03「制服と招待状と私 中編2」

※ 相変わらず、異性装表現が含まれますので苦手な方、不快に思う方は自己防衛してください。


 最早俺には、黙って頷くことしかできなかった。
 私の無言のイエスにひとつ頷いた後、ロゼは優美な動作でソファから立ち上がる。

「よろしい。──さて、お前も納得ずくで御遣いを引き受けてくれたところで、潜入用の服は用意してある。御遣い先──ソルティレージュ嬢は今、魔法学院で世話になっているらしいからね。そこに行けば確実に会えるだろう。さあ、今着ている物を脱ぎなさい。私が手ずから着替えさせてあげようね」

 話すうちに次第に言動が不穏なものを帯びてきたので嫌な予感はしていたが、それは直ぐに的中した。何処から取り出したのか、明らかに女物の学生服を手に、有無を言わせぬ勢いでロゼは俺に迫ってきた。

「ちょ、待ってください! 何故、俺にそのような格好をさせる必要があるのです!? 貴方なら男性用制服を手に入れる事だって簡単な筈だ!」

 思わず後ずさったが、背後は直ぐにドア。俺はあっという間にロゼに追い詰められる。女性にしては少し背が高めのロゼに、口惜しいがまだ成長途上の俺では体格では叶わないし──それ以前に幾ら鍛錬をしていても、只の人間が"古き世代"の真祖に力で訴えられれば結果は推して知るべしだ。勝負以前に同じ土俵にすら立てない。
 それでも容易く肌には触れさせまいと、俺は身に着けている体術の限りを駆使して立ち回る。──正直、父様や皆や目の前の本人が護身のためにと叩き込んでくれた技術を、こういう無駄遣いはしたくなかったが。

「ご明察。此方を用立てたのは、その方が面白いからに他ならない。それにね、私としては前々から言っているが、お前には礼服よりもドレスの方が似合うと思うのだよ。それを妥協して普段は許してやっているのだから、こういう時くらいは逆らわずに私の目を楽しませなさい。それとも何かね、お前はこれを着ない代わりに普段からドレスで過ごしたいというのかね?」

「断固断る!!」

 リリアローゼの艶やかな金瞳は、半ば本気の色を称えていた。出たな。リリアローゼの悪癖二つ目め!
 俺の乳母は美しいものは何でも寵愛するが、別けても幼い子供や歳若い少年少女が大好きで──好みの相手を己の趣味で着飾るのが好きで好きでたまらないのだ。俺は丁度ロゼの守備範囲真っ只中にいるようで、早く己に急激な成長期が来ることを願ってやまない。俺の格好も純然たる彼女の趣味だ。これでも妥協の結果だというから末恐ろしい。俺としてはもっと汚しても破いても問題ない、動きやすくて安い格好の方が良いというのに。
 性的に倒錯した格好をさせる方がもっと良いというリリアローゼは、一度くらい日光を浴びて頭をさっぱりさせてくるといいと思う。"旧き世代"はそれくらいでは根本的にどうこうならぬと知っているからな!
 ソルティレージュ嬢には、できれば『特区』の民の良識を疑われるようなこんな醜態は見せて欲しくないものだが、……似姿でも伝わってきたあの美貌からすると目を輝かせるのだろう事は考えるまでもなく思い描けた。

「や、め、ちょ……かあさま、どこ触っ、や──!」

 乳母の悪癖の発露に業を煮やしていると、年の功やら力の差で、リリアローゼの手は俺の防御をすり抜け、ともすればきわどい部分にまで触れてくる。そんな所は触らなくていい筈なのだが!?
 こんな時に"黒帳(ドゥンケルハイト)"が居れば幾らロゼが相手とはいえ、多少なりと跳ね除けられるというのに! こういう時に限って忠実な騎士剣は俺の手元から留守であった。

「相変わらず脱ぐのは苦手なようだから手伝ってあげようというのだ。ふふ、余り可愛い声をあげるものじゃあない。本当にいけないことをしたくなってしまうだろう? 永く生きても私とて命は惜しいからね。古竜の吐息を浴びるようなことはさせないでおくれよ?」

「ッ、戯れを! そもそも、かつて己が乳を上げたような相手に、そんなことを欠片でも考えないで頂きたい!」

「強ち冗談でもないよ。最近はお前も随分と"美味しそう"になってきたしね。熟れ過ぎて腐る前に摘み取るのも悪くないかと」

 このペドフィリアが!! 思っていても、戦慄いた唇からはあまりのことに声も出なかった。
 マントが先ず剥がされて床に落ちた。ついで手袋が剥ぎ取られ、リボンタイが解かれる。顕わになった首筋に、戯れめいて百花の唇が落とされた。それだけで背筋に、形容したくもない戦慄が背骨から腰下に向けてが走るのだから、存在その者が誘惑で出来ている真祖という奴は空恐ろしい。

「うん、この包み紙を解くようなじれったさが堪らないね……ねえ、フィー。食べてもいいかい?」

「──ぶち殺しますよ、"育ての母(ナニー)"!!!」

 戯れでなくとも情人以外に身を任すほど、俺は貞操観念の緩い人間ではない!
 いかん。余りの呆れと怒りで、そろそろ言語を繕う余裕がなくなってきた。開かれたシャツの隙間から入ってこようとした手を、がっちりと掴んで留める。
 俺の手の甲に浮いた淡い虹真珠の煌きで、乳母は俺の抵抗の本気具合を察したようだ。

 俺は確かに只の人間だ。魔剣を使い、父様の目を与えられてはいても、根本的には人以外の何者でもない。なれない。普段は。
 しかし、父様から『特区』と命と貞操の危機には──いや前者二つと最後のひとつを同列に並べるのはどうかと思うのだが──『奥の手』を使うことを許されている。

 こんなお披露目は全く持ってしたくないのだが、"旧き世代"などといった規格外の存在に抗う手段というのはそう多くない。俺が覚悟を決めかけたところで、唐突にロゼは手を引っ込めた。

「こわいこわい、まあお前は棘の有り過ぎる薔薇だ。父親に、本人に、──後は、お前の魔剣たちは仮令合意の上でのことでも、悋気で串刺しにしてくれそうだからねえ? ……生半可な気持ちで手を出すのは止めておくよ。機嫌を直しておくれ? ああ、そうだ。私からも御遣いをしてくれるいい子にはご褒美があるというのを伝えていなかった。お前の気にしていた案件、『地上』の知人に通しておいたのだがね。お前とその件で話す席を設けて貰ったよ。ついでに行っておいで」

 安堵にほっと息を吐く間もなかった。ロゼはどうしてそっちを隠したりするのか!

「──は? そういう重要なことは父様の手紙以前に先に言っておいてください!!」

 父様が関わることは俺にとっての最重要項目だが、別段それ以外でだって重要な案件を持ち出されれば話を聞く余地はあるというのに。わざわざそっちを後出しにして、俺が複雑な思いをするだろう切り札を先に切る辺りは本当に性根が腐っている。
 ぽかん、と目を丸くした後に思わず叫んだ私の顔が余程おかしかったのか。
 リリアローゼは声を上げて、それはもう楽しそうに笑った。悪戯の成功した、子供のような顔だった。
 所詮、二十年も生きていない俺では、この老獪かつ用意周到、己の愉しみの為なら何よりも全力を尽くす"旧き世代(アルハイク)"の思惑の糸から逃れられようはずもなかったのだ。

 その後、俺がロゼの魔法のような手に残っていた衣服をあっという間に脱衣させられ、女物の制服を身に着けさせられたばかりか──薄化粧に香水と、彼女の趣味全開の"おめかし"の洗礼まで受けさせられたのは、正直思い出したくもない事実である。


※ ※ ※


「──そういう訳だ。ようするにロゼの盛大な暇潰しに付き合わされておる」

 お前にもすまぬことをしているな、と疲労感と申し訳なさからかどんより曇った目をしてフィロさんは僕──ミケル向けの事情説明を締めくくった。盛大な溜め息のおまけも付く。
 校内の喫茶室でお茶しながらかいつまんで聴いた話で、フィロさんのじょそ……もとい格好には一応の納得がいった。
 つまるところ、フィロさんは多少無茶な頼みであってもNOといえない位には、そのリリアローゼというひとに頭が上がらないらしい。

「とはいえ、ひとりアルコ・イリスに暮らす真祖の少女を案じている、というのも嘘ではないのだろう。……あれで中々情の深い所があるのだ。それ以上に遊び心に溢れ過ぎている、が」

 フィロさんは再度溜め息を吐いた。複雑な親愛と食傷が見て取れる。そういう顔をしていると本当に只の人間にしか見えない。いや、実際フィロさんは混じり気なく僕と同じ人間らしいのだけれど。
 ──というか、人間だったのか、と。『特区』の内情の一部とか、"旧き世代"が地下で面白おかしく暮らしているとか、驚愕ポイントは余りにも多かったけどフィロさんの話の中で僕が一番驚かされたのは実はそこだったりする。てっきり魔物なのだと思っていたけれど、そうではなくて古竜の目を貰った人間なのだと──なら、どうして君は『特区』に? というのは流石に無神経すぎて聞けなかった。

「フィロさんも大変ですねえ……。まあこれでも食べて元気を出して下さい。そういえばどうして剣持ってかなかったんですか? 今も持ってないし。あの物々しい奴ですよね」

 代わりに茶請けのクリームケーキを自分の分もどうぞと勧めながら、別のことをたずねた。
 ぱ、と瞳が輝くのが解かった。フィロさんは甘いものがすごく好きみたいだ。喫茶室の甘味を気に入ったみたいでさっきから美味しそうに、その時ばかりは幸せそうにしていたのを思い出す。一口クリームを口に運んだ瞬間から、フィロさんのどんより加減は幾分マシになっていた。僕の質問にも答えてくれる。

「ん? ああ、ミケルに逢った時に佩いておったのは"咎討ち(ブラム・ノッカー)"と"黒帳(ドゥンケルハイト)"か。一本は留守番、もう一本は他の剣と共に術士の元に調律に出しておる。──それに、学院内で剣を下げてうろつく訳にも行くまい」

 ケーキを食べ始めていたフォークと口を途中で止め、「幾ら地下暮らしが長いとはいえ、私とてその程度の常識は弁えている」とフィロさんは小さく胸を張った。
 ──案外武器携帯してうろついている人も少なくないんですけどね、この学院。という事実はあんまり褒められたことでもないので、秘密にしておいた。

「それで、ミケル。私の事情は解かって貰えたならば……協力してもらえないだろうか? 礼と言えるほどの事はあまりできぬのだが」

 申し訳なさそうに上目遣いに僕を見たフィロさん。そんな顔する必要ないのに。
 僕は首を横に振ってから、安心させるように笑って見せた。

「いいですって。僕、前にフィロさんに助けられたようなものだし! 困った時はお互い様、でしょ? ……で、僕は何すればいいんですか?」

「ありがたい。……ミケルには、ソルティレージュ嬢の所に案内してもらいたいのだ。私は、流石に院内の詳しい配置やクラス分けなどは知らぬゆえ。一刻も早く手紙を届けてしまいたい。それまではこの情けない仮装を脱げぬからな!」

 僕の言葉にほっとした様子から一転、急転直下。低くも血反吐を吐くような叫びだった。女装のままだからか、竜眼だという虹色の目の方が隠されているからか、少々迫力に欠けるが切実そう。僕にはどういう仕組みになっているかわからないのだけれど、御遣いを果たす前に脱いだら判る仕掛けになっているらしい。
 こう言っては何ですが似合ってるから別に暫くそのままでもいいんじゃないですか。違和感なく校内に溶け込めるくらいには馴染んでますよ。
 ……いや、言うのは辞めよう。何も僕が追い討ちをかける必要はない。言葉というのは時に鋭い刃になるのだから。
 とりあえずもう一個ケーキを注文して、フィロさんに英気を養ってもらってから、僕らは喫茶室を出た。


「こっちですよ、フィロさん」

「ミケルは流石通い慣れているだけあるな。似たような部屋がこんなに多いのに」

 ちょっと先立って連れて行っただけなのに、尊敬みたいな目を向けられると少し気恥ずかしいような、嬉しいような。
 中庭でフィロさんがきょろきょろしていたのは、どうも学院の構造への戸惑いが強かったらしい。格好が格好だけに不審者扱いされたくなくて、誰にも話しかけられず困っていた所でたまたま僕が通りかかったとのこと。縁が結ぶ偶然ってあるものなんだなと、少し思う。

 そんなこんなでフィロさんを案内して向かった先はハルトマン導師の教室。仮令ソルティレージュさんが留守でも、居場所の心当たり位は聞けるだろうと踏んでのことだ。
 ──が、行ってみると何やら教室の周りに人だかりが出来ている。何かあったのだろうか?
 こういう風景を目にすると、『アルコ・イリス クロニクル』の雑用係にして新聞サークル員の血が騒ぐ。

「ちょっと失礼しますよー……って、えええええ!?」

 人ごみを掻き分けて何の気なしに教室内を覗き込んだ僕は、目の当たりにした光景の予想外さに思わず叫んでしまった。くっついて来たフィロさんも少し目を丸くしている。
 僕が見たのは、教室内に机や椅子がばらばら飛び散り、ひとらしきものが思いっきり床にめり込まされ、その傍らではソルティレージュさんがまるで汚物を見るような冷え切った眼差しを向けているという、まるで劇画のような光景だった。

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最終更新:2011年07月06日 22:52
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