「『特区』ねぇ……いいウワサは聞かねぇな」
虹の都
アルコ・イリス地下。遺跡だダンジョンだと入り組んだそこを、サークは歩いていた。
いつもと何ら変わりのない姿―地下に潜るものとしては驚くほどの軽装―で(なにせ塔を出たその足でここへ来たのだ)、渋い顔をしてひとりごちる。
さすがに冒険者上がりなので、これまで幾度か地下に訪れたこともある。
しかし今回向かう場所は、さすがに一冒険者では入り込めない……否、入り込もうとはしないところ。
立ち入り禁止やら警告やらの看板や柵をひょいひょいと飛び越え、『特別危険区域』と呼ばれる地帯、その一端へ辿り着く。
ぼんやりと光る苔の絨毯のかもす幻想的な雰囲気に息をのみつつ、鳴子の罠をふわりと飛び越えた。
「連絡とかしてねーんだろうな……さっきの今だし。"これ"がわかる奴のとこまで自力で行けってか」
ぽいとばかりにヴァレリオに渡された紹介状をポケットの上から確かめ、ややどんよりとした気分になる。
それを振り切るようにずんずんと足を進めてはいるが、無論気分が良くなるわけでもない。
なにせ先刻から鳥や獣の視線にただならぬものを感じている、ので。
ザザザザッと、静かに地下の森が鳴る。風の音のように聞こえるけれど、そう楽観できるほどサークは『特区』を侮ってはいない。
「(ん?そもそも地下に風って吹くのか?つーか囲まれた。仕事はえーよどーするよ。)」
踏み入ってからどれほど経っただろうか。たぶん麦酒を一杯空けるより短い。
無策無謀な自分を嘆きつつ、言われて来ただけだし策なんてあってもしょうがないし逆効果だし、と、サークの容量の少ない頭は重たく言い訳を繰り返す。
「エルフ」「危険」「立ち去れ」……語として感じ取れたのはそのくらいだろうか。
姿見えぬ多勢に囲まれざわりざわりと投げかけられる声はそのほとんどが魔物語で、
知識のないサークには読解の及ばぬものだったけれど、その身に帯びる"根源"の力が魔物たちの感情を知らせる。
地下は地上より"根源"に近い。此処では少し『無限依りし舵(インフィニットステアリング)』の枠を溢れた力が過ぎたおせっかいを働く。
『無限依りし舵(インフィニットステアリング)』がリミットをかけているのは力の量もあるが、多くはその性質。
'中身'を感じ取り、ひどい時には変質させる、"根源"が"根源"たる所以の力。
古く誰彼が"根源"に飛び込んでその身を剣へと変えたという神話だったか逸話だったかは、サークにとっては現実味のある話だ。
感じ取るのは割とストレスだし、捻じ曲げてしまっては寝覚めが悪い。
街では完全かと思われた封印も、少し"根源"本体に近づいただけでこれでは、早急にもっと強い枷が必要なのは明白だった。
「敵」だとか「排除」だとかの感情が伝わってこないのは単独な上軽装なため迷い人と見られているか、
あるいは―サークは知る由もないが―とある学生と同じ道をたどって来たからか。
「迷い込んだわけじゃねーし、危害を加えるつもりもねーんだけど……あー、レアルディーニって言って分かる奴いるか?」
囲む多勢にかけた声は敵意でもなく恐怖でもない色で、向こうが困惑する感情がくすぐったく感じ取れてサークは長い耳をぴくぴくさせた。
しばし届く感情を洗ったが、ヴァレリオの使いであると言って分かるような者はいなさそうだ。
このままここにいてもじわじわ追い帰されるのがオチで、それはできなかった。
「(なんか知らんけど狙われてるらしいしな……)」
届く感情の波が薄い方へ狙いをつけると、サークは前ぶれなく茂みに飛び込んだ。
姿勢を低くした身のこなしで、隠れながら自身を取り囲んでいた小柄なコボルト達のなかの一体の脇を獣のようにすり抜けて疾走。
エルフには森歩きの達人が多いものだが、それを加味してもそのスピードはほとんど四つん這いで走っているとは思えない……というか尋常ではなく、魔物たちは一瞬呆気に取られた。
「(逃げはしたけど撒けねーよなあ……)」
背後からは大きな鳥や、翼を持った魔物や、獣の足をした魔物が自分と同じスピードで追ってくる。
道無き道を風の様に走っているので、もはや迷子どころではない。元々どこに何があるのかも知らないのだが。
なんかものすごく広くないか、とサークが走りながら少し途方に暮れだしたころ、自身のスピードのせいで少しブレる視界に何か大きな建物が入ってきた。
「えっ、ここ?もしかしてお目当ての龍の家か?やったやった」
最大関門クリア―、と立ち止まりその建物を眺める。あまりに豪奢で大きな屋敷であるので、自然にヴァレリオの言った特区の主という龍の居住区だと思ったのである。
地下の空間は暗いかと思っていたのだが特にそういうことはなく、昼夜にあわせ光を放つ苔がそこここに群生していて地上との明暗の違いはほぼない。
潜る前は昼下がりであったので今はせいぜい夕暮れ時のはずだ。しかし、その屋敷の周りには苔による自然光はなく、いかにも地下、というより夜を連想させる暗闇があった。
もちろんの事、門は閉まっている。呼び鈴のようなものがあるのかと探したが見当たらず、しばし悩んだサークの耳に忘れていた追跡者の足音が届いた。
門を背にしたサークを半円状に取り囲んだ魔物が、先刻と違い姿を現し詰め寄る。
「エルフ」「帰れ」「何故分からない?」「エルフなのに」「頭悪い?」「なるほど」「なるほど」
「うっせーよだだもれてんぞコラァ!」
ポカッ
あっ。つい。手が。暴言というか暴思考に耐えられず手近な魔物をポッカリやってしまった。
もちろん無意識的に手が出た訳で、手加減をする余裕もなくイコールその魔物は目を回して昏倒。
「あー……やっちまった。失礼なこと思うからだ俺は悪くない」
言い訳を述べてみたがそもそも相手方は『思った』だけであり、「仲間殴った」「酷い」「よくも」とか引き返せない感じの感情が渦巻いていてあーこりゃ駄目だ乱闘だ、と腹をくくった。
そこからはいつものノリでちぎっては投げちぎっては投げ、とりあえず殺さないようにだけ配慮してぶん殴り倒していると、不意に背後の門がゆっくりと音を立てた。
ギギギギィ
と古めかしく鳴って、サークを内へと誘うかのように開いてゆく。
門の奥には美しい黒薔薇の生垣が広がり、アーチをくぐる暗紫の石畳が続く先に見える荘厳な扉の両側には二人、儚げな美しさのよく似た少年と少女が静かに立っていた。
その双子(とサークは思う事にした)はやはりサークを招くように、ゆったりと、しかしどこか無機質に扉を開く。
「入っていいってことか……?」
そろりそろりと邸内へと滑りこみ、おっかなびっくり奥へと進むと、音もなくその双子が背後についてくる。
振り返って見る人形的な美しさに、なんとも言えない気味悪さを感じつつ(なにせ気配や感情を感じない)、そこでやっと「あっ、イキモノじゃねえのか」と気づく。
付き合いのあった魔術師の話の中に、『自動人形(オートマタ)』というものがあった。実物がこれかと妙に感心しながら大股で歩を進めていると、滑るようについて来ていた『自動人形(オートマタ)』がサークの通り過ぎた黒樫の扉の前で立ち止まる。
「こちらだよ」
扉の奥から蕩けるような美声が響く。おお、やっと龍に会えるのかといそいそと扉に取り付き、遠慮のえの字もない勢いで開く。
ばたん、と館の雰囲気にそぐわない音を立てて開いた黒樫の向こうにいたのは、ソファに身を預ける麗しい女性。
白金の髪がしっとりしたソファに落ち、はらりと流線を形作る。透き通る黄金色の瞳は向けられたものの意思を弄ぶ輝きを湛えていた。
完璧な容姿とはこういうものかと思い知らされたサークはしかし、その色香――否、魔力に呑まれることはなかった。
「えーと、あんたが龍?」
「おや……君は面白いものに守られているね」
女性――リリアローゼは「しゃらり」とでも鳴りそうに優美な仕草でサークに近づき、細い指でサークの顎をなぞる。
あらゆるものを堕落させ恋慕の虜にする己の魔力がサークにカケラの影響も与えていないのを感じはしたが、その声にはむしろ好奇の色が浮かんだ。
「私は龍ではないけれど、遊んでいくかい?そうだ、名を聞きたいね」
「なんだ違うのかよ。俺はサークリフってもんで……あ、あんたヴァレリオって知ってるか?」
ポケットからごそごそと例の紹介状を取り出し、名義を見せると、リリアローゼは微笑む。
「ヴァレリオなら茶飲み友達だ。最近は会う間隔も開いてきているがね」
「やっと当たりだぜ、まったく」
じゃあ龍に――と言いかけたところで開け放ったままの扉の向こうの廊下から騒々しい足音がした。
もし扉が閉まっていたらバッターンとすごい音を鳴らして開けていたであろう勢いで、甲高い声を放ちながら飛び込んできたのは猫のような耳を生やした少女。
「リリアローゼさまー!!屋敷の前でいっぱい仲間が倒れて――げっ、やったやつ!」
少女はふんわりとした灰色の毛並みに黒い縞の入った尻尾をバタバタっと機嫌悪く揺らし毛を逆立てて、釣り上がったターコイズの瞳をサークに向けると、喉が潰れたような声で叫んだ。
少女の乱入にリリアローゼはいたずらっぽく笑ってサークに聞いた。
「おやおや、乱暴を働いたのかい?」
「不可抗力だっ」
顎にかかった指を払いながらサークが手紙を押し付けると、リリアローゼはそれをしばし読みふむと唸る。
猫耳娘ははやくはやくとリリアローゼを急き立てた。
「ロゼさまーーっ!!そんなのにかまってないでみんなの治療お願いしますようーーっ!!」
「分かったよモニカ。じゃあ、サークリフ。あっちの部屋で待っていておくれ。エラバガルスの館へは少し道が複雑だからね、呼びつけたほうが速い」
サークに向かって舌を出すモニカに引っ張られ、リリアローゼは部屋を指し示してから歩き出す。つと、振り向いて言った。
「ヴァレリオには偶にはこちらに降りて来いと伝えておいておくれ」
「言っとくよ。じゃあな、ありがとさん」
サークは勝手に廊下を進み、指された部屋に向かった。来るまで待つのかたりぃな、と思いながら扉を開けて、飛び上がるほど驚いた。
無人だとばかり思っていた部屋に、先客がいたからだ。
落ち着いた雰囲気の男性が、静やかに立っていた。
足元まで長い虹色に光る髪をキラキラと流し、同じような虹と青のオッドアイが静かにこちらを眺めている。
その神秘を塗り固めたような色彩と、滲み出るなんてものではない、溢れる力の奔流のような気配に圧倒されながら悟った。
「(これが……龍、だ。ダンチだな)」
自分に宿る根源の力はわりかし万能だ。体内に及ぶようなあらゆる力の魔法的影響を打ち消してくれるという作用がある。
だからヒトの魔力にあてられる、ということはサークにはない。
しかしこれは違う。この男が放つそれは「魔力を纏う」だとかそういうレベルではなかった。そのものの"存在"自体が質量を持って感じられる状態。
これでも抑えているのだろう、しかし根源の力はその本質をもって痛いほどサークに「中身」を知らせる。
「こんにちは。エラバガルスと申します」
「あ、ど……どーも」
そんなものがふんわり微笑んで物腰柔らかに挨拶してきた。
サークはちょっと肩透かしを食らったような、しかしたたきつけられる存在感は変わらない。
「その状態でここまで降りるのは少し辛かったでしょう。私と向き合うのも今はあまりよくないですね」
何故そんなことを……と思ったが、そりゃーすごい龍なら見えるし分かるんだろう、と思ったところでエラバガルスの手にヴァレリオの手紙があるのを見つけた。
あれ、確かリリアローゼが持ったままだったってゆーか早ッ!?来るの早ッ!!??
何か手品を見せられているような変な気分になり、サークは頭を掻く。
エラバガルスはゆったりとした袖の中に手を入れたかと思うと、そこから虹色に煌き透き通る鱗を差し出した。
手のひらに収まる程のそれは一枚の鱗としては、普通に考えて……超デカイ。
「えっ、これで一枚」
「そうですよ」
思わず漏れたサークのつぶやきに丁寧に返すエラバガルス。本来の姿はどれだけデカイんだ?としげしげと眺めるサークの不躾な視線も気にせずニコニコしている。
そんな古龍に、やっぱり調子を狂わされながらサークは礼を返した。
「ありがとう……ございます。あと騒いですんません。そろそろ戻るっす」
「いいえ、大丈夫ですよ。加減してくださったと分かります。また是非いらして下さいね」
暴れた手前長居するのも、とそそくさ屋敷を後にする。
ああいうのがあと六体もいるってなると、世界は広いなあと思わずにいられないサークであった。
眠れない夜を創作にぶつける。
特区の皆さんお借りしましたァーっ!!はあはあ、もう後のほうの力尽きっぷりがはんぱない。
そしてまたうまれるNPC。女の子なだけましである。
やっとサークが5話かーっ。次のキャラが作れるに至ったけど、もう少しサークをメインに。
落ち着くまでは書かなきゃのう。
最終更新:2011年06月13日 15:21