨みがに
じみでていた。
ところが、赤ゆのまりさはいささかも動じることなく、知恵者の慧眼におもいつくかぎり
の称賛をならべたてるのだった。
「しゅごいんだじぇ、しゅごいんだじぇ、とってもとっても、しゅごいんだじぇっ」
赤ゆの語彙力としてはこのあたりが限界である。
14番ぱちゅりーは無表情を崩さない。
「おちびちゃん。すごいって いくらさけんだって だれも すごくならないわよ」
「しゅごいんだじぇっ!」
まったく聞いていなかった。ぱちゅりーは嘆息した。
「……おちびちゃん。おしごとのじゃまよ。ほら、あっちにでもいって、あそんできなさい」
そう言って、西へとつづく野道の先を、そのあごでしめした。これまた先ほどのありすと
おなじく、ていよくあしらっているに過ぎない。が、まりさもまた先ほどのありすのときと
おなじく、かってに善意と取り違えた。
「まりしゃ りょうっかいっなんだじぇ!」
誇らしげな表情で知恵者の提言を受け入れて、西へ西へと跳びはねてゆく。
樹木の影が、薄くなりはじめている。もうじき夕闇が訪れるだろう。
林を抜けると、そこには川のせせらぎがあった。
それは沢あるいは用水路とでも言うべき、幅のせまい水の流れでしかなかった。
しかし、河川はゆっくりにとっては牢獄の壁にもひとしい障害だ。ゆっくりはあまりにも
水に弱い。なにしろ小雨でさえも長く打たれれば致命傷となる。そのため、川幅や水かさの
高さは問題にさえなりえない。川は自動的にゆっくりの行動範囲の限界となる。
だが、まりさは案じなかった。なぜなら、その川には橋が架かっているからだ。流れの一
角にベニヤ板がかぶさっている。さらに四隅に据えられた石が、橋を地面に縫いつけていた。
「まりしゃは はしをわたるんだじぇ~。ゆゆ?」
橋のうえに成体のれいむがいた。
飾りには「10」とうがたれたバッジが光っている。
まりさはれいむの足もとに駆け寄った。
「れいみゅなんだじぇ!」
「……」
成体は答えなかった。一心に水面を見下ろしていて、微動だにしない。
「れいみゅなんだじぇ!」
「……」
またしても無反応を貫かれてしまい、まりさは眉をひそませる。
石化したゆっくりを振り向かせるべく、赤ゆのまりさは知恵を使った。
「ゆっきゅりしちぇいっちぇね!」
れいむは瞬発した。
「ゆっぐりじでいっでねえ!!!」
雷鳴のような大音声がほとばしった。ただ声がでかいだけではない。鬼神のような形相が
まりさの視界の大部分を占めたのだった。
「ゅゆ!」
赤ゆは思わず飛び退いた。驚きのあまりしーしーも少し噴射した。怒鳴り声に抗議しよう
としたが、れいむの方は早かった。
「……おちびちゃん。おどろかさないでね! いきなり こえかけないでね! きやすく
こえかけないでね! あっち いっててね! れいむは とっても いそがしーんだよ!
げすにかまってる ひまなんかないんだよ! だからはやくきえてね! むしろしんでね!
かきゅーてき すみやかに しんでね! ん? どーしたの? さっさとしね!」
速射砲のように叫び散らすと、またも川面へと意識と視線とを向けた。
まりさは、ふくれた。これほどにくそみそ扱いされたことは、いまだかつてなかった。
「れいみゅなんだじぇ……」
おずおずと口に出すと、
「うるせェンだよ!」
ゆっくりらしかざる暴言が戻ってきた。
さすがのまりさも怒りを表明した。
「れいみゅ! いーかげんに しゅりゅんだじぇ! こっちむくんだじぇー! まりしゃを
……まりしゃを……むちしゅりゅなー!」
その叫びは涙に濡れていた。痛々しいまでの哀願である。
が、れいむもさるもの。
「れいむは さかなさんを みてるんだよ! とってもとっても いそがしいんだよ!
それがわからない むのーなげすは あっちいってね!」
まるで意に介さず、見もせず、攻撃的態度で応戦した。この手の大人げのなさは、れいむ
種においては普遍的ではないが稀有でもない。ところが、そのような冷酷な態度をぶつけら
れて、まりさの意気は消沈するどころかあらぬ方向にたかぶった。
「さかなしゃん! まりしゃ さかなしゃん みたいんだじぇ!」
どうやら、魚類への興味のために怒りを忘れてしまったらしい。れいむと並んで川を見下
ろす。なるほど、魚がいる。うようよいる。平和そうに泳いでいる。それだけだ。ほかには
ない。なにもない。
「はー……。さかなしゃんなんだじぇ……。いっぱいいりゅんだじぇー……」
静かな時が流れる。平和な時間が過ぎてゆく。
だが、それも長くは続かなかった。静寂を打ち破ったのは、むろん、れいむではない。
「……あきたんだじぇ!」
と、まりさは笑って宣言した。
「だったらあっちいっててね! おちびちゃん うざいよ!」
「うざいまりしゃは あっちいくんだじぇー」
身をひるがえし、まりさは橋を渡って西へと向かった。
「さっさと、どっかいってね! くず! しね! はやくしね! きょうにでもしね!」
背中に罵声が浴びせかけられたが、その軽やかな足取りを見るに、まりさの餡子脳にどれ
だけ響いたかはうたがわしい。
川を渡ってしばらく西進すると、木々のまだらに植わるばかりの広漠とした空間に出た。
天地ともども、果てしない広がりを呈している。
まりさはそこで黄昏をむかえた。
西方に仰ぎ見る夕空は、血で染め抜いたような朱色で覆われていて一点の曇りもない。
斜陽にひたされる草むらの上には、黄金色のもやが浮かんでいる。風にゆられる輝く草は
さながら光が躍っているかのようだった。
天然がおりなす奇跡の演出に、まりさは純真な感動を覚え、圧倒されていた。
「しゅごいんだじぇ……」
まりさは惚けたように夕焼けを眺めている。
そのとき、草原を一陣の風が吹きぬけた。生温かい風がまりさのほおをなぶった。
「ゆ……」
まりさは目をつむった。春風は眠くなるほど心地よかった。
「……?」
うっとりとした表情で目をあけるまりさ。
そして、穏やかな快感は、冷たい困惑によって上書きされた。
上空に、まりさの前方斜め上に、なにかが浮かんでいた。
逢魔がときに遭遇したその異物は、丸みを帯び、冴えざえとした光でその身を武装し、明
滅を繰りかえしつつ意志あるように空にあそぶ。
赤ゆは、怪物を表現する手段をもっていた。
「ゆーふぉーしゃん!」
まりさは感激の叫びをあげた。しかしそのたかぶりは、すぐに沈んでいった。
「ゆーふぉー……」
ゆーふぉーとは、なにか。
それは「うちゅーじん」のすぃーだ。
では「うちゅーじん」とは何者か。
それは空に棲息している人間であり、ゆっくりを捕らえてゆっくりを……。
まりさは吠えた。
「きょわいんだじぇ! たべりゃれりゅんだじぇ、まりしゃは おいちくないんだじぇ!」
空に向かって咆哮する。しかし、空飛ぶ光は遠吠えを嘲笑うかのように悠然とまりさを見
下ろすばかりだ。まりさはこれを撃退する必要性にかられた。突然、うつ伏せの姿勢をとっ
た。体の前面をべったりと地面に押しつける。
「まりしゃは ちゅよいんだじぇ! あやまっちぇも おしょいんだじぇ!」
誇らしげな顔つきで、あろうことか「うちゅーじん」に宣戦布告した。
うつ伏せの体勢をたもったまま、きゅっと目をつむった。
そしてあんよを持ちあげ、地面を叩いた。
その反動を利用して またもあんよを高々とかかげ、また打ちつける。
この動作をくりかえす。
「ゆんやー、ゆんやー」
何度も何度も、全力で叩きつける。
「ゆんやー、ゆんやー」
ぺちぺちと情けない音が夕闇に響く。
「ゆんっや~♪ ゆんっや~♪」
愉しげだ。やっているうちにだんだんと楽しくなってきたらしい。
動作が変化した。
今度はあんよを固定したまま、上半身を打ちつけはじめた。
「ゆんっや~♪ ゆんっや~♪ ゆんっや~、ゆんっや~……」
疲れたのか、やがて伏したまま動かなくなった。
まりさは震えていた。
その理由は、まりさの脳裏には「ゆんやー」に恐れをなして逃げまどうゆーふぉーの姿が
展開されているから。約束された勝利を確かめるべく、
「……チラッ♪」
片目を開け放ち、西の空を見た。
そこに飛行を続ける「ゆーふぉー」を発見し、飛びあがっておどろいた。
「まだいりゅんだじぇー! ゆんやーなのにー!」
全力の「ゆんやー」がまるで効果をなしていない! まりさは抵抗意志を剥奪された。
「にげりゅんだじぇ!」
三十六計逃げるにしかず。西方に背を向けて、全力で駆けはじめた。
「ゆんっ、ゆんっ」
夕暮れの垂れこめる林の道を、無我夢中で駆け抜けた。しばらく逃走したところで、足を
止めた。おそるおそる振り返る。
ゆーふぉーとの距離は、いささかも縮まっていなかった。
悲痛な声が林の静寂をうちこわす。
まりさは恐怖に打ちのめされた。
まりさには、足の速さに絶対的な自信を置いていた。
この小さな黒帽子は、じぶんの足が「しじょうさいそく」で「わんだほー」な「くーるな
あんよ」だと信じて疑わない。ところがここにいたり、その自信はゆーふぉーの接近によっ
て木っ端みじんに粉砕された。黄金のあんよをもってしても逃げきれない相手が、空に浮か
んでいて、餡子をすすろうと舌なめずりをしている。
恐慌状態におちいった。
「ぎょわいー!」
涙としーしーをまき散らして、夕暮れの野道を駆けてゆく。
野道をまりさがまかりとおる。来た道を戻っている。
すぐに川が近づいてきた。
橋の上では、夕日を浴びて黄金色に染まるゆっくりれいむが、黙然と魚の観察をつづけて
いた。迫りくる逃亡者の存在にさえまるで気づいていなかったのだから、見上げた集中力と
いえた。結論から言えば、この集中力がれいむを殺した。
「ゆんやー」
赤ゆが橋に乗った。そして、れいむの背後を駆け抜けようとした。
「ゆんやっ!」
ところが背中を過ぎ去ろうとしたそのとき、まりさの左側面がれいむの背中に激突した。
「ゆ!」
赤ゆの体当たりだ。衝撃のほどは、たかがしれている。しかし、川面を観察するために
前のめりになっていたうえに、意識も一点に集中ている状態で奇襲を受けたとなれば、話は
別だ。完全に、バランスを崩された。
「ゆ、ゆ、ゆ!」
ぐらりと、れいむの体が前へとかたむく。
「ゆ~~!」
落下を止めるべく歯を食いしばってあんよに全力をこめた。が、しょせんは無駄な努力と
いえた。すでに重心が水面の上に移動してしまっている。重力にはあらがえない。水面に映
るじぶんの影が、みるまに大きくなってゆく。
れいむの背後で声がした。
「ゆーふぉしゃん ついてきちゃ だめなんだじぇー!」
その声のもちぬしは、ベニヤ板の中央で――すなわちれいむのすぐ後ろで――足をとめて
いた32番まりさである。れいむは赤ゆの非力もかえりみず、悲痛な声で助けをもとめた。
「たすけてね!」
れいむの声は届かなかった。
救援を求めた相手の頭脳は、接近する捕食者からの逃走で占拠されていた。もっとも、声
が届いたとしても無駄だっただろう。赤ゆはあまりにも非力であり、成体れいむを支える力
などありはしない。
「にげりゅんだじぇ!」
その残酷な宣告が一縷の望みを断ちきった。れいむの心の梁をへし折るには、その宣言だ
けで充分だった。水鏡にうつりこむれいむの顔に、絶望の色が差す。東へと逃げゆくまりさ
の背後で、ぽちゃんと音がして、夕焼けに水しぶきが舞った。ひとつの生命が消えさる瞬間
の光景としてはあまりにも間抜けで、あっけなかった。
そんな最期は許さないとばかりに、ゆっくりれいむの断末魔が茜色の空を切りさいた。
ということも、とくになかった。
れいむは苦しみの声を上げるまでもなく、一瞬にて川に呑まれていた。
しばらくごぼごぼと川面に気泡が湧きあがっていたのだが、それもまもなく止まった。
斜陽の差しこむ林の道を一匹の黒帽子が駆けぬけてゆく。
「にげりゅんだじぇ、にげりゅんだじぇ」
まりさは逃げつつも機を見て敵との距離を計っていた。いくら逃げても無駄だった。捕食
者との距離は広がるどころかあきらかに接近していた。
死にものぐるいの逃避行をつづけるまりさの視界のはしに、ぱちゅりーの姿が入ってきた。
目のまえに山と積まれていたはずのキノコは、残すところ一本となっていた。その一本を
仕分ければ、今日の労働は終了する。ところが、ぱちゅりーは口もとをへの字に曲げていて、
その目元はゆっくりとは思えないほどに鋭かった。見るまでもなく不機嫌だった。
理由は単純だった。
最後の一本は、これまで仕分けてきたありとあらゆるキノコなど及びもつかないくらい、
毒キノコ然としている。かさをいろどる緑色の斑点を皮切りに、じゅくじゅくと染み出す黒
い液体、吐き気がするほどの悪臭、ふてぶてしいほどの毒キノコだった。
「こんなものも みわけがつかないなんて……。ったく、つかえないわね、ちかごろのわか
いゆっくりは!」
ぱちゅりーは果敢にもその毒キノコを口にくわえると、右手の山に積むのではなく、前方
に吐き出した。その毒キノコの落下点に、赤ゆのまりさが飛びこんできた。
「ゆんっ!」
まりさは毒キノコをはねとばした。
絶妙の打ちどころといえた。キノコはまるで逆再生をするかのようにぱちゅりーの口へと
戻ってゆく。
「ふごっ……んぐっ」
吐き出したはずのキノコが軌道をなぞって戻ってくるなどと、だれが思うだろうか。しか
もキノコは口の中に戻ってきたばかりか喉の奥へと侵入していた。そしてぱちゅりーは反射
的にこれを呑み下してしまった。
「あ……」
吐き出さないと。と、思ったときにはもう遅い。
ぱちゅりーの体内クリームに毒素が染み出すまで、まばたきするほどの時間さえかからな
かった。みるみるうちに皮膚は黒ずみ、眼球は落ち込む。髪は滝のように抜けおちてゆく。
口と目とあにゃるとまむまむからは緑に濁ったクリームがこぼれてゆく。かすれゆく視界に、
黒く小さな突起が映り込んでいた。ぱちゅりーは最後の力を振り絞り、助けを乞うた。
「だず……げ……で」
薄れゆく意識が拾い上げたことばは、
「ゆーふぉーしゃん、まだくりゅんだじぇ、いじわりゅなんだじぇ!」
という、悲痛にいろどられた死刑宣告だった。
赤ゆの気配が遠のいてゆく。
「もっど……ゆっぎゅり……」
ぱちゅりーが溶けてゆく。あとに残されたのは、壮絶な死臭と黒ずむ皮膚と濁るクリーム
とが渾然一体となった、得体のしれない何かだった。
中央広場の近郊では、ありすが一日の作業を終えようとしていた。
「はあ。こんなものね」
ありすの眼下には、皿のようなものが置かれていた。木の葉と枝を組みあわせてこしらえ
たトイレである。これさえあれば、ゆっくりというゆっくりは快適なうんうんたいむを送れ
るはずだ。ありすは確かな手ごたえを感じていた。
そこに、涙涎尿まみれのまりさが急速接近してくる。ゆんやーゆんやーと、警報を発しな
がら。しかしありすは至高の品をうっとりとした目つきで眺めるばかりで、まりさの接近に
はまったく気付かなかった。
「ゆんっ!」
だから、作品をまもれなかった。まりさは逃走経路上に置かれていた作品を蹴りとばし、
蹴っただけではなく破壊してしまった。破壊者はそんなことはまったく気づかず、せっせと
逃げ去ってゆく。
「とかいはな といれが!」
ありすは悲鳴をあげた。
「……おちびちゃん! なんてことを! しんでね!」
ありすは目をぎらつかせて犯人に飛びかかる。ボディプレスでこれを潰そうとしたのだが、
わずかにはずれた。
「ゆゆん?」
まりさが風圧におされて転がった。
「……!」
仕損じたか。つぎは逃がさん。と思っていたありすの激怒が吹きとんだ。ありすは、作品
が破壊されたおりに散乱した工具を、盛大に踏みつけてしまっていた。釘が一本と木の枝が
三本、ふかぶかとあんよに突き刺さっている。
めまいを覚えるほどの激痛が全身をかけぬけた。ありすはのけぞった。その拍子に体内に
入りこんでいた木の枝が、内部で折れてしまった。こうなっては、もはや摘出する術はない。
生涯にわたり荒れる痛みと戦うほかない。ありすは豚のような鳴声をあげてのたうちまわっ
た。
転倒から快復したまりさは、空に叫んだ。
「ゆーふぉーしゃん! どっかいけー! このげしゅ! ゆんやー!」
そう吐き捨てると、中央広場へと逃げこんでいった。
背後から聞こえてくる絶叫など、意識のはしにものぼらなかった。
赤ゆのまりさが暮れなずむ円形広場に踊り出た。
刻一刻と、夜がさしせまってきている。そのためか広場にゆっくりの姿はなかった。
広場の中央にまで足をすすめると、つばを飲みくだし、
「しょろーり……しょろーり……」
と、ひとりごちつつ空をあおいだ。
ゆーふぉーがいた。
まりさは即座にうつ伏せになった。
「ゆんっ! やー! ゆんっ! やー! こっちくりゅなー! ゆんっ! やー!」
全身全霊を注入して繰り出される「ゆんやー」もむなしく、ゆーふぉーは非力のゆんやー
を嘲笑するように明滅しながら空を飛んでいた。
「おちびちゃん。どうしたんだぜ」
まりさは動きを止めた。威勢よく立ち上がったとき、その表情は百万の味方を獲得したよ
うな誇り高い顔つきに変じていた。
呼び声は父のものだった。
ちびのまりさに、恰幅のよい成体まりさが近づいてくる。帽子のつばには、「28」と刻
印された鋼のバッジが、残照をうけて怪しく輝いていた。まりさは父のそばに寄ってゆく。
「おとーしゃん!」
「おちびちゃん、どうして『ゆんやー』してたんだぜ?」
「ゆーふぉーしゃんを やっつけるんだじぇ!」
父まりさは、まごついた。
「ゆーふぉーさんって、なんなんだぜ。ゆっくり はなすんだぜ」
「ゆーふぉーしゃんは ゆーふぉーしゃんなんだじぇ! ゆっきゅり りかいしちぇね!」
冷静は激怒の燃料である。まりさは親の冷たい態度が頭にきていた。
「こたえになってないんだぜ」
「うるさいんだじぇ! いいから やっつけるんだじぇ。はやくしゅるんだじぇ」
親まりさはふかぶかと溜息をついた。
「……その、えっと、ゆーふぉーさん? どこにいるんだぜ?」
まりさは目をむいた。何を言っているのだろうか。おつむは大丈夫だろうか。お前の目は
節穴なのか。すぐそこにいるのに! わなわなと怒りにふるえるまりさの口から、金切り声
が発射された。
「おしょらに うかんでるんだじぇー!」
「おそらに……?」
親まりさは空を見渡した。
「そっちじゃないんだじぇーー!」
子の命令にしたがって、方角をかえた。
何もない。
いつもどおりの、澄みわたる空があるばかりだ。
本格的に夜がおりれば、満天の星空が拝めるだろう。
それはそうと、「ゆーふぉー」らしきものはどこにもいない。というよりも、そもそもゆ
ーふぉとは何たるかが分からないのだから、見つけようもない。
「……なにも いないんだぜ」
と、答えるしかなかった。
怒りのあまり、まりさの両眼が前方にせりだしてくる。
「いりゅんだじぇーーー! あしょこに! あしょこに いりゅんだじぇーーー!」
「……みえないんだぜ」
「みえりゅんだじぇーーー! どきょみてりゅんだじぇーーー!」
「……おちびちゃんと おなじところを みてるんだぜ。どこに いるんだぜ?」
「すぐしょこーーー! おしょりゃ とんでりゅんだじぇーーー! おしょらーーー!」
父まりさは、頭の深いところがずきずきと痛みだしていた。それでも分からないものは
分からない。
「……どこにいるんだぜ」
聞き分けのない親の言葉に、まりさの激怒と困惑は頂点に達した。
「……ゅ……ゅ……ゆ」
「おちびちゃん?」
まりさはあおむけになった。
そして、ゆっくりの一般的行動として研究者のあいだに膾炙しているうつ伏せ型ではなく、
レアケースとして知られる、あおむけ型の「ゆんやー」をはじめた。
「おとーしゃんが いじわりゅ しゅりゅんだじぇ! ゆんやー! ゆんやー!」
想定外の反応だった。
せいぜい、親を困らせようとわがままを言っているのだろう、くらいにしか思っていな
かった。だから、本気の嗚咽を目の当たりにして父まりさはすくなからず困惑した。
かれは大口を開けて舌を伸ばした。
「お……おちびちゃん、おくちにはいるんだぜ! ゆーふぉーさんからにげるんだぜ!」
「ゆんやー、ゆんやー!」
まりさはまったく動こうとしない。原因不明な「ゆんやー」を繰りかえしている。やむ
なく、父まりさは舌で子まりさをからめ取り、むりやり口の中に避難させた。
口を閉じると、泣き声がやんだ。
「おとーしゃんの おくちのなかは とっても ゆっきゅりできりゅんだじぇ~」
歌いだしそうなほどの朗らかな声が聞こえてきた。父まりさはようやく胸をなで下ろす。
「ゆーふぉーさんなんか かないっこないんだじぇ!」
さきほどまでのわめきぶりが嘘のようだった。
「ゆゆ~ん、いまごろ ゆーふぉーさんは くやちんでりゅんだじぇ~」
勝利宣言まで飛び出した。親まりさは、意味不明の癇癪が再発しないうちに寝かしつけて
しまおうと家路を急いだ。そのみちみち「ゆーふぉー」とは何なのか考えてみたが、見当さ
えつかなかった。
しかし、とにもかくにも子供がゆっくりしているようなので、細かいことは考えないこと
にした。寝ればなおるだろう、ぐらいの気持ちだった。親まりさにとっては、妄想じみた子
供の恐怖など正直なところどうでもよかった。それよりも、事故によって大けがを折ってし
まった職人のありすや、間違って毒キノコを食してしまったらしい仕分け人のぱちゅりー、
あるいは日が暮れつつあるのに一向にもどってこない隣人のれいむ、そしてそれらの悲劇を
招いた真因のほうが、はるかに気がかりだった。
草木の眠る丑三つ。
木の枝をたてかけて結界を張った木の股から、甲高い声がひびきわたった。
「まりしゃは はやおき なんだじぇ!」
宣言はむなしくも夜の虚空に吸い込まれてゆく。まりさは草編みのベッドから飛び降りる
と、両親の様子をうかがった。父まりさと母れいむは、ともに熟睡中だった。結界から差し
こむ月光が、ほのかにその肌を白く照らしている。
「おとーしゃん! まりしゃと あしょぶんだじぇ!」
「ゆぅ……すぅ……」
やすらかな寝息が返答だった。まりさは親まりさを起こそうと体当たりをかます。
「ゆっ、ゆっ」
なんどぶちかましてみても、まるで意味をなさなかった。睡魔は親まりさを籠絡したまま
離そうとしない。
「しゅーりしゅーり」
頬ずりもしてみた。あきらかな逆効果だった。親まりさは悦に入った笑みをうかべ、その
口もとから一筋の涎が顎をつたっていた。
「むのー……」
まりさは父まりさに軽蔑の目をむけると、標的を母親に変更した。
「おきゃーしゃん、まりしゃと あしょぶんだじぇ!」
精一杯の力をこめて叫んでみるが、起きる気配さえない。赤ゆの大声など、成体ゆっくり
の眠りをさまたげるには、役者不足もはなはだしい。
「ゆっ」
まりさは掛声とともにジャンプして、母れいむのもみあげにつかまった。正確な表現を期
すれば、口でもみあげを挟みこんだ。
勢いをつけて、ブランコ運動をはじめた。
「ゆゆ~ん、ゆゆ~ん」
「ゆゅ……」
母れいむは苦悶の吐息をもらした。それでも、まりさは遊戯をやめようとしない。
「ゆんっ!」
母れいむが寝返りをうった。
もみあげをしならせ、そこにぶら下がっている異物を振り落とそうとしたのだ。寝返子ま
りさはあっけなく吹き飛ばされた。てんてんと地面を転がり、壁にぶつかることでようやく
止まった。赤ゆには衝撃に耐えうるだけの生命力も防御力もない。が、質量もない。そのた
め、転がるだけではろくな打撃にならなかった。痛みなどあろうはずがない。しかし、起き
あがったまりさの目は、燃えさかるような黒い怒気をはらんでいた。
「まりしゃと あしょんでくれにゃい げしゅな おやは ちんでね!」
そう吐き捨てると、まりさは結界の隙間から外へと出た。
まりさの金髪は、あざやかな銀の光をからめとる。
「はぁー。……さみゅいんだじぇ~」
ひとつ身をふるわせて、まりさは中央広場へと向かった。
風のそよぐ広場の草むらは、にび色の月光に濡れて一片の舞台と化していた。
円形広場の中央に足を進める。
ふと、夜空を見上げた。
まりさの餡子脳から、心神がうしなわれた。
空には、おびただしい量のきらめきがあった。
赤く青く、強く弱く、大きく小さく、闇に没してはまたひらめく。
数えきれない量の輝きが、暗やみの天蓋に沸騰していた。
「……ゆーふぉー……しゃん……」
ゆーふぉーは、ただ明滅を繰りかえすばかりではない。
虚空に泳ぎ、這いずりまわり、暴れ、狂奔し、ふらついているかと思えば、彼方から彼方
へと一瞬のうちに跳躍する。秋の落葉のごとき混沌に彩色された饗宴が哄笑している。
「ゆ……ゆーふぉーしゃん……ひとちゅ……ふたちゅ……いっぴゃい……ゆひっ!?」
まりさの目が、空の一点にそそがれた。
そこに、あまりにも巨大なゆーふぉーがいた。
その大きさは、ほかのゆーふぉーたちとは比較にもならない。冷えびえとした光をひさぐ
銀球には、幽霊のようにかさがかかっている。天翔けるほかの小物たちはとはちがい、その
母艦だけは天空の一点に鎮座して、王のようにふるまっていた。
自信にみちる不動の構えが、まりさを威圧した。
「……ゆーふぉーしゃんの……どしゅ……」
まりさは慄然とした。
宇宙を遊泳するあれらの「ゆーふぉー」には、どれだけの「うちゅーじん」が棲んでいる
のだろうか。かれらはどれだけのゆっくりを欲するのだろうか。どれほど膨大な量の餡子を
すすれば、その食欲が満たされるのだろうか。この地上に棲息しているすべてのゆっくりを
供物として差し出したとして、かれらの飢餓は満ち足りるのだろうか。それほどのゆっくり
を殺したとして、いかほどの痛痒をおぼえるのだろう。
きっと。
世界のゆっくりを刈り取ったとしても、きっと……。
目じりに涙がたまる。
あにゃるが開く。
ちょろちょろと水を垂れ流しはじめた。
口は水揚げされた魚のように音もなく開閉をくりかえすばかり。
一本また一本と、金色の髪が抜けおちてゆく。
ぺにぺにが勃起して、その先端から透明な汁がしたたる。
これは、死を目前にしたがために子孫を残す本能が膨張したためだった。
「ゅ……ゅ……」
まりさは何もできないでいた。
戦うこと。あらがうこと。逃げること。助けを乞うこと。
それらすべてが、検討の俎上にさえものぼらなかった。
なんの意味があるのか。これだけ膨大な「ゆーふぉー」をまえにして、矛を取ってた
ちむかい、死ぬ気になって逃げ道を探し、薄くひきのばすように命を長引かせ、そして
最後にはうちゅーじんの腹におさまることに、なんの意味があるのだろうか。
と、そのような問いかけをおのれに課したかどうかは、神のみぞ知る。
ただひとつ確かなことは、
「ゆぐっ!」
くぐもった悲鳴とともに、その口から餡子を吐き散らしたことだった。
まりさは、あおむけに倒れた。
嘔吐した餡子の量は、あきらかに致死量を越えていた。
死がまりさの命を刈り取るべく黒い両手を伸ばしてくる。
生と死の闘争は、戦場と化したまりさに痙攣を強いた。
「ゆっ……ゅっ……」
何度も何度も、まりさの体が跳ねあがり、そのたびになけなしの餡子が吐き出される。
まりさの視界が、閃光に覆われてゆく。きらめきが大きくなってゆく。
こっちこないでね。
まりさをたべちゃだめなんだじぇ。
声なき祈りは届かない。
ついに視界は真っ白になった。
すべてが眠る真夜中に、侵略者にみとられて、一匹のまりさが静かに息を引き取った。
翌朝、まりさは変死体となって発見された。
その口もとには餡子があふれ、髪はごっそりと抜けおち、ぺにぺには萎れ、刮目し、
顔面は恐怖にゆがんでいた。その異様な死にざまは、発見者を失神させたほどだった。
母れいむは深く哀しみ、父まりさは高く激した。
「ゆーふぉー」
それが、我が子を死にいたらしめた犯人を探る、唯一の手がかりだった。
すぐさま犯人は知れた。ぱちゅりーだ。
17番のぱちゅりーは、色々なところにゆーふぉーを語っていた。
親まりさはぱちゅりーを糾弾した。
裁判を要求した。
有罪判決が降りて処刑が実行された。
「ぱちゅりーが、あのおちびちゃんをころすなんて ありえない」
そんな声も聞こえてきた。
しかし、異論は混乱にかき消された。
魚観察が趣味のれいむは行方不明。キノコ仕分けのぱちゅりーは変死。家具作りのありす
は再起不能の重体。群れは混乱を来たしていた。
正常な審判など、期待するだけむだだった。
その群れではこの日をもって、「ゆーふぉー」という言葉は禁忌となった。
「臨時報告書 No.52
××年××月××日
発 = 生態研究部第三チーム
宛 = 管理部/研究各部/経営部/広報部
問 = 御二井 三介(内線 ○○―△△△△)
以下要旨:
1.個体数変動報告票No.327に付き調査結果報告。
2.調査の結果、以下が判明。
(1)M32の死因は、過度の緊張による餡子の嘔吐過多。
M32は金星と星と満月をUFOと誤認、恐怖のあまり餡子を嘔吐し
死にいたったもの。
(2)UFOの情報源は、音声分析によりP17と判明。
なお、P17は先日、本チームのメンバーよりUFOの
情報を得ていたことを確認済み。
(3)本チームのメンバーが教えたUFOの具体的情報については、
宇宙人の乗り物というごく一般的に流布する言説であるが、
詳細については別紙添付、参照されたし。
3.所感
本観察結果については、ゆっくりの認知行動学上きわめて意義深いものと思料。
4.詳細に付き、後日、本会議にて報告予定。
以上」
(終わり)