来襲!イリコ・ニボシ 前

 -もうすでに虹の花嫁花婿コンテストは始まっているのに。会場になっている星の広場の辺りからは、美男美女の登壇に合わせてか時折歓声が上がる。暮れゆく空を照らし上げる祭りの夜明りは、少し離れて見ると妙な哀愁がある。
が、ティムにしてみれば哀愁を感じている場合ではなかった。あそこに行ってコンテストの取材をするのが今日の仕事なのに。
 「おい若造、聞いているか」
 すっかり出来上がった汚い老人がティムの袖を捉えて離さない。昼、珍しい酒を造る老人がいるということで取材したのだが、外の出店で軽く飲みながら、と口を軽くしようと言ったのが大失敗だった。口が軽くなるどころかまさか延々日が暮れるまで絡み酒に付きあわされるとは。
 「聞いていますけど、そろそろ行かないと」
 「あん?」
 不健康に黄ばんだ眼をしたエルフ、というのは全世界にこの老人だけではなかろうかとティムは思う。記者としてそろそろ“キャリア”を重ねつつあるティムも、酔っぱらったエルフを振り払う術は知らない。
 「けっ、なんだあんな祭り。元々は鉄鍋戦争の終戦記念日の祝いじゃないか。誰が祝われるべきだと思ってる」
 老人は忌々しげに祭りの灯りを見上げて毒付く。
 「鉄鍋戦争?」
 聞いたことがない単語につい反応してしまうティム。職業病に近い。そんなティムを椅子に押し戻す老人。
 「もう二百年も前になるか。アルコ・イリスは滅亡一歩手前まで追い込まれていた。隣国のイリコ・ニボシによって。わしは若く、美しく、力と意気にあふれていた。わしはあの戦争に全てを捧げ、そして失った。輝ける日々も何もかも」


                            ※
 戦争が始まる!戦争が始まる!
 北の国が攻めてくる!アルコ・イリスを滅ぼしに!
 市民よ武器を持て!街を守れ!お前の祖先がそうしたように!戦争で名誉を手に入れろ!
 家を出ろ!仕事を忘れろ!身分など捨てろ!毎日悲劇と喜劇と奇跡が掃いて捨てるほどにめぐりゆく、狂乱の日々の始まりだ!

 ここから十日ほど北に大きな街があった。農業と漁業と交易でアルコ・イリスに勝るとも劣らぬほど繁栄した街だ。その名をイリコ・ニボシと言う。七種の出汁香る街、とその街は呼ばれた。
 彼等は富と豊富な食材に任せて洗練された食文化を誇っていた。
 あらゆる海の幸、あらゆる山の幸、あらゆるゲテモノと言われるような者まで彼等にかかればえも言われぬ美食に代わる。
 ある意味呪われていたのかもしれない。ただただ楽しみのために食の道を極めんとした彼等は気付かずに業深き道を歩んでいたのやもしれない。
 ある年。イリコ・ニボシはひどく飢えた。

 「市民は飢えている!」
 ひどく肥った男が腕を振り上げて演説している。たるんだ腕の肉を震わせながら激しく拳を突き上げ、男は怒りの声を上げる。
 「朝に二斤のパンしか食えぬ男たちはろくに仕事も出来ぬ!母親は乳も出ずに赤子が泣いている!かつてない危機ではないか!市民にいかなる罪があってこのような試練を与えれねばならぬと言うのか!
 否、何もない!我らが親愛なる市民にはいかなる罪もないのだ!それなのに餓えに苦しんでいる。これは全て、邪悪な者の陰謀なのだ!」
 男は団子じみた丸い顔を真っ赤に染めて唾を飛ばす。統領、と呼ばれるイリコ・ニボシの首長は机をたたいて愛する市民のために嘆いていた。感銘を受けて深くうなずく議員たち。
 今。イリコ・ニボシの議会は宣戦を議決しようとしていた。
 「むさぼる者がいる!我らが手に入れるべき食料を卑劣に買いあさり浪費する者が!料理のなんたるかも知らぬ蛮族の都が、貴重な食材を買うなど許されることではない!」
 成長著しい南の都市。昨今とみに軽蔑と嫉妬の対象になりつつある虹の都アルコ・イリス。
 実のところイリコ・ニボシは今年も豊作だった。肥沃なイリコ・ニボシの田園はおびただしい麦や玉蜀黍や芋や野菜を産し、肉や玉子にも不足はない。十年前に比べたら二割も食料生産は増えている。それでも市民は飢えているという。
 何のことはない。十年前の倍食うようになっただけのことで、しかしイリコ・ニボシの議会はそのようなことは気にしない。あくまでも自分たちはつつましく暮らしていると信じていた。つつましく質素に節制して暮らしているのに、自分たちは飢えている。何故だ?他にむさぼっているやるがいるからだ……そういえば、南に目障りな街があった。
 実際にはここに至るまでにはイリコ・ニボシの食糧買い付けによるアルコ・イリスでの食糧高騰、それによるアルコ・イリス議会の紛糾などが積み重なっている。そして先日とうとうアルコ・イリス議会は一定量以上の食料輸出に200%の関税をかける法案を可決した。この法案は提案者のボロナン・ド・デブシネ議員の名を冠してデブシネ法と後に呼ばれた。名前も内容も到底イリコ・ニボシには受け入れられるものではない。
 さて同じく共和制国家イリコ・ニボシの議会にて、切り札のように統領は太短い指でイチヂクをつまむ。
 「見よ!このようなみずみずしい食料を産しながら彼等は飢えた我々に食を分けようともせぬ!もはや我慢ならない、飢えた同朋を見捨てるな市民たちよ!アルコ・イリスは滅ぼされなければならぬ!」
 逆切れと言いがかり同然の統領の演説に反論する議員はいなかった。彼等も飢えていて、そのことに怒っていた……最近夜食を二食しか食べていない。
 演説の効果は絶大だった。立ち上がり割れんばかりの拍手を打ちならす選良たち。
 「軍を召集せよ!武器を用意せよ!邪悪な背徳の都に無慈悲な鉄鎚を!」
 「イリコ・ニボシに勝利を!イリコ・ニボシに繁栄を!市民の食卓に肉のスープを!イリコ・ニボシ万歳!統領万歳!」
 議員たちはこの日アルコ・イリスへの宣戦する権限を統領に与えた。鉄鍋戦役の勃発である。
 ちなみに、議員たちはみな酷く肥っていた。

                            ※
 「言いがかりじゃないですか」
 ティムは呆れて口をはさむ。
 「そうだ。当然アルコ・イリスは防衛のために立ち上がった……おお、勇ましい兵団、送り出す市民の歓呼の声」
 うっとりと祭りに浮かれる街路を見る老人の眼は、二百年も前にそこを通って戦場に向かった市民軍を見ているようだった……そもそもそんなものが実際に存在したとして、だが。
 「鉄鍋戦争もイリコ・ニボシなんて街も聞いたことがない」
 「存在そのものが抹消されたのだ。救国の英雄譚と共にな。丁度今やっている花婿コンテスト、これは軍を指揮する将軍たる議員を市民が選ぶものだったのだ。今ではちゃらちゃらした暇つぶしになっとるが」
 市民の楽しみに毒を吐く老人と呆れるティム。
 「そしてわしは見事、市民に指揮権を委託された……もともとわしが通した法が原因だから、わしが方を付けるのが当然だ。それにわしは若く、美しかった」
 「え?それでは」
 「ボロナン・ド・デブシネ……元議員だ」
 老人の眼がいっそう宙を泳ぐ。

                            ※
 市民が歌っていた。七色旗は朝日を浴びて、敵の汚れた血を流せ、塔の上に我らが世界。
 防衛戦争は熱狂を呼び起こす。各地から集う人々が暮らすアルコ・イリスはそれだけに強い共同体意識を市民が持っている。流星の国章が描かれた七色旗が街を埋め尽くし、街路を音を立てて踏んで伝統ある市民軍が進む。白兵が陽を突き刺し、いっそう見送る市民の声援を高める。
たくましい男どもと少数のたくましい女たちが迫りくる侵略軍を迎え撃つために出撃する。
 その先頭で、白馬に乗り颯爽と歓呼の声に手を振って答える長身のエルフ。都市に住むエルフの名門一族、ド・デブシネ家の若き当主にしてアルコ・イリス議会の議員が預かった軍を率いて市民の声援を一身に浴びている。シミ一つない純白の鎧をまとった優美な姿は、市民に若き将軍が必ずや勝利の凱旋を果たすことを予感させた。
 「豚どもを殺せ!」
 パレードを見ていた子供が感極まったように叫ぶ。その物騒な声に大人たちは止めるどころか声を合わせて唱和し始める。
 イリコ・ニボシの豚どもを殺せ!殺せ!
 そう。イリコ・ニボシ軍など機動もまともにできない豚の群れに過ぎない。ちょっとしたスポーツのようにアルコ・イリス軍は蹴散らして帰って来る。誰もが、ボロナン将軍も含めてそう考えていた。

 「いやはや、素晴らしいパレードデブね」
 狭い路地の物陰から行進を見ていた市民の一人が幾度も頷く。頷きながら、市民は眼光鋭く軍の数と装備に視線を合わせている。この市民はひどく太っていた。
 ねめつけるように行進を見るデブ。そのあまりにも怪しい風体は当たり前のように異様に目立ち、やがて衛兵に見とがめられる。
 「おい、そこのお前」
 声をかけた途端、衛兵は丸いシルエットが信じられない速度で突進してくるのを目撃した。とっさに剣を抜こうとするが、異様に素早いデブがソーセージじみた指を伸ばした手刀を衛兵の喉に叩きこむ。
 「ぐえっ」
 呻く衛兵にさらにデブの蹴りが襲いかかる。たるんだ肉が揺れ空中に残像を残す。ひたすら重い蹴りを打ちこみ気絶させるデブ。
 「ふー短剣を使うまでもないデブ。軟弱な国デブ。しかし何で見破られたんデブねー」
 動いたから小腹がすいた、とデブはアルコ・イリスで買い込んだ揚げ物か何かを外套のポケットから掴みだし、衛兵を踏みつけながらとりあえずむさぼり食う。
 「ママー、妖怪がいるよう」
 見ていた子供が泣いて逃げるが、なめきった密偵は悠々と肉屋で買ったコロッケ四つを食いつくしてからその場を後にする。増援の衛兵が駆け付けた時には、後には脂ぎった包み紙とパンくずが散らばるばかり。
外見がどうあれ、イリコ・ニボシの密偵は有能な男だった。


 コスモスの咲く野を傾いた日が照らす。アルコ・イリスは都市国家であるが全く周辺領土を持たないわけではない。一幅の絵画のように美しいアルコ・イリス近郊の田園の中で、防衛側は決戦を睨み野営の準備を進めている。あわただしく市民が立ち働く中、豪奢な野戦用天幕では軍首脳部が敵情の報告を受けつつ軍議を計っていた。
 「諸君。我々の本分は市民とその財産に敵を近づけないことである。敵はすでに我が領内にある。アルコ・イリス市街に近寄らせてはならない」
 ボロナンはまずそう口火を切った。武官もこれには異論はない。
「すでにアルコ・イリスは城塞都市というには大きく成長しすぎている。城壁外にまで広がった市街地への突入を許せばどれだけ市街に犠牲がでるか分からない。万が一市を包囲されるようなことになれば商業の街アルコ・イリスは重大な影響を受ける」
そうなれば議会の求心力が持たない、とまではボロナンは言わない。誰しもわかっていることだからだ。
 「我らは共和国悠久の大義のために命を捨てる覚悟はとうにできております……しかし、議会は他に奥の手を隠し持っているとか。塔や議会が軍に対し秘密主義では軍民統制もままなりません」
 議会には切り札がある、とは前々から言われていることで、今制服組トップの司令官が憂慮するのはもっともなことだった。言われている内容は、地下に空を支配する秘密戦力があり議会はその戦力を生かして“エア・ランド・バトル”と言われる敵国意思決定機関を一撃で破壊する戦略を策定している……という根強い噂が市民軍ではささやかれていた。
 「今回それはない」
 議会の一員として明瞭にボロナンは言い切る。「諸君の武勇に市民と議会は期待している」
 武官たちもまた個人的武勇への自信と侵略者への怒りを共有している。彼等は熱心に頷く。
 「幸い我々は二千、敵はその三分の二に過ぎない。また塔の部隊も遠征に参加してくれている。我々の勝利は揺るがない。完勝し諸国にまで威名を轟かせよう」


 「私の派遣した密偵の報告によるとアルコ・イリス軍は軽装で、輜重部隊は数日分以上の食糧を持っていないということデブ。明らかに市街外周部を離れ原野での短期決戦を指向しているデブ」
 同じ頃。布陣したイリコ・ニボシ遠征軍のテントで、イリコ・ニボシの軍学校でその才能を謳われたピアッツ・デ・ブチキン参謀の丸い指が地図上のアルコ・イリス軍の予想進路をなぞる。
 都市国家は宿命的に戦略的縦深が乏しい。例えば蓬莱の、あるいは鋼鉄平原諸国のような領土型国家の軍人たちなら敵に地を渡しながら対価に時や出血を要求するような戦い方も選択できる。彼が来れば我は退く、というやつだ。だが、都市国家の軍は牧童犬だ。狼が近づいたら鋭敏に出撃し、たとえ食い殺せなくとも狼を羊たちから遠ざける。柵に依って戦うのが有利とわかっていても、そんな駄犬は飼い主にぶち殺される。
 同じく都市国家であるイリコ・ニボシで軍事教育を受けた軍人たちにはかなりの精度でアルコ・イリスの発想が理解できる。
「同病相哀れむべきかもしれないデブが、今は攻撃側に回れた幸運に感謝デブ」
鍛え上げられ、かつ丸々とした軍高官たちがその指を目で追う。誰も参謀に質問や反論しようとはしない。それほどに信頼されているということでもあり、全員間食に揚げた芋を食っていたこともある。議論をするには腹が苦しい。
 「おそらく敵は市街と我々の中間地点で軍を展開し、数的優勢を元に包囲殲滅を狙って来るはずデブ。短期的に脅威を取り除くならそれが常道デブ。そこで我々は野戦築城により戦線を形成、しかる後小隊単位で敵部隊間を突破、敵防衛線内部に浸透し分散行動により適時襲撃を行っていくデブ。機動力に劣る我々が騎兵的衝力によらず防衛軍を突破するためにはこの戦術しかないデブ。せ、青春の全てを費やして研究した戦術デブ」
 外見がどうあれ、イリコ・ニボシのピアッツ参謀は先鋭的なドクトリンを持っていた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年07月05日 10:56
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。