ふたば系ゆっくりいじめSS@ WIKIミラー
anko1223 ゆっくりサスペンス劇場
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ankoss
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静かに目を覚ます。
私の朝は、いつも、こうだ。
夜の反動で軋む体に鞭を打ってベッドから出る。
恨めしい、弱い少女の体躯。
終わった後、何もせず眠ってしまったらしい。鮮明な記憶は無い。
こんな事は、初めてだ。
昨夜の行為の臭いがまとわりついていて、私は苛立ちを覚える。
「せめてシャワーくらいは無理にでも浴びてから寝るべきね。起きた時が最悪だわ」
呟いてバスへ向かう。
手にはまだ昨夜の感触が残ってる気がした。
思い出して少し、興奮する。
「臭いは嫌いだけれど、こっちは悪くないわね」
両手を握って、開いて、握って。
昨日の感触の残滓を消してから、臭いも消す事にする。
また、代わり映えのしない一日が始まるのだと思うと、少し憂鬱だけれど。
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男は途方に暮れていた。
取引先の会社の会長に資料を届けて、サインをもらってきて欲しいと出張依頼を受けた。
大手食品会社の会長でほぼ実務を任せきりなのか、辺鄙な山中に屋敷を構えて過ごしているらしい。
「片道5時間……。まあ仕方ないけど……」
早朝に本社に出社、会議の後出発。
今はもう午後三時。
連絡をとると屋敷から迎えが来るというので、無人駅の前で待機だ。
「今から、ね。車が来るのが一時間後。つまり……帰れない気がするな。と言うか物理的にダイヤ的に不可能だ。
泊めてくれたりするのかな。仮にそうでも、それはそれで苦痛な気がするけど……」
自分の勤めている会社を簡単に左右出来る取引会社の会長自宅に宿泊など、一平社員にとって拷問以外の何でもない。
男にとってそこも疑問だった。
「だいたいこんなトコまで来る大事な用だってんなら、なんで俺みたいな新米が行くことになるんだよ。
新人イビリか。そうなのか。社会人は大変だ」
ぶつぶつと文句をいう男。
今の部署で一番若い自分がなぜ。
もしかして大切でも何でも無く面倒だから回されたのか。
たしかに早朝会議で確認した限りでは、なあなあでサインされてもおかしくない内容だった。
人を呼びつけるって言うのが大切なのかな。主従関係と言うか。
男は詮無いことをとりとめなく考える。
社運のかかる取引会社との契約にイビリ目的で新人を送り込む可能性など、考えるだけ無駄だが。
男は駅前のバスの停留所に腰を下ろしていた。
目的地の逆方向からバスが来て男の目的地の逆方向にバスが出る。ここが終点で始発。折り返し地点だ。
逆方向には少し開けた村がある。
後三時間すると次のバスが来るらしい。バスは朝に二本と次のバス、その後一時間後にもう一本来て終わりだ。
綺麗なバス時刻表。電車より多いのが不思議だ。電車の無い時間に駅に来て何をするんだろう。
さておき。朝から疲れたこの身体をいたわる為に少しばかり腰を据えてもバチは当たらないんじゃないだろうか。
とは男の心の叫び。
「しかし、暇を潰そうにも携帯はバッテリーが不安だし。普段ならコンビニで電池でも買えば良いかと思うけどなぁ」
今この状態で携帯の電源が切れるのはちょっと勘弁だ。
携帯がなかった頃は会社連絡も色々大変だったろうな、なんて男は考える。
男は朝に食べ残したパンの袋を取り出す。
昼は弁当だったがちょっと早く食べてしまったので、小腹が空いたと言う所。
我慢出来ない程ではないが、手持ち無沙汰でつい手が伸びた。
幸い無人駅には清涼飲料水の自動販売機だけは備えてある。
仕事の時に常飲しているブラックコーヒーを買い、再びベンチに腰を落とす。
ガサガサと袋を開けていると、近くの茂みから何かが飛び出してきた。
「「ゆっくりしていってね!」」
タイミングを図った様に、ゆっくりの番が男の前に出てきた。
男は軽く口をつけていたコーヒーを噴きそうになるのを堪えて言う。
「ゆっくりとか、ないわー」
男は心底うんざりして言う。つい口調がおかしくなるほどに。
都心部の野良ゆっくりに日々辟易している男は、最低だと思っていた気分を更に落とされてがっくりする。
最低だと思っていた高さは意外と高い。
「ゆ?ゆっくりしていってね!たべものをくれてもいいのぜ!」
まりさ種が言う。
スタンダードなまりさとれいむのつがいだ。
「いきなり出てきて食べ物くれとか、いやくれても良いよとか、なにいってんだお前。
潰れて死ね。即座に死ね。」
男は心底うんざりしたと思ってた底を更に潜って言う。心の底は意外と深い。
横でキリッとしてるれいむが更にうざい。
まりさは不思議な顔で固まってしまった。
れいむはないがしろにされたまりさをキッと睨んでからこっちに向き直る。
「おにいさん、ゆっくりしていってね!いきなりたべものをほしがってごめんね!
それならたべものはいいからあまあまをちょうだいね!」
男は気が遠くなる。都心では聞いた事が無い超展開だ。
「それならとか意味がわからないから。二秒で死ね。自分で死ね」
れいむもかたまる。自分がお願いすれば返答が変わるとでも思っていたのだろうか。
男は考える。
おそらくこのゆっくり共は、バスを待つ人などに食べ物を貰った事があるのだろう。
周囲には何も無いし、ひょっとしたら近くに巣があるのかもしれない。
人がいると様子を見て、食べ物を持っている様だったらねだる。
最初のまりさの愚直すぎる挨拶とおねだりの直列つなぎは、
男が到着してから食べ物の可能性を示唆するまでの長さに起因するのかもしれない。
ヨダレを垂らしながら人間を観察するゆっくりを想像して、ちょっと気分が悪くなる。
もう放っておいてパンを見せびらかしなから食べようかと思った男は、袋の中のパンを見て悪巧みを思いつく。
とにかく思いついた事を試してみようと、男はパンを取り出してゆっくり達に問いかける。
「仕方ない、お兄さんがこのパンをやろう。
まずは誰が食べるかな。おまえたちで決めるんだ。」
自分のことをついお兄さんと言ってしまう男。
ゆっくりの本当に怖いところはこういう所なのかもしれない。
さておき、くだらない思いつきだが迎えが来るまでの暇潰しにはなるだろう。
「ゆ、ゆ?おにいさんたべものくれるの?」
れいむが申し訳なさそうに言う。
まりさは許してもらえたと思ったのか、嬉しそうに言う。
「ありがとうおにいさん!ゆっくりはんせいしてるよ!」
男は頷いて言う。
「だから順番だ。最初に食べる奴を決めろ。出来ないならやらん」
ゆっくり達は即決する。
「じゅんばんだね!じゃあれいむからもらうよ!」
男は少し不思議に思ったが納得する。
ここで食べ物を貰う内に、なんとなく繰り返してきたシチュエーションなのかもしれない。
順番にと言われた時の順番は出来上がっているのだろう。
「まりさがそのつぎだね!そーせーじさん、ひさしぶりにみたよぉー!!
まりさはそのそーせーじさんでいいよ!」
目ざとくソーセージを見つけた辺りよほどの好物なのだろう。
「わかった。じゃあお前からだな。ほらっ」
男は言ってパンの切れ端をれいむに向かってふわりと投げる。
れいむはゆっとないてパンに飛びつく。
「むーしゃむーしゃ、しあわげぇえええええ!!からいぃぃぃいいいい!!」
れいむは食べたものを吐き出してしまった。
しあわげぇぇえええのリズムの良さが男のツボに入った。
男は笑いをこらえながら言う。
「れいむどうした?気に食わなかったか?」
れいむはゆっくりしてねと声を掛けるまりさを無視して男に言う。
「どくがはいってるよ!からいのはたべられないよ!」
男は野良ゆっくりによく辛いものをあげていたので当然知っている。
今回はサンドの粒マスタードをパンにつけて投げた。
「辛いのは食べられないのか、すまんな。お兄さんは辛いの大好きでな。
ここにのってるマスタードって言うのはちょっとだけ辛いんだ」
これがダメならもうあげられるものはないな、と、パンを見せつけて目の前で少し齧る。
それでもまりさはソーセージを見て男に言う。
「そーせーじさんはへいきだよ!!まりさのこうぶつだよ!
からいのはつけないでちょうだいね!」
男はしてやったりとまりさを見る。
まさかこんなにうまく噛み合うとは。
「ん、いやでもなぁ。こっちも辛いぞ。知らないと思うけど」
男は勿体つけて言う。
まりさはそれを聞いて勘違いして男に詰め寄る。
「おにいさん、まりさはしってるよ!それはからくないよ!
あまあまじゃないけどしあわせーなあじだったよ!
ひとりじめしないでね!いじわるしないでちょうだいね!!」
先程までの控えめな態度はどこへと言わんばかりにまりさはぐいぐいと押してくる。
ヨダレも止まらない。よっぽど好みの味だったのだろう。思い出して辛抱たまらないようだ。
普通のソーセージは少し塩っ辛いはずだがどんなものを食べたのだろう。
「いやだから、これは辛いんだって。ほんとだぞ?」
まりさは聞く耳持たないと返事する。
「だいじょうぶだよ!まりさはたべたことあるよ!」
男は自分から焦らしているのにもかかわらず、必死な様子に笑いが出る。
「うーんそこまで言うなら仕方ない」
程よく焦れてきたまりさを見て頃合だと思った男は、
ソーセージを一口大にちぎって、まりさにくれてやることにする。
「よし、ゆっくり食べるんだぞ」
そう言ってパクパクと馬鹿みたいに開閉してるまりさの口に、放り込む。
まりさはようやくありつけた食べ物に辛抱たまらない様子で夢中で咀嚼し、飲み込む。
「むーしゃ、むーしゃ、しあ」
定型文の途中で一時停止するまりさ。男は噴き出す寸前だ。
れいむが不思議そうに見ているとまりさは、不意に倒れた。
「ゆっ、ゆぅっ、ゆ゛ぅっっ、
ゆげぇぇぇぇぇえええええええええええええええええええええええええええ!!!」
ものすごい勢いで餡子を吐くまりさ。
足元に流れて来た餡子を見て慌てて男はよける。
男は見事成功した自分の企みに少し嬉しくなる。
「ははは。駅前パン屋特製のメキシコ風激辛チョリソサンドはどうだったかなまりさくん。
気に入ってくれたみたいで何よりだ」
男は慇懃無礼に声を掛ける。
人間でも耐えかねる人がいるほど辛い特製サンド。
大好物だがいつ行っても売り切れていないので、
男はいつも助かるような悲しいような複雑な気分になる。
「まりさぁぁああ!!しっかりしてねぇぇええええ!!!」
れいむが励ましているがまりさは意識不明だ。
もう止まった餡子の量からしても死にはしないだろうが。
「うむ。非常にうまく行ってお兄さんすっきりだ。ほんとにいじりがいのある奴らだなぁ」
男は笑いながら残りのソーセージとパンを食べる。
この状況でムシャムシャとパンを食べる男もどうかと思うが。
「なにしてるのおにぃさん!!からいのはだめだっていったでしょおおおお!!」
れいむが激昂して男に詰め寄る。
「わはは、誰がゆっくりにメシなどやるものか」
男はわざとらしく答える。
煽りに煽って一気食いさせたのはもちろんわざとだ。
れいむに向かってぞんざいに言う。
「さて、次はどうするかな?」
れいむは男を見上げて言う。
「やめてね!おにいさん、れいむにへんなことしないでね!」
れいむの言葉の後、男は暫く何もせずれいむを見る。
更に数秒後、男は言う。
「うん、いいから帰れもう。やることができた」
男はそう言って駅の横に向かって歩く。掃除用具入れがある。
そこから男が棒を取り出したのを見てれいむは慌ててまりさを起こす。
「まりさおきてよおおおお!!ぼうさんでたたかれるよおおお!!」
男はれいむのセリフが坊さんに聞こえて少し噴く。
放っておいてバケツに水を貯めていると、まりさが気づいた後慌てて二匹は逃げ出した。
追いかければ容易く追いつくが、今回は放っておく。
別にあいつらが死のうが生きようがあまり意味はないのだ。
ただの暇潰しだ。
「時間にはまだ早いけど、ここ掃除しないといかんしなぁ」
親まりさの吐いた餡子がこんもりと小さな山になっている。
「なにしてんだ、俺。まあ仕方ない。道具が揃っててよかったけど」
男は淋しげに一人掃除をはじめた。
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掃除が完了して数分後、時間通りに車は到着した。
車中から代わり映えのしない緑を男は眺めている。
男の知識に無い黒い高級車は音も無く路面を滑る。
車ってのはこんなに静かに走る物だったのかと男は感じた。
静かすぎて間がもたない。
迎えに来ただけの男相手なのだから黙ってれば良いのだろうが。
「少しよろしいでしょうか」
沈黙を切ったのは運転している男だった。
男は驚いて前を見る。
「は、はい。なんでしょうか」
何故かものすごく緊張している自分に驚く男。
こんな事で屋敷で契約の時に大丈夫だろうか。
男は変な心配事を蓄積していく。
運転している初老の男性は何でも屋敷の執事兼、運転手だそうだ。
執事、なんて本物を初めて見たなと思い、メイドもいるんですかなんて軽口を叩いたら、三名程ですが、なんて返答だった。
男は乗り込んだ直後の会話を思い出して整理する。
「疾うにお気付きかとは思いますが、本日中に公共の交通機関での帰宅は不可能かと思われます」
執事はさっくりと語る。実に歯切れの良い声。
男は困ったように返答する。
「そうですよねぇ。今から駅に戻っても無理ですから。この状況は何とかなるんでしょうか」
辺鄙な屋敷に呼び付けたんだからそっちで何とかしろ、とまでは思っていないだろうが、
男は訪ねるようにつなぐ。
執事は当然の決定事項を告げる。
「当然、当家の主の都合で呼び付けたのですからお客様には一片の不便も感じさせません。
とりあえず本日は当屋敷にお泊り頂く事になると思いますが。何か不都合はございますか?」
執事の言葉で少しほっとする男。
「いや、全く。時間見て不安だったんで一応着替えも少しは持ってきました。泊まれる場所さえあれば、ええ」
執事は答える。
「でしたら、細かい事は後の指示になると思いますので」
それっきり、執事は黙る。
男は退屈で景色を見る。いつの間にか山を登るような道に入っていた。
舗装が所々甘い。ガタガタと揺れだした車に少し辟易する。
「ここってもしかしてもう敷地に入ってます?」
何となく訊いてみる男。
執事は答える。
「はい、大分登りますが。この山ひとつが敷地となっております」
男はなっておりますじゃないよ、と心中で毒突く。
広いのは良いけどこれじゃたまったものではないとも男は思う。
会話はそこまで。それきり執事は黙る。
おそらく男が話しかければ答えるだろうが、男は何も言わなかった。
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待った時間と同じ時間をかけて男は屋敷についた。
執事は車をガレージへ入れるので正面玄関まで歩いて行って欲しい、との事。
「まあ、玄関、見えてるけどさ。なんというお屋敷」
距離は百メートルはあるだろうか。
屋敷も相当大きいがその手前はまるで公園だった。
「凄まじいね。まあ山奥だし文句も無いけどさ」
男は玄関へ向かう。
珍しい花が多くてつい足が止まる。
男は特に花に興味はないが、本当に見たことがない花が多いのだ。
「うーん、なんか高い花なんだろうなあとか思ってしまうのはヒガミだろうか」
そうして花を見ながら歩いといると、途中で花壇の向こう側に黒いかわいい靴を見つける。
びっくりして顔を上げるとそこには、れいむ種のゆっくりを抱えた少女が立っていた。
「……お客様?」
第一声はそれ。
妙に落ち着いた声で高いような低いような、不思議な声。
なんとか自己紹介を終える。
少女は会長の孫娘だった。
「ほら、れいむ、あなたもご挨拶なさい?」
れいむはそう言われてからやっと声を出す。
「れいむはれいむだよ!こんにちは!」
男は慌てて答える。
「あ、ああ、こんにちはれいむ」
定形の挨拶は飛び出さない。しっかり躾られたゆっくりなのだろうか。
リボンに鈴がついている。喋った時に微かに鳴った。
男はここまで来てからやっと落ち着いて、改めて少女を見る。
長い綺麗な黒髪。揃えられた前髪。白いワンピース。白い肌。
なんともお嬢様だ。
年は幾つ位だろう。どうにも判断しかねる。
物腰と語り方からずいぶん大人に見えるのは確かだが。
「今朝、お客様が来るとは聞きましたけど、ずいぶん遅かったんですね」
少女は柔らかな笑みで語りかける。
男は不思議な物を感じながら答える。
「あ、ええ、朝には出たんですが」
どうにも言葉が出てこない男。
辺鄙な場所だからなんて言えば気を悪くするだろうか、と。
男は話を逸らす。
「綺麗な庭ですね。見たことがない花が多くてつい」
少女は言われて嬉しそうに周りを見渡して、答える。
「はい。お祖父様が私の好きな花を集めて作ってくださったんです。
小さな花壇を想像していたのですけれど、何時の間にかこんな大きな物になっていましたの」
言ってフフフと笑う少女。
初対面なので多少の仮面はあるだろうが、それにしても完璧なお嬢様だな、
と、男はぼんやり考える。
それからふと少女を見て、最初の挨拶から微動だにしないれいむに男は気づく。
「ずいぶんおとなしいですねれいむちゃん。めずらしいな」
少女は言われて気づく。
「あら、そうですね。お客様の前では静かにと、きつく言ってありますので」
男は聞いて頷く。
やはりずいぶんしっかりと躾されている。
館の感じからすれば猫か犬だと思うがなぜゆっくりなのだろう。
男はまあ好きだからなんだろうなと、軽く訪ねる。
「ゆっくりが好きなんですか?」
ふっと少女の目が焦点を失う。
瞬きほどの時間の後、自身の抱くれいむを見下ろして少女は言う。
「……ええ。とても可愛いでしょう?一緒に遊ぶと楽しいですから」
少女は静かにれいむの頭を撫でる。
ゆっ、と静かに言ってれいむは目を閉じる。
男はその一連の動作の流れに何か言いしれない空気を感じてたじろぐ。
「お客様、まだこちらでしたか」
不意に声をかけられて男は飛び上がるように振り向く。
「お嬢様も。そろそろお戻りください」
少女は最初の笑顔で答える。
「ええ。すぐに戻るわ。ではお客様、ごきげんよう」
スッと屋敷へ向かう少女。チリンと鈴が鳴る。
男は後ろからつい見つめてしまう。
「すいません、お嬢様をお引止めしてしまって。私の話に付き合ってくれたんです」
執事は別段気にした風でも無く言う。
「いえかまいません。むしろお嬢様とお話をしてくださって、ありがとうございます。
色々事情がございましてね」
どうにも主語が抜け気味と言うか前後が繋がらない言葉に男は戸惑う。
「ああ、いえ。まあ、急に声をかけられてびっくりしましたよ」
二人は連れ立って玄関へ向かう。前にはしずしずと歩く少女がまだ見える。
動きを感じさせない歩みだがずいぶん速い。
執事が訪ねる。
「……お嬢様が声をお掛けになったのですか」
男は別段気にせず問いかけに答える。
「ええ。客なのかどうか訪ねられましたが。
自分の家の庭を散歩してる時に知らない男が花壇を見てたら、それは声もかけるでしょう」
執事はふむと唸って返答する。
「いえ、まあそうですが」
そのまま黙ってしまったので男も黙ってついていく。
実際には声を先に出したのは男なのだが。
気がつけば少女は前にいない。もう館の中だろうか。
たどり着いた妙に威圧的な大きな扉を開いて、
男は館に入った。
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館に入って男は応接室に案内される。
手荷物と上着をメイドに対応されて又も戸惑う男。
もしかしてここの主人の趣味で昨今の新しい文化としてのメイドがいるのかとも思っていたが、
至って普通の古きメイド姿だった。頭にもひらひらした飾りはなく普通に頭巾。
なにより少し期待していた自分としては、全員自分の母親と同じ位の年だったことに少しショックを受けた。
普段はどうでもいいなんて言っておきながら、自分もあの文化に毒されていたのだなぁと遠い目をしてしまう。
しかし今は二人お休みで一人しかいないらしい。
良く分からない雇用体制だ。もしかしたら会長についてるのかもしれない。
男はそう思った。
静かに座って対応を待つ。
コーヒーが信じられないくらい美味しい。
伝えると、この辺りは水が美味しいのです、なんて返事を。
嫌味にならない言い分だ。水も美味しいのだろうがどう考えても豆もいいものだ。
通された時に伝えられた事によると、会長の到着は少し時間がかかるらしい。
暫く御寛ぎ下さいなどと言われたが、土台無理な話だ。
近くに屋敷の人間がビッタリついているわけではないので、少しは気が楽だが。
開け放たれた応接室。
開け放たれたと言うよりは扉が最初から無い。
洋館の知識を持っていないのでこういう物なのかここが特殊なのかは判断しかねた。
男は心の中で整理を終えて深呼吸をして深くソファに腰掛け、天井を見上げる。
「しかし、綺麗なお屋敷だがどうしたもんかなぁ。調度が高級すぎてふらふらしたくもないし」
男は肩の力を抜いてふんぞり返って天井を仰ぐ。
完全に気を抜いた瞬間、不意に視界を覆われ男は慌てた。
「退屈ですか、お客様」
見下ろす少女の笑顔が目の前に現れて心臓が跳ねる。
男は硬直して、覗きこむ黒い瞳を見つめ返す。
ふっと少女は離れて向かいのソファに座る。
男は機械音のしそうなぎこちない動きで、ゆっくりと姿勢を戻して謝罪する。
「申し訳ありません。少し気が緩んで」
少女は目を丸くした後フフと返す。
「いえ、御寛ぎ下さいと家の者も言ったでしょう?呼びつけて待たせているのはこちらですから」
変わらぬ柔らかい笑み。
男は少女に見蕩れる。陳腐な表現だがまるで人形のようだ、と。
男は思った。人形、と言うのは人間に対して失礼な表現だろうか。
整った綺麗さがそう思わせたのだろうか。
しかし初めて会った時から何か違和感がある。
それが何かはわからない。ほんの些細な事、だと思うのだが。
男はもやもやしたものを抱えるがわからないものはしょうがない、と一旦探求を諦める。
「そう言っていただけると、助かります」
ぎこちない返事。
だが会話を広げたい。退屈な時間を楽しく過ごせるかもしれないのだ。
男はそう思い、言葉を続ける。
「れいむちゃんは屋敷の中では連れてないんですか?」
少女は少し俯いて返してくる。
「ええ。屋敷の中では基本的にあの子は、自分の部屋にいます」
男は心でうなる。
ゆっくりが、自分の部屋で。
屋敷の規模から考えて一部屋与えられてるとしたら、どう考えても男のアパートより広い部屋だ。
男は悲しくなった。
「そ、そうなんですか。大きいお屋敷ですものね」
男は動揺しつつも懸命に会話を続けようとする。
少女もキーワードを拾って会話を続けてくれる。
「お祖父様が隠居すると言って建てたのがこのお屋敷です。
あまりにも辺鄙な場所ですけれど、ここはお祖父様の思い出の土地なんだそうです」
男は知らない事柄が出てきたので興味を引かれる。
ここである意味があるらしい。
「へえ、今は辺りには森しかないけれど、昔何かあったのですかね」
少し、少女の顔が曇る。
「……詳しく聞いたことはないのですけれど。生まれ故郷であることは間違いありません」
男は疑問をもつ。
ここまで知っていてその先を知りたがらないなんて事があるだろうか。
お客への対応でこう言ってるが実は仲が悪いとか、色々理由はあるかもしれないかなと、男は疑問に蓋をした。
「なるほど、故郷ですか。いいですね」
当たり障りの無い返事をしてこの話題を終わらせようとする。
少し間が空いたので男がコーヒーを飲もうと手を伸ばす。
カップを持ち上げた時、乗っていたスプーンをひっかけてテーブルの下に落としてしまった。
「あ、っとすいません」
言って男はかがむ。テーブルの向かいには少女の足。
そう考えた瞬間つい、少女の方を見てしまう。
低いテーブルなので見えるのは膝より下だが。
スラリとした足が目に映る。
いけないと思いつつ目が離せなくなる。
意識もそぞろにスプーンを手に取った時、見えるギリギリの位置の脛に黒い物を見た。
反射的に男は起き上がり告げる。
「あの、足に何かついてませんか、今ちょっと見えたんですが」
言われて少女は、えっ?、と立ち上がり後ずさる。
男は自分の犯した失態に気付いて血の気が引く。
テーブルの下にもぐりこんで少女の足を眺めていたなんて、完全によろしくない。
「あら、本当。恥ずかしいわ。外に出たとき泥でも跳ねたかしら。落としてきますね」
少女は口調こそ変わらないが、身体は完全に男に対して逃げ気味で部屋を出る。
汚れたままだった事を恥じているのか、自分に嫌悪感を持ったのか。
普通後者だよなぁと男は頭を抱えて外を見る。
「ああ、なにしてるんだ俺は」
一人呟いて窓から綺麗な青空を見る。
ここ数日、日本列島は晴れ渡り、雨は振っていない。
「雨も振ってないのに泥なんかつくかな。」
もちろん少女が花壇を自分でいじっている可能性もあるし、
その場合は土と水が出会う場所にいた可能性も高いが。
服装と状況からあまり可能性は高くないと思いながら男は言う。
「でも汚れなんかどこでもつくもんだよな」
と、男は自分のズボンの裾を見る。
汚れていた。
「言ったそばから自分の足が汚れていたの巻。バス停の時か。気づかなかったな」
変な独り言を吐いて汚れをはたく。乾いた餡子だ。
おそらく最初のまりさの中身が跳ねたのだろう。掃除の時かもしれない。
ほらみたことか、どこでだって汚れなんかは何かの拍子でつくもんだ。
男は自分に言い聞かせて思考を閉じた。
欠伸をしながら再び窓から外を見る。
いい天気だ。
少女が自分を軽蔑してない事を願って男は何かに祈った。
-
それからすぐに、会長は今日来れないと連絡が入る。
玄関ホールの電話機で、男が受話器を耳に当てている。
「はあ、そうですか。それなら問題ありませんが」
早くて明日か明後日になるらしい。
その間、男の会社には了承を貰っているので屋敷に滞在して欲しいとの事。
「悪いが頼む。実は別のお願いがあってね。今回こんな日程を組んだのはこの為なんだよ」
電話の向こうで会長が言う。
横柄な態度ではなく丁寧で、
電話機の向こうで頭を下げる様な音場の移動を聞いた。
「一体何でしょうか?私の様な若輩を呼んだ事に関係があるのでしょうか?」
男は緊張して言う。
簡単だと思っていた仕事が難しくなるかもしれないのだ。
「それだがね、うちの孫娘にはもう会ったと聞いたが」
男は予想外の方から飛んできた言葉に驚いて答える。
「ええ、お会いしました」
色々思う所はあるが話の展開がわからないので簡潔に言う。
会長は気にせず続ける。
「少し込み入った話だから君の心にとどめて欲しいんだが」
男ははい、と続きを促す。
「その屋敷は、建てた理由が幾つかあってね。その一つが孫娘の事なんだ。
あの子は、病を抱えていてね。今はそこで療養中なんだ」
男は、ああ、と心で手を打つ。
十四か十五位だとは思っていたが普通は学校に通うべき年齢だ。
しかして違和感は氷解した。新たな疑問と共に。
「病気、ですか。とてもそうは見えませんでしたが」
男はつい口にする。
返事は少しきついものだった。
「君は医者かね?あの子の主治医か何かかね?」
男は慌てて繕う。
「いえすいません。話していてもとても聡明ですし、庭を散歩してる様子も見ましたがとてもそうは思えなかったので、つい」
男は冷や汗をかく。先程の何気ない会長の言葉が強烈な力で男を襲ったのだ。
なるほどさすがに、人の上に立つ人間は少し違うと男は思う。
しかし慌てて早口で紡いだ弁解は会長の心を捉えた。
「ある程度あの子の事を掴めるほどには会話が済んでいる訳か。進展したな。どんな話を?」
男は以外な所に食いつかれて慌てるが、事実を述べる。
「は、はあ。最初は着いた時に庭の花の話を。後、応接室で待っている時に屋敷の事を話しました」
会長はふむと呟いて続ける。
「いや、君はあの子に気に入られたようだな。引き続き同じように頼む。それがお願いだ」
男はピンと来ない。
「え、それは、お嬢様の話し相手になるとかそういう、事ですか?」
言ってみて違和感が酷い。
男は少し混乱した。
「その通りだ。色々無茶だとは思うが。質問は今のうちだ。答えられる事は答えよう」
男は思いついたことを聞いてみる。
以下、羅列。
「はあ、では……なぜ自分に?」
「試しにだ。とりあえず本当に仕事もあったしその部署で一番若い君にした」
「年齢が近い方が候補ですか」
「そうだな。療養とは言え寂しい思いをさせていると思ってね」
「年頃の女性ですし、異性を呼ぶよりは同性の方が良かったのでは…」
「それはそうかもしれんが。私の様な立場の者が若い女子社員を自宅屋敷に呼びつけるなんて、考えてもみたまえ」
「浅慮でした」
「まあ幸い君は気に入られたようだ。だとすれば異性であることの方が良いこともある」
「なるほど。わかるようなわからないような」
「私や家の者とも会話はするが、やはりよそよそしくてね。少し砕けた会話が必要だと感じたのだよ」
「やはり、わかるようなわからないような……」
「まだあるかね」
「いえ……」
「ふむ、ならば少しの間そこに滞在してあの子と他愛の無いお喋りをしてくれればそれで良い」
「あの、もうひとつだけ、いいですか」
「……なにかね」
「ゆっくりをかかえていました。あれも会話の一環ですか」
「……会話と言うよりはペットを飼ってみるのも良い、というのであの子に訊いたらあれがいいと」
「ゆっくりをですか」
「そうだ。まあ、会話もしているようだし、意味はあったかもしれんな」
「ずいぶんかわいがってるようですが」
「……そのようだな。私はあまり好かんのだがね。感謝はしているが」
「感謝、ですか。後もうひとつだけ」
「君は海外ドラマの刑事さんかね。なにかな」
「屋敷を建てた理由の幾つかはもう全て出ましたか」
「どこまで訊いたか知らないが、私の生まれ故郷、あの子の療養のための僻地、創業の地、これだけだ」
「創業、ですか」
「そうだ。私の会社はそこから始まった。もっともすぐに移転したからほんの少しの間だがね」
「ありがとうございました」
「いやこちらこそ、よろしく頼む」
男は受話器を置く。
手には汗をかいている。
聞くことはあれで良かったか。
深く考える事はない。
あの子と会話をするのは苦じゃない。
それが仕事だと言うならそれでいい。
緊張と内容のせいで心が疲れる。
静かに息を吐き出して男は振り返る。
「話は済みましたか」
執事が廊下から来て言う。
なんとなく来るような気はしていた。
「はい。あなたは承知してますか」
男は簡潔に言う。
執事も簡潔に答える。
「はい。存じております」
ならもうこの事に関して何も言うことはない。
男は大切なことを訊いた。
「部屋を、お借りできるんですよね?」
-
男はあてがわれた部屋のベッドで天井を眺める。
思い出すのは少女の事。
そして電話の話。
いくらなんでも荒唐無稽だ。孫娘の暇潰しに呼ばれたと言うのか。
ありえない。だが質問出来る間には良い質問が思いつかなかった。
何か理由があるとは思うのだが。
何度目かの溜息を吐いた後、男は部屋を出る。
あてもなく屋敷を歩こうと思った男は、部屋を出た途端に人の気配で振り向く。
「お客様。お祖父様とのお話は済みまして?」
少女だ。
毎度のタイミング。いつも節目に屋敷の人間が現れる。
男は気にせず答えた。
「ええ。会長がいらっしゃるまでここで少しの間お世話になる事になりました」
少女は今まで見た中で一番の驚いた顔で訊く。
「あら……そうですか。お仕事の方は宜しいのですか?」
よく考えたら話し相手になる別の仕事は、経緯からして少女が了承しているとは思えなかった。
仕事で呼びつけて延期と言う流れを考えると、自然さを装おうとしている様にも感じた。
男は今は言わない方が良いと判断して隠して答える。
「ええ。ここが気に入ってしまいましてね。無理な事を言ったのですが私の会社も了承してくれまして」
男にはよくわからない、不思議な表情で少女はぼんやりと男を見つめる。
雰囲気がおかしいなと男が思った瞬間、少女が不意に口を開く。
「それでは、お祖父様の会社の仕事の方ではなくて、当屋敷のお客様になるのですね」
男は何が違うのかわからなかったが黙って聞く。
少女は、少しの風切り音を残して一歩後ろに下がりスカートを摘んで、
淑女の挨拶をした。
「ここが当家自慢の屋敷ですわ。ゆっくりしてらしてね」
男は何かを思い出す。
何かは結局わからない。
考えるよりは返事が先だと男は返事をした。
日は沈みきり、夜が満ちた頃だった。
-
深夜、儀式は始まる。
「今日はまりさよ。どう?野生にしてはなかなか綺麗でしょ?」
屋敷の少女は地下室にいた。
地下物置の一角、大量の荷持を避けて作った、彼女の祭壇。
「何か言ったらどう?最近は反応が薄くて寂しいわ」
下着姿の少女は机の上の自分の部屋にいるれいむに声をかける。
分厚い無色のアクリルで成形された鍵の付いた箱。
それがれいむの部屋だった。
躾けられた従順なれいむの、一番ゆっくりできない時間がまた始まる。
「まあ良いわ。今日もゆっくり見ていってね」
壁に際に置かれた学習机の上にいる箱の中のれいむ。
その向かい側の長机の上に、まりさは寝ていた。
箱の中のれいむはもうそのゆっくりには死しかないという事を、学習している。
「もう大分経つけれどまだ寝てるのよね。やっと分量の目安がわかってきた。便利ね、ラムネ」
ラムネでゆっくりは昏睡する。見かけた情報は眉唾ものだったが本当だった。
庭の散歩の後に捕まえた罠にかかったまりさ。
一緒にいた小さいのは今回はいらないので踏み潰してしまった。
少女は思い出す。お客様に見られた汚れを。
慌てて遠ざかったので流石にゆっくりの中身だとは気づかれなかったと思うが、恥を掻いたことにはかわりない。
思い出して少女の心に火が灯る。
「まあいいわ。これからだもの」
言って少女は未だ眠るまりさの頬に両手の指を当てる。
頬に指をめり込ませる。
「ゆっ」
それでまりさは覚醒する。
目を白黒させて、少女を見る。
「おはよう、まりさ。」
一気に、頬の中に指を突き込む。
左右二本づつ、四本貫通した。
その感触に少女は思い出す。
「今日の朝、思ったの。今日は道具は使わないでやるわ」
釣られた裸電球が揺らめき、壁一面の器具を照らす。
今まで使った道具がスチール棚にみっしりと詰め込まれている。
「ゆ゛ぁあああああああああああああああああああ」
叫ぶまりさ。
覚醒した瞬間に繋がったのは笑顔で甘いものをくれた少女の事。
同じ笑顔で自分は何をされた?
飛んだ意識に混乱するまもなく、頬の痛みで涙を流した。
箱のれいむはぼんやりと眺める。
最初の内は必死にお願いした。
もうやめてと、ゆっくりできないと。
懇願するほどに少女は笑顔のままゆっくりを潰し、切り刻み、突き刺した。
そしてれいむはいつしか何も言わなくなった。
行っても無駄だと、学習した。
少女は叫ぶまりさを見て満足気に頷く。
だが振り返りれいむの事を見て落胆する。
「れいむ、酷いじゃない。今日もお願いしてくれないの?
あなたが助けてあげて、と言えばこの子は助かるかもしれないのに」
わざとらしく少女はいう。
そんな気もないのに。
それにすら返事をしないれいむに少女は少し考える。
この先、少しやり方を変えなければいけない。
少女は続ける。
「まりさ、あの子はあなたに助かって欲しくないんだって。残念ね」
言って少女はまりさの頬から指を抜く。
まりさはパニック状態のまま少女を見ているだけだ。
「まりさ?めずらしいわね。私を罵らないの?くそばばあとか言わないの?」
少女は反応の薄いまりさを不思議に思い、問い質す。
痛むほどの強さでまりさの頭に指を押し当てて何度も聞く。
しばらくしてまりさはようやく口を開く。
「おねえざん、どうじてこんなごとずるの?」
涙を流してまりさが問う。
少女は見下ろして答えた。
「ようやく口を開いたと思ったらそれ?理由を聞いてどうするの?」
まりさは思考が止まる。どうするとかではない。
続きが語られる。
「まりさ、なにか、わるいことした?」
自分に非があるのかと、まりさは問う。
言われて少女の目つきが一瞬揺らぐ。
「……ッ!!!」
少女は、まりさを思い切り地面に叩きつけた。
激しい衝突音。
顔面から叩きつけられたまりさは声も出せない。
叩きつけられたまりさをそのまま思い切り蹴り飛ばす。
壁に叩きつけられるまりさ。
少女は興奮していた。
「今日は良い事があったから気分が良かったのに。
久しぶりに心にくるセリフをありがとう、まりさ」
荒い息遣いで少女はまりさの元へ向かう。
まりさはもう何が何だかわからない。ただもう二度と、ゆっくりできなくなるのだと感じた。
壁から床に落ちてぐったりとする。
「やめてね。おねぇざん、まりさは、しにたくないよ」
少女はまりさを持ち上げ、長机の上に叩きつける。
ずっと張り付いている笑顔のまま、まりさを握り拳で殴りつけた。
大抵こんな理不尽な暴力にはみっともない声で命乞いをするのがゆっくり。
稀にいる異端。それがこのまりさのような個体。
「どうじで、こんなごと、ずるの、まりさは、なにもしてないよ」
まりさの吐く言葉に目の焦点をずらされる少女。
グラリと、世界が揺れるような感覚に酔う。
少女はまりさを、激しく殴打した。
「ッ……はぁっ、はあっ!」
何度も殴った後に少女は、息を止めていたことに気付いて、息を吐いた。
非力な少女の拳では致命打には至らない。
「やめてね、まりさは、しにたくないよ」
繰り返すまりさ。少女は黙って聞く。既に壊れているのだろうか。
れいむは眺める。止める術はない。
自分を買ってくれたお姉さんは、ゆっくりできない人だった。
「もういいわ。今日はなんだかおかしいの。うでがいたいし。もうおわりにする」
息を切らせて言うと、少女はこともなげにまりさを床に落として、踏みつぶした。
処理を終えてフラフラと少女は地下を出る。
「今日はシャワーを浴びないと。素敵なお客様がいるのだから」
-
朝、ベッドの中で男は夕べの事を思い出す。
なれない食事は美味しいと思ったが、食べた気はしなかった。
結局少女とはまともな会話をする事なく終わった。
「これじゃまずいな」
男は余り気負わずにいるつもりだったが言われた事をしないと言うのは気が引けた。
起き上がって支度をする。
「まあ今日は、頑張ってみよう」
自分に言い聞かせて男は部屋を出た。
またも待ち伏せするかのようなタイミングで現れる執事に朝食をとる様に促される。
食堂には少女の姿はなかった。朝は少し遅いと男に告げる執事。
「しかし、お嬢様がいないのなら私はする事が無いですね。
庭でも散歩していいですか」
男は困った様に言う。
執事も困った様に言う。
「はい、確かに……。散歩でしたらどうぞ。ただし舗装された中央通路からは外にお出にならない様、お願い致します」
色々とデリケートな花もありそうだし、元よりそんな事をするつもりの無い男は承諾する。
「わかりました。荒らす気はありませんよ」
言って男は庭に出る。天井も高くて開放的な屋敷だがいささか息が詰まるのも事実だ。
青空の庭で男はため息をつく。
「いい所だよなぁ……この上なく不便だと思うけど」
つい独り言が出る。
玄関前にメインの太い道。両脇を花壇で挟んで両脇に細い道がある。
男は何の気なしに庭を見回す。
ぐるりと屋敷を取り囲む塀の前に所々に木で出来た小屋の様な物がある。
サイズはそう大きい物ではなく、それこそ小さめの犬小屋くらいの物だ。
「何だあれ?」
男は目を細めてみるが少し遠くてよくわからない。
こちらから見える四つの面は全て塞がっているのだ。
壁に向いた面と地面に接している面がどうなってるのか分からないが、通路から見えるのは全部で六つの箱。
男は実家にある地下水の組み上げポンプの木箱の覆いを思い出した。
関連して花壇の散水装置かなんかだろうと連想する。
「まあちょっと不思議ではあるな」
後から作った花壇と言う割には、あの木箱だけ妙に浮いているのだ。
壁の色と同じような色で塗ってはあるのだが、やはりそこだけ乱雑な雰囲気があった。
男は後で訊いてみれば良いかと、思考を止める。
そして屋敷を仰ぎ見た時に二階のある窓で手を振る少女を見つける。
少女は男が気づいたとわかると手招きをした。
「よかった、話が進みそうだ」
男は屋敷へ戻り、少女の元へ行くことにした。
-
「お庭、そんなに気に入りまして?」
挨拶をして差し向かいに座った後の第一声はそれだった。
手招きしたままの部屋は少女の二つ目の部屋らしい。
いうなれば少女の専用の応接室の様だ。
少女は変わらぬ笑顔で男を見ている。
「ええ、昨日じっくり見れなかったもので少し」
男は少女が誇らしく思ってるであろう庭には興味を持つべきだと、今は考えていた。
当初、打算なく興味があったのも事実だが。
「今日はれいむちゃん、一緒なんですね」
男は膝の上に抱えられたゆっくりれいむを見て言う。
余りの接点の無さからつい、会話の入り口にしてしまう。
続いてれいむに挨拶をする。
「こんにちは、れいむ」
だがれいむは返事をしない。
男が不思議に思いじっと見ると、突然れいむが言葉を漏らした。
「ゆっ」
何か喋るつもりでは無いのに言葉が出てしまったような唐突な声。
少女はれいむを覗き込み、言う。
「れいむ?どうしたの?挨拶しても良いのよ?」
れいむの目が少し潤んでいる事に、男は気づいていない。
昨日と同じように促されてから、れいむは口を開いた。
「こんにちは!」
男は妙な気持ち悪さを味わっていた。
無駄口を叩かない、挨拶が「こんにちは」だけで終わるゆっくり。
ふてぶてしい顔はそのままだがどこか愛嬌がある。
男はじっとれいむを見つめて、馬鹿な口をきかないゆっくりは可愛いのかもな、などと考える。
「そうだわ、お茶もお出ししないでごめんなさいね」
突然少女が口を開いて立ち上がる。
そのままれいむを自分と入れ替わりにソファに置いて部屋を出て行く。
「少し待っていて下さいね。れいむ、話をしていてもいいわよ」
男は呆気にとられる。
待っている間ゆっくりと話をしろと言うのか。
男は余りゆっくりは好きではない。
とはいえこのれいむは賢いのだろうと思いつつも、挨拶して後はおとなしくしている所を見ただけだ。
どれほどの物か興味はあった。
「ああ言ってたけど、れいむ、少しお話しするかい?」
れいむは男を見る。
「ゆっ、おはなししてもいいっていわれたから」
男は少し驚く。やはりこのれいむは行動に許可がいるのだ。話すと言う行為にさえ。
「私は、れいむほど躾けられた飼いゆっくりを間近で見たことはないんだ
主に野生や野良で見かけることが多くてね」
ゆっくり相手なので砕けた喋り方にしようと思ったがあえて姿勢は変えなかった。
れいむは真剣に聞いている。
「れいむはとくべつなゆっくりじゃないよ」
男は更に驚く。謙遜までするのか。本当にこんなゆっくりは見たことがなかった。
「本当にすごいな。少し感心した。もう少し近くで見ても良いかな」
れいむは少し照れているようだ。
「ゆ、ゆっ」
小刻みに跳ねたそうにしているように見える。
男は立ち上がってれいむを真上から見る。
普段見るゆっくりは飾りも汚くて髪もゴワゴワで汚らしいものだ。
「やっぱり手入れすると違うもんだな」
ぐるりとれいむを見回す。
そして後ろから見た時に何か変形している部分を見つけた。
「れいむ、それどっかに挟んだのか?なんか出っ張ってるぞ」
一箇所、後ろ側が挟んだような引っ張られたような形にれいむの肌が歪んでいた。
注意してみないとわからないくらい些細な変形だったが。
「ゆっ、きづかなかったよ、なんでもないよ」
れいむはさっと隠すように動いて言う。
「ふーん。痛くないのか。平気なのかれいむ?」
特に他意もなく男は問う。
れいむは気遣われたと感じたようだ。
「ゆっ、おにいさんは、やさしいんだね」
その時ガタっと物音がした。
男とれいむが扉の方を見ると、静かに少女が入ってきた。
「おまたせしました。皆出払っていまして私が持ってきたので少し遅くなりました」
男は慌てて少女に言う。
「ああっ、すいません、なんかわるいですね」
静かにトレイをテーブルに置いて少女は微笑む。
「お気になさらず。お客様なのですからもう少し気楽に」
少女は言って最初の様に収まる。
ソファに座り、れいむは膝の上だ。
「ごめんなさい、私が煎れたので少し雑な味かもしれません」
言ってカップをよこす少女。
今日は紅茶だ。
トレイに乗っていたのはカップだけ。
入れるものは何も無いようだが男は紅茶もストレート派なので気づかなかった。
「どうも。いただきます」
十分美味しいが少し渋い感じもした。
れいむは黙っている。
少女も黙っている。
「あ、美味しいですね。普段安物ばっかり飲んでる私が言っても説得力ないですかね」
少女はホッとした様に微笑む。
「いえよかった、飲んだ方が美味しいと感じたならそれで良いんです」
少女もカップに手を伸ばす。
右手に指輪をしているのに、その時気づいた。
「指輪?」
捻りもなくストレートに言葉を出す男。
少女はあっといって指を隠す。
「以前、おじいさまに貰ったんです。ちょっと」
言って顔を伏せる少女
気を使わせたと男は慌てて返す。
「大事なものなんですね。にあってますよ」
言って男が思うのは高そうな指輪だという事。
その辺りにいる同年代の女の子が付けていたら、絶対に本物とは思わないような大きな石がついている。
「ありがとうございます。余り普段からは着けづらくて。高価なものですし、大切な時にだけ着けるようにしてます」
高価だという言葉に男はやはりかと心でうなる。
到底自分が買える金額ではないとは感じた。
そんなものをわざわざ自分との会話につけてくれたのが少し嬉しかった。
少しは少女の助けになっているのだろうか。
男と少女はそれからしばらく他愛の無い会話を交わす。
れいむは黙ったままだった。
ふと、少女が指輪をじっと見つめたかと思うと、改まって男を見る。
「あの、お願いがあるんですけど」
男は尋常ではない雰囲気に姿勢を正す。
「な、何でしょうか?」
少女は少しうつむき加減に視線を外してまたも指輪を見る。
言いづらそうにゴニョゴニョと口ごもる。
「あの、さっきれいむが、いえ、その」
男は不思議に思ったがじっと待つ事にした。
「ええと、その、失礼じゃなければ、おにいさんと、呼んでも宜しいでしょうか」
恥じらいながら発する言葉に男は打ちのめされる。
妹がいないが故に少しばかり幻想を抱く男にはなかなかの破壊力だった。
しかし基本的に無感動な男なのでそれもすぐに損得勘定につながる。
頼まれた事には少しばかり都合が良くなるかもしれない、と。
「かまいません、よ。お好きな様にどうぞ」
精一杯の笑顔で男は答えた。無感動とは言え慕われて悪い気はしない。
それも兄として慕われるなら何よりいい事だと思った。
「そ、それでは、おにいさん、お話を、続けましょう」
少女はなんとも言えない表情でそう言った。
拒絶で始まった生活で、初めて自分から許しを乞うた瞬間だった。
-
昼食を終えて、また少し話をした後に男が会社に連絡すると言って部屋を出て言った。それから数分。
少女は部屋に残っていた。
れいむは向かい合う様にテーブルの上に。
「れいむ、いい子ね。私は嬉しいわ」
少女は言う。
最初に地下室で観客になってから、れいむは少女に逆らったことはない。
事ある毎に少女の気分で新しいルールが付け足されたが全て順守している。
今では許可無く口を開くことさえ許されない。
アイデンティティーとも言える挨拶すら。
「今朝はごめんね。つい意地悪しちゃった」
少女はれいむを撫でる。
ゆっと声を漏らしてれいむは目を閉じる。
撫でられた時のこの一連の行動すら、少女の作った決まり事。
思春期の多感な時期に起きた出来事とその結果の屋敷篭り。
彼女は歪んでいた。
-
男が連絡を終えてロビーに戻るとメイドの一人がこちらを見て言う。
「お客様、顔色が優れませんが、何か御座いましたか」
男は確かにひどい顔をしていた。
急に決まった今回の出張、その前に幾つか受け持っていた緊急の連絡事項を失念していたのだ。
順調ですと洋々と連絡を入れたつもりが叱られるはめに。
それもかなりの大事に発展してしまっていたのだ。
上司がなんとか収束出来そうだとはいってくれたが失態は失態。
「いえ、……そうですね頭痛薬とかありますか」
メイドはこちらへ、と男を促す。
何時もの食堂とは逆にその部屋はあった。
保健室。男の印象はそれだった。
「こちらへ。頭痛以外には何もありませんか」
メイドは男をベッドに座らせると訪ねる。
病院の様な問診を受けて面食らう男。
「病院みたいですね」
バカみたいな感想を男は告げる。
改めて見回すと薬品棚も相当なものだ。鍵の付いてる棚まである。
「準ずる設備です。今は医師免許を持ったものが居りませんので稼働率は低いですが」
言いながら素早く片付けをするメイド。
一度開けた棚を閉めて向き直り再び告げる。
「私どもが看護師の資格は持っていますが。特に問題ないようですので市販薬ですが、これを」
男は言われて薬を受け取る。有名な薬だ。
普段薬は飲まないが効くと評判なのでありがたく頂く男。
「ありがとうございます。お嬢様は?」
メイドはどういたしましてと返してから答える。
「この時間はお昼寝ですね。その後に散歩かと」
男は改めて礼を言ってから部屋を出て思案する。
頭の痛い問題だが、もう終わったことだし、自分は立ち入れなくなった。
忘れて今の仕事をしよう、と男はロビーへ向かう。
それから次の日も同じように過ごす。
同じ様でも前の日よりもっと、語り合う。
少女は表情豊かになっていく。男は自分が来た甲斐があったのかもしれないと少し嬉しくなる。
-
深夜。
昨日は何もしなかった少女は再びれいむと共に地下室へ降りる。
れいむは知っている。少女が服を着たままならアレはやらないのだと。
ただ何時もの様に箱に入れられるだけだ。そう思っていた。
「昨日今日と、やる気がしないわ」
違うもので満たされたからか少女は以前ここにいた時とは違う顔で呟く。
何となく降りてきたものの何もする気はしない。
ここにはおにいさんはいないのだ。
「れいむ、今日は上で寝ましょう」
信じられない言葉を聞いた。
れいむはあるブリーダーの所で躾けられたゆっくりだ。
元は野生だったらしいが群れを弾き出された所をブリーダーに拾われた。
かなり賢く、つい連れて帰ってきてしまったとブリーダーは会社に説明した。
あのままでは死ぬしかなかったれいむは、恩に報いるために懸命に学んだ。
晴れて飼いゆっくりとして売り出されたれいむは、成績の良さからかなりの高額をつけられて売り出された。
売れた先は大手会社の社長令嬢の元だった。
急な注文で最高のモノをと言われて、ブリーダーは迷いなくれいむを推した。
この時まだブリーダーの元にいたれいむは幸せだったのかもしれない。
最後に満足の行くまで挨拶ができたのだから。
長時間ケージの中で起きたり寝たりして、辿り着いたのは素敵なお屋敷。
綺麗なおねえさん。その人が飼い主になった。
素敵な鈴をリボンに付けて貰った。
おいしいあまあま、すてきなごはん。
やわらかいべっどにゆっくりできるへや。
まさに夢の様だった。
あの夜までは。
れいむは地獄を見る。
しばらく夢心地で過ごしていたれいむ。
ある日突然、透明な箱に入れられて、知らない場所に連れてこられた。
やさしいおねえさんはいつもの笑顔でゆっくりを潰す。
必死に止めた。やめてあげてね、と。
そうするとおねえさんは余計に嬉しそうになった。
次の朝、れいむは昨夜の事を尋ねる。どうしてあんな事をしたのかと。
すぐに平手で叩かれてれいむは最初の決まり事をさせられる。
「夜のことは訊くな」
命令だ、と、言われてれいむは躾け通り従う事にする。
次の日には潰されるゆっくりが増えた。
エスカレートする行為。
れいむは自分の吐いた餡子で死にかけたこともある。
昼間も喋ることを抑制され、部屋がゆっくりできない小さな物になっていって、少し動いただけで躾けで叩かれるようになっても、
夜にはれいむは見せられるだけ。地獄を。
それ以来、夜は箱の中。
しかしあれ以来初めて、箱の中で過ごさなくて良い夜が来た。
れいむは何かが変わったのだと理解する。
それは素晴らしい未来に繋がってる気がして、れいむは、数カ月ぶりにゆっくり微笑んだ。
-
終わりは突然。いつもの事。
四日目にようやく会長が屋敷へ向かう事になった。
しかしそれも無理なスケジュールな様で午後一で到着、契約が終わり次第すぐに出かける予定となった。
少女と男の会話はつづいている。
勿論今日は会長の話題になった。
「お祖父様、やっと都合がついたみたい。長い事すいませんでした」
少女は幾分砕けて言う。
男も大分慣れた風で答える。
「はは、来た目的を忘れるところだったよ」
まあ、なんて言って少女は笑う。
少女は気づいていない。気づかない振りをしている。
男は知ってか知らずか引き金を引く。
「今日の午後に終わるから帰るのは明日かな。いや結構長かったね」
少女は止まる。考えない様にしていた事。
「……そうですね。午後に入ると屋敷を出る時間が厳しいですから」
上の空になった少女を気遣うように男は話を続ける。
今言う必要はなかったのに、と男は自戒する。
「まあせっかくここまで知り合えたんだから、困った事があったら言ってね」
少女は社交辞令だと感じても嬉しさを堪えきれない。
「はい。ありがとう、おにいさん」
それだけで幸せだった。それで良い。少女は納得しようとした。
-
会長は予定通り到着。移動中に食事も済ませたと豪快に笑う。
「まあ契約はいつも通りだな。変更はない、と」
男は仕事の態勢で受け答えをする。
「はい、こちらと、これだけですね。初めての担当なのですいません手際が悪くて」
会長はサインをして書類を返す。
「仕事は終わりだ。これだけの事に済まなかったね」
申し訳なさそうにタバコを取り出す会長。
男はほっと一息着いて答える。
「いえ、これでも自分には大事ですから」
会長は本題とばかりに身を乗り出す。
「執事に聞いたがね、なかなか仲良くやっていたそうじゃないか」
男は少し困る。仕事だった事を思い出した。
少女に対して少し後ろめたく感じる。
「なんとか。仲良くなれて良かったですよ」
会長は頷き言う。
「仕事をちらつかせてこんな事を頼んだのは済まないと思ってるよ。だが良くやってくれた」
男はいつの間にかそんな事は忘れていたが言っても仕方ないと黙る。
「おにいさんとか呼ばれていたらしいね。兄弟か。
兄弟がいればこんな事にもならなかったかもしれんな……」
男は気になったが聞かない事にした。おそらく最初の日の質問で言えば答えられない事だ。
会長は何も言わない男を見て更に頷く。
「ふむ。それでいい。明日帰る事にしたそうだが」
タバコを消す。
男は少し待って答える。
「はい、お世話になりました」
会長は立ち上がりながら言う。
「私が今乗る車はちょっと乗せられなくてね。可能なら今すぐ帰れたのだが」
男は困惑気味に笑む。
そのまま会長はよろしくと言って屋敷を出た。
後ほんの少しで終わる。終わってしまう。
そう思ったのは誰だったか。
鈴の音が聞こえた。
-
ロビーで鳴る電話の呼び鈴を合図に男は食事を終える。
夕食に少女はこなかった。
男は気になる事があったので少女を探そうとしたが、執事とメイドが連れ立って男の元へ来る。
メイドが急用で村までいかねばならないらしい。
村で事故があって怪我人が多数出たそうだ。
駅前でゆっくりが原因のバス事故が起きたらしい。
駅前とバスとゆっくりの単語でギクリとする男だがまさか関係はないだろうと心を落ち着ける。
村の診療所の人手が足りなくなると看護師の資格を持つメイドがたまにこうやって呼ばれるらしい。
普段なら少女が一人になってしまう為、断るか向こうから迎えに来てもらうのだが、
今回は急を要するし男がいるので任せても良いだろうかとの事。
「ずいぶん信頼されてますね。私」
男はつい口にする。
邪な事を一瞬考えてしまった。
執事とメイドは顔を見合わせて笑う。
「身元もハッキリしておりますし、数日共に過ごして理解しているつもりです。
旦那様とお嬢様にも了解を得ております」
そこまで進んでいるのなら断るのも悪い。
「わかりました。気をつけて」
男は了承した。
-
男は少女を探す。
最後にしっかりと話をしておきたかった。
先程聞こえた鈴の音。少女は会長との会話を聞いていたはずだ。れいむと一緒に。
あんな物はただの切っ掛けだったと言っておきたい。
「おにいさん」
何時もの応接室近くで急に声をかけられた。
少女だ。
振り返り男はギョッとする。
下着姿だった。
れいむはいない。
とっさに男は目を背けて背中を向けて言った。
「ど、どうしたんだ?いや、さっき、話を廊下でいやなんで」
パニックになる男。さきほど邪な事を思い浮かべてしまった分、余計に動揺する。
少女はそのまま話を続ける。
「明日かえるなんて言わないで、もう少しここにいてください」
抑揚の無い言葉。搾り出すように弱々しい。
男は困惑して言う。
「いや、そういう訳にも、いかない、とにかく何か羽織ってくれないか」
男は切実だ。どうにかならなくてもこの場面を第三者に見られたら完全にアウトだ。
少女は静かに言う。
「いやです」
男は考える。
寂しいんだろう、別れたくないんだろう。
慕われていたとは思うし正直嬉しい。
「でもこんなの良くないよ、お願いだからやめてくれ」
少女は黙る。
スッと近づいてくるのがわかる。
「じゃあひとつだけいう事をきいてください」
真後ろに立った気配がする。
男は気が気じゃない。何をいうつもりだろうかと頭の中がグルグルとまわる。
「そのままひざをついてください。かおに、とどかない」
少女の経過のみを要求する。
後ろを向いたまま膝をつく。それがどういう結果を要求してるのか考えなければ、すぐにでも出来る動作。
男は出来る限りの事はしてあげたいと考え続けていた。
その心が簡単に膝を折らせる。
「ありがとう、おにいさん」
言って少女は首筋に抱きついてくる。
刹那、凄まじい力で口に押し当てられる湿った布切れ。
男はパニックに輪をかけて必死に手を外そうとする。
中途半端な姿勢と真後ろをとられていること、少女は意外にも長時間、男を抑えた。
妙な臭いのする布切れで男は息ができない。
少女の指に、あの指輪が見えた。
「おとなしくしてよ、ここでいつまでもおはなししようよ」
腕に込められた凄まじい力と裏腹に抑揚の無い弱い言葉。
男は限界近くなり仕方なく少女の指に布越しに噛み付いた。
苦痛を口から漏らして少女は離れる。
「どうして、眠らないの」
布に染み込ませたのは何か麻酔のつもりだったのだろうか。
「昔の、漫画じゃあるまいし、そんな方法で人を眠らせられる、ものか」
息も絶え絶えに男はいう。
薬品棚から何か失敬してきたのだろう。廊下の端にはなにか瓶が落ちている。
「なんてことをするんだ、窒息するところだった」
言って男は少女を見る。
少女はその目に捉えられて硬直した。
足元から震えだして、全身に震えが広がった時、少女は自らの肩を抱いて走り出した。
その先の部屋は少女の寝室。
男はぽつんと廊下に残される。
「やれやれ、とんだ結末だ」
少し悲しくなった男はロビーに向かい少女が落ち着くのを待とうと思った。
寝室の前まで言って扉越しに声をかける。
「落ち着いたら出ておいで。話があるんだ」
それだけ言って男は離れる。
致命的な選択ミスだった。
-
少女は部屋の中にいたれいむを抱きしめて震える。背中から抱くいつものポジション。
れいむは不思議そうに少女を見ていた。今は後ろから抱きつかれて見えない。
自分からは語れないれいむは黙って少女の命令を待つ。
「おにいさんが、にらんだの」
少女はポツリと語る。
「おとうさんとおなじめで、わたしをにらんだの」
はじめは虫だった。
病弱な身体に鬱屈を感じていた少女は、弱生物を蹂躙する事で心を晴らす術を覚えてしまった。
母親を早くに亡くして、家にいない父親と事なかれ主義の家政婦。
これが少女の世界だった。
家からは離れず、裏の庭で蟻を見つけては潰す。私は力が無いけれど、こいつらよりは上。
蟻の巣に水を流し込む。大きめの蟻を引きちぎる。
子供ならやってもおかしくはない遊び。
ターゲットは色々な虫に広がっていった。
ある時大きめの蟷螂にいつもの様に手を出した。
途端、すさまじい痛み。無防備に正面から手を出したのだ。
当然、指先を鎌で捉えられた。
凄まじい痛みと共に流れる血。
少女は狂った様に腕を振り払い、落ちた蟷螂を近くにあった棒で叩き潰す。
次は慎重に。知らない虫で上手く行かないと癇癪を起こしてヒステリックに暴れ叩き潰す。
学校は休みがちで友人はいない。誰もそれを咎める人もいない。
少女は非常識で育った。
今の屋敷よりは都心に近かったが郊外ではあった以前の家で少女は暗い遊びを続けた。
少女は殺した虫の死骸を片付けなかった。
綺麗に分解して行く。そして終わると纏めて積む。
それはいつもの場所、ガレージの片隅に溜まっていった。
ある日いつもの様にガレージに虫を持っていくと、綺麗に無くなっていた。
別に溜めたくて溜めておいた訳ではないので、少女は別段気にせず、持ってきた虫を分解しようとした。
「やっぱりおまえか」
声をかけたのは父親だった。
話し掛けられたのがずいぶん久しぶりだった少女は嬉しくなって返事をしようとした。
その声が発せられる前に父親の平手が頬を打った。
「どうしてこんな事をしたんだ」
少女は意味が分からない。
叩かれて痛い。心が悲鳴を上げた。
何の事を言ってるのかわからない。
「今もやるところだったのか」
言われて手を見る。
今日はトンボ。
「私何か悪いことした?」
少女は問う。
父親は睨む。理解出来ないものを見る目で。
少女はすぐに竦んでしまった。
久しぶりに父親と話せると思ったのに、何も言えない。
以前話したのはいつだろう。少女は思い出せなかった。
でも確か、以前も、叱られた時だという事だけ、思い出せた。
父親は、虫をみだりに殺す事が悪いのだと、と諭さなかったのが問題だった。
「私何もしてないよ」
ただ叱る。叩く。そして睨む。少女は理解出来ない。
虫を殺す事と叱られる事が何時までも結びつかなかった。
誰も教えなかったのだから。
少女はしばらく後、祖父の屋敷に預けられた。
父親からは離縁されたも同然だった。
もうずいぶん前から少女は、人間を見る目で見られていない気がした。
少女は祖父の優しさに触れ表向きは平静を取り戻した。
勉強も少しづつだが進む。
父親の事を思い出さなければ。
何か父親を連想させるものを見ると少女は精神が不安定になる。
祖父はもはや父親に会わせないようにするしかないと考えていた。
そのうち少女は庭で不思議なものを見る。
ゆっくりだ。
良く遊びに来る家族がいた。
少女は虫を捕まえては分解して、ゆっくりにあげる。
関係は良好だった。
少女はこの土地に感謝していた。
興味を持って祖父に聞くと生まれ故郷だからと言われた。
素敵な土地だ。
少女は祖父の不在時に書斎に入り込み、アルバムなどを貪るように見た。
昔から余り変わらない景色が多くて何か不思議な気持ちになる。
そのうちに、見ていない本もアルバムも減っていった。
まだ何かないかと少女は貪欲に書棚をあさる。
そして、隠す様に置いてあった茶色のアルバムを見つけてしまった。
少女はまだ見ていないアルバムに興奮した。
もったいぶるように開いて、少女は絶叫した。
祖父の始めた事業。菓子作り。
そのアルバムは写真付きのゆっくり解体指南書だった。
それから少女はゆっくりを違う目で見るようになる。
祖父はあれを食べ物として加工していた。
切っ掛けはいつも庭で語っていた家族が、別の家族に殺されるのを見た時だった。
少女が何時も通り虫をあげた後、ホウキを取りに家に戻って、もう一度出てくるともう、いつもの家族は殺されていた。
殺した家族は取り上げた虫ををむしゃむしゃと食べている。
少女は激昂してホウキで皆殺しにした。
潰れ切った餡子溜りをホウキでいつまでも叩きつける少女を、執事が押さえ込むまで続いた。
それから少女の分解対象はゆっくりになった。
虫よりも弱い喋る饅頭。
蟷螂に切られて血を流した事はあったがゆっくり相手にはそんなは事なかった。
アルバムの通りに皮をはがしてみたり、眼球を取り出して見たり。
地下に解体スペースを作ったのもこの頃だった。
完成した花壇の庭が荒らされるからと、ゆっくり捕獲用の罠を作って貰ったのもこの頃だった。
執事もメイドも祖父も皆、少女のゆっくり解体趣味には気づいていた。
虫殺しの事は父親から聞いていたがゆっくりに発展したときは流石に驚いた。
祖父は過去のこと、自分の書物が原因だと責任を感じたが、
逃げ場所のここが無くなったらあの子はもう生きていけないかもしれない、そう思って言えなかった。
幸いというか、ゆっくりを殺すのは現状、罪にはならない。
祖父は特に食べ物、物としか見てない。
それも少女に道を指し示すのを怠らせるに足る一因だった。
すぐに飽きるだろうと手を拱く。
執事とメイドは強く心配したが主人の意向には逆らえない。
それでも一向にやまぬどころかエスカレートする少女の行いに危機感を感じて、
以前言われたペットのゆっくりを飼いたいという少女の望みを叶えた。
それは解体を始める以前の望みだったが祖父には関係ない。
自分が与えた高額なゆっくりだと知っていれば、ゆっくりを見る目も少しは変わるだろうという程度の微かな望みだったが。
少女は困惑した。今更こんなものを与えられても、と。
とりあえず普通の人がする様に餌を与え、共に過ごしてみた。
少女は耐えられなかった。分解したい。だが祖父のくれたものだ。山で捕まえたものとは意味が違う。
そのフラストレーションは深夜に爆発する。
いつもの数倍激しくゆっくりをバラして少女は悦に入る。
体力の限界を越えてフラフラになっても心地よかった。
昼間に脳天気に少女に話しかけるかわいいれいむ。
少女は我慢できなくなった。傷をつければバレてしまう。なら、心を分解しよう。そう決めた。
れいむはバラバラにされて行く。
見えない所を、バラバラにされて行く。
少女は従順な観客を手に入れた。
泣きながら同族の安否を気遣うれいむは、たまらないほど可愛かった。
れいむはいつまでも従順で、壊れなかった。
少女から目を話さなかった。
れいむは、少女を見続けた。
少女は、れいむを見続けた。
少女はハッと意識を戻して男と父親の目付きを思い出して震える。
「いやだ、ここもだめなの」
れいむをきつく抱きしめる。震えが止まらない。
「どうしよう、れいむ、どうしよう」
腕に締め付けられるれいむが限界近くなる。
少女はれいむに助けを乞う。力は入る一方。
たまらずれいむは、初めての抵抗をした。
口に当てられた指に噛み付く。男のかじった位置と同じ位置だった。
驚いて少女は手を離す。
血が出ている。
れいむは声も立てずに床に落ちた。
慌てて少女を見上げる。
だがすぐに謝るべきか、命令を守って黙っているべきかれいむは迷った。
賢いれいむ。従順なれいむ。
その賢さゆえ、れいむも、最後の選択肢を誤った。
「れいむ、あなたもなの」
指から流れる血を見て気が遠くなる少女。
少女はいつもの様にゆっくりを机の上に置いた。
ぐらりと揺れる意識に少女は抗えない。
そして殴る。何百回も繰り返して来た動作だった。
数発殴って少女は我に返る。
「あ、れ、れいむ、ごめんなさい、わたし」
少女は顔色を失う。いつもはどれだけ殴っても歪むだけのゆっくりが、たったの数発で破れ、餡を吐き出していた。
「そんな、いつもはこれくらいじゃ、どうして」
長く飼いゆっくりだったれいむの皮は野生のままの皮とは全く違う。
そしてれいむにとどめを刺したのは指輪だった。
大切な時に願いが叶う様にと着ける、願掛けの指輪。
少女の拳はれいむの真ん中を貫いていた。
れいむはもう意識もない。
最期に見たのは少女の泣きそうな顔。
大分前に自分の意志で絞り出した言葉を言ってそれきりれいむは動きを止めた。
「ゆっくりしていってね」
-
男は玄関ロビーで静かに待つ。
扉の開く音がして、吹き抜けの二階廊下に少女が現れる。
「ごめんなさいおにいさん」
最初に出たのは謝罪。声はかすれている。
男は気にしてないという様に告げる。
「問題ない。落ち着いたかい?」
即座に少女は言う。
「いいえ。今すぐこの屋敷から出ていって下さい。だから、ごめんなさい」
男は頭が真っ白になる。
「ちょっとまってくれ、今屋敷を出ても車もないのにどうしろって言うんだ」
少女は静かに続ける。
「執事に連絡します。屋敷前の道を下っていけば途中で合流出来るように」
男がなんとか理由を聞こうと言葉を上げようとした瞬間、少女が言う。
「私、れいむを殺しました」
予想外の言葉に男は再び意識が飛びそうになる。
少女は続けた。
「その前にも何百体もゆっくりを殺しました。
私はここでれいむたちゆっくりに償いをしなくてはいけません」
男は理解出来ない。少女がゆっくり虐待をしていたことも勿論驚きだが償いをすると言ったことを。
「まってくれ、ゆっくりはゆっくりだろ。別に罪に問われるわけじゃない。そんな事で」
少女は少し声を荒らげて言う。
「れいむを殺した瞬間に、私にとっては意味が変わってしまったの」
トーンを落として少女は続ける。
「お祖父様も、おにいさんも、ゆっくりの命に余り価値を感じてない。
私もそうでした。でもれいむを殺してしまった時、変わりました」
男は黙る。
「知ってますか?お祖父様はゆっくりを使った菓子を作って起業したんです。
私の殺した何百倍ものゆっくりの犠牲の上に成り立っている会社。
私は徒にゆっくりを殺しました。お祖父様のように食べる為に殺したのとは意味が違うかもしれません」
少し息をついて少女は続ける。
「そのゆっくりに食と遊び以外の意味を見つけてしまった。私の最初の友人れいむ」
「殺してから気づきました」
階段の上で少女は震える。
「賢くて、従順で、私だけを見ていたれいむ。
私は、おにいさんとの会話でいろんなことを学びました。それでわかったんです。」
少女大きく息を吸って最後の言葉を語る。
「何百何千もの犠牲の上の家系。その最後のゆっくりは友人でした。
私はその、友人を殺したんです。私の中で全てが裏返ったんです。私は耐えられそうもない」
男は言葉もない。
自分に寄せられた信頼感は無垢故のものだったのかと、悲しくなる。
だが、振り絞って答える。
「意志は尊重しよう。君の行った通りすぐここを出ることにする」
少女は頷いて後ろを向く。
「ありがとうおにいさん。こんな最後になったけど会えて嬉しかった」
男は荷物をまとめに戻る。
全て詰め込んで部屋から出たとき少女はそこにいた。
「連絡は付きました。すぐ来るそうです」
少女は最初に会った時と同じ笑顔だった。
男は締め付けられるような思いで少女を見る。
「どこかで間違えたのかな。こんな事になるとは思わなかった」
少女はゆっくり首を振る。
「いいえ。きっとずっと前から決まってたことなの。
あなたが私の隙間を埋めると思ったのも、きっと錯覚。
私の隙間にはれいむがいたのだから」
男はまっすぐ玄関へ向かった。
「さようなら。私はここで最期まで償うわ。」
少女は最後につぶやいた。
男は返事をしようとしたが、声がでなかったので止めた。
男はそのまま街へ帰る。
男は時折、少女とれいむの事を思い出す。
ゆっくりは相変わらずで、何も変わらない様に見える。
今ではもう幻のような思い出。
しばらくして流れた山中の屋敷炎上の報道は、男の耳には入らなかった。
洋館炎上エンド 終
一瞬違うファイルを上げてしまいました。上げなおし。
過去作
ふたば系ゆっくりいじめ 1008 つまらない
ふたば系ゆっくりいじめ 988 不愉快
私の朝は、いつも、こうだ。
夜の反動で軋む体に鞭を打ってベッドから出る。
恨めしい、弱い少女の体躯。
終わった後、何もせず眠ってしまったらしい。鮮明な記憶は無い。
こんな事は、初めてだ。
昨夜の行為の臭いがまとわりついていて、私は苛立ちを覚える。
「せめてシャワーくらいは無理にでも浴びてから寝るべきね。起きた時が最悪だわ」
呟いてバスへ向かう。
手にはまだ昨夜の感触が残ってる気がした。
思い出して少し、興奮する。
「臭いは嫌いだけれど、こっちは悪くないわね」
両手を握って、開いて、握って。
昨日の感触の残滓を消してから、臭いも消す事にする。
また、代わり映えのしない一日が始まるのだと思うと、少し憂鬱だけれど。
-
男は途方に暮れていた。
取引先の会社の会長に資料を届けて、サインをもらってきて欲しいと出張依頼を受けた。
大手食品会社の会長でほぼ実務を任せきりなのか、辺鄙な山中に屋敷を構えて過ごしているらしい。
「片道5時間……。まあ仕方ないけど……」
早朝に本社に出社、会議の後出発。
今はもう午後三時。
連絡をとると屋敷から迎えが来るというので、無人駅の前で待機だ。
「今から、ね。車が来るのが一時間後。つまり……帰れない気がするな。と言うか物理的にダイヤ的に不可能だ。
泊めてくれたりするのかな。仮にそうでも、それはそれで苦痛な気がするけど……」
自分の勤めている会社を簡単に左右出来る取引会社の会長自宅に宿泊など、一平社員にとって拷問以外の何でもない。
男にとってそこも疑問だった。
「だいたいこんなトコまで来る大事な用だってんなら、なんで俺みたいな新米が行くことになるんだよ。
新人イビリか。そうなのか。社会人は大変だ」
ぶつぶつと文句をいう男。
今の部署で一番若い自分がなぜ。
もしかして大切でも何でも無く面倒だから回されたのか。
たしかに早朝会議で確認した限りでは、なあなあでサインされてもおかしくない内容だった。
人を呼びつけるって言うのが大切なのかな。主従関係と言うか。
男は詮無いことをとりとめなく考える。
社運のかかる取引会社との契約にイビリ目的で新人を送り込む可能性など、考えるだけ無駄だが。
男は駅前のバスの停留所に腰を下ろしていた。
目的地の逆方向からバスが来て男の目的地の逆方向にバスが出る。ここが終点で始発。折り返し地点だ。
逆方向には少し開けた村がある。
後三時間すると次のバスが来るらしい。バスは朝に二本と次のバス、その後一時間後にもう一本来て終わりだ。
綺麗なバス時刻表。電車より多いのが不思議だ。電車の無い時間に駅に来て何をするんだろう。
さておき。朝から疲れたこの身体をいたわる為に少しばかり腰を据えてもバチは当たらないんじゃないだろうか。
とは男の心の叫び。
「しかし、暇を潰そうにも携帯はバッテリーが不安だし。普段ならコンビニで電池でも買えば良いかと思うけどなぁ」
今この状態で携帯の電源が切れるのはちょっと勘弁だ。
携帯がなかった頃は会社連絡も色々大変だったろうな、なんて男は考える。
男は朝に食べ残したパンの袋を取り出す。
昼は弁当だったがちょっと早く食べてしまったので、小腹が空いたと言う所。
我慢出来ない程ではないが、手持ち無沙汰でつい手が伸びた。
幸い無人駅には清涼飲料水の自動販売機だけは備えてある。
仕事の時に常飲しているブラックコーヒーを買い、再びベンチに腰を落とす。
ガサガサと袋を開けていると、近くの茂みから何かが飛び出してきた。
「「ゆっくりしていってね!」」
タイミングを図った様に、ゆっくりの番が男の前に出てきた。
男は軽く口をつけていたコーヒーを噴きそうになるのを堪えて言う。
「ゆっくりとか、ないわー」
男は心底うんざりして言う。つい口調がおかしくなるほどに。
都心部の野良ゆっくりに日々辟易している男は、最低だと思っていた気分を更に落とされてがっくりする。
最低だと思っていた高さは意外と高い。
「ゆ?ゆっくりしていってね!たべものをくれてもいいのぜ!」
まりさ種が言う。
スタンダードなまりさとれいむのつがいだ。
「いきなり出てきて食べ物くれとか、いやくれても良いよとか、なにいってんだお前。
潰れて死ね。即座に死ね。」
男は心底うんざりしたと思ってた底を更に潜って言う。心の底は意外と深い。
横でキリッとしてるれいむが更にうざい。
まりさは不思議な顔で固まってしまった。
れいむはないがしろにされたまりさをキッと睨んでからこっちに向き直る。
「おにいさん、ゆっくりしていってね!いきなりたべものをほしがってごめんね!
それならたべものはいいからあまあまをちょうだいね!」
男は気が遠くなる。都心では聞いた事が無い超展開だ。
「それならとか意味がわからないから。二秒で死ね。自分で死ね」
れいむもかたまる。自分がお願いすれば返答が変わるとでも思っていたのだろうか。
男は考える。
おそらくこのゆっくり共は、バスを待つ人などに食べ物を貰った事があるのだろう。
周囲には何も無いし、ひょっとしたら近くに巣があるのかもしれない。
人がいると様子を見て、食べ物を持っている様だったらねだる。
最初のまりさの愚直すぎる挨拶とおねだりの直列つなぎは、
男が到着してから食べ物の可能性を示唆するまでの長さに起因するのかもしれない。
ヨダレを垂らしながら人間を観察するゆっくりを想像して、ちょっと気分が悪くなる。
もう放っておいてパンを見せびらかしなから食べようかと思った男は、袋の中のパンを見て悪巧みを思いつく。
とにかく思いついた事を試してみようと、男はパンを取り出してゆっくり達に問いかける。
「仕方ない、お兄さんがこのパンをやろう。
まずは誰が食べるかな。おまえたちで決めるんだ。」
自分のことをついお兄さんと言ってしまう男。
ゆっくりの本当に怖いところはこういう所なのかもしれない。
さておき、くだらない思いつきだが迎えが来るまでの暇潰しにはなるだろう。
「ゆ、ゆ?おにいさんたべものくれるの?」
れいむが申し訳なさそうに言う。
まりさは許してもらえたと思ったのか、嬉しそうに言う。
「ありがとうおにいさん!ゆっくりはんせいしてるよ!」
男は頷いて言う。
「だから順番だ。最初に食べる奴を決めろ。出来ないならやらん」
ゆっくり達は即決する。
「じゅんばんだね!じゃあれいむからもらうよ!」
男は少し不思議に思ったが納得する。
ここで食べ物を貰う内に、なんとなく繰り返してきたシチュエーションなのかもしれない。
順番にと言われた時の順番は出来上がっているのだろう。
「まりさがそのつぎだね!そーせーじさん、ひさしぶりにみたよぉー!!
まりさはそのそーせーじさんでいいよ!」
目ざとくソーセージを見つけた辺りよほどの好物なのだろう。
「わかった。じゃあお前からだな。ほらっ」
男は言ってパンの切れ端をれいむに向かってふわりと投げる。
れいむはゆっとないてパンに飛びつく。
「むーしゃむーしゃ、しあわげぇえええええ!!からいぃぃぃいいいい!!」
れいむは食べたものを吐き出してしまった。
しあわげぇぇえええのリズムの良さが男のツボに入った。
男は笑いをこらえながら言う。
「れいむどうした?気に食わなかったか?」
れいむはゆっくりしてねと声を掛けるまりさを無視して男に言う。
「どくがはいってるよ!からいのはたべられないよ!」
男は野良ゆっくりによく辛いものをあげていたので当然知っている。
今回はサンドの粒マスタードをパンにつけて投げた。
「辛いのは食べられないのか、すまんな。お兄さんは辛いの大好きでな。
ここにのってるマスタードって言うのはちょっとだけ辛いんだ」
これがダメならもうあげられるものはないな、と、パンを見せつけて目の前で少し齧る。
それでもまりさはソーセージを見て男に言う。
「そーせーじさんはへいきだよ!!まりさのこうぶつだよ!
からいのはつけないでちょうだいね!」
男はしてやったりとまりさを見る。
まさかこんなにうまく噛み合うとは。
「ん、いやでもなぁ。こっちも辛いぞ。知らないと思うけど」
男は勿体つけて言う。
まりさはそれを聞いて勘違いして男に詰め寄る。
「おにいさん、まりさはしってるよ!それはからくないよ!
あまあまじゃないけどしあわせーなあじだったよ!
ひとりじめしないでね!いじわるしないでちょうだいね!!」
先程までの控えめな態度はどこへと言わんばかりにまりさはぐいぐいと押してくる。
ヨダレも止まらない。よっぽど好みの味だったのだろう。思い出して辛抱たまらないようだ。
普通のソーセージは少し塩っ辛いはずだがどんなものを食べたのだろう。
「いやだから、これは辛いんだって。ほんとだぞ?」
まりさは聞く耳持たないと返事する。
「だいじょうぶだよ!まりさはたべたことあるよ!」
男は自分から焦らしているのにもかかわらず、必死な様子に笑いが出る。
「うーんそこまで言うなら仕方ない」
程よく焦れてきたまりさを見て頃合だと思った男は、
ソーセージを一口大にちぎって、まりさにくれてやることにする。
「よし、ゆっくり食べるんだぞ」
そう言ってパクパクと馬鹿みたいに開閉してるまりさの口に、放り込む。
まりさはようやくありつけた食べ物に辛抱たまらない様子で夢中で咀嚼し、飲み込む。
「むーしゃ、むーしゃ、しあ」
定型文の途中で一時停止するまりさ。男は噴き出す寸前だ。
れいむが不思議そうに見ているとまりさは、不意に倒れた。
「ゆっ、ゆぅっ、ゆ゛ぅっっ、
ゆげぇぇぇぇぇえええええええええええええええええええええええええええ!!!」
ものすごい勢いで餡子を吐くまりさ。
足元に流れて来た餡子を見て慌てて男はよける。
男は見事成功した自分の企みに少し嬉しくなる。
「ははは。駅前パン屋特製のメキシコ風激辛チョリソサンドはどうだったかなまりさくん。
気に入ってくれたみたいで何よりだ」
男は慇懃無礼に声を掛ける。
人間でも耐えかねる人がいるほど辛い特製サンド。
大好物だがいつ行っても売り切れていないので、
男はいつも助かるような悲しいような複雑な気分になる。
「まりさぁぁああ!!しっかりしてねぇぇええええ!!!」
れいむが励ましているがまりさは意識不明だ。
もう止まった餡子の量からしても死にはしないだろうが。
「うむ。非常にうまく行ってお兄さんすっきりだ。ほんとにいじりがいのある奴らだなぁ」
男は笑いながら残りのソーセージとパンを食べる。
この状況でムシャムシャとパンを食べる男もどうかと思うが。
「なにしてるのおにぃさん!!からいのはだめだっていったでしょおおおお!!」
れいむが激昂して男に詰め寄る。
「わはは、誰がゆっくりにメシなどやるものか」
男はわざとらしく答える。
煽りに煽って一気食いさせたのはもちろんわざとだ。
れいむに向かってぞんざいに言う。
「さて、次はどうするかな?」
れいむは男を見上げて言う。
「やめてね!おにいさん、れいむにへんなことしないでね!」
れいむの言葉の後、男は暫く何もせずれいむを見る。
更に数秒後、男は言う。
「うん、いいから帰れもう。やることができた」
男はそう言って駅の横に向かって歩く。掃除用具入れがある。
そこから男が棒を取り出したのを見てれいむは慌ててまりさを起こす。
「まりさおきてよおおおお!!ぼうさんでたたかれるよおおお!!」
男はれいむのセリフが坊さんに聞こえて少し噴く。
放っておいてバケツに水を貯めていると、まりさが気づいた後慌てて二匹は逃げ出した。
追いかければ容易く追いつくが、今回は放っておく。
別にあいつらが死のうが生きようがあまり意味はないのだ。
ただの暇潰しだ。
「時間にはまだ早いけど、ここ掃除しないといかんしなぁ」
親まりさの吐いた餡子がこんもりと小さな山になっている。
「なにしてんだ、俺。まあ仕方ない。道具が揃っててよかったけど」
男は淋しげに一人掃除をはじめた。
-
掃除が完了して数分後、時間通りに車は到着した。
車中から代わり映えのしない緑を男は眺めている。
男の知識に無い黒い高級車は音も無く路面を滑る。
車ってのはこんなに静かに走る物だったのかと男は感じた。
静かすぎて間がもたない。
迎えに来ただけの男相手なのだから黙ってれば良いのだろうが。
「少しよろしいでしょうか」
沈黙を切ったのは運転している男だった。
男は驚いて前を見る。
「は、はい。なんでしょうか」
何故かものすごく緊張している自分に驚く男。
こんな事で屋敷で契約の時に大丈夫だろうか。
男は変な心配事を蓄積していく。
運転している初老の男性は何でも屋敷の執事兼、運転手だそうだ。
執事、なんて本物を初めて見たなと思い、メイドもいるんですかなんて軽口を叩いたら、三名程ですが、なんて返答だった。
男は乗り込んだ直後の会話を思い出して整理する。
「疾うにお気付きかとは思いますが、本日中に公共の交通機関での帰宅は不可能かと思われます」
執事はさっくりと語る。実に歯切れの良い声。
男は困ったように返答する。
「そうですよねぇ。今から駅に戻っても無理ですから。この状況は何とかなるんでしょうか」
辺鄙な屋敷に呼び付けたんだからそっちで何とかしろ、とまでは思っていないだろうが、
男は訪ねるようにつなぐ。
執事は当然の決定事項を告げる。
「当然、当家の主の都合で呼び付けたのですからお客様には一片の不便も感じさせません。
とりあえず本日は当屋敷にお泊り頂く事になると思いますが。何か不都合はございますか?」
執事の言葉で少しほっとする男。
「いや、全く。時間見て不安だったんで一応着替えも少しは持ってきました。泊まれる場所さえあれば、ええ」
執事は答える。
「でしたら、細かい事は後の指示になると思いますので」
それっきり、執事は黙る。
男は退屈で景色を見る。いつの間にか山を登るような道に入っていた。
舗装が所々甘い。ガタガタと揺れだした車に少し辟易する。
「ここってもしかしてもう敷地に入ってます?」
何となく訊いてみる男。
執事は答える。
「はい、大分登りますが。この山ひとつが敷地となっております」
男はなっておりますじゃないよ、と心中で毒突く。
広いのは良いけどこれじゃたまったものではないとも男は思う。
会話はそこまで。それきり執事は黙る。
おそらく男が話しかければ答えるだろうが、男は何も言わなかった。
-
待った時間と同じ時間をかけて男は屋敷についた。
執事は車をガレージへ入れるので正面玄関まで歩いて行って欲しい、との事。
「まあ、玄関、見えてるけどさ。なんというお屋敷」
距離は百メートルはあるだろうか。
屋敷も相当大きいがその手前はまるで公園だった。
「凄まじいね。まあ山奥だし文句も無いけどさ」
男は玄関へ向かう。
珍しい花が多くてつい足が止まる。
男は特に花に興味はないが、本当に見たことがない花が多いのだ。
「うーん、なんか高い花なんだろうなあとか思ってしまうのはヒガミだろうか」
そうして花を見ながら歩いといると、途中で花壇の向こう側に黒いかわいい靴を見つける。
びっくりして顔を上げるとそこには、れいむ種のゆっくりを抱えた少女が立っていた。
「……お客様?」
第一声はそれ。
妙に落ち着いた声で高いような低いような、不思議な声。
なんとか自己紹介を終える。
少女は会長の孫娘だった。
「ほら、れいむ、あなたもご挨拶なさい?」
れいむはそう言われてからやっと声を出す。
「れいむはれいむだよ!こんにちは!」
男は慌てて答える。
「あ、ああ、こんにちはれいむ」
定形の挨拶は飛び出さない。しっかり躾られたゆっくりなのだろうか。
リボンに鈴がついている。喋った時に微かに鳴った。
男はここまで来てからやっと落ち着いて、改めて少女を見る。
長い綺麗な黒髪。揃えられた前髪。白いワンピース。白い肌。
なんともお嬢様だ。
年は幾つ位だろう。どうにも判断しかねる。
物腰と語り方からずいぶん大人に見えるのは確かだが。
「今朝、お客様が来るとは聞きましたけど、ずいぶん遅かったんですね」
少女は柔らかな笑みで語りかける。
男は不思議な物を感じながら答える。
「あ、ええ、朝には出たんですが」
どうにも言葉が出てこない男。
辺鄙な場所だからなんて言えば気を悪くするだろうか、と。
男は話を逸らす。
「綺麗な庭ですね。見たことがない花が多くてつい」
少女は言われて嬉しそうに周りを見渡して、答える。
「はい。お祖父様が私の好きな花を集めて作ってくださったんです。
小さな花壇を想像していたのですけれど、何時の間にかこんな大きな物になっていましたの」
言ってフフフと笑う少女。
初対面なので多少の仮面はあるだろうが、それにしても完璧なお嬢様だな、
と、男はぼんやり考える。
それからふと少女を見て、最初の挨拶から微動だにしないれいむに男は気づく。
「ずいぶんおとなしいですねれいむちゃん。めずらしいな」
少女は言われて気づく。
「あら、そうですね。お客様の前では静かにと、きつく言ってありますので」
男は聞いて頷く。
やはりずいぶんしっかりと躾されている。
館の感じからすれば猫か犬だと思うがなぜゆっくりなのだろう。
男はまあ好きだからなんだろうなと、軽く訪ねる。
「ゆっくりが好きなんですか?」
ふっと少女の目が焦点を失う。
瞬きほどの時間の後、自身の抱くれいむを見下ろして少女は言う。
「……ええ。とても可愛いでしょう?一緒に遊ぶと楽しいですから」
少女は静かにれいむの頭を撫でる。
ゆっ、と静かに言ってれいむは目を閉じる。
男はその一連の動作の流れに何か言いしれない空気を感じてたじろぐ。
「お客様、まだこちらでしたか」
不意に声をかけられて男は飛び上がるように振り向く。
「お嬢様も。そろそろお戻りください」
少女は最初の笑顔で答える。
「ええ。すぐに戻るわ。ではお客様、ごきげんよう」
スッと屋敷へ向かう少女。チリンと鈴が鳴る。
男は後ろからつい見つめてしまう。
「すいません、お嬢様をお引止めしてしまって。私の話に付き合ってくれたんです」
執事は別段気にした風でも無く言う。
「いえかまいません。むしろお嬢様とお話をしてくださって、ありがとうございます。
色々事情がございましてね」
どうにも主語が抜け気味と言うか前後が繋がらない言葉に男は戸惑う。
「ああ、いえ。まあ、急に声をかけられてびっくりしましたよ」
二人は連れ立って玄関へ向かう。前にはしずしずと歩く少女がまだ見える。
動きを感じさせない歩みだがずいぶん速い。
執事が訪ねる。
「……お嬢様が声をお掛けになったのですか」
男は別段気にせず問いかけに答える。
「ええ。客なのかどうか訪ねられましたが。
自分の家の庭を散歩してる時に知らない男が花壇を見てたら、それは声もかけるでしょう」
執事はふむと唸って返答する。
「いえ、まあそうですが」
そのまま黙ってしまったので男も黙ってついていく。
実際には声を先に出したのは男なのだが。
気がつけば少女は前にいない。もう館の中だろうか。
たどり着いた妙に威圧的な大きな扉を開いて、
男は館に入った。
-
館に入って男は応接室に案内される。
手荷物と上着をメイドに対応されて又も戸惑う男。
もしかしてここの主人の趣味で昨今の新しい文化としてのメイドがいるのかとも思っていたが、
至って普通の古きメイド姿だった。頭にもひらひらした飾りはなく普通に頭巾。
なにより少し期待していた自分としては、全員自分の母親と同じ位の年だったことに少しショックを受けた。
普段はどうでもいいなんて言っておきながら、自分もあの文化に毒されていたのだなぁと遠い目をしてしまう。
しかし今は二人お休みで一人しかいないらしい。
良く分からない雇用体制だ。もしかしたら会長についてるのかもしれない。
男はそう思った。
静かに座って対応を待つ。
コーヒーが信じられないくらい美味しい。
伝えると、この辺りは水が美味しいのです、なんて返事を。
嫌味にならない言い分だ。水も美味しいのだろうがどう考えても豆もいいものだ。
通された時に伝えられた事によると、会長の到着は少し時間がかかるらしい。
暫く御寛ぎ下さいなどと言われたが、土台無理な話だ。
近くに屋敷の人間がビッタリついているわけではないので、少しは気が楽だが。
開け放たれた応接室。
開け放たれたと言うよりは扉が最初から無い。
洋館の知識を持っていないのでこういう物なのかここが特殊なのかは判断しかねた。
男は心の中で整理を終えて深呼吸をして深くソファに腰掛け、天井を見上げる。
「しかし、綺麗なお屋敷だがどうしたもんかなぁ。調度が高級すぎてふらふらしたくもないし」
男は肩の力を抜いてふんぞり返って天井を仰ぐ。
完全に気を抜いた瞬間、不意に視界を覆われ男は慌てた。
「退屈ですか、お客様」
見下ろす少女の笑顔が目の前に現れて心臓が跳ねる。
男は硬直して、覗きこむ黒い瞳を見つめ返す。
ふっと少女は離れて向かいのソファに座る。
男は機械音のしそうなぎこちない動きで、ゆっくりと姿勢を戻して謝罪する。
「申し訳ありません。少し気が緩んで」
少女は目を丸くした後フフと返す。
「いえ、御寛ぎ下さいと家の者も言ったでしょう?呼びつけて待たせているのはこちらですから」
変わらぬ柔らかい笑み。
男は少女に見蕩れる。陳腐な表現だがまるで人形のようだ、と。
男は思った。人形、と言うのは人間に対して失礼な表現だろうか。
整った綺麗さがそう思わせたのだろうか。
しかし初めて会った時から何か違和感がある。
それが何かはわからない。ほんの些細な事、だと思うのだが。
男はもやもやしたものを抱えるがわからないものはしょうがない、と一旦探求を諦める。
「そう言っていただけると、助かります」
ぎこちない返事。
だが会話を広げたい。退屈な時間を楽しく過ごせるかもしれないのだ。
男はそう思い、言葉を続ける。
「れいむちゃんは屋敷の中では連れてないんですか?」
少女は少し俯いて返してくる。
「ええ。屋敷の中では基本的にあの子は、自分の部屋にいます」
男は心でうなる。
ゆっくりが、自分の部屋で。
屋敷の規模から考えて一部屋与えられてるとしたら、どう考えても男のアパートより広い部屋だ。
男は悲しくなった。
「そ、そうなんですか。大きいお屋敷ですものね」
男は動揺しつつも懸命に会話を続けようとする。
少女もキーワードを拾って会話を続けてくれる。
「お祖父様が隠居すると言って建てたのがこのお屋敷です。
あまりにも辺鄙な場所ですけれど、ここはお祖父様の思い出の土地なんだそうです」
男は知らない事柄が出てきたので興味を引かれる。
ここである意味があるらしい。
「へえ、今は辺りには森しかないけれど、昔何かあったのですかね」
少し、少女の顔が曇る。
「……詳しく聞いたことはないのですけれど。生まれ故郷であることは間違いありません」
男は疑問をもつ。
ここまで知っていてその先を知りたがらないなんて事があるだろうか。
お客への対応でこう言ってるが実は仲が悪いとか、色々理由はあるかもしれないかなと、男は疑問に蓋をした。
「なるほど、故郷ですか。いいですね」
当たり障りの無い返事をしてこの話題を終わらせようとする。
少し間が空いたので男がコーヒーを飲もうと手を伸ばす。
カップを持ち上げた時、乗っていたスプーンをひっかけてテーブルの下に落としてしまった。
「あ、っとすいません」
言って男はかがむ。テーブルの向かいには少女の足。
そう考えた瞬間つい、少女の方を見てしまう。
低いテーブルなので見えるのは膝より下だが。
スラリとした足が目に映る。
いけないと思いつつ目が離せなくなる。
意識もそぞろにスプーンを手に取った時、見えるギリギリの位置の脛に黒い物を見た。
反射的に男は起き上がり告げる。
「あの、足に何かついてませんか、今ちょっと見えたんですが」
言われて少女は、えっ?、と立ち上がり後ずさる。
男は自分の犯した失態に気付いて血の気が引く。
テーブルの下にもぐりこんで少女の足を眺めていたなんて、完全によろしくない。
「あら、本当。恥ずかしいわ。外に出たとき泥でも跳ねたかしら。落としてきますね」
少女は口調こそ変わらないが、身体は完全に男に対して逃げ気味で部屋を出る。
汚れたままだった事を恥じているのか、自分に嫌悪感を持ったのか。
普通後者だよなぁと男は頭を抱えて外を見る。
「ああ、なにしてるんだ俺は」
一人呟いて窓から綺麗な青空を見る。
ここ数日、日本列島は晴れ渡り、雨は振っていない。
「雨も振ってないのに泥なんかつくかな。」
もちろん少女が花壇を自分でいじっている可能性もあるし、
その場合は土と水が出会う場所にいた可能性も高いが。
服装と状況からあまり可能性は高くないと思いながら男は言う。
「でも汚れなんかどこでもつくもんだよな」
と、男は自分のズボンの裾を見る。
汚れていた。
「言ったそばから自分の足が汚れていたの巻。バス停の時か。気づかなかったな」
変な独り言を吐いて汚れをはたく。乾いた餡子だ。
おそらく最初のまりさの中身が跳ねたのだろう。掃除の時かもしれない。
ほらみたことか、どこでだって汚れなんかは何かの拍子でつくもんだ。
男は自分に言い聞かせて思考を閉じた。
欠伸をしながら再び窓から外を見る。
いい天気だ。
少女が自分を軽蔑してない事を願って男は何かに祈った。
-
それからすぐに、会長は今日来れないと連絡が入る。
玄関ホールの電話機で、男が受話器を耳に当てている。
「はあ、そうですか。それなら問題ありませんが」
早くて明日か明後日になるらしい。
その間、男の会社には了承を貰っているので屋敷に滞在して欲しいとの事。
「悪いが頼む。実は別のお願いがあってね。今回こんな日程を組んだのはこの為なんだよ」
電話の向こうで会長が言う。
横柄な態度ではなく丁寧で、
電話機の向こうで頭を下げる様な音場の移動を聞いた。
「一体何でしょうか?私の様な若輩を呼んだ事に関係があるのでしょうか?」
男は緊張して言う。
簡単だと思っていた仕事が難しくなるかもしれないのだ。
「それだがね、うちの孫娘にはもう会ったと聞いたが」
男は予想外の方から飛んできた言葉に驚いて答える。
「ええ、お会いしました」
色々思う所はあるが話の展開がわからないので簡潔に言う。
会長は気にせず続ける。
「少し込み入った話だから君の心にとどめて欲しいんだが」
男ははい、と続きを促す。
「その屋敷は、建てた理由が幾つかあってね。その一つが孫娘の事なんだ。
あの子は、病を抱えていてね。今はそこで療養中なんだ」
男は、ああ、と心で手を打つ。
十四か十五位だとは思っていたが普通は学校に通うべき年齢だ。
しかして違和感は氷解した。新たな疑問と共に。
「病気、ですか。とてもそうは見えませんでしたが」
男はつい口にする。
返事は少しきついものだった。
「君は医者かね?あの子の主治医か何かかね?」
男は慌てて繕う。
「いえすいません。話していてもとても聡明ですし、庭を散歩してる様子も見ましたがとてもそうは思えなかったので、つい」
男は冷や汗をかく。先程の何気ない会長の言葉が強烈な力で男を襲ったのだ。
なるほどさすがに、人の上に立つ人間は少し違うと男は思う。
しかし慌てて早口で紡いだ弁解は会長の心を捉えた。
「ある程度あの子の事を掴めるほどには会話が済んでいる訳か。進展したな。どんな話を?」
男は以外な所に食いつかれて慌てるが、事実を述べる。
「は、はあ。最初は着いた時に庭の花の話を。後、応接室で待っている時に屋敷の事を話しました」
会長はふむと呟いて続ける。
「いや、君はあの子に気に入られたようだな。引き続き同じように頼む。それがお願いだ」
男はピンと来ない。
「え、それは、お嬢様の話し相手になるとかそういう、事ですか?」
言ってみて違和感が酷い。
男は少し混乱した。
「その通りだ。色々無茶だとは思うが。質問は今のうちだ。答えられる事は答えよう」
男は思いついたことを聞いてみる。
以下、羅列。
「はあ、では……なぜ自分に?」
「試しにだ。とりあえず本当に仕事もあったしその部署で一番若い君にした」
「年齢が近い方が候補ですか」
「そうだな。療養とは言え寂しい思いをさせていると思ってね」
「年頃の女性ですし、異性を呼ぶよりは同性の方が良かったのでは…」
「それはそうかもしれんが。私の様な立場の者が若い女子社員を自宅屋敷に呼びつけるなんて、考えてもみたまえ」
「浅慮でした」
「まあ幸い君は気に入られたようだ。だとすれば異性であることの方が良いこともある」
「なるほど。わかるようなわからないような」
「私や家の者とも会話はするが、やはりよそよそしくてね。少し砕けた会話が必要だと感じたのだよ」
「やはり、わかるようなわからないような……」
「まだあるかね」
「いえ……」
「ふむ、ならば少しの間そこに滞在してあの子と他愛の無いお喋りをしてくれればそれで良い」
「あの、もうひとつだけ、いいですか」
「……なにかね」
「ゆっくりをかかえていました。あれも会話の一環ですか」
「……会話と言うよりはペットを飼ってみるのも良い、というのであの子に訊いたらあれがいいと」
「ゆっくりをですか」
「そうだ。まあ、会話もしているようだし、意味はあったかもしれんな」
「ずいぶんかわいがってるようですが」
「……そのようだな。私はあまり好かんのだがね。感謝はしているが」
「感謝、ですか。後もうひとつだけ」
「君は海外ドラマの刑事さんかね。なにかな」
「屋敷を建てた理由の幾つかはもう全て出ましたか」
「どこまで訊いたか知らないが、私の生まれ故郷、あの子の療養のための僻地、創業の地、これだけだ」
「創業、ですか」
「そうだ。私の会社はそこから始まった。もっともすぐに移転したからほんの少しの間だがね」
「ありがとうございました」
「いやこちらこそ、よろしく頼む」
男は受話器を置く。
手には汗をかいている。
聞くことはあれで良かったか。
深く考える事はない。
あの子と会話をするのは苦じゃない。
それが仕事だと言うならそれでいい。
緊張と内容のせいで心が疲れる。
静かに息を吐き出して男は振り返る。
「話は済みましたか」
執事が廊下から来て言う。
なんとなく来るような気はしていた。
「はい。あなたは承知してますか」
男は簡潔に言う。
執事も簡潔に答える。
「はい。存じております」
ならもうこの事に関して何も言うことはない。
男は大切なことを訊いた。
「部屋を、お借りできるんですよね?」
-
男はあてがわれた部屋のベッドで天井を眺める。
思い出すのは少女の事。
そして電話の話。
いくらなんでも荒唐無稽だ。孫娘の暇潰しに呼ばれたと言うのか。
ありえない。だが質問出来る間には良い質問が思いつかなかった。
何か理由があるとは思うのだが。
何度目かの溜息を吐いた後、男は部屋を出る。
あてもなく屋敷を歩こうと思った男は、部屋を出た途端に人の気配で振り向く。
「お客様。お祖父様とのお話は済みまして?」
少女だ。
毎度のタイミング。いつも節目に屋敷の人間が現れる。
男は気にせず答えた。
「ええ。会長がいらっしゃるまでここで少しの間お世話になる事になりました」
少女は今まで見た中で一番の驚いた顔で訊く。
「あら……そうですか。お仕事の方は宜しいのですか?」
よく考えたら話し相手になる別の仕事は、経緯からして少女が了承しているとは思えなかった。
仕事で呼びつけて延期と言う流れを考えると、自然さを装おうとしている様にも感じた。
男は今は言わない方が良いと判断して隠して答える。
「ええ。ここが気に入ってしまいましてね。無理な事を言ったのですが私の会社も了承してくれまして」
男にはよくわからない、不思議な表情で少女はぼんやりと男を見つめる。
雰囲気がおかしいなと男が思った瞬間、少女が不意に口を開く。
「それでは、お祖父様の会社の仕事の方ではなくて、当屋敷のお客様になるのですね」
男は何が違うのかわからなかったが黙って聞く。
少女は、少しの風切り音を残して一歩後ろに下がりスカートを摘んで、
淑女の挨拶をした。
「ここが当家自慢の屋敷ですわ。ゆっくりしてらしてね」
男は何かを思い出す。
何かは結局わからない。
考えるよりは返事が先だと男は返事をした。
日は沈みきり、夜が満ちた頃だった。
-
深夜、儀式は始まる。
「今日はまりさよ。どう?野生にしてはなかなか綺麗でしょ?」
屋敷の少女は地下室にいた。
地下物置の一角、大量の荷持を避けて作った、彼女の祭壇。
「何か言ったらどう?最近は反応が薄くて寂しいわ」
下着姿の少女は机の上の自分の部屋にいるれいむに声をかける。
分厚い無色のアクリルで成形された鍵の付いた箱。
それがれいむの部屋だった。
躾けられた従順なれいむの、一番ゆっくりできない時間がまた始まる。
「まあ良いわ。今日もゆっくり見ていってね」
壁に際に置かれた学習机の上にいる箱の中のれいむ。
その向かい側の長机の上に、まりさは寝ていた。
箱の中のれいむはもうそのゆっくりには死しかないという事を、学習している。
「もう大分経つけれどまだ寝てるのよね。やっと分量の目安がわかってきた。便利ね、ラムネ」
ラムネでゆっくりは昏睡する。見かけた情報は眉唾ものだったが本当だった。
庭の散歩の後に捕まえた罠にかかったまりさ。
一緒にいた小さいのは今回はいらないので踏み潰してしまった。
少女は思い出す。お客様に見られた汚れを。
慌てて遠ざかったので流石にゆっくりの中身だとは気づかれなかったと思うが、恥を掻いたことにはかわりない。
思い出して少女の心に火が灯る。
「まあいいわ。これからだもの」
言って少女は未だ眠るまりさの頬に両手の指を当てる。
頬に指をめり込ませる。
「ゆっ」
それでまりさは覚醒する。
目を白黒させて、少女を見る。
「おはよう、まりさ。」
一気に、頬の中に指を突き込む。
左右二本づつ、四本貫通した。
その感触に少女は思い出す。
「今日の朝、思ったの。今日は道具は使わないでやるわ」
釣られた裸電球が揺らめき、壁一面の器具を照らす。
今まで使った道具がスチール棚にみっしりと詰め込まれている。
「ゆ゛ぁあああああああああああああああああああ」
叫ぶまりさ。
覚醒した瞬間に繋がったのは笑顔で甘いものをくれた少女の事。
同じ笑顔で自分は何をされた?
飛んだ意識に混乱するまもなく、頬の痛みで涙を流した。
箱のれいむはぼんやりと眺める。
最初の内は必死にお願いした。
もうやめてと、ゆっくりできないと。
懇願するほどに少女は笑顔のままゆっくりを潰し、切り刻み、突き刺した。
そしてれいむはいつしか何も言わなくなった。
行っても無駄だと、学習した。
少女は叫ぶまりさを見て満足気に頷く。
だが振り返りれいむの事を見て落胆する。
「れいむ、酷いじゃない。今日もお願いしてくれないの?
あなたが助けてあげて、と言えばこの子は助かるかもしれないのに」
わざとらしく少女はいう。
そんな気もないのに。
それにすら返事をしないれいむに少女は少し考える。
この先、少しやり方を変えなければいけない。
少女は続ける。
「まりさ、あの子はあなたに助かって欲しくないんだって。残念ね」
言って少女はまりさの頬から指を抜く。
まりさはパニック状態のまま少女を見ているだけだ。
「まりさ?めずらしいわね。私を罵らないの?くそばばあとか言わないの?」
少女は反応の薄いまりさを不思議に思い、問い質す。
痛むほどの強さでまりさの頭に指を押し当てて何度も聞く。
しばらくしてまりさはようやく口を開く。
「おねえざん、どうじてこんなごとずるの?」
涙を流してまりさが問う。
少女は見下ろして答えた。
「ようやく口を開いたと思ったらそれ?理由を聞いてどうするの?」
まりさは思考が止まる。どうするとかではない。
続きが語られる。
「まりさ、なにか、わるいことした?」
自分に非があるのかと、まりさは問う。
言われて少女の目つきが一瞬揺らぐ。
「……ッ!!!」
少女は、まりさを思い切り地面に叩きつけた。
激しい衝突音。
顔面から叩きつけられたまりさは声も出せない。
叩きつけられたまりさをそのまま思い切り蹴り飛ばす。
壁に叩きつけられるまりさ。
少女は興奮していた。
「今日は良い事があったから気分が良かったのに。
久しぶりに心にくるセリフをありがとう、まりさ」
荒い息遣いで少女はまりさの元へ向かう。
まりさはもう何が何だかわからない。ただもう二度と、ゆっくりできなくなるのだと感じた。
壁から床に落ちてぐったりとする。
「やめてね。おねぇざん、まりさは、しにたくないよ」
少女はまりさを持ち上げ、長机の上に叩きつける。
ずっと張り付いている笑顔のまま、まりさを握り拳で殴りつけた。
大抵こんな理不尽な暴力にはみっともない声で命乞いをするのがゆっくり。
稀にいる異端。それがこのまりさのような個体。
「どうじで、こんなごと、ずるの、まりさは、なにもしてないよ」
まりさの吐く言葉に目の焦点をずらされる少女。
グラリと、世界が揺れるような感覚に酔う。
少女はまりさを、激しく殴打した。
「ッ……はぁっ、はあっ!」
何度も殴った後に少女は、息を止めていたことに気付いて、息を吐いた。
非力な少女の拳では致命打には至らない。
「やめてね、まりさは、しにたくないよ」
繰り返すまりさ。少女は黙って聞く。既に壊れているのだろうか。
れいむは眺める。止める術はない。
自分を買ってくれたお姉さんは、ゆっくりできない人だった。
「もういいわ。今日はなんだかおかしいの。うでがいたいし。もうおわりにする」
息を切らせて言うと、少女はこともなげにまりさを床に落として、踏みつぶした。
処理を終えてフラフラと少女は地下を出る。
「今日はシャワーを浴びないと。素敵なお客様がいるのだから」
-
朝、ベッドの中で男は夕べの事を思い出す。
なれない食事は美味しいと思ったが、食べた気はしなかった。
結局少女とはまともな会話をする事なく終わった。
「これじゃまずいな」
男は余り気負わずにいるつもりだったが言われた事をしないと言うのは気が引けた。
起き上がって支度をする。
「まあ今日は、頑張ってみよう」
自分に言い聞かせて男は部屋を出た。
またも待ち伏せするかのようなタイミングで現れる執事に朝食をとる様に促される。
食堂には少女の姿はなかった。朝は少し遅いと男に告げる執事。
「しかし、お嬢様がいないのなら私はする事が無いですね。
庭でも散歩していいですか」
男は困った様に言う。
執事も困った様に言う。
「はい、確かに……。散歩でしたらどうぞ。ただし舗装された中央通路からは外にお出にならない様、お願い致します」
色々とデリケートな花もありそうだし、元よりそんな事をするつもりの無い男は承諾する。
「わかりました。荒らす気はありませんよ」
言って男は庭に出る。天井も高くて開放的な屋敷だがいささか息が詰まるのも事実だ。
青空の庭で男はため息をつく。
「いい所だよなぁ……この上なく不便だと思うけど」
つい独り言が出る。
玄関前にメインの太い道。両脇を花壇で挟んで両脇に細い道がある。
男は何の気なしに庭を見回す。
ぐるりと屋敷を取り囲む塀の前に所々に木で出来た小屋の様な物がある。
サイズはそう大きい物ではなく、それこそ小さめの犬小屋くらいの物だ。
「何だあれ?」
男は目を細めてみるが少し遠くてよくわからない。
こちらから見える四つの面は全て塞がっているのだ。
壁に向いた面と地面に接している面がどうなってるのか分からないが、通路から見えるのは全部で六つの箱。
男は実家にある地下水の組み上げポンプの木箱の覆いを思い出した。
関連して花壇の散水装置かなんかだろうと連想する。
「まあちょっと不思議ではあるな」
後から作った花壇と言う割には、あの木箱だけ妙に浮いているのだ。
壁の色と同じような色で塗ってはあるのだが、やはりそこだけ乱雑な雰囲気があった。
男は後で訊いてみれば良いかと、思考を止める。
そして屋敷を仰ぎ見た時に二階のある窓で手を振る少女を見つける。
少女は男が気づいたとわかると手招きをした。
「よかった、話が進みそうだ」
男は屋敷へ戻り、少女の元へ行くことにした。
-
「お庭、そんなに気に入りまして?」
挨拶をして差し向かいに座った後の第一声はそれだった。
手招きしたままの部屋は少女の二つ目の部屋らしい。
いうなれば少女の専用の応接室の様だ。
少女は変わらぬ笑顔で男を見ている。
「ええ、昨日じっくり見れなかったもので少し」
男は少女が誇らしく思ってるであろう庭には興味を持つべきだと、今は考えていた。
当初、打算なく興味があったのも事実だが。
「今日はれいむちゃん、一緒なんですね」
男は膝の上に抱えられたゆっくりれいむを見て言う。
余りの接点の無さからつい、会話の入り口にしてしまう。
続いてれいむに挨拶をする。
「こんにちは、れいむ」
だがれいむは返事をしない。
男が不思議に思いじっと見ると、突然れいむが言葉を漏らした。
「ゆっ」
何か喋るつもりでは無いのに言葉が出てしまったような唐突な声。
少女はれいむを覗き込み、言う。
「れいむ?どうしたの?挨拶しても良いのよ?」
れいむの目が少し潤んでいる事に、男は気づいていない。
昨日と同じように促されてから、れいむは口を開いた。
「こんにちは!」
男は妙な気持ち悪さを味わっていた。
無駄口を叩かない、挨拶が「こんにちは」だけで終わるゆっくり。
ふてぶてしい顔はそのままだがどこか愛嬌がある。
男はじっとれいむを見つめて、馬鹿な口をきかないゆっくりは可愛いのかもな、などと考える。
「そうだわ、お茶もお出ししないでごめんなさいね」
突然少女が口を開いて立ち上がる。
そのままれいむを自分と入れ替わりにソファに置いて部屋を出て行く。
「少し待っていて下さいね。れいむ、話をしていてもいいわよ」
男は呆気にとられる。
待っている間ゆっくりと話をしろと言うのか。
男は余りゆっくりは好きではない。
とはいえこのれいむは賢いのだろうと思いつつも、挨拶して後はおとなしくしている所を見ただけだ。
どれほどの物か興味はあった。
「ああ言ってたけど、れいむ、少しお話しするかい?」
れいむは男を見る。
「ゆっ、おはなししてもいいっていわれたから」
男は少し驚く。やはりこのれいむは行動に許可がいるのだ。話すと言う行為にさえ。
「私は、れいむほど躾けられた飼いゆっくりを間近で見たことはないんだ
主に野生や野良で見かけることが多くてね」
ゆっくり相手なので砕けた喋り方にしようと思ったがあえて姿勢は変えなかった。
れいむは真剣に聞いている。
「れいむはとくべつなゆっくりじゃないよ」
男は更に驚く。謙遜までするのか。本当にこんなゆっくりは見たことがなかった。
「本当にすごいな。少し感心した。もう少し近くで見ても良いかな」
れいむは少し照れているようだ。
「ゆ、ゆっ」
小刻みに跳ねたそうにしているように見える。
男は立ち上がってれいむを真上から見る。
普段見るゆっくりは飾りも汚くて髪もゴワゴワで汚らしいものだ。
「やっぱり手入れすると違うもんだな」
ぐるりとれいむを見回す。
そして後ろから見た時に何か変形している部分を見つけた。
「れいむ、それどっかに挟んだのか?なんか出っ張ってるぞ」
一箇所、後ろ側が挟んだような引っ張られたような形にれいむの肌が歪んでいた。
注意してみないとわからないくらい些細な変形だったが。
「ゆっ、きづかなかったよ、なんでもないよ」
れいむはさっと隠すように動いて言う。
「ふーん。痛くないのか。平気なのかれいむ?」
特に他意もなく男は問う。
れいむは気遣われたと感じたようだ。
「ゆっ、おにいさんは、やさしいんだね」
その時ガタっと物音がした。
男とれいむが扉の方を見ると、静かに少女が入ってきた。
「おまたせしました。皆出払っていまして私が持ってきたので少し遅くなりました」
男は慌てて少女に言う。
「ああっ、すいません、なんかわるいですね」
静かにトレイをテーブルに置いて少女は微笑む。
「お気になさらず。お客様なのですからもう少し気楽に」
少女は言って最初の様に収まる。
ソファに座り、れいむは膝の上だ。
「ごめんなさい、私が煎れたので少し雑な味かもしれません」
言ってカップをよこす少女。
今日は紅茶だ。
トレイに乗っていたのはカップだけ。
入れるものは何も無いようだが男は紅茶もストレート派なので気づかなかった。
「どうも。いただきます」
十分美味しいが少し渋い感じもした。
れいむは黙っている。
少女も黙っている。
「あ、美味しいですね。普段安物ばっかり飲んでる私が言っても説得力ないですかね」
少女はホッとした様に微笑む。
「いえよかった、飲んだ方が美味しいと感じたならそれで良いんです」
少女もカップに手を伸ばす。
右手に指輪をしているのに、その時気づいた。
「指輪?」
捻りもなくストレートに言葉を出す男。
少女はあっといって指を隠す。
「以前、おじいさまに貰ったんです。ちょっと」
言って顔を伏せる少女
気を使わせたと男は慌てて返す。
「大事なものなんですね。にあってますよ」
言って男が思うのは高そうな指輪だという事。
その辺りにいる同年代の女の子が付けていたら、絶対に本物とは思わないような大きな石がついている。
「ありがとうございます。余り普段からは着けづらくて。高価なものですし、大切な時にだけ着けるようにしてます」
高価だという言葉に男はやはりかと心でうなる。
到底自分が買える金額ではないとは感じた。
そんなものをわざわざ自分との会話につけてくれたのが少し嬉しかった。
少しは少女の助けになっているのだろうか。
男と少女はそれからしばらく他愛の無い会話を交わす。
れいむは黙ったままだった。
ふと、少女が指輪をじっと見つめたかと思うと、改まって男を見る。
「あの、お願いがあるんですけど」
男は尋常ではない雰囲気に姿勢を正す。
「な、何でしょうか?」
少女は少しうつむき加減に視線を外してまたも指輪を見る。
言いづらそうにゴニョゴニョと口ごもる。
「あの、さっきれいむが、いえ、その」
男は不思議に思ったがじっと待つ事にした。
「ええと、その、失礼じゃなければ、おにいさんと、呼んでも宜しいでしょうか」
恥じらいながら発する言葉に男は打ちのめされる。
妹がいないが故に少しばかり幻想を抱く男にはなかなかの破壊力だった。
しかし基本的に無感動な男なのでそれもすぐに損得勘定につながる。
頼まれた事には少しばかり都合が良くなるかもしれない、と。
「かまいません、よ。お好きな様にどうぞ」
精一杯の笑顔で男は答えた。無感動とは言え慕われて悪い気はしない。
それも兄として慕われるなら何よりいい事だと思った。
「そ、それでは、おにいさん、お話を、続けましょう」
少女はなんとも言えない表情でそう言った。
拒絶で始まった生活で、初めて自分から許しを乞うた瞬間だった。
-
昼食を終えて、また少し話をした後に男が会社に連絡すると言って部屋を出て言った。それから数分。
少女は部屋に残っていた。
れいむは向かい合う様にテーブルの上に。
「れいむ、いい子ね。私は嬉しいわ」
少女は言う。
最初に地下室で観客になってから、れいむは少女に逆らったことはない。
事ある毎に少女の気分で新しいルールが付け足されたが全て順守している。
今では許可無く口を開くことさえ許されない。
アイデンティティーとも言える挨拶すら。
「今朝はごめんね。つい意地悪しちゃった」
少女はれいむを撫でる。
ゆっと声を漏らしてれいむは目を閉じる。
撫でられた時のこの一連の行動すら、少女の作った決まり事。
思春期の多感な時期に起きた出来事とその結果の屋敷篭り。
彼女は歪んでいた。
-
男が連絡を終えてロビーに戻るとメイドの一人がこちらを見て言う。
「お客様、顔色が優れませんが、何か御座いましたか」
男は確かにひどい顔をしていた。
急に決まった今回の出張、その前に幾つか受け持っていた緊急の連絡事項を失念していたのだ。
順調ですと洋々と連絡を入れたつもりが叱られるはめに。
それもかなりの大事に発展してしまっていたのだ。
上司がなんとか収束出来そうだとはいってくれたが失態は失態。
「いえ、……そうですね頭痛薬とかありますか」
メイドはこちらへ、と男を促す。
何時もの食堂とは逆にその部屋はあった。
保健室。男の印象はそれだった。
「こちらへ。頭痛以外には何もありませんか」
メイドは男をベッドに座らせると訪ねる。
病院の様な問診を受けて面食らう男。
「病院みたいですね」
バカみたいな感想を男は告げる。
改めて見回すと薬品棚も相当なものだ。鍵の付いてる棚まである。
「準ずる設備です。今は医師免許を持ったものが居りませんので稼働率は低いですが」
言いながら素早く片付けをするメイド。
一度開けた棚を閉めて向き直り再び告げる。
「私どもが看護師の資格は持っていますが。特に問題ないようですので市販薬ですが、これを」
男は言われて薬を受け取る。有名な薬だ。
普段薬は飲まないが効くと評判なのでありがたく頂く男。
「ありがとうございます。お嬢様は?」
メイドはどういたしましてと返してから答える。
「この時間はお昼寝ですね。その後に散歩かと」
男は改めて礼を言ってから部屋を出て思案する。
頭の痛い問題だが、もう終わったことだし、自分は立ち入れなくなった。
忘れて今の仕事をしよう、と男はロビーへ向かう。
それから次の日も同じように過ごす。
同じ様でも前の日よりもっと、語り合う。
少女は表情豊かになっていく。男は自分が来た甲斐があったのかもしれないと少し嬉しくなる。
-
深夜。
昨日は何もしなかった少女は再びれいむと共に地下室へ降りる。
れいむは知っている。少女が服を着たままならアレはやらないのだと。
ただ何時もの様に箱に入れられるだけだ。そう思っていた。
「昨日今日と、やる気がしないわ」
違うもので満たされたからか少女は以前ここにいた時とは違う顔で呟く。
何となく降りてきたものの何もする気はしない。
ここにはおにいさんはいないのだ。
「れいむ、今日は上で寝ましょう」
信じられない言葉を聞いた。
れいむはあるブリーダーの所で躾けられたゆっくりだ。
元は野生だったらしいが群れを弾き出された所をブリーダーに拾われた。
かなり賢く、つい連れて帰ってきてしまったとブリーダーは会社に説明した。
あのままでは死ぬしかなかったれいむは、恩に報いるために懸命に学んだ。
晴れて飼いゆっくりとして売り出されたれいむは、成績の良さからかなりの高額をつけられて売り出された。
売れた先は大手会社の社長令嬢の元だった。
急な注文で最高のモノをと言われて、ブリーダーは迷いなくれいむを推した。
この時まだブリーダーの元にいたれいむは幸せだったのかもしれない。
最後に満足の行くまで挨拶ができたのだから。
長時間ケージの中で起きたり寝たりして、辿り着いたのは素敵なお屋敷。
綺麗なおねえさん。その人が飼い主になった。
素敵な鈴をリボンに付けて貰った。
おいしいあまあま、すてきなごはん。
やわらかいべっどにゆっくりできるへや。
まさに夢の様だった。
あの夜までは。
れいむは地獄を見る。
しばらく夢心地で過ごしていたれいむ。
ある日突然、透明な箱に入れられて、知らない場所に連れてこられた。
やさしいおねえさんはいつもの笑顔でゆっくりを潰す。
必死に止めた。やめてあげてね、と。
そうするとおねえさんは余計に嬉しそうになった。
次の朝、れいむは昨夜の事を尋ねる。どうしてあんな事をしたのかと。
すぐに平手で叩かれてれいむは最初の決まり事をさせられる。
「夜のことは訊くな」
命令だ、と、言われてれいむは躾け通り従う事にする。
次の日には潰されるゆっくりが増えた。
エスカレートする行為。
れいむは自分の吐いた餡子で死にかけたこともある。
昼間も喋ることを抑制され、部屋がゆっくりできない小さな物になっていって、少し動いただけで躾けで叩かれるようになっても、
夜にはれいむは見せられるだけ。地獄を。
それ以来、夜は箱の中。
しかしあれ以来初めて、箱の中で過ごさなくて良い夜が来た。
れいむは何かが変わったのだと理解する。
それは素晴らしい未来に繋がってる気がして、れいむは、数カ月ぶりにゆっくり微笑んだ。
-
終わりは突然。いつもの事。
四日目にようやく会長が屋敷へ向かう事になった。
しかしそれも無理なスケジュールな様で午後一で到着、契約が終わり次第すぐに出かける予定となった。
少女と男の会話はつづいている。
勿論今日は会長の話題になった。
「お祖父様、やっと都合がついたみたい。長い事すいませんでした」
少女は幾分砕けて言う。
男も大分慣れた風で答える。
「はは、来た目的を忘れるところだったよ」
まあ、なんて言って少女は笑う。
少女は気づいていない。気づかない振りをしている。
男は知ってか知らずか引き金を引く。
「今日の午後に終わるから帰るのは明日かな。いや結構長かったね」
少女は止まる。考えない様にしていた事。
「……そうですね。午後に入ると屋敷を出る時間が厳しいですから」
上の空になった少女を気遣うように男は話を続ける。
今言う必要はなかったのに、と男は自戒する。
「まあせっかくここまで知り合えたんだから、困った事があったら言ってね」
少女は社交辞令だと感じても嬉しさを堪えきれない。
「はい。ありがとう、おにいさん」
それだけで幸せだった。それで良い。少女は納得しようとした。
-
会長は予定通り到着。移動中に食事も済ませたと豪快に笑う。
「まあ契約はいつも通りだな。変更はない、と」
男は仕事の態勢で受け答えをする。
「はい、こちらと、これだけですね。初めての担当なのですいません手際が悪くて」
会長はサインをして書類を返す。
「仕事は終わりだ。これだけの事に済まなかったね」
申し訳なさそうにタバコを取り出す会長。
男はほっと一息着いて答える。
「いえ、これでも自分には大事ですから」
会長は本題とばかりに身を乗り出す。
「執事に聞いたがね、なかなか仲良くやっていたそうじゃないか」
男は少し困る。仕事だった事を思い出した。
少女に対して少し後ろめたく感じる。
「なんとか。仲良くなれて良かったですよ」
会長は頷き言う。
「仕事をちらつかせてこんな事を頼んだのは済まないと思ってるよ。だが良くやってくれた」
男はいつの間にかそんな事は忘れていたが言っても仕方ないと黙る。
「おにいさんとか呼ばれていたらしいね。兄弟か。
兄弟がいればこんな事にもならなかったかもしれんな……」
男は気になったが聞かない事にした。おそらく最初の日の質問で言えば答えられない事だ。
会長は何も言わない男を見て更に頷く。
「ふむ。それでいい。明日帰る事にしたそうだが」
タバコを消す。
男は少し待って答える。
「はい、お世話になりました」
会長は立ち上がりながら言う。
「私が今乗る車はちょっと乗せられなくてね。可能なら今すぐ帰れたのだが」
男は困惑気味に笑む。
そのまま会長はよろしくと言って屋敷を出た。
後ほんの少しで終わる。終わってしまう。
そう思ったのは誰だったか。
鈴の音が聞こえた。
-
ロビーで鳴る電話の呼び鈴を合図に男は食事を終える。
夕食に少女はこなかった。
男は気になる事があったので少女を探そうとしたが、執事とメイドが連れ立って男の元へ来る。
メイドが急用で村までいかねばならないらしい。
村で事故があって怪我人が多数出たそうだ。
駅前でゆっくりが原因のバス事故が起きたらしい。
駅前とバスとゆっくりの単語でギクリとする男だがまさか関係はないだろうと心を落ち着ける。
村の診療所の人手が足りなくなると看護師の資格を持つメイドがたまにこうやって呼ばれるらしい。
普段なら少女が一人になってしまう為、断るか向こうから迎えに来てもらうのだが、
今回は急を要するし男がいるので任せても良いだろうかとの事。
「ずいぶん信頼されてますね。私」
男はつい口にする。
邪な事を一瞬考えてしまった。
執事とメイドは顔を見合わせて笑う。
「身元もハッキリしておりますし、数日共に過ごして理解しているつもりです。
旦那様とお嬢様にも了解を得ております」
そこまで進んでいるのなら断るのも悪い。
「わかりました。気をつけて」
男は了承した。
-
男は少女を探す。
最後にしっかりと話をしておきたかった。
先程聞こえた鈴の音。少女は会長との会話を聞いていたはずだ。れいむと一緒に。
あんな物はただの切っ掛けだったと言っておきたい。
「おにいさん」
何時もの応接室近くで急に声をかけられた。
少女だ。
振り返り男はギョッとする。
下着姿だった。
れいむはいない。
とっさに男は目を背けて背中を向けて言った。
「ど、どうしたんだ?いや、さっき、話を廊下でいやなんで」
パニックになる男。さきほど邪な事を思い浮かべてしまった分、余計に動揺する。
少女はそのまま話を続ける。
「明日かえるなんて言わないで、もう少しここにいてください」
抑揚の無い言葉。搾り出すように弱々しい。
男は困惑して言う。
「いや、そういう訳にも、いかない、とにかく何か羽織ってくれないか」
男は切実だ。どうにかならなくてもこの場面を第三者に見られたら完全にアウトだ。
少女は静かに言う。
「いやです」
男は考える。
寂しいんだろう、別れたくないんだろう。
慕われていたとは思うし正直嬉しい。
「でもこんなの良くないよ、お願いだからやめてくれ」
少女は黙る。
スッと近づいてくるのがわかる。
「じゃあひとつだけいう事をきいてください」
真後ろに立った気配がする。
男は気が気じゃない。何をいうつもりだろうかと頭の中がグルグルとまわる。
「そのままひざをついてください。かおに、とどかない」
少女の経過のみを要求する。
後ろを向いたまま膝をつく。それがどういう結果を要求してるのか考えなければ、すぐにでも出来る動作。
男は出来る限りの事はしてあげたいと考え続けていた。
その心が簡単に膝を折らせる。
「ありがとう、おにいさん」
言って少女は首筋に抱きついてくる。
刹那、凄まじい力で口に押し当てられる湿った布切れ。
男はパニックに輪をかけて必死に手を外そうとする。
中途半端な姿勢と真後ろをとられていること、少女は意外にも長時間、男を抑えた。
妙な臭いのする布切れで男は息ができない。
少女の指に、あの指輪が見えた。
「おとなしくしてよ、ここでいつまでもおはなししようよ」
腕に込められた凄まじい力と裏腹に抑揚の無い弱い言葉。
男は限界近くなり仕方なく少女の指に布越しに噛み付いた。
苦痛を口から漏らして少女は離れる。
「どうして、眠らないの」
布に染み込ませたのは何か麻酔のつもりだったのだろうか。
「昔の、漫画じゃあるまいし、そんな方法で人を眠らせられる、ものか」
息も絶え絶えに男はいう。
薬品棚から何か失敬してきたのだろう。廊下の端にはなにか瓶が落ちている。
「なんてことをするんだ、窒息するところだった」
言って男は少女を見る。
少女はその目に捉えられて硬直した。
足元から震えだして、全身に震えが広がった時、少女は自らの肩を抱いて走り出した。
その先の部屋は少女の寝室。
男はぽつんと廊下に残される。
「やれやれ、とんだ結末だ」
少し悲しくなった男はロビーに向かい少女が落ち着くのを待とうと思った。
寝室の前まで言って扉越しに声をかける。
「落ち着いたら出ておいで。話があるんだ」
それだけ言って男は離れる。
致命的な選択ミスだった。
-
少女は部屋の中にいたれいむを抱きしめて震える。背中から抱くいつものポジション。
れいむは不思議そうに少女を見ていた。今は後ろから抱きつかれて見えない。
自分からは語れないれいむは黙って少女の命令を待つ。
「おにいさんが、にらんだの」
少女はポツリと語る。
「おとうさんとおなじめで、わたしをにらんだの」
はじめは虫だった。
病弱な身体に鬱屈を感じていた少女は、弱生物を蹂躙する事で心を晴らす術を覚えてしまった。
母親を早くに亡くして、家にいない父親と事なかれ主義の家政婦。
これが少女の世界だった。
家からは離れず、裏の庭で蟻を見つけては潰す。私は力が無いけれど、こいつらよりは上。
蟻の巣に水を流し込む。大きめの蟻を引きちぎる。
子供ならやってもおかしくはない遊び。
ターゲットは色々な虫に広がっていった。
ある時大きめの蟷螂にいつもの様に手を出した。
途端、すさまじい痛み。無防備に正面から手を出したのだ。
当然、指先を鎌で捉えられた。
凄まじい痛みと共に流れる血。
少女は狂った様に腕を振り払い、落ちた蟷螂を近くにあった棒で叩き潰す。
次は慎重に。知らない虫で上手く行かないと癇癪を起こしてヒステリックに暴れ叩き潰す。
学校は休みがちで友人はいない。誰もそれを咎める人もいない。
少女は非常識で育った。
今の屋敷よりは都心に近かったが郊外ではあった以前の家で少女は暗い遊びを続けた。
少女は殺した虫の死骸を片付けなかった。
綺麗に分解して行く。そして終わると纏めて積む。
それはいつもの場所、ガレージの片隅に溜まっていった。
ある日いつもの様にガレージに虫を持っていくと、綺麗に無くなっていた。
別に溜めたくて溜めておいた訳ではないので、少女は別段気にせず、持ってきた虫を分解しようとした。
「やっぱりおまえか」
声をかけたのは父親だった。
話し掛けられたのがずいぶん久しぶりだった少女は嬉しくなって返事をしようとした。
その声が発せられる前に父親の平手が頬を打った。
「どうしてこんな事をしたんだ」
少女は意味が分からない。
叩かれて痛い。心が悲鳴を上げた。
何の事を言ってるのかわからない。
「今もやるところだったのか」
言われて手を見る。
今日はトンボ。
「私何か悪いことした?」
少女は問う。
父親は睨む。理解出来ないものを見る目で。
少女はすぐに竦んでしまった。
久しぶりに父親と話せると思ったのに、何も言えない。
以前話したのはいつだろう。少女は思い出せなかった。
でも確か、以前も、叱られた時だという事だけ、思い出せた。
父親は、虫をみだりに殺す事が悪いのだと、と諭さなかったのが問題だった。
「私何もしてないよ」
ただ叱る。叩く。そして睨む。少女は理解出来ない。
虫を殺す事と叱られる事が何時までも結びつかなかった。
誰も教えなかったのだから。
少女はしばらく後、祖父の屋敷に預けられた。
父親からは離縁されたも同然だった。
もうずいぶん前から少女は、人間を見る目で見られていない気がした。
少女は祖父の優しさに触れ表向きは平静を取り戻した。
勉強も少しづつだが進む。
父親の事を思い出さなければ。
何か父親を連想させるものを見ると少女は精神が不安定になる。
祖父はもはや父親に会わせないようにするしかないと考えていた。
そのうち少女は庭で不思議なものを見る。
ゆっくりだ。
良く遊びに来る家族がいた。
少女は虫を捕まえては分解して、ゆっくりにあげる。
関係は良好だった。
少女はこの土地に感謝していた。
興味を持って祖父に聞くと生まれ故郷だからと言われた。
素敵な土地だ。
少女は祖父の不在時に書斎に入り込み、アルバムなどを貪るように見た。
昔から余り変わらない景色が多くて何か不思議な気持ちになる。
そのうちに、見ていない本もアルバムも減っていった。
まだ何かないかと少女は貪欲に書棚をあさる。
そして、隠す様に置いてあった茶色のアルバムを見つけてしまった。
少女はまだ見ていないアルバムに興奮した。
もったいぶるように開いて、少女は絶叫した。
祖父の始めた事業。菓子作り。
そのアルバムは写真付きのゆっくり解体指南書だった。
それから少女はゆっくりを違う目で見るようになる。
祖父はあれを食べ物として加工していた。
切っ掛けはいつも庭で語っていた家族が、別の家族に殺されるのを見た時だった。
少女が何時も通り虫をあげた後、ホウキを取りに家に戻って、もう一度出てくるともう、いつもの家族は殺されていた。
殺した家族は取り上げた虫ををむしゃむしゃと食べている。
少女は激昂してホウキで皆殺しにした。
潰れ切った餡子溜りをホウキでいつまでも叩きつける少女を、執事が押さえ込むまで続いた。
それから少女の分解対象はゆっくりになった。
虫よりも弱い喋る饅頭。
蟷螂に切られて血を流した事はあったがゆっくり相手にはそんなは事なかった。
アルバムの通りに皮をはがしてみたり、眼球を取り出して見たり。
地下に解体スペースを作ったのもこの頃だった。
完成した花壇の庭が荒らされるからと、ゆっくり捕獲用の罠を作って貰ったのもこの頃だった。
執事もメイドも祖父も皆、少女のゆっくり解体趣味には気づいていた。
虫殺しの事は父親から聞いていたがゆっくりに発展したときは流石に驚いた。
祖父は過去のこと、自分の書物が原因だと責任を感じたが、
逃げ場所のここが無くなったらあの子はもう生きていけないかもしれない、そう思って言えなかった。
幸いというか、ゆっくりを殺すのは現状、罪にはならない。
祖父は特に食べ物、物としか見てない。
それも少女に道を指し示すのを怠らせるに足る一因だった。
すぐに飽きるだろうと手を拱く。
執事とメイドは強く心配したが主人の意向には逆らえない。
それでも一向にやまぬどころかエスカレートする少女の行いに危機感を感じて、
以前言われたペットのゆっくりを飼いたいという少女の望みを叶えた。
それは解体を始める以前の望みだったが祖父には関係ない。
自分が与えた高額なゆっくりだと知っていれば、ゆっくりを見る目も少しは変わるだろうという程度の微かな望みだったが。
少女は困惑した。今更こんなものを与えられても、と。
とりあえず普通の人がする様に餌を与え、共に過ごしてみた。
少女は耐えられなかった。分解したい。だが祖父のくれたものだ。山で捕まえたものとは意味が違う。
そのフラストレーションは深夜に爆発する。
いつもの数倍激しくゆっくりをバラして少女は悦に入る。
体力の限界を越えてフラフラになっても心地よかった。
昼間に脳天気に少女に話しかけるかわいいれいむ。
少女は我慢できなくなった。傷をつければバレてしまう。なら、心を分解しよう。そう決めた。
れいむはバラバラにされて行く。
見えない所を、バラバラにされて行く。
少女は従順な観客を手に入れた。
泣きながら同族の安否を気遣うれいむは、たまらないほど可愛かった。
れいむはいつまでも従順で、壊れなかった。
少女から目を話さなかった。
れいむは、少女を見続けた。
少女は、れいむを見続けた。
少女はハッと意識を戻して男と父親の目付きを思い出して震える。
「いやだ、ここもだめなの」
れいむをきつく抱きしめる。震えが止まらない。
「どうしよう、れいむ、どうしよう」
腕に締め付けられるれいむが限界近くなる。
少女はれいむに助けを乞う。力は入る一方。
たまらずれいむは、初めての抵抗をした。
口に当てられた指に噛み付く。男のかじった位置と同じ位置だった。
驚いて少女は手を離す。
血が出ている。
れいむは声も立てずに床に落ちた。
慌てて少女を見上げる。
だがすぐに謝るべきか、命令を守って黙っているべきかれいむは迷った。
賢いれいむ。従順なれいむ。
その賢さゆえ、れいむも、最後の選択肢を誤った。
「れいむ、あなたもなの」
指から流れる血を見て気が遠くなる少女。
少女はいつもの様にゆっくりを机の上に置いた。
ぐらりと揺れる意識に少女は抗えない。
そして殴る。何百回も繰り返して来た動作だった。
数発殴って少女は我に返る。
「あ、れ、れいむ、ごめんなさい、わたし」
少女は顔色を失う。いつもはどれだけ殴っても歪むだけのゆっくりが、たったの数発で破れ、餡を吐き出していた。
「そんな、いつもはこれくらいじゃ、どうして」
長く飼いゆっくりだったれいむの皮は野生のままの皮とは全く違う。
そしてれいむにとどめを刺したのは指輪だった。
大切な時に願いが叶う様にと着ける、願掛けの指輪。
少女の拳はれいむの真ん中を貫いていた。
れいむはもう意識もない。
最期に見たのは少女の泣きそうな顔。
大分前に自分の意志で絞り出した言葉を言ってそれきりれいむは動きを止めた。
「ゆっくりしていってね」
-
男は玄関ロビーで静かに待つ。
扉の開く音がして、吹き抜けの二階廊下に少女が現れる。
「ごめんなさいおにいさん」
最初に出たのは謝罪。声はかすれている。
男は気にしてないという様に告げる。
「問題ない。落ち着いたかい?」
即座に少女は言う。
「いいえ。今すぐこの屋敷から出ていって下さい。だから、ごめんなさい」
男は頭が真っ白になる。
「ちょっとまってくれ、今屋敷を出ても車もないのにどうしろって言うんだ」
少女は静かに続ける。
「執事に連絡します。屋敷前の道を下っていけば途中で合流出来るように」
男がなんとか理由を聞こうと言葉を上げようとした瞬間、少女が言う。
「私、れいむを殺しました」
予想外の言葉に男は再び意識が飛びそうになる。
少女は続けた。
「その前にも何百体もゆっくりを殺しました。
私はここでれいむたちゆっくりに償いをしなくてはいけません」
男は理解出来ない。少女がゆっくり虐待をしていたことも勿論驚きだが償いをすると言ったことを。
「まってくれ、ゆっくりはゆっくりだろ。別に罪に問われるわけじゃない。そんな事で」
少女は少し声を荒らげて言う。
「れいむを殺した瞬間に、私にとっては意味が変わってしまったの」
トーンを落として少女は続ける。
「お祖父様も、おにいさんも、ゆっくりの命に余り価値を感じてない。
私もそうでした。でもれいむを殺してしまった時、変わりました」
男は黙る。
「知ってますか?お祖父様はゆっくりを使った菓子を作って起業したんです。
私の殺した何百倍ものゆっくりの犠牲の上に成り立っている会社。
私は徒にゆっくりを殺しました。お祖父様のように食べる為に殺したのとは意味が違うかもしれません」
少し息をついて少女は続ける。
「そのゆっくりに食と遊び以外の意味を見つけてしまった。私の最初の友人れいむ」
「殺してから気づきました」
階段の上で少女は震える。
「賢くて、従順で、私だけを見ていたれいむ。
私は、おにいさんとの会話でいろんなことを学びました。それでわかったんです。」
少女大きく息を吸って最後の言葉を語る。
「何百何千もの犠牲の上の家系。その最後のゆっくりは友人でした。
私はその、友人を殺したんです。私の中で全てが裏返ったんです。私は耐えられそうもない」
男は言葉もない。
自分に寄せられた信頼感は無垢故のものだったのかと、悲しくなる。
だが、振り絞って答える。
「意志は尊重しよう。君の行った通りすぐここを出ることにする」
少女は頷いて後ろを向く。
「ありがとうおにいさん。こんな最後になったけど会えて嬉しかった」
男は荷物をまとめに戻る。
全て詰め込んで部屋から出たとき少女はそこにいた。
「連絡は付きました。すぐ来るそうです」
少女は最初に会った時と同じ笑顔だった。
男は締め付けられるような思いで少女を見る。
「どこかで間違えたのかな。こんな事になるとは思わなかった」
少女はゆっくり首を振る。
「いいえ。きっとずっと前から決まってたことなの。
あなたが私の隙間を埋めると思ったのも、きっと錯覚。
私の隙間にはれいむがいたのだから」
男はまっすぐ玄関へ向かった。
「さようなら。私はここで最期まで償うわ。」
少女は最後につぶやいた。
男は返事をしようとしたが、声がでなかったので止めた。
男はそのまま街へ帰る。
男は時折、少女とれいむの事を思い出す。
ゆっくりは相変わらずで、何も変わらない様に見える。
今ではもう幻のような思い出。
しばらくして流れた山中の屋敷炎上の報道は、男の耳には入らなかった。
洋館炎上エンド 終
一瞬違うファイルを上げてしまいました。上げなおし。
過去作
ふたば系ゆっくりいじめ 1008 つまらない
ふたば系ゆっくりいじめ 988 不愉快