ふたば系ゆっくりいじめSS@ WIKIミラー
anko3853 3・小僧_前
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ankoss
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『3・小僧_前』 53KB
制裁 実験 同族殺し 加工場 独自設定 人間複数登場
【小僧、少しだけ前を向くのこと】
※
現代社会をベースに、ゆっくり達が「奇妙な新種」として実在する世界だと思ってください。
ノリとしては、ヤンバルクイナ等々の新種発見ブームが一段落した後みたいな感じです。
なお、ヤンバルクイナをゆっくりと同列に語ってるわけではありません。その点は誤解しないでください。
※
anko1323 1・学者
anko1324 2・先輩
今作 3・小僧(前&後)
と、連続しています。
どこから読んでも、それほど問題ないようにしようと努めたつもりです。
※
設定に違和感を憶える場合もあるかと思いますが
「ああ、こういう世界なのね」と大らかな気持ちで見てくだされば幸いです。
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しくじった。
ゆっくりを、潰してしまったんだ。
そこらにいる野良ゆっくりを潰したわけじゃない。俺のバイト先である、研究所で飼育
してるのを、ついやっちまったんだ。
一応は断っておくけど、「ゆっくり」ってのは今や珍しくもなんともない、動く不細工
饅頭のことだ。
発見されたばかりの頃は、ほとんど無条件に持て囃されてたらしい。こんなどうしよう
もない、饅頭の出来損ないが、さ。
でも、どこにでも居やがる上に、迷惑なことを山ほどしでかして、たいていは不細工で、
泣きわめき方が大袈裟で、物覚えも悪いし態度も悪いし……よっぽどの物好きくらいしか
もう可愛がったりしないだろう。
ただ、饅頭のくせに生物のように動くっていうんだから、不思議の塊なんだろう。だか
ら、その饅頭の出来損ないを研究するところも、世の中にはある。
その研究してるところの一つが、東京特定生物研究所……通称「加工所」で、俺のバイ
ト先。
……なんだけど、やっぱクビになっちゃうのかなぁ……
今、俺はその応接室にあるソファーに座らされている。向かいには、研究所の所長と、
研究部門を取り仕切っている主任が、難しい顔で座っていて……
「誤って潰した……というわけでも、ないようですね」
主任が、つまらなさそうに言う。
ちょっとキツめだけど、結構いい女だ。メガネも白衣もよく似合う、絵に描いたような
才女。この人目当てにバイトの面接に来て、落ちたヤツを三人ほど知っている。
「あのぉ……ね? 承知してるとは思うけど、ゆっくりはただ飼ってるわけじゃないんだ。
ないんですよ? なんというのかなぁ? 備品というか、財産というか……」
「わ、わかっているつもりです。でも、ゆっくり達の教育も、仕事の内ですし……確かに、
多少やりすぎたとは自分でも思いますが、でも……」
所長が、笑ってるんだか困ってるんだか微妙な表情で言いかける説明を、遮るようにし
て俺も言い訳を口にする。
俺だって、せっかくのバイトをクビになりたくないし、どうせならここで働き続けたい
と思っている。
ゆっくり共にはイライラさせられっぱなしだが、それでも研究だの実験だので弄くり回
され悲鳴を上げるアイツらを見ることも出来るし、時にはゆっくりの「処分」を手伝わせ
て貰えることもある。
もしかしたら、実験そのものを手伝わせて貰える日だって、来ないとも限らないんだ。
『ごはん はこびの どれいは、さっさと まりささまに、あまあまをたくさん はこんでく
ればぶれびゅばっ!? なっ、なにするんだずべるば!? ぶびゅ! ぶぶびゅばっ!』
「あ~……えっと……た、多少というか、つい、その……感情的になってというか……」
監視カメラがしっかりと捕らえて記録していたらしい、つい先ほどの様子──俺が我慢
の限界に達して、ゆっくりを文字通り死ぬほど蹴り転がした様子、しかも音声付き──に、
言い訳もつい尻すぼみになってしまう。
「……どうせ潰してしまうのなら、ジワジワと踏むなどして欲しかったですね」
その映像を何度も何度も見ていた男が、妙なことをポツリと呟いた。
「癇癪を起こして、飼育しているものを殺傷したことに違いないから、どちらにせよ問題
だよ? 問題でしょう。ゆっくり達も、タダじゃないんだから」
所長が、もっともなことを言う。
ゆっくりを……というか、会社の備品を勝手に壊したバイトを、クビにするかどうかと
いうときに、壊し方に文句を付けるというのは変だろう。
いや、仮にクビにされないんだとしても、所長が言うとおり潰してしまったことには違
いないんだし……
「もし踏み潰していたら……なにか、参考になったんですか?」
ところが、主任は興味があるらしい。男の方へ向き直って、いくらか柔らかい声で質問
している。俺に対してはあんなに冷たい声だったのに。
「限界値のサンプルです。打撃は、ある意味では再現しやすいでしょう。同じ傷をゆっく
りが負っていくようにすればいいのですから。ただ、実際の数値は取りにくい。再現した
つもりでも、ダメージの正確な蓄積値を算出するためには、複数の試行と統計化が必要だ
と思います。一試行の再現のために、複数回の、です」
よくわからないことを、淡々と無表情に言ってくる。
「なるほど」
「ははぁ~……そういうもんですか、なるほどねぇ」
なにが「なるほど」なのか、さっぱりわからない。
「ジワジワと踏み潰すという行為なら、外傷による確認と再現は難しいですが、計測は比
較的用意です。加圧値を測定する機器はいくらでもありますし、その限界値も明確にわか
ると思いませんか?」
「つまり、大きさを始めとする個体差による、外圧に対する耐久力を算出しようとした場
合に……」
「はいはい! 今こそわかりましたよ、うん、わかった! つまりだ、『ゆっくりは柔ら
かいから、上に重い物を落とさないで、載せないで』と注意するにしても……」
「そうです。重い物とは、どの程度か。どのくらい育っていれば、どこまでの重量に耐え
られるのか。明確な線引きを提示するためには、データが必要ですから」
なに言ってんだ、この人達?
そんなの、どうでもいいんじゃないのか?
そりゃ、ゆっくりをペットとして飼ってる人が、未だにいることは俺も知ってる。飼う
ことを検討してる人だっているだろう。そういう人達に、飼う上での注意とかは必要かも
しれない。
でも、そういう人達ってゆっくりを無駄に大事にしてるから、上に重い物を載せたり潰
れるほど酷く扱ったりはしないんじゃないのか?
確か、ゆっくりを可愛がってばかりの「愛ゆ家」とか「愛で派」とか言われてる連中は、
それこそ甘やかしたい放題に甘やかして、馬鹿みたいに丁重に扱ってるらしいから、そも
そもそんなデータに出番はないと思うんだけど……
「カメラに映っている場所で実行した点は、評価できると思います。次からは力加減を確
認しながら、踏み潰すようにして貰ってはどうでしょう?」
「そうですね、そうして貰いましょう。あなたも、わかりましたね?」
「へ? あ……? はっ、はい! えっと……踏んで潰せば良いんですね?」
正直、わかっちゃいないが、ともかくクビにはならずに済みそうだ。しかも、踏むんだ
ったらゆっくりを潰してOKというお墨付きも……
「いやいやいや! 違うよ? そうじゃないでしょう? ゆっくり1匹とはいえ、研究所
に損失を出した点は解決してないよ?」
「あら、そうでしたね」
やっぱり、そう簡単にはいかないか。所長、そこはスルーして欲しかった。
……無理だろうけど。
「一応ね、ゆっくりを勝手に傷つけたり潰したりしちゃいけないってのは、雇用契約書に
も書いてあるんだ。あるんですよ?」
「研究対象を除き……とありましたから、てっきり外部から持ち込まれたものに限るのか
と思っていました」
「まぁ、君は直接に研究へ携わるわけだから、その認識でそれほど大きな問題もないんだ
けどねぇ。彼の場合は、飼育に関することが主な仕事だから」
「なるほど。確かに、部署が違いますね。余計な口出しをして、申し訳ありません」
軽く頭を下げて、その男はまたモニターに向かい直す。そしてまた、映像を巻き戻して
俺がゆっくりを蹴り殺す様子を見始めた。
『ごはん はこびの どれいは、さっさと まりささまに あまあまをたくさん……』
なんか状況が不利になりそうだから、やめて欲しいんだけどなぁ……
そもそも、なんでアイツはここにいるんだ?
いや……俺より年上みたいだし、正規雇用の研究者様だから、バイト風情が「アイツ」
呼ばわりは失礼か。
でも、人事部の人でもなければ、飼育部の偉い人でもない。……まぁ、飼育部なんて部
署はそもそも無くて、研究員の人達が俺達バイトを使って飼育してるんだけど。
でも、あの男をよく見るようになったのは、つい最近だ。確か、新規雇用の研究者だと
聞いた気もする。
言ってみれば、俺の方がこの研究所の先輩なんだ。
……まぁ、俺はただのバイトだけど。
「あのぉ……やっぱり、クビですか?」
「ふ~む、どうしましょうか……どうしたもんかね?」
なぜだか答えあぐねて、所長が主任に意見を求めた。クスリと笑って、からかってるみ
たいに主任が問い返す。
「妙な噂を、気にしていますか?」
「気にはならんよ。実際、その手の人達が大勢来ちゃったりしたら困るんだから」
噂ってのは、多分「虐待お兄さんは、加工所で雇って貰えない。雇って貰っても、バレ
たら即クビ」というものだろう。
実際、それでいいと思う。所長の言うとおり、虐待お兄さんと言われている人達が大挙
してやってきたら、研究対象のゆっくりが3日と保たずに全滅しそうだし。
俺だって、元々は虐待お兄さんじゃなかったつもりだ。そりゃ、野良ゆっくりをけっ飛
ばしたことくらいはあるけど……それくらい、誰だってやるだろう?
だけど、ここでバイトしている内に、ゆっくりに対する怒りというか、イライラが溜ま
りに溜まったんだ。
その憂さを晴らすために、野良ゆっくりをいたぶるようになって、そのうち虐待お兄さ
んを自称して憚らない人達が集うサイトなんかを見るようになり、ゆっくりの虐め方を学
ぶようになり……
そして、ついに今日。仕事終わりまで我慢できずに、やっちまった。
「……杜撰ではありますが、心得ているようですね」
「ん? なにがですかな?」
また男が妙なことを言って、今度は所長がそれに食いつく。
この所長、それほど親しくない俺から見ても“気の良いおっさん”で、お人好しという
評判もあるから、「クビだ」の一言がなかなか言い出せないだけなのかもしれない。
「彼の、打撃の加え方が……」
男が何か言いかけたところで、電子音が微かに響く。どうやら、携帯らしい。
「失礼、電源を切っていませんでした」
そう言って、部屋から出て行った。出て行きがけに、電話の相手へ「先輩ですか?」と
か聞いていたから、私用電話なのだろう。
ドアが閉まる音の後、妙な沈黙が続いた。
気まずい。
やっぱ、クビになっちゃうのかなぁ……
「なんだか、彼は評価しているようでしたね」
「そうかね? ふむ、そうか……まぁ、聞きようによっては、そんな感じだったねぇ」
そうかな? たいして興味も無さそうだったし、終始その整った顔に表情も出さず……
そう、むかつくことに結構いい男なんだ、俺から見ても。でも、まるで無表情で無愛想で、
なに考えてるのか、さっぱりわからなかったけどなぁ。
所長が、腕を組んで首を傾げた。
そしてまた、妙な沈黙が続く。居心地が悪い。どうせなら、さっさと答えを出して欲し
い。
……けど、クビだけは避ける方向でお願いしたいなぁ。
無理かなぁ。
*** *** *** ***
「ゆるされないわ! みんなも、そう おもうでしょう!?」
ありすが、大きな声を出してみんなのことを見渡した。そのありすのお顔がこちらに向
くちょっと前に、れいむは顔を伏せて地面さんを見てしまった。
──べつに。れいむは そんなの、おもわないよ。
思うだけで、口には出さない。聞こえるように言っちゃうと、ゆっくり出来ないことに
なりそうだから。
ありすが怒っているのは、彼女が大好きなまりさが死んだからだ。
まりさは、殺された。
ご馳走さんを持ってきてくれるお兄さんに、酷いことを言ったから、殺されたのだ。
お兄さんに向かって、奴隷と言った。お兄さんは、れいむ達ゆっくりを世話してくれる
人間さん達の一人なのに……お礼をいっぱい言ってあげた方がいい相手なのに、酷いこと
を言った。
あんな酷いことを言われれば、誰だって怒るに決まってる。怒った人間さんには、ゆっ
くりは敵わない。それくらいのこと、この群れのみんなが知ってる。他の群れのゆっくり
達も知っているだろう。
人間さんは、とっても強いのだ。
人間さんと暮らしてるからか、いろいろな決まりがある。
れいむ達ゆっくりにも、いろいろ決まりがあって大変だけど、それほど難しいことじゃ
ない。誰が相手でも、酷いことを言わない。酷いことをしない。結局はその二つで、別に
決められなくても当然のことだと、れいむは思っていた。だって、そんな酷いことを言っ
たり言われたり、酷いことをしたりされたりなんて、ゆっくり出来ないもの。
それに人間さんは、お礼を言ってあげたりお歌を歌ってあげたりすると、な~でなでし
てくれたり、髪の毛をさ~らさらにしてくれたり、アマアマをくれたりもする。だから、
人間さんとは仲良くした方が得なのだ。それくらいのこと、この群れのみんなが知ってる。
他の群れのゆっくり達も知っているだろう。
人間さんは、意外とちょろいのだ。
「みんなが あいしてくれた、まりさは しんだ!? なぜなの!?」
──バカだからでしょ。
「でも これは、ありすたちの まけを いみするんじゃないわ! これは はじまりよ!」
負けだと思う。勝てなかったから殺されたんだし、死んじゃったら負けだと思う。
れいむは、長生きをしたい。その長生きの間は出来るだけ、ゆっくりしたい。たくさん
ゆっくり出来れば、れいむの勝ちだと思う。
始まりって言っても、なにが始まるというのだろう。終わっちゃってるのだ。だって、
死んだら終わりだもの。
だいたい、「ありすたちの」とか言って、れいむ達まで一緒にしないで欲しい。
死んじゃったまりさも、今大声を出してるありすも、その側でぎょろぎょろ周りを見て
いるぱちゅりーも、群れのみんなは嫌っているのだ。
理由は、ゆっくり出来ないから。あのグループは、意地悪だし、すぐに暴力を振るうし、
いつも偉そうにしているし、そのくせ群れのためになることをなんにもしないし。れいむ
にだって、なんにもしてくれないし。
そっと他のみんなを見渡すと、やっぱり嫌そうな顔をしてた。うるさいなぁとか、迷惑
だなぁとか、一緒にしないで欲しいなぁとか。みんなみんな、れいむと同じようなことを
考えてるんだろう。
「ありすなんかが いうまでもなく、みんな わかってるわね? そう……おもいしらせる
べきだわ」
ぱちゅりーまで、変なことを言い始めた。
わかってるって、なにを? まりさがバカだったってこと?
思い知らせるって、誰に? いい加減、自分達が嫌われてるって思い知った方が良いと
思うけど。
「ぱちゅりーの いいかたに、ちょっと ひっかかるものがあったけど、おもいしらせるべ
きなのよ!」
「それは もう、ぱちぇが いったわ。むだに くりかえさないで」
あの二人は、まりさが生きていた頃から仲が悪かった。二人して、まりさの気を引こう
と張り合っていたのだ。あんなののどこが良いのか、さっぱりわからない。
あのまりさよりも、れいむのまりさの方がずっと素敵だった。
なのに、れいむのまりさは病気になって……れいむと、おチビちゃん達を残して、一足
先に天国へと旅立ってしまったのだ……
しかも、片親を失ったために、おチビちゃん達の数も減ってしまった。何人だったか憶
えてないけど、ともかく何人かのおチビちゃんが、れいむのまりさを追いかけて天国へ行
ってしまったのだ……
ああ、れいむはなんて悲しい星の元に生まれてしまったのだろう。悲劇のヒロインとは
れいむのことだ。
「いま、ありすは だいじな はなしを みんなにしているのよ!? ぱちゅりーは よけい
なことを いわないでくれる!?」
「ありすこそ、むだなことばかり いってないで、かんじんなことを いいなさい。それが
できないと いうのなら、だまってて。かしこい ぱちぇが みんなに はなすから」
せっかく、れいむが思い出に浸っているというのに、バカ二人のうるさい声が台無しに
してしまう。思い浮かべることが出来たれいむのまりさの姿も、掻き消えてしまった。
あの素敵なまりさの帽子の色は……青だったかな? あれ? 赤かった気もする。
「くっ! ほんとう、いやなやつね! ありすは まえまえから、あなたのことが きにく
わなかったわ!」
「ぱちぇは、はっきりと ありすなんて だいきらいだって いえるわ」
もう、いいから勝手に喧嘩でもして、二人纏めて人間さんに叱られてくれないかなぁ。
あの二人が仮に殺されたとしても、れいむは困らないし。
きっと、この群れのみんなだって困らないだろう。他の群れのゆっくり達にも、困る人
なんていないはずだ。
「あなたとは、いずれ けっちゃくをつけてあげるわ! でも そのまえに、だいじなのは
まりさの かたきうちよ!」
「むきゅ、そうね。その てんだけは、どうい してあげるわ」
そんなの、全然大事じゃない。
そんなことより、ご馳走さんの方がよっぽど大事なことだ。そろそろお腹も空いてきた
が、今日はご馳走さんはないのだろうか?
「ぱちぇに いい かんがえがあるの。みんなで、にんげんという クズな どれいどもに、
みのほどをおもいしらせましょう」
*** *** *** ***
「……ここが研究所か? 立派な建物じゃないか」
「外見だけではなく、中も立派なものですよ。設備や機材も、良い物が揃っています」
ゆっくりの家族を拾った。
いや、「拾った」というのは、正確じゃないか……俺の家に、たまたま通りがかったと
いう感じだ。
まりさ種の母親に、未熟児の状態で生まれたばかりの、ありす種が2匹に、れいむ種と
まりさ種が1匹ずつ。親子合わせて5匹が、飼い主から捨てられた直後で、飢え死にして
も不思議じゃない状態だった……の、だろうと思う。
まぁ、細かいところは、ゆっくりに詳しくないので判断は出来ないが。
ゆっくりなんかを拾うつもりは無かったし、飼う気持ちも毛頭無かったが、そのまま死
なれても寝覚めが悪いと、餌をやってしまった。野良に餌をやった以上、責任は生じるも
んだ。少なくとも俺は、祖父にゲンコツ付きでそう教わった。
ところが、その日の内に、どたばたと次々騒ぎが起こり、チビ2匹が大怪我をこさえた。
どたばたの詳細は省くが、チビれいむは半身が潰れるという大怪我を負い、虫の息。
チビありすの1匹は、「んほんほ」言って、家族に襲い掛かったりもした。発情しっぱ
なしの状態になって、元に戻らなくなったようだ。
とにかく、俺の手に負えない状況になってしまったわけだ。
餌をやった以上は、責任が生じる。責任が俺にある以上、このまま死なれれば俺が殺し
たも同然。それが、ゆっくりだとしても、気分の良いものじゃない。
そこで、ゆっくりに詳しいらしい学生時代の後輩に電話をかけ、助けを求めたのだ。
「でも……いいのか、学者? ここって、お前の仕事場だろ? 公私混同は良くないと思
うが」
「確認は、ちゃんと取ってあります。ゆっくりの治療も請け負っていますから、業務の範
疇ですし、ぜひこちらでと言われたくらいですよ。まぁ、当然ながらお代は頂きますが」
「あ~……まぁ、幸い今は懐も温かいしな。なんとかなるだろ」
この後輩、通称“学者”に連れてこられたのが、ここ、東京特定生物研究所。ゆっくり
の研究をやってるらしいことは、名前からも想像がついたが、ゆっくりの病院もやってる
らしい。
「急ぎましょうか。この手の建物は嫌いでしょうが、気後れしている暇はありませんよ、
先輩。ろくに応急処置も出来なかったんですから」
「はいよ」
飼うつもりなど毛頭無かったのだから、俺の家にはゆっくりを治療するためのものなん
て、何もなかった。
オレンジジュースが万能薬のようにして、ゆっくりの治療に役立つのだと電話で言われ
た。が、それもなかった。リンゴジュースはあったので、代替品として使ったが……どの
程度の効果があったのだろうか? ゆっくりに関しては、わからないことだらけだ。
まぁ、俺個人に知識がないというのもあるが、一般的にだって謎の存在だ。
「……にしても、つくづくデタラメだな。オレンジジュースが、薬だなんて」
「確かに、薬のような作用を果たしますが、薬そのものとは違いますよ」
門を抜け、玄関を潜り、建物の中へと入る。学校や病院、役所なんかの大きめの施設に
よくある、リノリウム貼りの廊下に、味気ない色の壁と天井。どこか威圧的な雰囲気のあ
る造り……学者が言うように気後れするほどじゃないが、やっぱり好きにはなれない。
指し示されたカート──スーパーなどで見るショッピングカートによく似ているが、荷
台の底が網状ではなく板貼りになっている──に、連れてきた母親まりさと、無事だった
2匹の赤ん坊、そして発情しっぱなしのチビありすを入れたコップと、半身が潰れたチビ
れいむを入れた小鉢を乗せる。
「お兄さん。ここで、おチビちゃんは治るんですか? おチビちゃんは助かるんですか?」
母親まりさが、気遣わしげに聞いてきた。ゆっくりのまりさ種は、黒く大きなとんがり
帽子がトレードマークなのだが、今は被っていない。チビ達のトイレ代わりにして、糞尿
で汚れてしまったからだ。
その汚れた帽子も、買い物袋に入れて持ってきた。こいつの洗濯の仕方も聞いておかな
いと。
「ど、どうなんですか、お兄さん?」
「ん? ん~~、わからん。ここで無理なら、どこへ行っても無理ってことだろうな」
「そんなぁ……なんとかしてください、お兄さん! まりさ、なんでもしますから!」
「俺にだってどうにも出来んし、お前だってなんも出来んだろうが」
「ゆ……? …………ほ、本当だっ!? どうしたらいいんですか!?」
「どうもこうも、任せるしかないんだよ。学者に頼め」
「お願いします、学者さんっ!!」
即座に学者の方へ向き直って、母親まりさがゆさゆさと前後運動をする。多分、繰り返
し頭を下げているつもりなんだろう。
未熟児のチビ達も、母親を真似てゆらゆら動きながら、聞き取りにくい声でお願いしま
すと何度も言い始めた。
「……善処はする」
珍しく、学者が驚いた顔をしている。ゆっくりを研究してても、ゆっくりから「お願い」
なんてされることは珍しいんだろうか?
「こちらです、先輩」
「はいよ」
学者が先に立ち、案内してくれる。その後ろを、カートを押しながらついて行った。
人に任せた途端、いくらか気が楽になっている。妙なものだ、依頼一つで「出来ること
は全てやった」という気分になったのだろうか。
「まぁ実際、俺に出来ることなんてそれくらいだしなぁ」
「はい?」
「いや、あとは治療が上手くいくように、祈るだけだと思ってな」
「祈りが結果に影響を及ぼすとも思えませんが……それで先輩の気が済むなら、ご自由に」
「そういうこと、余所で言うなよ」
「そうします」
学者が、まだ治療をしようとしてるのだから、なんとか出来る確率はあるはずだ。なら、
きっと学者はなんとでもしてくれる。
それでも無理だったら、それこそ運が悪かったと言うだけのことだろう。
*** *** *** ***
「どう? これなら にんげんさんも、ないて ゆるしをこうこと まちがいなしよ」
らんは、呆れてしばらくの間、声も出なかった。自分の、たくさんある大きな尻尾が、
ただゾワゾワと震えている。
不良グループの、ぱちゅりーが得意げにみんなのことを見渡していた。同じグループの
ありすはその隣で面白くなさそうに、そっぽを向いている。
不良グループの首領格だった、まりさが殺されたことに対して報復に出ようというのだ。
あまりに無謀だし見当違いだと、らんは思った。
この場所は、人間さんによって管理されているのだ。人間さんの持ち物だ。その中で、
自分達ゆっくりは暮らさせて貰っているにすぎない。らん達の群れも、他の群れも、全て
そうだ。だから、人間さんには逆らっちゃいけない。いや、人間さんの決定は絶対なのだ。
言ってみれば、ここで暮らすゆっくりの全てとその社会は、人間さんに管理運営されて
いるのだ。奴隷という言葉を当て嵌めるなら、むしろゆっくり達こそが、人間さんの奴隷
だろう。
それでも、きっと他で生きていくより、ずっと恵まれてると思う。
奴隷と言っても、人間さん達がゆっくりに対して無茶な労働を強いるわけではない。ご
飯さんだって、与えられている。
ただ時々、連れて行かれたきり帰ってこないゆっくりがいるという点が、少し気になる
が……
今の状況が正しいのかと問われれば、らんは自信を持って「正しい」とも「間違ってる」
とも言えない。らんには、この場所以外の記憶がないから。他の場所の知識は全て、人間
さんと一緒に見た映像からのものばかりで、実際に経験してはいないから。
それでも、「恵まれている」と言うことは出来る。
らんの知識が正しければ、森には危険がいっぱいなのだ。街だって、どこもかしこも危
険が満ちあふれている。
人間さんに飼われていれば、ずっと安全だが、それはここの暮らしと大差ないだろう。
仲間が少ない分だけ、寂しいかもしれない。
らんは、大きな事故で死にかけて、ここへと連れてこられたのだという。人間さん達が、
とても助からないほどの大怪我から、助けてくれた。傷痕だらけだった身体も、綺麗に治
してくれた。
だけど、らんの記憶だけは取り戻せなかった。完全に失われているらしい、と、らんの
ことを治してくれたお医者さんが、静かに言った言葉が今も耳に残っている。
あの人間さんには、感謝している。
怪我が治ってからも、らんはしばらくの間、身動き一つ出来なかった。そのらんに、い
ろいろなものを見せてくれ、いろいろなお話を聞かせてくれた。
いつもお澄まし顔で、「データを取るためだ」と言っていたが、らんのことを助けよう
としてくれていることは、伝わってきたのだ。
街の中の、様々な風景。人間さん達の、日々の暮らし。野良ゆっくり達の生活。そして、
人間さんとゆっくり達の諍いの数々。
いろいろな、山の景色。自然というものの、美しさと恐ろしさ。その中で生きる、野生
ゆっくり達の様子。動物に狩られ、死んでいくゆっくり達。冬の寒さに凍えるゆっくり達。
雪に押し潰されて滅んだ群れ。
空っぽになっていたらんの中には、あのお兄さんが与えてくれるものの全てが入ってき
て、満ちていった。
お兄さんにいろいろなことを教えて貰いながら、らんは過去の無い自分には、きっと未
来というものも無いのだろうと、そう思うようになっていた。
だから、せめて今を守ろうと思った。
この場所にある群れの一つに加えられ、今を守ろうと心がけて暮らしていると、長とし
て群れの面倒を見るようにと、人間さんから言われたのだ。
群れのみんなも、新参者の自分を受け入れてくれた。そんな群れのみんなのために、頑
張ってきたつもりだった。
その「今」を、らんが唯一持っている「今」を、壊されたくないと、ずっと思ってきた。
誰であれ、壊させはしないと心に決めている。
あのお兄さんにだって、そのことはハッキリと言ってある。お兄さんは「やってみると
いい」と、らんに言ってくれた。
いつものお澄まし顔だったけど、励ましてくれたのだと思っている。
「ふんっ……くやしいけど、わるぢえに かんしては さすがよね、ぱちゅりーは」
「むきゅきゅん♪ ちえの ない ものの ねたみが、ほっぺに つきささるわ」
「くっ……むかつく! けど、おちつくのよ、ありす。そう、ありすは とかいはよ……
これくらいで、われを わすれたりしないの」
「ともかく、わかったら みんな、したくを……」
「まて! そんなことが、ほんとうに うまくいくと おもっているのか!?」
群れのみんなを先導しようとするぱちゅりーの言葉を遮るためにも、らんは大きな声を
出した。
強烈なほどの、嫌な予感が高まっている。らんの予感は、自分でも不思議に思えるほど
よく当たるのだ。特に、嫌な予感であるほど。
「にんげんさんは、きっと かんたんに みやぶるぞ! みやぶられなくても、にんげんさ
んに つうようするわけがない!」
「むきゅ……? やってみなくちゃ、わからないでしょう?」
「わかる。ぱちゅりーは、じぶんでは かしこい つもりのようだが、それくらいのことも
わからないのか?」
「むっっきゅぅうう! ばかにしないで! らんのくせに! けんじゃ ぱちゅりーの け
いかくに、おちど はないわ! くちだし しないでもらえるかしら!?」
「そうはいくか! わたしだって、むれを ひとつ まかされている み だ! みんなが、
あぶないことを しないように、きをつける ひつようがあるっ!」
言葉だけで簡単に諦めさせることが出来るとは、初めから思ってはいない。特にぱちゅ
りーは言葉でのやり取りが上手だし、たとえ言い負かされたとしても、逆ギレして負けを
認めない者が多い。
それでも、放っておくわけにはいかない。らんが声を荒げて危ないことだと言い続ける
ことで、聞いている周りのみんなが危険なのだと思ってくれれば、ぱちゅりー達の計画は
頓挫するはずなのだから。
「にんげんさんは、わたしたち よりずっと おおきいんだ。そして、わたしたちよりも、
ずっと かしこいんだ。にんげんさんと、かくれんぼ したことがあるものは、おもいだし
てみろ。おにごっこ したことがあるものは、おもいだしてみろ」
優しい人間さんの中には、ゆっくりと一緒に遊んでくれる者もいる。ごく稀ではあるが
……それでも、とても楽しかったり、とてもスリリングだったりと、ゆっくり同士ではな
かなか味わえない、素敵な一時なのだ。
だから、一度でも人間さんと遊んだことがある者達なら、すぐに思い出せる。
ゆっくりを、「お空を飛んでるみたい」に高々と、それも軽々と持ち上げてくれる、人
間さんの力を。
どれほど知恵を絞って隠れても、すぐに見つけてしまう人間さんの賢さと観察力を。
どれだけ素速く動いても、すぐに追いついてくる人間さんの素早さを。
その全てが、遊びのためではなく、ゆっくりを殺すために使われたとしたら?
ざわめきが広がる。ここで暮らすゆっくり達は、優しい人間さんと触れ合うことで、人
間さんのことを、他で暮らしているゆっくり達よりも知っているはずだ。
優しい人間さんを、侮り馬鹿にする者も多い。ぱちゅりー達もそうだ。
でも、優しい人間さんと仲良くしていた者ほど、人間さんの凄さを知っているはずだ。
その恐ろしさを、想像できるはずだ。
「そこまで いうのなら、うまくいくか どうか たしかめてもらおうかしら。らん じしん
の、みをもってね」
「なに……?」
嫌な予感が、膨れあがる。
ぱちゅりーが、気持ち悪い顔で笑っている。
その隣りで、ありすは……
ありすは、どこへ行った? ぱちゅりーの隣で、不機嫌そうな顔をしてた、ありすは……
嫌な予感が、らんの背中から襲い掛かってきた。
*** *** *** ***
『ごはん はこびの どれいは、さっさと まりささまに、あまあまをたくさん はこんでく
ればぶれびゅばっ!? なっ、なにするんだずべるば!? ぶびゅ! ぶぶびゅばっ!』
また、俺がゆっくりを蹴り殺したときの映像が流されている。映像が流れる度、ゆっく
りの悲鳴が聞こえてくる度、「やっぱり感情的になるのは良くないな」という反省が、心
に広がる。
死んだゆっくりに対しては、なんの感傷も湧かないけど。
「おーおー。派手に蹴っ転がしてんじゃねぇか、金髪小僧」
そんな俺自身の反省はまったく無視して、面白がっているような声が映像の中の俺を囃
し立てている。
てか、誰が金髪小僧だよ……まぁ、俺のことだろうけど。
応接室にいるメンツは、その半数ほどが変わっていた。
映像を見て囃し立てているのは、目つきの悪いオッサンで、ゆっくりの救急患者の飼い
主だ。
どうやら、あの妙なことばかり言っていた男──このオッサンには、“学者”とか呼ば
れていたっけ──の、先輩にあたるらしい。
その“先輩”が飼っているゆっくりは、全部で5匹。親が1匹に、赤ん坊が4匹。救急
患者は、赤ん坊のうちの2匹で、1匹は半分潰れて死にかけてたし、もう1匹は発情して
おかしくなってた。普通は、もう諦めてさっさとツブしちゃうところだと思う。
その2匹を、“学者”と主任が持っていって、今頃は治療の真っ最中のはずだ。
主任一人いなくなっただけで、途端に部屋の中が男臭くなったような気がする……
「やっぱり、ゆっくりってのは案外とタフに出来てんだなぁ」
「『たふ』ですか? 『たふ』ってなんですか、お兄さん?」
「タフってのは……あ~……言葉の意味としては、頑丈とか固いとか、粘りがあるとか、
しぶといとか……まぁこの場合は、少々のことじゃ潰れないってところか」
「む、難しいです!」
「そうか」
ゆっくりの親の方は、やけに行儀も良くて、賢そうだ。躾が行き届いているんだろう。
まりさタイプにしては、喋り方も丁寧で聞き取りやすい。
『ゆぶぶっ! ゆうごどぎがなぃだだだっ! せっ、せいさぁががが! がごが!』
「ほれ、見ろ。あんなに蹴っ転がされてるのに、まだ騒いでる。たいしたもんだ」
このオッサン、声だけ聞けば面白がっているような感じなのに、顔の方は……なんとい
うか凶悪な感じで、たいして面白くも無さそうな表情をしている。
というか、めっちゃ不機嫌そうだ。
怖い。
そもそも、自分の飼いゆっくりに、ゆっくりの虐待風景を見せて面白がる飼い主っての
は、普通じゃない気がする。
虐待お兄さんなら、そういう虐め方もあるだろうけど……でも、虐待お兄さんだったら、
わざわざ治療をここへ依頼してきたりしないだろうし……
『ひゃべぶぼっ! ひゃべっ! やべろっ! ぶべべろっ! やべでぇえええっ!!』
「へぇ~、本当に『やべでぇ』とか言うんだ」
「まぁ、言いますわな。ともあれ、この一件に関して彼の処遇を話し合っていたところに、
先輩さんからの依頼の電話があったと、そういうわけなんだよ」
「邪魔しちゃったってことですか?」
「いやいや、邪魔じゃないよ。邪魔じゃないですとも。それどころか、大事なお客さんだ
からねぇ」
所長が、その目つきの悪いオッサンに説明している。なんだか、ごく短時間でずいぶん
と仲良くなったな、この二人。気がついたら、所長まで“先輩”とか呼んでるし。
それはいいんだけど、話すならもっと他のことにして欲しい……俺のことなんて、どう
でも良いでしょうに……
「悪いのは、このゆっくりだと思います! だって、“きんぱつこぞー”のお兄さんに、
酷いことを言ったんだから!」
思わぬところから、弁護の言葉が出て来た。てか、誰が金髪小僧だ。
オッサンの飼いゆっくりが、「人間さんに酷いことを言っちゃいけないんだ」とかなん
とか言いながら、俺は悪くないと主張してくれている。
まさか、ゆっくりから弁護されるなんて……俺も、落ちるところまで落ちたってことか
なぁ……
「君は、そう思うのかな? はは~、そう思うのかい? そう教えられたのかな?」
「はい! ブリーダーのお父さんに、教えてもらったんです!」
「だからって死ぬまで蹴っ転がすのは、金髪小僧のやり過ぎじゃないのか?」
だから、金髪小僧って……さっき自己紹介したのに……
「まぁ、確かにやりすぎではあるんだよねぇ。一応、ゆっくり1匹1匹も、我が特定生物
研究所の大切な財産なわけだから。財産なんですよ、一応」
「話し合いが必要なほど、珍しい事件なんですか?」
「……は?」
「だから、小僧の処遇を話し合ってたんでしょ?」
オッサンが、ジロジロと俺を見回してくる。目つきだけじゃなく、態度もあんまり良く
ないな、この人。
しかも、人のことを小僧呼ばわりとか……まぁ、あんたみたいなオッサンから見れば、
そりゃ小僧でしょうけどね、俺なんか。
あんたより、ずっと若いしねっ!
「ゆっくりが、ここでどういう扱いなのかは知りませんが……なんにせよ、会社の財産を
駄目にしたってのなら、クビじゃないんですか? 良くて減俸でしょ、普通は」
うっ……と、息を呑んでしまう。そうなんだよ、その話がズルズルと長引いてしまって
いたんだよなぁ……
やっぱり、そうだよなぁ。部外者から見ても、クビだよなぁ……
「そうですねぇ……まぁ、目に余るようならクビでしょうが……でもね? 今回は、潰さ
れたゆっくりにも問題があったわけだし、減俸……と言っても、アルバイトだからねぇ」
アルバイトには、減俸という罰則は適用されないものなのだろうか? 損失を出したら、
バイト代から天引きってのは聞いたことがあるんだけど。そりゃ、バイト代が目減りする
のは正直嬉しくないけど、それでもクビよりはマシだ。
「……クビだけは勘弁してくれって面だな、小僧?」
「む……そ、そりゃ……まぁ、嫌ですよ」
俺への呼びかけまで、小僧かよ。ちゃんと自己紹介したっていうのに、俺の名前なんて
覚える価値がないってことなのか? まぁ、こっちだって、あんたの名前なんて覚える必
要はないだろうし、そのつもりも無いけどなっ!
「そんなに、ここのバイトって美味しいのか?」
「……」
「一般的なラインでのアルバイト料は出してますよ? 不当になっちゃいかんでしょうし、
かと言ってたんまり弾めるほど、裕福でも無し」
「小僧。おめぇさんに聞いてんだぞ、俺ぁ」
所長の言葉を無視して、先輩さんが目つきの悪さをさらに悪くして、俺を睨んでくる。
……正直、おっかない。
「あ~ららら~……彼、なにか先輩さんを怒らせるようなこと、したのかねぇ?」
「よくわかんないですけど、お兄さんは怒ってないですよ?」
所長の独り言に、ゆっくりまりさが答えを返している。
てか、これで「怒ってない」だって? この顔で?
「おや、そうなのか。君にはわかるのかい?」
「お兄さん、とってもとっても優しい人です。でも、怒ったときは、本当に怖いんです。
今より、もっともっとです!」
「そりゃあ、怖そうだねぇ。うん、怖そうだ」
すでに十分、めちゃめちゃ怖い顔をしてるじゃないか。これより怖くなるのか?
と、とにかく、ちゃんと答えないと、その「もっともっと怖い顔」を見ることになるの
かも……
それは嫌だなぁ……
「おっ……お、美味しいってほどじゃ、ないです。ただ、その、他のバイト……たとえば
コンビニとか、そういうところと比べると、服装とか、その、髪型とか……」
「ああ、なるほどな。客商売系のバイトだと、身なりに関してあれこれ言われるが、ここ
なら自由で気楽ってわけだ?」
「は、はい。そ、そういうことです」
「その金髪、染めてんのか?」
「染めて……というか、ブリーチですよ」
「……ん? 死神がバンカイでどうのっていう?」
「違います。髪の毛の脱色のことですよ」
顔つきは、おっかない。睨まれると、それだけで竦んでしまうほどだ。って、もしかし
たら睨んでないのかもしれない。単に無表情でこっちを見てるだけかもしれないけど、と
にかく怖い顔つきなんだ。人相が悪い。
しかも名前を覚えない。人のことを小僧呼ばわりする。
けど……本当に怒ってないのかもしれない。
少なくとも、話している声に棘はない。終始、気楽な調子で喋ってるから、こっちの気
も楽になってくる感じだ。
気安い感じ、っていうのかな? こういうの……
「髪のこともありますけど、やっぱり、クビにはなりたくないんですよ。たとえば、次の
バイト先に面接に言ったとき……」
「あ~。前のバイト先は不祥事しでかしてクビになりました、なんて言ったら、雇っちゃ
くれないだろうしなぁ」
所長が身を乗り出し、それだと手を打って話に入ってくる。
「そうそう、そう。そうなんですよ。前途有望……か、どうかはともかく、どんなものに
せよ前途のある若者の経歴に、軽々しく傷を付けるのは……躊躇われるからねぇ。躊躇っ
ちゃうでしょう?」
所長は、やっぱり人が良いらしい。
でも、どうして“前途有望”と言い切らなかったんですか?
「減俸もねぇ。まぁ、アルバイト料から、損失分を天引きすることは簡単だよ? でも、
彼はここのアルバイト料だけで生活しているらしくてねぇ」
「苦学生らしいから、同情しちゃったってわけですか、所長さんは?」
「いやね、同情というか、まぁ、その……でも、事実なんだよね?」
「え? は、はい。学費は親が出してくれてますが、一人暮らしをするなら、自分で稼げ
って……」
「いざとなりゃ、親元へ帰れそうな感じだなぁ、おい」
「それは……どうなのかなぁ。正直、わかりません」
「……わかんねぇのか?」
「はぁ……」
わからない、というか……正直、帰りたくない。けど、それはきっと俺のワガママだし、
ここで言っても仕方ないし……
「だったら、なんでこんなことをしたんだよ? 駄目だってことくらい……最悪、クビに
なるってことは、知ってたんじゃないのか?」
「それは、あのゆっくりが“きんぱつこぞー”のお兄さんに酷いことを言ったからだと思
います!」
「いや、まぁ、そうかもしれんが……」
先輩さんの飼っている親まりさは、人間に酷いことを言ったゆっくりは殺されるものだ
と信じて疑っていないようだ。
確かに、生意気どころじゃない口の利き方をするゆっくりは、高確率でそうなるけど…
…ゆっくりから言われると、なんか違うって気もする。
それでいいのかと、聞いてみたくなる。
「なんで……と言われても、その……カッとなって、というか……その……」
「あん?」
「あっ、あ、あの、だから……ずっと我慢してたんです! でも、それも限界が来てとい
うか……堪忍袋の緒が切れたっていうか……」
「つまり、自分に対して生意気なことを言ったから、むかっ腹が立ったってことか?」
「はぁ……まぁ……簡単に言うと」
呆れている。
顔つきがやけに凶悪な先輩さんでも、これは、ハッキリわかった。自分でも、感情的に
なるのは良くないって、つくづく思っているところだし……
「小せぇなぁ、おい」
「……え?」
なんのことか、しばらくわからなかった。
話の流れを振り返ってみて、多分だけど、俺のことを言ってるんだろうと思い至ったけ
ど……
小さいって、どういうこと?
所長もキョトンとして、先輩さんに確認する。
「小さい、ですか? 小さいですかねぇ?」
「小っせぇでしょ? 仕事でゆっくりの世話をしてるんでしょう? だったら潰した理由
も、たとえば一罰百戒の意味で……」
ガチャリと、唐突に大きな音を立ててドアが開かれ、早足に男が部屋に入ってきた。着
ていた白衣を脱ぎながら、先輩さんに声をかける。
「お待たせしました、先輩」
「終わったのか、学者?」
「ええ。ただ、2匹とも思っていた以上に状況が深刻です」
「で? お手上げってことか」
「まさか。治療はしました、ちゃんと生きていますよ。とはいえ、今もまだ主任に見ても
らっている状態ですが」
「……そっか」
「先輩には何点か、承知しておいてもらいたいことがあるんですが」
「なんだよ?」
自分の飼いゆっくり、しかも治療を頼んだ赤ん坊ゆっくりが「生きてはいるが、深刻な
状況」だっていうのに、先輩さんは相変わらず気楽な口の利き方だ。
俺は俺で、「小さい」と言われたのが引っかかっていて、ゆっくりの話なんてどうでも
良いと思ってる。話の途中で、ぶっつり切られてしまったから、余計気になってしまう。
「まず、異常発情した個体。これは、完全に元通りにすることは不可能です。通常の生活
が送れるレベルにまでは回復させるつもりですが……」
「わかった」
取り乱すこともなく、淡々と、先輩さんが「承知した」。助けるために治療を頼んだく
らいなんだから、どっちかと言えば“愛で派”なのかと思っていたんだけど、取り乱しも
しない。
「他には?」
「今以上に踏み込んだ治療のためには、材料が必要です。つまり、ただ生きているのでは
なく、動き、生活するためには、欠損した部位を、他から持ってくる必要があるんです。
しかし、未熟児クラスの献体となると……所長、ありますか?」
「ええっ!? きゅ、急に聞かれてもねぇ……」
よくわからないが、臓器移植みたいに、他のゆっくりから身体の一部を持ってくるって
ことだろうか?
どうしても、たかがゆっくりの治療だってのに、大袈裟だなぁと思ってしまう。
「移植ってわけか。俺が承知しておくことってのは、その分だけお値段が高くつくとか、
そういうことか?」
「それもあります。また、結果に関しては、今の段階では何とも言えません。クリーニン
グは行いますが、献体の形質が伝染する場合もあれば、拒絶反応が出る場合もあります」
「それも、承知した。経過に関しての報告は、お前にすりゃいいのか?」
「お願いします」
「じゃあ、小僧。アテはないか?」
「へっ!?」
先輩さんが、いきなり俺に話を振ってきた。あて? アテってなんの話ですか?
「小僧は、ここで飼われているゆっくりの世話をしてんだろう?」
「え、ええ……そうですけど……」
「じゃあ、思い当たらねぇか? ツブして良い、赤ん坊のゆっくりがいるかどうか」
相変わらず気楽な口調で、ゆっくりの飼い主らしくないことを平気で言ってくる。
「え、あ、あの、急に言われても……」
「あのぉ、ね? そもそも、ツブしていいゆっくりなんて、世話してないですよ? ええ、
しませんよ、そんなゆっくり」
「学者。具体的には、何がいる?」
「眼球です」
「目玉かぁ……れいむの方だよな?」
「ええ。餡の喪失も、厄介な問題ですが……」
話を振るくせに、答えに迷っていると置いてきぼりにして、先輩さんと学者はぽんぽん
と話を進めていく。俺はもちろん、所長まで無視して。
「おめめにゃりゃ、まぃしゃのを ちゅかってきゅだしゃい!」
「だみぇよ、まぃさ! おみぇみぇ とったら、いたいいたい なのよ? そういうのは、
おにぇーちゃんが がんばるの! だから、あぃすの おみぇみぇを つかってにぇ!」
「だ、駄目だよ! おチビちゃん達にそんなこと、させられないよ! お目々なら、お母
さんのを使ってもらうから! お兄さん! まりさのお目々を使ってください!」
「だから、おんなじくらいの大きさじゃないと駄目なんだって。お前のじゃ、でかすぎる
だろ?」
「ゆ……? …………ほ、本当だっ!? どうしたらいいんですか!?」
「どうにもならん。大人しくしてろ」
「ゆぅ~~~……」
大人しくしていた、ちびっこい2匹が騒ぎ出した。なんて言ってるのか聞き取りづらい
けど、母親まりさがその2匹を止めて、自分の目を使ってくれとか言ったってことは……
学者も俺と同じことを考えて、俺と同じように驚いたのか、ゆっくりと先輩さんに向き
直った。
「……先輩」
「ん? なんだ?」
「今、未熟児2匹は……状況を理解した上で、自らが献体になると言ったんですか?」
「そうらしいな」
「…………まさか」
「デタラメらしいんだわ、こいつら」
上を向き溜め息と一緒に言葉を吐き出してから、先輩さんは所長に向き直ると、パンッ
と両太股を叩いた。そして、深々と頭を下げる。
「頼みがあります、所長」
「な、なんですかな?」
「この研究所で世話してるゆっくり、何匹かください」
「く、ください!? そう言われましてもねぇ」
「1匹あたり、おいくら万円ですか?」
「は? え? か、買う? と、言うことですか?」
「一罰百戒ってヤツですよ」
わけがわからない。
学者と呼ばれる男も、わけのわからないことを言ってたけど、先輩さんはそれに輪をか
けて、わけがわからないことを言い続けている。俺だけじゃなく、所長もついていけてい
ないようだ。
とにかく、話が飛びまくってるんだ。
「一罰百戒……ですか。もしかして彼が潰した分も、先輩が支払うと言うことですか?」
「おう、払う払う。帳面には、俺が持ち込んだ治療に使ったことにしてもいいし、見学し
てた俺がうっかりやっちゃって、弁償したことにしても良いぞ」
どうやら学者は、先輩さんの飛び飛びな話題について行ってるみたいだ……
「まっ、待った待った! 待ってくださいよ? 治療に必要なゆっくりの献体分、費用を
支払っていただけるのは、わかります。わかるけれども……一罰百戒ってのは、いったい
なんのことだい?」
「あ~……話、すっ飛ばしすぎましたか? 学者、順を追って説明してる時間は?」
「ありますが、手短にお願いします。意識しないと、先輩の話は回りくどいので」
「さらっと酷ぇことを言うなぁ。ったく、手短に……ねぇ。苦手なんだけどなぁ。小僧、
お前は耳をこっちに向けといても良いが、頭ではちゃんとリストアップしておけよ?」
「り、リストアップ!? なにをですか!?」
「泣き声を出すな、可愛くねぇんだから! それを今から話すって言ってんだろう、苦手
な“手短”ってやつでな!」
デタラメだ。
飼ってるゆっくりもデタラメなら、飼い主も十分デタラメだ。
しかも、怖い。
休日出勤なんて、するんじゃなかった……
*** *** *** ***
「お~いっ! みんな、集まれぇ!」
人間さんが、れいむ達を呼ぶ声が聞こえた。どうやら、ご馳走さんが貰えるみたいだ。
いろいろとあったけど、今日は幸せ~な一日になりそうだ。
「おチビちゃんたち! ごちそうさんが もらえるよ。いっしょに ひろば まで ゆっくり
いこうね」
「ごちしょうしゃんにゃの?」
「おにいしゃん、ごちしょうだって ゆわにゃかったよ?」
「おかあしゃんには ごちしょうしゃんだってわかゆの?」
れいむの可愛いおチビちゃん達が、ちょこちょこと側に寄ってくる。どの子もみんな、
愛らしくて賢くて、れいむの自慢の宝物だ。
「ゆふふふ、おかあさんくらいになると、ちゃんとわかるようになるのよ」
凄い凄い、お母さんは凄いと、おチビちゃん達が口々にれいむのことを褒め称える。
──ほんとうに、れいむはしあわせだよ。
心から、そう思う。
れいむがおチビちゃん達を愛するように、おチビちゃん達も母親であるれいむを愛し、
尊敬しているのだ。こんなに幸せなことは、そうはないだろう。
人間さんがくれるアマアマを、動けなくなるくらい食べたときくらいだろうか。
──なにより、れいむのおチビちゃんには、クズがひとりもいないからね。
ついつい、笑みがこぼれてしまう。
おチビちゃん達も、れいむを見てニコニコにこにこと微笑んでいる。
「おチビちゃんたちは、おかあさんに ゆっくり ついてきてね。ちゃんと、おりこうさん
に してるんだよ?」
「「「ゆ、ゆっくり りかいしたよっ!」」」
お利口なおチビちゃん達が、きちんとれいむの後ろに並んで付いてくる。れいむはその
先頭を堂々と歩いていく。
お母さんがしっかり者だと、おチビちゃん達の自慢にもなるのだ。
ゆっくりと広場へ行くと、もう何人かのゆっくりが、人間さん達の周りに集まっていた。
「ゆっくりしていってね!」
「おにいさんたち、きょうもゆっくりね!」
「そろそろ、ごはんの じかんだと おもってたよ! ゆっくりたくさん たべさせてね!」
せっかちな、ゆっくりしてないゆっくり達だ。きっと人間さんの声を聞いて、ゆっくり
しないで慌てて出て来たのだろう。
──まったく。いじきたない、ゆっくりしてないヤツらが ふえちゃったよ……
ゆっくりゆっくりと、していればいいのだ。ガツガツしたりしない、人間さんを急かし
たりもしない。ただゆっくりとしているだけで人間さんは、偉い、お行儀が良いと、れい
むを褒めてくれるんだから。
人間さん達は、三人もいる。いつもは一人なのに。
ひょっとしたら、今日は凄いご馳走なのかもしれない。人間さんでも、一人じゃ運び切
れないほどのご馳走……どんなご馳走なのだろう!?
──ひとりじめ できたら、とっても ゆっくり できるだろうなぁ……
でも、さすがにそれは無理かもしれない。
三人いる人間さんの一人が、チラリとこちらを見た。
ちょっとドキッとしたけど、れいむがニッコリと微笑むと、スッと別の方を向いた。
れいむの素敵すぎる笑顔に、照れたのだろうか?
「ちょっと話があるんだ。ゆっくり聞いてくれ」
人間さんの一人が、変なことを言い始めた。
ちょっとガッカリしたが、れいむは何も言わなかった。黙って待ってるだけで、れいむ
がお利口だと言うことを、人間さんだってちゃんと理解してくれるのだから。
なのにお馬鹿なゆっくり達の中には、文句を言うヤツもいる。騒げばその分、人間さん
は言いたいことが言えないから、ご馳走さんが後回しにされてしまうのに……
──そんなこともわからないなんて、みんなバカばっかりだよ……
騒ぐゆっくりが増えてきて、周り中がうるさくなってきた。
れいむは、ただ黙って待っていた。おチビちゃん達も、お利口に待っている。
れいむだって、本当は早くご馳走さんを食べたい。話なんて、どうでも良い。
それでも、ちょっとゆっくり出来ないけど、我慢してるのだ。
なのに、騒いでいるゆっくりのせいで、どんどんご馳走さんの時間が遠のいていく。
──おバカなヤツらは ほっといて、おりこうな れいむには、さきに ごはんを ゆっくり
たべさせてほしいよ……
思っていると、少しずつ騒ぎが収まってきた。ようやくご馳走だと思ったら、人間さん
が話し始めた。
そうだった。ご馳走さんの前に、人間さんは話があるとか言ってたっけ。
「3時間ほど前……って言っても、わからないか。しばらく前にここで、まりさが1匹、
死んだ。憶えてるか?」
死んだとか……あんまり、ゆっくり出来ないお話みたいだ。
それにしても……まりさ? しばらく前? って、ちょっと前ってことだよね?
まりさ、死んだっけ?
まりさって、誰? どの、まりさ?
れいむのまりさなら、ずっとずっと前に、病気で死んじゃったけど?
「みんなも知っている通り、ここには決まりが……」
「むきゅんっ! その まりさの かたきを、いま! うたせてもらうわ!!」
ぱちゅりーの声。
「おほいひぅあいいふぁ! ふぉお、いぁあおぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
駆けていく、ありす。
変な喋り方なのは、口に武器を咥えているからだ。
人間さん達が、少し動いて……
「……ほれ」
「がびぶびゅるっ!! ぐべっ! ぐばばっ!?」
人間さんの一人が、足さんをちょっと出して、それにありすがぶつかって……
ありすが、のたうち回り始めた。
「「「「ゆ……ゆゆゆ?」」」」
物陰から、2人、3人……た、たくさんのゆっくりが、わっと飛び出したが、ありすが
ゴロゴロと転がり痛がっているのを見て、どうして良いかわからなくなったみたい。
思い出した。
ぱちゅりーが言っていた、人間さん達に思い知らせる作戦。
まず、ありすが武器を使って人間さんに大怪我をさせる。怯んだところを、他のみんな
でボコボコにする。
れいむも、ちょっとだけ上手くいくかもと思った。人間さん達から奪ったという、武器
も怖いモノだったし。確か、木さんの枝も簡単にちょっきんと切れちゃう武器だ。
賢くて強い、長のらんをあっさりとやっつけちゃったし。
でも、人間さんからご馳走さんをもらった方がゆっくり出来ると思ったから、れいむは
参加しなかったのだ。
人間さん達もさすがにビックリしたのか、なにかコソコソと話している。
それもすぐに止めて、またれいむ達に向かって話し始めた。
「みんなも知っている通り、ここには決まりがある。ゆっくりであるみんなは、仲間に酷
いことを言わない、仲間に酷いことをしない、人間に酷いことを言わない、人間の言うこ
とはちゃんと聞く。大まかに言えば、この4つだ」
──なんでもいいから、さっさと ゆっくり ごはんをたべさせてほしいよ。
「もちろん、俺……私達、人間にも決まりはある。これから、決まりを破った者に対して、
罰を与える。私も、決まりを破った者として罰を受ける」
罰……という響きが、酷くゆっくり出来ない感じがした。
でも、ゆっくり考えると、れいむには関係なさそうだ。
──だって、れいむは きまりを やぶるような、クズじゃないもんね。
「お、おかあしゃん? れいみゅ、クジュじゃないよ?」
「れいみゅも、おりこうにしてりゅよ?」
「れいみゅを、いじめにゃいでね? ちゅぶしゃにゃいでね?」
「しずかにしてなくちゃ だめだよ。ごはんまで、もうちょっとだから。ゆっくり おりこ
うに、がまんしてね」
「「「ゆ、ゆっくり りかいしたよっ!」」」
静かにと、もう一度言うと、おチビちゃん達はピタリと口をつぐんで、声を出さずに頷
いてきた。本当に、れいむのおチビちゃん達はお利口だ。
さっきから喋っていた人間さんに、別の人間さんが近づく。
ガゴンッ!!
と、凄い音がして、人間さんの一人がグルッと回って、ドサンと倒れた。
さっきまでとは、別の人間さんの声が響いた。
「彼は人間側の決まりを破ったので、今、罰を受けた」
罰? ガゴンって言って、グルンってして、ドサンってなるのが?
なんだか、怖い。よくわからないけど、あれはとてもゆっくり出来ない気がする。
ガゴンって言って、グルンってして、ドサンってなった人間さんは、頭が変わっていた。
被っていたお帽子が取れちゃって、髪の毛が見えているのだ。
「むきゅ! あの、ありす みたいな かみ はっ! ぱちぇは おぼえてるわ! あなた、
まりさを ころした にんげんね!」
「げふっ! ごげふっ! がげふっ!」
ぱちゅりーが、ガゴンのグルンのドサンてなった人間さんを見て言い、それに対して……
ありすがなんて言ったのかは、さっぱりわからない。
口の中に武器が刺さってるみたいだから、上手く喋れないのだろう。
でもきっと、ありすのことだから、ぱちゅりーに文句を言ってるんじゃないかな?
「彼は、ゆっくりを勝手に潰した」
「むきゅあきゅあ! いいきみよ! ゆっくり ごろしの にんげんは、ゆっくりしないで
さっさと しねばいいのよ!」
ぱちゅりーが得意げに笑っている。思い知ったか、賢者ぱちゅりーの『えいち』の勝利
だとかなんとか……
でも、ぱちゅりーはなんにもしてないと思う。
あ。
したけど、失敗したんだっけ?
「違う」
「むきゅ……?」
「ゆっくりを殺したから、罰を受けたんじゃない。勝手に、ゆっくりを潰したから、罰を
受けたんだ」
「むむきゅ? なにを いってるの? ばかなの? しぬの? おんなじことじゃないの」
「違う。彼が罰を受けた理由は『勝手に、ゆっくりを潰してはいけない』という決まりを
破ったからだ」
「だ、だから……!」
「理由があれば、ゆっくりを潰しても構わない。たとえば、悪いゆっくりに罰を与える……
などの、理由があれば」
「むきゅ……? かまわないとか、なに いってるの? へんなことを いわないで!」
なんとなくだけど、また、ゆっくり出来ない気分になった。
でもきっと、れいむには関係ないはずだ。だって、悪いことなんてしてないもの。
悪いゆっくりというと、ぱちゅりーだろうか?
ありすもだろう。
二人の考えに賛同した群れのゆっくり達も、そうかもしれない。
「だ、だったら……わたしが、いちばん わるい。おさ の せきにんを……はたせなかった、
わたしが……ばつをうけます!」
よろよろと、らんが広場に出て来た。背中を、ありすに武器で刺されて大怪我してるの
に。
大怪我して、痛くて、ゆっくり出来ないだろうに。
そんな状況で歩くなんて、想像しただけでゆっくり出来ない。
見ているだけで、ゆっくり出来ない気持ちが、れいむの体中に広がった。
見たくもない。
──ゆっくり できないことは、れいむに みえないところでしてほしいよ……
*** *** *** ***
体を動かすたびに、背中の傷が痛んだ。
それでもゆっくりゆっくりと進み、らんはようやく広場へ辿り着いた。
広場から騒ぎが聞こえるたびに、不安が心に広がった。
人間さんに、怪我をさせたりしていないだろうか?
群れのゆっくり達は、無事だろうか?
ぱちゅりーの、高笑いも聞こえた。
でも人間さんの声は、落ち着いていた。
その声が聞こえると、らんの中の嫌な予感が、ほんの少しだけど、薄らいだ気がした。
「理由があれば、ゆっくりを潰しても構わない。たとえば、悪いゆっくりに罰を与える……
などの、理由があれば」
それでも、つらい言葉を言っている。あまり聞きたくなかった言葉だが、決まりを破れ
ば、罰を受けるというのは、らんにもよくわかる話だった。
だから。
だったら。
「だ、だったら……わたしが、いちばん わるい。おさ の せきにんを……はたせなかった、
わたしが……ばつをうけます!」
「お前は……」
人間さんが、らんのことを見た。らんも、人間さんを見た。
あの、お兄さんだ。らんを助けてくれた、お医者さんだ。声が聞こえたときに、もしか
したらと思ったけど、やっぱりだった。
他の人間さんはともかく、このお兄さんのお顔ははっきりと憶えている。
「ばつなら……らんに、してください。らんが……らんが、わるいから……」
「お前さんだけが罰を受ければ、済むって話でもないぞ」
別の人間さんが、言う。途端に、らんの気持ちが暗くなった。
嫌な予感とは違う。
背中の痛みに邪魔されながらも、自分の中に広がった気持ちがなんなのか、考えた。
考えたけど、すぐにはわからなかった。
「もう、罰を受けるべきゆっくりは決まってるんだ」
わかるか? と、らんの気持ちを暗くした人間さんが、言ってきた。こんなに気持ちを
暗くすることを言う人間さんなのに、らんには怖い人とも悪い人とも思えなかった。
声が優しい。お顔は……怖い感じだけど、怖いだけじゃない。上手く言えないけれど、
大丈夫という気持ちにさせてくれるお顔だ。
なのにその言葉は、らんの気持ちを暗くしてしまっている。
「今、人間に酷いことをしようとしたゆっくり達がいる。長の責任で肩代わりってのなら、
お前に出来るのはそいつらの分だけだ」
「……はい」
少し、わかった気がする。
この暗い気持ちは、嫌な予感なんかじゃない。そんな、ボンヤリしたものじゃない。
どうしようもなく、決まってしまっているのだ。それが、伝わってきたんだ。
つらいことが始まる。
悲しいことが始まる。
でもそれは、もうとっくの前から決まっていたこと。もっともっと前から頑張っていた
ら、なんとか出来ただろうか?
どちらにしても、もう変えられない。
今が……
らんの大切な「今」が、壊れてしまう。
それでも、らんにはどうしようもない。
らんに出来ることは、せめて長として……
「長の責任というのなら、お前さんはこれから、全部見届けなくちゃな。目を逸らさずに」
ハッとして、人間さんを見上げる。らんの、考えていたとおりのことを、言ったから。
「ら、らんは……」
「おう、あってるよ。お前さんは、間違っちゃいない」
この人間さんは、らんの気持ちがわかるのだろうか?
らんの考えていることが、わかるのだろうか?
「先輩……?」
お医者のお兄さんが、不思議な人間さんに声をかける。それに対して、不思議な人間さ
んが「ああ、そっか」と気の抜けた声を上げた。
「お前さんにも、罰を与えなくちゃいけないんだったな。何があったのか、知ってるか?」
「……わかります」
何があったのか、想像は付いた。人間さんの道具を使って、人間さんを傷つけようとし
た。鋏という、ちょきちょき良く切れる道具だ。誰かを傷つけるための、武器なんかじゃ
ないのに……
その鋏を咥えて、体当たりをされた。らんの背中には、穴のような傷が出来ているはず
だ。
でも、きっと人間さんには通用しなかっただろう。見れば、ありすは鋏を口の奥にまで
押し込められた状態で、う~う~唸って苦しんでいる。
「らんも、やられました。らんには……とめられなかった。おさなのに……みんなを……」
「小僧も、あ~……あの人間も、決まりを破ってな。ゆっくり達の前で、自ら罰を受けた」
「そうなんですか……」
「やったのは、俺だ。吹っ飛ぶくらい強く、ぶん殴った」
「ふ……ふっとぶくらい!?」
寝ていたのかと思ったけど、そうじゃないみたいだ。
もう一人、ありすみたいに金髪の人間さんが、ふらふらと立ち上がった。
「お前さん、背中に怪我してるな。結構、深そうだぞ?」
「これは……かんけいないです。だいじょうぶです」
不思議な人間さんの、お顔が近づいてくる。しゃがみ込んで、らんに顔を近づける。
「それじゃ、罰を与える」
「は……はい……!」
人間さんのお手々が、振り上げられる。怖くなって、らんはきつく目を閉じてしまった。
全てを見届けろと言われたのに。
バシーーンッ!!
と、凄い音がした。ほっぺたがグッと押されて、体がグルグルと回った。背中が、ズキ
ズキと痛んだ。
背中だけが、痛かった。
*** *** *** ***
後編に続きます・・・
制裁 実験 同族殺し 加工場 独自設定 人間複数登場
【小僧、少しだけ前を向くのこと】
※
現代社会をベースに、ゆっくり達が「奇妙な新種」として実在する世界だと思ってください。
ノリとしては、ヤンバルクイナ等々の新種発見ブームが一段落した後みたいな感じです。
なお、ヤンバルクイナをゆっくりと同列に語ってるわけではありません。その点は誤解しないでください。
※
anko1323 1・学者
anko1324 2・先輩
今作 3・小僧(前&後)
と、連続しています。
どこから読んでも、それほど問題ないようにしようと努めたつもりです。
※
設定に違和感を憶える場合もあるかと思いますが
「ああ、こういう世界なのね」と大らかな気持ちで見てくだされば幸いです。
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しくじった。
ゆっくりを、潰してしまったんだ。
そこらにいる野良ゆっくりを潰したわけじゃない。俺のバイト先である、研究所で飼育
してるのを、ついやっちまったんだ。
一応は断っておくけど、「ゆっくり」ってのは今や珍しくもなんともない、動く不細工
饅頭のことだ。
発見されたばかりの頃は、ほとんど無条件に持て囃されてたらしい。こんなどうしよう
もない、饅頭の出来損ないが、さ。
でも、どこにでも居やがる上に、迷惑なことを山ほどしでかして、たいていは不細工で、
泣きわめき方が大袈裟で、物覚えも悪いし態度も悪いし……よっぽどの物好きくらいしか
もう可愛がったりしないだろう。
ただ、饅頭のくせに生物のように動くっていうんだから、不思議の塊なんだろう。だか
ら、その饅頭の出来損ないを研究するところも、世の中にはある。
その研究してるところの一つが、東京特定生物研究所……通称「加工所」で、俺のバイ
ト先。
……なんだけど、やっぱクビになっちゃうのかなぁ……
今、俺はその応接室にあるソファーに座らされている。向かいには、研究所の所長と、
研究部門を取り仕切っている主任が、難しい顔で座っていて……
「誤って潰した……というわけでも、ないようですね」
主任が、つまらなさそうに言う。
ちょっとキツめだけど、結構いい女だ。メガネも白衣もよく似合う、絵に描いたような
才女。この人目当てにバイトの面接に来て、落ちたヤツを三人ほど知っている。
「あのぉ……ね? 承知してるとは思うけど、ゆっくりはただ飼ってるわけじゃないんだ。
ないんですよ? なんというのかなぁ? 備品というか、財産というか……」
「わ、わかっているつもりです。でも、ゆっくり達の教育も、仕事の内ですし……確かに、
多少やりすぎたとは自分でも思いますが、でも……」
所長が、笑ってるんだか困ってるんだか微妙な表情で言いかける説明を、遮るようにし
て俺も言い訳を口にする。
俺だって、せっかくのバイトをクビになりたくないし、どうせならここで働き続けたい
と思っている。
ゆっくり共にはイライラさせられっぱなしだが、それでも研究だの実験だので弄くり回
され悲鳴を上げるアイツらを見ることも出来るし、時にはゆっくりの「処分」を手伝わせ
て貰えることもある。
もしかしたら、実験そのものを手伝わせて貰える日だって、来ないとも限らないんだ。
『ごはん はこびの どれいは、さっさと まりささまに、あまあまをたくさん はこんでく
ればぶれびゅばっ!? なっ、なにするんだずべるば!? ぶびゅ! ぶぶびゅばっ!』
「あ~……えっと……た、多少というか、つい、その……感情的になってというか……」
監視カメラがしっかりと捕らえて記録していたらしい、つい先ほどの様子──俺が我慢
の限界に達して、ゆっくりを文字通り死ぬほど蹴り転がした様子、しかも音声付き──に、
言い訳もつい尻すぼみになってしまう。
「……どうせ潰してしまうのなら、ジワジワと踏むなどして欲しかったですね」
その映像を何度も何度も見ていた男が、妙なことをポツリと呟いた。
「癇癪を起こして、飼育しているものを殺傷したことに違いないから、どちらにせよ問題
だよ? 問題でしょう。ゆっくり達も、タダじゃないんだから」
所長が、もっともなことを言う。
ゆっくりを……というか、会社の備品を勝手に壊したバイトを、クビにするかどうかと
いうときに、壊し方に文句を付けるというのは変だろう。
いや、仮にクビにされないんだとしても、所長が言うとおり潰してしまったことには違
いないんだし……
「もし踏み潰していたら……なにか、参考になったんですか?」
ところが、主任は興味があるらしい。男の方へ向き直って、いくらか柔らかい声で質問
している。俺に対してはあんなに冷たい声だったのに。
「限界値のサンプルです。打撃は、ある意味では再現しやすいでしょう。同じ傷をゆっく
りが負っていくようにすればいいのですから。ただ、実際の数値は取りにくい。再現した
つもりでも、ダメージの正確な蓄積値を算出するためには、複数の試行と統計化が必要だ
と思います。一試行の再現のために、複数回の、です」
よくわからないことを、淡々と無表情に言ってくる。
「なるほど」
「ははぁ~……そういうもんですか、なるほどねぇ」
なにが「なるほど」なのか、さっぱりわからない。
「ジワジワと踏み潰すという行為なら、外傷による確認と再現は難しいですが、計測は比
較的用意です。加圧値を測定する機器はいくらでもありますし、その限界値も明確にわか
ると思いませんか?」
「つまり、大きさを始めとする個体差による、外圧に対する耐久力を算出しようとした場
合に……」
「はいはい! 今こそわかりましたよ、うん、わかった! つまりだ、『ゆっくりは柔ら
かいから、上に重い物を落とさないで、載せないで』と注意するにしても……」
「そうです。重い物とは、どの程度か。どのくらい育っていれば、どこまでの重量に耐え
られるのか。明確な線引きを提示するためには、データが必要ですから」
なに言ってんだ、この人達?
そんなの、どうでもいいんじゃないのか?
そりゃ、ゆっくりをペットとして飼ってる人が、未だにいることは俺も知ってる。飼う
ことを検討してる人だっているだろう。そういう人達に、飼う上での注意とかは必要かも
しれない。
でも、そういう人達ってゆっくりを無駄に大事にしてるから、上に重い物を載せたり潰
れるほど酷く扱ったりはしないんじゃないのか?
確か、ゆっくりを可愛がってばかりの「愛ゆ家」とか「愛で派」とか言われてる連中は、
それこそ甘やかしたい放題に甘やかして、馬鹿みたいに丁重に扱ってるらしいから、そも
そもそんなデータに出番はないと思うんだけど……
「カメラに映っている場所で実行した点は、評価できると思います。次からは力加減を確
認しながら、踏み潰すようにして貰ってはどうでしょう?」
「そうですね、そうして貰いましょう。あなたも、わかりましたね?」
「へ? あ……? はっ、はい! えっと……踏んで潰せば良いんですね?」
正直、わかっちゃいないが、ともかくクビにはならずに済みそうだ。しかも、踏むんだ
ったらゆっくりを潰してOKというお墨付きも……
「いやいやいや! 違うよ? そうじゃないでしょう? ゆっくり1匹とはいえ、研究所
に損失を出した点は解決してないよ?」
「あら、そうでしたね」
やっぱり、そう簡単にはいかないか。所長、そこはスルーして欲しかった。
……無理だろうけど。
「一応ね、ゆっくりを勝手に傷つけたり潰したりしちゃいけないってのは、雇用契約書に
も書いてあるんだ。あるんですよ?」
「研究対象を除き……とありましたから、てっきり外部から持ち込まれたものに限るのか
と思っていました」
「まぁ、君は直接に研究へ携わるわけだから、その認識でそれほど大きな問題もないんだ
けどねぇ。彼の場合は、飼育に関することが主な仕事だから」
「なるほど。確かに、部署が違いますね。余計な口出しをして、申し訳ありません」
軽く頭を下げて、その男はまたモニターに向かい直す。そしてまた、映像を巻き戻して
俺がゆっくりを蹴り殺す様子を見始めた。
『ごはん はこびの どれいは、さっさと まりささまに あまあまをたくさん……』
なんか状況が不利になりそうだから、やめて欲しいんだけどなぁ……
そもそも、なんでアイツはここにいるんだ?
いや……俺より年上みたいだし、正規雇用の研究者様だから、バイト風情が「アイツ」
呼ばわりは失礼か。
でも、人事部の人でもなければ、飼育部の偉い人でもない。……まぁ、飼育部なんて部
署はそもそも無くて、研究員の人達が俺達バイトを使って飼育してるんだけど。
でも、あの男をよく見るようになったのは、つい最近だ。確か、新規雇用の研究者だと
聞いた気もする。
言ってみれば、俺の方がこの研究所の先輩なんだ。
……まぁ、俺はただのバイトだけど。
「あのぉ……やっぱり、クビですか?」
「ふ~む、どうしましょうか……どうしたもんかね?」
なぜだか答えあぐねて、所長が主任に意見を求めた。クスリと笑って、からかってるみ
たいに主任が問い返す。
「妙な噂を、気にしていますか?」
「気にはならんよ。実際、その手の人達が大勢来ちゃったりしたら困るんだから」
噂ってのは、多分「虐待お兄さんは、加工所で雇って貰えない。雇って貰っても、バレ
たら即クビ」というものだろう。
実際、それでいいと思う。所長の言うとおり、虐待お兄さんと言われている人達が大挙
してやってきたら、研究対象のゆっくりが3日と保たずに全滅しそうだし。
俺だって、元々は虐待お兄さんじゃなかったつもりだ。そりゃ、野良ゆっくりをけっ飛
ばしたことくらいはあるけど……それくらい、誰だってやるだろう?
だけど、ここでバイトしている内に、ゆっくりに対する怒りというか、イライラが溜ま
りに溜まったんだ。
その憂さを晴らすために、野良ゆっくりをいたぶるようになって、そのうち虐待お兄さ
んを自称して憚らない人達が集うサイトなんかを見るようになり、ゆっくりの虐め方を学
ぶようになり……
そして、ついに今日。仕事終わりまで我慢できずに、やっちまった。
「……杜撰ではありますが、心得ているようですね」
「ん? なにがですかな?」
また男が妙なことを言って、今度は所長がそれに食いつく。
この所長、それほど親しくない俺から見ても“気の良いおっさん”で、お人好しという
評判もあるから、「クビだ」の一言がなかなか言い出せないだけなのかもしれない。
「彼の、打撃の加え方が……」
男が何か言いかけたところで、電子音が微かに響く。どうやら、携帯らしい。
「失礼、電源を切っていませんでした」
そう言って、部屋から出て行った。出て行きがけに、電話の相手へ「先輩ですか?」と
か聞いていたから、私用電話なのだろう。
ドアが閉まる音の後、妙な沈黙が続いた。
気まずい。
やっぱ、クビになっちゃうのかなぁ……
「なんだか、彼は評価しているようでしたね」
「そうかね? ふむ、そうか……まぁ、聞きようによっては、そんな感じだったねぇ」
そうかな? たいして興味も無さそうだったし、終始その整った顔に表情も出さず……
そう、むかつくことに結構いい男なんだ、俺から見ても。でも、まるで無表情で無愛想で、
なに考えてるのか、さっぱりわからなかったけどなぁ。
所長が、腕を組んで首を傾げた。
そしてまた、妙な沈黙が続く。居心地が悪い。どうせなら、さっさと答えを出して欲し
い。
……けど、クビだけは避ける方向でお願いしたいなぁ。
無理かなぁ。
*** *** *** ***
「ゆるされないわ! みんなも、そう おもうでしょう!?」
ありすが、大きな声を出してみんなのことを見渡した。そのありすのお顔がこちらに向
くちょっと前に、れいむは顔を伏せて地面さんを見てしまった。
──べつに。れいむは そんなの、おもわないよ。
思うだけで、口には出さない。聞こえるように言っちゃうと、ゆっくり出来ないことに
なりそうだから。
ありすが怒っているのは、彼女が大好きなまりさが死んだからだ。
まりさは、殺された。
ご馳走さんを持ってきてくれるお兄さんに、酷いことを言ったから、殺されたのだ。
お兄さんに向かって、奴隷と言った。お兄さんは、れいむ達ゆっくりを世話してくれる
人間さん達の一人なのに……お礼をいっぱい言ってあげた方がいい相手なのに、酷いこと
を言った。
あんな酷いことを言われれば、誰だって怒るに決まってる。怒った人間さんには、ゆっ
くりは敵わない。それくらいのこと、この群れのみんなが知ってる。他の群れのゆっくり
達も知っているだろう。
人間さんは、とっても強いのだ。
人間さんと暮らしてるからか、いろいろな決まりがある。
れいむ達ゆっくりにも、いろいろ決まりがあって大変だけど、それほど難しいことじゃ
ない。誰が相手でも、酷いことを言わない。酷いことをしない。結局はその二つで、別に
決められなくても当然のことだと、れいむは思っていた。だって、そんな酷いことを言っ
たり言われたり、酷いことをしたりされたりなんて、ゆっくり出来ないもの。
それに人間さんは、お礼を言ってあげたりお歌を歌ってあげたりすると、な~でなでし
てくれたり、髪の毛をさ~らさらにしてくれたり、アマアマをくれたりもする。だから、
人間さんとは仲良くした方が得なのだ。それくらいのこと、この群れのみんなが知ってる。
他の群れのゆっくり達も知っているだろう。
人間さんは、意外とちょろいのだ。
「みんなが あいしてくれた、まりさは しんだ!? なぜなの!?」
──バカだからでしょ。
「でも これは、ありすたちの まけを いみするんじゃないわ! これは はじまりよ!」
負けだと思う。勝てなかったから殺されたんだし、死んじゃったら負けだと思う。
れいむは、長生きをしたい。その長生きの間は出来るだけ、ゆっくりしたい。たくさん
ゆっくり出来れば、れいむの勝ちだと思う。
始まりって言っても、なにが始まるというのだろう。終わっちゃってるのだ。だって、
死んだら終わりだもの。
だいたい、「ありすたちの」とか言って、れいむ達まで一緒にしないで欲しい。
死んじゃったまりさも、今大声を出してるありすも、その側でぎょろぎょろ周りを見て
いるぱちゅりーも、群れのみんなは嫌っているのだ。
理由は、ゆっくり出来ないから。あのグループは、意地悪だし、すぐに暴力を振るうし、
いつも偉そうにしているし、そのくせ群れのためになることをなんにもしないし。れいむ
にだって、なんにもしてくれないし。
そっと他のみんなを見渡すと、やっぱり嫌そうな顔をしてた。うるさいなぁとか、迷惑
だなぁとか、一緒にしないで欲しいなぁとか。みんなみんな、れいむと同じようなことを
考えてるんだろう。
「ありすなんかが いうまでもなく、みんな わかってるわね? そう……おもいしらせる
べきだわ」
ぱちゅりーまで、変なことを言い始めた。
わかってるって、なにを? まりさがバカだったってこと?
思い知らせるって、誰に? いい加減、自分達が嫌われてるって思い知った方が良いと
思うけど。
「ぱちゅりーの いいかたに、ちょっと ひっかかるものがあったけど、おもいしらせるべ
きなのよ!」
「それは もう、ぱちぇが いったわ。むだに くりかえさないで」
あの二人は、まりさが生きていた頃から仲が悪かった。二人して、まりさの気を引こう
と張り合っていたのだ。あんなののどこが良いのか、さっぱりわからない。
あのまりさよりも、れいむのまりさの方がずっと素敵だった。
なのに、れいむのまりさは病気になって……れいむと、おチビちゃん達を残して、一足
先に天国へと旅立ってしまったのだ……
しかも、片親を失ったために、おチビちゃん達の数も減ってしまった。何人だったか憶
えてないけど、ともかく何人かのおチビちゃんが、れいむのまりさを追いかけて天国へ行
ってしまったのだ……
ああ、れいむはなんて悲しい星の元に生まれてしまったのだろう。悲劇のヒロインとは
れいむのことだ。
「いま、ありすは だいじな はなしを みんなにしているのよ!? ぱちゅりーは よけい
なことを いわないでくれる!?」
「ありすこそ、むだなことばかり いってないで、かんじんなことを いいなさい。それが
できないと いうのなら、だまってて。かしこい ぱちぇが みんなに はなすから」
せっかく、れいむが思い出に浸っているというのに、バカ二人のうるさい声が台無しに
してしまう。思い浮かべることが出来たれいむのまりさの姿も、掻き消えてしまった。
あの素敵なまりさの帽子の色は……青だったかな? あれ? 赤かった気もする。
「くっ! ほんとう、いやなやつね! ありすは まえまえから、あなたのことが きにく
わなかったわ!」
「ぱちぇは、はっきりと ありすなんて だいきらいだって いえるわ」
もう、いいから勝手に喧嘩でもして、二人纏めて人間さんに叱られてくれないかなぁ。
あの二人が仮に殺されたとしても、れいむは困らないし。
きっと、この群れのみんなだって困らないだろう。他の群れのゆっくり達にも、困る人
なんていないはずだ。
「あなたとは、いずれ けっちゃくをつけてあげるわ! でも そのまえに、だいじなのは
まりさの かたきうちよ!」
「むきゅ、そうね。その てんだけは、どうい してあげるわ」
そんなの、全然大事じゃない。
そんなことより、ご馳走さんの方がよっぽど大事なことだ。そろそろお腹も空いてきた
が、今日はご馳走さんはないのだろうか?
「ぱちぇに いい かんがえがあるの。みんなで、にんげんという クズな どれいどもに、
みのほどをおもいしらせましょう」
*** *** *** ***
「……ここが研究所か? 立派な建物じゃないか」
「外見だけではなく、中も立派なものですよ。設備や機材も、良い物が揃っています」
ゆっくりの家族を拾った。
いや、「拾った」というのは、正確じゃないか……俺の家に、たまたま通りがかったと
いう感じだ。
まりさ種の母親に、未熟児の状態で生まれたばかりの、ありす種が2匹に、れいむ種と
まりさ種が1匹ずつ。親子合わせて5匹が、飼い主から捨てられた直後で、飢え死にして
も不思議じゃない状態だった……の、だろうと思う。
まぁ、細かいところは、ゆっくりに詳しくないので判断は出来ないが。
ゆっくりなんかを拾うつもりは無かったし、飼う気持ちも毛頭無かったが、そのまま死
なれても寝覚めが悪いと、餌をやってしまった。野良に餌をやった以上、責任は生じるも
んだ。少なくとも俺は、祖父にゲンコツ付きでそう教わった。
ところが、その日の内に、どたばたと次々騒ぎが起こり、チビ2匹が大怪我をこさえた。
どたばたの詳細は省くが、チビれいむは半身が潰れるという大怪我を負い、虫の息。
チビありすの1匹は、「んほんほ」言って、家族に襲い掛かったりもした。発情しっぱ
なしの状態になって、元に戻らなくなったようだ。
とにかく、俺の手に負えない状況になってしまったわけだ。
餌をやった以上は、責任が生じる。責任が俺にある以上、このまま死なれれば俺が殺し
たも同然。それが、ゆっくりだとしても、気分の良いものじゃない。
そこで、ゆっくりに詳しいらしい学生時代の後輩に電話をかけ、助けを求めたのだ。
「でも……いいのか、学者? ここって、お前の仕事場だろ? 公私混同は良くないと思
うが」
「確認は、ちゃんと取ってあります。ゆっくりの治療も請け負っていますから、業務の範
疇ですし、ぜひこちらでと言われたくらいですよ。まぁ、当然ながらお代は頂きますが」
「あ~……まぁ、幸い今は懐も温かいしな。なんとかなるだろ」
この後輩、通称“学者”に連れてこられたのが、ここ、東京特定生物研究所。ゆっくり
の研究をやってるらしいことは、名前からも想像がついたが、ゆっくりの病院もやってる
らしい。
「急ぎましょうか。この手の建物は嫌いでしょうが、気後れしている暇はありませんよ、
先輩。ろくに応急処置も出来なかったんですから」
「はいよ」
飼うつもりなど毛頭無かったのだから、俺の家にはゆっくりを治療するためのものなん
て、何もなかった。
オレンジジュースが万能薬のようにして、ゆっくりの治療に役立つのだと電話で言われ
た。が、それもなかった。リンゴジュースはあったので、代替品として使ったが……どの
程度の効果があったのだろうか? ゆっくりに関しては、わからないことだらけだ。
まぁ、俺個人に知識がないというのもあるが、一般的にだって謎の存在だ。
「……にしても、つくづくデタラメだな。オレンジジュースが、薬だなんて」
「確かに、薬のような作用を果たしますが、薬そのものとは違いますよ」
門を抜け、玄関を潜り、建物の中へと入る。学校や病院、役所なんかの大きめの施設に
よくある、リノリウム貼りの廊下に、味気ない色の壁と天井。どこか威圧的な雰囲気のあ
る造り……学者が言うように気後れするほどじゃないが、やっぱり好きにはなれない。
指し示されたカート──スーパーなどで見るショッピングカートによく似ているが、荷
台の底が網状ではなく板貼りになっている──に、連れてきた母親まりさと、無事だった
2匹の赤ん坊、そして発情しっぱなしのチビありすを入れたコップと、半身が潰れたチビ
れいむを入れた小鉢を乗せる。
「お兄さん。ここで、おチビちゃんは治るんですか? おチビちゃんは助かるんですか?」
母親まりさが、気遣わしげに聞いてきた。ゆっくりのまりさ種は、黒く大きなとんがり
帽子がトレードマークなのだが、今は被っていない。チビ達のトイレ代わりにして、糞尿
で汚れてしまったからだ。
その汚れた帽子も、買い物袋に入れて持ってきた。こいつの洗濯の仕方も聞いておかな
いと。
「ど、どうなんですか、お兄さん?」
「ん? ん~~、わからん。ここで無理なら、どこへ行っても無理ってことだろうな」
「そんなぁ……なんとかしてください、お兄さん! まりさ、なんでもしますから!」
「俺にだってどうにも出来んし、お前だってなんも出来んだろうが」
「ゆ……? …………ほ、本当だっ!? どうしたらいいんですか!?」
「どうもこうも、任せるしかないんだよ。学者に頼め」
「お願いします、学者さんっ!!」
即座に学者の方へ向き直って、母親まりさがゆさゆさと前後運動をする。多分、繰り返
し頭を下げているつもりなんだろう。
未熟児のチビ達も、母親を真似てゆらゆら動きながら、聞き取りにくい声でお願いしま
すと何度も言い始めた。
「……善処はする」
珍しく、学者が驚いた顔をしている。ゆっくりを研究してても、ゆっくりから「お願い」
なんてされることは珍しいんだろうか?
「こちらです、先輩」
「はいよ」
学者が先に立ち、案内してくれる。その後ろを、カートを押しながらついて行った。
人に任せた途端、いくらか気が楽になっている。妙なものだ、依頼一つで「出来ること
は全てやった」という気分になったのだろうか。
「まぁ実際、俺に出来ることなんてそれくらいだしなぁ」
「はい?」
「いや、あとは治療が上手くいくように、祈るだけだと思ってな」
「祈りが結果に影響を及ぼすとも思えませんが……それで先輩の気が済むなら、ご自由に」
「そういうこと、余所で言うなよ」
「そうします」
学者が、まだ治療をしようとしてるのだから、なんとか出来る確率はあるはずだ。なら、
きっと学者はなんとでもしてくれる。
それでも無理だったら、それこそ運が悪かったと言うだけのことだろう。
*** *** *** ***
「どう? これなら にんげんさんも、ないて ゆるしをこうこと まちがいなしよ」
らんは、呆れてしばらくの間、声も出なかった。自分の、たくさんある大きな尻尾が、
ただゾワゾワと震えている。
不良グループの、ぱちゅりーが得意げにみんなのことを見渡していた。同じグループの
ありすはその隣で面白くなさそうに、そっぽを向いている。
不良グループの首領格だった、まりさが殺されたことに対して報復に出ようというのだ。
あまりに無謀だし見当違いだと、らんは思った。
この場所は、人間さんによって管理されているのだ。人間さんの持ち物だ。その中で、
自分達ゆっくりは暮らさせて貰っているにすぎない。らん達の群れも、他の群れも、全て
そうだ。だから、人間さんには逆らっちゃいけない。いや、人間さんの決定は絶対なのだ。
言ってみれば、ここで暮らすゆっくりの全てとその社会は、人間さんに管理運営されて
いるのだ。奴隷という言葉を当て嵌めるなら、むしろゆっくり達こそが、人間さんの奴隷
だろう。
それでも、きっと他で生きていくより、ずっと恵まれてると思う。
奴隷と言っても、人間さん達がゆっくりに対して無茶な労働を強いるわけではない。ご
飯さんだって、与えられている。
ただ時々、連れて行かれたきり帰ってこないゆっくりがいるという点が、少し気になる
が……
今の状況が正しいのかと問われれば、らんは自信を持って「正しい」とも「間違ってる」
とも言えない。らんには、この場所以外の記憶がないから。他の場所の知識は全て、人間
さんと一緒に見た映像からのものばかりで、実際に経験してはいないから。
それでも、「恵まれている」と言うことは出来る。
らんの知識が正しければ、森には危険がいっぱいなのだ。街だって、どこもかしこも危
険が満ちあふれている。
人間さんに飼われていれば、ずっと安全だが、それはここの暮らしと大差ないだろう。
仲間が少ない分だけ、寂しいかもしれない。
らんは、大きな事故で死にかけて、ここへと連れてこられたのだという。人間さん達が、
とても助からないほどの大怪我から、助けてくれた。傷痕だらけだった身体も、綺麗に治
してくれた。
だけど、らんの記憶だけは取り戻せなかった。完全に失われているらしい、と、らんの
ことを治してくれたお医者さんが、静かに言った言葉が今も耳に残っている。
あの人間さんには、感謝している。
怪我が治ってからも、らんはしばらくの間、身動き一つ出来なかった。そのらんに、い
ろいろなものを見せてくれ、いろいろなお話を聞かせてくれた。
いつもお澄まし顔で、「データを取るためだ」と言っていたが、らんのことを助けよう
としてくれていることは、伝わってきたのだ。
街の中の、様々な風景。人間さん達の、日々の暮らし。野良ゆっくり達の生活。そして、
人間さんとゆっくり達の諍いの数々。
いろいろな、山の景色。自然というものの、美しさと恐ろしさ。その中で生きる、野生
ゆっくり達の様子。動物に狩られ、死んでいくゆっくり達。冬の寒さに凍えるゆっくり達。
雪に押し潰されて滅んだ群れ。
空っぽになっていたらんの中には、あのお兄さんが与えてくれるものの全てが入ってき
て、満ちていった。
お兄さんにいろいろなことを教えて貰いながら、らんは過去の無い自分には、きっと未
来というものも無いのだろうと、そう思うようになっていた。
だから、せめて今を守ろうと思った。
この場所にある群れの一つに加えられ、今を守ろうと心がけて暮らしていると、長とし
て群れの面倒を見るようにと、人間さんから言われたのだ。
群れのみんなも、新参者の自分を受け入れてくれた。そんな群れのみんなのために、頑
張ってきたつもりだった。
その「今」を、らんが唯一持っている「今」を、壊されたくないと、ずっと思ってきた。
誰であれ、壊させはしないと心に決めている。
あのお兄さんにだって、そのことはハッキリと言ってある。お兄さんは「やってみると
いい」と、らんに言ってくれた。
いつものお澄まし顔だったけど、励ましてくれたのだと思っている。
「ふんっ……くやしいけど、わるぢえに かんしては さすがよね、ぱちゅりーは」
「むきゅきゅん♪ ちえの ない ものの ねたみが、ほっぺに つきささるわ」
「くっ……むかつく! けど、おちつくのよ、ありす。そう、ありすは とかいはよ……
これくらいで、われを わすれたりしないの」
「ともかく、わかったら みんな、したくを……」
「まて! そんなことが、ほんとうに うまくいくと おもっているのか!?」
群れのみんなを先導しようとするぱちゅりーの言葉を遮るためにも、らんは大きな声を
出した。
強烈なほどの、嫌な予感が高まっている。らんの予感は、自分でも不思議に思えるほど
よく当たるのだ。特に、嫌な予感であるほど。
「にんげんさんは、きっと かんたんに みやぶるぞ! みやぶられなくても、にんげんさ
んに つうようするわけがない!」
「むきゅ……? やってみなくちゃ、わからないでしょう?」
「わかる。ぱちゅりーは、じぶんでは かしこい つもりのようだが、それくらいのことも
わからないのか?」
「むっっきゅぅうう! ばかにしないで! らんのくせに! けんじゃ ぱちゅりーの け
いかくに、おちど はないわ! くちだし しないでもらえるかしら!?」
「そうはいくか! わたしだって、むれを ひとつ まかされている み だ! みんなが、
あぶないことを しないように、きをつける ひつようがあるっ!」
言葉だけで簡単に諦めさせることが出来るとは、初めから思ってはいない。特にぱちゅ
りーは言葉でのやり取りが上手だし、たとえ言い負かされたとしても、逆ギレして負けを
認めない者が多い。
それでも、放っておくわけにはいかない。らんが声を荒げて危ないことだと言い続ける
ことで、聞いている周りのみんなが危険なのだと思ってくれれば、ぱちゅりー達の計画は
頓挫するはずなのだから。
「にんげんさんは、わたしたち よりずっと おおきいんだ。そして、わたしたちよりも、
ずっと かしこいんだ。にんげんさんと、かくれんぼ したことがあるものは、おもいだし
てみろ。おにごっこ したことがあるものは、おもいだしてみろ」
優しい人間さんの中には、ゆっくりと一緒に遊んでくれる者もいる。ごく稀ではあるが
……それでも、とても楽しかったり、とてもスリリングだったりと、ゆっくり同士ではな
かなか味わえない、素敵な一時なのだ。
だから、一度でも人間さんと遊んだことがある者達なら、すぐに思い出せる。
ゆっくりを、「お空を飛んでるみたい」に高々と、それも軽々と持ち上げてくれる、人
間さんの力を。
どれほど知恵を絞って隠れても、すぐに見つけてしまう人間さんの賢さと観察力を。
どれだけ素速く動いても、すぐに追いついてくる人間さんの素早さを。
その全てが、遊びのためではなく、ゆっくりを殺すために使われたとしたら?
ざわめきが広がる。ここで暮らすゆっくり達は、優しい人間さんと触れ合うことで、人
間さんのことを、他で暮らしているゆっくり達よりも知っているはずだ。
優しい人間さんを、侮り馬鹿にする者も多い。ぱちゅりー達もそうだ。
でも、優しい人間さんと仲良くしていた者ほど、人間さんの凄さを知っているはずだ。
その恐ろしさを、想像できるはずだ。
「そこまで いうのなら、うまくいくか どうか たしかめてもらおうかしら。らん じしん
の、みをもってね」
「なに……?」
嫌な予感が、膨れあがる。
ぱちゅりーが、気持ち悪い顔で笑っている。
その隣りで、ありすは……
ありすは、どこへ行った? ぱちゅりーの隣で、不機嫌そうな顔をしてた、ありすは……
嫌な予感が、らんの背中から襲い掛かってきた。
*** *** *** ***
『ごはん はこびの どれいは、さっさと まりささまに、あまあまをたくさん はこんでく
ればぶれびゅばっ!? なっ、なにするんだずべるば!? ぶびゅ! ぶぶびゅばっ!』
また、俺がゆっくりを蹴り殺したときの映像が流されている。映像が流れる度、ゆっく
りの悲鳴が聞こえてくる度、「やっぱり感情的になるのは良くないな」という反省が、心
に広がる。
死んだゆっくりに対しては、なんの感傷も湧かないけど。
「おーおー。派手に蹴っ転がしてんじゃねぇか、金髪小僧」
そんな俺自身の反省はまったく無視して、面白がっているような声が映像の中の俺を囃
し立てている。
てか、誰が金髪小僧だよ……まぁ、俺のことだろうけど。
応接室にいるメンツは、その半数ほどが変わっていた。
映像を見て囃し立てているのは、目つきの悪いオッサンで、ゆっくりの救急患者の飼い
主だ。
どうやら、あの妙なことばかり言っていた男──このオッサンには、“学者”とか呼ば
れていたっけ──の、先輩にあたるらしい。
その“先輩”が飼っているゆっくりは、全部で5匹。親が1匹に、赤ん坊が4匹。救急
患者は、赤ん坊のうちの2匹で、1匹は半分潰れて死にかけてたし、もう1匹は発情して
おかしくなってた。普通は、もう諦めてさっさとツブしちゃうところだと思う。
その2匹を、“学者”と主任が持っていって、今頃は治療の真っ最中のはずだ。
主任一人いなくなっただけで、途端に部屋の中が男臭くなったような気がする……
「やっぱり、ゆっくりってのは案外とタフに出来てんだなぁ」
「『たふ』ですか? 『たふ』ってなんですか、お兄さん?」
「タフってのは……あ~……言葉の意味としては、頑丈とか固いとか、粘りがあるとか、
しぶといとか……まぁこの場合は、少々のことじゃ潰れないってところか」
「む、難しいです!」
「そうか」
ゆっくりの親の方は、やけに行儀も良くて、賢そうだ。躾が行き届いているんだろう。
まりさタイプにしては、喋り方も丁寧で聞き取りやすい。
『ゆぶぶっ! ゆうごどぎがなぃだだだっ! せっ、せいさぁががが! がごが!』
「ほれ、見ろ。あんなに蹴っ転がされてるのに、まだ騒いでる。たいしたもんだ」
このオッサン、声だけ聞けば面白がっているような感じなのに、顔の方は……なんとい
うか凶悪な感じで、たいして面白くも無さそうな表情をしている。
というか、めっちゃ不機嫌そうだ。
怖い。
そもそも、自分の飼いゆっくりに、ゆっくりの虐待風景を見せて面白がる飼い主っての
は、普通じゃない気がする。
虐待お兄さんなら、そういう虐め方もあるだろうけど……でも、虐待お兄さんだったら、
わざわざ治療をここへ依頼してきたりしないだろうし……
『ひゃべぶぼっ! ひゃべっ! やべろっ! ぶべべろっ! やべでぇえええっ!!』
「へぇ~、本当に『やべでぇ』とか言うんだ」
「まぁ、言いますわな。ともあれ、この一件に関して彼の処遇を話し合っていたところに、
先輩さんからの依頼の電話があったと、そういうわけなんだよ」
「邪魔しちゃったってことですか?」
「いやいや、邪魔じゃないよ。邪魔じゃないですとも。それどころか、大事なお客さんだ
からねぇ」
所長が、その目つきの悪いオッサンに説明している。なんだか、ごく短時間でずいぶん
と仲良くなったな、この二人。気がついたら、所長まで“先輩”とか呼んでるし。
それはいいんだけど、話すならもっと他のことにして欲しい……俺のことなんて、どう
でも良いでしょうに……
「悪いのは、このゆっくりだと思います! だって、“きんぱつこぞー”のお兄さんに、
酷いことを言ったんだから!」
思わぬところから、弁護の言葉が出て来た。てか、誰が金髪小僧だ。
オッサンの飼いゆっくりが、「人間さんに酷いことを言っちゃいけないんだ」とかなん
とか言いながら、俺は悪くないと主張してくれている。
まさか、ゆっくりから弁護されるなんて……俺も、落ちるところまで落ちたってことか
なぁ……
「君は、そう思うのかな? はは~、そう思うのかい? そう教えられたのかな?」
「はい! ブリーダーのお父さんに、教えてもらったんです!」
「だからって死ぬまで蹴っ転がすのは、金髪小僧のやり過ぎじゃないのか?」
だから、金髪小僧って……さっき自己紹介したのに……
「まぁ、確かにやりすぎではあるんだよねぇ。一応、ゆっくり1匹1匹も、我が特定生物
研究所の大切な財産なわけだから。財産なんですよ、一応」
「話し合いが必要なほど、珍しい事件なんですか?」
「……は?」
「だから、小僧の処遇を話し合ってたんでしょ?」
オッサンが、ジロジロと俺を見回してくる。目つきだけじゃなく、態度もあんまり良く
ないな、この人。
しかも、人のことを小僧呼ばわりとか……まぁ、あんたみたいなオッサンから見れば、
そりゃ小僧でしょうけどね、俺なんか。
あんたより、ずっと若いしねっ!
「ゆっくりが、ここでどういう扱いなのかは知りませんが……なんにせよ、会社の財産を
駄目にしたってのなら、クビじゃないんですか? 良くて減俸でしょ、普通は」
うっ……と、息を呑んでしまう。そうなんだよ、その話がズルズルと長引いてしまって
いたんだよなぁ……
やっぱり、そうだよなぁ。部外者から見ても、クビだよなぁ……
「そうですねぇ……まぁ、目に余るようならクビでしょうが……でもね? 今回は、潰さ
れたゆっくりにも問題があったわけだし、減俸……と言っても、アルバイトだからねぇ」
アルバイトには、減俸という罰則は適用されないものなのだろうか? 損失を出したら、
バイト代から天引きってのは聞いたことがあるんだけど。そりゃ、バイト代が目減りする
のは正直嬉しくないけど、それでもクビよりはマシだ。
「……クビだけは勘弁してくれって面だな、小僧?」
「む……そ、そりゃ……まぁ、嫌ですよ」
俺への呼びかけまで、小僧かよ。ちゃんと自己紹介したっていうのに、俺の名前なんて
覚える価値がないってことなのか? まぁ、こっちだって、あんたの名前なんて覚える必
要はないだろうし、そのつもりも無いけどなっ!
「そんなに、ここのバイトって美味しいのか?」
「……」
「一般的なラインでのアルバイト料は出してますよ? 不当になっちゃいかんでしょうし、
かと言ってたんまり弾めるほど、裕福でも無し」
「小僧。おめぇさんに聞いてんだぞ、俺ぁ」
所長の言葉を無視して、先輩さんが目つきの悪さをさらに悪くして、俺を睨んでくる。
……正直、おっかない。
「あ~ららら~……彼、なにか先輩さんを怒らせるようなこと、したのかねぇ?」
「よくわかんないですけど、お兄さんは怒ってないですよ?」
所長の独り言に、ゆっくりまりさが答えを返している。
てか、これで「怒ってない」だって? この顔で?
「おや、そうなのか。君にはわかるのかい?」
「お兄さん、とってもとっても優しい人です。でも、怒ったときは、本当に怖いんです。
今より、もっともっとです!」
「そりゃあ、怖そうだねぇ。うん、怖そうだ」
すでに十分、めちゃめちゃ怖い顔をしてるじゃないか。これより怖くなるのか?
と、とにかく、ちゃんと答えないと、その「もっともっと怖い顔」を見ることになるの
かも……
それは嫌だなぁ……
「おっ……お、美味しいってほどじゃ、ないです。ただ、その、他のバイト……たとえば
コンビニとか、そういうところと比べると、服装とか、その、髪型とか……」
「ああ、なるほどな。客商売系のバイトだと、身なりに関してあれこれ言われるが、ここ
なら自由で気楽ってわけだ?」
「は、はい。そ、そういうことです」
「その金髪、染めてんのか?」
「染めて……というか、ブリーチですよ」
「……ん? 死神がバンカイでどうのっていう?」
「違います。髪の毛の脱色のことですよ」
顔つきは、おっかない。睨まれると、それだけで竦んでしまうほどだ。って、もしかし
たら睨んでないのかもしれない。単に無表情でこっちを見てるだけかもしれないけど、と
にかく怖い顔つきなんだ。人相が悪い。
しかも名前を覚えない。人のことを小僧呼ばわりする。
けど……本当に怒ってないのかもしれない。
少なくとも、話している声に棘はない。終始、気楽な調子で喋ってるから、こっちの気
も楽になってくる感じだ。
気安い感じ、っていうのかな? こういうの……
「髪のこともありますけど、やっぱり、クビにはなりたくないんですよ。たとえば、次の
バイト先に面接に言ったとき……」
「あ~。前のバイト先は不祥事しでかしてクビになりました、なんて言ったら、雇っちゃ
くれないだろうしなぁ」
所長が身を乗り出し、それだと手を打って話に入ってくる。
「そうそう、そう。そうなんですよ。前途有望……か、どうかはともかく、どんなものに
せよ前途のある若者の経歴に、軽々しく傷を付けるのは……躊躇われるからねぇ。躊躇っ
ちゃうでしょう?」
所長は、やっぱり人が良いらしい。
でも、どうして“前途有望”と言い切らなかったんですか?
「減俸もねぇ。まぁ、アルバイト料から、損失分を天引きすることは簡単だよ? でも、
彼はここのアルバイト料だけで生活しているらしくてねぇ」
「苦学生らしいから、同情しちゃったってわけですか、所長さんは?」
「いやね、同情というか、まぁ、その……でも、事実なんだよね?」
「え? は、はい。学費は親が出してくれてますが、一人暮らしをするなら、自分で稼げ
って……」
「いざとなりゃ、親元へ帰れそうな感じだなぁ、おい」
「それは……どうなのかなぁ。正直、わかりません」
「……わかんねぇのか?」
「はぁ……」
わからない、というか……正直、帰りたくない。けど、それはきっと俺のワガママだし、
ここで言っても仕方ないし……
「だったら、なんでこんなことをしたんだよ? 駄目だってことくらい……最悪、クビに
なるってことは、知ってたんじゃないのか?」
「それは、あのゆっくりが“きんぱつこぞー”のお兄さんに酷いことを言ったからだと思
います!」
「いや、まぁ、そうかもしれんが……」
先輩さんの飼っている親まりさは、人間に酷いことを言ったゆっくりは殺されるものだ
と信じて疑っていないようだ。
確かに、生意気どころじゃない口の利き方をするゆっくりは、高確率でそうなるけど…
…ゆっくりから言われると、なんか違うって気もする。
それでいいのかと、聞いてみたくなる。
「なんで……と言われても、その……カッとなって、というか……その……」
「あん?」
「あっ、あ、あの、だから……ずっと我慢してたんです! でも、それも限界が来てとい
うか……堪忍袋の緒が切れたっていうか……」
「つまり、自分に対して生意気なことを言ったから、むかっ腹が立ったってことか?」
「はぁ……まぁ……簡単に言うと」
呆れている。
顔つきがやけに凶悪な先輩さんでも、これは、ハッキリわかった。自分でも、感情的に
なるのは良くないって、つくづく思っているところだし……
「小せぇなぁ、おい」
「……え?」
なんのことか、しばらくわからなかった。
話の流れを振り返ってみて、多分だけど、俺のことを言ってるんだろうと思い至ったけ
ど……
小さいって、どういうこと?
所長もキョトンとして、先輩さんに確認する。
「小さい、ですか? 小さいですかねぇ?」
「小っせぇでしょ? 仕事でゆっくりの世話をしてるんでしょう? だったら潰した理由
も、たとえば一罰百戒の意味で……」
ガチャリと、唐突に大きな音を立ててドアが開かれ、早足に男が部屋に入ってきた。着
ていた白衣を脱ぎながら、先輩さんに声をかける。
「お待たせしました、先輩」
「終わったのか、学者?」
「ええ。ただ、2匹とも思っていた以上に状況が深刻です」
「で? お手上げってことか」
「まさか。治療はしました、ちゃんと生きていますよ。とはいえ、今もまだ主任に見ても
らっている状態ですが」
「……そっか」
「先輩には何点か、承知しておいてもらいたいことがあるんですが」
「なんだよ?」
自分の飼いゆっくり、しかも治療を頼んだ赤ん坊ゆっくりが「生きてはいるが、深刻な
状況」だっていうのに、先輩さんは相変わらず気楽な口の利き方だ。
俺は俺で、「小さい」と言われたのが引っかかっていて、ゆっくりの話なんてどうでも
良いと思ってる。話の途中で、ぶっつり切られてしまったから、余計気になってしまう。
「まず、異常発情した個体。これは、完全に元通りにすることは不可能です。通常の生活
が送れるレベルにまでは回復させるつもりですが……」
「わかった」
取り乱すこともなく、淡々と、先輩さんが「承知した」。助けるために治療を頼んだく
らいなんだから、どっちかと言えば“愛で派”なのかと思っていたんだけど、取り乱しも
しない。
「他には?」
「今以上に踏み込んだ治療のためには、材料が必要です。つまり、ただ生きているのでは
なく、動き、生活するためには、欠損した部位を、他から持ってくる必要があるんです。
しかし、未熟児クラスの献体となると……所長、ありますか?」
「ええっ!? きゅ、急に聞かれてもねぇ……」
よくわからないが、臓器移植みたいに、他のゆっくりから身体の一部を持ってくるって
ことだろうか?
どうしても、たかがゆっくりの治療だってのに、大袈裟だなぁと思ってしまう。
「移植ってわけか。俺が承知しておくことってのは、その分だけお値段が高くつくとか、
そういうことか?」
「それもあります。また、結果に関しては、今の段階では何とも言えません。クリーニン
グは行いますが、献体の形質が伝染する場合もあれば、拒絶反応が出る場合もあります」
「それも、承知した。経過に関しての報告は、お前にすりゃいいのか?」
「お願いします」
「じゃあ、小僧。アテはないか?」
「へっ!?」
先輩さんが、いきなり俺に話を振ってきた。あて? アテってなんの話ですか?
「小僧は、ここで飼われているゆっくりの世話をしてんだろう?」
「え、ええ……そうですけど……」
「じゃあ、思い当たらねぇか? ツブして良い、赤ん坊のゆっくりがいるかどうか」
相変わらず気楽な口調で、ゆっくりの飼い主らしくないことを平気で言ってくる。
「え、あ、あの、急に言われても……」
「あのぉ、ね? そもそも、ツブしていいゆっくりなんて、世話してないですよ? ええ、
しませんよ、そんなゆっくり」
「学者。具体的には、何がいる?」
「眼球です」
「目玉かぁ……れいむの方だよな?」
「ええ。餡の喪失も、厄介な問題ですが……」
話を振るくせに、答えに迷っていると置いてきぼりにして、先輩さんと学者はぽんぽん
と話を進めていく。俺はもちろん、所長まで無視して。
「おめめにゃりゃ、まぃしゃのを ちゅかってきゅだしゃい!」
「だみぇよ、まぃさ! おみぇみぇ とったら、いたいいたい なのよ? そういうのは、
おにぇーちゃんが がんばるの! だから、あぃすの おみぇみぇを つかってにぇ!」
「だ、駄目だよ! おチビちゃん達にそんなこと、させられないよ! お目々なら、お母
さんのを使ってもらうから! お兄さん! まりさのお目々を使ってください!」
「だから、おんなじくらいの大きさじゃないと駄目なんだって。お前のじゃ、でかすぎる
だろ?」
「ゆ……? …………ほ、本当だっ!? どうしたらいいんですか!?」
「どうにもならん。大人しくしてろ」
「ゆぅ~~~……」
大人しくしていた、ちびっこい2匹が騒ぎ出した。なんて言ってるのか聞き取りづらい
けど、母親まりさがその2匹を止めて、自分の目を使ってくれとか言ったってことは……
学者も俺と同じことを考えて、俺と同じように驚いたのか、ゆっくりと先輩さんに向き
直った。
「……先輩」
「ん? なんだ?」
「今、未熟児2匹は……状況を理解した上で、自らが献体になると言ったんですか?」
「そうらしいな」
「…………まさか」
「デタラメらしいんだわ、こいつら」
上を向き溜め息と一緒に言葉を吐き出してから、先輩さんは所長に向き直ると、パンッ
と両太股を叩いた。そして、深々と頭を下げる。
「頼みがあります、所長」
「な、なんですかな?」
「この研究所で世話してるゆっくり、何匹かください」
「く、ください!? そう言われましてもねぇ」
「1匹あたり、おいくら万円ですか?」
「は? え? か、買う? と、言うことですか?」
「一罰百戒ってヤツですよ」
わけがわからない。
学者と呼ばれる男も、わけのわからないことを言ってたけど、先輩さんはそれに輪をか
けて、わけがわからないことを言い続けている。俺だけじゃなく、所長もついていけてい
ないようだ。
とにかく、話が飛びまくってるんだ。
「一罰百戒……ですか。もしかして彼が潰した分も、先輩が支払うと言うことですか?」
「おう、払う払う。帳面には、俺が持ち込んだ治療に使ったことにしてもいいし、見学し
てた俺がうっかりやっちゃって、弁償したことにしても良いぞ」
どうやら学者は、先輩さんの飛び飛びな話題について行ってるみたいだ……
「まっ、待った待った! 待ってくださいよ? 治療に必要なゆっくりの献体分、費用を
支払っていただけるのは、わかります。わかるけれども……一罰百戒ってのは、いったい
なんのことだい?」
「あ~……話、すっ飛ばしすぎましたか? 学者、順を追って説明してる時間は?」
「ありますが、手短にお願いします。意識しないと、先輩の話は回りくどいので」
「さらっと酷ぇことを言うなぁ。ったく、手短に……ねぇ。苦手なんだけどなぁ。小僧、
お前は耳をこっちに向けといても良いが、頭ではちゃんとリストアップしておけよ?」
「り、リストアップ!? なにをですか!?」
「泣き声を出すな、可愛くねぇんだから! それを今から話すって言ってんだろう、苦手
な“手短”ってやつでな!」
デタラメだ。
飼ってるゆっくりもデタラメなら、飼い主も十分デタラメだ。
しかも、怖い。
休日出勤なんて、するんじゃなかった……
*** *** *** ***
「お~いっ! みんな、集まれぇ!」
人間さんが、れいむ達を呼ぶ声が聞こえた。どうやら、ご馳走さんが貰えるみたいだ。
いろいろとあったけど、今日は幸せ~な一日になりそうだ。
「おチビちゃんたち! ごちそうさんが もらえるよ。いっしょに ひろば まで ゆっくり
いこうね」
「ごちしょうしゃんにゃの?」
「おにいしゃん、ごちしょうだって ゆわにゃかったよ?」
「おかあしゃんには ごちしょうしゃんだってわかゆの?」
れいむの可愛いおチビちゃん達が、ちょこちょこと側に寄ってくる。どの子もみんな、
愛らしくて賢くて、れいむの自慢の宝物だ。
「ゆふふふ、おかあさんくらいになると、ちゃんとわかるようになるのよ」
凄い凄い、お母さんは凄いと、おチビちゃん達が口々にれいむのことを褒め称える。
──ほんとうに、れいむはしあわせだよ。
心から、そう思う。
れいむがおチビちゃん達を愛するように、おチビちゃん達も母親であるれいむを愛し、
尊敬しているのだ。こんなに幸せなことは、そうはないだろう。
人間さんがくれるアマアマを、動けなくなるくらい食べたときくらいだろうか。
──なにより、れいむのおチビちゃんには、クズがひとりもいないからね。
ついつい、笑みがこぼれてしまう。
おチビちゃん達も、れいむを見てニコニコにこにこと微笑んでいる。
「おチビちゃんたちは、おかあさんに ゆっくり ついてきてね。ちゃんと、おりこうさん
に してるんだよ?」
「「「ゆ、ゆっくり りかいしたよっ!」」」
お利口なおチビちゃん達が、きちんとれいむの後ろに並んで付いてくる。れいむはその
先頭を堂々と歩いていく。
お母さんがしっかり者だと、おチビちゃん達の自慢にもなるのだ。
ゆっくりと広場へ行くと、もう何人かのゆっくりが、人間さん達の周りに集まっていた。
「ゆっくりしていってね!」
「おにいさんたち、きょうもゆっくりね!」
「そろそろ、ごはんの じかんだと おもってたよ! ゆっくりたくさん たべさせてね!」
せっかちな、ゆっくりしてないゆっくり達だ。きっと人間さんの声を聞いて、ゆっくり
しないで慌てて出て来たのだろう。
──まったく。いじきたない、ゆっくりしてないヤツらが ふえちゃったよ……
ゆっくりゆっくりと、していればいいのだ。ガツガツしたりしない、人間さんを急かし
たりもしない。ただゆっくりとしているだけで人間さんは、偉い、お行儀が良いと、れい
むを褒めてくれるんだから。
人間さん達は、三人もいる。いつもは一人なのに。
ひょっとしたら、今日は凄いご馳走なのかもしれない。人間さんでも、一人じゃ運び切
れないほどのご馳走……どんなご馳走なのだろう!?
──ひとりじめ できたら、とっても ゆっくり できるだろうなぁ……
でも、さすがにそれは無理かもしれない。
三人いる人間さんの一人が、チラリとこちらを見た。
ちょっとドキッとしたけど、れいむがニッコリと微笑むと、スッと別の方を向いた。
れいむの素敵すぎる笑顔に、照れたのだろうか?
「ちょっと話があるんだ。ゆっくり聞いてくれ」
人間さんの一人が、変なことを言い始めた。
ちょっとガッカリしたが、れいむは何も言わなかった。黙って待ってるだけで、れいむ
がお利口だと言うことを、人間さんだってちゃんと理解してくれるのだから。
なのにお馬鹿なゆっくり達の中には、文句を言うヤツもいる。騒げばその分、人間さん
は言いたいことが言えないから、ご馳走さんが後回しにされてしまうのに……
──そんなこともわからないなんて、みんなバカばっかりだよ……
騒ぐゆっくりが増えてきて、周り中がうるさくなってきた。
れいむは、ただ黙って待っていた。おチビちゃん達も、お利口に待っている。
れいむだって、本当は早くご馳走さんを食べたい。話なんて、どうでも良い。
それでも、ちょっとゆっくり出来ないけど、我慢してるのだ。
なのに、騒いでいるゆっくりのせいで、どんどんご馳走さんの時間が遠のいていく。
──おバカなヤツらは ほっといて、おりこうな れいむには、さきに ごはんを ゆっくり
たべさせてほしいよ……
思っていると、少しずつ騒ぎが収まってきた。ようやくご馳走だと思ったら、人間さん
が話し始めた。
そうだった。ご馳走さんの前に、人間さんは話があるとか言ってたっけ。
「3時間ほど前……って言っても、わからないか。しばらく前にここで、まりさが1匹、
死んだ。憶えてるか?」
死んだとか……あんまり、ゆっくり出来ないお話みたいだ。
それにしても……まりさ? しばらく前? って、ちょっと前ってことだよね?
まりさ、死んだっけ?
まりさって、誰? どの、まりさ?
れいむのまりさなら、ずっとずっと前に、病気で死んじゃったけど?
「みんなも知っている通り、ここには決まりが……」
「むきゅんっ! その まりさの かたきを、いま! うたせてもらうわ!!」
ぱちゅりーの声。
「おほいひぅあいいふぁ! ふぉお、いぁあおぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
駆けていく、ありす。
変な喋り方なのは、口に武器を咥えているからだ。
人間さん達が、少し動いて……
「……ほれ」
「がびぶびゅるっ!! ぐべっ! ぐばばっ!?」
人間さんの一人が、足さんをちょっと出して、それにありすがぶつかって……
ありすが、のたうち回り始めた。
「「「「ゆ……ゆゆゆ?」」」」
物陰から、2人、3人……た、たくさんのゆっくりが、わっと飛び出したが、ありすが
ゴロゴロと転がり痛がっているのを見て、どうして良いかわからなくなったみたい。
思い出した。
ぱちゅりーが言っていた、人間さん達に思い知らせる作戦。
まず、ありすが武器を使って人間さんに大怪我をさせる。怯んだところを、他のみんな
でボコボコにする。
れいむも、ちょっとだけ上手くいくかもと思った。人間さん達から奪ったという、武器
も怖いモノだったし。確か、木さんの枝も簡単にちょっきんと切れちゃう武器だ。
賢くて強い、長のらんをあっさりとやっつけちゃったし。
でも、人間さんからご馳走さんをもらった方がゆっくり出来ると思ったから、れいむは
参加しなかったのだ。
人間さん達もさすがにビックリしたのか、なにかコソコソと話している。
それもすぐに止めて、またれいむ達に向かって話し始めた。
「みんなも知っている通り、ここには決まりがある。ゆっくりであるみんなは、仲間に酷
いことを言わない、仲間に酷いことをしない、人間に酷いことを言わない、人間の言うこ
とはちゃんと聞く。大まかに言えば、この4つだ」
──なんでもいいから、さっさと ゆっくり ごはんをたべさせてほしいよ。
「もちろん、俺……私達、人間にも決まりはある。これから、決まりを破った者に対して、
罰を与える。私も、決まりを破った者として罰を受ける」
罰……という響きが、酷くゆっくり出来ない感じがした。
でも、ゆっくり考えると、れいむには関係なさそうだ。
──だって、れいむは きまりを やぶるような、クズじゃないもんね。
「お、おかあしゃん? れいみゅ、クジュじゃないよ?」
「れいみゅも、おりこうにしてりゅよ?」
「れいみゅを、いじめにゃいでね? ちゅぶしゃにゃいでね?」
「しずかにしてなくちゃ だめだよ。ごはんまで、もうちょっとだから。ゆっくり おりこ
うに、がまんしてね」
「「「ゆ、ゆっくり りかいしたよっ!」」」
静かにと、もう一度言うと、おチビちゃん達はピタリと口をつぐんで、声を出さずに頷
いてきた。本当に、れいむのおチビちゃん達はお利口だ。
さっきから喋っていた人間さんに、別の人間さんが近づく。
ガゴンッ!!
と、凄い音がして、人間さんの一人がグルッと回って、ドサンと倒れた。
さっきまでとは、別の人間さんの声が響いた。
「彼は人間側の決まりを破ったので、今、罰を受けた」
罰? ガゴンって言って、グルンってして、ドサンってなるのが?
なんだか、怖い。よくわからないけど、あれはとてもゆっくり出来ない気がする。
ガゴンって言って、グルンってして、ドサンってなった人間さんは、頭が変わっていた。
被っていたお帽子が取れちゃって、髪の毛が見えているのだ。
「むきゅ! あの、ありす みたいな かみ はっ! ぱちぇは おぼえてるわ! あなた、
まりさを ころした にんげんね!」
「げふっ! ごげふっ! がげふっ!」
ぱちゅりーが、ガゴンのグルンのドサンてなった人間さんを見て言い、それに対して……
ありすがなんて言ったのかは、さっぱりわからない。
口の中に武器が刺さってるみたいだから、上手く喋れないのだろう。
でもきっと、ありすのことだから、ぱちゅりーに文句を言ってるんじゃないかな?
「彼は、ゆっくりを勝手に潰した」
「むきゅあきゅあ! いいきみよ! ゆっくり ごろしの にんげんは、ゆっくりしないで
さっさと しねばいいのよ!」
ぱちゅりーが得意げに笑っている。思い知ったか、賢者ぱちゅりーの『えいち』の勝利
だとかなんとか……
でも、ぱちゅりーはなんにもしてないと思う。
あ。
したけど、失敗したんだっけ?
「違う」
「むきゅ……?」
「ゆっくりを殺したから、罰を受けたんじゃない。勝手に、ゆっくりを潰したから、罰を
受けたんだ」
「むむきゅ? なにを いってるの? ばかなの? しぬの? おんなじことじゃないの」
「違う。彼が罰を受けた理由は『勝手に、ゆっくりを潰してはいけない』という決まりを
破ったからだ」
「だ、だから……!」
「理由があれば、ゆっくりを潰しても構わない。たとえば、悪いゆっくりに罰を与える……
などの、理由があれば」
「むきゅ……? かまわないとか、なに いってるの? へんなことを いわないで!」
なんとなくだけど、また、ゆっくり出来ない気分になった。
でもきっと、れいむには関係ないはずだ。だって、悪いことなんてしてないもの。
悪いゆっくりというと、ぱちゅりーだろうか?
ありすもだろう。
二人の考えに賛同した群れのゆっくり達も、そうかもしれない。
「だ、だったら……わたしが、いちばん わるい。おさ の せきにんを……はたせなかった、
わたしが……ばつをうけます!」
よろよろと、らんが広場に出て来た。背中を、ありすに武器で刺されて大怪我してるの
に。
大怪我して、痛くて、ゆっくり出来ないだろうに。
そんな状況で歩くなんて、想像しただけでゆっくり出来ない。
見ているだけで、ゆっくり出来ない気持ちが、れいむの体中に広がった。
見たくもない。
──ゆっくり できないことは、れいむに みえないところでしてほしいよ……
*** *** *** ***
体を動かすたびに、背中の傷が痛んだ。
それでもゆっくりゆっくりと進み、らんはようやく広場へ辿り着いた。
広場から騒ぎが聞こえるたびに、不安が心に広がった。
人間さんに、怪我をさせたりしていないだろうか?
群れのゆっくり達は、無事だろうか?
ぱちゅりーの、高笑いも聞こえた。
でも人間さんの声は、落ち着いていた。
その声が聞こえると、らんの中の嫌な予感が、ほんの少しだけど、薄らいだ気がした。
「理由があれば、ゆっくりを潰しても構わない。たとえば、悪いゆっくりに罰を与える……
などの、理由があれば」
それでも、つらい言葉を言っている。あまり聞きたくなかった言葉だが、決まりを破れ
ば、罰を受けるというのは、らんにもよくわかる話だった。
だから。
だったら。
「だ、だったら……わたしが、いちばん わるい。おさ の せきにんを……はたせなかった、
わたしが……ばつをうけます!」
「お前は……」
人間さんが、らんのことを見た。らんも、人間さんを見た。
あの、お兄さんだ。らんを助けてくれた、お医者さんだ。声が聞こえたときに、もしか
したらと思ったけど、やっぱりだった。
他の人間さんはともかく、このお兄さんのお顔ははっきりと憶えている。
「ばつなら……らんに、してください。らんが……らんが、わるいから……」
「お前さんだけが罰を受ければ、済むって話でもないぞ」
別の人間さんが、言う。途端に、らんの気持ちが暗くなった。
嫌な予感とは違う。
背中の痛みに邪魔されながらも、自分の中に広がった気持ちがなんなのか、考えた。
考えたけど、すぐにはわからなかった。
「もう、罰を受けるべきゆっくりは決まってるんだ」
わかるか? と、らんの気持ちを暗くした人間さんが、言ってきた。こんなに気持ちを
暗くすることを言う人間さんなのに、らんには怖い人とも悪い人とも思えなかった。
声が優しい。お顔は……怖い感じだけど、怖いだけじゃない。上手く言えないけれど、
大丈夫という気持ちにさせてくれるお顔だ。
なのにその言葉は、らんの気持ちを暗くしてしまっている。
「今、人間に酷いことをしようとしたゆっくり達がいる。長の責任で肩代わりってのなら、
お前に出来るのはそいつらの分だけだ」
「……はい」
少し、わかった気がする。
この暗い気持ちは、嫌な予感なんかじゃない。そんな、ボンヤリしたものじゃない。
どうしようもなく、決まってしまっているのだ。それが、伝わってきたんだ。
つらいことが始まる。
悲しいことが始まる。
でもそれは、もうとっくの前から決まっていたこと。もっともっと前から頑張っていた
ら、なんとか出来ただろうか?
どちらにしても、もう変えられない。
今が……
らんの大切な「今」が、壊れてしまう。
それでも、らんにはどうしようもない。
らんに出来ることは、せめて長として……
「長の責任というのなら、お前さんはこれから、全部見届けなくちゃな。目を逸らさずに」
ハッとして、人間さんを見上げる。らんの、考えていたとおりのことを、言ったから。
「ら、らんは……」
「おう、あってるよ。お前さんは、間違っちゃいない」
この人間さんは、らんの気持ちがわかるのだろうか?
らんの考えていることが、わかるのだろうか?
「先輩……?」
お医者のお兄さんが、不思議な人間さんに声をかける。それに対して、不思議な人間さ
んが「ああ、そっか」と気の抜けた声を上げた。
「お前さんにも、罰を与えなくちゃいけないんだったな。何があったのか、知ってるか?」
「……わかります」
何があったのか、想像は付いた。人間さんの道具を使って、人間さんを傷つけようとし
た。鋏という、ちょきちょき良く切れる道具だ。誰かを傷つけるための、武器なんかじゃ
ないのに……
その鋏を咥えて、体当たりをされた。らんの背中には、穴のような傷が出来ているはず
だ。
でも、きっと人間さんには通用しなかっただろう。見れば、ありすは鋏を口の奥にまで
押し込められた状態で、う~う~唸って苦しんでいる。
「らんも、やられました。らんには……とめられなかった。おさなのに……みんなを……」
「小僧も、あ~……あの人間も、決まりを破ってな。ゆっくり達の前で、自ら罰を受けた」
「そうなんですか……」
「やったのは、俺だ。吹っ飛ぶくらい強く、ぶん殴った」
「ふ……ふっとぶくらい!?」
寝ていたのかと思ったけど、そうじゃないみたいだ。
もう一人、ありすみたいに金髪の人間さんが、ふらふらと立ち上がった。
「お前さん、背中に怪我してるな。結構、深そうだぞ?」
「これは……かんけいないです。だいじょうぶです」
不思議な人間さんの、お顔が近づいてくる。しゃがみ込んで、らんに顔を近づける。
「それじゃ、罰を与える」
「は……はい……!」
人間さんのお手々が、振り上げられる。怖くなって、らんはきつく目を閉じてしまった。
全てを見届けろと言われたのに。
バシーーンッ!!
と、凄い音がした。ほっぺたがグッと押されて、体がグルグルと回った。背中が、ズキ
ズキと痛んだ。
背中だけが、痛かった。
*** *** *** ***
後編に続きます・・・