鉄の腕

夏草が、揺れていた。
街道を渡る風は、砂埃を軽く巻き上げながら、青々と草の生い茂る丘へと吹き寄せる。
その風に煽られて、一流の大旗がゆったりとはためいていた。
頭上に虹を戴く、短剣を掴んだ大鷲。“七つの色を持つ街”アルコ・イリスの主戦力、虹剣兵団・重装歩兵隊の紋章である。
丘の上から大鷲の大旗が見下ろすのは、街道に布陣した騎兵隊。青地に羽持つ獅子の紋章は、彼らが西方の大国、ワローニア共和連合の騎士であることを示していた。
騎士従卒を含め、200人程の部隊である。捧げ持つ槍の穂先は、きらきらと陽光をはね返し、その整った軍装を誇示するようだ。
それに対して、丘の上の彼らは、100人にも満たない。携える得物も片手半剣や槌矛など、各々の勝手気ままに任せられている。

「皆、掛かれ」
呟いたのは、騎士の中でもひときわ華美な甲冑を身につけた、馬上の男爵“バロン”。その位を表わすサーコートが、風になびく。
脇に控える従卒の吹き鳴らす角笛が、騎士達に主人の命を告げる。彼の敵を押し潰せ、と。
軍馬の嘶きが角笛に応え、岩より硬い蹄鉄が夏草を蹴る。
徒歩の従卒らを後に残し、騎士達がじりじりと丘へと迫る。
はじめ緩やかだった足取りは、次第に勢いを増し、やがて横隊が丘の斜面に差し掛かる頃、騎士達は愛馬の横腹を強かに蹴りつけた。
敵を貫く必殺の戦法、騎馬突撃“ランス・チャージ”である。

その必殺の疾駆を、虹剣兵団の面々は丘の上から為す術無く、漫然と見下ろしている。
か、に見えたその時。
草原に歌声が響き渡った。朗々と、女声の独唱である。
大地を踏み割る軍馬の足音にも負けぬ、戦場を包み込む歌声。
その歌声の主は、大鷲の大旗の直下。
長いローブを着た女が、手にした杖を振りかざしながら、歌声を放っている。
声は杖に触れる先から、中空で光の粒と化し、草原を飛び回る。その光の粒子ひとつひとつが、女の声であり、歌なのだ。
騎馬が奔る。歌が響く。
やがて騎士の構える槍の切っ先が、歩兵隊に届くまであと一呼吸となった時。
歌が、弾けた。

歌の運び手であった光の粒が、草原のそこここで炸裂し、七色のまばゆい光線を周囲に放射する。
その爆光に慌てた軍馬が、嘶きと共に竿立ちとなり、あるいは前脚を折った。
騎上の騎士はその愛馬と運命を共にし、夏草の中へ倒れ込む。
その醜態を見下ろした歌い手が、不敵な笑みを浮かべた。
「呪法歌―『虹彩陣“スペクトリア”』。大丈夫よ、怪我はしないわ」

圧倒的な光の濁流は、従卒らと共に丘の下に残った男爵騎士をも包み込んだ。
慌てふためく馬を、すんでのところで落ち着かせ、眩んだ目で丘の上を睨む。
「陣形を立て直すぞ………、っ?」
従卒に下命しながら周囲に視線を運んだ時、視界に見慣れないものを捉えた。
ざわざわと揺れる夏草から、大空へと立ち上がる旗竿。その先には、地平線に射し込む曙光の紋章。
耳を圧するのは、打ち鳴らされる金鉦の甲高い響き。そして野太い男の声。

「者共ォォ、かァかれェェェェ!!」
男は被っていた草色のマントを払い、街道へと躍り出た。
右手に持ったフレイルが、がちゃがちゃと鳴る。
土の道を疾駆する足取りは軽い。身に着けているのは軽い革胴で、伏兵奇襲にそぐわない重い装具は選ばなかった。
ただ左腕のみは、肩口から先が魔法銀“ミスリル”の鎧に覆われている。
複雑な紋様が刻み込まれた、大振りの籠手にも見える。
日に焼けた赤銅色の顔が、戦場の興奮に溢れる。しかしながらその両眼は、冷静に標的を捉えていた。サーコートの、大将首。
しかし男の前に立ったのは、早くも眩みから立ち直った従卒の一人だった。腰だめに構えた大振りの槌矛を、今にも振らんとしている。
ミスリル籠手の男の、疾走が乱れる。いや、故意にステップを乱したのだ。
地面にめり込んだ靴先が、夏の日射しに焼き固められた土塊を蹴る。
中空に舞う土塊は、男の狙い過たず、従卒の顔面に殺到した。
思わぬ大地からの攻撃に、従卒の視界が曇る。
「ぬゥいぃぃッ!!」
次の瞬間、男は大地を蹴っていた。脚を折ったまま宙を舞い、土塊に怯んだ従卒の顔に、容赦なく膝頭を叩き込む。
着地に要したのは一瞬。次の呼吸をする頃には、男は再び標的を目指す。
その男の後に続くように、あるいは周囲を守るように、同じく草の中から出現した十数人の戦士達が、躍動していた。

「下郎ッ、推参な!」
疾駆するミスリル籠手の男を見定めて、サーコートの騎士が叫ぶ。
男は誰何に応えることもなく、立ちふさがった斧槍の従卒をフレイルで打ち据え、なおも疾る。
「伏兵とは卑怯者め!この男爵騎士、ピエール・ド=リュクサンブールが成敗してく、ブっ!?」
すらりと長剣を抜き放ち、堂々と名乗りを上げんとした騎士は、その言葉を言い終えることが出来なかった。
男がその右手に持ったフレイルを、鋭く投射したのだ。重い分銅が、騎士の喉元を打つ。
「もォらったァ!!」「小癪なっ!!」
続いて男が見せた跳躍は、先ほどのものより高い。
武器を捨てて更に身軽になったことと、加えて跳躍の目的が着地ではなく、騎士への組み付きであるためだ。
しかし馬上の騎士は体勢を崩しながらも、渾身の力を込めて、長剣で空中を薙ぎ払った。
陽光を反射する刃が、咄嗟に防御した男の籠手に食い込む。
我武者羅に放たれた騎士の一撃は、籠手の手首の部分をがっちりと捉え、そして真っ二つに斬り割った。断ち切られた白銀の拳が、空中に舞う。
「奪った!」
激痛が襲うであろう男の行く末を確信し、騎士の口元が綻ぶ。
だが瞬間、手首を斬り飛ばされたはずの腕先が、その騎士の顔面に叩き込まれた。
折り重なり、馬ごと倒れ込む二人の身体。
周囲の草を薙ぎ倒しながら、馬が、騎士が、戦士がもがく。
やがてその動きが収まった時、男の拳の無い左腕が、騎士の首元にみっしりと絡み付いていた。
「リュクサンブール卿のお命、このクラウディオ=ブルンホルンベルグが預かった!!一同、剣引けぇい!!」
周囲を圧倒するが如き、男―クラウディオと名乗った―の大音声。
戦場にこの声が響き渡った時、丘の中腹で転倒していた騎士達は、未だ夏草の中に倒れ、埋もれ、起き上がることさえ終えていなかった。



「結局、リュクサンブール男爵の独断による私戦、というところに落ち着くようだ。我々は正当な自衛権を行使したにすぎない。ワローニアの諸侯院も、これで手を打つと言ってきている」
楽師の爪弾く四弦リュートの音色が、ゆったりと流れている。
薄暗いバーのカウンターに、二人の男。
話しているのは、仕立ての良いジャケットを羽織った、壮年の男である。
どこを見るでもなく、琥珀色の液体で唇を湿し、言葉を続ける。
「これは有事ではない、あくまでも辺境貴族の暴走だ。当事国同士の補償さえまとまれば、協定に基づく列強諸国の調停は必要無い」
「それがボルネフェルト師の見解、というわけか」
隣に座った、白銀の籠手の男が口を挟む。先頃の奇襲戦の立役者、クラウディオその人だ。
「随分と政治的じゃないか、ええ?今夜の軍事委員会参事殿は」
含み笑いを漏らしながら、氷を浮かべた葡萄酒のグラスを一気に干す。
「お前は気楽でいいな、クラウド。昔からその調子だ」
「変わらないのは、ボルネフェルト師の石頭の方だろう?」
「その呼び方はよしてくれ、今はオフなんだ」
険のある言葉を交わしていながらも、2人の口元には薄い笑みが浮かんでいる。
「あぁ。……で、ハインリッヒ。今日呼んだのは、そんな堅苦しい話をするためか?」
「例の話、考えてくれたんだろう、な」
「嫌だ」
カラン、とグラスの氷が鳴る。無表情のバーテンダーが、黙ったまま新たな葡萄酒を注いだ。
「俺には戦場の風が合っているんだ。ガキ共のお守りで学院の講師なんて、反吐が出るぜ」
「クラウド、お前の気持ちは分かる。だが……今回の戦、昔のお前ならあんな手傷は負わなかっただろう。違うか?」
「あれは…、………糞ッ」
籠手に包まれたクラウドの左腕は、前腕の半ば辺りでぷっつりと断ち切られている。
国から国を渡る遍歴の中、どこかの戦場に忘れてきたのだ、とは本人の言。
魔術付与された籠手を常に装着しているため、日常の生活に支障はないが、戦士としては本来不適であろう。
それでもなお、年を経ても前線に立ち続けているのは、クラウド自身の傭兵としての技量が群を抜いて優れているからに他ならない。
ワローニア諸侯の1人とはいえ、経験不足の若武者の一太刀を受けることなど、今までのクラウドにはあり得ないことだった。

「お前のような古強者を、つまらん小競り合いで失うわけにはいかん。死に場所は選ぶべきだ、そう思わんか」
「……軍監としての意見か?」
「友人の言葉さ。古い友人からの、な」
ワインの満たされたグラスを、鋼鉄の左手で掴む。その液面は、風に煽られる草原の如くにざわめいていた。
「なぁ、ハインリッヒ」
「なんだ」
「歳は……取りたくないモンだな」
「ああ」
ハインリッヒが酒器を干し、スツールから離れた。隅に控えていた供の者が、コートを持って近付いてくる。
「来週にも辞令を出す。学院では戦技と戦術理論を担当してくれ。お前、位階は無かったな」
「俺が杖を振り回す姿が想像できるか?」
「ああ、滑稽だな。第一階『熱心者“ジェレーター”』にでもしておこう」
「フムン」
「そう拗ねるな。空き時間が増えることだろう。冒険者稼業でもして、身体がなまらないようにしておくんだな」
「……とっとと帰りやがれ、糞政治家め」
「言われなくてもそうするよ。またな、戦場馬鹿」

その少し後、学院の実践派生徒達は知ることになる。
「新しい戦技教官に逆らうと、本当に鉄拳制裁を受ける」と。

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最終更新:2011年06月13日 14:41
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