― 喜劇めいた悲劇の運命の青(フォーチュン・ブルー) ―

 黒山羊の角を砕いた粉末を、ニガヨモギの草汁に融かす。
 満月草の根と、毒蔓蛇の血を、杯一杯の山葡萄と、石榴の果汁で煮詰める。
 紅皇蜜蜂の蜜と、巣の一欠片を、上記のものと共に、フラスコの中で混ぜ合わせる。
 この時、僅かにでも空気に触れぬ様に、注意する事。
 一滴の水と、一摘まみの金木犀の花粉とを最後に加え、半刻寝かせた後に、小瓶の中に入れて封をする。
 これを、アガム・ウィノテールの蜜薬と云い、服用者の魔力を、三刻の間のみ高める効能がある。
 ただし、赤の日と緑の日に調合された蜜薬は、逆に服用者の魔力を一刻の間、減退させてしまう。
 新月の紫の日に調合された蜜薬が、最も効能が高い。
 素材に用いた、紅皇蜜蜂と毒蔓蛇の毒素は抜けていない為、服用後は、最低でも二日間の間、酒の摂取を自粛する事。

 ――スチュアート・ザウエル著『魔法薬学の基礎Ⅳ』267頁
   第三章「日と月と星の巡りに左右される調合」より抜粋



   ◆



「……魔法薬の調合と、伊達眼鏡と、〝斬り裂き魔〟の復活の間に、一体どの様な因果があるのでしょう?」

 紅い魔女、フランディア・ローズレッドは、不思議そうに問い掛けた。
 フランの向かいの席に座る学院の魔女、アルテミシア・バーニアットが、珈琲で喉を潤す。

「フラン。アガム・ウィノテールの蜜薬については、今更、詳しく説明するまでも無いであろう」
「そうですね。魔法薬の中では有名なものですし、調合する曜日と、フラスコの中で混ぜ合わせる時に、空気に触れない様に注意を払うくらいで。入手が難しい、特別な材料は殆ど必要ありませんしね。魔法薬調合の入門としては、手頃なレシピかと思います。副作用は、辛い方には辛いですが。効能も実用的ですしね。何より、口当たりがまろやかで、甘いのがいいです」
「うむ。下手な糖蜜や果実酒以上に甘いからのう。では、問題じゃ。アガム・ウィノテールの蜜薬のレシピじゃが、手順はそのままに、毒蔓蛇の血を、双尾人魚(ツインテール・マーメイド)の血に。石榴の果実を、木苺の酒に変えて。金木犀の花粉ではなく、風信子(ヒヤシンス)の花粉と匙一杯の阿片を加えれば?」
「アルテミシアの阿片酒。つまりは、貴女のオリジナル・レシピである媚薬になります」

 僅かに苦笑を浮かべながら、フランは答えた。
 確か、100年程前に産み出されたレシピであったと記憶している。

「生娘さえ女淫魔(サキュバス)へと貶めるが、謳い文句でしたか。双尾人魚の血が、一角馬(ユニコーン)の血にも勝る貴重品な上に、僅かな火加減の違いで、忽ちの内に効能が歪んでしまう。よっぽどの熟練者でなければ、まず手を出そうとは思わないレシピですね。加えて、貴重な素材を使い潰して、出来上がるのは媚薬ですから。少なくとも、僕は調合した事はありません」
「フラン。色事を侮ってはならぬぞ。伊達に、生ける者の三つの宿痾(しゅくあ)として、様々な宗教や思想に語られておる訳ではない。食欲と睡眠欲、そして色欲は、生者の本能に根ざしたものじゃ。何故、仮初めの眠りへと誘う魔術が、初歩の術の一つとして伝えられていると思う」
「睡眠と云う行為が多くの種族にとって、アルテミシアさんの云う通りに、その本能に根ざした行為であるからでしょう。完全な眠りを必要としない種族は少なく、それ故に多くの者が、眠ると云う行為に対して、一定の親和性を有する為です。更に詳しく云うなら、三つの本能に根ざした欲望の内で、最も強いのが眠りの欲である為ですね」
「うむ。模範的な、優等生の解答じゃな。食と眠りと色については、魔術でも多くの業が存在しておる。それだけ多くの者が、これらの分野についての充実と充足とを求めている証拠じゃよ。次代へと生命の系譜を繋いでいく意味でも、価値の在る行いじゃぞ。夜の営みの不満から、互いの心が離れてしまった夫婦が、古来、何人居るか、知らぬ訳ではあるまい」
「アルテミシアさんの云わんとする処は理解できますが。僕は、まだ女性を知らないので。余り実感が湧かないのですよ」
「なんじゃ、フラン。そなた、いまだ清童か」
「生憎と、良き出逢いに恵まれていないもので」

 アルテミシアは、店内を見回した。
 双りの会話に聞き耳を立てているのか、それとも耳に入っていないのか。
 店内の男も、女も、須らくフランの姿に芒洋として見惚れ、夢見心地の幸福を噛み締めている様だ。

「そなたに抱いて欲しいと願う娘は、それこそ星の数ほどおるじゃろうに。お主の接吻欲しさに、竜が、その心臓を自ら抉り出したと聞いても、わらわは驚かぬ」

 アルテミシアの言葉に、フランは、自嘲めいて、一抹の寂しさを滲ませた笑みを浮かべた。

「その方々は、恐らくフランディア・ローズレッドに抱いて欲しいのでは無く。『男魔女』(ウォーロック)である僕に抱いて欲しいのでしょうから。それに付け込んで、弄ぶわけには参りませんよ」
「……フランは、もしかして男色家であったりするのかの?」
「まさか。普通の男として、女性の事を愛していますよ。格好がこんなですから、そう見られない事の方が多いですけれど」

 フランは、身に纏う、紅薔薇色(ローズ・レッド)の豪奢なドレスを指して云う。
 アルテミシアが、苦笑と共に、再び周囲を見回した。

「女の装いに身を包んでおっても、この通り。常人より遥かに魔に慣れ親しんだ、学院の生徒達でさえ、この有様じゃ。そなたが本当に男の格好で世に現れれば、どれ程の傾国と成り果てる事か。本当に『ヴァルプルギスの夜』に魔女から堕胎された異端の男の、『男魔女』の妖力には、凄まじいものがあるのう」

 4月の第4巡りは、紫の日の日没から、5月の第1巡りは、赤の日の未明にかけてまでの夜を指して、魔術の世界では『ヴァルプルギスの夜』と呼称する。
 悪魔の祝福を受けた女だけの一族、魔女達にとって聖なる夜とされた。
 『ヴァルプルギスの夜』に、魔女の胎から産まれ堕ちた赤子は、魔女の血を受け継ぎながらも男の性を持つ。
 『男魔女』と呼ばれる、男の性を持つ魔女達は、須らく人智を超越した魔道の業と、何者をも平伏さずにはいられぬ妖魅の美貌とを併せ持っていた。
 フランもまた、〝想楯〟の称号を受け継いだ『男魔女』の一人だ。

「そうならぬ様に。世の安寧を無為に乱さぬ様に、『男魔女』は男としての性を、女の装いの内に封じ込めます」
「封じて尚、老若男女を問わず、妖しき美貌の操り糸に捕えて離さぬか。真に、畏ろしき事よの」
「云われましても、僕が望んだ力ではありませんし。それに〝阿片の美姫〟の双つ名を有する、アルテミシアさんからすれば、拙い児戯に過ぎないでしょう?」
「謙遜するでない。それは、そなたの立派な力の一つ。才能であるのじゃから。望む、望まぬに関わらずな。才能とは即ち、自らの在り様にして、容そのものじゃ。器に注がれた水が、決して、器の容積を超えて蓄えられる事が無い様に。注がれた器の容通りにしか、水の容が変わらぬ様に。何者も、自分自身からは逃れられぬ」

 アルテミシアが、僅かに、手にしたカップを傾けた。
 “つぅっ”と、細い糸を引いて、零れた珈琲がカフェの床を濡らす。

「否定し、足掻き、もがこうとも。自らの器に納まりきらぬものは、この通りに零れてしまう。そして、二度と還る事は無い」
「……云われるまでも無く、理解していますよ。嫌と云う程にね。『誰も彼もが、才能の奴隷に過ぎない。その支配は、如何なる運命よりも苛烈で残酷だ。無慈悲なる神の如くに』」

 フランが、高名な劇作家が、自らの作品の中で書いた一節を引用して応える。

「『大渦巻』(メェルシュトレェム)。カルデニオ・シンドベルトの中期作品か」
「僕は、カルデニオなら詩集の方が好きですけれどね。それで、アルテミシアさん。アガム・ウィノテールの蜜薬の調合が、如何様にして伊達眼鏡と〝斬り裂き魔〟の復活に結びつくのです?」
「……一週間程、前の話じゃ。学院で、魔法薬の調合実習の講義があっての。幾つかの班に別れて、課題となる魔法薬の出来を比べるという講義じゃ。課題として選ばれたものはアガム・ウィノテールの蜜薬。普通なら、よっぽどの事が起こったとしても、大事になど発展せぬ筈のレシピじゃ」

 アルテミシアは、呆れと疲れを綯い交ぜとした表情を浮かべた。

「だった筈なのじゃが……その講義を受講した生徒の中に、アエマ・ゼットンと云う稀代の道化者(トリック・スター)と云うか、お調子者が居っての。先に名前が出た、一連の事件に於ける最初の被害者、ソルティレージュ・アン・アトガルド・エトナシアの級友兼恋敵兼愛人じゃ。事件の渦中に居る双りが、揃って生徒会執行委員に名を連ねておるのじゃから、わらわとしても頭が痛い」

 魔術学院に席を置く生徒達の、自治及び統括を目的とした組織である生徒会。
 生徒会長であるアルテミシアを筆頭に、実践的見地から魔道を探求する実践派と、研究的見地から魔道を探求する修学派の、それぞれを代表する双りの副会長。
 その三名の元に、多種多様な役員達が存在している。
 生徒会執行委員とは、生徒会がその目的の為に保有し、行使する戦力としての役割を求められ、集められた役員達の事を指した。
 学院の中でも、純然たる実力主義によって集められた、生粋の武闘派集団と云える。

「双りとも、執行委員に所属してから、まだ一月にも満たず、アエマに到っては執行委員補佐という立場ではあるが。それでも、これが生徒会の失態である事には違いない。この双りは、同じくハルトマン・フリードライヒ導師のクラスに所属しておっての。その授業でも、同じ班を組んで、魔法薬の調合を行ったのじゃ」
「双りの関係が、何やら只の友人という枠組みでは計れぬ様な発言を、先程、耳にした様な気がしましたけれど。そこは良しとしましょうか。今の時点では、特に不穏な話でも有りませんね」
「ああ。じゃが、アエマの戯けめが、ソルティレージュの眼を盗んで、わらわの阿片酒を調合しようとした事が、破局の始まりじゃ」

 アルテミシアの言葉に、フランが、呆れた様な表情を浮かべた。

「……こ、講義の最中に、媚薬の調合を行おうとしたのですか?」
「……本人は『ソルっちとの、あつーい夜を、もっと燃え上がるものにしようとだなー』とか云っておったわ。次の瞬間、羞恥に頬を染めた件の人物からの、有無を言わさぬ怒りの鉄拳制裁を受けて、沈黙を余儀なくされたがの」
「ええと、ソルティレージュさんもアエマさんも、お名前から察するに女性……ですよね?」
「前者は吸血鬼(ヴァンパイア)の真祖にして〝混沌の寵児〟(デイライト・ウォーカー)。後者は、ダーク・エルフと人間の血が混じったハーフ・エルフじゃ。無論、名前の通りに両名とも女じゃよ。そなたの様に、女として名付られた男では無い。そして、双りとも同じ男に対して恋慕の情を抱いておる」
「な、なかなかに複雑な間柄ですね」
「爛れておるだけじゃ。最も、火遊びに身を焦がせるも、若さ故の特権じゃて。こ奴らはこ奴らで、一人の男を間に挟んで、危うげなく、上手くやっておるわ。そんな奴らに、わらわから云う事があるとするのなら、只一つ。忌憚ない、率直な感想のみじゃ。……バカップル共が、爆発しろ」

 アルテミシアが、腹立たしそうに珈琲を啜る。
 フランとしては、深く突付くと薮蛇を出す事になりそうで、それに詳しく触れる事は躊躇われた。

「しかし、そのアエマさん。良く、調合に必要な素材が手元にありましたね。他は兎も角として、双尾人魚の血などは、滅多に手に入るものでもないのに。それこそ海洋都市か秘匿都市の闇市(ブラック・マーケット)にでも出向かないと。今期の相場は、確か大陸公用大型金貨で20枚は下らなかった筈なのですが」

 貨幣相場は情勢に応じて変動するが、しかし、一般的な相場と照らし合わせた場合。
 大陸公用小型金貨で400枚。
 大陸公用大型銀貨なら4800枚と云う大金だ。
 フランの指摘に、アルテミシアは、僅かに視線を逸らした。
 場都(ばつ)の悪そうな顔を見せる。

「……アルテミシアさん?」
「いや、まぁ、その……何じゃな。アエマの奴は、わらわが部長を務める遊戯部に所属して居るのじゃよ。賽子(ダイス)の神の機嫌が、その日は偶然に悪かったと云うか。つい遊びの心算で賭け事(ギャンブル)に興じたら、思わず、我を忘れて熱くなってしまったと云うか。博徒(ギャンブラー)には退けぬ勝負と云うものがあると云うか……。ええい! あそこで1の揃目(ファンブル)さえ振らなければ、わらわの勝ちじゃったのに!」
「成る程。負け分の肩に、持っていかれた素材を使って、アエマさんは調合を行った訳ですか。アルテミシアさんにも、責任の一端が無いとは云い切れませんね」
「フラン。鋼の剣が他者を害したからと云って、それを振るった者だけなく、鍛冶屋まで罰するのは道理にそぐわぬとは思わんか?」
「少なくとも遊びで済む範囲を、大きく逸脱した額である事には、疑いの余地は無いと思いますよ」

 寧ろ、アエマと云う女生徒は、良くもそれだけの金額の賭けを受ける事が出来たものだと考える。

「ともかく、アエマさんが講義中に高難度の媚薬を調合しようとしたのは判りました。その試みは、成功したのですか?」
「成功しておったのならば、こんな事態にはなっていまい。お主も知っての通り、わらわの阿片酒は、僅かな火加減や素材の量の違いから、容易く出来上がるものの効能を変化させてしまう、上級者仕様のレシピじゃ。魔法薬調合士の第一級免許の試験課題にも使われる事さえある。奇跡でも起こらぬ限り、学生の身で調合に成功する筈が無い」
「でしょうね。それで、当然の様な失敗の結果、如何な効果を持った薬が産み出されたのです?」
「一言で云うならば、アンドヴァリの光る眼の亜種と云った感じかの」
「また珍しい効能ですね。視線を媒介とした魔術行使、邪視や魔眼の強化薬ですか」
「うむ。ただしアンドヴァリの光る眼の効能が、純然たる強化であるのに対し、わらわの阿片酒の失敗作の効能は、云わば制御不能な暴走を引き起こすものになってしまった」
「厄介な代物ですね。ですが、致命的な破局を引き起こす様な効能とも思えませんが? 魔眼はそれ自体、保有者も数少ないですし。人工的に創り出す術も限られている。それに、人が持てる魔眼の効能では、精々が簡単な魅了や、病の発症と云った程度でしょう。視るだけで相手を石と変える、メデューサやバジリスクの瞳などは、人の手に余る、魔の領分の代物です」
「その通りなのじゃがな。講義で調合した薬を、選りにも選って規格外の魔眼を保有する、魔の領分の者が飲んでしまっての。本人は、あくまで講義で調合した、只のアガム・ウィノテールの蜜薬じゃと思って飲んだのじゃから。それを責めても仕方の無い事ではあるが」
「服用したのは、ソルティレージュさんですか? 吸血鬼の真祖と云っていましたけれど。しかし、吸血鬼の邪視にしても魅了の域に納まるもので……」

 フランの言葉を、アルテミシアが遮る。

「ソルティレージュの本名は、ソルティレージュ・アン・アトガルド・ユスティーツァ。北方大陸は夜の国の、大将軍家の娘じゃ」

 予想だにしなかった名前を聞き、フランの表情が固まった。

「……アルテミシアさん? 夜の国で、吸血鬼で、あまつさえユスティーツァと云えば……まさか、あのユスティーツァですか?」
「うむ。古の時代に、魔王の一柱にも名を連ねた、かの〝月蝕の毒蛇〟の末裔じゃよ。そして、当然の様に魔王たる祖の権能を、総ての魔を消し去る蝕の瞳、〝月蝕の紫眼〟を受け継いでおる。歳若い事もあり、完全なる形では使いこなせぬ様じゃがの」
「しかし魔王の瞳を受け継ぐ方が、よりにもよってそれを暴走させる魔法薬を、知らずに服用した訳ですか……何やら、とても不穏な空気が立ち込めて来た様に感じます」
「最初から不穏な話じゃからのう。後の顛末は、言葉にすれば簡単なものじゃよ。運が悪い事は重なると云うか。事実は寓話よりも遥かに奇なりと云うか。いっそ、ここまで来れば悲劇では無く、喜劇では無いかと思える様な偶然の連なりが、殺人鬼の眠りを呼び覚ました。その日は、また選りに選って、学院で厳重封印指定を受けている宝物庫の点検担当が、ソルティレージュだったのじゃ。この意味が判るかの?」
「……決して判りたくはありませんが、嫌と云う程に破局の顛末を察する事が出来てしまいました。つまり、総ての魔を消し去ってしまう自分の魔眼が、調合に失敗した魔法薬の効能で、制御不能の状態にある事に気付かなかったソルティレージュさんが、執行委員としての職務を忠実に遂行した結果、宝物庫の封印術式を消し去ってしまったのですね?」
「――正解じゃ。聡い事は、本当に美徳じゃて」

 フランとアルテミシアは、互いに顔を見合わせると、曰く云い難い表情をする。

「それで。ここまで云えば、そなたの事じゃ。もう〝斬り裂き魔〟の正体に察しが付いていると思うがの?」
「ええ、ある程度は。かの伝説の殺人鬼は、魔術学院の宝物庫に100年もの間、封印されていたのですね……ならば、正体には幾つかの候補がありますが。最も可能性が高いものは――」

 フランが、自らの考えを披露しようとした、その時。
 通りの向こうから、一台の物々しい馬車がやって来るのが見えた。
 通常のものよりも、重厚な造りの馬車だ。
 狭い窓枠には鉄格子が嵌められ、其処彼処を板金で補強されている。
 唯一の出入り口には、分厚い鎖と堅牢な錠が掛けられていた。
 荷馬を操る御者と、周囲を固める数名の武装した兵は、恐らくは自警団の団員達だろう。
 通りを行く人々は、馬車の姿を認めると、示し合わせた様に道を譲った。
 罪を犯した囚人たちを、監獄へと護送する為に改造された、特製の馬車だ。
 魔術的な封が施されていない事から、恐らく、馬車の中に囚われている罪人には、魔道の業の心得は無いのだろう。
 護送馬車の周囲で、警護の任に付いている者の中にも、やはり魔術の心得がありそうな者はいなかった。

「あれは……」
「確か先日、遺跡の盗掘で知られる『隠者の猟虎』の頭目が捕えられたと聞いたが、それかの」
「ラッコですか。随分と可愛らしい名前の盗掘屋ですね」

 フランの脳裏に、海面に浮かびながら、胸部に乗せた石に貝を割ろうとして何度も叩きつけている、実に愛らしい様子の、毛むくじゃらの獣の姿が浮かんだ。

「ラッコが、どの様な動物か詳しく知らず、字面だけで決めたらしい。猟の虎じゃからな。恐らくは、さぞや勇壮な獣であると勘違いしたのじゃろう」
「海の獺と書く方は知らなかったのでしょうか。と云うか、部下の誰かが、間違いを指摘して上げなかったのですかね?」
「部下に指摘されて、容易く名前を変えては、自らの間抜けさを認める事になるからの。面目があったのじゃろう」
「成る程。盗掘屋も、色々と大変なのですね」
「しかし、どうしたのじゃ? 囚人の護送など、さして物珍しい光景でもあるまい」

 アルテミシアの言葉に、フランは、脳裏に浮かぶ猟虎の姿を振り切って、通りの一点に視線を向けた。
 正確には、通りに立ち並ぶ建物の、屋根の一つを。

「いえ。僕が注目したのは馬車では無く。あそこです。丁度、護送馬車の一団からは死角になっている建物の屋上ですね。何やら弓を携えている怪しい男が居るのですよ」

 フランの視線を追って、アルテミシアが顔を上げる。

「どこじゃ? わらわには、矢筒から矢を取り出している男しか見えぬが?」
「そうですか。僕には、今まさに、矢を弓に番えて、護送馬車の方へと向かって狙いを定めている男しか見えませんね」
「うむ。つまり、それが答えじゃな」
「……可愛らしい名前を付ける頭目は、やはり、部下からの人望も厚かったと云う事でしょうね」
「しかし、白昼堂々と、衆人環視の中での襲撃か。あ奴、馬鹿では無いのか?」

 フランの、どこか呆れた様な声。
 間延びした双りの会話には頓着せず、状況は劇的に動き出した。
 狙いを定める、怪しい男。
 長弓(ロング・ボウ)に、番えられた矢が放たれようとしていた。
 鏃に、小さな紅い結晶が輝く矢だ。
 炎の魔素を封じ込めた結晶だろう。
 僅かに鈍い輝きは、結晶の純度が、さほど高くない事を示している。
 矢が命中すると共に結晶が砕け、内部に封じ込められた魔素を、小規模の爆発と云う形で解き放つ仕組みだ。
 爆塵の鏃(バースト・アロー)。
 良く知られた、使い捨て型の魔法器物(マジック・アイテム)の一つ。
 命中した場合は、生半な怪我で済む様な威力では無い。
 罷り間違えば、、通りを行く無関係な市井の者にも、被害者が出るかも知れない。
 さすがに見過ごせ無いと、護送馬車の警護についている兵に、奇襲を仕掛けようとしている卑劣な襲撃者の存在を知らしめるべく、フランが声を上げる。

「気を付けてくださ――」

 声を、上げようとした。
 しかし、フランが注意の言葉の全文を、口に出し終えるよりも早く。
 卑劣な奇襲を行うと見られていた襲撃者が、正々堂々と、戦場で名乗りを上げる騎士の如くに、声を張り上げた。

「フハハハハ! 我は『隠者の猟虎』が随一の射手にして、〝魔弾〟の称号を自称するは四天王が筆頭、インテンス・パラキート! 貴様ら卑劣なる権力の走駆に囚われし我が主君、ハーミット・シールを救出せん! 見よ! これが我等が反撃の狼煙!」

 高らかに言い放った男は、行き成りの事態に、呆気に取られる大勢の視線を一身に浴びながら、魔法の鏃を天へと向けて解き放つ。
 真昼の空に、“ひゅぅぅぅ……”、“ぱーん”と、大輪の炎の花が咲いた。

「……は、花火?」

 道行く誰かが、“ぽつり”と呟く。

「馬鹿か、では無いな。あ奴は、間違う事なき馬鹿じゃ」
「……アルテミシアさん」
「何じゃ?」
「これは僕の勘に過ぎませんが、かの盗掘団には、猟虎がどの様な動物であるか、指摘できる人物が居なかったのでは無いでしょうか?」
「奇遇じゃな。わらわも、そう思う」
「インテンス・パラキートって、つまりは、激しい鸚哥(インコ)って事ですよね。称号は自称と云ってますし」
「あげく隠者(ハーミット)を一団の名に冠しながら、まるで忍んでおらぬぞ。いや、むしろ頭目の名前じゃ。シールは猟虎では無く、海豹(アザラシ)じゃぞ、戯けめ。ええい、最早どこから突っ込みを入れていいのか判らぬ」

 さすがに誰もが予想できぬ展開に困惑している中、花火が合図であったのか、護送馬車の行く手と退路を防ぐように、怪しい男たちが現れる。
 男たちはそれぞれ、『隠者の猟虎』四天王筆頭を高らかに名乗り、自称する称号と共に、携えた武器を雄雄しく構えた。
 さすがに盗掘を生業としている者達と云うべきだろうか。
 皆、携えている武器だけを見れば、生半な冒険者にも遅れを取らない、魔法器物ばかりであるのは、何かがおかしいと云わざるを得ない。
 そして、白昼の竜胆(ゲンティアナ)通りで、喜劇めいた囚人護送馬車の防衛戦が始まった。

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最終更新:2011年07月06日 08:55
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