江戸っ子大虐殺への反論
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反論
人口
もし虐殺が起きたのならば、江戸住民の人口が減っていなければならない。
江戸末期の人口は様々な説があるが、ここでは100万人と仮定する。
明治初期の人口は明治5年の人口の86万人とすると、確かに14万人減っている。
しかし、これらは様々なところに流出した江戸住民であり、その証左として明治5年の日本総人口は3480万人であり、江戸末期の日本総人口は推定で約3000万人であり、400~500万人ほどの差がある。
たとえ隠蔽したとしても、江戸時代の商人の数は関東においては200万人近くいたため、隠蔽は難しい。
江戸末期の人口は様々な説があるが、ここでは100万人と仮定する。
明治初期の人口は明治5年の人口の86万人とすると、確かに14万人減っている。
しかし、これらは様々なところに流出した江戸住民であり、その証左として明治5年の日本総人口は3480万人であり、江戸末期の日本総人口は推定で約3000万人であり、400~500万人ほどの差がある。
たとえ隠蔽したとしても、江戸時代の商人の数は関東においては200万人近くいたため、隠蔽は難しい。
虐殺に関する史料
大規模な虐殺があったのならば、何らかの史料がのこっていてしかるべきである。
しかし、江戸っ子大虐殺に言及した史料は何一つとしてない。
隠蔽工作を行ったとしても、何らかの史料や痕跡が残るのは必定の理である。(たとえば、カンボジアにおけるクメールルージュの虐殺においても厳重な隠蔽工作に関わらず数年で暴かれることとなった。)
しかし、江戸っ子大虐殺に言及した史料は何一つとしてない。
隠蔽工作を行ったとしても、何らかの史料や痕跡が残るのは必定の理である。(たとえば、カンボジアにおけるクメールルージュの虐殺においても厳重な隠蔽工作に関わらず数年で暴かれることとなった。)
動機
明治維新後、新政府は混乱状態にあったため、人材を欲していた。それなのに江戸住民を虐殺するというのは割に合わない。またそのような混乱状態において、虐殺を敢行する余裕はなく、人員を別のところに割いたと考えるのが妥当である。