01「歌い骸骨 前編」

 雑多な職業、種族、人種でごった返し、世界中から物資や知識が集う、混沌たるアルコ・イリス
 そんな虹の都に存在する七つの大通りの一つ、蜜月の裏通りには、大陸四方山海の怪奇が集う。
 闇市ではいかがわしい品が売り買いされ、嘘か真か奇妙奇怪な生き物を曝し売り買う見世物小屋が幾つも存在していた。

 見世物という奴は、他の何にもまして流行り廃りの著しい商売である。
 様々な奇獣、珍品が市民や旅人の興味を引き、そう間を置かず飽きられてきた。
 この頃巷の噂によく上っているのは、流れ者が始めた興行だという『うたう骨』の話。

 魔術がかりの品ならば、骨が音を奏でようが歌おうが、そう珍しい話ではないかもしれない。
 だが、件の骨は実に見事な声で歌をうたい、聞くものの心をかき乱し揺さぶるのだという。
 曰く、ふるさとや離れてしまったひとを思い出すような、なんとも切なく物悲しい歌声であると。

 老呉服商人ジェイコブ・ヘンリクセンの趣味は奇物の収集と見世物小屋通いであった。
 『うたう骨』の噂は当然彼の耳にも届いていた。
 元々北の寒村の生まれであったジェイコブは、出稼ぎに訪れたアルコイリスで、真面目で誠実な働きぶりを雇い主の豪商に気に入られ、婿養子となった。
 ジェイコブは店を先代の築いたもの以上に大きくすることはできなかったが、堅実に店を守り続けた。
 妻には先立たれたが、子供たちは揃って健康。今では長男が店を継ぎ、立派に盛り立てている。
 時折請われて相談に乗ることもあるが、今のジェイコブは悠々自適の楽隠居である。
 他の家族や店の迷惑にならない範囲で、物珍しい品を購ったり、あまり見られない変わった生き物の噂を聞いては見物に行くのを老後の楽しみにしていた。

 すべてジェイコブの生まれ育った土地では、けして見ること、聞くことのできなかったものばかりである。
 虹の都は珍妙奇怪な物、者に事欠かぬ街だ。はじめてアルコ・イリスに来た時の感動を、時のかなたに色褪せたとはいえ、ジェイコブはまだ覚えていた。
 こんなにも美しく賑やかで、自由闊達な街がこの世に存在していることが信じられなかった。
 初め非登録の市民として、働き暮らしながら、ジェイコブはすっかり虹の街に魅入られていた。

 この街を離れたくないと思った。一度街を出れば、最早己のような田舎者は必要とされぬのではないか。そんな不安があった。
 そうして、里帰りを逡巡するうち、ジェイコブは永遠に故郷に帰る機会を失ってしまった。
 確かな筋から入った情報だった。故郷の村は疫病の流行で滅んでしまったというのだ。

 村にはジェイコブの係累は居なかったが、ひとり婚約者が居た。
 元々ジェイコブは、土地も富も何もない身から彼女を娶り、養うに足るだけの貯蓄をえるべくアルコ・イリスに来たのだった。
 故郷に帰らぬなら、彼女を七虹都市に呼ぶべきだとそう考え始めていた矢先に村の滅亡を聞いた。

 せめて生き残りである己が、村のあった場所に戻り皆の弔いをするべきだったのかもしれない。
 だが、罪悪感と後ろめたさがあった。己の満足と保身のために、故郷に戻るのを躊躇い続け機会を失った男は、村があった場所に戻ることが恐ろしかった。
 そうして苦しんでいたジェイコブを癒してくれたのが、妻になった豪商の娘であった。

 故郷を出て数十年。今だジェイコブは、生まれた土地に帰ったことがない。
 恋人だった女の最後も知らない。素朴で優しい田舎娘だった。今ではもう顔を思い出すこともできないが。
 もし、『うたう骨』がふるさとや離れてしまったひとを思い出させてくれるというなら、彼女のことを想い、偲べるだろうか。
 時の流れに恐怖が洗われていけば、残ったのは寂寥の想い。
 微かな期待を抱いて、ジェイコブは蜜月の裏通りを目指した。


 折りしも霧の懸かる夕べのこと。
 日が出ているにも拘らず、宵闇が迫っているかのように薄暗く、視界の危機難い日だった。
 細かく入り組み、迷宮のような様相を呈す蜜月裏通り。
 まだ浅い地域、夜になればどうにか表通りを走る"虹蛇の導き(ユルングライン)"を窺える辺りに、その広場はある。

 "片羽広場"。

 見世物小屋や曲芸小屋、それらの見物に訪れる客をターゲットに据えた露天や物乞いで賑わう、少し歪な形状の円形広場。
 この辺りが、まっとうな市民が護衛をつけずに入れる限界点だ。
 "片羽広場"よりも更に奥深くには、更に珍しく後ろ暗いものを扱う店や小屋があるというが、ジェイコブは流石に其方に向かうほどの度胸はない。
 さいわい、『うたう骨』の興行は、"片羽広場"の片隅で行われていた。

「御代は見てからの心付けで結構でございます。さあさ、皆様御覧あれ。『歌い骸骨』もう間も無く開演ですよ」

 見世物小屋のお決まりともいえる口上を述べ、客引きをしているのは、背の高い赤髪の男。
 周囲でも演目の内容こそことなれど、似たような言葉で客を集めようとしている者の姿がそこかしこに見られる。
 フードを目深に被っている為に客引きの容貌は窺い難いが、頭巾の下から覗く顔には皺ひとつなく、声の張りからもまだ若い男と知れた。
 容姿を隠したものなど、この辺りではさして目を引かない。見世物小屋の関係者なら尚のこと。
 裏通りは傷痍や病気でまっとうに働けなくなった者もよく見かけるし、あるいは見世物になっている者が素性を隠して出歩いていることも珍しくはないのだ。 

 フードの男が客を呼び込んでいるのは、白く艶やかな髑髏が描かれた看板が入り口に立てかけられた黒い天幕。
 口上に含まれている演目からしても、ジェイコブが求める『うたう骨』を見世ているのは此処だろう。
 人の流れに乗ってジェイコブは、天幕の入り口へと歩いていった。
 垂れ下がっている幕を上げて、天幕内へと足を踏み入れようとした瞬間、ジェイコブは視線を感じて振り返った。

 血のように赤い髪をしたフードの男が、ジェイコブの方を向いていた。
 形の良い唇を三日月の形に持ち上げて、亀裂のように男は笑った。

「── ご ゆ っ く り 」

 唇が紡ぐのは歓迎の言葉であるはずなのに、どうしてか、ジェイコブは肝が芯から冷え込むような心地がした。
 赤毛の男は直ぐにジェイコブから、行きかう人込みの方に顔を向けてしまい、中に入りたがっている他の客が迷惑そうにしていたのもあり、ジェイコブの老体は半ば押し流されるように天幕の中へと進んでしまい、底冷えの理由を知ることはできなかった。


 天幕内は外よりも更に暗く、外から見るよりも広いようだった。ぽつぽつと客席の合間に置かれた皿に点る蝋燭の明かりだけが、部屋を照らす僅かな光源だった。
 鼻腔を擽る、濃厚で甘い香りは、薔薇の香でも焚いているのだろうか。
 奥に簡素な木の舞台が形作られ、囲む形で客席が並んでいる。込み入っているかと想ったが、運よく未だ空きがあり、ジェイコブは前にある席に座ることができた。
 暫くは人の出入りが続いていたものの、やがて会場が埋まったのか、それも何時しか途絶える。

 ざわざわと期待交じりの微かなさざめきが天幕内に満ちていたが、舞台の上に何時の間にか何者かが現れるとそれも止んだ。
 何時の間にその人物が舞台上に上がっていたのか。少なくともジェイコブには解からなかった。
 瞬きの間に、まるではじめからそこに居たかのように、気配なく、静かに、彼は佇んでいた。

 二十歳前後と思しき外見をしているが、それより稚くも老成しても見えて印象の定まらない男性だった。
 顔立ちそのものはけして悪くないが、表情と生気のなさのほうが目を引く。
 変わった見目の存在が数多いアルコ・イリスでもそうそうお目にかからぬだろう、腰まで流れる青貝色の長髪が特徴的だった。
 色合いだけでも奇異であるのに、全体が夜に光る生き物のような奇妙な光沢と燐光を帯びていた。薄闇に満たされた天幕のなかにあっては、ぼんやりと浮かび上がって見える。
 さながら、ふわふわと柔らかく弧を描く螺鈿の波。白真珠から青黒い虹へと角度によって色を変える稀有な毛髪を、黒天鵞絨のリボンで一つに纏めていた。
 盲いているのか、長い睫毛と隈が縁取る双眸は白く半透明に濁り、乳水晶の細工物を思わせた。痩せぎすの体躯をしているからか、相対的に目が大きく見える。
 本に書かれる悪しき死霊術師を連想させる、細い黒銀鎖が複雑に装飾する喪服じみた黒衣と黒外套。対照的に肌は骨のように青白く蝋のように妙に艶めいていた。

 ほっそりとした腕にはとても大事そうに、紫紺の絹布に包まれた丸い『何か』を抱いている。
 まるでその人物自体が見世物であるかのようでもあった。
 異形、異相。普通の人間と「ことなる」という単語が頭に浮かぶ容姿。それこそ純然たる異種族であるのかもしれない。
 思わずしげしげと眺めてしまったジェイコブや客たちの前で、白い眼の青年は、布包みを大切に抱いたまま丁寧な礼を一つして、血の気のない唇を開いた。

「紳士淑女の皆々様、此度はようこそ御出で下さいました。これより御目にかけますは、世にも哀れな『歌い骸骨』。浮世の因果に縛られて、彼岸に渡れぬ孤独な魂。愛しい人を待ち侘びて、最早流せぬ涙の代わり。恋し乞いしと歌います」

 男の声色は囁くような喋りであるというのに、何故か耳に残る、不思議なものだった。陰鬱な見目からは信じられぬほどにうつくしい響きを伴っている。
 滔々と申し述べていきながら、会場全体を引き込み、客の目を己に集めて、そうして抱いていた包みを捧げ持ち、青年は紫紺の絹を解いていく。
 衆目に曝されたのは、小ぶりな頭蓋骨であった。古いものであるようだが丁寧に磨かれてでもいるのか、汚くはなかった。
 つるりとした見かけから、遠目には出来のいい作り物のようにも見える。
 これが件の『うたう骨』なのだろうか。噂は所詮眉唾なのか。ジェイコブが思案するなか、

「……さあ。想い人に届くよう、思う様に口を開いて。おおきな声で歌うといい」

 促す声と共に青年は優雅にも見える手つきで、されこうべの頭頂部辺りを優しく撫でた。
 するとひとりでに骨が鳴り出す。カタカタと顎が振るえたかと思うと、肺も咽喉もない、肉の欠片も残っていない、頭骨だけの存在、その口から女の声が零れはじめた。
 そして、骨は歌い始める。アルコ・イリスのものではない、異国の調べ。どこか遠い土地の民族曲を。

「────!」

 骸骨の肉なき唇が紡ぎだす旋律に、ジェイコブは思わず息を呑んだ。その哀愁漂う曲調は、北国の一部でだけ使われる言語で編まれた歌詞は、彼の良く知るものであった。
 今はもうどこにもない故郷。ろくに思い出すこともできない土地で、歌い継がれていた曲の一つ。
 旅立つひとを見送り、その帰りを待ち続ける。無事を祈願する送別の歌。
 消して豊かとは言えぬ土地と、ぽつぽつと佇む古びた家屋たち。黒々と空に枝を伸ばす木々の群れ。冷たい風の中で笑っていた素朴な人たち。
 懐かしき調べに呼び起こされ、失ったふるさとの姿が見えた気がした。ジェイコブの目には知らず涙が浮かんでいた。
 老境にさししかる男が、外で涙ぐむなどけして褒められた姿ではないが、周りも見えなくなるほどに、ジェイコブは『うたう骨』の歌声に聞き入っていた。

 "帰り来よ"とうたう声は、ひどく懐かしくジェイコブの胸を締め付ける。
 都会の豊かさに魅惑され、帰れる時に帰らなかった後悔を思い出させる。
 ああ、今も、滅んだ村で同郷の人々は、北方の雪風に、白い骨を曝して眠るのだろうか。
 かつてジェイコブの愛した女性も、また。
 髑髏の歌う声そのものに、ジェイコブは聞き覚えがあった。
 古い面影を呼び起こされる。思い出した。長い柔らかな黒髪を。微笑んでいた唇を。緑の瞳の美しさを。
 雀斑の浮いた顔は美人とは言えず垢抜けてもいなかった。掌は硬く厚かったが、それは働き者の手だった。

 歌の終わりが近づくと、ジェイコブの思い出した光景が遠ざかる。
 旋律がが終わる。終わってしまう。終わらないでくれ、まだ。
 そうジェイコブは望むが、曲は長いものではない。やがて終止符が打たれる。


「……『彼女』のうた。お気に召されましたか? お客さま」

 曲の終焉に伴ってまた薄れていこうとする記憶を必死に繋ぎとめるように足掻いていたジェイコブは、急にかけられた声と色濃く香った薔薇の薫香に弾かれたよう顔を上げた。

《続》

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最終更新:2011年07月05日 11:49
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