※ 今回は銀狐さんちのソルティレージュ嬢をお借りしています。あと許可済みですが婚約者捏造。修正希望には従いますのでその時はご連絡ください。
※ またまた異性装表現が含まれますので苦手な方、不快に思う方は自己防衛してください。
月光もかくやという緩く波打つ長い白銀糸を南窓からそよ吹く風に棚引かせ、床にクレーターを造り沈んだ人型の"何か"を冷たく睥睨する紫眼の少女はこの世の者とは思えぬほどに美しく。
同時に僕──ミケルの心胆を寒からしめるには十分な迫力があった。じいちゃんばあちゃん僕が睨まれている訳じゃないのに寒気がとまりません。
精緻に整ったソルティレージュさんの面差しは笑えばきっと凄く愛らしく綻ぶのだろうけれど、怒りか拒絶か何にしろ硬い表情を浮かべていると元が綺麗なだけに却って空恐ろしい。
「あ、あの……これは一体どういった状況なんですか?」
余りのことに暫く固まった後、僕は思わず、周囲で事の成り行きを見守っている野次馬やハルトマン導師クラスの生徒に事の次第を尋ねた。
結果、いくつかのことが直ぐに判明した。
床に埋まっている"誰か"は真祖の吸血鬼で、ソルティレージュさんの婚約者らしいということ。
「夜の国」から彼女を追いかけてこの学院に転入してきたらしいこと。
クラスにわざわざ押しかけてきて、ソルティレージュさんが拒否っているにも関わらず──熱烈にアプローチを仕掛けた結果が現状とのこと。
怖い! 吸血鬼の修羅場って怖すぎだ! どんだけ命がけだよ!!
「成る程、嗚呼、あの者が半身を灰にされたと噂の……」
隣に居たフィロさんがポツリと呟いて教室内の倒れているひと(のようなもの)に視線を遣っていた。
あれ、なんかフィロさんは多少事情がわかっているみたい? しかも何か物凄く物騒な言葉の出たような……どういう噂なんですか、と聞きかけた辺りで、状況に変化が起きたのか、周囲がざわめいた。
それにあわせて教室内に目をやると──ぼたぼたと、常人なら失血でとうに気絶レベルの流血と怪我で全身を朱に染めながらも、クレーターの中心点に倒れていたひと(吸血鬼?)が"むくり"と起き上がった。
吸血鬼、別けても真祖は美形揃いだと物の本に書かれていたけれど、多分に漏れず起き上がった彼も芸術品のような美貌の男性だった。
実年齢は見た目で判断できないけれど、少なくとも外見は20代前半位に見える。均整の取れた痩身で、背はソルティレージュさんと比べると相当高かった。
胸に輝く七芒星(ヘプタグラム)──僕と同じ学院の制服を着ているのに、夜会服のように優雅に見えるのは、黒というのが吸血鬼に似合う、夜を連想させる色だからだろうか。
輝かしい長めの金髪を臙脂のシルクリボンで緩く一つに括り、繊細な細工の銀縁眼鏡──皹の一つも入っていないのが不思議だ──の向こうの瞳は、アーモンドの形をしたそれ自体も宝玉のような見事なガーネットアイ。
柳眉の下の白皙の面は秀麗と言って良い──顔面を強打したのか、未だ流れっぱなしの鼻血の所為で色々台無しになっているけれど。
「嗚呼、愛が痛いよ……ソルティレージュ。照れ屋さんだなあ、キミは。しかし、ホントお転婆さんだ。さっきの一撃なんか、ボクが祖由来の"無限回帰"の力に目覚めていなかったら、三日くらい昏倒していた所だよ?」
あまやかな低音で囁いて、へらりと笑う。その間にまるで時が逆巻くように血が彼の身体に還り傷が消えていく。
これが今しがた彼の口に上った"無限回帰"って奴ですか。吸血鬼にしてもタフすぎますね、このひと。いろんな意味で。
正直、貴方が負わされた傷は「照れ隠し☆」で済まされるレベルを遥かに超越していると思うのですが。
「貴方に傾ける愛など欠片足りとて持ち合わせていませんわ! 私(わたくし)がこれだけ拒否しても照れだと脳内変換できるとは、随分とまた幸せな思考回路ですこと!」
男の主張を真っ向から切り捨てた、鈴を転がすような美声は怒りと呆れで微かに引き攣れていた。……苦労しますね、ソルティレージュさん。
「ボクは毎日とってもハッピーさ! キミへの愛に目覚めた瞬間からね!」
大仰な、芝居がかった仕草で胸を張り──皮肉にも動じない思考回路は確かに本当にしあわせそうだなあ。
見ている分には可笑しいひとで済むけど、関わると死ぬほど振り回されるタイプだ。これが今流行の残念な美形って奴か。
僕が内心ソルティレージュさんへの同情を禁じえずに居る間にも、男のひとのアプローチは続いていた。寧ろどんどん熱を帯びていく。
「今でも毎日夢に見るよ。忘れられない……ボクが恋を自覚した瞬間のことを! 力づくでボクをねじ伏せた君の凛々しい姿……一撃でボクを壁に叩きつけ、その後も有無を言わせぬ拳の雨がボクの意識を奪った。朦朧とする意識で見たキミの紫の瞳は、冷たい蛇のようで、輝く宝石のようで……この世界で一番、気高く美しかった。心臓はわし掴まれたように早鐘を打ち、身体がざらざらと崩れ落ちるのも気にならないくらいにボクの心はキミでいっぱいになった。落雷に打たれたような衝撃の中、ボクは思ったね。これこそが恋だと!」
恋っていうか……変、じゃないでしょうか。正直毎晩殺されかけた体験を夢に見るのって相当な悪夢だと思います。
周りの人も似たようなことを思っているのか、割と生ぬるい視線で見ている人が殆どだ。
横のフィロさんを見ると、何だか妙に感心したような顔をしている。ちょ、あのひとに感銘受けたりしちゃだめですよ!
「いとしのソルティレージュ……キミがボクを変えてくれた。あの日、キミの手でこの身の半ばが灰に帰された運命の日……如何に今までの自分が愚かでどうしようもない存在だったか思い知らされたよ。それまでのボクはどうしようもない。キミが怒るのもムリはない、どうしようもないブタだったさ。でも、あれからボクは変わった! 二年をかけてキミへの愛だけに生きるために! もう、放蕩息子とは誰にも呼ばせない! 家も長老たちの思惑も何も関係ないよ。このセルクル・イスタ・ジュト・エテルネル、改めてキミに結婚を前提としてお付き合いを申し込ませてください!」
行った! 思う存分滔々と語ってから、吸血鬼の男性──セルクルさんというらしい──はソルティレージュさんに抱きつきに行った。先程床にめり込むほど拒否されたみたいなのに、根性ありすぎる。
「言いたいことはそれだけですか。……まったく、レディを誘う礼儀がなっていない男ですわね」
迸る熱情のままに突っ走ったセルクルさんを、迎えたのは凍土の声と、絶対零度の瑠璃紫。ソルティレージュさんの構えはあくまでもたおやかで、舞踏の如く軽やか。
けれど、彼女の纏う闘気というか魔力というかは──何となく"ぞくっ"とするという形で素人にも判る位で、フィロさんが小さく息を呑むのも伝わってきた。
「謹んでお断りしますわ。もっとエレガントな誘い文句を考えてからいらっしゃい」
真っ向から突き出される拳は魔力を帯びて仄かに輝いても見えた。軌跡は疾くて僕の目ではとても追いきれない。どうにかギリギリ、って感じだ。
そのままソルティレージュさんの一撃は、セルクルさんに回避させる暇も与えず迎撃する!
"ごがっ!"
白い繊手が奏でたとは思えぬ異音を立てて、セルクルさんのテンプルが見事に打ち抜かれる。普通ならその時点で吐瀉物を撒き散らして気絶コース確定だが、流石は真祖。この程度では落ちない。
それを見越してか、軽やかに制服の裾をはためかせて、上がったソルティレージュさんの膝がセルクルさんの顎に追撃を入れる。見事な膝蹴り。やはり先程と同じく衝撃音が響き渡る。
セルクルさんは最早悲鳴も上げられないみたいだ。物凄く痛そうだ……というか、タダの人間なら骨折どころ頭がもげてる気がする。僕は内心ガクブルでした。
「凄まじいな、彼女。打撃のトップスピードを維持したまま、当てた衝撃を逃がさせぬように"曲げた"ぞ? 吸血種の特性"霧散"を攻撃的に活用するか。──面白い」
心底感心した面持ちでフィロさんは顎を片手で擦っていた。なんか目、キラキラしてるし! あれですか、フィロさんもしかして、強い相手見るとワクワクしてくるタイプの人なんですか。
「フィロさん、冷静に解説しないでー! これストップかけたほうがいいんじゃ?」
この調子だとソルティレージュさんの圧勝っぽいけど、セルクルさんは多分先程の様子からして直ぐに回復してしまうんだろう。つまり、殴り倒されては回復しての繰り返し……"無限回帰"っていうか"無限地獄"なんじゃ。それも何かかわいそうだし、このまま膠着が続けば導師陣が駆けて来るのも時間の問題──学院内では割と騒ぎは日常茶飯事だから余程大規模だったり長時間に及ばなければ来てくれないとも言える──だ。
「否、必要あるまい。直、終わる」
フィロさんの宣言は本当だった。ソルティレージュさんも僕が考えていたようなことは想定内だったんだろう。
"くたん"と頭部を揺らされて一瞬意識がなくなったらしいセルクルさんの頭を、片手で掴んだかと思うと、
「──ごめんあそばせ」
セルクルさんが"はっ"と意識を取り戻した時にはもう遅い。清々しく微笑んだソルティレージュさんは、成人男性を軽々と振りかぶり、開いたままになっていた南窓目掛けて投げ飛ばした!
「ソルティレージュ、マイラアアアアアアアアアブ!!!!」
──魂の叫びを残して、セルクルさんは星になった。
そんな比喩が使えてしまうくらいに遠くまで投擲されていったことは確かだ。
なんかえっらい幸せそうな顔で飛ばされていったように見えたんですけど。……ドエムなんだろうか、あのひと。まあ吸血鬼は飛べるはずだし死にはしないんじゃないかなあ、多分。どっちにしろ当分戻ってこられないだろう。
「……ふぅ。あ、皆さんお騒がせして申し訳ありません。折角の休み時間が台無しになってしまいましたわね」
"ピシャン!"ともしもに備えて開いたままの窓を締め切り、漸く厄介な婚約者?を片付けたソルティレージュさんは埃を払うように両の手を合わせて叩いた後、申し訳なさそうに周囲に謝罪の声を向けた。
しかし、どちらかというと同情されるべきはソルティレージュさんだろう。ストーカーに甘い顔を見せると付け上がるって言うしね。それは周りも同意見の人が多かったようで、「気にしないで」「災難だったね」「お疲れ様」「かっこよかった!」「お姉さまって呼んでいいですか?」──なんか最後はおかしかったけど、兎も角、概ねみんなソルティレージュさんの健闘を称えながら、教室の散らばった机や椅子を戻す作業を、誰からともなく始めていた。僕たちもそれに混ざる。錬金術や物質修復術の心得がある生徒たちは、いち早く動いてクレーターが出来てしまった床を直そうとしていた。
「皆さん……感謝いたしますわ」
ソルティレージュさんは心から安心できた様子で、やわらかい微笑みを浮かべてから、自分も教室を元通りにする作業に奔走していった。
大勢いた野次馬がみんなで手伝えば、大変な作業も直ぐに片付いて──程なくハルトマン導師クラスは常態を取り戻していた。同時に休み時間もあと少しになっていた。
まずい。フィロさんの用事、早く済まさせてあげないと! なんかもういいんじゃね?みたいな気持ちになりつつあるけど、やっぱり女装のままは精神的にしんどいだろうし。僕は考えるより早くソルティレージュさんに声をかけていた。
「あの、ソルティレージュさん! この後お時間ありますか?」
「……。……ナンパはお断りですが?」
先程のセルクルさんの件があった所為か、呼び止めた僕を見るソルティレージュさんの目が急激に冷えていく。
「ひ! ち、違います! 用事があるのは僕じゃなくって──」
「私です。真祖の姫君──御家名を捨てて居られる事は存じていますが貴女に敬意を表し、そう呼ぶことをお許し下さい。勉学に勤しむ貴重な時間を削って頂くのは心底申し訳なくあるのですが──少しだけ、貴女の時間を分けては頂けないでしょうか?」
生まれたての子馬のようにぷるぷる震えだした僕に代わって前に進み出たのはフィロさんだ。恭しく片膝をついて礼を尽くす──下手な人がやると笑えてしまうんだけど、フィロさんは物語の騎士みたいに様になってる。……女装であることに目を瞑れば、だけど。
「きちんと礼儀正しくお願いされては……お断りするのも心が狭い、というものですわね。良いですわ、お話聞かせて貰いましょう。丁度、次の授業は休講ですの」
少し思案の後、ソルティレージュさんの瞳から冷たさと険しさが消えた瞬間、僕は安心の余り腰が抜けてしまい──慌てたフィロさんに支えてもらう形になったとか些細なトラブルはあったものの。場所を移してフィロさんはソルティレージュさんに用件を伝えることになった。
そんなこんなで再度喫茶室。三人で一つのテーブルを囲む。今日は此処大活躍だが、適度に静かで適度に人が多くて、話をするのに向いている場所だから仕方ない。
「……まあ。この街にご先祖様と所縁ある"旧き世代"の方が居られるだなんて……驚きましたわ」
「手紙の主も、貴女が
アルコ・イリスに来られたことに驚いていたようでしたよ。それで、貴女の気が向いたらで良いのですが──叶うなら直にお会いしたいと」
此方が招待状です、と、フィロさんはポケットから黒薔薇の印章で封がされた手紙を取り出し、ソルティレージュさんへと差し出した。
「館は"少々"辺鄙な所にございますが──貴女でしたら問題なく辿り着ける土地です。予め、来訪お伝え頂ければ此方から迎えも出させて頂きますよ」
「考えさせて頂きますわ。丁寧なお誘い感謝いたしますと──お伝えくださる?」
「ええ、勿論。案件の方は色よい返事を期待しておりますよ」
頷いたフィロさん。その後もなんだか楽しそうに会話が続く。
…………。
何というかフィロさんとソルティレージュさんだけで話してると会話に入りにくいです! フィロさんが事情を話し始めた辺りから既に僕は何もいえない置物でした。
育ちが違うって言うか、エレガント空間って言うか! 僕は本物の貴族って見たことないんだけど、こんな感じ? 優雅な談笑を絵に描いたみたいな二人の傍は凄く座りが悪いです。美男美女──もとい美少女二人って感じだしなあ。
僕だけ場違いっていうか、案内が済んだ時点でお別れしたほうが良かったかなあ……ついその場の流れで着いてきちゃったけど、図々しかったかも。軽く後悔しながらオレンジジュースにストロー突っ込んでぶくぶくさせていたら、
「──ミケル、行儀が悪いぞ?」
「うひゃあ!?」
フィロさんに間近から覗き込まれて、僕は変な声を上げてしまった。
「あ、うー……すみません」
「否、謝るのは此方の方だな。……暇だったろう? だが、用件はもう終わったぞ。待たせてすまなかったな」
「え? ソルティレージュさんは?」
「嬢は先に戻られた。件の婚約者の件、導師殿に相談なさるようお奨めしたのでな」
僕がぼーっとしている間に其処まで話が進んでたの!? ていうか、ソルティレージュさんが帰ったのに全然気づかなかったよ。うわあ、恥ずかしい……いくらなんでもちょっとぼんやりしすぎだ。
気恥ずかしいのをごまかすように照れ笑いの後、気を取り直して話しかける。
「じゃあ、フィロさんの御遣い、無事に終わったんですね。直ぐ戻られるんですか?」
『特区(した)』に、と皆まで言わなかったけれどフィロさんには伝わったようだ。少し弱ったようにフィロさんは首を横に振る。
「いいや、私は暫く『地上(アルコ・イリス)』住まいだ。色々と他に用事もあるし──早々に帰ると却って皆に心配されてしまう」
なんでもフィロさん、休まな過ぎて一ヶ月ほど強制的な休暇を言い渡されたらしい。ワーカホリックか、この人。
でも、ちょっとだけ、申し訳ないけど嬉しかった。『特区』に居るんじゃそうそうフィロさんとは会えないけど、同じ街にいるならまた会えるかも。ゆっくりお話できたりしないかな。僕はあの、彼と初めて出会って彼に興味を持った日からずっと言いたいことがあったんだ。
「ちゃーんと骨休めしてください。何ならこの機会に観光とか。この街見所いっぱいですよ」
「そうさせて貰うとするかな。……正直、此方に来る時は概ね仕事か何らかの行事絡みであったから……『予定がない』というのは殆ど経験がないのだ」
何だか当て所ない様子でフィロさんは目を伏せた。偶にフィロさんは子供みたいな顔をする。こういう顔を見ると僕は何だか放っておけなくない気持ちになる。
お節介かもしれないけど、僕は『しない善よりする偽善』派の人間だ。
「あの、ガイド! いりませんか? 僕、この街の出身じゃないけど、新聞社でバイトしてて、今熱いスポットとか、お得情報とか詳しいし、地図も頭に入ってるし……お得ですよ?」
少しでも時間を潰すお手伝いをしようと売込みしてみる。今こそ、
ティムさんや記者さんたちに教えられたご当地"無駄知識(トリビア)"を生かすとき!
「案内をして貰えるのはありがたいが……新聞、社? もしかして……『アルコ・イリス クロニクル』か!?」
「そそ、そうです。最新のニュースから、お役立ちコラム、冒険紀行まで色々載っててお得ですよ。今なら定期購読すると石鹸の詰め合わせかサーカスの招待チケットもついてきます。フィロさんもいかがですか?」
思ったよりもフィロさんの食いつきがよくって、僕は我が事みたいに嬉しくなった。調子に乗って勧誘してみる。あ、でも『特区』まで配達はムリかな、流石に。
「いや、既に定期購読者だ」
オレンジジュースを口に含んでいなくて良かった。危うく吹き出すところだった。
ちょ、新聞って『特区』まで届けてるんですか!? いや上までフィロさんなり誰かなりが取りに来てるのかも知れないけど、それにしたって顧客選ばさなすぎだな!
「『アルコ・イリス クロニクル』は何時も楽しく拝見しておる。『特区(ちか)』に居るとどうしても時流に疎くなりがち故、とても助けられている。ああ、読者コーナーに匿名で投稿したこともあるぞ?」
驚きを隠せない僕にフィロさんは楽しそうに言った。歳相応の顔だ。どんな投稿したんですか。それは激しく読んでみたいな……。
「そうだ。じゃあ、こっちに居る間に新聞社に見学に来てみます? 何時も修羅場ってる職場だけど、愛読者を無碍にはしないと思うし……編集長に聞いてみますよ」
「良いのか? お邪魔でなければ一度行ってみたい」
僕がいい事思いついた、という表情で提案してみると、フィロさんは喜色に顔を輝かせて頷いたが──ふと面を曇らせた。
「……しかし、私はミケルに世話になりっぱなしだな。そうなると。ソルティレージュ嬢の件でも助けられたし、何ぞ、ないか? ……私は、お前にお返しがしたい」
少し弱った声。僕を真っ直ぐ見たネオンブルーの隻眼は真摯な色をしていた。下がった柳眉が、彼の申し訳ないという気持ちを代弁しているよう。本当に律儀な人だ。僕は好きでやってるのに。
でも、気にしないで──というのはこの場合、フィロさんの心を軽くする言葉じゃないよね。
「えっと、それじゃあお願いがあります」
そう僕が口にすると、フィロさんはパッと表情を明るくした。視線が何でも言ってくれ、と訴えている。僕は思わず笑ってしまいそうになるのを堪えた。何てわかりやすくって、かわいい人だろう。──あ、これは男の人に抱く感想じゃないな。格好に眩まされてると思っておこう、うん。
それかけた思考を戻して僕は口を開いた。丁度いい。ずっと言いたかったことを彼にお願いしよう。
「僕と、友達になってください。そうしたらこう、貸し借りとか気にしなくて良いでしょ?」
友達は見返りとか求めないもんだ、っていうのが僕の持論。そりゃ一緒に居ればそれで利を得たりすることもあるけど、それだけを目当てにお付き合いするのは何か違う。少なくとも僕は、そう思ってる。
フィロさんはぽかんとして──それから、耳まで真っ赤になった。完全に予想外だった、という顔だ。
「わた、……私、……おれ、と? と、友達に……ミケル、が」
フィロさんむっちや混乱してるよ!? 一人称変わってるし! レアだ……。でもこの反応は『だが断る』っていう雰囲気じゃないよね。もう一押しかな。
「そうです。まあ改めて宣言するのも変な話だけど……こうやって一緒に過ごして、お話して……これって普通にもう『友達』じゃないかな、って僕は思うんですけど……だめですか?」
「だめじゃ、ない。……うれしい」
何時もの硬い古風な喋りより、たどたどしくてやわらかい声。嬉しさを隠し切れない、そわそわした雰囲気で、フィロさんは首を横にふった。
「俺は、あまり友達が居ないから……勿論、『特区』のみんなはよくしてくれるけど。ミケルが、俺の友達になってくれるならすごく、うれしい」
フィロさんは、きれいに笑った。
ふんわり、って、花が咲くみたいに──完全に男の人にする形容じゃないけどそうとしか言いようがなかった──これ以上ない笑顔。
似た表情を一度見たことがある。長だって言うドラゴンさんの話をしてた時、あれに近い。それより人目がない分、もっと砕けてるかも。
「じゃあ、今日から友達! えっと……よろしく、フィロ」
全開笑顔のフィロさ──フィロは心臓に凄く悪かったので、僕も照れたと装って少し視線を逸らしがちに僕も言葉遣いを崩す。ついでに掌も差し出した。握手を求めるように。
「こちらこそ、改めて宜しく。ミケル」
フィロは正しく僕の出した手の意図を汲んで、自分の手と繋いでくれた。当たり前だけどフィロの白い手は暖かい、生きた人間の手だった。つくりものみたいにも見える華奢な手だけど、実際触れた掌はちょっとごつごつがさがさしてる。きちんと鍛錬を積んで武器を使う人の手だ。ペンダコもあるのは書類仕事してるからなんだろう。少なくない傷跡もあるみたい。
人間が『特区』の「若様」をするのはやっぱり大変なんだろうな。交わした握手から僕はその一端を感じた。掌はよくその人の人となりを語ってくれる。
僕は特別にフィロに何かして上げられるわけじゃないけど、せめてこっちに彼が来る時息抜きする助けくらいはしてあげたい。
僕の人生の中でも、多分そういないだろう変わった友達ができた日──僕はひっそりそんなことを誓った。
最終更新:2011年07月06日 22:52