「少し疲れれば眠れるだろう。こんな時間になってしまったが、皆の"砥ぎ"をしようではないか。近頃は、クーシュに任せることが多かったからな」
クーシュというのは、地上に住まう『特区』協力者の一人であり、術具店の店長をしている有能な錬金術師だ。魔剣たちの細やかな調律などを請け負ってくれている。
とはいえ、クーシュにだけ調整や砥ぎを任せ切りにするのは少し心苦しい。俺自身の手で剣たちを労わってやりたくもあった。
近頃さびしい思いをさせてしまった罪滅ぼしでもある。この眠れぬ夜の空き時間は絶好の機会だった。
魔剣たちには反対はないようだった。嬉しそうに見える。やはり剣としては"砥ぎ"の時間は楽しみなようだ。
同時に、現界のできぬほかの剣たちから小さく鍔鳴る音が聞こえる。あちらも構って欲しいのだろう。
だが、流石に部屋の全員を相手にするとなると、やっぱり徹夜ということになってしまうので、今夜中には無理な話だ。申し訳ないが、またの機会を待ってもらうことにしよう。
「他の皆はまた近いうちにな? 今夜は、"黒帳"たちの番とする。──ひとりずつ、おいで」
促せば"霊素物質変換"による精霊体の現界を解除していく魔剣たちを、手近なところから順に手にとっていく。
柄を片手で握り、もう片方の手で鞘を抜いてから、指先で丁寧に切っ先へと触れた。先端から根元へ、刀身をゆっくりとなぞる。労わり、撫でる。
皮膚が切れる心配はない。刃は少しも恐ろしくない。彼らは俺を傷つけないと知っている。彼らは俺の朋。物心つく前からずっとそうだった。
俺の持つ属性は四大に含まれぬ『空』──もっと細分するならば『剣』そのものが俺の先天属性である。
ロゼや父様の見立てによると、俺は先天的に有する属性の影響が強過ぎて、体系適正すらそちらに引きずられてしまっているらしい。
完全に一長一短の特質で、剣に関わる術式ならば、魔術、法術、何れであっても体系に関わらず使いこなせるのだが、それ以外はからっきし。
中でも、切り裂き、破壊することが本分である『剣』と相反する治癒系、創造系の術は致命的に不得手だ。必ずといっていいほど真逆の効果を発揮してしまう。
基本的には人に物を教えるのは嫌いではないロゼをして「お前が使う真っ当な治癒術は怪我人に対する最後のトドメになってしまうようだね」と匙を投げられてしまった程である。
ただし、剣を直したり作り出すものは別だ。なかでも"直す"ことにかけては格別の儀式や詠唱、動作などを用いずとも行える。勿論直す為の時間は相応に必要だったが。
"砥ぎ"も通常の武器職人が行うものと違って道具を一切必要としない。こうして触れるだけで事足りる。
目には見えぬ微細な傷を癒し、微かな曇り、汚れを落とす。彼らの有する力の流れが狂わぬように、ささいでも澱みは浄め、正す。
俺は先天的に身体がそういう術式を宿しているようなものだと以前見立てられた。剣を初めとする武具と親和し、万全の状態へと整えることのできる体質。武器限定の"癒しの手"を持っていると言ってもいい。
正確には、手で触れて"砥げる"のは、副次的なものであって、一番手っ取り早く魔剣たちを整えようと思うのならば──
「……っ、は」
表面の汚れや傷の類を指先で軽く落とし、簡単な魔力回路の調整を終えてから、"身体の中に"納めていく。
この部屋に他に誰かが居れば、その目には俺が己の胸に剣を突き立てているように見えたことだろう。
だが、切っ先が背に抜けることはなく、出血はおろか、痛みもない。寧ろ、己の内側に剣を迎え入れると腹がくちくなるような、曰く形容しがたい奇妙な満足感がある。
変成術の"武器収納(アブソーブ・ウェポン)"という訳ではない。術式ではなく、純然たる体質によるものだ。鞘が剣を収めるように、この身体は何処からでも剣の類を納めえる。
俺が魔剣たちを調律しようとするならば、こうして波長をあわせ身の内に受け入れてしまうのが一番良いのだ。
調整と修復の力は俺の魂、身の内側から湧き上がってくるもの。手指の先からはその一部が零れ出ているに過ぎない。
ひどく傷ついたり、力をなくしたり、ゆがみの生じた武具も体内に暫く収めておけば、癒して、正常に戻すことができる。
以前、折れた剣を頼まれて預かったことがあったが、時間こそかかったけれど持ち主の元に返すときには新品同然に直してやれた。
「……ん、ぅ……、あ、…ふ、黒帳、は、目に見えての問題はないようだが」
忠実な黒剣をすべて受け入れきると、細く喘ぐに似た吐息が零れる。身体のなかに埋まった魔剣のことは手で触れるより、目で見るより、ずっとよく解かった。
身体の一部になったかのように、正確に具合を診ることができる。そうして感じ取った"黒帳"は、全体的に傷も歪みも殆どない。
"黒帳"は七本の中でも飛びぬけて手がかからない剣である。恐ろしいほどに頑丈で、自己修復能力も高くできていた。彼の製造主はかの戦神、剣の産み手だとは本人の弁だが、それに納得がいく程の寸瑕無い造りである。
ただ、彼と過ごしてきた幾つもの戦のことが思い返された。彼の能力とその制御の緻密さには、ついつい頼りがちであるから。
「すこし、働かせ過ぎているな。いつも、すまぬ……」
《勿体無きお言葉。剣は使われることこそ誉れ。これからも存分に、我が身を振るい下さいませ》
「ふふ……、ありがとう、"黒帳"」
甘やかされてしまっている気もするが、ここは素直に礼を言っておく。
次に手に取ったのは、美麗な結晶剣。ずるりと身の中に沈めて、問題を感じなかったら、更に刀を、次いで揃えて拵えられた双剣を、続々飲み込む。
唇から零れる息には微かに熱が篭る。身体のなかに火がついたように、熱くて、少し重くて苦しいけれど、やはり不快はない。満腹になる感覚が、恐らく一番近い。満たされる。
「……っ、"宝石姫"、は、よしよし、刀身も力の流れも…曇りない、な。"六道薙"も、"罪喰い"も。クーシュの調律に…感謝、せねば。ことさら、俺の"砥ぎ"もいらぬ。ン、…綺麗な、ものだ」
《あら、それでも私たちは、皇子様の裡に抱かれるのが嬉しくてよ。至福でしてよ?》
《ああ、坊のなかはどんな拵えの鞘より居心地良い。ずっとこのままなかに入っていたいくらいですぜ》
《──………! ……!!》《フラトゥース殿。その言いようは下劣な勘繰りを招きかねませんのでご自重下さいませ。と、妻が申しております》
《え?! 下劣って、どのあたりがですかい!?》
《なかに入っていたい、のあたりではないかしら? かしら? あらあら、フラートゥスどのがドゥンケルどのにぽっきり折られてしまうところは、見たくないのだけれど……》
《いやいやいや、誤解でさぁ! 某、含みを持って言ったんじゃあねえですから!!》
普段ならば、色々と言いたいことも出てくるのだが、今は頭が回らず、あまり突っ込みを入れる気にもなれない。とりあえず解かっている、と告げるように首を縦に動かしておく。
身体のなかに剣を入れて調律、修復する方法には一つだけ大きな問題がある。身体のなかに武器を納めた状態になると、心身ともに余り動きたくなくなることだった。
一本位ならば入れたままでも問題なく動き回れるが、二本、三本と増えるに従って加速度的に身体も心も怠惰になる。
この状態では全く仕事にならぬので、基本的に調整の類はクーシュを初めとする術師や職人に任せることが多いのだ。
まだ体内で賑やかしい会話が続いているが、そちらからは一端意識をはずし、更に一本、短めの片手剣を身の内に飲み込んだ。
そこでほんの少し俺の眉が下がる。
「"咎討ち"は少し力が昂ぶっているか。この間、氷を溶かす時に大活躍だったものな」
《は い ひさしぶり に おおきく ちから つかったから たのしかった また つかってくださる ?》
「もちろんだ。……ただ、あまり荒ぶりすぎると刃が曇る。少し落ち着け」
《きを つけ ます しんこきゅう しんこきゅう》
きちんと昂揚を覚めさせるように苦心する"咎討ち"を良い子だと労わってから、新たに流体の金属という稀有な素材で形作られた魔剣を腹に入れる。
身体に入れるときに僅かにぴりりと引っ掛かるような気配がした。
「"因果鏡"。少し表面がざらついている、が……なに、朝には何時もどおり美しく滑らかになるとも」
《ありがたいねえ、幾つになっても女は肌艶が気になるものさね》
《傷があるのはいいことじゃない。ちゃんと、武器として使われてるってことだもの》
"因果鏡"の落ち着いたアルトが冗談めかして言うのを拾って、最後に残った一本は少しばかり羨むような、すねたような声を出す。
可愛くていとしい。本当は彼のことだって、存分に振るってやりたいのだけれど。
「"虚無の空"。そうすねるな。澱みや瑕瑾ないのは悪いことではないぞ。何れお前の力を借りることもあるだろうよ。その時はよろしく頼む」
《解かってるよ、フィロさま。……ただ、ちょっといいなあって思っただけ》
いたわりをこめて、他の剣たちに下よりも時間をかけて撫でてやると、"虚無の空"は少しすまなそうな波長を送って、一度黙った。
そうして、大人しくなった"虚無の空"を──神代文字がびっしりと刻まれた銀柄を納めきると、俺のなかはすっかり彼らでいっぱいになっていた。
普通の剣と彼らでは一本あたりの容量が随分異なる。普通の剣なら、十本単位で入れてもこうはならないのだけれど。
特殊な魔剣が七振りでよかった。頑張ればもう二、三本入れられるかもしれないが、その場合は意識がまともに保つか少し怪しい。
「……っ、ん、さ、すがに、七振り、ぜんぶ、呑んだのは……久しぶりだから、な。力が、全く、入らん……」
今の俺は怠惰の極みであった。四肢はぐんにゃりと脱力、弛緩して、骨の抜けてしまったよう、床と仲良くなるばかり。
それでもどうにか、枕と毛布だけはのろのろ手繰り寄せて包まり、枕へと顎を乗せる。
このまま、夜明けまで休んでいれば、七振りの魔剣は皆元気になるという寸法だ。眠気もやってくるし、丁度いい。
強制的な眠りと言えなくもないが、眠れないよりずっと良い。重くなり始めた目蓋を落とし、身を丸めて休もうとしたところで、"黒帳"の声が引き留めた。
《──皇子、ご就寝の前にひとつお願い申し上げたいことがございます》
「なん、だ? 言ってみろ」
"黒帳"が『お願い』などと口にするのは珍しい。俺は思わずきょとんと一つ目を瞬いていた。
だらけつつある意識をどうにか纏めて明瞭を保とうとしつつ、騎士剣に続きを促す。
《明日からの祭日、皇子がエラバガルス殿とお過ごしの間、我ら護剣は揃ってお暇を頂きたいのですが》
「……。構わぬが、妙な気は遣わなくとも良いの、だぞ?」
どれほど頭が働くなっていても、気遣われていることくらいはわかる。暇乞いは恐らく、俺が父さまと出かけるから邪魔をしないようにという配慮なのだろう。
俺としては別段、一緒に来てくれても構わなかったのだが。
《あの方とご一緒ならば万が一ということもありますまい。このような機会などそうなきこと。親子水入らずでお過ごし下さいませ。勿論、お声かからば直ぐにでも参りますゆえ、いざという時はご遠慮なく》
そうまで言われてしまうと、無碍にもできずに解かった、と頷いた。彼らだって、俺にかかずらうことなく過ごす時間は必要であろうし。
「休暇を与えるのだ。そうそう呼ぶようなことはせずにおきたいよ。お前たちには何時も助けられてばかりだからな。小遣いも出そう。お前たちも祭りをしっかり楽しむと良い」、
《ありがとうございます、皇子様。折角ですもの、私たちも地上でそれぞれに祭りを楽しむことにいたしますわ? すれ違うかもしれませんわね。楽しみだわ、とても楽しみだわ!》
《破目を外し過ぎるんじゃねえよ、"宝石姫"。某らは正式な身元があるわけじゃねえ。旅人のフリをして、行儀よくすごさねえといけませんぜ》
《もしならず者に絡まれたら綺麗に飾っても良いのかしら? 遊んでもいいかしら?》
《……。皇子らに迷惑のかかるようなことがあれば、永年の命、我にそこで砕かれると覚悟の上ですべてを成せ》
《もう、ドゥンケル殿は冗句が通用しないのね。堅物なのね。仕様がないわ。折られたくはないわ。……フ、フラートゥス殿、"宝石姫"をエスコートしてくれないかしら? 独りではやりすぎてしまいそうなのだわ》
《はは、構いやせんぜ、お姫様。ご婦人方が好みそうな催しも数多いようだ。ただし帰りにゃ酒を一杯、引っ掛けさせてくだせえよ》
《……♪ ──、──》《シンとイータも夫婦で見物、遊山と洒落込みましょう。お土産も購って参りますね》
《この時期は人が多いからねえ、"咎討ち"や、この婆の手を離すんじゃあないよ》
《まいご や だもの ね。 すごく たのしみ あめちゃん かうの》
体内で響く、剣たちの楽しそうなさざめきは心地よい。どうやら気を使われているばかりでもないのかも知れぬ。
純粋に彼らもまた祭日を楽しみにしているようだ。俺が暇を見ては月虹祭の話ばかりしていたからかもしれぬが。
《ね、フィロさま。俺も、良い? 地上に行っても……》
潜めるように遠慮がちにかかった声に、俺は直ぐに頷いた。"虚無の空"だ。
不安を払拭するように、俺は散漫になりがちの意識を叱咤して、確りと言葉を紡いで返す。
「当たり前だろう。ほかの皆に休みをやったのに、お前にだけやらないとか、どんないじめだ。普段は余り外に連れていってやれぬからな。この機会に遊んでおいで。不安なら"黒帳"と一緒に行くと良い」
《うん、そうする。"黒帳"……頼む。フィロさまを煩わせたくない》
《心得ました。他は兎も角、"虚無の空"はひとりにしておくのは不安ゆえ》
《失礼な奴だな。煩わせたくないって言っただろ? 暴れたりしないよ》
"虚無の空"は"黒帳"に対しては少し複雑な感情を抱いている。"虚無の空"は、俺にとても懐いてくれているのだが、その分、俺が"黒帳"を頼りにしていることに対して若干の対抗意識があるらしい。
だが、仲は決して悪くないようで、なんだかんだで"黒帳"が気の置けぬ様子で話しているのは、"虚無の空"を除けば、後は付き合いの古い様子の"六道薙"くらいのものだ。
俺が言うのもなんだが、"虚無の空"は少しばかり世間慣れしていないところがあるので、剣たちの中でも何かと面倒見良く、経験豊かな"黒帳"と一緒に過ごすのは悪いことでないように思う。
「……ふふ、くれぐれも、喧嘩は、するでないぞ」
《はーい。あ、何かあったら俺たちを呼んでよね! 俺たち、絶対絶対急いで駆けつけるから!》
《御意。もしもの時はお任せあれ。ですが、ご無事を、楽しき祝祭を過ごされますことを願っております、皇子》
「ん、ありがとう。二人揃えば無双の働きぶり、だからな。……他の皆も、だが、頼りに、している」
忠実な魔剣ふたりの声に、自然と笑みがこぼれた。
"虚無の空"と"黒帳"を存分に振るう機会となると、彼らには申し訳ないがそうそうあっては困りもするのだが、気持ちは嬉しい。
快い気分のまま、倦怠に任せて俺が唇と目を閉じると、魔剣たちの話し声は潜められていく。それでも密やかに聞こえるやり取りは、より近くに彼らの存在を感じさせて──嬉しく、安らかだった。
満たされた暖かいような心地の中で、俺の意識は望んでいた通り眠りの海に沈んでいった。
そうして見た夢は、楽しくて賑やかな祭りの夢。
彼らと、家族と、月明かりの下、虹の祭日をどこまでも一緒に楽しむそんな夢だった。
──夢が、完璧にその通りとは行かずとも、おおよそ望んだように叶うまであと少し。月と虹の祭日の始まりは、もう直ぐそこまで来ていた。
最終更新:2011年07月06日 22:59