とある境界警備の兵隊さんの話。 前編

※ ダンジョンどうなってんのよ、っていう話が出たので即興で書いた。問題があるようなら消すか修正しますゆえ、一言下さい。

 虹陰暦999年、4の月現在。七虹都市の地下、果て知らず広がる巨大迷宮内部に幾つも点在する中継地──ようは安全な踏破区域と危険な未踏区域の境界であり防壁となる場所──のひとつである第一中継点、通称"レッドポイント"が存在し、自分──ヴァレーリヤを分隊長とする境界警備第一分隊が詰めているフロアは、奇妙奇怪ではあるが大体の所森に似ている。
 天井は思い切り仰ぎ見なければ窺えないほどに高く、その部分は青灰色の石造りで迷宮らしいと言えるが──床は地下にも拘らず曰く形容しがたい色の土で埋められていた。
 年中紅葉しているように赤々とした葉を茂らせ、鉱物質の暗緑の幹枝を持つ怪木どもが手を伸ばすかのように無数に林立して通路や部屋を形作り、絡まる蔦や下草はおおよそ原色をぶちまけて混ぜ合わせたような極彩色をしてはいるが、これでも一応討伐・調査が済んだと判断されている安全地帯の最端のひとつだ。もっともこの景観はレッドポイントの近辺のみで、例えば上階や下層は同じ迷宮の中とは思えぬ景色が広がっているし、あるいは他の中継地点に赴いても、またまるで毛色の違う踏破地帯の最端に出会うこととなる。
 史書を紐解くと、踏破地域の拡大に伴って中継点は増えたり減ったりしてきたが、現状機能している中継点は七つだ。今のところ、地上の通りの色に倣って色の通称がつけられている。八番目ができたときのことが全く考えられていない命名法だが、まあそれは実現した時に考えるべきことだろう。不思議なことに今まで中継点は七つを超えたことはないらしい。
 裏道もあるとかないとか噂を聞くが、少なくとも"表向き"は中継地点が置かれている七箇所のほかは下に降りるポイントはない──ということになっている。未踏地域から踏破地域内に繋がっている道が発見されまたしたという事例は過去に皆無でもないので、絶対とも言い切れないが。

 『アルコ・イリスの地下迷宮は万色の虹のようだ。潜る程に色を変える』──そう評した高名な冒険者も居たっけな。実際、アルコ・イリスの地下迷宮は実に多様な相を持つ。
 スタンダードなダンジョンらしい石造りで構成されたフロアもあれば、ありえない高度な技術で造られた居住区のようなエリアが続くことも在る。
 いきなり洞窟や砂漠のような外の自然を再現した様相を呈したり。中には生き物の体内みたいなフロアがあるとかないとか聞いたこともあるな。
 同じフロア内であってさえも稀に環境が一定ではなく、汗ばむほど熱かったり、逆に凍える寒さに閉ざされていることもある。
 凶暴極まりない化け物が蠢く階層、トラップ満載で足の踏み場もないような場所、リドルに封じられた部屋──かと思えば拍子抜けするくらいに平和で何もないフロアが突然姿を現したりする。
 一説には超古代文明の都市が埋まったものではないか、と言う説が概ね支持されているが、ここまで千変万化の迷宮だ。
 個人的には何かの巨大な実験場だったんじゃないか?などと疑っていたりもする。──いや、考古学や遺跡学なんて齧ったこともない素人意見なので全く根拠はないが。

 他の迷宮にはそれぞれの"作法(ルール)"があるんだろうが、此処アルコ・イリスの地下遺跡に限って言えば、未踏地域(この迷宮では必ずしも誰も踏み入っていない場所とは限らない。調査・討伐が済んでいない、地図の作成が完全ではない。そういう意味だ)への侵入は事前許可制だ。
 上階層は地上との出入り口に見張る人員を僅かに置いているほかは開放されているが、まあ此処は一部例外を除いて危険が排除された代わりに既に調査対象としては目新しい価値を喪っているので──偶に何か採れたり採れなかったりという話を聞くが──、冒険者や研究者、議会等々の興味を引くのはもっぱら未だ明らかならざる深部の方。
 この果てない迷宮の所有権は、今のところアルコ・イリスという都市国家そのものが握っている。流出入の管理は"虹星の叡知(アルマゲスト)"の仕事だ。
 冒険する醍醐味が減るという奴も居るが、考えてみて欲しい。普通、他人の土地に無断で立ち入るのは犯罪だろう。

 一年に一回くらい募集される大規模調査団へ参加するなら兎も角──この場合は厳正なテストが繰り返されて精鋭が選ばれるからだ──、立ち入り許可そのものはそう難しくない申請と身元書類を提出するだけで直ぐに取ることが出来る。特に入場料をとったりもしていない。護身の心得さえなってないような奴は、死地に送り出す以外の何者でもないから流石に申請を却下されるが。最近じゃバイトを雇って簡単な腕試しをすることもあるらしい。
 申請は手間だがメリットもある。入場者が申請期間内に戻らない時は指定の連絡先に連絡を入れてくれる。
 また有償ではあるがあらかじめ申請時に依頼しておけば、行方不明時に捜索もしてくれる──民間では更にサービスをつけて捜索を請け負う所もあるようだ。

 遺跡への入場は前述の申請の手間と時間を除けば、あとは特に何も支払う必要はないが、その分義務とルールが課せられる。
 義務は未踏区域内での発見や情報の報告および作成した地図の写しの提出。
 ルールは、中継点から出入りする際に持ち物検査と探知魔術によるチェックを受けること。
 帰還時にはチェック後に、迷宮で見つけたマジック・アイテム、アーティファクト、レリックの類の鑑定を受けること。
 ここで何かしらの研究価値があると判断されたものは適正な価格で、その所有権を発見者から市が借り受けたいと交渉を持ちかけるのが通例だ。
 一定期間の研究・調査の後、無事終了し安全となれば持ち主に返還、危険ならば追加の料金を支払って買い取る、研究が契約期間内に終わらなければ延長料金を払う、等々ケースバイケースで適切な処置を取る。
 研究価値のないものなどはそのまま通すこともあるし、発見者には不要でかつ研究価値があれば交渉してその場で買い取ることもある。
 基本的に強制的に買い上げるようなことはしない。ただし、明確に危険であると判断されたものに限っては野放しには出来ないので、根気強く説得して"なるべく穏便に"手放して貰うこととなる。

 時代時代で改定が入ることもあったようだが、現在のところ概ね上記のようなかたちで遺跡の開拓は進められている。
 この遺跡が発見された年をして虹陰暦元年としている訳だが、未だに遺跡の果ては見えない。勿論、様々な理由で遺跡の調査が中断されることもあったし、数十年に渡って踏破が停滞したこともあった。大きな地震に見舞われて遺跡の一部が崩落したこともあるし、下層から湧き出してきた魔物に押し返されて、中継点の場所が大きく後退したことだって何度もある。
 それでも千年近く全容が明らかにならない遺跡というのは大陸でも他に類を見ないだろう。
 この遺跡の最奥に何が眠るのか明らかになるまで、中継点は必要とされ続けるはずだ。検問として、盾として。

 何しろ未踏地域の奥から魔物が這い出てくることはそう珍しくもないのだ。
 勿論、中継点を超えて先を目指す冒険者や傭兵などによって退治される者が殆どであるが、中には取りこぼしもあるし、手に負えない化け物が現れることだってままある。
 これに備えて、また不法侵入者の取締りの為、各中継点にはシフトを組んで交代しながら二十四時間体制で十人前後の兵士が常に詰めている。これが自分たち境界警備隊と呼ばれる存在だ。
 冒険者、傭兵、地上の警備隊、魔術学院等々アルコ・イリスのあちこちから選抜やスカウトされて集められたエリート──といえば聞こえは良いが、実際はそんなおきれいで生易しいものじゃない。
 長いこと傭兵として各地を転々としていた所を腕を見込まれて警備隊に就職した自分だったが、中継点での業務は慣れて感覚が麻痺するまできついと感じていた。
 確かに高給取りには違いないが、常に危険と隣り合わせであることを考えれば妥当な金額だし、薄暗く閉鎖された──とも場所によって限らなかったりするんだがまあ概ね──地下空間に長時間緊張状態で詰めるというのはどうしたって気が塞ぐ。
 殉職率は公務員の中でも群を抜いているだろう。その分死後や退職後の保障は確りしているが、それにしたって諸々のきつさに負けて辞めてしまう奴は少なくない。上司や同僚の死に耐えられない、という奴もいる。
 年数や目標金額を決めて勤め、辞めていくもの多い。だから、長年に渡ってこの職に留まりお勤めを続ける奴は──他に居場所がないか、変わり者か、何にしろどこかまっとうじゃあない。
 一癖も二癖もある連中をまとめるのは苦労する。だが遣り甲斐がある、とも感じ始めている自分もまた、決してまっとうではないロクデナシなのだろう。
 だが、そのロクデナシもまたこの自由闊達な都市の繁栄を守る一端であると考えれば悪くない。何時か斃れるその時まで日々業務に励もう。そう、決めていた。
 実際、非番の日以外は大小の危険に見舞われつつも、部下たちと二人三脚、どうにかこうにかやり過ごしていたのだ。

 ──あの大事件が起きるまでは。


 ※※※


 その日、"レッドポイント"に勤める全員に激震が走った。別に地震に見舞われたわけじゃあない。
 そうなったら迷宮全体が揺れているだろう。だが、この中継地を拠点とする者らにとっては小さいものなら地震の方が遥かにマシだった。それ位に斥候から齎された情報はあまりに絶望的だった。

 現在踏破中であるひとつ下のフロアから魔物が溢れ出し、上層に向かい始めている。

 確認された魔物の分類は、よりにもよって──デーモン。

 グレーターを冠するような大物こそいないようだったが、それでもレッサーデーモンが大挙して押し寄せてくるなど悪夢でしかない。
 部下に探査魔術で探らせた所──どうやら半日ほど前先に進んだ冒険者パーティがやらかしてしまったらしい。其れとは知らず、"召還門(サモンゲート)"の罠を作動させてしまったようだ。
 新人らしい集団だったから少し嫌な予感がしていたんだが、こうもピンポイントに悪質な罠を踏み抜くとは……。

 "召還門"とは文字通り、特定の条件で異界や遠距離と繋がる扉を開き、指定されている存在を場に召還、命令を果たさせる──概ね目の前の敵と戦えだとか殺せという場合が多い──というものだ。
 呼び出される存在は千差万別、多岐に渡る。猛獣、魔獣の類から魔法生物、ゴーレムなど──まあこの辺りが一般的だ。中には異界の怪物を呼び出すような悪質な物もあって、そいつを引いちまった日にはご愁傷様という他はない。
 幸いなことに概ねそれらは発動は一度切り。呼び出された存在も目的を果たすか倒されれば消えるというのが通例だ。
 が、稀に性質が悪いものがあり、一度発動したら最後、"門"が壊れるか術式を停止するまで延々指定された存在を呼び続けるタイプの"召還門"が存在する。
 更に更に悪質を重ねると、送還の条件が目的の達成ではないものまである。"門"の破壊や術式の消去が行われて尚残留し、退治されるまで破壊を振りまき続ける。
 アルコ・イリスの迷宮では史上何度かこの最悪の"召還門"が発動したことにより、踏破の停滞や中継点の後退を余儀なくされてきた。
 ダンジョンに携わる者たちはこういった類稀にして凶悪な"召還門"を"災厄門(ハザードゲート)"と呼ぶ。開いたが最後悪鬼を止まらず吐き出し続ける地獄の窯という訳だ。

 ──そう。新米どもが発動させたのは呼び出すものも最悪なら、タイプとしても最悪。下級デーモンを延々呼び続ける"災厄門(ハザードゲート)"だったのだ!
 "門"を発動させてしまった連中は勿論、真っ先にレッサーデーモンの群れに呑まれ、無知と迂闊の代価を己が命で払わされる羽目になったようだが、何の解決にもなりはしない。
 七虹都市を魔界都市にでも変えるつもりか、畜生め!!

 戦神よ、これもまた試練なのですか?と天に問いたいが、生憎これはまったくの人災だろう。
 中継地点に勤め初めて四年。前任が運悪く下から這い上がってきた大型のケルベロスに食い殺され、分隊長職を押し付けられて一年になるが、幸か不幸かここまでの状況には今までお目にかかったことはない。
 易々とあってもらっても困るが。これは新聞どころか大陸史書に載るレベルの大事件だろう。それも最悪の"迷宮災害(ダンジョンハザード)"として。

 報告が入った瞬間、自分が先ずしたのは上に連絡を取ることだ。
 出入り口を封鎖、戦闘のできない市民が党は区域に入っている可能性もあるため避難勧告、何より迅速な増援依頼。
 拠点である詰め所に備え付けのアーティファクト──特定地点に設置して使う大型の水晶球の形状で携行には向かない──を通して出来る限りの要請を行った。
 しかし、最初の二つは兎も角として、正直な話どんなに急いでもまともに役立つ援軍を送るのには時間がかかるだろう。
 それまで出来る限り時間を稼がなければならない。叶うなら、階下の"災厄門"の元まで赴き、元凶をどうにかしたい所だが、既にデーモンで溢れ返っている下層に降りて目的を果たすことは今の我々の戦力では厳しい。
 未踏区域の構造は未知数で他の中継点からデーモンが湧き出す可能性を思えば早々其方に詰めている他分隊を呼ぶ訳にもいかなかった。上への連絡の後、すぐさま他中継点にも警戒態勢を取るよう伝え、アーティファクトから離れる。

 「第三防壁突破──第二防壁にも皹が入っています。"第一防壁"への到達まで、予想時間は十分を切りました」

 探知魔法を得意とする補佐官──勤めて感情のない冷静な声でそう告げてくれるが、その肩がほんの少しだけ震えていたのを、自分は見逃さなかった。それでも彼女は怖いとも帰るともいわないだろう。
 索敵および状況把握を得意とする己の力が、この場に置いて如何に重要であるかを理解している。
 そして、自分たちの誰一人が欠けても戦線が維持できないことを、この場にいる誰しもが忘れていなかった。

 現状は正直言って落伍者が出ていいレベルだが、今日の出勤面子は選りすぐりのロクデナシ揃いであったらしい。
 振り返った自分が見たのは、報告の衝撃から直ぐに立ち直り、普段は使わない緊急兵装──予算度外視威力最優先の高級装備──に身を固め、自分の命令が下るのを腹を括った顔で待つ部下たちだった。

 「分隊長、出撃はまだですかい?」「腕が鳴りますなあ」「デーモンお代わりし放題たあ豪勢な話で」「勇んでデーモン退治と逝きましょう」「ばーか、逝ってどうすんよ! 縁起でもねえ」「少し間違えただけです!」

 こんな時なのに──冗句交じりの言葉さえ飛ばす余裕がある部下どもは驚嘆に値する。
 "地獄でこそ笑え。軽口を叩きながら"、というのは"レッドポイント"詰めの第一分隊に何時の頃からか伝わる訓辞だが、本当に実践する奴があるか。
 ああ、畜生。愛すべき馬鹿野郎ども。

「──おい、手前ら、準備は出来ているな。一分後に、出るぞ」

 撤退だ、といえたらどんなに良かったか。だがそれは許されない。自分が彼らを死地に──冥土に送るのだ。なら、弱った所など、揺らいだ目などしてはいけない。
 己らの境遇を嘆くのではなく──敵を、鬼か悪魔の顔で嘲笑おう。デーモン相手だ。なんとも皮肉の聞いた話じゃあないか。
 ホーリーシンボルである十字を模した銀剣型のペンダントのチェーンをまず確かめる。
 次いで愛用の魔法銃に込める呪弾をありったけ準備して、抗魔・防御のエンチャントと聖別が施されたコートに仕込んだ。普段はあまり使わない、予備武装である戦闘用の銀剣も腰に下げる。
 聖水、霊石、ポーション類など詰め所に用意されている物資を、みんなで協力して外に運び出した。

 "レッドポイント"こと第一中継点の詰め所は、フロア唯一の下層への昇降点──階段や転移法陣や穴等ようはフロアを上り下りできる地点──を窺える場所、構造で建てられている。
 概ね中継地は、監視や検問としてのの利便性から出入り口が一つしかないフロアに作られるものだ。我らが詰め所もその例に漏れない。
 詰め所自体は組み立て式の木造小屋であり一応諸々の防御エンチャントが施されてはいるが砦になるほどではなかった。
 小屋ごと潰される可能性を否定できなければ、自分たちは昇降点を守る壁周辺に陣取ることにした。

 当フロアの昇降点は困ったことに階段ですらなく只の穴だ。直径十メートルほどの円穴に縄梯子を垂らして上り下りできるようにしている。
 周囲には──進入と流出両方を防ぐべく三重の防壁が構築されていた。魔術によるもの、法術によるもの、その両方によるものの三種類だ。
 許可を取ったものなら問題なく通ることができるが、そうでない奴は強引にぶち破るか無理に通り抜けるしか双方を行き来する手段はない。
 結界を抜けて疲弊した奴から順に掃討していこうと言う作戦だ。正直ほぼ無策と言っても過言ではない。 

 最悪、天井や壁を崩落させたり、近くの樹を倒して昇降点を沈めるという真似もできなくはないが、一時的に蓋をした所で元凶である"門"をどうにかできなければ、いずれデーモンどもは瓦礫や倒木なんぞぶち破って這い出てくるだろう。寧ろ、時間が過ぎれば過ぎるほどにデーモンの数が増えるのだから、後の被害を拡大させるだけだ。ほかの中継地が置かれた昇降点になだれ込む可能性だって否定できない。
 何より──下手に長時間異界に続く"災厄門"の存在を許せば、レッサーどもの上位種、グレーターデーモンと呼ばれる連中が気づいてやってくる可能性もある。今はそんなことにならぬよう祈るしかなかった。

 部隊員と自分が出撃した時点で非戦闘員である交渉人──鑑定や買取の為中継点には兵士の他に二人一組の鑑定人と交渉人も勤めている──は地上に帰らせた。足手まといになられても困る。
 魔術の心得が在る鑑定人には悪いがもう少し残って貰うことになった。直接戦闘に参加してもらう訳じゃない。役割は詰め所での連絡員だ。規定時間以上自分たちから連絡がなかった場合、地上に緊急通信を入れて即刻退くように言いつけてある。 

 外に出るとまがりなりにも戦神の闘司祭である自分には到底馴染めない、硫黄の匂いと湧き出す瘴気──蠢くデーモンどもの気配が結界越しにも伝わってきた。
 気配だけではない。穴から這い出し結界に爪立てる、数を数えるのも馬鹿らしいほどの無数のデーモンたちの姿は見えるところまで迫ってきている。
 勘違いであってくれたらどれほど良かったか知れないが、今自分たちが見ているのは、色や大きさこそ多少違えど、基本的なフォルムは山羊に似た頭と下半身、蝙蝠の羽、尖った尻尾、筋骨隆々たる人に似た上半身、腕は鉤爪、肌は異色、炯々と光る目は不吉な灯火のよう──間違えようもなく典型的なレッサーデーモンの姿だった。
 しかし、雲霞の如く、などという表現があるが、まさかレッサーデーモン相手にそれを使う羽目になるとは思ってもいなかった。この群れを抜けて降りていくことはできない。やはり自分たちに出来るのは時間稼ぎだけのようだ。

「思ったよりもデーモンの勢いが凄い──訂正します。"第一防壁"への到達まで三分。"第一防壁"に最初の穴が開くまで十二分です」

 全員に走る緊張に、補佐官が継げた状況予測の言葉が一層の後押しをする。
 うっすらと光り輝く結界は既に二つ目までが抜けられ、場所によっては皹いり──最後の一つに先頭のデーモンの爪の先が今にも触れそうだった。

「手前ら気張れ。一匹でも地上に通せば先ず間違いなく被害が出る。上に大事な奴が一人でも居るならそいつらの事を考えな」

 できるだけよどみなく言葉を吐いたが、自分でも解かってる。どう考えたって無茶だ。
 幾ら精鋭が集められているといっても、たかだか10人程度で無限に等しく湧き出続けるレッサーデーモンの群れに対抗できるはずがない。
 時間稼ぎだってどれだけできるものか。──それでも、それでも、黙って通せば間違いなく目の前の数多のデーモンどもはあふれ出してアルコ・イリス市街に出て行くだろう。
 脳裏によぎるのは愛しい娘たちの顔。あの子達が暮らす地上に、絶対にこんな化け物行かせる訳には行かない!

「ここで自分たちが時間を稼ぐ分だけ被害が減ると思え。──何としても援軍が来るまで保たせるんだ」

 言葉はなかったが、部下たちがそれぞれに決意──信念か守りたいものか金か名誉かわからなかったが──に殉ずる覚悟を定めた目で頷いてくれた。充分だった。
 謝ることは幾らだってできたが、それをするのは彼岸に着いてからすることにする。
 今するべきは、一分一秒でも長く部下たちを生かすこと、戦線を維持すること。
 それぞれの得意とする配置に人を置き、穴の周囲に陣形を作る。

 天に座します戦神シュヴェー=アト=エルターよ、我らの戦ご照覧あれ。
 地に在られます剣王アゾットよ、我らに加護を与えたまえ。
 どうか、この愛すべき部下たちの命が、少しでも長く続くように。
 その為ならば、我が身、我が心魂の全て、この戦場(いくさば)に捧げます。

 ──どうか。

 心の底から、祈った。

 法力付与、武具強化、能力強化、増速、守護結界、抗魔結界──後々後遺症など考えず、出来うる限りの補助魔法を掛け合い、魔法の心得がある者は思い思いの方法で攻撃術式の構成を始め、それ以外のものは得物を構え狙いを定める。
 此方の準備が整うと間をおかずして、レッサーデーモン、最初の一体が最後の結界に皹入れながら通り抜け、這い出てきた。ほぼ同時、次のデーモン、その次のデーモンと続く。

 瞬間、響き渡るは、この世の者とは思えぬおぞましい威嚇の咆哮。
 刹那、放たれる矢と飛礫、魔法弾、荒れ狂う攻撃術式の嵐。伴うは多種多様の攻撃音。

 ──それらを皮切りに、あまりにも絶望的な戦いが幕を開けた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年07月05日 11:26
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。