雑記:文或と文化史あれこれ、218


2月15日めも。


リアルタイムは5月7日です、このまま一気に追いついていきたいところですが、追いつくためにがーっと書き溜めていくこと「が」楽しい場合はともかく、それ以外の時には避けたい所存です、だってモチベーション続かないと意味がないし…。
あと、昔やってたり今も継続的に気に掛けているジャンルに関してもこういう、まとめた真面目なページ作りたいな、と薄ぼんやりと考えたんですが、やるにしてもさすがに今用意した「文アル作家」の5と1を先に片付けないと、なにもかもが終わらなくなるパターンだこれ。
まあ、その6より前に別のジャンルを一回挟むというのは別に悪いことでもないかな、今先に計画を立てているのがあと「新派・新劇」についてと、「各芸能10個」みたいな感じなので、別のジャンルでもそんなに問題ないしね。
そこまではなんとか書けそうなんだけど、なんか次のネタって思いつかないしな…、前は「雑誌と文士増やすか」みたいなことを軽く考えていたんですが、どうもそう考えていた時点にちゃんとまとめておかない間に消えたぽいです…。
有名編集者扱うってのも手かしら。
あ、時々編集者のこと語ってますが、だいたいの基本は独立するって言ったらパトロンが付く、他社の編集が特に前置きせずに会話に出す辺りですね。

エース編集者ってのはちょっと覚束ないけど、横浜事件の時にエース編集者である3代目社長がいなかったから難を逃れたみたいな感じの文脈で見ました。
当時そんなに一般的だったとも思ってないんですが、だいたいそれに近いニュアンスで捉えられているみたいだし、見れば見当は付くからまあいいかなって。


2月16日めも。


リアルタイムは5月11日、前に書いていた時から3日明けていたことにわりとびっくりしています、いや、書いてなかったことは別にいいんだよ、1日サボったつもりで開いてみたら3日経ってたってところだよ問題は…。
ところで「直木三十五」を書こうと思って(文アル登場作家、その5)、Wiki辞書のページを開いたんですが、父親がパトロンだったマキノ息子の独演会みたいなことになっていました。
前半の内容はいいんだけど…。
ぶっちゃけ父親が直木さんに入れ込んでいたのは聞いていたし、いくつかの具体的な仕事をするはずでしなかった案件に関しては特に疑っていないものの、直木さんの経歴を知ってる人は「待って、待ってこれ、どこに当て嵌まるの…」となるんじゃないのかしら、具体的なやつはちゃんと嵌まるんだけどね。
どっちかというと直木さんが複数のパトロン持っててちょろちょろどっか行っちゃうのが問題なんだよな…、ずっとお世話になっていたんならそこまで問題じゃないんだよ、が、そのことがマキノ息子の独演会からは読み取ることが出来ませんね…。
同時期に他のお仕事の経歴が出てくるので…、本当にお小遣いしか貰ってない直木さんなんだけど、映画作成の他は「お小遣い」しか出してないぽいからなマキノ父…。

あと、どんなにどんなにどんなにレベルが低かったかっていう話が「連合映画芸術家協会」にもあるんだけど、他の映画会社とのいざこざがそのあとにあった上、フレーム固定じゃない最初の時期の映画だよね?
やっぱりそれがマキノ息子からは読み取れません…噂は聞いてたけど資料価値低。


2月17日めも。


5月11日引き続き、で、マキノ息子(えらい怒ってることだけは紹介されていたんですが、彼の言葉が全く引用とか参照されておらず、なんでだったのかはわからんかったんですが、確かにかなり精査しないと使えないわありゃ…)が出張りすぎていたので、どうしようかなと思ってるんですが。
彼が直木さんのせいでかなり酷い目に遭ったこと自体は間違いはないし。
が、客観性がなさすぎて…いや、最初期の声付き映画の実例として出てくるやつじゃんあれ、出来が酷いで片付けるかよ普通としか…。
具体的な「脚本書く」って言ってて書かなかったってのは紛れもなく事実で単純に迷惑だとは思うんですよね、が、映画作成の話をがんがんまとめて菊池寛を組織のリーダーに据えて他の作家を駆り出して、脚色をしているというのは仕事をしていないに分類されるのはどうかと思うんですよね…。
菊池寛が働かなかったことを揶揄してたぽいんだよね、えええ、若手作家代表格としてカウントされて数年来、大御所として呼ばれ始めた頃の菊池さんに箔付け以外の仕事をしなかったことを詰るって、いや、正気かよ…? となるんだよな。
映画の出来が悪かったことも父親の仕事なのに揶揄。
仕事しなかったのだ映画を丸投げにしたんだと言ったその口で。

なんで参考にされていないのかは余すところなく感じ取ることが出来ました。
もうちょっとちゃんと調べるともっと酷いんだろう気がひしひしとするけど…。
が、これをどうやって直木さんの項目のところに還元するかがよくわかりません、いやあれか、マキノ息子が参照されてないって部分だけ書けばいいのか…。


2月18日めも。


5月11日引き続き、あれです「文アル登場作家、その1」のほうを書こうかなと思ったんですよ、が、それもファウストなのでこれはこれでかったるい。
前にももまんに話してた時を思い出そう。
半分まではいい感じに伝わったんだけど、後半で意識が逸れました、ちっ。
きゃー、間違えてた、作家10人を並べて生年順にしたつもりが、下から上にしなきゃなならなかったのに上から下にしてたよ! つもり全員入れ替わってました、直木さんじゃなかったよ、吉井さんだったよ次。
いや、こないだまで明治19年生まれの人書いてたのに直木さんの生年が明治24年だったんだよね、なんでだろとメモ帳を見返して気付いたよ…。
正直、いらねぇ迷いだったんじゃん、と思わないでもないものの、まあ、直木さんくらいややこしい人だとまあ何回かに別けて悩むのもまあありか。

一旦吉井さん、書き上げてしばらく眺めたあとに没にしました、特になにが悪いというわけでもないです、Wiki辞書のページがもっと薄かったら普通にそのままにしていたんじゃないかと思うんですが。
もうちょっと書きようがあるよなさすがに、と。
いや、微妙に薄いんだよ、ただ、書きようがないほどに薄いわけでもないんだよね、なんかこう、最後の行だけ先に置くんですが。
【なんか、目立つけどつながりが悪いんだよな全体的に…。】
な感じですね、そういやあれ、春秋社にもいたの記憶してますね、あー、なんかほら、ブームだったお坊さんの現代訳に参加してたというか。


2月19日めも。


文アル登場作家、その5から「吉井勇」、以下没文章。
【明治19年10月8日生まれ、戦後没かな、伯爵だってのは聞いていたんだけど爵位を得たのがえーと、薩摩藩閥だったからですかね(大雑把)。
てかお祖父さんどのくらいお金あったのかなと思ったらなんか日本鉄道の社長とかしてますね、お父さんもお金を減らした様子は全くないし(海軍、貴族院議員)、まあ時々問題を起こす程度の目立つ詩人が普通以上に暮らしてくのはまあ余裕かな…。
作品が遊蕩文学として真っ先に攻撃されたとか、不良華族事件で奥さんが中心人物だったとか、目立つは目立つんだけど、倫理的にはプチ罪というか、身の丈に合わない生活をしている様子は全くないな…。
奥さんが柳原白蓮の姪です、駆け落ちで当時有名だった…。
何年か前の朝ドラで主人公食う勢いで目立っていたと言われてた…。
血なのかしらね、と思われるまでは仕方ないような気もするんですが、いわゆる明治に爵位を得た「新華族」が元公家のお家の柳原家と結婚したんだから、まあ、仕方ないよね? と上流階級では不思議に思われなかったってのも地味に面白いな。
てか、その柳原さんとこがお金ある人を中心に結婚してたのが敗因かしらね。

ところで『明星』が傾いた時に華族の肩書きだけで与謝野さん(彼と若手が反目してたので自分サイドを増やそうとしたぽい)が連れて来たと紹介されていたのを最初に見掛け、が、反目組に走られてその後、パンの会結成、『スバル』も立ち上げメンバー。
坪内逍遥にも認められた戯曲…、舞台化したのかしてないのか(戯曲が雑誌に載るようになったのは大正中期)、対象に入ると遊蕩文学として攻撃された?】


2月20日めも。


5月11日引き続き、てか真面目な話、戯曲で逍遥さんに認められたって、どういうことなのかがわからない…、だって大正中期くらいに戯曲ブームになるまで逍遥さんとか鴎外さんクラスじゃないと「舞台化がされないと雑誌に載らない」だったらしいんだもん、何度か見てるしさ。
Wiki辞書の表現の仕方が「脚本家」なんですよね。
が、舞台化していたとしたら1行もそのことに関して触れられてないってのがあり得るものなんだろうかわからない。
にゃ、新派舞台だとわりとスルーされていたりするんだけど、だから逍遥さんに認められているってあるんだよな、うーん、判断の仕方がわからない。
あ、でも戯曲を発表していたのは『スバル』か、なら発表は問題なさそう。
なんだろう、多分『ホトトギス』もそうなんだけど、商業雑誌とはなんか違うというか、でも同人誌でもないというか、いや、同人なのかな…これもわからない。
いずれにしろ、Wiki辞書のページから読み取るのはなんか無理そうです、が、気にはなるものの今その情報が必須かというとそこまででもない。
なんというか、このページ、研究者などの手を経ておらず、同時代資料を使って作られた本から継ぎ接ぎしてるって雰囲気だなぁ。

ぶっちゃけ重要人物とは言い難い、が、重要人物ではないのにここまで目立ち続ける人ってのもちょっと珍しい気がするよなぁ…。
あ、春秋社に参加してたの、坊さんじゃなかった西鶴の現代語訳だった。
なに系の人って言うんだろうこれ…、働く必要なかったのかしらね。


2月21日めも。


5月13日です、1日明きました、体調は一退です、今日は『プリンタニアニッポン』が更新されてたので大喜びで読んでました、だんだんハードSFという呼び声が高くなっていますが、変わらないテンションで行って欲しいものです。
いやだって、過去作、なんか…難しそうだったし。
にゃ、ぶっちゃけると「私なら」読めるとは思います、が、苦労なしに読めるというわけでもなさそうだし(言ってみれば哲学的領域)、そそられないんですよね、普通の、我々にも理解出来る等身大の人間がディストピアに生きているという、そういうテイストがめちゃくちゃそそりますね。
まああれです、「私もネコに管理されたい」とか言ったりするけど。
善良なAIにむしろ野性味の部分を尊重されながら平穏に暮らしたい!! まあ、あんまり平穏! てわけでもなさそうですけどあの世界も。
ネコのせいじゃないもんね、ネコはちゃんと対応してるもんね。
やたらと情報を制限してたりしないし、聞いて無闇に教えないで調べなさいって諭してくるわけだし、そうねー、管理社会って無意味に人間に苦痛を与えることが基調になっていたように思いますが、メニューを増やしなさいと管理AIに言われてもその気力が特にないとか、そっちのほうがこう、人間らしいよな…。

ええとあれ、吉井勇さんですね、吉井さん、なんというか無視するにはエンカウントが高すぎるんだけどベストセラーには至ってないし、詩壇で事件関係者の末席(明星最後に加盟した人ぽいので)、貴族社会で事件関係者が妻、もともと身分違いだったしねー、みたいな説明とかもあったけど、主題が定まらない…。


2月22日めも。


5月13日引き続き、目が痒いです、そういや吉井さんのWiki辞書のページに出て来た「新貴族」って単語を使っていた人がいたなー、と思い、ついったで呟いてました、いやだって…、平民筆頭とたまに呼ばれてる人たちのことを新貴族って呼んでいたんで、なんでかなって。
追い詰めたいとかじゃないし、多分話を聞いても進展はしないと思うんだけど。
そもそもがなんかしらの本がもとだってのは特に疑ってません、私も一つ見たことあったしね、どっから湧いて出たのかが気になるんだよなぁ…。
あの、なんか、「上の世代」も「下の世代」も特に勘違いをしていないので、その中間世代でどうもなにかが生じ、それが特に選ばれた人に伝わってところどころで散見されるみたいです、どこで生まれてどこに系譜されているのかが知りたい…。
だって普通に資料があって違うんだもん、そっち示唆しても反応がない場合、ルート系譜を洗い出すしかないんじゃないかなって。
いや、学習院にいたので上流階級カウントなのは特に違和感ないです、地位か金があるし、金があれば扱い違う時代だし。
なぜ貴族と呼ぶことに拘るのか、学習院関係の文章で平民として「彼らも入学し始めたよ」みたいな扱いなので、なんとも落ち着かなくてねぇ…。
もうちょっと資料がその辺に転がってなきゃ黙ってるんだけど。

まあ志賀さんなんですが、なんで志賀父も学習院とか入れたのかね? 貴族と付き合って欲しくもなかったぽいしなぁ…。、
なんかね、時々「貴族としての悩み」と語られています。続けよう。


2月23日めも。


5月13日引き続き、なんかこう、志賀さんに父親との関係を小説にしたみたいな一連の作品があるんですよ、時々日本文学を代表する作品みたいな言われ方もしてるんですけども、その割には編集者がいつ連載していたのかよく知らない不思議な作品なんですけどそっちではなく。
貴族の結婚がいかに大変なのか、お手伝いさんとの結婚がどれだけ反対されたのかって言われていたんですよ。
で、私は貴族の結婚の案件は他でも読んでいたんですよね。
あ、知ってるー、宮内省の許可がいるってやつだよね、聞いたことあるのは有馬と近衛で跡継ぎの長男だったので、どの辺の地位までそうなのかはわかんないけど、吉井さんとこはそういうこと特にいらなさそうだしなぁ(明治維新の時点での爵位だって、なんか新貴族って呼ぶぽいよ)。
志賀さんって家老の孫じゃろ? 関係なくない??
だって公家か藩主か明治の時点での元勲その他みたいな。
となったんですよね、いやだまさか…志賀父が、自分の息子を貴族として振舞わせようとしていたのかしら、読むのめっちゃ怖い、となってました。

「貴族と付き合っていないで、実業家の娘と結婚しろ!」と怒られてました、父よ、それだったら学習院に入れてどうすんだよ、まあ、志賀さんを一高に入れるの不可能かなって気はするけど(当時の学習院は馬鹿と秀才の狭間みたいな、改革してる途上ぽい)。
まあとりあえず、志賀父を疑っていた私が悪かったです、あの小説を読んで貴族としての憂いって読み取った人は確かにヤバめだけど、まあ斜め読みしたんだろうしな。


2月24日めも。


5月13日引き続き、そこそこ酷い言い草って気もしないでもないんだけど文学ジャンルにおける読み替えの激しさは大概慣れてるからなぁ…。
同じく志賀さんで「深みがない」って言ってるのを「あまりに深い」と訳している人たちが何人も出てきて、正直傍目になんだこれになっていたりとか、なんだろう、深みがないというのが褒め言葉だったんですよ。
当時の日本人に思想なんかないから、ないほうがよっぽどさっぱりしてるって同じ対談の中で語っていたんですよ。
さすがに私の読み違いには思えないんだよね、でも、本をまとめた人は駄目でした、深みのあまりむせび泣いてました。
貴族絡みで馬鹿にしてるってのが多分読み取れず、貴族が出てきているんだから褒め称えられているって斜めに結合したんじゃないのかなぁ…。
上の深みーさんよりまだわかる範囲というか。
そういや、描写がねちっこくて展開と合ってないみたいな作品があったんですよね、これを漱石さんが「描写が精緻じゃない」と語ってたらしいんですよ、菊池さんがそう小説に書いてた、ただ、実際に対面した時には言われてないようなので。
弟子が「描写減らしたほうが」とか言われたのを自動変換で「描写を精緻に」って伝えたんじゃないかなー、といかにもやりそうなんだもん、この界隈のやつら。

あと3行でこのページ終わるんですけども、こう、志賀さんの時代には貴族がマイナスのイメージだったのが、ちょっとあとの世代に貴族の印象がプラスの世代がいて、トランスフォーメーションしたんじゃないかと、読み違え力が高すぎる…。

(雑記:文或と文化史あれこれ、218)
最終更新:2021年05月13日 18:21